サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第31編

 

 この問題を知り、取り組み始めてから、もう1年が経ちます。そして、本シリーズも第31編を迎えることとなりました。この間、日田市民の方、マスコミ関係者の方をはじめ、多くの方々に御覧いただいており、様々な御意見をいただきました。感謝の意に堪えません。私にとっても、自らの行政法学者としての位置を再確認するきっかけとなったサテライト日田問題について、今後も追い続けるとともに、「まずはこのホームページを参照せよ」というお声をいただけるようなものにするために、さらに努力を重ねて参る所存でおります。

 7月3日、大分市も炎天下という言葉が相応しい陽気でした。正午、ゼミを終えて大学を出て、大分地方裁判所に向かいます。到着したのは12時20分ころ。裁判所の前で昼食をとり、12時半となりましたが、前回と違って、玄関前に人は並んでいません。しかし、しばらく待っているうちに、マスコミ関係者が五月雨式に入ってきました。そして、日田市民を乗せたバス、日田市の公用車が到着し、日田市の関係者などと話をしました。13時をかなりまわってから、大石市長、寺井弁護士など弁護士3氏が到着し、我々は1号法廷に入りました。私は、最前列左側、原告側に最も近い席に座り、日田市の方からいただいた被告側の第1準備書面を広げ、傍聴しました。

 今回が第2回目となる口頭弁論ですが、当初から少々変な雰囲気に包まれていました。須田裁判長の声が聞こえにくいと傍聴席から抗議の声が発せられました。大分地方裁判所の場合、3号法廷で刑事裁判が行われるときにはマイクがONになっているのですが、どういう訳か、最も広い1号法廷はマイクがOFFになっています。相変わらずだということになります。今回は、原告側弁護士の声が最もよく聞こえたのです。被告側弁護団のほう(こちらは弁護士でなく、訴訟検事の方であると思われます)も、ボソボソ声に近い様子です。

 被告側の第1準備書面は、6月27日付となっており、12頁から成っております。内容は、第一に、原告である日田市に原告適格がないことを、行政事件訴訟法や自転車競技法の条文を利用しつつ、さらに東京地裁平成10年10月20日判時1679号20頁(サテライト新橋事件)を援用して主張しております。なお、この東京地方裁判所判決に対して、原告は控訴しましたが、東京高判平成11年6月1日判例集未登載は原審支持で請求棄却、さらに最決平成13年3月23日判例集未登載も請求棄却で確定しており、かなり厳しいものとも考えられます。第二に、出訴期間の徒過を主張しています。行政法に関係する者であれば、予想通りの内容です。しかし、それだけに、突破することは難しいとも言えるのです。

 それに対して、原告側弁護士から質問がなされました。そのうち、第1準備書面の3頁に記されている「安寧秩序」の意味に関して、これが地域の治安を含むのか否かという質問については、被告側から、持ち帰って検討するという回答がなされました。次に、4頁にある「これに対し、競技法には、場外車券売場が設置される地方公共団体の利益保護を目的とするような規定は見あたらない」という部分に対する質問が出された時のことです。原告側は須賀裁判長は、当初、これを遮り、それついて原告に説明を求めたのですが、原告側は被告に質問していることであると主張、裁判長は譲らず、少々険悪な雰囲気になりました。傍聴席からも、声こそ発せられなかったのですが抗議の視線が向けられていました。裁判長は、結局、原告側の主張を認め、被告側が検討することとなりました。これらは、遅くとも8月10日まで、可能な限り8月3日までに裁判所へ提出されるということです。次回は9月11日の11時半からということで、木田弁護士にも確認を取ったのですが、いかにも中途半端な時間設定です。また、11月6日の13時半からという予定も組まれました。

 その後、日田市長、寺井弁護士を中心として、傍聴に来られていた市民の方々が玄関前に集合しました。日田市長のあいさつ、そして寺井弁護士のお話がありました。寺井弁護士は、口頭弁論の時の裁判長の態度を改めて批判されました。そばにいた私も飛び入りしてあいさつし、少々ですが批判をさせていただきました。その後、日田市側は大分県庁に行き、前回と同様に記者会見をしたものと思われますが、長野県と違って記者クラブの存在が疑問視されない大分県、その県庁記者クラブに私は入れません。私は、大分大学に戻りました。

 また、9月10日に、日田市民と原告弁護団との勉強会が行われるかもしれません。これは、寺井弁護士が発言されたことです。私も参加させていただければ、と考えております。

 

(2001年7月4日)

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