国家の象徴と憲法・小論

 

  【要旨】  国旗および国歌は,国家の象徴的表現を代表するものである。それだけに,国旗および国歌には,各々の国家の理念・政治体制,文化,歴史的事実などが反映されていると考えられる。そして,国旗および国歌は,政治的立場などの相違による深刻な意見の対立を惹起することもある。

  本稿においては,法律学的(とくに憲法学的)観点から,国家の象徴的表現(とくに国旗および国歌)について,中立的立場から,冷静に若干の考察を進めていく。

  【キーワード】  国家象徴,国旗,国歌

 

T 本稿の目的と姿勢

 

  これまで,日本において,国家の象徴的表現(以下,国家象徴)の代表的存在である国旗および国歌を巡り,世論は二分され,その裂け目が埋められないままであった。その理由は周知の事柄であるから,ここで敢えて記すことはしない。しかし,いかなる理由によるものであれ,国旗(日章旗)および国歌(君が代)について,冷静かつ徹底的な議論がなされてこなかったこと,そして,この問題が弁証法的に止揚されて総合(Synthese)が生み出されなかったことは,一つの大きな不幸であると言いうるであろう。

  ところで,1999(平成11)年1月19日より8月13日までの第145回通常国会(57日間の会期延長がなされた)において,これからの日本,これからの国民生活に重大な影響を及ぼす―しかもその内容に少なからぬ問題を孕む―法案が次々に成立した1)

  その中に,本稿と関連のある「国旗及び国歌に関する法律」(以下,国旗国歌法)がある。この法律は,法律第127号として同年8月13日に公布され,即日施行された(附則第1項)。このため,早くも2日後の8月15日の全国戦没者追悼式典において,国旗国歌法に基づく形で,はじめて国歌斉唱がなされた。

  国旗国歌法については,法案の段階から賛成論と反対論とが激しく対立しており,成立後もこれが直ちに止揚された訳ではない。国旗国歌法案が閣議決定され,政府により衆議院に提出されたのは6月11日であるが,その翌日(6月12日)付の大分合同新聞朝刊に,政府による国旗国歌法案の提出についての大分県内6名の意見が掲載された。この記事からも,賛成論と反対論とが完全に対立し,直ちに統合しうる状態(妥協ではない)にないことが明らかである。

  実は,大分県内6名の中に私も入っており,法律学者としての立場――私は,本来,行政法学を専攻しているが,本学において教養科目「日本国憲法」をも担当している――から意見を述べさせていただいた。このことが本稿を著す動機ともなっているので,僭越ながら,同記事から私の意見の全文を,原文のまま引用させていただく。

  「日の丸・君が代が国のシンボルというのは,慣習として,国際的にも認められているといえるだろう。

  今まで法制度の中で規定されていないのは,歴史的経緯の中で戦争や政治体制と結びついたとらえ方がされ,国民の間でコンセンサスが得られなかったからだ。憲法学者の間でも意見が分かれ,憲法学会でもあいまいにしてきた問題だ。

  法制化の中で最も大きな問題となるのが,憲法一九条の『思想・良心の自由』に抵触するかどうかだ。尊重義務まで課した場合は,抵触するといってもおかしくないが,今回は政治的な駆け引きの意味合いもあって尊重義務までは規定していない。違憲か,合憲かで考えると,尊重義務を規定しないことで,かろうじて今までの事実,慣習を確認したということになるだろう。

  ただ,法制化した場合は法的根拠が生じ,事実上の尊重義務が生じる問題もはらみ,非常に難しい問題となってくる。」2)

  これまで,国旗および国歌について様々な議論がなされてきた。私は,それぞれの立場に是とすべき部分があることを否定するものではない。しかし,問題の性質上,やむをえないことであるかもしれないが,ともすれば感情論に走りがちであり――一見すると学術的観点からの発言であるが,実はそれが装いでしかなく,特定のイデオロギーに偏った論者の主観的な意見でしかないということも,決して珍しくはない――,冷静な議論がほとんどなされなかったという印象を受ける。とくに,この問題に限らず一般的に言いうることであるが,日本において,反対論者は,ただ反対を繰り返すだけで,具体的な対案を示すことをしない,あるいは示しえないという傾向があるように見受けられる。これでは,生産的な議論など全く期待できないし,混乱に拍車をかけるという感すら受ける3)

  こうした状況は,現在も再生産されている。一つだけ,大分県での例をあげておこう。1999年9月13日,大分県議会運営委員会の席上,佐藤錬氏は,議場での国旗掲揚を提案した。同20日には,大分県議会議長の日野立明氏が,会派代表者会議において「本会議場の日の丸掲揚」を提案した。これに対して,自民党,公明党などは賛成,共産党は反対,社会県民クラブも問題ありと述べたという。同28日にも会派代表者会議が開かれたが,やはり賛否両論に分かれたため,議長は判断を議長に一任するように要請した。大分県議会本会議場にも国旗が掲げられることになりそうである。こうした事態について「法制化のカサを着て公共の場や教育現場で国旗国歌を押し付けるようなことは望ましいことではないが,その一因は反対派がつくった。法的根拠のないものを押し付けるなといいながら,さて法律ができると『法制化による強制反対』である。結局,イヤなものはイヤ,ダメなものはダメ。もう少し冷静な論議が欲しい」という指摘がなされている4)

  今回,私は,国家象徴,とくにその代表とされる国旗および国歌について,政治的立場や歴史的問題などを可能な限り捨象し,法律学的(憲法学的)方法・観点に依拠しつつ,憲法における国家象徴についての一般的意義,そして日本国憲法の下における国家象徴としての国旗および国歌の意義を考察したい。これをなすことが,日本国憲法を講義し,新聞にも意見を寄せた者としての責務である,と考えたからである。本稿の述べた内容は,現在の日本の国旗および国歌につき,賛成論,反対論のいずれか一方に与するものでないことを,お断りしておく。

U  若干の一般論的考察

  象徴とは「抽象的・無形的なものを表す具体的・有体的なもの」である5)。国家象徴の機能は「対内的には国民と国家との統合および同一化に,対外的には国家を代表することに資する」ことにある6)

  国家について象徴(的表現)が語られる場合,一般的には,国旗,国歌,国章が念頭に置かれるのであろう。

  もっとも,何をもって国家象徴とみなすかについては,人により,また国により,異なりうる。日本国憲法は,第1条において天皇を「日本国の象徴」および「日本国民統合の象徴」と規定するが,国旗および国歌その他の国歌象徴に関する規定は存在しない。また,日本の法律学が,国家象徴として上記以外に何を想定しているのか,これは必ずしも明らかではない。その理由は,憲法学説において論じることの実益性にある,と思われる。

  他国においてはどうであろうか。本稿においては,ドイツの例を概観する。

  ドイツ連邦共和国基本法第22条は「連邦旗は黒・赤・金(色)である」と定める。この連邦旗の色(配色)が,やはり国家象徴としての連邦色(Bundesfarben)である。従って,基本法第22条は,連邦旗および連邦色を連邦象徴(Bundessymbole)として定めたことになる。しかし,基本法には,その他の国家象徴についての規定はない。そのためであろうか,ドイツの憲法学説においても,連邦旗および連邦色以外に国家象徴とされるものの範囲については見解が分かれている。例えば,フーバー(Peter M. Huber)は,国歌,国家の祝日および連邦の首都を連邦象徴と考えるようである7)。バドゥーラ(Peter Badura)は,連邦国章(Bundeswappen),連邦の首都,国歌をあげる8)。また,シュミット・ブライプトロイ/クライン(Bruno Schmidt-Bleibtreu / Franz Klein)は,国歌,連邦国章,職務印章(Dienstsiegel),境界標,勲章,栄誉章,制服,職務服(Amtstrachen),官職名,国家の祝日および首都をあげている9)。この他の説を概観しても,基本法第22条に定めのある連邦旗および連邦色,国歌,連邦の首都などは共通しているものの,広狭様々である。

  このように,国家象徴となるべきものには,様々な事物が考えられるのであるが,ここにおいては,日本国憲法において明文により国家象徴とされる天皇,ならびに本稿の目的より国旗および国歌について,若干の一般論的考察を行う。

  (1)君主

  日本国憲法において,第1条は,国家象徴を定める唯一の規定である。この条文の意義については,憲法学において度々論じられるが,本稿においては若干の事柄を検討するに留める。

  日本国憲法施行下における天皇が君主であるか否かについては、憲法学界にも見解の相違が見られるし、この問題そのものの実益性を否定する見解も存在する。

  単純に君主の存在の有無を基準にして君主政体であるか共和政体であるかを問うことは,現在において重要な意味を持たない。イギリス,スウェーデン,スペイン,ベルギーなどの立憲君主国においては,現在,君主が国家元首であるとされていても,統治権を総攬する訳ではなく,むしろ,実質的には象徴的な意義しか認められていない。また,君主政体といっても,歴史上,様々な形態が存在しており,実権の有無および程度についても差異がある。このことを踏まえるならば,君主のメルクマールは,或る論者の説に従い,@「単独制の国の元首であること」,A「不可侵,無責任の特権(Vorrechte der Unverletzlichkeit und Unverantwortlichkeit)を有すること」,B「ある種の装飾的代表機能(dekorativ-reprasentative Befugnisse)を有すること」,C「例外はあるが(選挙君主制),多くの場合その地位は世襲であること」とすることが妥当であろう10。若干補足するならば,一般的に,君主,より厳密に言うならば君主の地位は,政治的な実権を有するか否かを問わず,国家象徴として存在する。

  日本国憲法の規定からすれば,天皇が上記メルクマールのうちのAないしCに該当することは異論がない。問題は@である。国際慣習において,日本の元首は天皇であるとされているが,大日本帝国憲法第4条のごとき規定が日本国憲法にないこと,日本国憲法第65条において「行政権は,内閣に属する」とされていることを踏まえれば,天皇は行政権の首長でもなく,第1条からも明らかなように対外的に国を代表する権能を有しないので,天皇は元首でなく,@のメルクマールに該当しないから君主でもないことになる。しかし,日本国憲法第6条および第7条を再読するならば,これらの条文にあげられている天皇の国事行為は,まさしく国家元首の役割としての行為であることを否定しえない(勿論,第3条および第4条,さらに第1条の存在を忘れてはならない)。このことからするならば,日本国憲法の下においても,天皇は元首であるということになる11

  君主も元首も歴史的かつ相対的な概念である。天皇は,大日本帝国憲法の下においても国家象徴であったが,日本国憲法の下では国家象徴としての役割しか認められない。しかし,そのことから,天皇が君主でも元首でもないと単純に言うことはできない。むしろ,君主であれ元首であれ,その具体的な権能の範囲などについては,憲法の規定に拠ると考えるべきである。従って,日本国憲法の三原則の一つである国民主権に矛盾しない限り,そして立憲主義および民主主義に矛盾しない限りにおいて,天皇を君主および元首と位置づけることは,解釈上,可能であると思われる。但し,このように解しうるからとして天皇の実質的権限を創設・拡大することは,当然,日本国憲法上,許されない。

  (2)国旗

  国旗は,国家象徴の代表的なものである。日本の法律学においても,国旗が国家象徴の例として端的にあげられることは多い。

  国際法において,国旗(さらに国章)は国家象徴としてとくに重要視されている。例えば,外交関係に関するウィーン条約第20条は「使節団及び使節団の長は,使節団の公館(使節団の長の住居を含む。)及び使節団の長の輸送手段に派遣国の国旗及び国章を掲げる権利を有する」と定める。同様の規定は,領事関係に関するウィーン条約第29条にも存在する。これらの規定の背景には,国家が国旗(さらに国章)を有する権利が国際慣習法として定着していることがあると思われる。

  日本の国旗は,1851(安政元)年に島津斉彬の建議を入れることにより定められた。しかし,1889(明治22)年に2月11日に公布された大日本帝国憲法には,国旗に関する規定が存在しなかった12。この点は,日本国憲法においても同じである。

  もっとも,法律において,国旗についてとくに規定を設ける場合がある。

  例えば,船舶法第2条は「日本船舶ニ非サレハ日本ノ国旗ヲ掲クルコトヲ得ス」と規定する他,第6条において国旗表示の要件,第7条において国旗表示義務,第22条において国旗表示に関する罰則,第26条において国旗掲揚義務違反に対する罰則を定める。しかし,同法および同法施行細則には,国旗そのものの法的根拠となる規定が存在しない。1870(明治3)年1月27日の太政官布告第57号(商船規則)には「祝日可用分大旗之図」として現在の国旗が制式として定められているが,これは国旗の寸法に関する規定である13

  また,自衛隊法は,第4条において自衛隊旗および自衛艦旗に関する規定を置き(但し,同第2項により,制式は政令に委ねられる),第102条において国旗および自衛隊旗(その他の旗)の掲揚義務を定める。これを受けて,1972(昭和47)年3月14日の防衛庁訓令第3号(自衛隊の旗に関する訓令)は、第5条以下に国旗などの掲揚に関する規定を置く。しかし,これが国旗そのものの法的根拠でないことは言うまでもないし,国旗の制式に関する定めもない。

  一方,他国の憲法を概観すると,国旗に関する規定を置くものが多い。その例として,イタリア共和国憲法第12条,スペイン憲法第4条,オーストリア連邦憲法第8a条,中華人民共和国憲法第136条,ドイツ連邦共和国基本法第22条,フランス共和国憲法第2条第2項,ポーランド共和国憲法第28条第3項,旧ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法(1936年)第144条がある。但し,いずれも国旗のデザインを規定するものであり,これらの規定から直ちに法的尊重義務が生じる訳ではない。

  それでは,国旗に関する規定を憲法に置くならば,いかなる意味が生ずるのであろうか。本稿においては,ドイツの憲法学(国法学)説を参考にし,若干の考察を加えたい。

  ドイツ連邦共和国基本法第22条は,既に述べた通り,連邦旗および連邦色を連邦象徴とする規定である。ここに定められた旗(配色)は,19世紀前半以来,統一および自由の象徴とされており,ワイマール共和国憲法第3条第1文によって初めて連邦旗とされた14。このような「憲法による国旗の確定は,国際法による国旗保護の前提ではないが,国際法上の保護規定によって前提とされる規範的確定を意味する」15

  しかし,基本法第22条の重要な意義は,連邦旗および連邦色を定める規定であるということよりも,連邦象徴に関する権限規定(Kompetenzvorschriften)であることのほうにある。ドイツは連邦国家であるため,連邦自体と連邦構成各州(Bundeslaender)との権限の配分が問題となる。基本法第22条は,明文で定めてはいないが「事柄の性質(Natur der Sache)により」連邦旗および連邦色以外の象徴を定める権限を連邦に与えると解釈される16

  その上で,問題は,連邦旗および連邦色以外の連邦象徴を定める権限がいかなる連邦機関に与えられるか,ということになる。この点について,シュミット・ブライプトロイ/クラインは,連邦旗,連邦色および国歌以外の国家象徴に関して連邦の立法権の所管事項であるとしているが,国歌については述べていない17。ヴィーラント(Joachim Wieland)は,原則として連邦議会(Bundestag)に優越的な象徴制定権限を与えるべきとしつつ「法律の留保は,市民の義務―例えば連邦旗掲揚義務―が根拠づけられるような場合における法律による規律の必要性を導く」としている18。これに対し,フーバーは,国家象徴の確定を原則として「立法者」の権限としつつも,法律による規律が存在しない場合に連邦大統領の権限を認める19。また,エッカルト・クライン(Eckart Klein)は,これまでドイツ連邦共和国の国家象徴が様々な国家機関によって制定されたことをあげつつ,象徴制定権限が原則として連邦大統領に与えられるが,連邦政府および議会が排除されている訳ではないと述べ,象徴に関する規律が市民に対して拘束力を有すべき場合には法規を必要とする旨を述べる20

  もう一つの問題は,国家象徴(連邦象徴)と国民の精神的自由権との関連である。ドイツの場合,連邦色、連邦旗,連邦国章または国歌の侮辱は,刑法第90a条第1項第2号により処罰される。従って,芸術,学問,研究および教授の自由を保障する基本法第5条第3項第1文と第22条との関連が問われることになる。

  連邦憲法裁判所は,1990年3月7日,反戦主義的な散文および詩を収録した(戯画およびコラージュも掲載されていた)書籍に連邦旗を侮辱する部分が含まれていたとして,出版業者が刑法第90a条第1項第2号違反に問われて憲法異議を申し立てた事案につき,出版業者の基本権が侵害されたことを理由として,出版業者を有罪としたフランクフルト・アム・マイン州上級裁判所などの判決を破棄し,事案を差し戻した。但し,連邦憲法裁判所は,芸術の自由が第三者の基本権との関係において限界づけられるのみならず,憲法中の他の規定とも抵触しうることを認め,連邦旗の侮辱が国家の権威を侵害しうるとも述べている21

  (3)国歌

  国歌も,国家象徴の一つである。国歌についての規定を置く憲法はそれほど多くないが,フランス共和国憲法第2条第3項,ポーランド共和国憲法第28条第3項という例をあげうる。

  日本国憲法には,国歌に関する規定も存在しない。国歌については法律で定めるとする国家が多い。国歌に関する法律の根拠が存在しない国家の例としては,日本の他,ドイツ連邦共和国がある。現在のドイツの国歌は,ワイマール共和国時代の1922年,ライヒ大統領令により国歌とされ,1952年,当時の連邦大統領ホイス(Theodor Heuss)による連邦宰相アーデナウアー(Konrad Adenauer)への書簡において国歌であると確認されている(但し,第3番の歌詞のみが歌われることも確認されている)。

  連邦憲法裁判所は,1990年3月7日,ドイツの国歌の替え歌を雑誌に掲載した出版業者が刑法第90a条違反に問われて憲法異議を申し立てた事案につき,出版業者の基本権が侵害されたことを理由として,出版業者を有罪としたバイエルン州上級裁判所の判決を破棄し,事案を差し戻した。但し,連邦憲法裁判所は,判決理由において,国歌の侮辱を処罰する旨の刑法第90a条第1項第2号が,原則的に基本法第5条第3項第1文と矛盾しない旨を述べる。同時に,この判決において,第3番の歌詞のみが国歌として保護に値する旨も述べられている22

V  国家象徴としての国旗および国歌と日本国憲法

  (1)国旗国歌法の構造

  先に記した通り,国旗国歌法は,1999年8月13日に公布され,附則第1項により,同日より施行されている。ここで,この法律の構造を概観しておく。

  第1条第1項は「国旗は,日章旗とする」と定め,制式は,第2項によって「別記第一のとおりと」される。

  第2条第1項は「国歌は,君が代とする」と定め,同第2項は「君が代の歌詞及び楽曲は,別記第二のとおりと」定める。

  次に附則を概観する。附則第1項は施行期日に関する規定である。第2項は,商船規則を廃止するという規定である。第3項は,制式に関する特例を定めている。

  国旗国歌法は,上記の通り,非常にシンプルな法律である。当初懸念なされていた法的尊重義務の規定はない。既に言及した船舶法第7条および第26条のごとき規定も存在しない。従って,公の場(例えば公立小学校)などにおける国旗掲揚義務および国歌斉唱義務は,国旗国歌法から直ちに導かれないことになり,その意味において,国旗国歌法が憲法第19条・第20条第1項前段・第21条第1項に違反する危険性は,法律の明文において回避されているとみることもできる。かような義務に違反する者が存在する場合,公務員であれば職務命令違反を理由とする何らかの懲戒処分が課されることは考えられるが,一般市民に対して法的制裁が課されることは,当然ながら許されないことになる。

  (2)日本国憲法の下において,国家の象徴的表現としての国旗および国歌(さらに国章)をどのように考えるべきであろうか。

  まず,現在の国旗(日章旗)および国歌(君が代)から一旦離れるならば,日本国憲法は国旗および国歌などの国家象徴に関しては,国会に決定権限を委ねているものと解される。国家象徴そのものは国民の権利や利益に直接関係しないので国家象徴に関する定めは狭義の法規(Rechtssatz)ではない,という考え方も存在しうるが,仮に法的尊重義務を規定するのであれば妥当ではない(U(2)において引用したヴィーラントの見解を参照)。法的尊重義務を課すことは,まさしく国民の権利や利益を直接的に制約し,または新たに義務を課すことに他ならないからである(罰則が規定されている場合には,このことがいっそう強く妥当する)。また,法的尊重義務が規定されない場合であっても,国家象徴が国家の内外に果たす役割を考えるならば,狭義の法規ではないとしても,国会のみに決定権限を認めることが妥当であろう。国家象徴は,文字通り国家を具体的かつ有体的に表現するものであるが,それに留まらず,国民の統合作用を有し,国民の精神作用に何らかの影響を及ぼすものであり、――これを意図しない国家象徴は考えられない――,国民の精神的自由権の行使に対して,実質的に多少なりの制約を課することになるからである。

  次に、現在の国旗および国歌について考えなければならない。学説などの状況は必ずしも明らかではないが,論理として次の各説を,要約的に想定することができよう。

  第一に,現在の国旗および国歌は(憲法的)慣習法または実質的憲法の一部である,とする説である。少なくとも国旗については,既に述べた通り,他国の憲法には明文の規定が存在する場合が多く,国際法上も外交関係に関するウィーン条約第20条などが存在すること,既に日章旗が国際的に慣習として承認されていることからすれば,この考え方は成立しうる。国歌についても,国際的に承認されているという点において同様である。この説によれば,国旗国歌法は従来の(憲法的)慣習法または実質的憲法を確認し,明文化した法律にすぎない。

  第二に,現在の国旗および国歌は,国民主権原理を採用する日本国憲法と矛盾するので違憲であるとする,少なくとも日本国憲法の理念と両立しないとする説である。この考え方によると,国旗国歌法は憲法に違反する疑いが強いということになる。

  第三に,現在の国旗および国歌は,日本国憲法に積極的に適合するものでもないが矛盾するものとも言い難いとする説である。これは,国旗国歌法に積極的合憲性を認めない点において第一説と異なり,違憲性を認めない点において第二説と異なる。

  憲法学界において第一説は見受けられない。おそらく,第二説または第三説のいずれかによることになろう。また,従来からの政府の立場は,上記の分類にあてはめるとすれば,実質的には第一説に近いものと思われる。

  第一説の難点は,現在に至るまで国旗および国歌に関する国民間のコンセンサスがないという事実から説明しうるであろう。政府が国旗および国歌を慣習法として承認しようとする動きが,かねてから文部省告示である学習指導要領により示された(告示が法的根拠となりうるか否かについては議論があるが,ここでは検討を省略する)。しかし,国旗および国歌に関して法令に規定のない時代に,現在の国旗および国歌が事実たる慣習として存在していたと考えられるか否かが問題であろう。国家の側で慣習法(少なくとも事実たる慣習)として扱うとしても、国民の多数がそのように意識していないのであれば、事実としては存在しても、事実たる慣習、さらに慣習法は存在していないことになる。現実に、日本国民のうち、どれだけの割合の人が国旗および国歌に賛成し、反対しているのか、私は知らない。また、どれだけの国民が現在の国旗および国歌を社会規範として認めれば慣習法(少なくとも事実たる慣習)が成立しうるのかも問われよう。しかし,これだけ賛否両論が激しく争われる中では、現在の国旗および国歌を(憲法的)慣習法または実質的憲法の一部とすることは強弁の嫌いがある。

  また,第一説の論拠として日本国憲法の象徴天皇制をあげる説も考えられうる。しかし,元号制と異なり,国旗および国歌については,天皇制と直接的な関係を有するか否かについて議論が分かれている。また,象徴天皇制から現在の国旗および国歌の積極的合憲性を導くことは短絡的にすぎる(但し,消極的合憲性を導くことは可能である)。

  第二説は,比較的に多数の支持を得るものと思われる。しかし,この考え方にも疑問が残る。この説は,現在の国旗および国歌が日本国憲法とどのように矛盾する(少なくとも両立しない)のかについて,それほど明確な論拠を示していないと思われる。

  日本の国旗は,先述の通り,1851(安政元)年に定められたものである(ここに注意されたい)。国歌のほうは,1880(明治13)年,林広守により作曲されたが,歌詞は,もともと古今和歌集および和漢朗詠集に「読人しらず」として収録された祝いの和歌であり23――但し,初句は「わがきみは」となっている――,江戸時代にも隆達節や筝曲,長唄などで祝賀のために用いられたようである。「きみ」という語は「天皇をさすとは限らず,つかえる主人,想いをかける恋人になることもある」24。「わがきみは」が「君が代は」と変わった経緯については,遺憾ながら私にはわからなかった(御教示をお願い申し上げたい),初句が異なるとしても「君」の意味には違いがなかったものと思われる。勿論,「君」を君主の意味に捉えることも可能であるし,明治時代以降にはそのように解釈されてきた。現在でも「象徴としての天皇の地位」と解釈されることがある25。このことから「君が代」を国歌とすることは憲法に違反するし「公的機関が『君が代』を強制すること,また公的に歌うことはすべて違憲とされなければなら」ず,現在の国歌を法例第2条に違反すると説く論者も存在する26

  しかし,現在の国歌を,法例第2条にいう「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗」に反するものとする考え方の根拠は薄弱である。まず,歌詞の意味については幾つかの解釈が可能であり,天皇制と直接的な関係があるとは即断しえない。次に,仮に天皇制と直接的な関係があるとしても,日本国憲法自身が象徴天皇制を認める以上,現在の国歌を「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗」に反するものと考えることはできないであろう。国民主権原理を基本とする上で「象徴としての天皇」を祝う国歌が存在するとしても,このことを日本国憲法が許容しないと即断することはできない(消極的合憲性とはこのことである)。

  あるいは,現在の国旗および国歌を違憲とする論者は,究極的には象徴天皇制自体が「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗」に反するものと考えるのであろうか。そうであるとするならば,日本国憲法自身が法例第2条に違反する部分を有するという結論になる。常識的に考えても,この結論は到底受け入れられない。

  憲法や法律の解釈の際に歴史的事実を考慮に入れることは重要であるが,それに引き摺られる必要はない。現在の意味を考えることこそ必要である。

  以上の考察からすれば,第三説が妥当であろう。国旗国歌法,および同法に定められた現在の国旗および国歌は,日本国憲法の国民主権原理に積極的に適合するものではない。しかし,同じ憲法が象徴天皇制を規定することからすれば,現在の国旗および国歌は,日本国憲法の趣旨に矛盾するものとも言い難いのである。

  (3)先に大分県議会における一事件を紹介したが,国旗国歌法が施行されてから,公的な場における国旗掲揚および国歌斉唱の動きが活発化しているようである。先に私が述べたように,法制化を通じて事実上の尊重義務が生じたと考えられる。そのため,従って,国旗国歌法の運用次第により,当然,国旗および国歌の尊重ということについて,憲法第19条により保障される思想・良心の自由を侵害するおそれ――場合によっては,第20条第1項前段により保障される信教の自由を侵害するおそれ――があるか否かが問題になる。そればかりではなく,1987(昭和62)年1026日に沖縄県読谷村にてなされた国旗毀損(焼却)などのような行為との関連において,憲法第21条第1項により保障される表現の自由との関連も,問題になりうる。

  この問題については,次のように考えるべきであろう。

  国旗国歌法によって一般的に国旗および国歌が定められたことにより,事実上の尊重義務が生じると考えうる。おそらく,これは立法者の意図するところでもある。しかし,国旗国歌法に国旗および国歌の法的尊重義務が規定されていないということ,および,そのことによって,国旗国歌法が憲法第19条・第20条第1項前段・第21条第1項に違反する危険性は,法律の明文において回避されていると考えられることを,解釈の出発点としなければならない。

  法律の解釈に際して,立法者の意思を尊重しなければならない場合があることは否定できないが,成文法は,一度完成されるや立法者の手許から離れ,独立した存在となる。我々は,社会の発展,現在の情勢を考慮しつつ,成文法自身の意思を探らなければならない。

  法律の明文において法的尊重義務が規定されていないということは,本来であれば事実上の尊重義務なるものを許容しないということであるし,仮に事実上の尊重義務の存在を認めるとしても,それが一人歩きすることを許容しないということである。国旗国歌法の施行によって国旗および国歌のいっそうの普及を目指すとしても,それが強制になり,違反した場合に不利益を課すというのであれば,法的根拠を欠いた措置であるということになる。法治主義の原則からしても,許されることではない。

  そして,国旗および国歌の様式(制式)を定めることは,直ちに尊重義務(法的,事実的の別を問わない)につながる訳ではない。尊重義務を課すのであれば,船舶法第7条のごとき規定を置くことも,選択肢としては存在しうるが,それでは日本国憲法第19条・第20条第1項前段・第21条第1項に違反するおそれがある。とくに,思想および良心の自由は内心の自由であり,「公共の福祉」によって簡単に制約してよいものではない。精神的自由権の保障が自由主義および民主主義の根幹をなすことを忘れてはならない。

  もし,国旗および国歌の法的尊重義務を定めるのであれば,憲法自身に規定を置くべきであろう。もっとも,先にあげた他国の憲法,例えばフランス共和国憲法第2条第2項・第3項,ドイツ連邦共和国基本法第22条などは,それらの規定から直ちに法的尊重義務が生じるという構造ではない。そして,憲法に法的尊重義務を規定したとしても,基本的人権に関する規定との抵触は避けられないのである。

W  おわりに

  いずれにせよ,国旗国歌法により,これまであいまいなものとされてきた国旗および国歌についての法的根拠が明らかになった。しかし,上述のように,日本国憲法との関連において,法的問題が全て解決された訳ではない。また,法的根拠が明確にされたことによって,その他の問題(政治的問題など)も解消される訳ではない。そこに,少なくとも日本における,国旗・国歌の問題の難しさが存在する。

  国旗および国歌は,既に憲法典において明文により規定されている場合ならともあれ,単純な多数決原理で処理されうる問題ではない。今回,国旗国歌法は国会において可決・成立した。そのため,国会の構成が国民の意思を忠実に反映しているとは言い難いとして,この問題を,国民投票(住民投票も考えられるか)など,より国民の意思を忠実に反映する制度によって決定すべきであるという見解も考えられる。国民投票まで行かなくとも,世論調査の結果を反映させるなどの努力が必要であったという意見もありえよう。

  しかし,冒頭にも記した通り,国旗および国歌を巡って,世論が二分され,その裂け目が埋められないままであり、しかも,冷静かつ徹底的な議論がなされてこなかったという状態は,今後急に解消するとは思えない。そのため,そのような状態の下において,たとえこの問題について国民投票を行ったとしても,真の解決にはつながらないであろう。国民投票においては,問われる事柄に対する選択肢として,基本的にYesNoしかないからである。

  カール・シュミットは著書「憲法論」中の「民主制の限界」と題された箇所において「秘密の個別投票の方法は,投票権ある市民を孤立した私人に変え,彼をして私人の域を脱することなしにその意見を表明することを可能ならしめている。私人がそれぞれ内々に考えていることを合算しても真の世論にも真の政治的決定にもならない。私人たちからこのような決定を期待することの方がむしろ不当であろう」と述べる27。シュミットの学問的方法論が抱える問題点はともあれ,この発言には正当な部分が含まれていると考えられる。

  シュミットによる先の論述は,国旗が政治問題または国民感情の問題となっていたワイマール共和国期のものである。彼は,さらに続けて次のように発言しているが,そこにおいて示された内容に現代の日本と共通する部分があると感じるのは,私だけであろうか。

  「大多数の人,少くとも仕事にかまけている市民は,自分の直接の経済的利益に関係ない限り,いたずらに政治的決定という負担をかけられることを望まないであろう。この決定を嫌う傾向がはっきり,公然と現れる事例は,今日(一九二七年)ドイツ国の住民が国旗を掲揚するたびごとに見られる。ワイマール憲法はその三条において次のごとく規定する。すなわち『国旗は黒・赤・金色とする。商船旗は黒・白・赤色とし,その上部の左隅に国旗を記入する』と。この規定は妥協の産物であり,黒・赤・金色とするか,黒・白・赤色(――ドイツ帝国時代の国旗の色。引用者注)とするか,両者のいずれかをとるかは決定されなかった。今までのところドイツ人民の圧倒的・決定的なアクラマティオンはまだ現われていない。秘密の個別投票を行なっても結果はおそらく政党の態度によってきまるだけであって,投票に負けた方にとって圧倒的多数と映ずるような多数を生み出さないであろう。現在のところ,この問題を秘密の個別投票で解決するのは,なおまだこの問題を決定するのに適した方法とは思われない。大多数の住民,とりわけ実業家たちは,とにかく,決して国旗を掲げないかもしくはラント旗,市町村旗,教皇旗,特別に作った社旗,私旗のような「中立的」な旗を掲げるかすることによって,いずれとも決めることを欲しないと公然と表明している。――これは『多数が決定する』という命題に対する生きた教訓である。」28(緑色の字は,引用者による強調)

 

  1)浅野善治=小林由美「第一四五回国会の概観と個別法律の論点」法学教室229号(1999年)40頁は,国旗国歌法を「国家の基本的事項を定める法律」とし,ガイドライン関連法や組織犯罪対策関連三法を「国民の間で大きく意見の分かれる法律」としている。国旗国歌法を「国家の基本的事項を定める法律」と評価することは妥当であると思われるが,同時に「国民の間で大きく意見の分かれる法律」であることを忘れてはならない。

  2)大分合同新聞1999年6月12日付朝刊朝F版25面。引用文中の「憲法学会」は「憲法学界」の誤り。なお、私が意見を求められたのは,2日前の6月10日である。

  3)観点こそ異なるが,堀宏明氏(大分県教組副委員長)も,国旗国歌に関する「本質的な論議がな」いと述べられる。宝珠典隆氏(大分市PTA連合会長)は「今回の法制化」を「あまりに短絡すぎる」と批判された上で「日の丸・君が代を問題にする国会や日教組は,もっとほかにすることがあるのではないか」と述べられる。また,賀川光夫氏(別府大学名誉教授)は「世界史的に見ると,どこの国も国旗と国歌を大事にしており,日本でも国旗や国歌が必要だと思う。(中略)日の丸・君が代は歴史的な事実として存在しており,感情的にそれを嫌う前に,戦争の本質をもっと時間をかけて論議し,国旗・国歌についても,みんなで考えればいいのではないか」と述べられる。大分合同新聞1999年6月12日付朝刊朝F版25面。肩書きは,いずれも掲載当時。

  4)大分合同新聞1999年9月21日付朝刊朝F版1面「東西南北」(報道は同5面)。なお,社会県民クラブは,教育現場などの生活現場で国旗掲揚および国歌斉唱を強制しないことなどを内容とする意見書を提出したが,不採択に終わった。

  5)竹内昭夫=松尾浩也=塩野宏編『新法律学辞典』〔第三版〕(1989年,有斐閣)732頁。

  6)Peter M. Huber, in: Michael Sachs (Hg.), Grundgesetz Kommentar, 1996, Art. 22 Rn.5; Eckart Klein, Die Staatssymbole, in: Josef Isensee / Paul Kirchhof (Hg.), Handbuch des Staatsrechts der Bundesrepublik Deutschland, Band T, 1987, §17 Rn. 1.

  7)Huber in Sachs, a. a. O., Art. 22 Rn.4.

  8)Peter Badura, Staatsrecht, Systematische Erlaeuterung des Grundgesetzes, 2. Auflage, 1996, D Rn.29ff.

  9)Bruno Schmidt-Bleibtreu / Franz Klein, Kommentar zum Grundgesetz, 9. Auflage, 1999, Art. 22, Rn. 6. なお,他国の憲法には,明文で首都を定めるものがある(例,アメリカ合衆国憲法第1条第8節第17項および修正第23条、オーストリア連邦憲法第108条,スペイン憲法第5条,中華人民共和国憲法第138条,ロシア連邦憲法第70条第3項前段)。

  10)橋本公亘『日本国憲法』〔改訂版〕(1988年,有斐閣)20頁。佐藤幸治『憲法』〔第三版〕(1995年,青林書院)244頁,長尾一紘『日本国憲法』〔第3版〕(1997年,世界思想社)46頁,西修『日本国憲法を考える』(1999年,文春新書)68頁も参照。

  11)長尾・前掲書46頁,西・前掲書65頁を参照。

  121931(昭和6)年,大日本国旗法案が提出され,衆議院にて可決されたものの,貴族院にて審議未了の故に廃案となっている。

  131871(明治3年)太政官布告第651号も国旗の寸法に関する規定を置いていたが,第57号との若干の食い違いがある。なお,太政官布告は,法形式の一種であり,全国一般に相達しなければならないものを指す。この法形式は1886(明治19)年に廃止されたが,後の法律などに矛盾しないものは引き続き効力を有する。その例として,死刑執行方法を定めた1873(明治6年)の太政官布告第6号がある(最大判昭和36年7月19日刑集15巻7号116頁も参照)。

  14Siehe naeher Joachim Wieland, in: Horst Dreier (Hg.), Grundgesetz Kommentar, Band U, Artikel 20-82, 1998, Art. 22 Rn. 1ff.

  15Wieland in Dreier, a.a.O., Art. 22 Rn. 9.

  16Klein in Isensee / Kirchhof, a.a.O., §17 Rn. 15; Huber in Sachs, a.a.O, Art. 22 Rn. 5; Wieland in Dreier, a.a.O., Art. 22 Rn. 15; Schmidt-Bleibtreu / Klein, a.a.O., Art. 22, Rn. 6.

  17Schmidt-Bleibtreu / Klein, a.a.O., Art. 22, Rn. 6f.

  18Wieland in Dreier, a.a.O., Art. 22 Rn. 15.

  19Huber in Sachs, a.a.O., Art. 22 Rn. 6f.

  20Klein in Isensee / Kirchhof, a.a.O., §17 Rn. 16f.

  21BVerfGE 81, 278. Vgl. Ernst Gottfried Mahrenholz, Freiheit der Kunst, in: Ernst Benda / Werner Maihofer / Hans-Joachim Vogel (Hg.), Handbuch des Verfassungsrechts, Studienausgabe, Teil 2, 2. Auflage, 1995, §26 108ff.

  22BVerfGE 81, 298. Vgl. Mahrenholz in Benda / Maihofer / Vogel, a.a.O., §26 115ff.

  23)佐伯梅友校注『古今和歌集』(日本古典文学大系8,1958年,岩波書店)169頁,および川口久雄=志田延義校注『和漢朗詠集・梁塵祕抄』(日本古典文学大系731965年,岩波書店)250頁を参照した。

  24)川口=志田校注・前掲書283頁。

  25)樋口陽一=佐藤幸治=中村睦男=浦部法穂『注釈日本国憲法上巻』(青林書院新社,1984年)78頁[樋口陽一担当]。

  26)針生誠吉=横田耕一『国民主権と天皇制』(法律文化社,1983年)114頁[横田耕一担当]。

  27Carl SchmittVerfassungslehre, 8. Auflage, 1993, S. 281.〔邦訳:阿部照哉=村上義弘訳『憲法論』(1974年,みすず書房)326頁〕

  28Schmitta. a. O., S. 281.(前掲邦訳書326頁)

 

大分大学教育福祉科学部研究紀要22巻1号(2000年)より

 

「日本国憲法』講義ノート」〔第3版〕

尊重義務生じる恐れ

(大分合同新聞1999年6月12日付朝刊朝F版25面より)

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