租税法律主義・地方税条例主義の射程距離(上)
―旭川市国民健康保険条例訴訟最高裁大法廷判決の検討を中心に―
はじめに
租税法律主義は、憲法第
84条および第30条に規定されるという点において憲法上の原則である(注1 )とともに、租税法学において最も基本的にして重要な原則である。しかし、租税法律主義については、課税要件法定主義および課税要件明確主義の具体的な事件への適用が問題となるばかりでなく、租税以外の公課への射程距離が、憲法第84条にいう「租税」の解釈問題として憲法学や財政法学においても論ぜられ、時に訴訟において争われることがある(注2)。
他方、地方税条例主義は、後述するように、大牟田訴訟(福岡地判昭和55年6月5日訟月26巻9号1572頁)、秋田市国民健康保険税条例訴訟(秋田地判昭和54年4月27日判時926号20頁、仙台高秋田支判昭和57年7月23日行集33巻7号1616頁)を通じて、学説、判例の双方において定着しつつある(注3 )。とくに、秋田市国民健康保険税条例訴訟の二判決は地方税条例主義を明確に述べ、さらに同条例の規定が課税要件明確主義に違反するが故に無効であると判断した。ただ、この訴訟は、秋田市が最高裁判所に上告したものの、最高裁判所の判断が示されないままに終わっている。
国民健康保険法第76条によると、市町村は原則として国民健康保険料(以下、保険料)を徴収しなければならないのであるが、国民健康保険税(以下、保険税)を選択して徴収することも可能である(地方税法第703条の4も参照)。規定の上での原則は保険料であるが、実際には保険税を選択する市町村のほうが多いと言われていた(注4 )。このため、保険料と保険税とは、基本的に同じ性格を有することになり、保険税に租税法律主義・地方税条例主義が適用されるのであれば、保険料にも租税法律主義・地方税条例主義が適用されるのではないか、換言すれば、保険料も憲法第84条にいう「租税」に該当するのではなかろうか、という疑問が生じるのである。
今年(平成18年)3月1日、最高裁判所大法廷は、旭川市国民健康保険条例訴訟について判決を下し、租税法律主義および地方税条例主義の射程距離について重要な判断を示した。また、同月28日、最高裁判所第3小法廷は、同じ原告が提起した介護保険料訴訟についても判決を下し、やはり租税法律主義および地方税条例主義の射程距離について重要な判断を示している(注5 )。
本稿は、旭川市国民健康保険条例訴訟(本件訴訟)の最高裁判所大法廷判決(判時1923号11頁、判タ1205号76頁)を題材として、判決の妥当性を論ずるとともに、租税法律主義・地方税条例主義の射程距離を検討することを目的とするものである。
(注1) 憲法学においては、租税法律主義の根拠を第84条のみに求める見解が通説であろうと思われる〔なお、松井幸夫「国会の国政監督」樋口陽一編『講座憲法学5 権力の分立[1]』(1994年、日本評論社)202頁を参照〕。しかし、租税法学においては見解が分かれる。かつては、租税法律主義の根拠を、憲法第84条ではなく、第30条とする学説も存在していたが、現在は管見の限りにおいて見当たらない〔碓井光明「憲法八四条にいう『租税』の概念の外延について」ジュリスト705号(1979年)122頁も参照〕。第84条のみを根拠とする見解の例として、金子宏『租税法』〔第十一版〕(2006年、弘文堂)79頁、水野忠恒『租税法』〔第2版〕(2005年、有斐閣)6頁がある。これに対し、第84条と第30条の双方を根拠とする見解の例として、田中二郎『租税法』〔第三版〕(1990年、有斐閣)81頁、新井隆一『租税法の基礎理論』〔第三版〕(1997年、日本評論社)58頁、北野弘久『税法学原論』〔第五版〕(2003年、青林書院)87頁、山田二郎『税法講義』〔第2版〕(2001年、信山社)29頁、清永敬次『税法』〔第六版〕(2003年、ミネルヴァ書房)29頁、小山廣和「租税法律主義―通達課税・税務調査を中心に『租税』概念の再検討の問題関心から―」日本財政法学会編『財政法講座1 財政法の基本問題』(2005年、勁草書房)157頁がある。租税法律主義は、単に国家財政運営上の原則に留まらないものと解されるので、第84条と第30条の双方を根拠とする見解のほうが妥当であろう。
(注2)
保育料について、東京地判昭和62年7月29日判時1243号16頁、東京高判平成元年1月26日保育情報146号28頁、および最一小判平成2年9月6日保育情報165号34頁〔いずれも清水訴訟)がある(堀勝洋・判例批評・季刊社会保障研究27巻1号(1991年)94頁も参照。また、最二小判平成2年7月20日集民160号343頁を参照〕。また、農業協同組合の共済掛金および賦課金について、最三小判平成18年3月28日判例集未登載がある
〔碓井光明「財政法学の視点よりみた国民健康保険料―
(注3) もっとも、地方税条例主義は、後に述べるように論者によって構成や内容が異なり、この点に注意を要する。また、下級審判決の中には、地方税法律主義を採るものも散見される。拙稿「地方税立法権」日本財政法学会編『財政法講座3 地方財政の変貌と法』(2005年、勁草書房)36頁を参照。
(注4) 前川尚美『国民健康保険(現代地方財政講座6)』(1985年、ぎょうせい)188頁、中井英雄「地方目的税の機能と課題」橋本徹編著『地方税の理論と課題』(1995年、税務経理協会)233頁が、このように指摘する。この他にも、同様の指摘をなす文献は多い。但し、市町村合併が進み、市町村数が減少した現在においていかなる状況にあるかについては、資料を入手しえなかったため、明らかにすることができなかった。
(注5) 最三小判平成18年3且28日判タ1208号78頁。この判決については碓井・注(2)27頁註(29)も参照。なお、これとは別に、介護保険料訴訟の判決として、旭川地判平成14年5月21日賃金と社会保障1335号58頁、および札幌高判平成14年11月28日賃金と社会保障1336号55頁がある。前記旭川地判については、福田素夫・判例批評・季刊社会保障法研究34巻4号 (1999年)426頁、最高裁判決については碓井・注(3)27頁註(29)も参照。筆者も福田氏の見解に賛成するが、詳細については機会を改めて論じたい。
▲ホームページに掲載するにあたっての補注:旭川市国民健康保険条例訴訟最高裁判所大法廷判決は、最高裁判所民事判例集60巻2号587頁に掲載されている。
一 旭川市国民健康保険条例訴訟の経緯
〔事実の概要〕
X(原告、被控訴人、上告人)は、平成6年4月12日に国民健康保険の一般被保険者の資格を取得した。Y(旭川市。被告、控訴人、被上告人)は、Xの同年度の保険料納付額を27,380円と決定し、7月14日付で納入通知書をXに送付した。Xは、8月3日、平成5年度の収入が生活保護基準の50%ほど(約90万円)であることを理由とする保険料の減免を申請した。しかし、Yは、Xの申請内容が旭川市国民健康保険条例(本件条例)第19条第1項および同条例施行規則(本件規則)第23条の3に定められた減免基準に該当しないとして、8月10日付で減免非該当の通知を行った。Xは、9月5日、北海道国民健康保険審査会に対して審査請求を行ったが、同審査会は翌年2月24日にXの請求を棄却する裁決を行った。次に、Yは、Xの平成7年度保険料の納付額を
99,310円と決定し、同年6月16日付で納入通知書をXに送付した。Xは、6月21日、やはり収入が生活保護基準以下であることを理由とする減免の申請を行ったが、本件条例および本件規則に定められた減免基準に該当しないとして、7月10日付で、減免非該当の通知がなされた。なお、Xは、平成7年度については賦課処分および減免非該当処分に対する審査請求を行っていない。続いて、Yは、Xの平成8年度保険料の納付額を
24,730円と決定し、同年6月17日付で納入通知書をXに送付した。Xは、6月22日、やはり収入が生活保護基準以下であることを理由とする減免の申請を行ったが、やはり本件条例および本件規則に定められた減免基準に該当しないとして、7月10日付で、減免非該当の通知がなされた。Xは、7月15日、同審査会に対して審査請求を行ったが、同審査会は翌年3月3日にXの請求を棄却する裁決を行った。Xは、上記各処分のいずれも無効であるとして、主位的請求としてこれらすべての処分の取消を、予備的請求としてこれらの処分の無効確認を求める訴訟を提起した。なお、主位的請求に係る被告はYおよびY市長であり、予備的請求に係る被告はYのみである。
本件訴訟の争点は、@国民健康保険料に租税法律主義・地方税条例主義が適用されるのか、A本件条例の保険料に関する規定は、憲法第
84条から要請される課税要件明確主義と同じ趣旨である保険料賦課要件明確主義に違反するのか、B本件条例の保険料減免規定が憲法第25条・第14条に違反するのか、CY市長の被告適格の有無、D平成7年度国民健康保険料賦課処分および減免非該当処分に関して不服申立ての前置がなされていないことが、行政事件訴訟法第8条第2項第3号にいう「正当な理由」に該当するか、の5点である。このうち、CおよびDについては、最高裁判決において判断が示されていない。また、筆者の関心は@およびAにあるので、以下においては、判旨、検討ともに@およびAについて示すものとする。〔一審判決(旭川地判平成
10年4月21日判時1641号29頁)の判旨〕Xの主位的請求を認容、上記各賦課処分のいずれも取り消し。但し、Y市長に対する主位的請求を却下。「地方自治に関する憲法
92条に照らせば、地方自治の本旨に基づいて行われるべき地方公共団体による地方税の賦課徴収については、住民の代表たる議会の制定した条例に基づかずに租税を賦課徴収することはできないという租税(地方税)条例主義が要請されるというべきであって、この意味で、憲法84条にいう『法律』には地方税についての条例を含むものと解すべきであ」る。保険料は、形式上は租税でないが「国民健康保険は、@強制加入制であること、Aその保険料又は保険税は選択的とされ、いずれも強制的に徴収されるものであること(特に被告市においては賦課徴収方法について市税条例が準用されていること)、Bその収入の約三分の二を公的資金でまかない、保険料収入は三分の一にすぎないのであるから、国民健康保険は保険というよりも社会保障政策の一環である公的サービスとしての性格が強く、その対価性は希薄であること等の事実に照らせば、このような性質を有する徴収金(保険料)は、保険税という形式を採っていなくても、民主的なコントロールの必要性が高い点で租税と同一視でき、一種の地方税として租税法律(条例)主義の適用があると解するべきであ」り、国民健康保険法第
81条は「保険料についても賦課要件条例主義と賦課要件明確主義が妥当することを確認的に規定したものと解すべきであ」る。このため「条例が料率等の定を規則等の下位法規に明確に委任し、現に下位法規で明確にされている場合、あるいは、条例の趣旨などに照らした合理的な解釈によって、その内容が明確となっている場合であれば、料率自体を条例に明記しなくとも、租税法律(条例)主義の趣旨に反するものではない」。本件条例第8条は賦課総額の算定に関する規定であり、保険料率および賦課額の算定の基礎をなすという意味において重要であるが「賦課総額の確定方法を定めた何らの規定も他に存在せず(中略)積極的に定義づけることは困難である」。同条は、賦課総額の確定をYに委任したものであり、本件条例には委任を明示する規定もなく、「委任に基づき賦課権者が賦課総額を確定するに当たってのよるべき基準及びその確定手続を定めた規則等の下位法規も一切存在しないから(中略)賦課権者に賦課総額を、その自由な裁量により内部的に決定することを委任した趣旨と解する他はな」く、「賦課要件条例主義」にも「賦課要件明確主義」にも反する。また、本件条例第
12条第3項は「市長は、第1項に規定する保険料率を決定したときは、速やかに告示しなければならない」と定めるが、「告示とは公の機関が決定した事項などを公式に広く一般に知らせる行為で、法規としての性質はない」。〔二審判決(札幌高判平成
11年12月21日訟月47巻6号1479頁)の判旨〕一審判決取消。Xの請求を一部却下、一部棄却。租税(地方税)条例主義が憲法第
92条および第84条の立法趣旨から要請される旨を述べた上で、次のように述べている。国民健康保険は強制加入制であり、その保険料は強制的に徴収されるものであるが、これらは「国民健康保険の目的・性質に由来するもの」であって「社会保険としての性格や保険料の対価性が失われるものとは認められない」ので、「保険料を租税と同一視し、租税法律(条例)主義が直接に適用されるものとすることは相当でない」。保険料が「強制的に賦課徴収されるという点では租税と共通するところがあるから」憲法第
84条の趣旨は保険料にも及ぶと解されるが、「恣意的な保険料の決定及びそれに基づく賦課徴収を排除するために、国民健康保険の目的・性質に応じた民主的なコントロールが確保されることが必要であり、かつ、これをもって足りる」から「保険料の賦課徴収に関する事項をすべて条例に具体的に規定しなければならないというものではなく、賦課及び徴収の根拠を条例に定め、具体的な保険料率等については下位の法規に委任することも許される」のであり、「条例において、保険料率算定の基準・方法を具体的かつ明確に規定した上、右規定に基づく具体的な保険料率の決定を下位の法規に委任し、現に下位の法規でその内容が明確にされている場合には、課税要件法定主義・課税要件明確主義の各趣旨を実質的に充たしているもの」と言える。本件条例8条および12条は、Y市長への委任に際して「具体的かつ明確な基準を規定しており、法規たる性質を有する告示に保険料率が具体的に公示されているのであるから、その法律上の効力においても、保険料率の具体的数値を条例において直接規定する場合と異なることはなく、課税要件法定主義・課税要件明確主義の各趣旨を充たしているというべきである」。〔最高裁大法廷判決の判旨〕Xの上告を棄却。
「国又は地方公共団体が、課税権に基づき、その経費に充てるための資金を調達する目的をもって、特別の給付に対する反対給付としてではなく、一定の要件に該当するすべての者に対して課する金銭給付は、その形式のいかんにかかわらず、憲法
84条に規定する租税に当たるというべきである」。国民健康保険の保険料は「被保険者において保険給付を受け得ることに対する反対給付として徴収されるものであ」り、「国民健康保険事業に要する経費の約3分の2は公的資金によって賄われている」ことから「保険料と保険給付を受け得る地位とのけん連性が断ち切られるものではない。また、国民健康保険が強制加入とされ、保険料が強制徴収されるのは、保険給付を受ける被保険者をなるべく保険事故を生ずべき者の全部とし、保険事故により生ずる個人の経済的損害を加入者相互において分担すべきであるとする社会保険としての国民健康保険の目的及び性質に由来するものというべきである」から、保険料に憲法第
84条の規定が直接適用されることはない。「国、地方公共団体等が賦課徴収する租税以外の公課であっても、その性質に応じて、法律又は法律の範囲内で制定された条例によって適正な規律がされるべきものと解すべきであり、憲法
84条に規定する租税ではないという理由だけから、そのすべてが当然に同条に現れた上記のような法原則のらち外にあると判断することは相当ではない。そして、租税以外の公課であっても、賦課徴収の強制の度合い等の点において租税に類似する性質を有するものについては、憲法84条の趣旨が及ぶと解すべきであるが、その場合であっても、租税以外の公課は、租税とその性質が共通する点や異なる点があり、また、賦課徴収の目的に応じて多種多様であるから、賦課要件が法律又は条例にどの程度明確に定められるべきかなどその規律の在り方については、当該公課の性質、賦課徴収の目的、その強制の度合い等を総合考慮して判断すべきものである」。「市町村が行う国民健康保険は、保険料を徴収する方式のものであっても、強制加入とされ、保険料が強制徴収され、賦課徴収の強制の度合いにおいては租税に類似する性質を有するものであるから、これについても憲法
84条の趣旨が及ぶと解すべきであるが、他方において、保険料の使途は、国民健康保険事業に要する費用に限定されているのであって、法81条の委任に基づき条例において賦課要件がどの程度明確に定められるべきかは、賦課徴収の強制の度合いのほか、社会保険としての国民健康保険の目的、特質等をも総合考慮して判断する必要がある」。本件条例によれば「保険料の賦課総額が確定すれば、保険料率が自動的に算定されることとなって」おり、「本件条例は、所定の算定基準に従って賦課総額を確定することをも、被上告人市長に委任したものと解される。同第8条各号は、保険料の賦課総額を算定するための費用および収入の見込額の対象となるものを詳細かつ明確に規定している。
「また、本件条例8条は、賦課総額を、同条1号に掲げる額の見込額から同条2号に掲げる額の見込額を控除した額そのものとはしないで、この額を『基準として算定した額』と定めている。これは、(中略)徴収不能が見込まれる保険料相当額についても、保険料収入によって賄えるようにするために、賦課総額の算定に当たって、上記の費用と収入の見込額の差額を保険料の収納率の見込みである予定収納率で割り戻すことを意味するものと解される」。結局、「本件条例は、保険料率算定の基礎となる賦課総額の算定基準を明確に規定した上で、その算定に必要な上記の費用及び収入の各見込額並びに予定収納率の推計に関する専門的及び技術的な細目にかかわる事項を、被上告人市長の合理的な選択にゆだねたものであり、また、上記見込額等の推計については、国民健康保険事業特別会計の予算及び決算の審議を通じて議会による民主的統制が及ぶものということができる」から、第
12条第3項において保険料率の決定とその率の公示(告示による)を委任することは、国民健康保険法第81条に違反せず、憲法第84条の趣旨にも反しない。〈滝井繁男裁判官の補足意見〉
保険制度を維持するために公的資金が投入され、そのため保険料の対価性が稀薄になっているとしても、保険料の対価性が失われる訳ではない。また、国民健康保険法は「すべての国民を法の予定した政府又は地方公共団体若しくは任意に設立される国民健康保険組合等を保険者とするいずれかの保険集団に参加すべきものとした上、同じ集団に属する被保険者の疾病等によるリスクを当該保険集団が引き受けるものとし、その費用は法定条件のもとで、それぞれの保険集団ごとに予定された議決機関において民主的に決めるところに委ねることとしているのである」から、「条例において賦課要件が明確に定められているといいうる限り、保険料の賦課に違法の問題は生じない」。
本件条例は、賦課総額の「算定の基礎となる費用及び収入の見込額の対象となるものを明らかにしているにもかかわらず、これらの各見込額及び予定収納率を推計するに当たってよるべき基準を定めていないため、その決定を市長に委任しているものと解さざるを得」ず、「そこに市長の政策的判断による裁量の余地が少ないとはいえない」が、「法が条例において定めるべきものとしている事項を市長に一任することの許否は制度の趣旨によって一律に論じることができない」。保険料の総額は年毎に保険給付の内容によって変動するものであり、「そのことは被保険者も了解していることが制度の前提となっているものといわなければならない」。
「本件条例のように条例において保険料の料率や賦課額を定めていないときは、予測にかかる市長の判断の当否は国民健康保険事業特別会計の予算及び決算の審議を通じ、その限度で審議の対象となるにとどまることになるのである。保険料の料率や賦課額を条例で定めるものとしている法の趣旨に照らせば、この見込みや推計には専門的、技術的要素が多いにしろ、最終的な決定を議会に委ねるものとすることが予測可能性や法的安定性という観点からは法の趣旨により合致するということはできるであろう。しかしながら、本件条例のように、議会が一定の基準をもとにして事業に伴う費用及び収入についての推測をもとに賦課総額を決定することを市長に一任することとし、その結果必然的に生ずる推測額と実額との間の差額については、その当否と処理を特別会計の当年度の決算や次年度の予算の審議における統制に服せしめるにとどめることとしても、そのことも保険集団の議決機関の判断(国民健康保険は住民の一部を加入者とするもので住民すべてを代表する議会は本来的な保険集団の議決機関とはいえないが)というべきものであって、それは社会保険の目的や保険料の性格に照らし、保険者自治の観点から許容されているものと考える」。
二 憲法第84条にいう「租税」の意義
本件訴訟最高裁判決は、国民健康保険制度への租税法律主義・地方税条例主義の適用の有無、および、課税要件明確主義または保険料賦課要件明確主義に関する初の判断である。
もっとも、これらの問題が争われたのは、本件訴訟が初めてのことではなく、秋田市国民健康保険税条例訴訟以前に、浜松市国民健康保険条例訴訟が提起されていた。原告は、同条例の改正後の規定が遡及適用されて保険料が引き上げられたことが憲法第
84条に違反するなどとして保険料賦課処分の取消を求めて出訴したが、静岡地判昭和47年10月27日行裁例集23巻10・11号774頁は、保険料賦課処分が「行政法規不遡及の原則にも抵触しない」から「課税法規不遡及の原則にも抵触しないものと解され」、「租税法律主義の適用ないし類推適用を認めるべきかどうかを判断するまでもな」いと述べ、請求を棄却した。東京高判昭和49年4月30日行裁例集25巻4号330頁も、一審判決を支持し、請求を棄却した(注6)。両判決において述べられている趣旨には理解しかねる部分もある。保険料が租税でないのであれば、行政法規不遡及の原則をあげれば足りるのであり、「課税法規不遡及の原則にも抵触しないものと解され」ると述べる必要性はないからである。
ともあれ、浜松市国民健康保険条例訴訟についても最高裁判所の判断は示されなかった。そのため、本件訴訟は一審判決の段階から注目されていた(注7)。
本件最高裁判決は、保険税には憲法第84条が直接適用されると述べているが、保険料については、大嶋訴訟最高裁判決(最大判昭和60年3月27日民集39巻2号247頁)を参照し(本件判決文には明示されていない)、保険料が反対給付としての性格を有することから、憲法第84条の趣旨が直接的に妥当する訳ではないと述べる。その限りにおいて、本件最高裁判決は、保険料が憲法第84条にいう「租税」に該当しないと理解していることとなる。この点は、本件二審判決も同様であり、本件一審判決とは対照的である(注8)。
しかし、このような理解は形式的に過ぎるのではないか。前述のように、国民健康保険法第76条は、市町村が保険料、保険税のいずれかを選択して徴収することを定めており、保険料と保険税の基本的性格が同一であるならば、「料」か「税」かという名目に着目するのではなく、実質に着目して租税法律主義・地方税条例主義の適用の有無を判断すべきであろう。
ここで、本件の争点@について検討を進めなければならないが、その前提として、まず、憲法第84条にいう「租税」が具体的に何を指すのか、より丁寧に記すならば、国税通則法や所得税法などの各国税法および地方税法に税(Steuer)として定められるもの以外に「租税」に該当する公課(Abgaben)が含まれうるのかという問題を検討しなければならない。国家および地方公共団体が国民から徴収する金銭などの財貨は、租税ばかりでなく、負担金、手数料などの形式をとる場合もあるからである。
日本の法令においては、「租税」(日本国憲法)または「税」(国税通則法)についての法的定義がなされていないが(注9)、ドイツのライヒ租税通則法(Reichsabgabenordnung)第1条第1項や租税通則法(Abgabenordnung)第3条第1項を参照しつつ、法律学や財政学においては租税に関して様々な定義がなされている。ここで例をあげることは避けるが、本件最高裁判決の説示を含めて、租税法学、さらに財政学を参照することにより、租税のメルクマールについては、従来述べられてきたものを次のように整理することができる(注10)。
第一に、公権力を背景とする強制的性格を備えていることである。しかし、これだけでは手数料や負担金と区別し難い。
第二に、無償性である。手数料は、国家などによる何らかの特定の給付に対する反対給付である。負担金は、例えば宅地開発のように、開発などにより利益(手数料の場合よりも、より一般的な利益)を受ける者に対し、その利益に着目して課される。従って、手数料および負担金の場合には無償性が認められないことになる。一般的には保険料のようなものも無償性が認められないであろう。但し、実際には、目的税、その中でも自動車取得税、入猟税、水利地益税、宅地開発税などのように、負担金との区別がつきにくいものもあるし、都市計画税のように曖昧な性格を有するものもある。
第三に、道具的性格である。租税は、第一次的に国家の資金調達を目的とするものであり、かつてはこれがメルクマールとして強調されていた。すなわち、国家自身が財貨などを得る場合が多いのである。しかし、地方交付税、補助金などのように、国家が租税を徴収しつつも、その徴収額を第三者に譲渡することもある。また、経済政策、景気政策などの手段に用いられることもある。
第四に、課税の一方的性格(徴税手続などにおける権力的要素など)である。現在、租税は私人の法定債務であるという考え方が通説となっているが、これは税額・税率が法定されているという実体法的観点に着目したものであり、租税の徴収という手続法的観点に立てば、(申告納税方式が多くの租税において採られているが)更正、推計課税、税務調査など、権力的な側面が強いことも否めない。
そして、第五に、法律の根拠を要することである。近代立憲主義において、私有財産の不可侵は重要な原則である。この原則は現代立憲主義において若干の修正を受けたが、日本国憲法は、私有財産制度の存在を前提とし、私有財産の保護を規定する。しかし、租税は、上述のように、国民から強制的に、直接的な反対給付を伴うことなく徴収されるものである。従って、課税権の行使は、国民の財産権に対する一方的な侵害にあたる。そのために、恣意的な課税権の発動がなされてはならない。
もっとも、この点については異論もある。図子善信氏は、「税または租税の定義について、『法律に基づき課す』とする見解は、この法律が議会の定めた法律を意味するのであれば」、憲法第84条に租税法律主義を定める必要がなくなるので「妥当とは言え」ないと述べ、むしろ同条は「租税が法律によらずに課される可能性があることを前提とした規定である。その点からも、税は法律に基づき課されるのではなく、法に基づき課されると定義すべきである。租税法律主義は、法の中でも主として議会の定めた法律に基づくことを要請するところに意味がある」と述べ る(注11)。
しかし、憲法第84条に対するこのような理解は妥当でない。同条が「租税が法律によらずに課される可能性があることを前提とした規定である」こと自体は正当であるが、それは同条にいう「法律の定める条件による」という部分による。すなわち、同条は、法律が課税要件に関する細則的事項を命令(施行令および施行規則)に委任することを予定していると解しうるからであり、法律自体が委任の目的や内容、さらに程度などを明らかにすることが求められる。すなわち、個別的・具体的な委任が求められる、ということになり、結局は法律の根拠が求められることに変わりはない。
以上が、租税法学などにおける一般的な租税の定義あるいはメルクマールである。しかし、これに対して、北野弘久氏は、「法認識論のレベル」における租税の定義と「法実践論のレベル」における租税の定義とが区別される必要があると述べ、その上で、「従来の租税概念は、明治憲法のもとでのそれを、日本国憲法のもとにおいても無批判的に踏襲してきたものである」と述べ、「明治憲法のもとでと同じレベルで日本国憲法のもとでの税財政に関する法概念・法理論を構築することは学問的には誤謬である」と批判する(注12)。また、甲斐素直氏は、田中二郎氏による租税の定義(注13)を引用し、「これが税法学の対象となる租税の定義を述べているに過ぎず、八四条とはまったく結びつきをもっていない」、「すなわち、そこで租税とは異なるものとされた諸国家収入が、八四条の観点から見て、実質的に租税に該当するか否か、即ち課税要件等の法定が必要なのかどうかについてはまったく論及していない」と指摘し、それが一般的に「税法学における一つの特徴と言うことができる」と批判する(注14)。
甲斐氏の批判にも表れているように、憲法第84条の解釈については、憲法学と租税法学との間に決して短くはない距離がある。しかも、憲法学内部においても同条の適用範囲について見解が分かれており、「租税」の定義を拡張しようとする学説と、基本的に租税法学などによる定義に留まる学説との乖離が激しい。これは、やはり租税法律主義を明定しつつも「報償ニ属スル行政上ノ手数料及其ノ他ノ収納金」については法律で定めることを要しないと定めていた大日本帝国憲法第62条との対比が理由の一つにあるものとも考えられる。
憲法学においては、憲法第84条にいう「租税」を、上記にメルクマールとして示した租税以外の公課を含むと解する傾向が強い。問題はその具体的な範囲であり(注15)、主に財政法第3条との関連において議論が展開されてきたところである(注16)。本件訴訟において直接的に問題となる訳ではないが、検討を加えておく必要がある。
通説は、財政法第3条を憲法第84条の要請と考える(注17)。従って、この説によれば、憲法第84条にいう「租税」は、国が自らの収入のために国民に対して一方的かつ強制的に課する金銭負担全般ということになり、手数料や負担金などを含むことになる。そして、通説の趣旨からすれば、社会保険料も「租税」に含まれることになる。文言のみからでは明らかでないものの、本件一審判決も基本的に通説と立脚点を同じくするのではないかと考えられる。
この説には、文理解釈上の無理があるという難点がある。「主観的に憲法の効果を拡大して租税概念を解消せしめる不当さ」があると批判される所以である(注18)。また、近年の有力説から「財政法三条にいう『法律又は国会の議決に基いて』とは、憲法84条にいう『法律又は法律の定める条件による』とは異なって、具体的な金額または金額算定基準まで直接法律によって定められなければならないとまで要求するものではなく、料金などをとる根拠や金額を決定する手続を法律や国会の議決で定め、その手続による決定をも容認する趣旨であるので」通説によれば「財政法三条は違憲となるはずであ」る、と批判されている(注19)。
近年の有力説は、財政法第3条を憲法第83条の要請と考える。従って、この説によれば、憲法第84条にいう「租税」は、上述の租税のみを指すことになる(注20)。この説は、文理解釈としても無理がなく、租税とその他の負担との性質の差異に着目する点において、妥当な説であると考えられる。しかし、形式的には租税とされないものであっても、負担金のように実質的には租税と同様のものも存在するのであり(上述のように、性格が曖昧なものもある)、形式論だけで済ませようとする点は妥当でないと思われる。後に述べるように、保険料と保険税の性格は基本的に同一であり、保険者である市町村(および特別区)はいずれかを選択しうるのであるから、保険料は実質的に租税と同質のものとも考えられる。もっとも、有力説に従うとするならば、保険料は、形式的にも租税でなく、財政法第3条にいう「課徴金」として捉えることも可能であったと思われる。田中治氏は、有力説を参照しつつ、「憲法84条にいう租税とは、基本的には、通例租税法規に定められている本来の租税をい」い、「負担金や社会保険料は、原則として租税ではなく、もともとは、83条の規制に服するべきだと考える」と述べている(注21)。
なお、少数説は、財政法第3条を憲法上の要請ではなく、立法政策上の規定と解する(注22)。通説の矛盾を突く点は評価に値するが、財政民主主義の観点を欠落させているところに問題があろう。
紙数の都合により、保険料と保険税の異同などについては次号にて論ずることとする。
(注6)
本件一審判決に関する評釈である人見剛・判例批評・自治研究75巻8号
(1999年)132頁が、
(注7) 北野弘久「国民健康保険税条例に基づく保険税賦課処分の適法性」 佐藤進=西原道雄=西村健一郎編『社会保障判例百選』〔第2版〕(1991年、有斐閣)75頁は、「本件では、保険税のことが争われたが、保険料についても憲法上同趣旨の法理が妥当することを指摘しておきたい」と述べていた。
(注8) 田中治「国民健康保険税と国民健康保険料との異同」税法学545号 (2001年)111頁は、本件二審判決(本件最高裁判決も同様の趣旨を述べる)について「何とも歯切れの悪い結論に達している」と評価する。
(注9) このことから、「租税」と「税」とでは意味が異なると解することも可能である。この考え方を示唆するものとして、図子善信『租税法律関係論―税法の構造―』(2004年、成文堂)4頁を参照。
(注10) この整理は、主に佐藤進=伊東弘文『入門租税論』〔改訂版〕(1994年、三嶺書房)1頁による。その他、財政学の各教科書などを参照。
(注11) 図子 ・注(9)10頁。
(注12) 北野・注(1)24頁。また、甲斐素直「租税法律主義における租税概念の外延について」日本法学60巻3号 (1994年)131頁は、本文に示したようなメルクマールの抽出などについて、直接的には宮澤俊義(芦部信喜補訂)『全訂日本国憲法』(1978年、日本評論社)711頁を引用して「定義の根拠となる説明の欠如という点は、憲法学者における通有性と称してもさほど過言ではない」と述べる。
(注13) 田中二郎・注(1)1頁。
(注14) 甲斐・注(12)132頁。なお、小山廣和「租税法律主義と租税(地方税)条例主義」日本財政法学会編『財政法講座1 財政法の基本問題』208頁も参照。
(注15)
この点に関する批判的な論及として、甲斐・注(12)137頁が有用であろう。本件一審判決への批評である工藤達朗「国民健康保険料と租税法律主義―
(注16) もっとも、財政法第3条は「財政法第三条の特例に関する法律」により適用が停止(あるいは修正)されており、2002年の日本郵政公社法の制定とともに改正を受けたことにより、財政法第3条は完全な死文になっている。
(注17) 例、芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法』〔第三版〕(2002年、岩波書店)331頁。
(注18) 小嶋和司『憲法概説』(2004年復刊、信山社)509頁注(1)。甲斐・注(12)142頁も参照。
(注19) 引用は、佐藤幸治『憲法』〔第三版〕(1995年、青林書院)180頁による。この批判は、小嶋和司「実定財政制度について」『憲法と財政制度』(1988年、有斐閣)345頁に由来しており、野中俊彦=中村睦夫=高橋和之=高見勝利『憲法U』〔第4版〕(2006年、有斐閣)325頁も、ほぼ同旨である。
(注20) 例、佐藤・注(19)180頁。なお、槇重博『財政法原論』(1991年、弘文堂)71頁は、財政法第3条を租税法律主義の箇所で説明しているが、「憲法制定の際には、憲法83条の財政処理の基本原則に基づくとさえ政府が強調した」とも述べている。
(注21) 田中治・注(8)114頁。田中氏は、これに続けて「負担金等に対する厳格な法的統制は必要ないとか、負担金等は租税と違うがゆえに緩やかな法的統制でよいとかとの結論とは無縁である」と述べている。なお、筆者は、「保険料」を「課徴金」と捉えることにより、本件二審判決および最高裁判決の趣旨を理解することができる、あるいは正当化できるのではないかと考えたのであるが、注(16)に示したように、財政法第3条が完全に死文化している。
(注22) 小嶋・注(19)345頁。同・注(18)509頁註(2)も同旨。
(あとがき)
この論文は、税務弘報54巻12号(2006年10月号)129頁から138頁までに掲載されたものです。なお、雑誌掲載時は脚注方式でしたが、ホームページに掲載する際に改めました。
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