交通政策基本法の制定過程と「交通権」〜交通法研究序説〜
(大東法学第26巻第2号掲載論文の別ヴァージョン)
1.交通政策基本法の意義 法律学における関心の薄さ
公共交通機関の退潮が止まらない。
もっとも、それは長期的な傾向であるとも言える。1968年に赤字83線問題、1980年の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法制定を受けた特定地方交通線の指定および廃止など、例には枚挙に暇がないため、ここでは、最近の話題としてJR北海道留萌本線の一部区間(留萌〜増毛)の廃止(2016年12月5日を予定)、JR西日本三江線の存廃問題をあげるに留めておく。
そのような中で、2007
年には「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」(以下、地域公共交通活性化法)が制定された。この法律は「近年における急速な少子高齢化の進展、移動のための交通手段に関する利用者の選好の変化により地域公共交通の維持に困難を生じていること等の社会経済情勢の変化に対応」する必要性などから「地方公共団体による地域公共交通網形成計画の作成及び地域公共交通特定事業の実施に関する措置並びに新地域旅客運送事業の円滑化を図るための措置について定めることにより、持続可能な地域公共交通網の形成に資するよう地域公共交通の活性化及び再生のための地域における主体的な取組及び創意工夫を推進し、もって個性豊かで活力に満ちた地域社会の実現に寄与することを目的とする」ものである(同第1条第1項)。しかし、この法律に基づいて「地域公共交通網形成計画」を作成する地方公共団体が多数にのぼった一方で、同計画の作成に消極的な地方公共団体も多く、公共交通機関がいっそう衰退することにもつながった(1)。
地域公共交通活性化法の制定および施行により、国の交通全体に関する一般原則や基本理念を定める法律の必要性は、いっそう強く意識されるようになっていた。日本には、鉄道事業法、鉄道営業法、道路運送法、航空法など交通法の領域に含まれる法律が多数存在するが、これらは、鉄道、自動車(道路交通)、船舶、航空のそれぞれの領域に分断されており、国の交通全体に関する一般原則や基本理念を定める法律は、長らく存在していなかった。そのため、統一的な交通政策の形成が行われにくい、などの問題が生じていた。
国会においては2002
年頃から検討が行われていたと言われているが(2)、2006年12月13日、細川律夫議員(民主党。以下、職、所属政党などは全て当時のもの)ほか5名により、第165回国会に提出された交通基本法案(衆議院議員提出法律案第6号。以下、第一次交通基本法案)が、法律案として最初に登場したものである。しかし、第一次交通基本法案は閉会中審査を繰り返した上で、第171国会で審議未了のまま廃案となる。その後、第177回国会(2011年)に提出された交通基本法案(内閣提出法律案第33号。以下、第二次交通基本法案)、第183回国会(2013年)に提出された交通基本法案(衆議院議員提出法律案第38号。以下、第三次交通基本法案)が続くが、第二次交通基本法案は、衆議院国土交通委員会における参考人質疑が第180回国会(2012年)において行われたものの、第181回国会(2012年)で審議未了のまま廃案となった。また、第三次交通基本法案は、第185回国会(2013年)において撤回された。結局、第185回国会における内閣提出法律案第17号、すなわち交通政策基本法が国会において可決・成立し、交通政策基本法として2013年12月4日に公布(法律第92号)、即日施行された。
交通政策基本法は、第三次交通基本法案の一部を修正する形となっている。その上で、鉄道、自転車、自動車、船舶、航空、さらに徒歩など、交通全般に「関する施策について、基本理念及びその実現を図るのに基本となる事項を定め、並びに国及び地方公共団体の責務等を明らかに」し、「交通に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展を図ることを目的とする」ものである(第1条)。まさに、国の交通全体に関する一般原則や基本理念を定める法律であり、日本における交通全体の「基本法」となっている。基本理念は第2条ないし第6条に示されており、国は基本理念に従いつつ「交通に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、交通に関する施策に関する基本的な計画」すなわち交通政策基本計画を定めなければならない(第15条第1項。詳細は第2項以下を参照)。また、第16条ないし第31条において国が行うべき施策、例えば「日常生活等に必要不可欠な交通手段の確保等」(第16条)、「高齢者、障害者、妊産婦等の円滑な移動のための施策」(第17条)、「交通の利便性向上、円滑化及び効率化」(第18条)、「運輸事業その他交通に関する事業の健全な発展」(第21条)、「交通に係る環境負荷の低減に必要な施策」(第23条)、「総合的な交通体系の整備等」(第24条)を講じなければならないものとされる。他方、「地方公共団体は、その地方公共団体の区域の自然的経済的社会的諸条件に応じた交通に関する施策を、まちづくりその他の観点を踏まえながら、当該施策相互間の連携及びこれと関連する施策との連携を図りつつ、総合的かつ計画的に実施するものとする」とされている(第32条)。また、第11条により、国民(等)が「基本理念についての理解を深め、その実現に向けて自ら取り組むことができる活動に主体的に取り組むよう努めるとともに、国又は地方公共団体が実施する交通に関する施策に協力するよう努めることによって、基本理念の実現に積極的な役割を果たすものとする」とされていることも、注目すべき点である。
個々の規定については批判がありうるものの、全体としては、統一的な交通政策の形成の可能性をもたらすものとして評価することができるであろう。なお、交通政策基本法を受けて、2015年2月13
日の閣議決定により、最初の交通政策基本計画が制定されている(3)。
その間隙を突こうと試みるのが、本稿(本報告)のもう一つの目的でもある。筆者は行政法学、租税法学および財政法学を専攻し、交通法という領域そのもの、またはその近隣分野(例、行政法各論としての都市法、経済行政法など)を研究する立場にあるが、これまで、正面から交通法を取り上げる業績を公表したことはない。そのため、御指導御鞭撻を賜ることができるならば幸いである。
本稿(本報告)は、2013年秋の第185回国会(臨時会)において内閣提出法律案第17号として提出され、可決・成立の上で同年12月4日に法律第92号として公布され、即日施行された交通政策基本法を題材とし、その立法過程を検証するとともに、「移動の権利」および「交通権」の意味について、法律学の観点から検討することを目的とする。
2.「移動の権利」および「交通権」の意味
交通政策基本法および交通基本法案を検証する際に、「移動の権利」または「交通権」の検討を欠かすことはできない。第一次交通基本法案には、第2条第1項として「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営むために必要な移動を保障される権利を有する」、同第2項として「何人も、公共の福祉に反しない限り、移動の自由を有する」という条文が盛り込まれていたし、「民主党政策集index2009
」は「総合交通ビジョンの実現」および「交通基本法の制定」が掲げられ、後者については「『交通基本法』を制定し、国民の『移動の権利』を保障し、新時代にふさわしい総合交通体系を確立します」と宣言されていたからである(7)。日本において「移動の権利」または「交通権」の語がいつ登場したのかは詳らかでないが、1982年にフランスの国内交通基本法(Loi d’orientation des transports intérieur)が公布されたことが端緒であると思われる。1984年、日本で最初に「交通権」を掲げて争われた事件であるといわれる和歌山線格差運賃返還請求事件が、和歌山地方裁判所の法廷において争われることとなった。安部誠司氏によると、この事件が直接のきっかけとなり、翌年に「交通権を考える会」が設立され、さらに1986
年には同会を発展させる形で「日本交通権学会」が発足した(8)。それでは、「移動の権利」または「交通権」とはいかなるものであろうか。
日本国憲法には「移動の権利」および「交通権」に関する明文の規定がないので、これらは、まず、「新しい人権」として幸福追求権(憲法第13
条)に根拠を求めざるをえない。幸福追求権は、憲法学の通説である人格的利益説によれば「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体」と理解されるため(9)、「移動の権利」および「交通権」がこれに該当するか否かが問われざるをえない。但し、幸福追求権は、第13条の構造上、個人的法益に限定されることとなる。従って、権利の内容が個人的法益を超える場合には、第13条のみを根拠とすることはできない(10)。「移動の権利」および「交通権」は、人の移動に関する自由権と捉えるならば第22条第1項に根拠を求められ、場合にもよるが「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利」と言いうる。しかし、「移動の権利」および「交通権」が単なる自由権に留まるものではなく、国や地方公共団体に対して何らかの積極的な施策を求める社会権としての性質を有するのであれば、第25条も併せて根拠とせざるをえない。問題は、両者が法的権利であるとするならば具体的にいかなる内容のものであるか、ということである。まずは、初期の代表例として、和歌山線格差運賃返還請求事件(和歌山地判平成3年2月27日判時1388号107頁)を見ておく(11)。同事件は、旧国鉄和歌山線(現在はJR西日本の路線)の沿線住民である原告らが、同線が地方交通線に指定され、幹線よりも割高な運賃に設定されたことを不服とし、国有鉄道運賃法が定めていた全国一律賃率制が妥当であるとして、割増運賃分に相当する差額について日本国有鉄道清算事業団に対して不当利得返還請求訴訟を提起したものである。
原告らは、再抗弁において「国民は、自らの生活をよりよく向上させ、ひいては住みよい国土を建設する手段としての全国的交通網を国家に対して要求する権利を持つものと解される。これは、移動の自由(憲法22条1項)幸福追求権(13条)生存権(25条1項)の集合であり、交通権と称することができる」とし、「国民が国に対し全国的・統一的鉄道網を要求する権利を有することは、鉄道国有法1条及び鉄道敷設法1条に具体化されている」と主張した。
これに対し、和歌山地方裁判所は原告らの請求を棄却し、判決理由において次のように述べた。
「憲法の右法条のうち、13条は、憲法の基本的人権に関する総則的規定と解されるところ、その性質はいわゆる自由権に属し、原告らの主張するごとき、国家に対し積極的作為を請求する具体的権利をそこから導くことは困難であるし、仮に、同条がいわゆる社会権的性格を併有するとしても、その内容は極めて抽象的であり、憲法の他の規定または法律を介することなしに、右のような具体的権利を導くことはやはりできないものというべきである。同様に、22条1項も、いわゆる自由権の一として、国家が国民の移転に対して容喙することを拒みうることをその内容とするものにとどまり、原告らの主張するごとき交通権の根拠とはなしがたい。さらに、25条1項の生存権の規定については、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運用すべきことを国家の責務として宣言したにとどまり、個々の国民に対し具体的権利を付与したものではないと解される(最高裁判所昭和23年9月29日大法廷判決刑集2巻10号1235頁)。したがって、原告らの主張する交通権は、これを原告らの本件請求の根拠となるような具体的権利として考える限り、憲法上根拠づけることはできないものというほかない。/なお付言するに、仮に原告らの主張するごとき交通権を、国家の負う政治的責務の域を超えて、原告らの本件請求の根拠となるような具体的権利として認めるならば、これをすべての国民について等しく認めるべきことは憲法14条から当然のことであるから、たまたま鉄道沿線に居住し、既にその便益を容易に享受できる者だけでなく、いかなる山間あるいは離島等の僻地に居住する者についても、同等の交通手段を、同等の運賃で直ちに提供すべき法律上の具体的義務が国家に課せられることとならざるを得ないが、このような論が非現実的で採りえないことは明らかである。」(/は原文における改行箇所)
続いて、最三小判平成4年3月3日訟務月報38巻7号1222頁を紹介する。この判決は、道路運送法第98条第2項および同第24
条の3(いずれも当時)が、軽車両等運送事業を営む者が軽自動車によるタクシー事業を行うことを禁止することの是非が争われた事件に関するものである(12)。上告人は、交通権学会編『交通権』(日本経済評論社、1986年)(13)を参照しつつ、和歌山線格差運賃返還請求事件の原告らよりも詳しく「交通権」や「移動の権利」を説明する。すなわち、「交通権とは、全ての国民が自己の意思に従い、自由に移動し、財貨を移動させるための適切な手段を平等に保証される権利であ」り、「憲法22条、同25条、同13条等の憲法上の人権を統合した権利と理解されており、移動の権利は、適切な交通手段の保証によって始めて成立するものである」という。もっとも、「交通権」と「移動の権利」との異同または関係は明らかでないが、上告人は、「交通権は、移動する事に自由という自由権的基本権としての性格を有するとともに、経済活動に資する権利として、生存権的基本権の性格を併せ有するもの」と性格付け、「交通権は、移動の権利として憲法上の基本的人権にまで高められた権利であるから、交通貧困層に対しても平等に適切な交通手段の利用が保証されなければならない」と主張した(14)。
これに対し、最高裁判所第三小法廷は、「憲法二二条一項にいわゆる職業選択の自由も、公共の福祉の要請がある限り制限され得るものであるところ、道路運送法(平成元年法律第八三号による改正前のもの)九八条二項、二四条の三の規定が、軽自動車を使用して貨物を運送する軽車両等運送事業を経営する者において有償で旅客を運送することを禁止しているのは、道路運送事業の適正な運営を確保し、道路運送に関する秩序を確立するために必要かつ合理的な制限というべきであって、右規定が憲法二二条一項に違反するものでないことは、最高裁昭和35年(あ)第2854号同38年12月4日大法廷判決(刑集17巻12号2434頁)の趣旨に徴して明らかである」と判示したが、「交通権」については何も述べていない。道路運送法の当該規定が憲法第22条第1項に違反しないと判断する上で、「交通権」に言及する必要性がないと考えられたためであろう。
「移動の権利」および「交通権」は、この後にも主張され続けているが、裁判例において主張されることはほとんどないようである。例えば、北総鉄道訴訟第一審判決(東京地判平成25年3月26日判時2209号79頁)において、原告らは、北総鉄道および千葉ニュータウン鉄道が京成電鉄との間で設定した各鉄道線路使用条件が北総鉄道のみに不利益であり、その結果として北総鉄道の旅客運賃のうち近距離の部分が高額に過ぎるとして、各鉄道線路使用条件設定認可処分や旅客運賃変更認可処分の取消などを求めたが、その際には鉄道事業法が鉄道利用者の利益を個別具体的に保護する旨を主張し、「鉄道事業法16条5項1号及び同法23条1項1号に基づく北総鉄道及び京成電鉄の旅客運賃上限等の変更命令又は同法23
条1項4号に基づく北総線路使用条件の変更命令がされないことにより、多額の金銭的負担と移動の自由に対する制限を被るところ、これらの損害は重大であり、金銭によって償うことができないものである」と述べている(15)。さて、裁判所においては法的権利として認められなかった「移動の権利」および「交通権」であるが、これら(とくに後者)の提唱は続く。第二次交通基本法案の制定のために国土交通省に設置された交通基本法検討会の会合においても、交通権憲章作成委員会によりまとめられ、前文および11箇条からなる「交通権憲章」(1998
年版)に依拠したものと思われる「移動の権利」および「交通権」の主張が何度も登場するが、やはり具体的な内容は明らかにされていない(16)。ここで同憲章を参照すると、前文において、「交通権」は「『国民の交通する権利』であり、日本国憲法の第22条(居住・移転および職業選択の自由)、第25条(生存権)、第13
条(幸福追求権)など関連する人権を集合した新しい人権である」と定義される(17)。その上で、「平等性の原則」(第1条)、「安全性の確保」(第2条)、「利便性の確保」(第3条)、「文化性の確保」(第4条)、「環境保全の尊重」(第5条)、「整合性の尊重」(第6条)、「交通基本法の制定」(第11条)などが宣言されている。「交通権憲章」を見る限り、「交通権」の内容は第2条ないし第6条に定められるところであろう。
岡崎勝彦氏は、同憲章の「『国民の交通する権利』は、『国民が自己の意思に従って自由に移動し、財貨を移動させるための適切な移動手段の保障を享受する権利』と定義され」ると述べ、「交通条件の保障を含む」と説明する(18)。その上で、享有主体を国民とするが、名宛人については「最終的には国(地方公共団体)の責任に帰せられるべきであろう」と述べるのみである(19)。
「交通権」を主張する上でより重要であるのは、その内容である。岡崎氏は、「交通権」の自由権的側面(内容)として憲法第22条第1項により保障される居住・移転の自由をあげ、ここから「居住移転の自由を実質的に保障するための積極的な権利の保障手段の確保のために、『移動手段』を保障内容とする交通権を現代的居住移転の自由として第22
条に含ましめる」と展開する(20)。もっとも、第22条はあくまでも自由権を定めるものであり、「我が交通権は、国家権力の発動を求めることによって、積極的に権利の実現を図る『社会権的性格』の権利として把握することもまた可能である」とするには、自由権の規定のみでは無理であることも述べられている(21)。続いて、岡崎氏は、憲法第13
条との関連について「個人の幸福追求が一定の交通条件の下でのみ可能であるとするならば、一定水準の『移動手段』を保障し、形成することは幸福追求権の目標であり、内容でもある」から、同条により「根拠づけられる交通権も生活交通の破壊に対する防禦権としての性格をもつことになる」と述べる(22)。前述した幸福追求権の性質を踏まえた議論ではあるが、公権力の主体である国や地方公共団体(以下、国家権力と記すことがある)からの防禦権ということであれば、憲法第22条第1項による保障もまた含まれうるのであり、第13条と第22条第1項との関係を整理しなければならないであろう。また、「生活交通」を「破壊」する主体は国家権力に限られず、公共交通機関運営会社であることも想定されるが、後者である場合にいかなる防禦権を行使しうるかについては論じられていない。公共交通機関運営会社が民間企業である場合には、憲法の筆者人間効力が問題とされるのであり、第18条などを例外として憲法の人権規定は私人間の法律関係に直接適用されるのではなく、民法第90条などの私法の一般条項を媒介として間接的に適用するしかないが、民間企業にも財産権(憲法第29条第1項)や営業の自由(同第22条第1項を参照)が保障されるという点といかに整合性を保とうとするのであろうか。また、岡崎氏は、憲法第25
条を引き合いに出し、「交通権」は「公共交通における適切な移動手段の保護が『健康で文化的な最低限度の生活』の要素であるということに着目した社会権的基本権」であり、「『交通弱者』に対する交通権保護を目的とする社会権的基本権でも」あって「その内容は、交通権に対する利用可能性とシビルミニマムの確保を含む普遍的なサービスの提供である」と述べる(23)。同語反復の憾みを免れないが、「何びとによる公共交通の破壊に対しても、公権力による規制により、予防・阻止または回復がなされるよう請求ができなければならない」(24)というのが、「社会権的基本権」としての具体的な内容であろうか。そうであれば、権利主体として認められる範囲も問われる。これは、私のみが主張していることではない。2010年11月15日に開かれた第1回交通基本法案検討小委員会に提出された「『移動権の保障』についてパブリックコメントでいただいたご意見」においては、「移動権の保障の趣旨に反対」する意見が紹介されているが、その中には「そもそも『交通基本法』の立法の趣旨が明確で」なく、「鉄道事業法やバリアフリー法、地域交通活性化法など既存の事業法制ではなく、『移動権の保障』を明記した『交通基本法』でなければ保護されない法益について、未だ明確ではないと考え」られるので、「『移動権』の具体的な内容や『移動権の保障』を規定する必要性などについて、明らかにしていただきたい」という意見や、「交通基本法で保障する『移動権』とはどのようなものなのか? また、最低限度の生活のために保障される『移動権』とはどのようなものなのか?
という基本的なところが一向に見えてこない」という意見が見られ、その他の意見を見ても、「移動に関する権利」や「交通権」の意味が不明確なことに由来する様々な疑問が寄せられた(26)。
そもそも、法律学において、権利とはいかなるものであるか。
法律学においては、権利と義務とをセットにして考える。より精確に記すならば、権利が存在するならば、それに対応する義務が存在すると考える。例えば、A(売主)とB(買主)が売買契約を締結したとする。Aは、Bに対して代金を請求する権利を有し、他方で目的物(品物)を引き渡す義務を負う。逆にBは、Aに対して目的物(品物)を引き渡すように請求する権利を有し、代金を支払う義務を負う。Aが義務を履行しない場合には、Bが裁判所に権利の救済を訴え、訴訟の結果、裁判所が勝訴判決を下すことにより、法的救済を得る。その判決の内容がAによって実現されない場合には、執行官により実現されることとなる。
これをより一般化するならば、「『権利』とは実定法規範によって個人に一定の個別的・具体的な内容の利益が認められ、それによって個人が相手方(その利益の実現の義務を負う者)にその実現を要求する力を与えられたときに成立」し、「その実現が妨げられた場合には、裁判によりその実現が保障される」ものであると表現することができる(27)。もっとも、利益の個別性・具体性は権利の性質により様々なものでありうるが、少なくとも法的権利というためには「権利主体、権利条項の名宛人、権利の性格および内容等が相当程度具体的に確定しうるものでなければならない」のである(28)。
以上を前提として、「移動の権利」および「交通権」を検討する。そもそも、両者の関係が不明瞭であるが、ここでは便宜上、両者を同義のものとして考えることとする。
「移動の権利」は、当然のこととして「移動の自由」を内包する。この自由は憲法において明文化されていないが(29)、自由権として承認されうる。その理由として、次の二点があげられる。
@権利の主体が我々国民であり、「権利条項の名宛人」が国家権力(などの公権力の主体。以下、国家権力と記す)であることが明確である。
A権利の性格、およびその内容(裏返せば義務の内容)が明確である。すなわち、国家権力が我々の移動を侵害することは許されない、ということである。国家権力は、我々の移動を妨害しないという不作為義務を負う。国民は、国家権力に「妨害するな」と請求することができる(従って、権利制が認められる)。仮に国家権力が不作為義務を遵守しないのであれば、裁判所に提訴し、勝訴判決を得ることによって最終的に権利の内容を実現することができる。
これに対し、「移動の権利」の「移動の自由」以外の部分については、不明確な点が多く、法的権利ということはできない。前述のように、仮に法的権利としての性格を認めるとしても、抽象的権利に留まると言わざるをえない。その理由をあげておく。
@権利の主体が国民であるとして、具体的にどの範囲まで認められるのかが明確でない。
A名宛人は誰なのかが明確でない。国家権力であるのか、公共交通機関運営会社であるのか。または、いずれでもあるのか。
B名宛人が誰かによって「移動する権利」の内容は変わる可能性があるが、具体的な内容、すなわち、誰に対して何を請求できるか、という事柄が全く明らかにされていない。
仮に民間企業たる公共交通機関運営会社を名宛人とするならば、例えば赤字の鉄道路線を廃止しないように請求するという権利なのか。または、利便性が失われないように減量ダイヤ改正を行わないことを要求する権利なのか。前述のように、公共交通機関運営会社にも財産権や営業の自由という経済的自由権が保障されるのであるから、赤字の鉄道路線について、経営基盤を崩してまで国民(沿線住民等)の請求を受け入れる義務を負わせると解することに合理性はあるのか。おそらく、公共交通機関運営会社にこのような義務を負わせるためには、法律による行政の原理に基づき、法律による根拠を必要とするが、その法律が違憲と判断される可能性も否定できない。
国家権力を名宛人とするならば、不明確性はいっそう顕著となる。例えば、C社が経営する鉄道路線について、赤字経営を理由としてC社が国土交通大臣に廃止届を提出しようとするならば、住民DはC社が廃止届を提出することを認めないように国土交通大臣に請求することができるのか、または国もしくは地方公共団体)に対し、C社へ補助金を支出するように請求することができるのか。仮にこれらを肯定すると、次は住民間における意見の相違などを無視することになりかねない。鉄道路線の廃止には反対であるが、国または地方公共団体による補助金の支出に反対する住民Eが住民訴訟を提起した場合には、Dは何をしうるのであろうか。
ここで、法的権利の根拠の一つを憲法第25条に求めることについて述べておく。同条にいう生存権を中心とする社会権の性質には二つの側面があり、国家権力に作為を請求する権利としての性質と、不作為を請求する権利としての性質が認められる。問題となるのは前者であり、少なくとも作為の内容について立法者を拘束しうる程度の具体性を必要とする。
かつて、憲法第25条は立法府に対して政治的指針や道徳的綱領を示すに過ぎないものであり、法的拘束力を持たないとするプログラム規定説が説かれたことがある。最高裁判所の判例は現在もこの説によるものと考えられるが(最大判昭和42年5月24日民集21巻5号1043頁などを参照)、学説においては抽象的権利説が通説であると考えられる。この説によると、憲法第25
条により、国民は生存権を保障される。その意味においては法的権利である。但し、その中身は抽象的であり、同条を直接の根拠として裁判において主張することができない。同条は「国に立法・予算を通じて生存権を実現すべき法的義務を課していることになる」ものの(30)、立法裁量(場合によっては行政裁量)の範囲が広大であるため、権利としての性質は弱い。そもそも、先に示した法律学における権利の定義からすれば、抽象的権利は法的権利と言えないものとなりかねない。他方、有力説として具体的権利説がある。この説によれば、憲法第25
条は、国、とくに立法府に対して積極的な作為を命ずる規定である。従って、生存権を侵害されている国民は、立法府の不作為に対する違憲確認訴訟を提起することができることとなる。但し、この説は、同条から直ちに何らかの給付に関する具体的な請求権が生ずるとは言えないとする立場と、同条を直接の根拠として具体的な給付請求を可能ならしめようとする立場に分かれる(31)。後者の立場については「社会権規定から論理必然的に権利の具体的内容が導かれるわけでなく、権利の具体化にかかる諸要因を考慮に入れなければなら」ないという指摘が妥当するであろう(32)。そして、この指摘は「移動の権利」および「交通権」を肯定する見解に対しても妥当する。以上のような問題を抱える「移動の権利」および「交通権」が、第二次交通基本法案以降、法律の条項として取り入れられなかったのは、当然のことと言いうる。やや不明確な点もあるが、第一次交通基本法案と同様、第二次交通基本法案にも「移動の権利」を定めようとしていたようである。しかし、2010年12月24
日の第4回交通基本法案検討小委員会において、時期尚早として見送られることとなった。問題点としてあげられたのは、「移動の権利」の具体的な内容を法律において定義する必要があるが「個々人の移動に関するニーズは、移動目的、個人の属性、地域の特性等の観点から千差万別であり、現時点においては、権利の内容についての国民のコンセンサスが得られているとは言えない状況にある」こと、「移動の権利」を保障するのが行政主体であるとするならば「個々人にそれぞれの権利内容を給付するためには、それを裏打ちするだけの財源が必要とな」ること、「具体的請求権としてはさておき、プログラム規定或いは抽象的な権利とした場合にも、各地において争訟の発生や交通の現場での混乱がもたらされるおそれがある」ことなどである(33)。 (7) 「民主党政策集index2009」41頁。国土交通省「交通基本法の制定と関連施策の充実に向けて―中間整理―(平成22年3月)」2頁も参照。
(13) 判決文においては「日本評論社」と誤記されている。なお、同書を参照することはできなかった。
(16) 例として、2009年11月13日の第1回交通基本法検討会に提出された土居靖範「わが国の交通基本法制定にあたって」(http://www.mlit.go.jp/common/000052180.pdf)、2010年3月1日の第7回交通基本法検討会に提出された特定非営利活動法人全国移動サービスネットワーク「交通基本法検討会に向けての提言」(http://www.mlit.go.jp/common/000109036.pdf)、2010年11月29日の第2回交通基本法案検討小委員会における資料2-1-4「わが国における交通基本法と『交通権』の位置づけについて」(http://www.mlit.go.jp/common/000130170.pdf)を参照。
(17) 交通権学会編・前掲書2頁による。
(19) 岡崎・前掲書11頁。
(20) 岡崎・前掲書11頁。
(21) 岡崎・前掲書11頁。
(22) 岡崎・前掲書12頁。原文のルビは省略した。
(23) 岡崎・前掲書12頁。
(24) 岡崎・前掲書12頁。
(25) 2012年4月22日の第10回交通基本法検討会において、東日本旅客鉄道株式会社が「民間事業者は、競争市場の中で、それぞれが経済合理性の観点から、路線の存廃をはじめ、運賃・ダイヤの設定、バリアフリー施設を含めた設備整備などの判断を行っています。『移動権の保障』の具体的内容は明確ではありませんが、その一方で、事業者の経営の自主性の確立についてはどのように配慮されるのか、明確にすべきと考えます。あわせて、各交通機関の間における公平な競争環境の維持・確立が図られるようお願いいたします」と述べていることも参考になる〔第10回交通基本法検討会の説明資料1−1(http://www.mlit.go.jp/common/000113173.pdf)による〕
(26) 第1回交通基本法案検討小委員会の説明資料1-7-1(http://www.mlit.go.jp/common/000128776.
pdf)による。
(27) 佐藤功『ポケット注釈・憲法(上)』〔新版〕(1983年、有斐閣)28頁。野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法T』〔第5版〕(2012年、有斐閣)158頁、211頁も参照。
(28) 長尾一紘『日本国憲法』〔第3版〕(1997年、世界思想社)61頁。芹沢・市川・阪口編・前掲書105頁[押久保]も、権利内容が特定できることの必要性を指摘する。
(29) 憲法第22条第1項は「居住、移転及び職業選択の自由」を保障する。この場合の「移転」は、元々「住所または居所を変更する自由」である〔宮澤俊義(芦部信喜補訂)『全訂日本国憲法』(1978年、日本評論社)253頁。戸松秀典『憲法』(2015年、弘文堂)177頁も参照〕。しかし、「移転」をこのように狭く解釈する必然性もないので、旅行も「移転」に含めるのが、現在では妥当である〔芹沢・市川・阪口編・前掲書204頁[棟居快行担当]も参照〕。
(30) 芦部(高橋補訂)・前掲書269頁(傍点は原文)。
(31) 芹沢・市川・阪口編・前掲書218頁[尾形健担当]、およびそこに掲げられた文献を参照。
(32) 戸松・前掲書341頁。
(33) 第4回交通基本法案検討小委員会「交通基本法案の立案における基本的な論点について(案)」(http://www.mlit.go.jp/common/000132576.pdf)7頁。
3.国会における交通基本法案および交通政策基本法の審査・審議過程
三次にわたる交通基本法案の提出者の役割を担った民主党は、「民主党政策集index2009」において「総合交通ビジョンの実現」として「@自動車中心の街づくり政策を転換し、路線バスや軌道系交通(鉄道、路面電車、次世代型路面電車システム(LRT
)等)を充実A道路を整備する費用をバス事業者等に補助し、サービスが向上するインセンティブを与えることにより移動困難者の利便性を確保B路線バスや軌道系交通機関などのマス・トランスポーテーションを見直し、環境負荷の低減につながるモード(交通機関)の整備」をあげ、交通基本法を制定する理由として「国の交通基本計画により総合的な交通インフラを効率的に整備し、重複による公共事業のムダづかいを減らす」ことや「環境負荷の少ない持続可能な社会を構築する」ことなどをあげていた(34)。一方、民主党が政権に就いて間もない2009年11月13日の第1回交通基本法検討会においては、第二次交通基本法案の策定にあたって、「『コンクリートから人へ』への政策転換の中で、公共交通を維持・再生し、人々の移動を確保するとともに、人口減少、少子・高齢化の進展、地球温暖化対策等の諸課題にも対応するため、交通政策全般にかかわる課題、将来の交通体系のあるべき姿、交通にかかる基本的な法制のあり方等について検討を行う」こととされていた(35)。時間の経過とともに姿勢の変化が見られるようにも思えるが、その後、交通基本法検討会においては大学教員、市町村、社会福祉法人、公共交通機関運営会社からの意見聴取が重ねられ、2010年3月の「交通基本法の制定と関連施策の充実に向けて―中間整理―」(以下、「中間整理」)においては、車社会がの進展が「交通の格差社会」の進展や地球温暖化の深刻化につながるとして、第二次交通基本法案の趣旨および目的を「私たちの暮らすまちを、自転車、バス、路面電車、鉄道などが充実した『歩いて暮らせるまち』に」転換すること、そのために地域公共交通を維持・再生し、活性化することとするに至った(36)。第二次交通基本法案は第181回国会で審議未了により廃案になり、第183回国会に第三次交通基本法案が提出される。これは第二次交通基本法案に若干の修正を施したものであり、基本的な内容に変化はない。しかし、第183回国会および第184回国会(2013年)で審査は行われず、第185回国会でようやく付議された。一方、交通政策基本法案は、2013年11月1
日の閣議決定を経て(40)第185回国会に内閣から提出されたが、第三次交通基本法案を土台にしつつ、与党側の政策に合わせるための修正を施したものである。いずれも、2013年11月8日、衆議院国土交通委員会(第4号)において提案理由の説明が行われ、同月12日(第5号)において双方を一括した上での参考人質疑が行われた後に第三次交通基本法案は撤回される。事情の詳細は明らかでないが、自由民主党・公明党連立政権も交通基本法案の重要性を認識していたものと思われ、最初から案を作成し直すのではなく、第三次交通基本法案を利用することなどについて与野党間での調整が行われ、実質的な一本化がなされたものと考えられる(41)。実際に、同月13日(第6号)、三日月大三議員は「政権再交代の後も、ある意味ではいろいろな感情や考えの違いを乗り越えて法律を提出いただいているということにつきましては、(中略)政府が提出をしてこられました交通政策基本法案、中身を検討したところ、私どもが考えていた法案と100%同じではありませんけれども、ほぼ同趣旨の内容である」と述べている(42)。また、辻元清美議員は「交通政策基本法という、最も社会にとって大事な一つの基盤である交通についての憲法のような大きな法律、これは一日も早く成立をさせたいと私自身も思っておりましたし、今回、民主党、社民党も提出しておりましたが、政府が交通政策基本法ということで、今まで私たちが求めてきた法案、さらに補充もしていただいて御提出いただき、賛成の立場」に立つ旨を述べている(43)。結局、衆議院国土交通委員会においては、穀田恵二議員(日本共産党)が提案した修正案(44)は否決され、交通政策基本法案が賛成多数で可決された(自由民主党、民主党・無所属クラブ、日本維新の会、公明党およびみんなの党の共同提案による附帯決議も同様)。交通政策基本法案は11月15日の衆議院本会議においても賛成多数で可決された(45)。参議院では、まず、11月21日の国土交通委員会(第7号)において提案理由の説明が行われ、同月26
日(第8号)に参考人質疑が行われた後、吉田忠智議員(社会民主党・護憲連合)が「移動の権利」を法律案に盛り込むべきであった旨を質したのに対し、西脇隆俊政府参考人(国土交通省総合政策局長)は、交通政策基本計画の策定の際に交通政策審議会や社会資本整備審議会の意見を聴くとともにパブリック・コメントを活用したい旨を答えている(46)。同委員会では辰已孝太郎議員(日本共産党が)が反対討論を行ったものの、賛成多数で可決された(自由民主党、民主党・新緑風会、公明党、日本維新の会および社会民主党・護憲連合の共同提案による附帯決議も同様)。交通政策基本法案は、11月27日の参議院本会議(第10号)において賛成217、反対12で可決し、成立した(47)。
(36) 国土交通省「交通基本法の制定と関連施策の充実に向けて―中間整理―(平成22年3月)」2頁。
(40) 国土交通省「交通政策基本法について」(http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/transport_policy/ sosei_transport_policy_tk1_000010.html)。
(41) 「第185回国会衆議院国土交通委員会議録第6号」1頁も参照。
(42) 「第185回国会衆議院国土交通委員会議録第6号」1頁。三日月議員は、第三次交通基本法案の提出者の一人であり、交通基本法検討会には国土交通政務官として出席した。
(43) 「第185回国会衆議院国土交通委員会議録第6号」4頁。また、辻元議員は、第一次交通基本法案が「ボトムアップの法案」で「現場で働く労働者の方々からまず声が上がった」とも述べている(同頁)。なお、同議員は、交通基本法検討会には国土交通副大臣として出席していた。
(44) 「第185回国会衆議院国土交通委員会議録第6号」(平成25年11月13日)20頁。この修正案には、第一次交通基本法案第2条と全く同じ文言の第2条を盛り込む趣旨が含まれている。
(45) 「第185回衆議院会議録第10号」(官報号外、2013年11月15日)3頁。
(46) 「第185回参議院国土交通委員会会議録第8号」(2013年11月26日)29頁。
(47) 「第185回参議院会議録第10号」(官報号外、2013年11月27日)19頁。
4.第三次交通基本法案と交通政策基本法の異同
三日月議員も指摘したように、第三次交通基本法案と交通政策基本法案は、基本的な部分で趣旨を同じくするとも言いうるが、無視できない差異があり(48)、後者は前者が多少なりとも変質したものであると考えるべきであろう。逐条的な研究は別の機会に行うこととして、以下、簡単に検討する。
〔1〕第三次交通基本法案第2条は「国民等の交通に対する基本的な需要の充足」という見出しの下、「交通は、国民の自立した日常生活及び社会生活の確保、活発な地域間交流及び国際交流並びに物資の円滑な流通を実現する機能を有するものであり、国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展を図るために欠くことのできないものであることに鑑み、将来にわたって、その機能が十分に発揮されることにより、国民の健康で文化的な最低限度の生活を営むために必要な移動その他国民等(国民その他の者をいう。以下同じ。)が日常生活及び社会生活を営むに当たり必要な移動、物資の円滑な流通その他の国民等の交通に対する基本的な需要が適切に充足されなければならない。」とされていた。ここには「移動の権利」の痕跡が残されている。これに対し、交通政策基本法第2条は、見出しを「交通に関する施策の推進に当たっての基本的認識」と改めた上で、下線部を「国民その他の者(以下「国民等」という。)の交通に対する基本的な需要が適切に充足されることが重要であるという基本的認識の下に行われなければならない。」と変更している。附帯決議が言うように、高齢者、障害者、妊産婦等のものが「日常生活及び社会生活を営むに当たり必要な移動」に「最大限配慮すること」が求められることになるであろう(49)。
〔2〕第三次交通基本法案第3条は、「交通に関する施策の推進は、交通が、国民の日常生活又は社会生活の基盤であること、国民の社会経済活動への積極的な参加に際して重要な役割を担っていること及び経済活動の基盤であることに鑑み、我が国における近年の急速な少子高齢化の進展、エネルギーに関する国内外の情勢の変化、情報通信の高度化その他の社会経済情勢の変化に対応しつつ、交通が、豊かな国民生活の実現に寄与するとともに、我が国の産業、観光等の国際競争力の強化及び地域経済の活性化その他地域の活力の向上に寄与するものとなるよう、その機能の確保及び向上が図られることを旨として行われなければならない。」としていた。交通政策基本法第3条第1項は下線部を削除した形で定められている。これは現在の連立政権のエネルギー政策等による変更とみられる。
〔3〕第三次交通基本法案第7条は、「大規模災害発生時における交通の確保」という見出しの下、「交通に関する施策の推進は、大規模な災害が発生した場合にも必要な交通が確保されるようにすることを旨として、行われなければならない。」としていた。これに対し、交通政策基本法第3条第2項は、「交通の機能の確保及び向上を図るに当たっては、大規模な災害が発生した場合においても交通の機能が維持されるとともに、当該災害からの避難のための移動が円滑に行われることの重要性に鑑み、できる限り、当該災害による交通の機能の低下の抑制及びその迅速な回復に資するとともに、当該災害の発生時における避難のための移動に的確に対応し得るものとなるように配慮しなければならない。」と定める。いずれも東日本大震災の経験に由来する規定と考えられるが、交通政策基本法第3条第2項のほうが詳細なものとなっている。
この規定と関連づけて読まなければならないのが、交通政策基本法第22条である。同条は、「大規模な災害が発生した場合における交通の機能の低下の抑制及びその迅速な回復等に必要な施策」という見出しの下、「国は、大規模な災害が発生した場合における交通の機能の低下の抑制及びその迅速な回復を図るとともに、当該災害からの避難のための移動を円滑に行うことができるようにするため、交通施設の地震に対する安全性の向上、相互に代替性のある交通手段の確保、交通の機能の速やかな復旧を図るための関係者相互間の連携の確保、災害時において一時に多数の者の避難のための移動が生じ得ることを踏まえた交通手段の整備その他必要な施策を講ずるものとする。」と定める。後半部分は、同じ第185回国会で成立した「強くしなやかな国民生活の実現を図るための防災・減災等に資する国土強靱化基本法」(平成25年12月11日法律第95
号)の影響がうかがえる(50)。なお、第三次交通基本法案第29条は「災害発生時における交通の支障の防止等」を定めるものとなっていたが、交通政策基本法第22条のほうが規定対象を広くとっている。
〔4〕第三次交通基本法案第12条は、「国民の責務」という見出しの下、「国民は、基本理念についての理解を深め、その実現に向けて自ら取り組むことができる活動に主体的に取り組むよう努めるとともに、国又は地方公共団体が実施する交通に関する施策に協力するよう努めるものとする。」としていた。これに対し、交通政策基本法第11条は、「国民等の役割」という見出しに変更し、下線部を「努めることによって、基本理念の実現に積極的な役割を果たすものとする。」と改めた。国、地方公共団体、交通関連事業者および交通施設管理者については「責務」とするのに対し(第8条ないし第10条)、「国民等」について「役割」としたことの意味は、必ずしも明らかではない。
〔5〕第三次交通基本法案第16条、交通政策基本法第15条は、いずれも交通政策基本計画に関する規定であるが、交通政策基本法第15条第5項(意見等公募手続の規定)および第6項(交通政策審議会および社会資本整備審議会の意見を聴取することを義務づける規定)に相当する規定は第三次交通基本法案第16条に置かれていない。
〔6〕第三次交通基本法案第20条は「交通関連事業従事者の育成及び確保等」を定めていた。これに対応するのが交通政策基本法第21条であると思われるが、見出しが「運輸事業その他交通に関する事業の健全な発展」に改められた上で、国が「運輸事業事業基盤の強化、人材の育成その他必要な施策を講ずるもの」とされている。
〔7〕第三次交通基本法案第21条は「国際競争力の強化及び地域の活力の向上に必要な施策」を定めていたが、交通政策基本法は「国際競争力の強化に必要な施策」に関する規定を第19条に、「地域の活力の向上に必要な施策」を第20条に定め、趣旨を明確化している。いずれも、自由民主党・公明党連立政権が最重要課題の一つとする経済再生、「三本の矢」のうちの「民間投資を喚起する成長戦略」に関連づけられるものと考えてよいであろう。また、第20条については「地方創生」政策とも結びつけられうるものと思われる。他方で、第三次交通基本法案第21条には「既存の交通施設の有効活用等を図りつつ」という条件が示されているが、交通政策基本法第19条、同第20条のいずれにもこの文言はない。「建主改従」「改主建従」ではないが、第三次交通基本法案第21条には公共事業に対する一定の歯止めとしての効果が意図されていたとするならば、交通政策基本法第19条および第20条にはその歯止めが盛り込まれていない、と解することも可能である。
〔8〕第三次交通基本法案第23条、交通政策基本法第24条のいずれも「総合的な交通体系の整備案」に関する規定であるが、交通政策基本法第24条第2項は「国は、交通に係る需要の動向、交通施設の老朽化の進展の状況その他の事情に配慮しつつ、前項に規定する連携の下に、交通手段の整備を重点的、効果的かつ効率的に推進するために必要な施策を講ずるものとする。」と定めるのに対し、第三次交通基本法案第23条第2項には「施設の老朽化の進展の状況」が記されていない。
〔9〕交通政策基本法第29条は、「国は、情報通信技術その他の技術の活用が交通に関する施策の効果的な推進に寄与することに鑑み、交通に関する技術の研究開発及び普及の効果的な推進を図るため、これらの技術の研究開発の目標の明確化、国及び独立行政法人の試験研究機関、大学、民間その他の研究開発を行う者の間の連携の強化、基本理念の実現に資する技術を活用した交通手段の導入の促進その他必要な施策を講ずるものとする。」と定める。同じ趣旨の規定が第三次交通基本法案第27条であったが、下線部は記されていない。
〔10〕交通政策基本法第28条は調査研究に関する規定であるが、第三次交通基本法案には相当する規定が存在しない。
〔11〕第三次交通基本法案第28条は、「国際的な連携の確保及び国際協力の推進」の下、「国は、交通に関する施策を国際的協調の下で推進することの重要性に鑑み、交通に関し、国際的な規格の標準化その他の国際的な連携の確保並びに開発途上地域に対する技術協力及び人材の派遣、外国において災害が発生した場合の交通施設の復旧等の支援その他の国際協力を推進するため、必要な施策を講ずるものとする。」としていた。
これに対し、交通政策基本法第30条は、やはり「国際的な連携の確保及び国際協力の推進」という見出しの下、「国は、交通に関する施策を国際的協調の下で推進することの重要性に鑑み、交通に関し、我が国に蓄積された技術及び知識が海外において活用されるように配慮しつつ、国際的な規格の標準化その他の国際的な連携の確保及び開発途上地域に対する技術協力その他の国際協力を推進するため、必要な施策を講ずるものとする。」と定める。この規定は同第19条と関連づけて解釈すべきものであり、提案者または政権の性格の相違がよく現れていると考えられる。自動車産業のみならず、例えば新幹線などの高速度鉄道の技術の輸出を念頭に置いた規定であると考えられる。また、リニアモーターカーを想定したものかもしれない。
(48)
提案理由の相違については「第185回国会衆議院国土交通委員会議録第4号」(2013年11月8日)12頁を参照。
5.今後の課題
交通政策基本法が制定され、国の交通全体に関する一般原則や基本理念が定められ、国および地方公共団体の責務が明らかにされることにより、国または地方公共団体による統一的な交通政策の形成の可能性がもたらされた。しかし、それはあくまでも可能性である。行政法学において、計画策定における行政庁(行政機関)の裁量は幅広く認められると解されるのが一般的であるため、交通政策基本法第11条に定められる「国民等の役割」が実際に何処まで発揮されうるかは、未知数である。
他方、交通政策基本計画は、策定ないし公告によって私人の権利行使に対して制約を加えるもの(51)ではない。また、計画の内容を概観すると、他の行政機関(国)または地方公共団体を拘束するものとまでは言えず、国全体や地方公共団体などに対する指針を定めるに留まるものと理解すべきであろう。従って、交通政策基本計画には国民に対する法的拘束力はなく、事実行為に留まるため、仮に違法または不当な点があるとしても「処分」としての性格がなく、審査請求または取消訴訟を提起することはできない(行政不服審査法第1条、行政事件訴訟法第3条第2項を参照)。
交通政策基本計画の策定に際しては、行政手続法第38条以下に定められる意見公募手続が行われ、国民の幅広い意見が反映される機会が設けられた。今後も、計画策定に際しては同じ手続がとられなければならない。従って、同計画の妥当性について意見を述べ、多少なりともその意見を反映させるには、現在のところ、意見公募手続以外に方法がない。
一方、筆者は、本稿(本報告)において「移動の権利」および「交通権」に対して否定的な見解を述べた。これはあくまでも法律学的な意味における権利としての性格についてであり、一種の運動論的、またはスローガン的な意味合いまで否定した訳ではない。しかし、交通政策基本法が施行されてからは、今後の状況次第ではあるが、両者の法律学的な意味を深め、具体的な権利としての性格を与えることが、法律学者の役割として期待されることになるであろう。
本稿は、2016年7月25日、公益財団法人地方自治総合研究所の「地域公共交通研究会」(主査:武藤博己法政大学教授)における報告「交通政策基本法と『交通権』〜法律学的観点からの序説的検討〜」の草稿に加筆修正を施したものである。また、筆者は同研究所の「地方自治関連立法動向研究会」のメンバーであり、元々、交通政策基本法(交通基本法案)を「地方自治関連立法動向研究会」における研究の題材の一つとして、微々たるものではありながら研究を進めていた。同研究所の関係各位、とくに、上記の両研究会のメンバーであり、当日の報告の機会を与えてくださった其田茂樹氏(同研究所研究員)に、この場を借りて感謝を申し上げる。
(2017年9月11日掲載)
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