いよいよ迫る市町村合併
{「食と水を考える会」主宰講演会、2003年2月15日、19時から21時まで、千歳村農村環境改善センターにて}
序:以下は、上記題目の下で行った講演のための草稿です。当日は、時間の関係もあり、項目を選びつつ、適宜要約して話をさせていただきましたが、ホームペ−ジにて公開するにあたり、全文を公表することといたしました。 今回も、機会を与えていただき、また、当日にコーディネーターを務められた春野慶司氏(千歳村村議会議員)、そして御来場の皆様には、熱心にお聴きいただき、御意見御質問をいただきました。改めて御礼申し上げます。
はじめに
これまで、私は、2001年1月27日と2002年1月12日の2回、この千歳村農村環境改善センターにおいて市町村合併に関する小講演をさせていただいた(1)。私自身は、大分市役所での講演「地方分権とこれからの行政のあり方」において市町村合併を取り上げており、その場でも懐疑的な見方を示した(2)。その後も、宮崎県、そして湯布院町で、やはり市町村合併に関する講演を繰り返してきた。
後にも述べるように、昨年、市町村合併への動きは加速度を増した。2005年3月に現在の市町村合併特例法が失効し、それまでに合併しなければ「特典」が受けられないのであるが、協議の手間などを考えるならば、今年3月までに法定合併協議会を立ち上げなければ間に合わないからである。そして、地方制度調査小委員会の委員である西尾勝教授が、11月1日、「今後の基礎的自治体のあり方について(私案)」と題された文書、いわゆる西尾私案を同委員会専門小委員会に提出した。これについては様々な反響があったが、政府としては、おおむね、この西尾私案に沿う形で、市町村合併を、さらにその後の地方自治制度を設計していくようである。
このような状況の中で、市町村合併について、改めて検討をしてみたいと考えている。皆様の御参考になれば幸いである。
T.合併は既定路線なのか?
端的に述べるならば、政府、財界などにとって、市町村合併は既定の路線であると言いうる。その根底には、何よりも、国家財政の破綻、そして地方交付税特別会計の破綻がある。原資が無尽蔵に存在する訳ではなく、むしろ枯渇している、あるいはそれに近い状態であるのならば、配分額が減少することは当然である。そうすると、分母が大きくなるだけ分け前も小さくなる。
1990年代に盛んになり、最近になって再び活発になった道州制の議論など、都道府県合併の方向性も打ち出されており、青森県・岩手県・秋田県の三県が既にその動きをみせている。このこと自体からしても、市町村合併が規定路線として扱われていると考えざるをえない。そればかりでなく、最近、片山総務大臣は、市町村合併が永久に続くという趣旨の発言を繰り返している(3)。その影響なのか、市町村合併特例法に定められた優遇措置の延長も検討されている。
元々、広域行政は都道府県の役割である。地方自治法でもそのように規定されている。しかし、実際には、この点が中途半端に扱われている。広域連合などはその典型であると言いうる。そして、市町村が合併して規模を大きくするならば、都道府県の役割はますます中途半端なものになりかねない。そこで、都道府県を合併して規模を大きくしようとするのである。具体像が見えにくいのであるが、地方自治体の大規模化が金科玉条として捉えられている。
そして西尾私案である。これは、市町村合併特例法失効後における基礎的地方自治体(市町村)の像を描いたものである。具体的な内容については、是非とも全文をお読みいただきたいが、端的に言うならば、合併をせずに残された小規模自治体(人口などは明記されていない)について、窓口業務だけを残して後は他の市町村(基礎的自治体と記されている)や都道府県が行政事務などを行うというものである。昨年秋の時点で、政府などは、市町村合併後の姿形について構想を進めていたのである。
勿論、これに対して、既定の路線ではないという趣旨の意見も度々主張される。後に述べるように、市町村合併は小手先の政策であり、本来であれば真正面から取り組まれなければならない改革を、極端に言えば回避するための方策にすぎないという趣旨の指摘も少なくない。また、市町村合併特例法などを眺めると、住民自治という観点は、都合のよいところで利用されているにすぎない。以前、この千歳村での講演の際にも述べたように、市町村合併の推進策を検討すると、相互に矛盾するようなメリットを並べるなどの弥縫策的な要素も色濃い。本来の地方分権改革の趣旨からすれば、市町村合併よりも、地方税財政改革のほうが先であり、本筋である。しかし、昨年(2002年)の秋に地方分権推進改革会議が内閣総理大臣に提出した「事務・事業のあり方に関する意見」(通称で「最終報告」とも呼ばれる)、第2次分権改革の根本的課題であったはずの税源移譲(税源再配分)は全く顔も姿も出していない。
しかし、歴史的にみても、日本において市町村合併は、明治以来、波の強弱があるとは言え、強力に進められてきた。片山総務大臣は、2002年7月20日に大分全日空オアシスタワーにて行われた講演会の席上、これまでの大合併と、現在進められている「平成の大合併」と、それぞれの間に50年間あるいは60年間という時間があることを指摘し、合併にも歴史の流れやパターンがあると主張している(4)。
そして、1990年代になって、政府、財界などは、市町村合併を必然的なものと位置づけてきた。このことを、加茂利男教授は「@少子高齢社会に対応できる活力ある自立的地域社会の形成、A生活圏や経済圏の広域化に応じた行政体制の確立、B国と地方をつうじる通じた未曾有の財政危機に対応する効率的な行政体制の実現、C地方分権時代に応じて自治体の行政能力、人材の育成などをはかれるような行政規模の実現などが緊急に求められており、市町村合併はこのための即効性のある方策だというのです」とまとめられる(5)。言うなれば、「この国のかたち」を作るための構造改革に必要なものであるということになるのであろう。実際、1990年代に始められた地方分権改革が進められると、国および都道府県から委譲された権限を十分に行使しうるだけの自治体を作る必要があるから、市町村合併は必要であるという主張がなされ、いまや支配的な流れとなっている。広域連合は、少なくとも結果的にみれば市町村合併の前段階として作られたものであるし、特例市や中核市も、こうした風潮から登場したものと考えられる。また、高度経済成長期以来、自動車社会化が進行したことに伴い、住民の生活圏(通勤、買い物など)が拡大したのに対し、行政区域にはあまり変化がみられないことに大きなズレがあることも指摘されている。こうしたことに対応するために、市町村合併が必要である、と主張されるのである(6)。
そして、この市町村合併の流れを決定づけたのは、介護保険制度の導入であろう。市町村単独で保険者となりうるところはそれほど多くなく、広域連合を組む例が多かった。そして、この制度の中心的存在である介護保険料も軒並み値上げされる。
さらに、駄目押しとして、住民基本台帳ネットワークの導入、さらに電子自治体構想をあげることができる。主題の関係上、住民基本台帳ネットワークの問題点などについては触れないが、システム管理の面など、小規模市町村にとっては大変な負担になる。実際、総務省は「共同アウトソーシング・電子自治体推進戦略」において、複数の市町村が業務を共同化し、その上でアウトソーシングを図ることにより、コストの削減と民活を図るとしている。ここで市町村合併が念頭に置かれていることは当然であろう(7)。
神野直彦教授は、本来的にこの制度に無理があると述べる。今回の市町村合併の性質を示唆する論旨なので紹介しておく(8)。本来、国民経済の計算の際には、中央政府、地方政府(地方自治体など)、そして社会保障基金の三本立てで政府部門を捉えなければならない。ところが、日本では社会保障基金が政府部門として認識されていない。このため、経済上、中央政府と地方政府しか政府部門は存在しないことになる。そして、社会保障基金が現金給付を行い、地方政府が現物給付を行うべきであるのに、日本では、中央政府が地方政府に現金給付を行わせる。その例が国民健康保険制度であり、介護保険制度である。医療サービスの多くの部分が民間により供給されることを考えると、地方政府は早晩破綻する。
かような議論がどこまで正しいのか、今の私に検討をするだけの能力も時間もない。しかし、介護保険制度が地方財政に悪い影響を与えているという趣旨の話は、所々で聞かれる。また、神野教授が指摘されていることは、結局、日本の政府と地方自治体との間で真の役割分担がなされていないということであろう。とくに、他の先進国に例を見ないほどに地方財政の赤字の幅が巨大な日本では、神野教授、そして他の多くの財政学者などから指摘されるように「地域住民に自分の地域社会の財政をコントロールする権限が与えられていない」(9)。地方自治法第74条第1項は、条例の制定・改廃請求の対象から地方税などを除外しているし、地方税法は、地方自治体の租税立法権にかなり厳格な枠をはめている。そして、税源配分の見直しは、今年になってようやく議論が進みつつあるようであるが、国の財政赤字の解消が優先されると目されるため、根本的な改革は難しいであろう。
そうなると、既存の制度を基にして地方分権を進めざるをえないので、受け皿作りと称されて市町村合併が進められざるをえなくなる。現在の政府、とくに総務省の姿勢は、市町村合併を前提として、地方分権に見合った地方自治制度の再構築を目指していると言いうる。
この点に関連して、滋賀大学長の宮本憲一教授は、市町村合併に関して「日本的な特徴」が現われているものであると述べ、「日本は政治や経済の転換期には必ず市町村合併政策をとるのです」、そして「伝統ある市町村を強制的に合併させることができるというのは、日本の地方自治の弱さを象徴する出来事だと思うのです」と指摘する(10)。さらに、宮本教授は、地方分権との関係において非常に本質的な事柄を述べている。少し長くなるが、「合併は規定路線なのか?」という問いに対して本質を明らかにする非常に有力な回答になっていると思われるため、引用しておく。
「なぜそうなるのかということですが、それぞれの時期に基本的な改革が必要になるわけですが、その改革がうまく実行できず、小手先の政策をとるところに問題があると思うのです。今回の『分権改革』にあたって、本来、地方分権推進委員会は事務再配分の議論をしなければならなかったわけです。その際、福祉・医療・教育などの社会サービスをどこが受け持ち、管理運営をやるのかを考えるわけですが、まず公共部門と民間部門全体の再配分について議論し、その後、社会サービスの運営形態の改革が必要であったのです。」
「事務の再配分を行えば、財源の再配分をしなければなりませんが、その財源の再配分も財政危機の下で、国と地方を含めた財政全体、税制全体、金融市場を含めた財政金融の関係などについての改革を残してしまった。ですから、地方財源はまったく手が付かなかったのです。」
「そこで、この財政危機の折から、どうやって機関委任事務をはじめ国の事務の増えた自治体の管理運営を行うのかという議論が当然でてくるわけで、そのための政策として市町村合併がでてくるのです。つまり規模の利益論で、合併して規模を大きくすればよい、新しい分権化における受け皿という話になってしまったわけです。」(11)
U.合併しないという選択肢は残されているのか?
これまで、多くの市町村が合併に向けた動きをとっている。その一方、福島県矢祭町、北海道ニセコ町などのように、合併を完全に否定し、あるいは、消極的な姿勢を示すところもある。その意味においては、合併をしないという選択肢も存在すると言いうる。
しかし、現実の問題として、合併後の長期的展望を脇に置けば―それは、各市町村、そして住民が考えるべき問題であるし、大都市周辺、山間部、離島など、地域によって事情が異なるから一般化することに無理がある―、取り残された小規模市町村にとっては、地方交付税の削減に加え、国庫補助負担金の削減もなされる可能性が高いことから、財政の状況がさらに悪化することになる。
最近、合併しなくても元気な小さな自治体という趣旨で幾つかの小規模市町村が紹介されている。たしかに、住民が主体的にまちづくりなり地域おこしなりに取り組んだり、独自の行政サービスを提供したりという点で注目すべき点は多い。しかし、かような市町村であっても、地方交付税の不交付団体ではない。多くの場合、自主財源の割合は高くない。現在のところは過疎化に立ち向かい、それなりの成果があげられていることを否定しないが、少子高齢化の進行により、どこまで続けられるのかは予断を許さない。
私は、市町村、そして住民が持つ潜在的な力を信じていない、という訳ではない。しかし、何をするにも元手が必要である。よほどのものでなければ、アイディアだけで地方自治を運営できるはずもない。
そして、既に述べたように、政府は、市町村合併特例法失効後も優遇措置を続けることについて検討を始めており、その一方で新たな市町村制度の構築に向けられた取り組みも始めている。自主的に選んだ途であれ、合併から取り残されたのであれ、小規模市町村がいずれは淘汰されるという可能性が高まっている。このことが正当であるか否かと問われるならば、疑問を示さざるをえない。臼杵市長の後藤國利氏も「国は兵糧不足の事態を招いた責任と実情を説明しようとはしません。地方自治体を『兵糧攻め』して、地方を改革しようとしているように見受けられます」、さらには「地方行財政の改革は大切な課題であるにも関わらず、国は市町村合併を推進することにより財政破綻を地方に吸収させようとしているように見えてきます。事態をよく説明しないで合併に追い込み、合併自治体がリストラに苦しまざるを得なくしようというのは一種の策略といえます」と述べている(12)。
しかし、現実の問題として、政府が路線転換をしない以上、合併しないという選択肢は、現時点ではともあれ、いずれ消滅することとなる。この点については、Wにおいて述べたい。
V.合併は地域住民の福音となるか?
このような問い、あるいは問題意識は、多くの地方自治関係者に、そして住民に共有されているものではなかろうか。
しかし、合併、あるいはその逆の市町村分割は、あくまでも地方自治、地域づくりの手段であって、目的ではない。一口に市町村合併と言うが、政令指定都市を目指す地域とそうでない地域など、様々な差異があり、単純な比較は慎むべきであろう。
ただ、これでは答えにならないと思われるので、敢えて私見を述べるならば、政府などの宣伝を真に受けて福音であると思わないほうがよい。そもそも、地方分権改革における最大の課題と位置づけられている地方税財政改革が全く進まず、機関委任事務を自治事務と法定受託事務とに分類して、基本的に決定権限を委譲するに留まり、しかも、国の関与の余地を大幅に残していることからすれば、どこまで、住民の手による、あるいは住民のニーズにあった地方自治行政が展開されうるのか。
次に、前述のように、市町村合併が「少子高齢社会に対応できる活力ある自立的地域社会の形成」、「生活圏や経済圏の広域化に応じた行政体制の確立」、「国と地方をつうじる通じた未曾有の財政危機に対応する効率的な行政体制の実現」、「地方分権時代に応じて自治体の行政能力、人材の育成などをはかれるような行政規模の実現など」に対する特効薬であるいうような主張も見受けられるが、いかにも怪しげな、根拠がはっきりしない、神話のような話である。このような単純なものでないことは明らかである。
たしかに、小規模の市および町村の場合、人事が停滞しがちであることも、度々指摘されている。これでは時代に即応した行政を運営することができない。しかし、これは必ずしも規模の大小に関わるようなことではない。市町村の執行機関、市町村議会、そして住民の意識によるものなのである。
市町村が合併するということは、一面で、各市町村で異なる公共料金、事務内容の調整など、地味な作業を行うことである。しかも、そのための費用も多額である。総務省自治行政局も、「合併直後の市町村では、地域間の道路整備や住民サービスのための施設整備、格差是正のための施設整備など新たなまちづくりのために多額の経費を要」すると述べている。例えば、市町村の役所・役場で使用されている電子計算機システムの統合を進める必要があるが、これだけでも何千万円という単位の支出を必要とする。また、既に何度か取り上げているように、合併のメリットとしてあげられている事柄には、相互に矛盾するものも多く、これまでに一部事務組合や広域連合によって対処してきたと思われる事務が多く掲げられている点も目立つ。例えば、生活環境に関するものとしては、既にごみ処理や消防(救急活動を含む)については、多くの地域において一部事務組合や広域連合が作られ、運営されている。また、介護保険についても、福岡県のように大規模な広域連合が作られた例もある。しかし、地方交付税または国庫補助負担金制度の活用によって合併を推進するとともに、合併をしない小規模市町村に対する支出を削減することが明らかである。このことから、市町村合併が行われない限り、ダイオキシン対策などが進まないという事態が生じうる。
そして、市町村合併特例法による「手厚い財政措置」の問題がある。とくに合併特例債の問題である。これについては後にも述べるが、地方債制度の濫用であると考えられるばかりでなく、長期的にみても地方財政の健全化や行財政の効率化と矛盾するのではないかと考えられる。実際、合併特例債に頼った場合、長期的には財政がかえって悪化するというシミュレーションもある。「いずれにしても、市町村が合併相手を主体的に判断することなく、明確な地域づくりビジョンもないまま、単に優遇措置欲しさに“焦って”合併すれば、合併後の混乱は避けられない」ということは述べておきたい(13)。
W.合併パターンが崩れたときは? 取り残された市町村は?
政府が市町村合併を本格的に推進し始めた頃、各都道府県は市町村合併推進要綱を策定し、公表した。大分県も、
2000年12月に要綱を公表している。この要綱の法的性質について大分県がどのように考えているかは不明であるが、要綱というからには、県が合併の面で市町村を支援するための方策を定めた、内部的効力しか有しない文書であると解すべきである(行政法学でいう行政規則の一種である)。都道府県と市町村とは別人格であるから、県の要綱が市町村に対して直ちに法的な効力を及ぼすと考えるべきではない。それはともあれ、この要綱が公表されることで県の姿勢が示されたことに違いはない。実際に、佐伯市と南海部郡をはじめとして、多くの市町村は、この要綱に従う形での合併に向けて動き出した。しかし、実際には、その地域でのつながり、あるいは住民の意識や生活行動などにより、要綱の案とは異なる動きも見られる。大分県では、大田村が最初にその姿勢を見せた。この他、野津町、野津原町が、要綱に示された案と異なる選択をした。また、他の都道府県では、各市町村が要綱で示されたパターン通りに合併を進めようとして、一部の市町村が任意合併協議会あるいは法定合併協議会から離脱するという例も散見される。
前述の通り、都道府県が示す合併のパターンは、あくまでも、県の支援方策を定めたもの、あるいは県のほうからの提案として考えるべきである。従って、パターンが崩れること自体は予想の範囲内でもある。とくに、大分県の場合、「県が示したパターンはほぼ地方振興局単位の単純なパターンだけに、それ以外の組み合わせを目指す議論や動きが出ることは極めて自然なこと」ではないかと考える(14)。そのため、「県が当初のパターンにこだわろうとするのなら、もう少し県民や市町村にていねいに説明すべき。現在の動きを踏まえ、『この範囲内であれば組み替えも可能』という、新たなパターンの検討・見直しも必要ではないか」と思われる(15)。
ただ、この場合、問題も残る。大分県が懸念しているのは、合併から取り残される市町村が出てくることである。前述のように、合併をする必要がない市町村、あるいは、合併しないという選択をした市町村はともあれ、取り残された小規模市町村にとっては、地方交付税の削減に加え、国庫補助負担金の削減もなされる可能性が高いことから、財政の状況がさらに悪化することになる。私も、この点を懸念している。既に、人口4000人以下の町村に対して地方交付税の削減が行われているが、さらに人口1万人未満の地方自治体に対して、地方交付税の配分額を削減する、さらには権限そのものを大幅に縮小する、というような案が、地方制度調査会や自民党内から出されている。こうした動きが現実の制度になるとすれば、合併の相手がいない市町村は、大分県が懸念するように、市町村として独立して存在しえなくなる。これは、その市町村の住民にとって大変な不利益になるばかりでなく、周辺の市町村や県に深刻な影響を及ぼしかねない、ということを意味する。
実際に、こうした例が、数として多くはないが各地で見受けられる。大分県では、2002年8月の時点で津久見市がその危険性を帯びていた。西日本新聞2002年8月21日付朝刊24面に掲載された「悩み深き市町村合併 恋人いない津久見市 市職労“独身”提言へ」という記事には、同市職労がまとめた「もてない男のひがみと悩み」というタイトルの報告書の内容が紹介されている。大分県の要綱では、臼杵市と津久見市との合併が案として提示されている。しかし、臼杵市との意見の隔たりは大きく、暗礁に乗り上げる形となった。その原因として、津久見市職労は、職員数の多さと人件費の高さをあげている。詳しいことはわからないが、津久見市は3万人未満の市であるはずで、おそらく、人口1000人あたりの職員数が高いということなのであろう。そこで、市職労は、「事業の民間委託」、「10年間は職員採用を抑制する」、「職員の事務処理能力を1.5倍向上させる」など、全部で5項目の対策を盛り込んだとのことである。津久見市の場合、その後の事情もそれほど変わっている訳ではない。
また、和歌山県では、とくに田辺市周辺や有田市周辺で複雑な状況となっている。報道などを追ってみても要約することが難しいのではないかと思われるほどであるが、合併から取り残される、あるいは自ら離脱するような動きがあるようである。有田市に隣接する湯浅町は「一般会計の歳出総額に占める公債費の割合が四割を超えている」などの理由により、合併の相手としては敬遠されるようである(16)。
さらに、山口県では、実際に合併から取り残されるという事例が生じている(17)。山口市の北隣にある阿東町は、県の要綱によれば山口市などとの合併という案が示されていた(山口市と一部事務組合を構成している)。しかし、山口市を初めとする2市4町(18)は、11月に任意合併協議会を立ち上げた際、阿東町をメンバーに入れていない。そこで、阿東町長は、市町村合併特例法が失効する2005年3月までの合併を断念する意向を表明し、町議会も承認した。
阿東町の人口は、2000年度の国勢調査によれば8420人である。そして、財政力指数(19)は、1999年度で0.220である(20)。0.44を下回っているので、過疎地域として指定される要件の一つを充たしていることとなる。人口の減少が続いていることからしても、財政力指数の低下は避けられない。そして、地方交付税制度の見直し次第では、町として独立性を維持できないという結果にもつながる。これは、当然、住民サービスの低下と住民負担の増大を招く。そして、仮に、こうした市町村が単独での存続を模索するとしても、地方交付税などの削減、さらには一層の人口減少により、立ち行きがつかなくなるという危険性も出てくる。そのためにも、合併パターンの見直しが求められるのではなかろうか。
その上で、一つの、政府などによって少なくとも中核部分の制度化の可能性が高い西尾私案を概観することとしたい。ここに、小規模市町村の行方が示唆されているからである。
西尾教授は「基礎的自治体が極力都道府県に依存」しないことを理想としている。そのために「少なくとも、福祉や教育、まちづくりに関する事務をはじめ市が現在処理している程度の事務については、原則としてすべての基礎的自治体で処理できるような体制を構築する」ために規模を拡大するというのである。市町村合併というと、とかく、都合の良い点を除いて住民自治を置き去りにしがちである。西尾教授は、この住民自治の観点を私案に入れ込んでいる。もっとも、どこまで十分に考えられているかは、私案を読む限り、わかりにくい。ただ、「一般的に基礎的自治体が規模拡大することを踏まえて、基礎的自治体内部における住民自治を確保する方策として内部団体(法人格を持つものとするかどうかについては要検討)としての性格を持つ自治組織を基礎的自治体の判断で必要に応じて設置することができるような途を開くことを検討する必要がある」と述べている点に注目する必要がある。
そして、市町村合併特例法の失効後も合併せずに残った小規模市町村の行方について、次のような提案がなされている。
まずは、市町村合併特例法とは違う方法によって、とにかく合併を推進する。合併しない途を選ぶとしても、合併から取り残されるとしても、結局は合併についての判断を迫られることとなるであろう。但し、具体的なことが書かれていないので、具体的にどのような方法によるのかは不明確である。また、西尾教授も人口以外の要素を捨象しているが、具体的な数字は明らかにされていない。
次に、「それでも再編成されなかった地域」について、現在の市町村の核を抜いたようなものを作るという趣旨のことが述べられる。端的に言えば、窓口業務だけを行う団体を設置するのである。そして、その他の事務は都道府県が行うというのである(但し、「都道府県は当該事務を処理する責任を有するが、その事務を近隣の基礎的自治体に委託するか、広域連合により処理するか、直轄で処理するかを選択するものとする」とも述べられている)。
あるいは、別の市町村に編入させる。西尾教授の私案では少々不明確であるが、結局、合併せずに残った市町村も、周辺の比較的大きな市町村に併合されることとなる。こうなると、せいぜい、政令指定都市における区のような存在に留まることとなる。
このような方向性が妥当なのかどうかについては、相当に大きな、激しい議論が予想される。地方分権の理念に相応しいものかどうかについても疑問が残る。しかし、国における政策転換が行われない限り、大筋でこの方向性が取られる可能性は高い。
X.合併により議員は大幅に減るが、職員はどうか?―合併特例債を含め、篠山市を例として―
まず、この問題については、議員、さらに職員の数の減少が、住民にとってただちに歓迎すべきことなのか、という反問を出しておきたい。個々の事情などを詳細に検討せず、一般的かつ抽象的に議論すべき事柄ではないと思われるからである。また、とくに職員の場合、どの分野からでも一律の割合で下げるというのではなく、新市町村の実情などを考慮し、重点領域に職員を配置するなど、メリハリのある措置が必要ではないであろうか。
次に、議員が減るという話であるが、これは、地方自治法第
91条に定められている事柄であり、各市町村の条例で具体的な数を定めるものであるので、当然、減少することになるであろう。但し、市町村合併特例法第6条により、合併したからと言ってすぐに議員の定数削減が行われる訳ではない、という点には注意を要する。もっとも、この点については、単純に議員の数が多いから減らせ、というような問題ではないという反論もあろう。私も、この反論には共感しうる。憲法学などではおなじみの話であるが、長い歴史のなかで議会の質が変化しており、行政に対するチェック機能を失いつつある。とくに地方議会に顕著である。このことについて、私が具体的な例を出すまでもあるまい。勿論、国会議員年金などにみられるような、いかにもお手盛りの感を否めないような不合理な制度は改める必要がある。しかし、それだけを解決すればよいというものでもない。
最後に職員である。既に何度か紹介しているように、市町村合併論者は、多くの場合、行政の効率性を最大のメリットとしてあげる。その際、注目されるのが市町村職員数および人件費である。既に論文などでも紹介しているので、ここでは詳しく述べないが、一般的に、小規模な市町村ほど、人口
1000人当たりの職員数は増加する傾向にある。そして、そのような自治体の多くは、職員の人件費すら、自らの税収で賄うことができないという状況にある。総務省なども、現行の地方税制度に問題があることを承知しているのであるが、様々な抵抗があって見直しは難しい。そこで、目に付きやすいところとして議員や職員の削減があげられる。昨今、民間企業では財務体制の合理化の一環として人員削減が行われているため、とくに主張されやすいのであろう。実際の例として、度々引き合いに出される兵庫県篠山市をここでも例としてあげるならば、
1999年の合併時には職員が742名であったが、2001年には664名となっており、さらに、2004年までに60人を削減するとのことである。内訳をみると、旧西紀町の支所で82名→11名、旧今田町の支所で73名→11名、旧丹南町の支所で174名→20名、などとなっている(21)。これだけをみれば、職員数はたしかに削減されており、人件費の割合も減少したようにみえる。そのため、多少なりとも財政状況は改善されていると思われるであろう。
しかし、現実には、ただちに改善したとは言い切れない。
篠山市の場合、合併特例債でおよそ
197億円が使えるようになったという(22)。この金額を合併特例債によって調達しえたものと仮定するならば、その7割は元利償還金として地方交付税に算入されることになる。単純に言うならば、地方交付税によって面倒を見てもらえるという訳である。しかし、残りの3割、およそ59億円は、将来、篠山市自体の負担となる。市町村合併によって合併特例債バブル、そしてモラル・ハザードとも言うべき現象が起こる可能性が指摘されているが、篠山市の例は、その可能性の実現を示唆するものである。現に、篠山市でも大型の公共事業が次々になされており、少なからぬものが合併特例債に関係するものであると指摘されている。他に、政令指定都市を目指して合併する静岡市と清水市の場合も、おそらくは合併特例債に目を付けたと思われるビッグ・プロジェクトが目白押しという状態にある。以前にも紹介したように、合併のメリットとして、住民へのサービスは高水準にシフトし、逆に住民の負担は低くなると主張される。よく考えなくとも、この話がそのまま素直に成立する訳でないことは明らかである(
23)。もっとも、中西啓之教授は、「地方税、特に住民税についていえば、合併をしたからといって、特に増えるわけではありません。現行の地方税の大枠は地方税法で定められており、地域や自治体の規模による差はほとんどありません。住民一人一人の所得、あるいは法人の所得が増大しない限り、合併しようとしまいと、住民税の総額に変化はありません。したがって、合併してもしなくても、地方税の総額に大きな変化はありません」と述べる(24)。むしろ、地方交付税の変化が大きいという訳である。たしかに、市町村の税収の多くを占める住民税は、地方税法によってほぼ画一的に定められており、しかも、実際には所得税の付加税的な存在であるので、合併によって住民税の負担が極端に増えたり減ったりすることはない。しかし、地方税は住民税だけではない。合併によって成立する新市町村の規模にもよるが、政令指定都市や中核市になれば事業所税(これは外形標準課税の数少ない例である)が課せられるから、一定以上の規模の企業にとっては増税になる(清水市商工会議所などは、この点を問題とした)。この他、都市計画税などが課せられる可能性もある。それだけでなく、合併するということは、財政力指数の高いところと低いところが一緒になるのであるから、平均して財政力が多少とも低くなることは当然である。
住民の負担という点でも、篠山市の例は示唆に富んでいる。同市の行財政改革実施計画によると、合併をスムーズに行うために公共料金を(法律に定めがあるものを除いて)最も安い町のものに統一したこともあって、住民の負担増とサービスの切り下げが盛り込まれている。各種補助金、各種助成金の打ち切りも検討されることになる。しかし、このような改革を全て行ったとしても
12億8000万円ほどの削減効果に留まるという(25)。また、合併特例債との関係で、地方債の残高が増加していることにも注意しなければならない。篠山市の場合、合併前の
1996年度では4町を合わせて202億円、1998年度では合わせて235億円ほどであったが、2000年度には373億円ほどになっている。そして、長期債務(地方債と債務負担行為を足し合わせたもの)から積立金を差し引いて得られる財政負担の額は、1996年度で4町合わせて196億円ほどであったが、2000年度には384億円ほどになっている。これでは、いくら人員削減などを行っても財政赤字は減少しない。職員の削減は、たしかに注目を集めやすく、民間企業との対比もしやすい。しかし、問題は職員の削減だけではない。むしろ、それは瑣末的とも言いうるものである。合併によって成立する市町村のヴィジョンこそが問題なのである。リストラは経済を縮小させ、デフレーションの悪循環を生じさせることも考えられる。要は人員配置である。何の理念もない増大も縮小も、結果として地方自治を、さらに社会全体を破壊するだけに終わることは、強調しておいてもよい。
(1) 「市町村合併―合併のメリット・デメリット―」(第7回「食と水を考える会」主宰講演会、2001年1月27日)、「市町村合併―合併しなかった場合に生じうる問題を中心に―」(第11回「食と水を考える会」主宰講演会、2002年1月12日)。なお、「市町村合併―合併のメリット・デメリット―」の草稿、および「地方自治の新たな動き―地方分権および広域行政を中心に―」〔宮崎県市町村職員一般研修(平成13年度第2回職員一般研修)、2001年9月3日〕の草稿を基にしたのが、論文「地方分権下の市町村合併」であり、大分大学教育福祉科学部研究紀要24巻1号(2002年)71頁以下に掲載された。
(2) この時の草稿に加筆修正を加えたものが、論文「日本における地方分権に向けての小論」として大分大学教育学部研究紀要20巻2号(1998年)191頁以下に掲載された。
(3) 小林良彰=片山虎之助「対談地方の選択[特別編]第21回」月刊ガバナンス21号(2003年)19頁。
(4) この講演会の模様を私のホームページで紹介しているので、参照されたい(「『地方自治講演会』レポート」)。
(5) 加茂利男『市町村合併と地方自治の未来―「構造改革」の時代のなかで―』(2001年、自治体研究社)6頁。なお、加茂教授がまとめられたもののうち、Cについては、ただ合併したから行政能力が向上する訳ではない、ということを指摘しうる。
(6) しかし、こうした主張については再検討を要する。自動車社会の進展は、深刻な環境問題を引き起こすのみならず、市街地(中心地)の空洞化、経済活動などの面における中心都市(大分県であれば大分市、九州全体であれば福岡市)への集中化、その裏面にある周辺部の過疎化 (などの衰退)をもたらし、激化させる。
(7) 拙稿「電子自治体と行政法体系―導入部的・試論的な考察―」ハイパーフラッシュ(大分県発行)25号9頁による。
(8) 以下、神野直彦『地方自治体壊滅』(1999年、NTT出版)97頁による。
(9) 神野・前掲書101頁。
(10) 柴田徳衛=宮本憲一「都市と農村を考える―地方自治の学び方―いま、自治を発展させるためには何が必要か―」季刊自治と分権第10号(2003年)30頁。なお、これは対談記事である。
(11) 柴田=宮本・前掲30〜31頁からの抜粋。
(12) 後藤國利「兵糧攻めに耐えぬく準備はすすんでいます〜市町村合併の問題点(5)〜」(「フロム市長⇔トゥ市職員」559号、2002年10月22日付)。引用は、後藤國利氏のホームページによる。http:/www.jititai.com/d/to_syokuin/FROM559.htm
(
13) 大分合同新聞2002年11月26日付朝刊1面の記事「揺れる合併―崩れ始めた県のパターン 6:県のスタンス 共存共栄の精神で議論を」に掲載された私のコメント部分。(
14) やはり大分合同新聞2002年11月26日付朝刊1面の記事に掲載された私のコメント部分。同記事によると、大分県市町村振興局も、県が示したパターンとは異なる結果になっても仕方がないという趣旨の見解を取るようである。但し、パターンを示したことによって合併の論議は速かったとも述べている。(
15) やはり大分合同新聞2002年11月26日付朝刊1面の記事に掲載された私のコメント部分。(
16) 重森曉=関西地域問題研究会編『検証・市町村合併―合併で地域の明日は見えるか―』(2002年、自治体研究社)213頁[佐古田武士担当]。同書215頁によると、御坊市や海南市にも同様の傾向がみられるとのことである。(
17) 読売新聞2002年12月6日付朝刊(山口版)に「相手がいない〜「合併あきらめた」山口・阿東町長が表明」という記事が掲載されている。ここでは、読売新聞社のホームページを参照した(http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/news0212/news1206e8.htm)。(
18) 詳細は不明である。(
19) 財政力指数は、普通地方交付税の算定に用いられる基準財政収入額を基準財政需要額で除して得られた数値であり、地方自治体が標準的な行政活動をなす際に必要とされる経費のどの程度までを独自の税収入により賄うことができるかを示すものである。(
20) 山口県の56市町村では36番目の位置にある。参考までに記すならば、大分県南海部郡の各町村の財政力指数は、高いところで0.243、低いところで0.094である。佐伯市の財政力指数は0.491である。(
21) この段落に記した内容については、重森曉=関西地域問題研究会編・前掲書35頁[重森曉担当]を参照した。このことから、旧篠山町の部分では413名→622名と、職員数が増加していることになる。(
22) 小西砂千夫『そこが知りたい市町村合併―当事者たちの証言―』(2001年、日本加除出版)121頁(篠山市公営企業部長で元合併協議会事務局長の上田多紀夫氏による発言。肩書きは当時のもの)による。上田氏は、合併したことで行政サービスの質的変化を訴えており(同書120頁)、合併のデメリットとしてあげられている「地域の独自性と文化を失う」という点について「IT技術の重要性が言われているなかで、きめ細かい行政ができないなんていう指摘は実態を伴わない」とも述べている(同書112頁)。(
23) 拙稿「地方分権下の市町村合併」91頁註18)において指摘したように、合併で誕生する新市の姿によっては、地方税財政制度上、新たな負担が生じる。地方税法第701条の30に規定される事業所税である。最近では、静岡市と清水市との合併に関して問題となった。静岡市は中核市であるため、事業所税の課税団体となっている。これに対し、清水市は非課税団体であった。しかし、両市が合併した場合、政令指定都市となることが予定されているため、新しい静岡市は事業所税の課税団体となる。このことから、清水市に事業所などを置く企業については増税となる。同じような例は、おそらく、他の税などについても起こりうる。また、佐賀関町および野津原町に、事業所税の納税義務者となりうる企業がどの程度存在するかはわからないが、大分市と合併するならば、当然、少なからぬ企業にとって増税となる。(
24) 中西啓之『改訂新版市町村合併―まちの将来は住民がきめる―』(2002年、自治体研究社)86頁。(
25) この段落を含め、篠山市の状況については、重森曉=関西地域問題研究会編・前掲書60頁[柏原誠担当]を参照した。
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