東京都保育士試験の解答用紙に係る非開示決定処分が取り消された事例

平成15年8月8日東京地裁判決・平成13年(行ウ)273号

【判決要旨】

  解答用紙のうち、当該科目の基礎的な語句の定義や基礎的事項に関する説明を簡潔に記載させる記述問題に関する部分を開示することに、条例にいう「事務の適正な執行に支障が生ずる」だけの客観的かつ具体的なおそれがあるとは言えない。

【参照条文】

 東京都個人情報の保護に関する条例一六条二号、同一条、同二条二項・四項、一二条一項

【事実の概要】

  原告は平成一二年度保育士試験を受験したが、科目「保険衛生学及び生理学」のみ不合格となった。そのため、原告は被告(東京都知事)に対し、当該科目の解答用紙の開示を請求した。しかし、被告は、解答用紙を開示することが、今後の保育士試験に関する適正な事務の執行に支障が生じるおそれにつながるとして、東京都個人情報の保護に関する条例(以下、本件条例)一六条二号に従い、非開示決定処分をした。これを不服として、原告は開示を請求する訴訟を起こした。なお、訴訟継続中に、被告により、一部について非開示決定処分が取り消されたが、第一問、第九問および第一〇問に関する部分(計五箇所)については非開示のままとされた。

【裁判所の判断】原告の請求を認容し、個人情報非開示処分を取消

  1 本件開示請求の対象は「試験の解答用紙に記載された個別的な採点で」あり、「個人の選考に関する個人情報」(一六条二号)の開示の可否は「事務の適正な執行に支障が生ずるおそれ」の有無に係る。本件条例の目的は個人の権利利益の保護にあるから、個人情報について非開示とするには「少なくとも個人情報の開示により、上記のような支障が生ずる具体的且つ客観的なおそれがあることが必要であり、単なる実施機関の主観的なおそれや抽象的なおそれがあるのみでは非開示事由に該当するとは認められない」。これは、被告が主張する「将来の同種の事務の支障となるおそれ」がある場合についても同様である。

  2 記述問題には「当該科目の基礎的な語句の定義や基礎的事項に関する説明を記載させるものから、一定の事象に対する個人の知見ないし見解をある程度の長さをもって記載させる形式のものまで含まれて」おり、「採点者に与えられている裁量の幅も、当該問題の内容に応じて異なる」。後者の場合については「採点基準を明確にするとしても(中略)抽象的なものに」ならざるをえないので「採点者の主観的判断に委ねられる幅が広く」ならざるをえない。一方、前者については「採点基準があらかじめかなり詳細に定められている場合が」多いので「採点者に若干の裁量の余地があることは否定できないものの」裁量判断の幅はそれほど広いものとは言えず、「採点者の主観的判断の介在する程度や質が選択問題や語句問題と異ならない」。

 3 本件において争われている記述問題は、いずれも「受験者個人の主観的見解を問うものではな」いから「非開示部分に記載された得点は(中略)採点者の主観的判断が入る余地は少なく、その適否を第三者が客観的に判断することも容易なものといわざるを得」ない。従って「本件試験の語句問題における採点の場合と被告の主張するような質的な差異は認められない」。本件の場合、非開示部分についてはいずれも「あらかじめ採点基準が決められており、具体的な採点結果にばらつきが生じないよう、一通り採点が終了した後に点数の調整を行っている」のであり、「本件試験の採点に関して、被告が危惧する程度まで採点者の主観的判断により得点の差異が生ずるものと認めることはできない」。また、「本件各非開示情報に係る問題の採点に対し、受験者が不服を持ち、これが解消されることがなかったとしても、そのことが直ちに受験者と試験実施機関との間の信頼関係の破壊をもたらし、ひいては当該試験実施の意味を失わせるものということもできない」。

 4 被告は試験委員の確保の困難性や心理的負担を主張するが、本件記述試験の性格は前述のとおりであり、「あらかじめ採点基準を定め、現に採点を行った際に適宜これを修正し、それらを覚書等の形で保存することにより、それらに基づいて採点の根拠を示すことが比較的容易であると解される」から「被告が、受験者に対して試験に関する情報を開示しないことにより上記負担の軽減を図ることは、行政庁の負う説明責任を放棄するに等しいものであり不当といわざるを得ない」。従って「本件各非開示情報の開示によって、直ちに試験委員確保が一層困難になるものと認めることはでき」ず、「本件条例一六条二号に定める試験制度の適正な執行に支障が生ずるおそれがあると認めることはできない」。

【コメント】

 1 本件の争点は、保育士試験の解答用紙のうち、記述式問題に関する部分についての個人情報非開示決定処分の妥当性であり、その処分の対象となった部分を開示することが試験事務の適正な執行に対する支障につながるおそれがあるか否かということである。

 本件判決は、記述試験にも大別して二種類があり、試験科目の基礎的な語句の定義や基礎的事項の簡潔な説明を求めるものと、或る事項について受験者の見解などを求めるものとがあって、その類別によって採点者等が有する裁量の幅が異なる、という趣旨を述べている。そして、非開示事由の該当性を判断する際に、こうした記述式問題の性質や裁量の差異を重要な要素としている。この点が本件判決の特徴であると言いうる。

  2 本件のように、各種試験の解答用紙の開示(公開)が問題となった事例は、あまり多くないようである(これに対し、成績の開示を求めるという事案は多い)。

  個別の解答用紙ではなく、試験問題の解答自体の開示を求めるという点において事案の性質は全く異なるが、最二小判平成一四年一〇月一一日判時一八〇五号三八頁は、高知県公立学校教員採用候補者選考審査において行われる教職教養筆記審査のうち、択一式問題および解答に関する非開示決定処分を取り消した高松高判平成一〇年一二月二四日判時一七〇四号五〇頁を支持し、高知県教育委員会の上告を棄却した。この判決において、最高裁判所第二小法廷は「過去に出題された問題との重複を避け、審査にふさわしい問題を作成するという問題作成者の負担」が択一式問題および解答の公開により増大し、問題作成者の確保を困難とする結果につながるとは言えないなどとして、高知県情報公開条例六条八号に示される非開示事由に該当しないと述べている(これに賛成するものとして、右崎正博「教員採用試験の公開と事務事業への支障」法律時報七五巻七号七四頁がある)。

 しかし、この最高裁判決は情報公開条例に関する判断を示すものである。しかも、対象は択一式問題および解答である。この趣旨が、個人情報保護条例について、とくに記述式問題の解答用紙について、どの程度まで妥当するのか。これについては、別途に検討を加えなければならない。

 3 本件条例一六条二号の非開示事由の解釈に関する先例として、東京地判平成一三年九月一二日判時一八〇四号二八頁がある。事案は、高校入試の際に中学校から提出される調査書の特記事項の非開示決定処分に関するものである。この判決は、本件条例一六条二号(および五号)の非開示事由について「客観的かつ一義的にその有無を決定することは困難であ」り、「開示による支障の点のみをとらえた」規定であると捉える。しかし、本件条例が「個人の情報開示請求権及び訂正請求権を明定するとともに個人の権利利益の保護を目的とするものである」ことから、非開示事由の該当性の判断についても、開示されることによって生じるおそれのある行政事務の支障と、非開示とされることによって開示請求者が受ける可能性のある不利益とを比較考量し、前者が後者を上回る場合にのみ、非開示決定処分が正当なものとされる、という基準を示している。

 本件判決は、平成一三年九月一二日判決と同じく東京地方裁判所民事第三部によるものである(裁判長裁判官も同じ)。そのため、表現に差異があるものの、基本的に本件条例一六条二号について同じ方向性を示していると解される。本件判決は、非開示事由の有無の判断に際して、本件条例の目的(個人の権利利益の保護)を基本に据えた上で、実施機関の行政事務への支障については具体的かつ客観的なおそれがあることが必要であると述べて。平成一三年九月一二日判決と異なり、非開示とされることによって開示請求者が受ける可能性のある不利益との比較考量という観点は正面に現れていないが、本件判決は、この観点を否定するものではなく、むしろこれを前提として、開示による「支障が生ずる具体的且つ客観的なおそれ」の存在を非開示決定処分の要件とするものと考えられる。そのことは「単なる実施機関の主観的なおそれや抽象的なおそれがあるのみでは非開示事由に該当するとは認められない」という部分に現れている。本件条例一六条二号の性格については議論があると思われるが、個人情報保護条例の全体的な構造を念頭に置くならば、非開示の判断はあくまでも例外的なものと考えるべきである。その際、行政事務への支障は重要な要素であるが、それが常に優先されるべきではあるまい。安易な判断がなされ、その結果として非開示決定処分が多発されることは、条例の施行状況として好ましくない。このように考えるならば、本件判決が示す非開示事由の判断基準は妥当である。

 4 次に、行政事務への支障の具体的な内容が問題となる。この点につき、被告側は、保育士試験委員が専任の職員ではないこと、担当科目毎に一名が配置され、各科目について(千枚を超える)解答用紙を単独で採点すること、などから、試験委員の確保自体が困難であると主張していた。そして、解答用紙を開示することによって評価や採点をめぐる問題提起が受験者からなされるならば「試験委員の心理的・物理的な負担が増大し、人材の確保が一層難しくな」り、「試験事務の執行が阻害されるおそれがある」と主張していた。

 たしかに、試験の採点には多大な労力を要する。とくに、記述式問題の場合、多くの大学入試における小論文のように、或る事項に関する受験者自身の考え方を記述させるような設問であれば、出題意図の公表は可能であるし、実際に行われているが、採点基準を策定するとしても、その詳細性に自ずと限度が生じる。また、模範解答の例を作成し、公表するとしても、その場合には受験者の誤解などを誘発するおそれもある。

 しかし、本件の場合のように、基礎的な語句の定義や基礎的事項の簡潔な説明を求める内容の設問は、記述式問題であるとは言え、詳細な採点基準などの作成や採点作業は比較的容易である。また、出題や採点などに対して受験者からの不服が寄せられることなども主張されるが、これは出題形式の如何を問わず予想されることであり、記述式試験についてのみ、こうした不服が試験委員の確保をさらに困難にし、ひいては行政事務の遂行に支障をきたすとは考えにくい。

  5 本件判決は、各種試験の記述式問題のうち、試験科目の基礎的な語句の定義や基礎的事項の簡潔な説明を求めるものについて、解答用紙の該当部分の開示を認めた。その点において少なからぬ意義を有する。ただ、この種の記述式問題であっても、択一式問題ほど採点が容易でないことは否定できないので、試験制度を運営する行政実務側からの抵抗や反発があるかもしれない。

 

あとがき)この論文は、 月刊誌である法令解説資料総覧第263号(2003年12月号)100頁から102頁までに、「判例解説A」として掲載されたものです。雑誌掲載時は縦書きでした。

 

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