筑豊じん肺訴訟最高裁判所判決
平成16年4月27日最高裁判所第三小法廷判決・平成13年(受)1760号
判例時報1860号34頁(民集58巻4号登載予定)
【判決要旨】
1 通商産業大臣(当時)が、石炭鉱山におけるじん肺発生防止のための鉱山保安法上の保安規制権限を行使しなかったことは、国家賠償法一条一項の適用上違法である。
2 民法七二四条後段所定の除斥期間は、不法行為により発生する損害の性質上、加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には、当該損害の全部又は一部が発生した時から進行する。
【参照条文】
じん肺法二条一項一号・四条・五条・二一条・二二条・二三条、鉱山保安法一条・四条二号・三〇条、国家賠償法一条一項、民法七二四条
【事実の概要】
福岡県筑豊地方に存在した多くの炭鉱の坑内外において各種の粉じん作業に従事し、じん肺に罹患したと主張する元作業員およびその相続人は、炭鉱を経営していた企業六社に対して、安全配慮義務の不履行を理由に、国に対して、じん肺の発生または悪化を防止するために鉱山保安法に基づく規制権限を行使することを怠ったことの違法性などを理由に、慰謝料等を請求する訴訟を提起した。
平成七年七月二〇日福岡地飯塚支判・時報一五四三号三頁(一審判決)は被告六社に対する請求を認め、国に対する請求を棄却したが、福岡高判平成一三年七月一九日判時一七八五号八九頁(二審判決)は国の責任を認め、国に慰謝料等の支払いを命じた。
※なお、企業の一社の上告は、平成一六年四月二七日最高三小判・平成一三年(受)一七五九号によって棄却されている。
【裁判所の判断】国の上告を棄却(全員一致)
1
「国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は、その権限を定めた法令の趣旨、目的や、その権限の性質等に照らし、具体的事情の下において、その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、その不行使により被害を受けた者との関係において、国家賠償法一条一項の適用上違法となるものと解するのが相当である」(平成元年一一月二四日最高二小判・民集四三巻一〇号一一六九頁、平成七年六月二三日最高二小判・民集四九巻六号一六〇〇頁参照)。鉱山保安法の「主務大臣であった通商産業大臣の同法に基づく保安規制権限、特に同法三〇条の規定に基づく省令制定権限は、鉱山労働者の労働環境を整備し、その生命、身体に対する危害を防止し、その健康を確保することをその主要な目的として、できる限り速やかに、技術の進歩や最新の医学的知見等に適合したものに改正すべく、適時にかつ適切に行使されるべきものである」。
石炭鉱山保安規則によるけい酸質区域指定制度は、じん肺法の制定以後も存続し、昭和六一年一一月まで「じん肺防止対策の実施状況は、一般的な粉じん対策も含めて、極めて不十分なものであった」。通商産業大臣がじん肺法制定以後も規制権限を「直ちに行使しなかったことは、その趣旨、目的に照らし、著しく合理性を欠くものであって、国家賠償法一条一項の適用上違法というべきである」。
2 「当該不法行為により発生する損害の性質上、加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には、当該損害の全部又は一部が発生した時が除斥期間の起算点となると解すべきであ」る。
【コメント】
1 全国各地の炭鉱などで、労災職業病としてのじん肺が問題となり、多数の訴訟が提起された。本件訴訟の二審判決は、初めて国の損害賠償責任を認めたことで注目を集めた。そして、最高裁判所も、この判決において初めて最終審として国の責任を認めた。
本件訴訟の論点は多いが、最高裁判所の段階においては、国の責任の有無と民法第七二四条後段の除斥期間の開始時期が争われた。本稿では、後者についての検討を省略し、前者の問題のみを取り上げることとする。
2 本件では、鉱山保安法に基づく国の規制権限の不行使による国家賠償責任の成立の有無が争われた。不作為が国家賠償に関連して問題となる事案には幾つかの類型があるが、本件の場合は、鉱山保安法の諸規定(とくに三〇条)の構造からみて、行政の規制権限の行使が裁量に委ねられている場合に該当する〔なお、芝池義一「公権力の行使と国家賠償責任」杉村敏正編『行政救済法2』(一九九一年、有斐閣)一一八頁、同『行政救済法講義』〔第二版補訂版〕(二〇〇三年、有斐閣)二二六頁、塩野宏『行政法U行政救済法』〔第三版〕(二〇〇四年、有斐閣)二六六頁なども参照〕。
こうした事例の場合に作為義務を導き出す判断方法について、議論が重ねられている。その一つが裁量権収縮論であり、これを採用する裁判例も存在する。しかし、多くの裁判例は、裁量権消極的濫用論に依拠して国家賠償責任の有無を判断しており、最高裁判所も、平成元年一一月二四日
最高二小判・民集四三巻一〇号一一六九頁(宅建業法最判)で裁量権消極的濫用論の枠組みを採用した。この趣旨は、やはり平成七年六月二三日最高二小判・民集四九巻六号一六〇〇頁(クロロキン訴訟最判)でも援用された。裁量権消極的濫用論は、判例において確立されつつある(あるいは、既に確立された)、とみることができるであろう。裁量権収縮論と裁量権消極的濫用論については「説明の仕方の相違にすぎず」、「結論において、差異をもたらしうるというわけではない」という見解もある〔宇賀克也『国家補償法』(一九九七年、有斐閣)一六〇頁、一六二頁〕。しかし、宅建業法最判は「具体的事情の下において、知事等に監督処分権限が付与された趣旨・目的に照らし、その不行使が著しく不合理と認められるときでない限り」規制権限の不行使が「国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受け」ないとする。裁量権消極的濫用論は、裁量権収縮論よりも国家賠償責任を認める範囲を狭める可能性を有するのではなかろうか。詳しく論じることはできないが、疑問として提起しておきたい。
一方、裁量権の不行使に関する国家賠償責任を否定する論理として、反射的利益論が主張される。スモン訴訟などのように排斥する裁判例もあるが、少なからぬ判決が反射的利益論を肯定し、あるいはそれを前提とする判断を示している。反射的利益論の全面的な排斥は困難であるかもしれないが、本来ならば行政事件訴訟法の問題である反射的利益論を国家賠償訴訟にストレートに持ち込むことは妥当性を欠くものではなかろうか〔宇賀・前掲書八一頁、三橋良士明「不作為にかかわる賠償責任」雄川一郎・塩野宏・園部逸夫編『現代行政法大系6国家補償』(一九八三年、有斐閣)一六〇頁、室井力・芝池義一・浜川清編著『コンメンタール行政法U行政事件訴訟法・国家賠償法』(二〇〇三年、日本評論社)四二三頁[芝池義一]およびそれに掲記された文献などを参照〕。
3 本件訴訟のいずれの判決も、宅建業法最判およびクロロキン訴訟最判において示された基準を引用し、裁量権消極的濫用論に立つことを明示する。しかし、一審判決は国の責任を否定、逆に、二審判決および最高裁判決は国の責任を肯定と、結論を異にする。
一審判決は、鉱山保安法の諸規定が鉱業権者に対して義務を課する取締規定であり、労働者に対する関係で規制権限を行使すべき「法的作為義務を負担するものではない」と述べ、裁量権の逸脱・濫用を認めなかった。これは、反射的利益論を下敷きにした判断ではないかと思われる〔なお、小宮学「労災職業病に対し高裁で初めて国の責任を認める」労働法律旬報一五二〇号六〇頁を参照〕。
これに対し、二審判決は、鉱山保安法およびじん肺法などの法令の諸規定の「究極的な目的は、労働者の生命・健康に対する危険を防止し、労働者の健康を保持することにあ」ると述べた。その上で、国の規制権限の不行使が、鉱山保安法など諸法令の「趣旨に反し」ており、「許容される裁量の限度を逸脱して著しく合理性を欠くものであ」るとした。
最高裁判決も、鉱山保安法(とくに三〇条)の趣旨を、鉱山労働者の個人的な権利利益の保護を目的とするものと理解し、その上で、じん肺法が制定された後も、石炭鉱山保安規則によるけい酸質区域指定制度が維持され続け、粉じん対策が不十分なままにされたことが「著しく合理性を欠く」とした。
裁量権消極的濫用論に立ちながら、国の責任を認める結論となったことの第一の理由は、法律の趣旨の解釈に求められよう。宅建業法最判は、宅建業法が個々の取引関係者の利益を直接保護する趣旨のものではないと述べた。これに対し、本件の場合は、鉱山保安法一条など、およびじん肺法制定の趣旨を鉱山労働者の保護と理解し、鉱山保安法三〇条の趣旨を、鉱山労働者の労働環境の整備のために規制権限などを適時かつ適切に行使されるためのものと理解する。おそらく、こうした解釈が行政の規制権限不行使の違法性を根拠づけたのであろう。既に述べたように、同法の規制は、直接的には鉱業権者に向けられる。しかし、その規制により鉱山労働者が受ける利益が法的保護に値すると考えなければ、規制権限の意味が失われることになりかねない。二審判決に続き、最高裁判決が反射的利益論を採用しなかったことは妥当である。
第二の理由は、規制権限不行使の当時の正当性および不行使の期間に求められよう。クロロキン最判の場合は、当時の厚生大臣がクロロキンの製造を許可した際にはその副作用に関する報告が内外の文献に出始めたばかりであったことなどが、国の責任を否定する理由とされた。これに対し、本件の場合は、既に昭和三〇年代前半にじん肺に関する医学的知見が明確になっており、昭和三五年にじん肺法が制定されている。しかし、その後も二六年間にわたり、規制権限の(根本的な)不行使状態が続き、被害の拡大などを招いた。こうした事情からすれば、裁量権の不行使が著しく合理性を欠いていたという判断に至るのは当然のことであると思われる。
4 本件最高裁判決は、二審判決が確定した事実関係および関係法令を詳細に検討し、その上で、国の立法不作為の責任を明確に認めた。私も、この結論に賛成する。
現在も、各地でじん肺訴訟が続いている。その中で、最高裁判所がこうした判決を下したことの意味は大きい。今後、同趣旨の判決が続くものと予想される。国には、じん肺に限らず、労働職業病への十分な対策を適時に行うことがいっそう強く求められよう。
(あとがき)この論文は、 月刊誌である法令解説資料総覧第273号(2004年9月号)149頁から151頁までに、「判例解説A」として掲載されたものです。雑誌掲載時は縦書きでした。
なお、雑誌掲載時に存在した誤表記などについては修正を加えています。
〔戻る〕