大分県職員野球観戦等旅費返還請求事件最高裁判決
平成17年3月10日最高裁判所第一小法廷判決・平成13年(行ヒ)40号
判例タイムズ1179号175頁(裁判集民登載予定)
【判決要旨】
一
全国都道府県議会議員軟式野球大会に参加する議員の応援等を目的とする旅行命令は違法である。二
右の旅行命令に伴い、専決によりなされた旅費の支出命令は違法とまでは言えず、損害賠償責任も不当利得返還義務も認められない。【参照条文】
地方自治法(平成一四年改正前)二四二条の二第一項四号、二四三条の二第一項、第九項
【事実の概要】
平成九年八月、第四九回全国都道府県議会議員野球大会(本件野球大会)が大阪府内で開催され、大分県議会も参加するため、県総務部長甲は総務部財政課主幹兼総務係長乙とともに応援に行くこととした。また、この機会を利用して、甲は大阪事務所における訓示も行うこととした。これらの用務のため、甲および乙に旅行命令が発せられ、乙は専決により甲および乙について本件出張に係る旅費の支出命令を発し、両名は旅費を受領した。同月二二日、両名は大阪事務所に到着し、甲が五分間程度の訓辞を行い、事務所に一時間ほど滞在した。翌日、両名は本件野球大会の会場で一時間ほど開会式を見学し、県議会議員らの試合を三〇分ほど応援して途中で退出し、大分市への帰路についた。
住民の原告らは、本件出張のいずれの用務にも必要性などを見出せないとして、地方自治法(以下、法)二四二条の二第一項四号に基づき、知事に対し旅費総額相当の損害賠償を、甲に対し旅費相当の損害賠償または不当利得の返還を、そして乙に対し旅費総額相当の損害賠償または旅費相当の不当利得の返還を請求する訴訟を提起した。
一審大分地裁平成一二年四月一〇日判決・判例自治二二七号一三頁は原告の請求を棄却したが、二審福岡高裁平成一二年一〇月二六日判決・タイムズ一〇六六号二四〇頁(本誌二三九号一一〇頁に原田一明氏の解説が掲載されている)は一審判決を取り消し、原告の請求を全面的に認容した。そこで、知事、甲および乙が上告した。
【裁判所の判断】破棄自判、原告(被上告人)らの請求を棄却(全員一致)
1
「普通地方公共団体の長は、当該普通地方公共団体の公務を遂行するために合理的な必要性がある場合には、その裁量により、補助機関である職員に対して旅行命令を発することができるが、上記裁量権の行使に逸脱又は濫用があるときは、当該旅行命令は違法となるというべきである。このことは、旅行命令が普通地方公共団体の長から委任を受けるなどしてその権限を有するに至った職員により発せられる場合にも、同様に当てはまる」。本件野球大会は、第五二回国体実行委員会から「協賛事業や関連事業とされていたものではなく、地方自治の発展に寄与するような相互交流や意見交換の機会にも設けられて」おらず、「本件野球大会に参加する県議会議員を応援することが県の公務に当たるものということはできない」。また、「大阪事務所において訓示をする用務」は「本件出張の付随的な目的にすぎ」ず、「合理的な必要性があったと」は言えないため、「本件旅行命令には、裁量権を逸脱し又は濫用した違法がある」。2 「財務会計上の行為を行った職員に対して法第二四二条第一項四号に基づいて損害賠償責任を問うことができるのは、先行する原因行為に違法事由がある場合であっても、上記原因行為を前提としてされた当該職員の行為自体が財務会計法規上の義務に違反する違法なものであるときに限られる」(最高裁平成四年一二月一五日第三小法廷判決・民集四六巻九号二七五三頁参照)。乙は旅行命令を是正する権限を有しておらず、「本件旅行命令が著しく合理性を欠き、そのために予算執行の適正の確保から看過し得ない瑕疵があるときでない限り、これを尊重し、その内容に応じた財務会計上の措置を執る義務がある」。本件の場合は「旅行命令が著しく合理性を欠き、そのために予算執行の適正の確保から看過し得ない瑕疵があるということはできない」。
3 乙の支出命令は違法な旅行命令を前提とするが、本件の事情に照らせば、知事は、乙が「本件支出命令を発することを阻止すべき指揮監督上の義務に違反し、故意又は過失によりこれを阻止しなかったということはでき」ず、損害賠償責任を負わない。
4 「地方公共団体の職員は、職務命令である旅行命令に従って旅行をした場合に、旅行命令に重大かつ明白な瑕疵がない限り、当該旅行に対して旅費の支給を受けることができ、支給された旅費が不当利得となるものではない」(最高裁平成一五年一月一七日第二小法廷判決・民集五七巻一号一頁参照)。本件の旅行命令には重大かつ明白な瑕疵があったと認められないので、不当利得返還義務も損害賠償義務も成立しない。
【コメント】
1 本件野球大会については、大分県の他、徳島県、新潟県、福島県、秋田県、山形県の住民が、それぞれ住民訴訟を提起し、議員の派遣旅費としての支出の違法性、ならびに随行職員への旅行命令および旅費の支出命令の違法性を争った。詳しい事情を判決などから読み取ることはできないが、本件訴訟は他県住民による訴訟と異なり、議員の派遣旅行命令および旅費支出命令について争われなかった。一方、本件議員野球大会とは別の用務(大阪事務所での訓示)についても争われた。
本件一審判決は、本件の旅行命令および支出命令を全面的に適法と判断したが、一審の段階において同様の判断により住民の請求を棄却したのは新潟地裁平成一一年六月一〇日判決・判例自治二〇八号三七頁のみであり、ほかは住民の請求を全部または一部認容した(この段階で確定した判決も存在する)。そして、本件二審判決は、東京高裁平成一二年四月二六日判決・判例自治二〇八号二九頁および高松高裁平成一二年九月二八日判決(民集五七巻一号六六頁に掲載)と同様に旅行命令および支出命令を全面的に違法と判断した。いずれも上告がなされており、本件最高裁判決は、前掲最高裁平成一五年判決(前掲高松高裁判決の上告審判決)に続くものである。
2 本件最高裁判決は、旅行命令について知事(など権限を有する者)の裁量権を認めた上で、その行使に逸脱または濫用がある場合に旅行命令が違法となる旨を述べる。
議会の議員派遣決定については、議会の裁量権の存在が前提とされ(最高裁昭和六三年三月一〇日判決・裁判集民事一五三号四九一頁、および最高裁平成九年九月三〇日判決・裁判集民事一八五号三四七頁)、その行使に逸脱または濫用がある場合に議員派遣決定が違法とされる(前掲最高裁昭和六三年判決)。本件野球大会に関する多くの判決は、前掲最高裁昭和六三年判決を明示し、または黙示の前提として、本件野球大会に関する旅行命令を違法と判断している。
議員の派遣が争われていない本件においても、二審判決が右の論理を用いて違法とする判断を示しており、最高裁も是認した。本件野球大会の実態に鑑みれば、基本的に妥当な立論である(小高剛「新潟県議会公費による野球大会参加訴訟」法律のひろば二〇〇〇年一〇月号五〇頁、寺田友子「野球大会に参加した議員不当利得返還請求住民訴訟事件」判例自治二四一号一〇五頁を参照)。もっとも、前掲最高裁平成一五年判決に関連して、裁量権の逸脱または濫用という論理が、派遣自体の決定と内容の決定という「二つの局面を包括した一種の説明概念になっている」として、より精密な検討(両者の分離)を必要とするという見解もある(西鳥羽和明「判例批評」時報一八三七号一七五頁)。
また、本件では訓示用務についても争われたが、事実認定に即せば、訓示の用務のみでは到底出張が行われる必要性がないほどのものと認められるため、判旨は妥当である。
3 続いての争点は、支出命令の違法性の有無、さらに言うならば、先行行為である旅行命令が違法である場合に、それを前提としてなされた支出命令が違法となるかという問題である。本件二審判決においては、旅行命令が違法であることから直ちに支出命令、さらに旅費の受領が「法律上の原因を欠く」として違法性を導き出しており、乙に故意または重過失(法第二四三条の二)があるか否かを認定していない(前掲東京高裁判決および前掲高松高裁判決も同様である)。
これに対し、本件最高裁判決は、前掲最高裁平成四年判決を参照しつつ、本件の旅行命令が違法ではあっても著しく合理性を欠いたものといえないこと、本件について乙が旅行命令の違法性を是正する権限を有していないことを理由として、乙は財務会計上の義務を免れることはできず、また乙には法第二四三条の二の故意・重過失のいずれも認められず、支出命令は違法ではないと判断した。この判旨は、基本的に前掲最高裁平成一五年判決と同じである。しかし、本件最高裁判決は、旅行命令権者と支出命令権者が本来であれば同一であるという点において、前掲最高裁平成一五年判決の趣旨を拡大したものと言いうるものであり、若干の疑問が残る。
前掲最高裁平成四年判決は、教育委員会の人事に関する処分権と知事の予算執行権との関係に関するものであり、知事は、教育委員会の処分が著しく合理性を欠き、予算執行の適正確保の見地から看過しえない瑕疵が存在する場合を除き、この処分を尊重しなければならないと述べる。前掲最高裁平成一五年判決も、知事が議会の指揮監督権などを有しないことを理由として、議会による議員の派遣決定が著しく合理性を欠き、予算執行の適正確保の見地から看過しえない瑕疵が存在する場合を除き、この処分を尊重しなければならないと述べる(法第一〇四条、一五三条一項も参照)。いずれも、法律上、先行行為の処分権者と後行行為の処分権者とが異なる事案に関する判断である。
これに対し、本件の場合、専決こそなされているものの、旅行命令権者と支出命令権者とが本来ならば同一である。このような場合にまで、旅行命令が違法であっても支出命令に際して先行命令を尊重しなければならないのか。専決の場合、知事の指揮監督権上の義務違反は、法律上、先行行為の処分権者と後行行為の処分権者とが異なる事案よりも認められやすいと言えないであろうか。本件最高裁判決においては知事の損害賠償責任が否定されており、これは後に述べる乙についてと同様の事情によるものと思われる。しかし、本来であれば知事が旅行命令権者であり、支出命令権者でもあることからすれば、知事と乙の責任が全く同程度であるか否かについて、なお問題が残るものと思われる(その意味において、前掲最高裁平成一五年判決に関する寺田・前掲一〇八頁の評価は示唆に富む)。
もっとも、本件最高裁判決は旅行命令の違法性の程度を問題とした。旅行命令が違法であっても「著しく合理性を欠」くとは言えず、支出命令に「予算執行の適正の確保から看過し得ない瑕疵」が認められないとされたのは、(明示されていないが)例年、大分県では議員野球大会の応援に総務部長が赴いていたという事情によるのであろう。そのため、専決を受けた乙に財務会計法規上の違法につき故意または重過失を認め難い、または認めることが酷であるという判断に至ったのであろう(なお、西鳥羽・前掲一七七頁を参照)。
4 そして、本件最高裁判決は、旅行命令に重大かつ明白な瑕疵がないことを理由として、甲および乙の不当利得返還義務などを否定した。上司の職務命令に重大かつ明白な瑕疵がない限り、職員はこれに従う義務があるとするのが通説であり、判例である。本件最高裁判決もこの流れに従っている。右のような事情があることからすれば、本件の判断は妥当であろう。但し、既に述べたように、本件の場合は本来ならば旅行命令権者と支出命令権者が同一であり、実際には知事の指揮監督権の下にある職員に専決されていたのであるから、瑕疵の程度の認定についても少々疑問の残るところではある。
5 前掲最高裁平成一五年判決に続いて本件判決が出されたことにより、知事(など権限を有する者)の旅行命令権について、裁量権に一定の制約が課されたと言いうる。しかし、支出命令について必ずしも十分な制約にならないのではなかろうか。今後、この本件最高裁判決の趣旨がいかなる事案に生かされるのか、注目していきたい。
(あとがき)この論文は、 月刊誌である法令解説資料総覧第283号(2005年8月号)111頁から113頁までに、「判例解説@」として掲載されたものです。雑誌掲載時は縦書きでした。
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