下関市日韓高速船補助金支出住民訴訟最高裁判決

〔平成一七年一一月一〇日最高裁第一小法廷判決 平成一三年(行ヒ)第二四三号 損害賠償請求事件〕

判例時報1921号36頁(本稿公表時には未公刊)

【判決要旨】

 下関・釜山間の高速船運航事業を目的として設立された第三セクターに対して下関市が行った補助金の交付(支出)について、裁量権の逸脱・濫用は認められず、地方自治法二三二条の二に違反しない。

【参照条文】

  地方自治法二三二の二

【事実の概要】

  昭和六二年、当時の下関市長Aは同市と釜山市との間に高速船を就航させる事業(本件事業)を行う考えを表明し、平成元年に同市議会が本件事業の早期実現を求める決議を採択した。本件事業については、他企業による福岡(博多)・釜山間の高速船運航計画と競合することなどから、採算面で懸念が示され、実現は難航したが、平成二年一一月、下関市、民間八企業などが出資する第三セクターとして日韓高速船株式会社(本件会社)が設立された。下関市の出資比率はおよそ二二.四パーセントであった(その後の増資により、比率は一〇.五パーセントほどまでに低下した)。翌年、本件会社は、高速船について訴外会社と傭船契約(期間は四年)を締結した。なお、平成三年にYが市長になり、Aに代わって本件会社の代表取締役に就任している。

 平成三年夏に本件会社は高速船を就航させ、営業を開始したが、船舶の構造の関係などから欠航が多く、経営事情は当初から厳しかった。本件会社は数回にわたり、合計で三億八〇〇〇万円の融資を受け(本件借入金。市職員であり、Aとともに代表取締役であったBが連帯保証人となっている)、翌平成四年には下関市から一〇億円の融資を受けたが、業績が好転することなく、同年一二月に運航を休止した。平成六年には傭船契約の解除がなされ、解決金として四億六五〇〇万円が支払われる旨の合意がなされた。本件会社の取締役からの要請を請け、Yは、平成六年三月、上記解決金に相当する額の補助金(第一補助金)、および本件借入金に相当する額の補助金(第二補助金)に係る補正予算案を市議会に提出した。市議会の可決を受け、Yは同月三一日に第一補助金および第二補助金について支出命令を行い、第一補助金を四月に、第二補助金を五月に、本件会社に交付した。

 下関市民であるXらは、これらの補助金の支出が地方自治法二三二条の二にいう「公益上必要がある場合」という要件を充たさないとして、住民監査請求を経た後にYを被告として、同二四二条の二第一項四号に基づき、下関市に損害賠償を行うことを求める住民訴訟を提起した。一審山口地判平成一〇年六月九日判時一六四八号二八頁は原告の請求を全面的に認容した。Yが控訴し、二審広島高判平成一三年一〇月二六日判時一七五六号六六頁は、第一補助金について原告の請求を棄却したが、第二補助金について一審判決を支持した。そこで、Yが上告した。

【裁判所の判断】破棄自判、Xらの請求を棄却(才口裁判官の反対意見あり)

  「本件事業の目的、市と本件事業のかかわりの程度、上記連帯債務がされた経緯、本件補助金の趣旨、市の財政状況等に加え、上告人は本件第二補助金の支出について市議会に説明し、本件補助金に係る予算案は、市議会において特にその支出の当否が審議された上で可決されたものであること、第二補助金の支出は上告人その他の本件事業の関係者に対し本件事業の清算とはかかわりのない利益をもたらすものとはうかがわれないことに照らすと、上告人が本件第二補助金を支出したことにつき公益上の必要があると判断したことは、その裁量権を逸脱し、又は濫用したものと断ずべき程度に不合理なものであるということはできない」。本件第二補助金は違法なものではない。

〔才口裁判官の反対意見〕

  1  地方自治法二三二条の二に定められる公益性の概念について「第一次的には地方公共団体に裁量権がある」が、全くの自由裁量行為ではなく「客観的に公益上必要であると認められなければならず、地方公共団体の長がその裁量権を逸脱し、又は濫用した場合には司法が違法と判断すべきものである」。

  2 本件会社は第一補助金相当額以外に二一億八〇〇〇万円もの負債を抱えており、そのうちの一〇億円は下関市による直接融資、八億円は同市が損失補償する分であり、残額が第二補助金相当額であった。Yは、第二補助金に係る予算案を「議会に提出せず、また予算執行を避けるなどの決断をし、経費の支出を目的を達成するために必要かつ最少の限度にとどめるべき義務があったといえる」。

  3 第二補助金は議会の議決を経ているが「裁判所が公益上の必要性の有無について独自に判断することを妨げるものではない」。第二補助金の支出は「裁量権を逸脱し、又は濫用したものとして地方自治法二三二条の二に違反し違法であ」る。

【コメント】

 1 第三セクターについては、以前から組織形態などの面において多くの問題が指摘されており、実際に経営不振に陥り、さらには破綻する例が目に付くようになった。また、そのような第三セクターに出資した地方公共団体が、資金を回収できず、むしろ破綻処理などのためにさらなる支出を余儀なくされ、財政状況がいっそう悪化するというような例も多い。本件は、経営不振に陥り、最終的に破産手続をとるに至った第三セクターへの補助金の支出について争われた例として、全国的に注目を集めたものである。

 2 本件の争点は、第一補助金および第二補助金の支出が地方自治法二三二条の二に定められる「公益上必要がある場合」という要件に該当するものであるか否かであった。第一補助金の支出については、一審判決において違法と判断されたものの、二審判決において裁量権の逸脱・濫用は認められないとして適法と判断された。最高裁判所においては、第二補助金の支出についてのみ判断が下されている。

 3 本件を含め、右の要件に関する判決は非常に多いのであるが、解釈あるいは適用について重大な問題があり、本件最高裁判決にもそれが表れているものと思われる。

 行政実例昭和二八年六月二九日自行発一八六号は、この要件の認定権を有するのは地方公共団体の長および議会であるとしつつも「全くの自由裁量行為ではなく、客観的に公益上必要であると認められなければならない」としている。また、これにならう表現を用いて補助金などのための支出を違法とする下級審判決も存在する。本件一審判決も「補助金の交付が公益性を有するためには、主観的な側面のみならず、客観的な面においてもそれが肯定されなければならない」と述べており、客観的な必要性を要件としている(藤原淳一郎・判例批評・判時一六六七号一八七頁は、一審判決の「判断基準は、きわめて妥当なものと評価されるべきである」と述べる)。

 これに対し、多くの判決においては、客観性を持ち出すことなく、本件二審判決および最高裁判決も述べるように、長(および議会)の裁量権の行使に逸脱または濫用があった場合にのみ違法と判断されている(判例の動向については、高木光・自治研究七五巻一号一〇一頁をはじめ、碓井光明『要説住民訴訟と自治体財務』〔改訂版〕一九三頁、安本典夫・判時一四三三号一五二頁、桑原勇進「第三セクターに対する補助金の公益性」地方自治判例百選〔第三版〕八八頁、などを参照)。また、碓井光明教授は「裁判所が公益上の必要性を判断しなければならないものとするならば、裁判所に困難を強いるばかりでなく、地方公共団体の判断と裁判所との関係において、裁判所を優先させる結果になる」として「日本国憲法における地方自治の保障の下においては、右のような考え方は妥当でない」と述べていた(「地方公共団体の補助金交付をめぐる法律問題(下)」自治研究五六巻八号三六頁。これについて、安本・前掲一五四頁も参照)。その後、碓井教授は、具体的な判断が「第一次的に個々の自治体に委ねられているというべきであ」り、一般的規範(条例、規則、予算議決)の存在を前提とした上で「裁判所としては、そのような一般的規範又は個別的手続の内容に適合する補助金の交付であるかどうかを審査するのが、本来の姿であると思われる」と述べ、さらに地方自治法二三二条の二以外の法令に違反する場合、および「著しい不公正の認められる場合」に、補助金交付のための支出が違法になる、と論じる(『要説住民訴訟と自治体財務』〔改訂版〕一九七頁)。この考え方は、広範な裁量権を前提としつつ、その行使に一定の拘束をかけようとするものであろう。

 客観的な必要性を求める考え方と裁量権の逸脱濫用のみを基準とする考え方とは、一見すると大きな相違があり、とくに前掲行政実例は覊束裁量を前提とするとも読み取れるが、客観的な必要性を要件としても長および議会に第一次的な裁量権が認められることに変わりはなく、公益性の判断に際して政策的・専門的な判断が必要となるならば、実際には大差がないと言える。この点につき、高木光教授は「『客観的に公益性の必要がない場合』は裁量権の逸脱濫用があるとしているのと実際には大差がないとの見方が穏当であろう」と述べる(前掲一一〇頁)。本件最高裁判決における才口裁判官の反対意見も「客観的に公益上必要であると認められな」い場合と「地方公共団体の長がその裁量権を逸脱し、又は濫用した場合」とを同一視しており、多数意見と根本的に異なるものではないであろう。

 しかし、本件最高裁判決を含め多くの判決は、公益性について詳細な基準を定立することなく、裁量権の逸脱・濫用という基準のみによって判断しており、長および議会の裁量権を広範に認める判断を下す〔最近の例として、大分県旧挾間町陣屋の村住民訴訟(最二判平成一七年一〇月二八日判例集未登載)がある〕。このように解するならば、前掲行政実例が示す一応の解釈基準は実質的に無に帰するのではなかろうか(藤原・前掲一八七頁を参照)。そのため、客観性という要件は、裁量統制の観点から改めて重要な意味を帯びてくるであろうし、補助金の支出に関し、より具体的な判断基準を明確にする必要が生じるであろう(同旨、室井力=兼子仁編『基本法コンメンタール地方自治法』〔第四版〕258頁[田村和之担当]。この判断基準を提示するものとして、安本・前掲一五四頁)。

 また、碓井教授の見解については、趣旨は理解しうるものの、住民監査請求および住民訴訟の意義に鑑みて疑問が残る。紙数の関係もあるので、ここでは端的に記すに留めておく。たしかに、公益性の有無を詳細に判断することに困難が伴うことは否定できない。しかし、地方自治の保障は、長および議会の広範な裁量権を直ちに正当化しうるものではない。また、補助金が「一般的規範又は個別的手続の内容に適合する」としても、とくに一般的規範の内容こそが問題とならないのであろうか。さらに、「著しい不公正の認められる場合」についても、違法性の認定基準としては不十分なものであろう(損害賠償の必要性の有無は別に考えるべきではなかろうか)。

 4 本件二審判決、最高裁判決のいずれも、裁量権の逸脱・濫用という基準を用いて判断をしたが、第二補助金については結論が異なっている。

 二審判決は、本件事業の公益性を認めた上で、地方財政法四条一項なども参照して、裁量権の逸脱・濫用について詳細に検討を加えた。第一補助金については適法としたが(私も、この部分は妥当であると解する)、第二補助金については、本件借入金に関する連帯保証(人)の経緯に触れた上で、他の連帯保証人らに十分な資力があって「応分の負担を負わせたからといって、直ちに下関市の責任を糾弾され」ることなどのおそれがあったとは言えないのに、そのための交渉を行わず、債権者らとの減額交渉も行わなかったこと、既に回収不可能であることが明らかであった融資の分や保証債務を下関市に肩代わりさせたことをもって、裁量権の逸脱・濫用があったと判断した。事実認定による限り、責任の糾弾や債務の減額の可能性が現実に存在したか否かを別として、何ら交渉を行わなかったことには問題があると思われるし、第二補助金を支出しなければならなかったとは俄かに断定しがたい。他方、最高裁判決は、第二補助金に係る予算案が市議会において「特にその支出の当否が審議された上で可決された」ことをあげているが、これが適法性の理由となり、裁判所による公益性の判断を排除しうるのか(二審判決によれば、市議会での審議の最中に当時の自治省財政局指導課から疑問を投げかけられたという)。また、第二補助金の支出が「本件事業の清算とはかかわりのない不正な利益をもたらすものとはうかがわれない」と述べるが、この点も二審判決とは異なっている。

 いずれにせよ、本件最高裁判決は、二審判決(および一審判決)に比較すると、簡単に広範な裁量権を認め、支出の公益性を認めている。損害賠償の要否は別の問題として、公益性については多少とも詳細に、個々の側面に即しての判断が可能ではなかったか。

  本件最高裁判決は、第三セクターに対する地方公共団体の補助金支出について、一応の基準を示したものと言えるが、公益性の有無の判断が簡単に済まされている感は否めず、補助金の支出に係る裁量に対する統制、さらには第三セクターの処理を含めた地方財政全体のコントロールという観点から、妥当性に疑問が残る。その意味において、反対意見のほうを妥当と解したい。

 

あとがき)この論文は、 月刊誌である法令解説資料総覧第290号(2006年3月号)に掲載されたものです。雑誌掲載時は縦書きでした。 なお、今回は、原稿をそのままの形で掲載したので、雑誌に掲載されたものと異なる部分があるかもしれません。

 

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