地方自治の新たな動き
―地方分権および広域行政を中心に―
{宮崎県市町村職員一般研修(平成13年度第2回職員一般研修)}
[平成13年9月3日]
T.はじめに
U.地方分権
1.地方分権推進委員会最終報告など
2.地方税財政における新たな動き
3.住民の意思を汲み上げていく試み
V.広域行政―市町村合併を中心に―
1.地方分権推進委員会および総務省が示す方向性
2.実際の動き―最近の若干の例―
3.市町村合併の問題点
W.おわりに
T.はじめに
この度、宮崎県市町村振興協会から御依頼を受け、宮崎県内各市町村に勤務する中堅職員の皆様方を前にして「地方自治の新たな動き」という主題の下にお話をさせていただくことになった。隣接する大分県に居住する一介の大学講師にすぎない私が、このような形で皆様を前にお話をさせていただく機会を与えられたことは、非常に光栄である。
御依頼の趣旨は、「地方分権の流れの中での先進的な取り組みや、広域行政(合併を含む)の展開を踏まえていただき、『自分たちの住む地域をいかに作りあげていくか』ということを御教示いただきたい」、そして「今後の展開や行政への提言を含めた御講義」ということである。
1990年代に始まった地方分権改革は、1999(平成11)年に制定され、翌年に施行された地方分権一括法により、一通りの形を整え、2001(平成13)年6月14日付の地方分権推進委員会最終報告によって、一応は終了したと言いうる。しかし、同委員会委員の西尾勝教授が「未完の改革」と表現され、最終報告においても「第1次分権改革」、あるいは「今次の分権改革の成果は、これを登山にたとえれば、まだようやくベース・キャンプを設営した段階に到達したにすぎない」と表現されているように(1)、少なくとも国のレヴェルにおいては、地方分権推進委員会が7月2日をもって解散し、翌日から地方分権改革推進会議が活動を開始したことによって「第2次分権改革」の段階に入ったということになる。その期間は2004(平成16)年7月2日までとされ、地方分権推進委員会から引き継がれた諸課題に取り組むことになる。
他方、地方自治体の側からも、地方分権の動きに呼応するかのように様々な取り組みが示されている。それは、危機的な財政事情の改善に向けた試みであり、あるいは行政に対する住民の評価を積極的に取り込む試みであり、あるいは住民参加の機会を保障する試みである。
勿論、「地方自治の新たな動き」と言っても、3時間半という限られた時間内であらゆる動きを捉えることは不可能である。また、私自身の能力をもって、どの程度まで皆様のお役に立ちうるお話をすることができるのかということについて、それほど自信を持っている訳ではない。九州に限らず、日本全国において様々な動きが存在する。これらの全てを追うことは、かなり難しいことであり、虻蜂取らずになるおそれも否定できない。しかし、公正かつ透明な行政活動、住民の目から見て理解しやすい行政こそが、地域住民に求められている訳であり、こうした点から「自分たちの住む地域をいかに作りあげていくか」を考えていくことができるであろう。今回は、その若干の例を取り上げて、行政に何が求められるのかを考察したいと思う。
また、「第1次分権改革」ではほとんど解決されていないと評価しうるものとして、地方税財政制度があげられる。このところの法定外普通税・法定外目的税の新設に向けた動きには、目を見張るものがある。そこで、この動きの代表例を取り上げ、地方税財政制度の再検討も試みたいと考えている。
また、今回は、前述のように「広域行政の展開を踏まえ」つつお話をさせていただくのであるが、昨今、市町村合併に向けた動きが全国各地において見られることに鑑みて、市町村合併を中心とさせていただくこととした。
政府は、市町村合併特例法の改正以来、政府は市町村合併の大きな波を作り、総務大臣を本部長とする市町村合併支援本部を設置するなど、強力に推進する構えを見せている。地方分権推進委員会も、直接的には政府に対し、市町村合併の推進を求めている(2)。これまで、広域連合や一部事務組合などによって広域行政が展開されていたが、市町村合併は広域行政の最終目標というべきものとして捉えられており、大分県、佐賀県、静岡県など各都道府県の取り組みも昨年以来活発化している。これは、或る意味において市町村のraison d’etre(存在理由)を問い直すことでもある。また、将来的には道州制(これに対して私は消極的な立場をとっている)の導入に向かうかもしれない。こうした状況を考えるならば、市町村合併を中心として取り扱い、今後の市町村のあるべき姿を検討することが必要と思われる。
U.地方分権
1.地方分権推進委員会最終報告など
地方分権の意義、地方分権改革の経緯については、実に多くの文献があり、この経緯を詳細に述べるだけでも相当の時間を要するため、ここでは、地方分権推進委員会が今年6月14日に示した最終報告を中心として取り上げ、その他のことについては折に触れて該当箇所において述べることとする。
この委員会は、地方分権推進法に基づいて平成7年7月3日に設置された。本来、平成12年7月2日に任期を終了する予定であったが、同法の延長に伴い、今年の7月2日まで存続した。この間、中間報告、5次にわたる勧告、数回の意見を公表し、地方分権推進のための権限委譲や機関委任事務の廃止などに取り組んできた。これらは政府の地方分権推進計画(これも2次にわたる)に取り入れられ、地方分権推進一括法による多くの法律の改正につながった。 最終報告は、地方分権推進委員会が改革に取り組んできた成果とその反省を内容としている。同委員会は、「従来の中央官庁主導の縦割りの画一行政システムを住民主導の個性的で総合的な行政システムに切り替えること」などを基本目標とし、「国・都道府県及び市区町村相互の関係を従来の上下・主従の関係から新たな対等・協力の関係に変えていくこと、さらにこれをとおして地域社会の自己決定・自己責任の自由の領域を徐々に拡大していくこと」を目指したとしている。市町村合併の推進状況をみていると、これが果してどの程度まで現実化しているのか、大いに疑問であるが、それは、同委員会も述べるように「調査審議事項の範囲が地方公共団体の総意として提出された改革要望事項に限定されがちであったこと、勧告事項が関係省庁と合意に達した事項に限られたこと、グループ・ヒアリングの場での実質的な意見交換に関する情報が非公開とされたこと」に由来するのかもしれない。また、同委員会の諸勧告などを概観すると、地方自治のうち、団体自治に関してはそれなりの成果がみられると考えられるが、住民自治に関してはほとんどと言ってよいほど触れられていない。 そして、地方分権推進委員会は、自らも認めるように、地方税財政制度の抜本的な見直しを残したまま解散した。後に述べるように、一定の成果はあった。しかし、国税と地方税との間の税源配分について抜本的な見直しは行われておらず、既存の税目を含め、超過課税などについて基本的な原則を示したままにすぎない(3)。また、以前から問題とされている国庫補助負担金についても、改善が進んでいないことを示す結果となっている。地方交付税制度についても同様である。 そして、最終報告は、地方自治体関係者および住民に対する「訴え」を5点あげている。それは「自治能力」の実証、自己決定および自己責任の原則を貫徹することに伴う「痛み」の受忍、国の財政危機に伴う構造改革の進展、「男女共同参画社会の実現に向けた更なる自覚的な努力」、そして、とくに地域住民に対して「地方公共団体の政策決定過程に積極的に参画し自分たちの意向を的確に反映させようとする主体的な姿勢」である。2.地方税財政における新たな動き(4)
地方分権改革は、地方公共団体が最も強く求めてきた財源の拡充ないし地方財政の強化という面において十分な成果を収めることができず、むしろ失望に迎えられた。しかし、2000年に入ってから、東京都による外形標準課税の導入以来、独自の租税を導入しようとする動きが多く見られる。
東京都が提起した最大の問題は、一般的に外形標準課税の導入の是非として捉えられることが多い。たしかに、法人事業税における外形標準課税の導入は、シャウプ勧告以来の課題でもあり、地方分権推進委員会も導入に向けた積極的な議論を続けていた。しかし、実は、もう一つの問題を忘れてはならない。地方公共団体の課税自主権の問題である。これは、日本の地方税財政制度の構造的問題である。これに対し、東京都の外形標準課税導入に対して、政府関係はもとより、地方公共団体側からも全国一律の導入を求める声が強い。このことは、外形標準課税の導入の是非はともあれ、いまだ地方分権的思考が根付いていないことの一つの証左となっている。
そこで、本稿においては、日本における地方税財政制度の現状を検討し、地方分権時代における税財政政策の可能性を追及することとしたい。
(1)政府間関係を決定づける財政調整制度
財政調整制度は、政府間関係を税財政制度の観点から捉えるときに現われる問題であり、地方税財政のみならず、地方自治全体を考察する際の一つのキー・ワードとなる。しかし、この概念は不明確なものである。まず、日本においては、地方交付税制度が財政調整制度に該当するという共通理解がある。しかし、地方財政法第10条以下および同第17条に規定される国庫支出金が財政調整制度に含まれるのかという点について見解が分かれており、その他の点についても不明確なままなのである。 概念の不明確性という事情は、この言葉が初めて学問的に用いられたドイツにおいても同様であるが、ドイツ連邦共和国基本法の規定の構造もあって、日本においてよりは明確である。まず、対象高権である。これは、国家権力が租税などの公課により把握しうる対象(所得や飲食物など)または法的事件(物品輸出入など)に対して有する高権を指す。従って、対象高権は、公課(とくに租税)に関する立法権限を意味する(立法権限という言葉が用いられるほうが多い)。基本法第105条が、連邦、州それぞれの対象高権を規定する。
これに対し、収入高権とは、公課が連邦と構成国のいずれにより課されるかに関係なく、公課の収入が一国家財政の利益となる場合に、その公課対象(Abgabeobjekt)について国家権力が有する高権のことをいう。基本法第106条、第106a条、第107条が基本原則を定めている。
地方交付税制度は、地方公共団体の財源を保障するとともに、地方公共団体間に見られる財政力の格差を是正する役割を有する。そのことから、「政府間関係」の中核的な存在である。
しかし、本来的には、税財政関係における「政府間関係」を憲法または法律によって規律する場合、第一に問題となるのは税源配分であり、地方交付税や国庫支出金は第二の問題であるはずである。
なお、ここで忘れてはならないのは、財政調整の最終的な決定権は常に中央に留保されているということである。元来、財政調整は、中央政府が地方政府の対象高権を剥奪し、その結果として、本来であれば地方政府が得るべき利益を失ったことに対する、地方政府に対する一種の補償を意味した。
日本国憲法は、第92条ないし第95条において地方自治に関する規定を置くが、これらの規定には、地方公共団体(都道府県および市町村)の税財政制度の基本的枠組みに関する内容は含まれていない。第92条は、地方公共団体の税財政制度の基本的枠組みは「法律でこれを定める」。しかし、この規定からでは、地方税財政制度が中央集権的なものとなるか地方分権的なものになるか、必ずしも明らかでなく、地方自治法、地方財政法、地方税法、地方交付税法などに委ねられざるをえない。
地方税財政制度の設計は、最終的に国(国会)の決定事項となる。日本国憲法の場合、その要素が非常に強いと思われる。
(2)地方分権改革の動向と税財政制度@地方税制度
まず、「国庫補助負担金・税財源に関する中間とりまとめ」(平成8年12月20日)および「第二次勧告」(平成9年7月8日)が、「地方税財源の充実確保」を提言しており、総理府(当時)の「地方分権推進計画」(平成10年5月)も同様である。一般論としては、他の項目に比べて非常に抽象的である。しかし、基本的な方向性は示されている。
第一に、「地方公共団体の財政面における自己決定権と自己責任をより拡充する」こと、「住民の受益と負担との役割分担」、そして「税源の偏在性が少なく、税収の安定性を備えた地方税体系の構築」が示されている。しかし、現行の地方税法に規定される税目を見直す旨の記述はない。
第二に、事業税の外形標準課税化を提唱している。しかし、これは地方税法の改正に至っていない。
第三に、法定外普通税についての自治大臣(現在は総務大臣)による許可の制度(都道府県の法定外普通税について地方税法第259条、市町村の法定外普通税について同第669条以下)を、国の同意を要する事前協議制度とすることを提唱している。この際、「税源の所在及び財政需要の有無については、事前協議の際の協議事項から除外」される。但し、第260条および第670条に規定される、総務大臣から大蔵大臣(現在は財務大臣)への通知、および財務大臣の異議の申し出は、従前通り存続する。
現在、法定外普通税としては、核燃料税、核燃料物質等取扱税、石油価格調整税(以上、道府県税)、砂利採取税および別荘等所有税(以上、市町村税)がある。しかし、地方公共団体の税収入総額に占める割合が低く、これまで、課税の公平性、徴税コストの高さ、課税客体の把握の困難性などの理由により廃止された例が多い。また、今後、法定外普通税が地方公共団体の財政力の強化に資するか否かについて、疑問が残る。
第四に、「法定外目的税については、住民の受益と負担の関係が明確になり、また、課税の選択の幅を広げることにもつながるから、その創設を図る。その場合、国と事前協議を行うこととし、法定外普通税と同様、国との同意を要することとする」(地方分権推進計画。第二次勧告もほぼ同様)。これは、地方税法第4条に第6項が、および第5条に第7項が追加され、第731条ないし第733条の27も追加されることによって実現した。しかし、実際に法定外目的税の課税対象となりうるものがどの程度存在するのか、今後、法定外普通税と同様に、法定外目的税が地方公共団体の財政力の強化に資するか否かについて、多大な疑問を残さざるをえない。
また、法定外目的税の実現可能性についても、無視できない問題が残る。
地方税法第731条は、地方公共団体に法定外目的税の課税を認めた上で、新設または変更に際して自治大臣との事前協議をし、同意を得なければならない旨を定める。その上で、第732条によれば、総務大臣は、協議の申し出を受けた場合には財務大臣に通知する義務を負い、財務大臣は総務大臣に異議を申し出ることができる。この大蔵大臣の異議について、具体的な事由などは規定されておらず、内容などについて制約を受けないものと解される。また、実際には、財務大臣が異議を「申し出る」場合に、法定外目的税の新設(または変更)は認められないこととなる。
さらに、第733条に定められる総務大臣の同意が関門となる。原則として「同意しなければならない」とされているものの、各号に掲げられている不同意事由を見る限り、法定外目的税の余地は少ないものと解される。しかも、これらの不同意事由は、自治大臣側の裁量を広範囲に認めたものと考えられる。
第1号:「国税又は他の地方税と課税標準を同じくし、かつ、住民の負担が著しく過重となる」場合
第2号:「地方団体間における物の流通に重大な障害を与える」場合
第3号:「国の経済施策に照らして適当でない」場合→「経済施策」?
ここで、私は、法定外目的税の必要性などについて疑問を呈示しておきたい。
まず、応益原則あるいは受益者負担論に対する疑問である。目的税そのものは、特定の支出目的のために課されるというところにメルクマールがあり、応益原則あるいは受益者負担論に直ちに結びつくものではない。
次に、目的税が財政の硬直化を招きやすいということである。支出目的の限定は、その仕方によっては税目の存在を稀薄化させ、時代の需要に適応しなくなるおそれもある。また、地方公共団体の議会の予算審議権・議決権を制約することにもなり、民主主義の観点からしても望ましいものではない。
第五に、「標準税率を採用しない場合における国への事前の届出等については、課税自主権の尊重の観点から廃止する」(第二次勧告。地方分権推進計画以前に実施済み)、「制限税率は、総合的な税負担の適正化を図るためにも、その全面的な廃止は適当ではないが、個人市町村民税については、住民自らが負担を決定する性格が強いこと、個人道府県民税には制限税率がないこととの均衡等を考慮し、その制限税率を廃止する」(同)としている。
しかし、標準税率を採用しない場合、地方債に影響が出る。
改正前の地方財政法第5条第1項第5号は、道府県たばこ税・市町村たばこ税、鉱区税、狩猟者登録税、特別土地保有税および法定外普通税などを除く普通税の税率が「いずれも標準税率以上で」ない地方公共団体は「地方債をもつてその財源とすることができ」ないとされていた。これに対し、改正後の地方財政法第5条の4は、上記普通税の「税率のいずれかが標準税率未満である」地方公共団体につき、地方債を起こすには「自治大臣又は都道府県知事の許可を受けなければならない」と定める(協議は不要とされる)。これを含めて少なからぬ場合に許可制度が残されている。また、改正後の地方財政法第5条の3は、原則として総務大臣または都道府県知事との事前協議制度を定める。
第六に、地方自治法第74条第1項が改正されていない。或る意味において、今回の地方分権改革の性格が良く現われていると言える(なお、平成10年改正後の地方税法第350条第2項を参照)。
A地方交付税制度
中間報告においては、財政調整としての機能の維持、さらに「地方交付税制度の運用のあり方については、地域の実情に即した地方公共団体の自主的・主体的な財政運営に資する方向で、見直し検討する必要がある」とされていた。そして、第二次勧告においては、地方交付税の算定方法に関して「実施事業量に応じた動態的な算定方法」の活用、および、全体的な算定方法の簡素化が提唱されている。
ここでいう簡素化であるが、「普通交付税の基準財政需要額については、測定単位として用いることが可能な信頼度の高い客観的な統計数値が存するものは、補正係数を用いて算定している財政需要を極力、法律で定める単位費用として算定するとともに、特別交付税についても、できる限り簡明な方法により財政需要を算定していく」とされている。
また、地方交付税の算定については「地方公共団体の意見をより的確に反映するとともに、その過程をより明らかにするため、地方公共団体は地方交付税の算定方法について意見を申し出ることができることとする」などの法律的制度の設置などが提唱されている。
これを受け、第1次地方分権推進計画は、地方交付税の算定方法に関する地方公共団体による意見の申出について「自治大臣は、地方財政審議会に地方交付税に関する事項を付議するに際して当該意見を付すること等の法令に基づく制度を設けること」などを定めている。地方交付税の算定については、地方公共団体の自主的な財政再建や行政改革に向けての努力、さらに市町村合併の取り組みが考慮されるということになる。
B国庫補助負担金
中間報告においては、基本的に縮減などの方向で見直すこと、また、統合・メニュー化、交付金化を進めること、補助条件などを緩和すること、補助対象資産の有効活用や転用を図ることが提唱されており、中間とりまとめにおいては、国庫補助負担金の一般財源化(およびそのための一般財源の確保)が示されていた。これを受ける形で、地方分権推進計画においては、基本的には地方公共団体の全額負担を原則として(法定受託事務などについては例外がある)、整理合理化、存続させる場合の運用および関与の改革、地方一般財源の充実確保の三つを柱として見直すことが主張されている。しかし、地方一般財源の充実確保については、具体性に乏しい。次に、整理合理化であるが、廃止・縮減、スクラップ・アンド・ビルド、対象の限定(「生活保護や義務教育等の真に国が義務的に負担を行うべきと考えられる分野」)、経常的国庫負担金の確実な負担、などが示されている。また、存続させる場合の運用および関与の改革については、事前手続の簡素化、交付決定の迅速化・弾力化、二重手続の廃止などの簡素化などが提唱されている。既に措置済みのものも多かったが、手続の簡素化などについて具体的なことには触れられていない。
国庫補助負担金については、おそらく、地方公共団体によって考え方を異にするのではないかと思われる。大分県臼杵市長の後藤國利氏は、「現在の国の補助金制度は、国が口出しをする部分が大きく、自治体の主体性を奪っている。これをやめ、地方交付税に一本化すべきだ」という意見を述べている(5)。しかし、地方公共団体によっては、国庫補助負担金の完全廃止に反対する所もあると思われる。
C地方債
地方自治法施行令旧第174条は、「自治大臣及び大蔵大臣の定めるところにより、当分の間、自治大臣の許可を受けなければならない」と定めていた。これに対し、中間報告は「地方債の円滑な発行を確保するとともに、地方公共団体の自主的・主体的な財政運営に資する観点から」見直すという方向を示し、第二次勧告は、許可制度を廃止して原則として事前協議とし、既に述べた例外的な許可制度も存続させるとしている。また、この事前協議において国(または都道府県)の合意を得られなかったとしても、議会に報告することにより地方債を発行しうるようにする。
これを受け、第1次地方分権計画は、事前協議の同意が得られた地方債について公的資金を充当すること、地方債計画を法的に位置づけること、などとしている。これが地方財政法第5条以下の改正につながり、地方財政法第5条の3において、総務大臣または都道府県知事との事前協議とされるに至った。この場合、自治大臣または都道府県知事の同意は公的資金の借り入れ要件であり、起債に際しての絶対的な要件ではない。同意が得られなかった場合であっても、その旨を議会に報告することにより、起債することが認められる(第5項)。
(3)地方税制度の再検討
東京都の外形標準課税導入を一つの契機として、地方公共団体の中には独自の租税を導入しようとする動きがみられる。@東京都の外形標準課税
2000年2月16日付で、東京都主税局は「銀行業等」の「業務粗利益等」を課税標準とすることなどを内容とした「東京都における銀行業等に対する事業税の課税標準等の特例に関する条例」案をまとめた。この条例案は、東京都知事により、同月23日、平成12年第1回東京都議会定例会に提出され、都議会における審議の結果、3月30日に可決、成立し、4月1日より施行された。
これがきっかけとなったのであろうか、地方分権一括法の施行以来、多くの地方自治体が自主財源の確保を目指す動きを見せている。大阪府は、東京都と同様の外形標準課税を導入することを決定し、既に条例を施行している。これは法定外普通税または法定外目的税の導入ではないが、その他の多くがこれらのいずれかの導入を目指している。例えば、三重県は「産業廃棄物埋立税」の導入を検討していた。この税を導入する条例は、6月29日に三重県議会で可決・成立した。また、兵庫県が自動車関係の「グリーン税」(環境税と思われる)の導入を検討しており、東京都港区は「たばこ自動販売機設置税」の導入計画を公表した(しかし、後に断念されている)(6)。
法定外普通税および法定外目的税については、横浜市の勝馬投票券発売税、山梨県河口湖町の遊漁税、そして太宰府市の観光環境税構想をとりあげて、若干の検討を試みる(なお、法定外普通税および目的税については、国際課税の理論も参考とされるべきであるという意見も出されている)。
その前に、ここで、東京都が導入した外形標準課税の問題を改めて取り上げる。
今回、都道府県で(目下唯一の)地方交付税不交付団体であり、財政危機にある東京都が提起した最大の問題は、外形標準課税の導入の是非ではなく、地方公共団体の課税自主権の問題であり、日本の地方税財政制度の構造的問題である。しかし、そうであるとしても外形標準課税には問題が多い。
東京都の場合(大阪府も同様である)、対象が「銀行業等」に限定されており、憲法第14条に反するのではないかという問題、地方税法第72条の19にいう「事業の情況」の解釈(この規定によれば「事業の情況に応じ」て、資本金額、売上金額などを課税標準とすることができる)に関する問題などがある。また、一般的に、外形標準課税によれば赤字法人(事業者)にも課税されることから、租税負担が増大し、事業の継続が困難になるおそれもある。世界的にも、むしろ衰退する傾向にある。この課税方式を採用した場合、あらゆる産業の経営状況を圧迫し、ひいてはその負担が結局のところ消費者に転嫁されることになろう(消費税で証明されている)。また、外形標準課税の導入にあたっては、中小企業(事業者)への配慮(免税制度、課税最低限の設定、最低税額の設定ないし複数税率の設定など)が検討されることになると思われるが、このことには矛盾が潜んでいる。日本の地方公共団体には、産業の育成を政策目標として掲げるところが少なくない。そうであるならば、産業の育成に役立たない外形標準課税を導入すべきではない。地方公共団体の財政担当者には、財政収入の確保ばかり考えるのではなく、産業、さらに経済全体の状況を概観して財政運営を進める能力が求められる。経済的資源は有限である。このことを自覚して、事柄を効率良く進めなければならない。地方分権に関していかなる立場を採ろうとも、経済的資源の有限性と効率的な運用が常に念頭におかれなければならない。
次に、法定外普通税として初めて成立し、総務大臣との協議に至った横浜市の勝馬投票券発売税の問題を取り上げたい。
この税は、課税客体を横浜市内に存在する2箇所の場外馬券売場における勝馬投票券の発売とし、納税義務者を日本中央競馬会に限定している。
課税標準であるが、次のように計算される。
課税標準:X=A−(BY+CY+DY)
A=横浜市内における勝馬投票券の発売額
B=勝馬投票券払戻金
C=第1国庫納付金
D=特別給付基金
Y=市内の販売割合(0≦Y≦1)
しかし、勝馬投票券発売税は、日本中央競馬会、そしてその所轄官庁である農林水産省からの反対を受け、結局、総務大臣は不同意とした。
まず、納税義務者が日本中央競馬会のみとされている点については、同会が公益法人であり、法人税および事業税が課されていないことから考えておかしいとされる。法人税の二重課税の対象となるのではないかという批判、公共法人のサービスが横浜市住民の生活向上などを図るものでないとするならば、日本中央競馬会のみを納税義務者とすることはおかしいという批判もなされている。
また、課税標準に第1国庫負担金が入れられていることから、この税が導入されることによって第2国庫納付金が減少することとなる。
なお、8月に入って再び協議に入ることとなった。
この新税に対しては、国際租税法的な立場の反対論もある。これについては、さらに詳細を検討し、その反対論の是非を検討したい。
次に、河口湖町の遊漁税である。この税の課税客体は河口湖での遊漁行為とされ、納税義務者は遊漁行為を行う者とされる(特別徴収の方法による)。そして、課税標準は遊漁者数とされている。
この税も、厳密にいうならば地方消費税との二重課税となるが、課税標準を遊漁者数としているので、地方消費税などとの重複課税が回避されている。
そして、太宰府市の観光環境税(仮称)構想をあげておく。これはまだ具体的なものといえないが、太宰府市は、法定外普通税として、次のようなものを考えているようである。
課税客体は、観光用有料一時駐車場の利用行為とする(月極駐車場や無料駐車場は対象外)。
納税義務者は、上記駐車場の利用者とする。この場合、駐車場の経営者や管理人を特別徴収義務者とし、申告納付とする。
課税標準は、上記駐車場の利用料金とする(上乗せ課税となる。税率などは未定)。
法定外普通税の収入は基準財政収入額に算入されないため、地方交付税の減額はないことなどから、観光都市としての環境を保全するため、導入すると説明されている。
課題であるが、太宰府市は、税負担の公平性が確保されるのか(無人有料駐車場、コイン式駐車場をどうするか。大宰府政庁跡および観世音寺の駐車場、年始に開放している小学校・中学校校庭や市役所駐車場はどうか、など)、違法駐車対策をどのように進めるのか、などをあげている。
C地方交付税制度の再検討
2000年10月25日の地方制度調査会「地方分権時代の住民自治制度のあり方及び地方税財源の充実確保に関する答申」は、地方税の拡充に努めることを第一義としながらも、「税源の偏在による財政力の格差を是正するとともに、地方行政の計画的な運営を保障し、地方公共団体が法令等に基づき実施する一定水準の行政を確保するため、地方交付税の所要額を確保することが必要である」としている(これ自体は当然のことである)。また、2000年度から設けられている意見提出制度(地方交付税法による)の趣旨の周知徹底を協調する。
一方、地方交付税の算定については、地方公共団体の意見をより的確に反映するとともに、その過程をより明らかにするために、平成12年度から地方交付税法に基づく意見提出制度が設けられたところであるが、同制度の趣旨の周知徹底に努め、地方公共団体の積極的な活用を促すとともに、その円滑な実施を図るべきである。 基準財政需要額については、「合理的かつ妥当な行政水準の確保のためあるべき標準的な財政需要を測定するものであり、常にその算定のあり方を点検するとともに、地方分権の時代にふさわしい簡素で効率的な行政システムの確立、行財政運営の効率化・合理化の要請を的確に反映させる観点から、算定の一層の合理化を図るべきである」としている。そして、「地方の固有財源である地方交付税の性格を明確にするため、国の一般会計を通すことなく、国税収納金整理資金から、直接、交付税及び譲与税配付金特別会計に繰り入れるようにすべきである」と述べている。
D補助金制度などの再検討2000(平成12)10月25日の地方制度調査会「地方分権時代の住民自治制度のあり方及び地方税財源の充実確保に関する答申」は、「地方の自己責任に基づく自主的・効率的な行財政運営を確立するため、国庫負担金・国庫補助金の区分に応じて、真に必要なものに限定するという基本的な方針に沿って積極的に国庫補助負担金の整理合理化を進めることが必要である」と述べているが、具体的な方針は示していない。
国庫補助負担金の整理合理化(国庫補助金については原則として廃止、国庫負担金については限定または重点化)→地方税や地方交付税など、地方の一般財源に振り替えることを目的とする。しかし、実際には、地方分権推進委員会最終報告においても指摘されているように、整理合理化は遅々として進んでいない。
(2)大阪府の新行財政計画素案
8月3日の19時37分付で、朝日新聞社のホームページに、この日に大阪府が策定した新行財政計画の素案に関する記事が掲載されていた(7)。今年に入って、福岡県赤池町に対する財政再建団体の指定が解除されたとは言え、地方財政は今も苦しい状況にある。都道府県では、東京都、神奈川県、そして大阪府が財政危機宣言を出して久しいが、その中でも大阪府は最悪の状況にある。これがオリンピック招致失敗の理由にもなったのであるが、少なくとも部分的にはオリンピック招致のための大型公共事業を矢継ぎ早に進めたことが地方自治体の財政危機を拡大させたという構図は、基本的な側面において他にも共通する部分である。しかし、いわば尻拭いのための計画には、批判が絶えないかもしれない。
内容は、@一般行政職員を約3000人減らし、人口10万人あたりの職員数を全国最小とすること、A企業局を廃止したり公共事業費を1割削減するなどして、新たな大規模プロジェクトと訣別すること、この二つを主なものとしている。
@については、「事務事業の見直しや出先機関の再編に加え、試験研究機関や府立大学などを『地方独立行政法人』として切り離すことで」2011年度までに「2割を削減する内容」で、「この結果、一般行政部門の職員は1万2500人に」し、国立大学と同様に独立行政法人とする(8)。また、「府の事業と関係が深い出資法人についても統廃合を積極的に進め、現在79の法人数を40程度に半減させるとともに、約5000人いる役職員の2割を削減。今後3年間で補助金など府からの財政支出を1割カットする。一方で、民間の社会福祉施設に対する補助金を順次廃止するほか、府立の特別養護老人ホームの民営化を進める」とのことである。こうしたことなどで来年度からの10年間に約3830億円を捻出し、さらに「職員宿舎の廃止や府営住宅の建て替えに伴う府有地の売却などで、約1620億円の歳入を確保する」という。しかし、これによって税収の好転は見込めないというのが本当のところである。地方「交付税などを差し引いた財源不足額の総額は約1兆1550億円に上る見込み」という。
(3)特別区の問題
東京都の特別区については、以前から、区長の公選制が任命制に改められ、再び公選制に改められるなどの経緯もあり(最大判昭和38年3月27日刑集17巻2号121頁も参照)、特別地方公共団体として憲法上の位置づけなどが問題となっている。とくに、地方税財政の側面においては、普通の市町村と比べても自主性が制約されており、固定資産税などについて問題とされていたようである。いずれにせよ、特別区制度について根本的な見直しが必要とされているのではなかろうか。しかし、政府(とくに総務省)および東京都において、特別区制度の見直しは課題となっていなかった。
しかし、東京都千代田区は、8月下旬になって、この特別区制度についての根本的な見直しを迫るものと考えられる基本構想をまとめた。特別区から普通地方公共団体としての市への変革を目指すというものである(9)。
この構想を実現するためには、地方自治法の改正が必要となる。特別区が市となることが予定されていないからである。しかし、千代田区の場合、固定資産税が高すぎるなどの理由で住民が離れていく傾向があり、何とか人口減に歯止めをかけたいという意向がある。同じような状態にある区として新宿区や中央区などがあり、千代田区の基本構想が他の区にも影響を与えることは必至であろう。
千代田区に居住する住民にとって、固定資産税の負担は相当に重い、高額で払えないために引っ越すという住民が後を絶たないようである。千代田区長の石川雅己氏も、「住み慣れた土地に住み続けたいという区民の要望に、区がこたえられないのはおかしい。中央や新宿など周辺の区も同じ悩みを抱えている。変革の時代だし、5年以内の実現も夢じゃない」と発言している。そうであるならば、固定資産税の減税が必要だということになるが、地方税法第734条第1項により、固定資産税と特別土地保有税(いずれも市町村税)は東京都が課税している(千代田区をはじめとする特別区は課税できない)。また、やはり地方税法の第735条第1項により、事業所税と都市計画税についても東京都が課税している(やはり、千代田区をはじめとする特別区は課税できない)。そこで、千代田区は、課税自主権を得るために市になろうという訳である。課税自主権を得ることができれば、千代田区は、固定資産税を科するための固定資産の評価を独自に行うことができ(勿論、地方税法の規定による制約はある)、税率についても、2.1%を超えなければ独自に決定することができる(地方税法第350条第1項。なお、標準税率は1.4%とされている)。
また、特別区の場合、下水道、消防事務についても、特別区自身ではなく、東京都が一括して行っている。千代田区が千代田市となるならば、こうした事務についても自らが行うことになる。千代田区は、上記基本構想において「『市』をめざし、より一層の自治権拡充をめざします」、「だれもが住みたいと思える魅力を持ち、首都東京の顔として存在感のある自治体をめざします」と述べているので、当然、市町村が担当する事務全てを行う予定を立てているはずである。
1966年に10万人を数えた千代田区の人口は、現在、4万人未満である。これを平成30年代には5万人にするという目標を立てている(ここでいう人口は夜間人口である)。
千代田区は、9月4日および5日に開催する説明会において、この構想を住民に示すこととしている。また、9月19日に開会する千代田区議会にも提出し、「区の長期計画の目玉として可決をめざす」。
しかし、克服しなければならない課題がある。一つは、既に記したとおり、地方自治法の改正を必要とすることである。総務省も東京都区政課も困惑の表情を隠していない。もう一つは、市となる要件である。千代田区の人口は4万人未満であるから、このままでは市になれない。町村の合併であれば、市町村合併特例法の適用があるために、3万人以上であれば市になることができるが、千代田区には適用できない。但し、方法がないという訳でもない。千代田区の場合、昼間人口(会社や役所に勤務している人々の数を含める)を考慮するという特例を設けるということも考えられる。もっとも、特例を多くするのも考え物である。もう一つの手は、やはり人口減少などで悩んでいる中央区などとの合併である。
ここで、再び、千代田区の場合の財政事情に戻る。千代田区の場合、固定資産税、区民税の法人分、特別土地保有税(いずれも、東京都が課税し、千代田区民、千代田区に事務所を構える法人が負担する)の総額は年間で約2600億円にのぼる。これに対し、東京都から千代田区に支払われる財政調整交付金は約22億円である。消防事業などの費用は東京都が負担するのであるが、このことを考慮に入れても受益と負担との差が極端に大きい。これが「区民の不満や人口流出につながっている」と指摘される。
3.住民の意思を汲み上げていく試み
地方分権と言っても、その底流には大きく分けて二つの方向がある。
既に幾人かの論者によって指摘され、私自身も「日本における地方分権に向けての小論」(10)という論文においても触れたことであるが、地方分権には二つの立場、すなわち、新自由主義的立場と住民自治的立場とがある。地方分権推進委員会の方向は、この両者のうち、前者の色彩が濃いのではないか。とにかく権限を国から都道府県なり政令指定都市なり中核市に移す。町村や小型の市に、それだけの権限をこなせる力はないので、まとめて大きくする。そして、効率の点などで競争をさせる。部分的には会社合併と似たような発想ではないであろうか。ここには、住民自治、住民の手による地域づくり、住民の主体性という観点がない。あるいは、そうした観点が存在するとしても、後にも登場する市町村合併に関する住民発議制度というように、特定の政策を進めるのに都合が良い一種の道具としてしか意味を与えられない。そのため、一般的な、あるいは他の特定の課題に関する住民投票制度は、議会制民主主義の否定であるなどの理由を付されて拒絶される。
私は、以前から、今回の地方分権改革に関して「単に、国の行政の合理化(およびそれによる実質的強化)と地方公共団体の任務(あるいは負担)の強化に終わる可能性も、否定できない」、「本来の地方自治を強化する(あるいは取り戻す)という立場からみるならば、決して手放しで歓迎できない面が少なからず存在する。すなわち、今回の改革により、中央への権限集中を回避することのみならず、地域住民の需要に機敏に反応し、しかも地域住民が積極的に参加しうる地方自治が実現ないし強化されるのか、という観点からは、問題が多いと言わざるをえない」、という見解を採ってきた(11)。
そのような中、住民自治的な立場から「自分たちの住む地域をいかに作りあげていくか」という課題に取り組んでいる例が存在する。とくに、地方分権改革に伴う「地方自治の新しい動き」を検討する際に、こうした例を取り上げ、検証することは、今後の地方自治が目指す方向を探るものとして意義がある。ここでは、若干の例を取り上げる。
(1)北海道ニセコ町のまちづくり基本条例
昨年の12月22日、北海道ニセコ町においてまちづくり基本条例が成立し、今年の4月から施行された。これについては、多くの紹介記事もあるので、ここでは簡略に概要を示し、意見を述べたい。
この条例は、町長の逢坂誠二氏のイニシアティヴによって制定されたようである(12)。しかも、この条例は、当初から、市長、町役場職員、そして住民代表が、対等の立場で協議するという形で進められ、草案が逢坂氏のホームページで随時公開されていた。このように、制定過程を透明化することにより、住民は勿論、外部からの意見をも積極的に取り入れようとしたのである。これは、既に住民参加(より精確には、住民参加の機会提供)を数多く試みてきたニセコ町であるからこそ制定可能な条例とも言うことができる。その意味では、野心的な試みと評価する論者も存在するであろう。しかし、私は、そのように考えていない。むしろ、憲法第92条にいう「地方自治の本旨」に立ち返ったものと評価しうる。また、後にも述べるが、度々主張される行政能力の意味を問う上においても、この条例は非常に重要な意義を持つものであり、或る意味においては、政府(地方分権推進委員会などを含む)に対するアンチテーゼとなっていることにも注目したい。
こうして出来上がった条例の基本姿勢は、条例前文の「まちづくりは、町民一人ひとりが自ら考え、行動することによる『自治』が基本です。わたしたち町民は「情報共有」の実践により、この自治が実現できることを学びました」という部分に示されている。さらに、逢坂氏はこの条例について、住民参加の限界を乗り越える具体的な手法を示したもの、そして「役所の仕事の基本原則みたいなものを明らかにしておく」ことを目指したものと述べている(第1条も参照)(13)。
条例の本文を参照すると、今後の地域づくり(まちづくり)、そして地方自治全般を考えるにあたって示唆に富むものとなっている。
第2章は「まちづくりの基本原則」と題され、第2条ないし第5条の規定が置かれる。ここには、住民参加が規定されていることは当然であるが、情報共有および説明責任という、情報公開の本来の趣旨が明確に定められている(第3章「情報共有の推進」は、それをさらに深めたものとなっている)。
最も注目に値するのは、第4章「まちづくりへの参加の推進」(第10条ないし第13条)および第5章「コミュニティ」(第14条ないし第16条)である。第10条第1項は「町民は、まちづくりの主体であり、まちづくりに参加する権利を有する」と規定しており(第13条も参照)、第11条は、未成年者であっても発達段階(条例では「年齢にふさわしい」となっている)に応じて「まちづくりに参加する権利を有する」と述べる。よく考えるならば、かような条例が存在せずとも、日本国憲法により、日本国民、そして地域住民は、まちづくりに参加する権利を保障されているはずである。しかし、実際の行政においては、住民がまちづくりへの参加権を有するかどうかということすら問題とされなかった。この条例によって、上記の参加権が(十分であるとは言い難いが)明らかにされた。時折、情報公開関連の裁判において、住民が有する具体的な情報公開請求権が「条例によって創設されるものであり、その範囲は当該地方公共団体の立法政策により確定されるものである」と主張される(判例もこの立場を採るようである)が、ニセコ町のこの条例について、かような主張は成立しえないと考えられる。そもそも、「創設」という表現自体にも若干の疑問が残るが、具体的な情報公開請求権や街づくりへの参加権の範囲の画定が、完全に地方公共団体の立法政策に委ねられるという趣旨であるならば、このような立論には根本的な疑問を抱かざるをえないからである(14)。
以下、この条例は、まちづくりの進め方に関する基本原則(第7章、第25条ないし第27条)、財政に関する基本原則(第8章、第28条ないし第33条)などを定め、まちづくりに限らず、ニセコ町の行政に関する基本条例とも評するべき内容となっている。
そして、もう一つ、この条例においては住民投票が一般的制度として位置づけられていることにも注目しなければならない。但し、第36条は「町は、ニセコ町にかかわる重要事項について、直接、町民の意思を確認するため、町民投票の制度を設けることができる」、第37条第1項は「町民投票に参加できる者の資格その他町民投票の実施に必要な事項は、それぞれの事案に応じ、別に条例で定める」、同第2項は「前項に定める条例に基づき町民投票を行うとき、町長は町民投票結果の取扱いをあらかじめ明らかにしなければならない」と定めるのみである。
上記のような条例が制定されたということと、実際の施行状況とは、完全に別個の問題である。その意味においては、今後の施行状況に注目しなければならない。
ここで、後に述べる市町村合併を少々先取りしつつ、行(財)政能力について記しておきたい。何故なら、「地方自治の新たな動き」を探り、「自分たちの住む地域をいかに作りあげていくか」を検討する際に、行(財)政能力に関する議論を無視することは許されないと考えられるからである。
小規模の市町村に行財政能力がないという趣旨が、度々、多くの論者によって主張される。例えば、市町村合併推進派の論客、小西砂千夫教授は、市町村合併の「真の目的」を「自治体の統治能力の確保」とし、「役場に町の将来像への構想を高めていく人材がいない。職員の能力以前に、あまりにも定型的なルーティン・ワークが多く、企画・政策に携わる職員が少ない」と指摘している(15)。さらに、小西教授は「役所が自己決定するには最低限の職員数が必要で」あり、「せめて人口1万人以下の町村は行政規模の拡大を図」らなければ「意思決定力は育ち得」ないと断言する(16)。
また、総務大臣の片山虎之助氏は、朝日新聞のインタヴューに対し、現在の3228市町村の規模や能力に格差がみられることを指摘し、「権限や税財源を委譲するにも、きちんとした仕事のできる能力が必要だ」、「どれだけの規模が必要か明確な基準はないが、福祉や都市計画を市町村で意思決定するには今の規模では小さすぎる」(17)、「合併をすれば長期的には財政は効率化される」などと述べている(18)。
片山氏の発言には、次のような前提がある。地方分権は、さしあたり、都道府県への権限委譲であるが、政令指定都市や中核市(その前の段階の特例市)にも多くの権限が委譲される。それだけに、地方分権は、十分な税財源の裏付けがないままに多くの権限が移される、すなわち、任務が増える地方公共団体の行政活動に、一層の効率性を求めることになる。
これに対し、逢坂氏は、ニセコ町の地方税収入が6億5千万円であるのに対して人件費のみで7億円を必要とすることを認めた上で「専門性をいかに発揮するかが課題となる。強調したいのは、合併だけが解決策でないことだ」と述べる。そして、行財政能力の一面である専門性について、まちづくり基本条例を引き合いに出しつつ、「専門職員がいなくても、人的なネットワークがあれば高度なこともできる。そうした専門性は合併すれば即、備わるというものではない」と述べる。さらに、市町村合併だけが選択肢ではなく、「(自分たちの町という)気持ちを壊さないように財政基盤、効率性、専門性の三つのポイントを確保する方法」を探っていくべきであること、市町村合併については国や都道府県が市町村合併について具体的なシミュレーションを作る必要性を指摘している(19)。
私も、逢坂氏の主張に同意したい。そもそも、行政能力とは「法を事実に適用、調和させていくこと」であり「法を現場に適用していく」こと、「法律の趣旨が生きていくように適用していく」ことである(20)。その意味において、行政能力の有無は市町村の規模と無関係である。少なくとも、理念的には、大都市だから行政能力が高いとか、人口に応じて行政能力の高低が決定される、ということにはならない。このことは、ニセコ町のまちづくり基本条例制定などをみれば理解しうる(21)。予算がなければ行政活動ができないという主張は、一般的には正当であると思われる。しかし、これを過度に強調することは、これまでの公共事業偏重主義に由来するものであり、問題が残る。 従って、小規模の市町村に行財政能力がないと言われるが、そのために合併する必要があるというのは、短絡的な思考にすぎない。あるいは、論点のすり替えでしかない。たしかに、小規模の市町村の財政規模は小さく、国民健康保険制度や介護保険制度の運営を中心に、苦しい経営を迫られている。しかし、本来、市町村は基礎的な地方公共団体であり、住民と最も密接に関係するものである。財政能力がないと言われることの根本的原因は、自主財源が少ないことにある。憲法において地方自治が保障されているにもかかわらず、これまで、財源を含め、市町村の自治が十分に保障されてきたとは言い難い部分もある。地方税制度の抜本的な見直しがなされないまま、市町村合併の口実にされるのであるから、議論が逆転していると思われる。また、国民健康保険制度や介護保険制度などについては、本来ならば国が運営すべきものであり、そもそも保険制度を市町村が運営すること自体に無理があるという指摘もなされている(22)。かような諸制度に対する根本的な見直しがなされないままに市町村合併を進めた場合、短期的にはともあれ、長期的な視点かすれば、地方自治体の行政能力の向上につながるとも思われず、ましてや、地方自治体の財政事情を改善させるものと考えることもできない。(2)大分県大山町の行政評価制度
大分県大山町は、今年8月1日の時点において人口4040人という小規模の地方自治体であり、大分県が示した市町村合併推進要綱においては、他の日田郡町村とともに日田市と合併するという案(中核となるのは日田市とされているので、実質的には吸収合併である)が示されている。しかし、一村一品運動の発祥の地として有名であり、自立自助によるまちづくりを目指し、様々な試みを行っている。最近においては、町議会の模様を有線テレビによって住民にも公開している。そして、今年の6月からは「行政サービス評価制度」を開始した。これは、現在のところ、町政全般に住民の意見を反映させるという制度ではないが、行政サービスに住民の意見を反映させること、より具体的には、大山町職員の勤務態度などの評価・改善を目的としており、注目に値するものである(惜しむらくは、せっかくのこの試みが大山町役場のホームページにおいて示されていない)。調査項目は、職員の勤務態度に関するものであり、あいさつ、言葉遣い、身だしなみ、態度、説明(わかりやすさのことと思われる)、および説明に要した時間の6つについて、年に2回(6月および12月)、住民に対して質問をするという形で実施する。これらのそれぞれを「満足」、「不満」、「大変不満」などの5段階で評価する。平均点が3点以下の場合、改善を要すると評価される。
この制度に基づいて、大山町は、6月に最初の調査を行った。有効回答数や回答率は不明であるが、41人が回答し、結果が8月29日に公表された(23)。
それによると、上記6項目のうち、身だしなみを除く5つにおいて「満足」が5割以上という評価であった(職員の身だしなみについて「満足」というの評価が少なかった点には少々引っかかるが、具体的にどういうことなのかはわからない)。しかし、あいさつについて「不満」と「大変不満」とを合わせると14%になったという。また、「手が足りないとき、他の課の職員がすぐ手助けにきた」、「以前より対応が早くなった」など、好意的なものが多かったようであるが、「日田市のように、最初に来たらすぐ声をかけてほしい」という意見(24)もあった。
この調査結果が実際にどのように行政(職員の勤務)に反映されるのかということが、「行政サービス評価制度」における一つのキーポイントである。大山町は、8月30日に行政改革研究会なるものを発足させ、この調査結果の分析、システム上の課題、さらに職員の意識向上や行政運営の課題などを検討するという。また、行政改革研究会が、全職員を対象にして応対の研修会を行ったとのことである。
(3)埼玉県志木市での「市民委員会」設置への動き
朝日新聞埼玉版に、8月9日付で「志木市 200人規模の『市民委』設置」という記事が掲載されていた(25)。これはまだ計画の段階であるが、同市の穂坂邦夫市長が「市民参加型の行政」を選挙公約としていただけに、実現の可能性も高い。予定通りであれば、来年から施行される。メンバーは公募によることを原則とし、200人から250人を予定している。学識経験者の推薦は残すものの、市議会議員や市職員は除外される。
設置の目的は「市政のビジョンや施策を市民に直接提案してもらう」ことである〔本来、こうしたことは議会が行うべきことであるが、かような「市民委員会」(現段階では仮称)を設置するという動きがあること自体、議会は期待されていないということなのであろうか〕。このためであろうか、この「市民委員会」には、市の組織や懸案事項に対応する形で、企画、財政、福祉などの分科会を設ける。
市長は、この「市民委員会」について「新たなパートナーシップの契約」と表現し、「直接民主主義の試行」と位置づけている。また、同市企画課のコメントは「現在の各種審議会や議会などと整合性を図る必要があるが、より市民に密接な組織づくりは時代の要請でしょう」というものである。
このような組織ができることは、住民の意識が高いということを意味するが、そればかりでなく、その市町村の職員の意識も高いということを意味するのではなかろうか。
しかし、課題もある(26)。分科会が市役所の課などに対応して設けられるとのことなので、実際には、一つの分科会に20人あるいはその前後(プラスマイナス10人以内)の数となると思われるが、分科会が多すぎると、運営の上で支障が出るのではなかろうか。費用負担の問題なども出るかもしれないし、それ以上に、細切れの意思決定にならないか、などの問題があると考えられる。問題によっては、分科会同士の調整が必要となる。分科会も縦割りだという批判があるかもしれない(これはやむをえないと思われるが)。
また、分科会が設けられるということからすれば、当然、全体会が設けられるものと思われるが、その場合の人数が200人であれば、問題意識の共有や十分な議論という点では疑問が生ずる。それはともあれ、具体的な市政を決定するための市民委員会であるから、市民委員会全体で議論する場合の方法が問題となるであろう。200人から250人が一同に会して議論をするのであれば、効率よく、しかも委員がなるべく十二分に議論を行えるようにしなければならなくなる。
さらに、このような住民参加型の行政を進める場合に最も重要なことは、住民側の関心の維持・向上である。東京都中野区で採用されていた教育委員準公選制も、制度の趣旨などは評価しうる点があったが、肝心の投票率が回を負うごとに低くなり、20%台しかなかった。この制度の場合は、元来が住民運動の成果として出来上がったものだけに、投票率の低下は住民の関心度の低下を意味し、制度存続にとってはマイナスである。志木市の場合は市長以下の行政が主導となる形をとっただけに、住民側の関心をいかに維持し、向上するかが最大のポイントとなる。この際、最終的な決定権(予算審議、条例制定など)は市議会に与えられているので、「市民委員会」の検討結果がどの程度まで市議会において反映されるかが鍵となる。勿論、「市民委員会」の意向と市議会の意向とが常に同じになるはずはなく、前者が常に正しい訳でもない。しかし、「市民委員会」が市議会を補いつつ、住民の意思を市の行政に一層反映させることを目的としているのであれば、「市民委員会」の意向が市議会において尊重されなければ、住民側の関心を維持し、向上させることはできない。市町村長以下の行政が住民参加に一生懸命になっても、肝心の住民が無関心である。こういうことにならないという保証はないのである。
(4)工事予定価格の事前公表
これは、直接的に、「住民自治的な立場から『自分たちの住む地域をいかに作りあげていくか』という課題に取り組んでいる例」とは言えないものと考えられる。しかし、地方分権の意義を念頭に置くならば(地方分権に関する基本的立場の別を問わない)、予算の効率的な執行、透明性の確保、そして住民に対する説明責任は、地方自治体にますます求められることになる。ここでは、九州における動きを概観する。なお、入札については、神奈川県横須賀市が電子入札制度を導入しており、長野県も導入の意向を持っているといわれる(27)が、ここでは割愛する(28)。
まず、臼杵市の制度を概観する(29)。同市は、今年7月より、工事予定価格(30)および最低制限価格(31)を、事前に、入札執行通知とともに公表している(業者に通知する)。その目的は、入札制度の公正性および透明性を確保することにあり、一般市民にも理解されやすいものとされている。
より具体的に方法を記すと、民間業者に土木や建築の工事を発注するにあたり、まず、工事の詳細を設計し、必要な原材料や人役数や経費を見積もる(これを積算という)。積算金額が設計金額となる。「予定価格は競争入札にあたり、設計金額の範囲内で諸般の事情を勘案しながら、市が設定する」。
この制度は、7月13日入札工事から適用される。公表されているのは、以下の通りである。
事業名 |
予定価格 |
最低制限価格 |
平成13年度白木谷線道路拡幅改良(その1)工事 |
43,224,300 |
33,418,350 |
熊崎本線他4線舗装補修工事 |
4,470,900 |
3,627,750 |
公共下水道江無田汚水枝線(その2)築造工事 |
3,813,600 |
2,720,550 |
公共下水道田篠川汚水枝線築造工事 |
8,254,050 |
5,909,400 |
平成13年度坪江漁港機能高度化統合補助事業工事 |
21,361,200 |
16,150,050 |
西中学校普通教室棟便所改修工事 |
18,859,050 |
16,873,500 |
平成13年度農業集落排水事業深田地区管路施設(1工区、単ー1)工事 |
15,132,600 |
10,994,550 |
また、福岡県の京築地区においては、8月から行橋市が実施、豊前市が10月から施行する予定である。そして、年度内に大平村が実施することとなっている。これは8月3日付の西日本新聞京築版において報じられている(32)。
大平村でも談合は絶えなかったようで、上記記事には「昨年八月の大池公園多目的運動広場整備工事、今年七月のふるさと手づくり村温泉館建設工事の入札で、西日本新聞社などに相次いで談合情報が寄せられ、いずれも情報通りの業者が落札している」とある。また、「村は入札の透明性確保のため、温泉館建設工事で村としては初めて制限付き一般競争入札を導入したが、七月二十六日の入札では談合情報に挙げられたゼネコンが十億円(税抜き)で落札した」とのことである。
この談合であるが、これまでの指名競争入札制度と切っても切れない関係にある。指名競争入札制度の根拠は会計法第29条の3第3項および地方自治法第234条第1項であるが、本来は一般競争入札に適さない場合に「政令の定めるところにより」(会計法第29条の3第3項)または「政令で定める場合に該当するときに限り」(地方自治法第234条第2項)認められるものである。つまり、本来の原則は一般競争入札なのである。しかし、まず、会計法第29条の3第3項によれば「契約の性質又は目的により競争に加わるべき者が少数で第一項の競争に付する必要がない場合及び同項の競争に付することが不利と認められる場合において」、先の条件によって指名競争入札を取ることができる。
そこで、今度は政令を見る。予算決算及び会計令第94条に「指名競争に付することができる場合」が規定されている。
1.「予定価格が五百万円を超えない工事又は製造をさせるとき」
2.「予定価格が三百万円を超えない財産を買い入れるとき」
3.「予定賃借料の年額又は総額が百六十万円を超えない物件を借り入れるとき」
4.「予定価格が百万円を超えない財産を売り払うとき」
5.「予定賃貸料の年額又は総額が五十万円を超えない物件を貸し付けるとき」
6.「工事又は製造の請負、財産の売買及び物件の賃借以外の契約でその予定価格が二百万円を超えないものをするとき」
次に、地方自治法第234条である。先に示したように、第2項に「政令で定める場合に該当するときに限り」と出ている。今回、その政令(地方自治法施行令)を改めて読んで驚いた。これでは、一般競争入札が原則とは言えなくなるからである。参考までに、地方自治法施行令第167条を示しておく。
(指名競争入札)
第167条 地方自治法第234条第2項の規定により指名競争入札によることができる場合は、次の各号に掲げる場合とする。
一 工事又は製造の請負、物件の売買その他の契約でその性質又は目的が一般競争入札に適しないものをするとき。
二 その性質又は目的により競争に加わるべき者の数が一般競争入札に付する必要がないと認められる程度に少数である契約をするとき。
三 一般競争入札に付することが不利と認められるとき。
条文を読んでみても、かなりの裁量権が地方自治体に認められることが読み取れる。予算決算及び会計令第94条と比較しても、あまりに抽象的な規定であることは否めない。この点について、詳細を地方自治体の議会が決定することができるので問題はないという意見もあると思われる。そのこと自体を誤りとは考えないが、その基準の設定の仕方によっては、公正・透明な行財政運営を実現しにくくなるということを指摘しておきたい。条例などに、予算決算及び会計令第94条と同様の、あるいはそれより厳格な内容の規定を置くことが求められるであろう。
V.広域行政―市町村合併を中心に―
広域行政は、都道府県または市町村の区域を超える事柄に関する行政およびその事務である、と定義することができる。かねてから、「社会、経済、文化の発展及び交通通信手段の発達に伴い、人々の日常生活を営む範囲である生活圏や、物や金などの交流が行われる範囲である経済圏は、市町村や府県という行政の単位を超えて拡大を続けている」という趣旨の指摘がなされている(33)。
本来、地方自治法第2条第5項に規定されているように、広域行政の担い手は都道府県であると考えられる。しかし、とくに過疎地においては、本来的には市町村が担うべき事務であっても、単独では十分になしえない場合も多く、これが広域連合の設立につながった。しかし、広域連合の基本機能は事務処理に過ぎず、国からの権限委譲の受け皿として不十分であるとともに、市町村の持つべき意思決定機能の向上が図られないという指摘がある(34)。市町村合併の問題点については、既に幾人かの論者から指摘されているところでもあり、私自身も「日本における地方分権に向けての小論」という論文(35)、および「市町村合併―合併のメリット・デメリット―」という講演において論じたことがある(36)。
大分県は、以前から広域行政について積極的な姿勢を見せている。1996(平成8)年、全国初の広域連合として、大分県に大野連合が誕生したことが一例である。しかし、この時には完全に県主導の下で行われており、多くの県民に市町村合併への線路が敷かれたと思われた。また、住民に対する事前の説明が不十分であったことなど、情報公開の不足が目立った。さらに、「最初に箱物ありき」とも思われるような経過があった。このことから、住民不在の地方分権という印象もぬぐえない(37)。また、1999(平成11)年度において、大分県の58市町村中、45市町村が過疎地の認定を受けている。これは、全国の都道府県中、率としては第1位である(38)。すなわち、過疎化対策としての意味も与えられているはずの全県的地域おこし運動である「一村一品運動」は、この観点からみれば失敗に帰した訳である。
過疎地の市町村であれば、財政状況は困難を極めるのが通例である。そのため、市町村合併によって市町村の財政力を強化するとともに、過疎化の進行を食い止めようとすることも意図されているのではないかと思われる。しかし、後に述べるが、市町村合併が過疎化対策の一環となりうるのかについては、少なからぬ疑問が残る。
さらに、地方分権の時代には、国及び都道府県から委譲された権限を十分に行使しうるだけの自治体を作る必要があるから、市町村合併は必要であるという主張がなされ、いまや支配的な流れとなっている(特例市や中核市も、こうした風潮から登場したものと思われる)。 しかし、上記の意見には、少なくとも単純に考えた場合、論理矛盾が含まれている。現在の地方分権は、どちらかというと都道府県が念頭に置かれている(政令指定都市及び中核市も重要視されている)。そのため、都道府県レベルでみるならば、地方分権は進められるかもしれないが、都道府県から市町村への権限委譲がスムースに行われるかどうかは別の問題である。市町村合併に懐疑的な立場から「小さな町村を合併して大きな市を作るということは、吸収される町村の立場で見れば、大きな市の側に中央集権体制を作られることを意味」するという意見がある。私もほぼ同感である(39)。市町村合併により、中核となる市(または町)の領域のみに人口や経済基盤が集中するおそれも、十分にある。市町村合併によって、地方分権推進委員会が中間報告や諸勧告において主張するように、都道府県と市町村との関係が本来の対等・協力という性質になることが期待されているのかもしれないが、少なくとも現在の大分県における市町村合併をみる限り、ごく淡い期待しかもちえない。
以前、「日本における地方分権に向けての小論」という論文においても指摘したことであるが、地方分権には二つの立場、すなわち、新自由主義的立場と住民自治的立場とがある。地方分権推進委員会の方向は、この両者のうち、前者の色彩が濃いのではないか。とにかく権限を国から都道府県なり政令指定都市なり中核市に移す。町村や小型の市に、それだけの権限をこなせる力はないので、まとめて大きくする。そして、効率の点などで競争をさせる。部分的には会社合併と似たような発想ではないであろうか。ここには、住民自治、住民の手による地域づくり、住民の主体性という観点がない。あるいは、そうした観点が存在するとしても、後にも登場する市町村合併に関する住民発議制度というように、特定の政策を進めるのに都合が良い一種の道具としてしか意味を与えられない。そのため、一般的な、あるいは他の特定の課題に関する住民投票制度は、議会制民主主義の否定であるなどの理由を付されて拒絶される。
私は、以前から、今回の地方分権改革に関して「単に、国の行政の合理化(およびそれによる実質的強化)と地方公共団体の任務(あるいは負担)の強化に終わる可能性も、否定できない」、「本来の地方自治を強化する(あるいは取り戻す)という立場からみるならば、決して手放しで歓迎できない面が少なからず存在する。すなわち、今回の改革により、中央への権限集中を回避することのみならず、地域住民の需要に機敏に反応し、しかも地域住民が積極的に参加しうる地方自治が実現ないし強化されるのか、という観点からは、問題が多いと言わざるをえない」、という見解を採ってきた(40)。市町村合併が本格的に進められようとしている現在において、国の財政状況の悪化、そして市町村合併が積極的に提言されているタイミングをみると、こうした考え方が弱められるどころか、かえって強化されるような気がしてならない。
今回の市町村合併の背後に(あるいは隠された最大の目的として)、地方交付税や補助金などの合理化(削減)によって国の財政状況を少しでも改善しようとする意図があるのは明白である。一見矛盾するようであるが、市町村合併特例法の失効時までに、合併特例債の発行を認めたり、地方交付税の配分に優遇措置を設けたりするなど、様々な財政上の特例措置を設けることが、国の強い意向を雄弁に物語っている。市町村合併特例法などにより、今回の市町村合併については、市町村、そしてその住民による「自発的な合併」が掲げられている。しかし、実際には都道府県によって主導されるという場合が多く、国も合併特例債や地方交付税などで誘導しようとする。何が、そして何処からが「自発的」であるのかわからない。住民意識などというものは言葉だけの問題なのか。
これまで、市町村合併について抱いている私の疑問あるいは迷いを、そのまま記してきた。それでは、この市町村合併により、何が改善されるというのであろうか。市町村合併のメリットとデメリットについて、様々な議論を紹介し、実際の例に照らし合わせながら、私の意見も述べて参りたいと思う。1.地方分権推進委員会および総務省が示す方向性
市町村合併について示される方向性を検討することは、とりもなおさず、市町村合併の意義とメリットを検討することである。市町村合併推進論者の主張を検討して気づくことであるが、多くの場合、市町村合併の意義とメリットとが厳密に区別されていない。これは、或る意味において当然のことであるが、改めて考察をする際に障害になることもある。以下においても、意義論とメリット論とが厳密に区別されないままに論じられるかもしれないが、御了承願いたい。
これまで、明治22年と昭和30年代に、大きな市町村合併の波があった。明治時代の大合併は、市町村制施行という要素もあるが、軍籍の管理と小学校の事務の委任などが契機となっており、それまで71314あった町村は、39市と15820町村となった(計15859市町村)。その後も、昭和初期に合併が盛んに行われた。また、昭和30年代の大合併は、シャウプ勧告を経て昭和28年の町村合併促進法に基づいて行われたものであり、日本国憲法において保障された地方自治の強化を建前として、中学校の事務、国民健康保険などの任務が市町村に与えられたことによる。しかし、昭和30年代には主な交通手段が自転車であったが、高度経済成長の影響などもあり、自家用車が主な交通手段となった現在では、生活圏(買い物圏)が拡大していったのに行政の単位は市町村のままであり、生活圏と行政との食い違いが拡大していったと指摘されている(41)。自治省(現在の総務省自治行政局)も「今日、私たちの日常生活圏はますます拡大し、住民が必要とするサービスも多様化・高度化して」おり、「このような時代の要請に適切に対処するためには、市町村の連携による広域行政の展開と並んで、市町村の自主的な合併も有効な方策として考えられ」ると述べている。 これまでの市町村合併は、現在に至るまで市町村の基盤強化を、少なくとも表看板に掲げて進められてきたものである。しかし、今回の合併は、地方分権改革、さらに行政改革の一つの柱とされている点に、これまでの大合併と異なる意味が認められるものと思われる。 昭和の大合併は、確かに、シャウプ勧告などを受けた民主化の一方策として行われた。しかし、国が基本方針を示し、これに基づいて都道府県が審議会の議を経て市町村合併に関する計画を作成した。ここには、市町村財政の立て直し、中学校建設および事務移管、国民健康保険制度の運営など、行政上の課題をも解決するために行われたものであり、中央集権的な色彩が濃厚であったことも否めない。これに対し、1990年代に始まった地方分権改革は、市町村合併を推進するための改革であるという側面を有するが、これまでとは違い、単に日本の中央集権体制を(少なくとも理念的には)抜本的に改めるという目的をも持っている。
このことは、既に、地方分権推進委員会中間報告(平成8年3月29日)において示されていた。すなわち、同報告において「地方分権の推進に当たっては、行政及び財政の改革を推進するために、新たな地方公共団体の役割を担うにふさわしい行政体制の整備・確立を図る必要がある」という基本的認識の上で、一部事務組合や広域連合制度に言及しつつ、「市町村における行財政能力を充実強化していくためには、自主的な合併を推進していくことも重要な課題である」と述べ、1995(平成7)年に改正された市町村合併特例法により合併協議にかかる住民発議制度の新設や財政措置の充実強化にも触れている。また、小規模市町村と地方分権との関連について、高齢化および過疎化の進んだ小規模市町村の増大している事実を前提として、こうした小規模市町村に権限委譲を行うとしても「直ちに新たな役割を担うことには、多くの課題が予想される」ため、広域行政による対応や中心都市による連携支援や都道府県による補完支援の仕組みの検討なども指摘されている。
同委員会の第1次勧告(平成8年12月20日)においても、地方分権を推進するためには市町村の行財政能力を充実・強化することが必要であるという前提を述べた上で、市町村合併の強力な推進を提言している。勿論、広域行政として、一部事務組合、広域市町村圏、広域連合などを推進すべきこともあげられている。しかし、解釈の仕方にもよるが、この時点で、地方分権のためには市町村の行財政能力を強化することが必要であり、そのためには市町村の自主的な合併こそ最も相応しい、という論理が、地方分権推進委員会、さらに内閣や自治省をはじめとする政府の主導的方向性となったと思われる。
そして、閣議決定である地方分権推進計画(平成10年5月29日)においては「地方公共団体の行政体制の整備・確立」として、「行政改革」、「地方議会の活性化」、「住民参加の拡大・多様化」などとともに「市町村合併等の推進」が掲げられ、広域行政などの推進も示されているものの、最終的に市町村合併推進を目標とするかのような構成が取られるに至っている。
地方分権推進改革において、多くの都道府県および市町村が望んできた地方税財政基盤の強化、とりわけ地方税を軸とする自主財源の強化について、ほとんど手がつけられていないと評価してもよい状態であった。何よりも、実際の事務量からすれば国と地方との比はおよそ1対2であるのに対し、税収入の比は2対1であるという逆転現象が生じていた。しかし、国の財政状況も非常に悪く、従来のように各地方公共団体に十分な量の地方交付税を配分しえなくなるような状況も見えている。また、財政再建団体に転落し、または転落寸前の状態にまで至った地方公共団体が多くなったとは言え、その実態として無駄の多い行政活動・財政支出が原因であるという部分も多く、情報公開、さらに行政改革を求める世論が高まった。
地方分権は、さしあたり、都道府県への権限委譲であるが、政令指定都市や中核市(その前の段階の特例市)にも多くの権限が委譲される。それだけに、地方分権は、十分な税財源の裏付けがないままに多くの権限が移される、すなわち、任務が増える地方公共団体の行政活動に、一層の効率性を求めることになる。
平成12年11月27日、地方分権推進委員会は「市町村合併の推進についての意見―分権型社会の創造―」を内閣に提出した。そこにおいて、市町村合併の意義として、最初に必要性をあげている。同委員会によれば、次のようになる。
1 市町村合併の必要性
(1)地方分権の推進
少子・高齢社会の到来に対応し、社会の活力を維持・向上させ、自己決定と自己責任の原則に基づく真の分権型社会を構築していくことが重要である。したがって、これまでの地方分権の推進の成果を十分に活かし、高度化、多様化する行政需要に対応するためには、市町村合併を通して基礎的自治体の自立性と行財政基盤の充実強化を図る必要がある。
(2)市町村行政の広域化
住民の日常社会生活圏や経済活動の広域化の進展に伴い、広域的な見地から行政を展開することが益々必要になってきている。特に、介護保険制度の施行やごみ処理の問題等広域的な対応が従来に増して求められてきていることにかんがみれば、基礎的自治体としての市町村が合併を通して圏域の拡大を図ることは必要である。
(3)国・地方の財政状況への対応
我が国の財政は、平成12年度末の国・地方合わせた債務残高は約645兆円に達し、その内に占める地方財政の借入金残高は、平成12年度末には180兆円を超えると見込まれているなど極めて厳しい状況にある。その中で、少子・高齢化が急速に進行しており、医療、福祉等の社会保障関係費の増大など財政需要の一層の増大が見込まれている。
こうした国・地方を通ずる厳しい財政状況の下、市町村が、現在の行政サービスの水準を将来にわたって維持していくためには、まず、自らの努力として、市町村合併による簡素で効率的な地方行政体制の整備が必要であると考えられる。
(4)担税者としての国民の意識への対応
厳しい地方財政状況の下、地方税の充実確保を図っていくうえで、担税者、生活者としての国民の幅広い理解を得なければならない。そのためには、民間企業等において経営合理化策等が講じられている社会経済情勢や、現行の地方行財政運営の仕組みに対して国民の中には厳しい意見もあることなどにかんがみ、これを見直し、地方公共団体において、徹底した行財政改革を実施するとともに、市町村合併を強力に推進する必要がある。
また、総務省自治行政局は、今回の市町村合併が求められる理由として「高齢化への対応」、「多様化するニーズへの対応」、「生活圏の広域化への対応」、「効率性の向上」および「地方分権の推進」をあげている。
今、市町村合併が求められる理由としては、次のようなことがあげられます。
《高齢化への対応》
今後、各地域で高齢化が一層進展し、高齢者への福祉サービスがますます大きな課題となってきます。とりわけ高齢化の著しい市町村については、財政的な負担や高齢者を支えるマンパワーの確保が心配されています。
《多様化する住民ニーズへの対応》
住民の価値観の多様化、技術革新の進展などにともない、住民が求めるサービスも多様化し、高度化しています。これに対応するため、専門的・高度な能力を有する職員の育成・確保が求められています。
《生活圏の広域化への対応》
交通網の発達などにより日常の生活圏が拡大し、これに伴い行政も広域的に対応する必要があります。また、都市近郊では市町村の区域を越えて市街地が連続しており、より広い観点から一体的なまちづくりを進めることが求められています。
《効率性の向上》
危機的な財政状況にあるなかで、より効率的な行政運営が求められています。とりわけ、隣接市町村での類似施設の建設には批判があります。
《地方分権の推進》
地方分権は、住民に身近な行政の権限をできる限り地方自治体に移し、地域の創意工夫による行政運営を推進できるようにするための取り組みです。これを円滑に進めるためには、地方自治体にも行財政基盤を強化するための努力が求められています。
そして、2000年12月1日、閣議において決定された政府の行政改革大綱が重要である。ここにおいて、@行政の組織・制度の抜本的改革、A地方分権の推進、B規制改革の推進、C行政事務の電子化など電子政府の実現、D中央省庁等改革の的確な実施、E今後の行政改革の推進体制などが柱とされている。そして、市町村合併は、合併によって市町村の数を1000とする目標を掲げている。
さらに、市町村合併推進の代表的論者である小西砂千夫氏は、今回の地方分権が国の財政負担に由来することを率直に認めた上で、市町村合併の意義を、役所の機能強化、および住民と役所との関係の再構築に求めている。少々長くなるが、氏の議論を紹介しておこう。 まず、役所の機能強化であるが、小西氏は次のように述べられている(42)。行政事務を効果的に行うためには、法律やその細則に十分通じておく必要がある。日毎に変わる法令に通じているのは日頃からの勉強が必要であるし、他の自治体での上手な運用方法について知る必要がある。いわば自治体職員はたくさんのノウハウをもった専門家でなければならない。しかし行政事務の種類は数多い。すべての事務について一通りのノウハウを持つためには、役所に一定の規模が必要になる。たとえば、人口三〇万人の都市と一万人未満の町で職員配置を比較してみれば、人口が小さい自治体では、財政や人事などの管理部門にたくさんの人が割かれ、政策や企画部門には薄くなっていることが読みとれる。分権時代にはそれが致命的になる。
次に、住民と役所との関係の再構築である。氏は、ここに力点を置かれている。ここで注意していただきたいが、氏が、既に地域のアイデンティティと現在の市町村とのギャップを、淡路島を例にして問題としている。この点を頭に入れておいていただきたい(43)。
役所はまちづくりの主役ではなく、欠くことのできない脇役が適役だ。住民の意識の上澄み部分をうまく吸い上げて、公共的課題を解決していかなければならない。しかし昭和の大合併の後、役所こそがまちづくりの主役という意識は、役所の中に定着しているように思われる。住民のほうにも役所は苦情を持ち込み、お金を引き出すところであるという感覚が定着している。地方自治を舞台とした利害誘導の仕組みは、規模の大きい小さいはあるが根付いており、通常は水面下だが、ときに事件として表面化し地方自治への信頼を損なってきた。
役所をめぐる人間関係は、地域によって濃淡はあるが、濃い地域ではがんじがらめになっており、市町村合併でなくすべての改革の足かせとなる。市町村合併はそれを一度破壊してしまうことだ。それだけに抵抗は大きいが、成功すれば役所と住民の関係の健全化へのチャンスである。役所にぶら下がってご飯を食べている組織や個人は少なくない。合併は彼らの平和と秩序を破壊する。しかし財政難が続けば、いずれはぶら下がろうにもぶら下がれなくなる。市町村合併ができない自治体は、そうした構造に自らメスを入れられないことであって、自己浄化の能力がないことを意味する。市町村合併はしたがって、地方分権に責任を対応する上で、自治体が一度は真剣に検討せざるをえない重要な課題である。
利益誘導の仕組みが市町村合併によって解消するのか否かについては、少なからぬ疑問が残る。小西氏は、自らが大都市圏の住民であることを述べているが、かような主張には、大都市圏の住民のほうがその他の地方の住民より意識が高い、という一種の偏見(言葉が強すぎるのであれば先入観)があるのではないかと思われる。「役所」の意識や人間関係は、市町村が大型化すれば変わるというものでないことは、川崎市で生じたリクルート事件や福岡市で生じた地下鉄建設に関する汚職事件などをみれば明らかである。
むしろ、後にも述べるが、市町村合併によって基礎的地方公共団体たる市町村の大型化(おそらく、郡、町および村という名称は消滅し、市に統一されることになるものと思われる)により、大型公共事業を行いやすくすることも、目的の中に入っているのではないかと思われる。そうでないとしても、例えばリゾート法の下で第三セクターなどの方式を利用して大型公共事業を積極的に推進し、利権、利益誘導の仕組みを培ってきたのは、むしろ都道府県のほうではなかろうか。市町村合併推進論者の中には連邦制導入論者なども含まれるのであるから、一概に言えないのであるが、少なくとも、今回、日本国憲法の枠内において市町村合併をするのであるから、都道府県という地方公共団体の問題を差し置いたまま、市町村合併の議論がなされることに、違和感を覚えるのは、私だけではないであろう。
しかし、現実の問題として、例えば、IT化(電子政府化、行政の電子化など)を推進する場合、小規模の市町村において困難を伴う。また、国民健康保険や介護保険(とくに後者)など、政令指定都市などであれば別であろうが、やはり一般の市町村が保険者となって運営するには、財政面や人材面などにおいて困難を伴う。本来であれば、保険事業を市町村が行うこと自体に無理がある(財政学者などから指摘されている)。とは言え、これらの点について根本的な見直しがなされない限りにおいて、市町村合併とまで行かずとも、広域行政にはやむをえない点があるかもしれない。 地方分権推進委員会は、前述の意見において、市町村合併のメリットとして、「@広域的視点に立ったまちづくりの展開や施策の広域的調整が可能になること、A行政サービスの拡大や公共施設の広域的利用等による住民の利便性の向上、B専門的知識を持った職員の採用・増強や専任の組織の設置が可能になること、C行政組織の合理化、D公共施設の広域的・効率的な配置などが挙げられている」ことを述べている。 この意見との対応は必ずしも明白でないのであるが、総務省自治行政局は、今回の市町村合併が求められる理由として、「高齢化への対応」、「多様化するニーズへの対応」、「生活圏の広域化への対応」、「効率性の向上」、「地方分権の推進」をあげ、次のように述べている。1.高齢者などへの福祉サービスが安定的に提供でき、その充実も図ることができます。
2.保健、土木などの専門的・高度な能力を有する職員を確保・育成することができ、行政サービスの向上が期待できます。
3.窓口サービスや文化施設、スポーツ施設などの公共施設の広範な利用が可能になります。
4.広域的な視点から、道路や市街地の整備、文化施設、スポーツ施設などの整備を効率よく実施することができ、一体的なまちづくりを進めることができます。
5.重点的な投資が可能になり、目玉となる大型プロジェクトを実施できるようになります。
6.行政経費が節約され、少ない経費でより高い水準の行政サービスが可能となります。
7.地域のイメージアップにもつながり、若者の定着や職場の確保が期待できます。
以上を読むと、いかにも考え付くだけのメリットを羅列しただけという印象を受けるのは、私だけではなかろう。しかも、それぞれの関連を、総務省自治行政局が示すメリットの具体的な例を参照しつつ検証すると、相互に矛盾が見られる。
例えば、行政経費の節約をうたいながら大型公共事業の推進の可能性を主張している(さすがに「重点的な投資」)という表現を使っている)。地域のイメージアップという点にも問題がある。そこに掲げられている具体例は、ニュータウンの建設、工業団地などの産業拠点開発、大学や新幹線の駅などの誘致、テクノポリスやテレトピアなど重要プロジェクトの指定である。これらは、他の具体例(排煙規制や排出規制など)とも矛盾しかねない。市町村合併により、国または都道府県の主導による大型公共事業(プロジェクト)をこれまでよりも行い易くするために広域行政を推進するのではないかと批判されてもやむをえない(44)。
また、メリットとしてあげられているもののなかには「ワールドカップ開催の会場になることに成功」した、「県庁所在地以外では初めてインターハイの主会場に」なった、など、滑稽とも言いうる例があげられている。その一方、過疎化の進行を阻止できたというような例はあげられていない。
市町村合併論者は、多くの場合、行政の効率性を最大のメリットとしてあげる。その際、注目されるのが市町村職員数および人件費である。ここでは、吉村弘氏の議論を、やや単純化して紹介しておく。
吉村氏によると、市町村職員数は、人口の少ない市町村ほど、人口1000人あたりの職員数が増加する。そして、大都市圏、地方圏とも、人口あたり1000人あたりの職員数の最小値は人口32万から33万の市において得られる(45)。従って、あらかじめ、市町村の規模に応じた標準職員数を想定しておいた上で、小規模の市町村が合併するならば、余剰の職員が生じることになるから、職員削減数が明確になるということになる。また、人件費については、人口あたり人件費の最小値が人口27万から29万の市において得られる(46)。この分析から得られる結論は、効率性という観点からすれば、人口が30万人前後の市が最も適切であるということになる。そのため、町または村においては行政の効率性が発揮されないということになる。
この他に、目に見えるメリットはあるのであろうか。小西氏は、市町村合併の前後で住民の税負担がそれほど変わらないことを指摘しつつ、税外負担については異なると主張する。氏によれば、水道料などの公共料金や介護保険料などに自治体間格差があり、市町村合併によってこれらの負担が最も低い(合併前の)市町村の水準に設定される可能性があるという(47)。すなわち、市町村合併によって、その対象とされる複数の市町村のうち、住民の負担は最も低いレベルに、サービスは最も高いレベルに設定される可能性がある訳である。実際、日本経済新聞2001年1月15日付朝刊「地域総合」の欄において紹介されている、浦和市、与野市、大宮市の三市が合併して誕生する「さいたま市」をみると、ごみの収集手数料について、与野市だけが有料であったが、合併後は無料化されるという。しかし、ごみの分別収集については、具体的な分類や収集方法などが異なることもあり、一本化されないという。
しかし、これについては、地方税財政制度の観点からみても疑問が残る。例えば、地方税法第701条の30に規定される事業所税である。これは、政令指定都市、中核市、特例市などが課税権を持つものである(この要件に合致する市は課税しなければならない)。仮に、中核市のA市とB町とが合併する場合、B町の領域には新たに事業所税が課せられることとなる。実際にどの程度の事業所がこの税の負担を負うことになるかは不明であるが、事業所税非課税市や町村に事業所を置く企業にとっては税負担の増加を意味することになる。
そして、政府は、市町村合併の推進への動きを強めつつある。最近では、8月5日から、山口県下松市および三重県伊賀町を皮切りに、市町村合併を推進するための全国リレーシンポジウム(第2回目)を始めた(48)。主に土曜日と日曜日に開催するとのことで、その名の通り、来年3月までに全都道府県において開催し、地元の首長らを交えた討論会や合併例の報告などをするとのことである。問題は、合併例の報告のあり方にあるものと思われる。このシンポジウムには、総務省の幹部、そして各省庁の副大臣が参加することとなっている。そのため、市町村合併のデメリット例が紹介されないなど、議論の進め方に難点が生じるのではないかと予想される。また、政府は、建前としてあくまでも「自主的な」市町村合併を強調しているが、このようなシンポジウムを開催すること自体、政府が強制的に市町村合併を進めることを意味しているのではないかという疑問も生じる。
そして、政府による「市町村合併支援プラン」に言及しなければならない(49)。これは、各省庁が連携して取り組む総合的な支援策と位置づけられており、8月30日に開催される政府の市町村合併支援本部(本部長は片山虎之助総務大臣)において最終決定され、2002(平成14)年度予算に反映されることとなる。
まず、このプランは、支援策の対象として、都道府県の市町村合併支援本部が「合併重点支援地域」に指定した市町村、または2005(平成17)年3月(市町村合併特例法の期限とされる)までに合併する市町村を選んでいる。このうち、「合併重点支援地域」としては、茨城県のつくば市・茎崎町、同じく茨城県の取手市・藤代町、岐阜県の高富町・伊自良村・美山町、三重県の上野市・伊賀町・島ケ原村・阿山町・大山田村・青山町、徳島県の鴨島町・川島町・山川町・美郷村、大分県の佐伯市・上浦町・弥生町・本匠村・宇目町・直川村・鶴見町・米水津村・蒲江町が掲げられている。
より具体的には、次のような分野について支援策がまとめられることになる(50)。
@社会基盤:「道路、トンネル、離島架橋の重点整備」、「地方バス事業の補助要件を緩和」、「公共賃貸住宅を重点投資」、「合併記念公園の整備促進」
A生活環境:「1日100トン以上の廃棄物焼却炉の優先整備」、「水道検査施設整備の補助要件を緩和」、「流域下水道の補助要件を緩和」、「消防の広域再編に財政支援」、「市町村間の情報格差の是正」(過疎地域における光ファイバーの敷設に対する支援などが検討されているようである)
B保険、医療、福祉:「介護保険運営の広域化でシステム経費を支援」、「シルバー人材センターの国庫補助減に激変緩和措置」
C教育・文化:「学校の統廃合による教員定数減に激変緩和措置」
D産業振興:「農産品の生産団地などのアクセス道路整備」、「都道府県商工会連合会に商工会合併の指導員を設置」
E住民交流:「地域交流センターの整備を支援」
この他を含めて60項目があげられているのであるが、内容をみると、或る程度やむをえないとはいえ、従来型の公共事業によるバラマキ行政の姿が見えてこないであろうか。少なくとも、構造改革とは矛盾する。後に市町村合併の問題点としてデメリットを概観するが、そのデメリットに拍車をかけるものではないかと思われるのである。実際、後にも述べる通り、合併を進めない小規模市町村については地方交付税の配分額を減らす方針が示されているが、合併を推進した地方自治体に対しては公共事業を重点的に配分するのである。この場合、特別に地方債の起債が認められることを考え合わせると、財政事情の改善にはつながらないと思われる。
さらに、政府の市町村合併支援本部は、8月30日、静岡市と清水市との合併を念頭に置き、政令指定都市の要件緩和(但し、合併に限る)を方針として決定した(51)。政令指定都市は、地方自治法上、人口50万人以上が要件とされているが、実際には人口100万人以上が一つの目安となっている(千葉市の場合は人口が87万人であるが)。しかし、静岡市と清水市とをあわせても70万人未満である(静岡市・清水市合併協議会が示した中間報告において、2012年の人口を70万6千人と予測されていた)。そのため、市町村合併本部が指定要件を70万人前後に引き下げることとした。これにより、静岡市と清水市の合併を推進するのみならず、堺市、新潟市、川口市などについても合併を推進しようとするものである。しかし、静岡市と清水市の場合、8月29日に「新市建設計画」(最終素案)をまとめたとは言え、両市が合併しなくとも単独で行いうる事業の羅列だという指摘もなされているようである。
2.実際の動き―最近の若干の例―
最近における市町村合併への動きについては、東京都あきる野市(秋川市と五日市町とが合併)や仙台市泉区(泉市であったが、仙台市に編入された)、埼玉県さいたま市(浦和市、与野市、そして大宮市が合併)、そして茨城県潮来市(潮来町と牛堀町とが合併)などの例があり、これらは雑誌などにおいて紹介されている(52)。ここでは、幾つかの動きを取り上げ、概観することとする。
(1)東京都西東京市
西東京市は、2001年1月21日、田無市(53)と保谷市(54)とが合併して誕生した、人口約18万の都市である。合併が決定されたのは2000年夏のことであり、一時は全国における市町村合併の模範とまで評価された。しかし、西東京市の初代市長の座を巡り、田無市の末木達夫市長と保谷市の保谷高範市長とが対立している。昨年8月までは合併推進に向けて協調姿勢を取っていたが、9月、新市長の件についての話し合いにおいて決裂、自民党田無支部・保谷支部での調整も図られたが実らず、12月13日、両氏は、今年2月下旬投開票予定の西東京市初代市長選挙に出馬を表明した。保谷市長は「依然として保谷、田無それぞれの市に対する意識が強いのが現実。住民たちの『新しい市にはおらが市長』の意識は抑えられない」と語り、末木市長は「合併の途中で不満は口にしないようにしてきたが、心は別だ」と語っている(55)。結局、保谷市長が勝利したのであるが、しこりが残るのではないかと懸念される。
市名を公募で決定したことを含めて、田無市と保谷市との合併に際しては、周到な準備が進められたと報じられている。それでも、「失職を恐れる首長や議員の抵抗」という「論外」なものが、形を変えて現われたものとも考えられよう。しかし、保谷市長のコメントにも表現されているように、いかに生活圏や経済圏が拡大し、行政の領域を飛び越えているとしても、そのことと住民の帰属意識とは別の問題である。しかも、西東京市の場合、大まかに捉えるならば、旧田無市は西武新宿線沿線、旧保谷市は西武池袋線沿線である。首都圏生活者であれば、沿線の違いが住民の意識にいかなる影響を与えるか、容易に理解できよう。
(2)さいたま市、上尾市、伊奈町
東京都あきる野市および西東京市、そして今年5月1日に誕生したさいたま市については、決して成功したとは言えないという評価が、少なからぬ論者からなされている。とくに、さいたま市の場合、明治時代から浦和市と大宮市とで県庁の所在地をめぐる対立があり、今回の市町村合併においても両市の対立が強調され、住民不在の合併の典型例という、不名誉な評価を得ている。また、さいたま市は、当初、浦和市・大宮市・与野市のみならず、上尾市および伊奈町も含めての合併が検討されていたが、これについても浦和市と大宮市との間で争いがあったと言われている。これは、さいたま市役所をどちらに置くかという問題と関連するものである。
このような中、上尾市は、さいたま市との合併の是非を住民投票で問うという趣旨の期限付き条例(上尾市がさいたま市と合併することの可否を住民投票に付するための条例。5月15日、上尾市議会が可決)を制定した。これは全国で初の試みであり、住民投票の結果が注目されていた(56)。7月29日、その住民投票が行なわれた。結果は、合併反対の票が賛成票を上回った。上尾市の場合、市長が合併に消極的な姿勢を示していたことも大きいと言われる。実際、上尾市長は、朝日新聞に対し、「約4万票の合併賛成票を投じた人たちにも納得してもらえるような街づくりをしなければならない」としつつ、「住民投票の際に市の姿勢が中立性を欠くと批判された」が、「市民の危機感をあおらなければ投票に行ってもらえない。やむをえなかった」というコメントをしている(57)。そして、上尾市長は、8月6日の市議会全員協議会において合併協議辞退を表明した。議会で異論は出なかったとのことである。そして、7日、さいたま市長に対し、合併協議辞退の回答書を手渡した。
一方、伊奈町のほうは、町長、そして町議会議員の大多数(20人のうちの18人)が合併に賛成の立場を採っていたが、上尾市が合併しない方向を明確にしたため、現段階ではさいたま市との合併協議に参加しないとする回答書を、さいたま市長に手渡している(58)。これは、上尾市がさいたま市と合併しなければ、伊奈町がさいたま市と合併しても飛び地となることから、将来的な可能性を残しつつ、さしあたりの断念ということになったものである。元々、浦和市・与野市・大宮市は、1999年6月、さいたま市が成立した後に上尾市と伊奈町の意向を確認し、その上で「速やかに合併協議を行い、2年以内の指定市移行を目指す」旨の合意をしていた。この合意を受けて、6月、さいたま市長が上尾市および伊奈町に「合併協議を始める意向があるかどうか」を問い合わせていた。今回、さいたま市は現在の領域のまま、政令指定都市への意向を目指す。但し、とくに伊奈町については、今後どのような意向を示すか、まだわからない。
(3)佐賀市と佐賀郡4町(諸富町、川副町、東与賀町、久保田町)九州においても、宮崎県を始め、各県が市町村合併推進要綱を制定し、本格的な取り組みを始めている。この中で、佐賀県の動きと、それに関する朝日新聞佐賀版の報道は、市町村合併に関する住民の意識を知る上で格好の題材となるので、ここで取り上げておく。
佐賀県においては、現在、佐賀市と佐賀郡の諸富町・川副町・東与賀町・久保田町の合併に関する動きが注目を浴びている。朝日新聞佐賀版には、8月11日付で「佐賀市と4町の合併協設置へ手続き開始」という記事(59)が、8月14日付で「佐賀中部地域合併意識調査 半数が態度留保」という記事(60)が掲載された。以下、この両記事によりつつ、検討を進める。
昨今の状況を概観すると、市町村合併を推進する立場を採る民間団体の存在に気づく。佐賀県の場合も同様で、佐賀商工会議所や佐賀青年会議所などが中心となって「佐賀地区合併協議会設置促進期成会」を結成し、運動をすすめている(上記の他に4団体が参加)。
8月10日、この会の長沼冨士男会長らが佐賀県庁を訪れ、合併協議会設置請求に向けて手続をとった。今後、今月末日から署名活動に入り、5市町の有権者の20%以上から署名を集め、「11月上旬には各市町長へ合併協議会設置請求書を提出することを目指す」という。目指すものは佐賀市の特例市(人口20万人以上の市で、国や県から権限と事務の一部が委譲される。但し、中核市ほどではない)化である。また、8月30日、佐賀市文化会館で市町村合併推進派の論客、小西砂千夫教授(関西学院大学)による講演会が行われた。
しかし、佐賀県民は、市町村合併について必ずしも肯定的に捉えていないようである。佐賀県は、7月9日から22日にかけて、県内の有権者を対象として県民意識調査をした。その中間結果が13日に発表された。この調査は、市町村合併に関するもので「県内の各市100サンプル、各町村30サンプルで、結果が人口構成比と一致するよう調整した。そのほかの地区の結果も分析がすみ次第公表する」とのことである。
さて、今回発表されたのは、佐賀県の中部地域(佐賀市、多久市、佐賀郡、神埼郡、小城郡)についてである。その結果をここに示しておく。
@市町村合併への関心について。
関心がある:26%
少しは関心がある:39%
関心がない:35%
A市町村合併に賛成か反対か?
わからない:46%(市部では57%)
賛成(「どちらかといえば賛成」を含む):38%
反対(「どちらかといえば反対」を含む):16%
〔この回答については、佐賀県の市町村課も認めているように、情報が不足しているという事情がある。これは、佐賀県だけの問題ではなく、全国に共通するものである。佐賀県民の場合、65%が佐賀県(などの行政)に対して「広報誌、パンフレットなどでの情報提供」を要望している。〕
B賛成の理由(複数回答)
経費の節減:71%(他の理由は、記事からは不明)
C反対の理由(やはり複数回答)
住民の声がとどきにくくなる:59%
役所や公共施設が遠くなる:48%
(他の理由は、記事からは不明)
(4)福岡県遠賀郡(芦屋町、水巻町、遠賀町、岡垣町)北九州市に隣接するこの地域にも、合併への動きがある。既に、任意で設置された合併協議会(具体的にいかなる組織であるかは不明)が、今年の3月に「合併推進の意見が大勢」という報告書をまとめている。現在、この協議会を法定のものに移行すべきか否かが、上記各町において協議され、今月(9月)に結論が出される(61)。
しかし、同じ遠賀郡内において、各町の事情は異なっており、合併の姿勢にも違いがある。水巻町、遠賀町および岡垣町の場合、財政基盤が脆弱であり、下水道事業(下水道普及率)も遅れている。しかし、芦屋町の場合は、競艇場と航空自衛隊基地がある関係で財政基盤は比較的強固であり、しかも下水道普及率も100%に近い。このため、水巻町、遠賀町および岡垣町においては合併推進論が強いのに対し、芦屋町においては慎重論のほうが強いと言われる。
このことを証明すると思われる結果が、7月に芦屋町で行われた住民意向調査に現われている(7月31日に結果が公表されている)。この住民意向調査は、町内の全有権者12841人を対象としており、有効回答は7609人分、回収率は59.9%であった。内訳は「反対」が4187人(55.0%)、「賛成」が2031人(26.7%)、「どちらとも言えない」が1391人(18.3%)であり、合併に反対の意見が過半数を占めている。この結果を受け、芦屋町の鈴木清吾町長は「結果を最大限尊重する」と述べている。
なお、この住民意向調査は、昨年、東京都の保谷市と田無市が合併して西東京市となる際に実施された「投票方式での全有権者アンケート」を参考にしたものである。
(5)福岡県行橋市・京都郡・築上郡
福岡県では、京築地区と総称される行橋市・京都郡(勝山町、犀川町、豊津町)・築上郡(椎田町、築城町)についても合併の動きがある。これは最近になってからのことで、8月22日に合併研究会が発足し、28日に幹事会が行橋市役所において開催された(但し、苅田町は正式に参加しておらず、合併の態度を明らかにしていない)(62)。来年1月に任意の合併協議会を設立するための日程調整をしたと報じられる。幹事会の事務局は行橋市に置かれ、幹事長も行橋市総務部長の福島英雄氏が就任していることなどからすると、行橋市に統合するものと思われる。今後、幹事会は、合併以降の行財政について協議する模様で、具体的には、@中長期的な行財政運営、A将来ビジョン、B支援措置利用の街づくり、C住民サービスの格差など、全部で6つのテーマを設定したようである。(6)長崎県上県郡・下県郡(対馬)
長崎県には、離島振興法適用の対象となる島(橋で本土と結ばれていない有人島)が59ある。これは全国一である。これらの島に4つの市、29の町、そして1つの村がある。離島振興法は2002年度末で失効することとなっているため、長崎県は、同法の改正と延長を求める意見書をまとめている(63)。その内容は「従来のように全国の離島を画一的に整備するのではなく、離島市町村が独自に振興計画をつくり、国の支援を受ける仕組みに改めるよう求めている」とのことである。ここには、地方分権ということで離島ごとに独自の振興を図るという側面が含まれている。そして、「本土との格差是正の具体策」として、(1)産業振興の支障となっている飛行機や船舶の運賃を安くする、(2)医師の確保など医療の質の充実、(3)学校の統廃合に伴う教室の増改築やスクールバスの運行、(4)ごみ、し尿の運搬に伴う財政支援、などがあげられている。
ここでは、こうした離島における市町村合併の例として、長崎県の対馬を取り上げたい(64)。
現在、対馬全体の人口は約41000人である。対馬には南部の厳原町をはじめ、6町があり(北から、上県町、上対馬町、峰町、豊玉町、美津島町、そして厳原町)、これらが対等合併を目指している(合併の目途となる年度はわからない)。現在は、厳原町に新市庁舎を置き、その他の行政機関を厳原町以外の5町に分散するという計画で、この他のことについても、現在、対馬六町合併協議会で検討が続いている。8月27日には、美津島町で第13回合併協議会が行われ、合併後の新市の名称が「対馬市」に決定したという。これは、同日に出席した委員38人が全員一致してのことである。ちなみに、これは公募によるものである。
(7)大分県佐伯市・南海部郡
大分県における市町村合併は、昭和42年、宇佐町、駅川町、長洲町および四日市町が合併して宇佐市が誕生して以来、行われていない(この点、広島県などと異なる)。しかし、日本最初の広域連合が大野連合(大野郡を構成する町村が連合を組んだもの)であったように、大分県は広域行政の展開に積極的であった。大野連合の成立の時点において、将来の市町村合併が念頭に置かれていたのかもしれない。そして、大分県市町村合併推進要綱を作成・公表し、市町村合併の機運を高めようとしている。
大分県は、広域行政さらに市町村合併の必要性の理由として、「日常社会生活圏の拡大」、「高度情報化の進展」など新たな行政課題の増大(65)、「少子・高齢化の進展」、「地方分権の推進」、「国・地方を通じた財政の著しい悪化」をあげている。大分県の場合、1市町村あたりの人口が「全国平均、九州平均を大きく下回って」いること、「自主財源比率が低く、経常収支比率等も引き続き高い水準にあるなど、財政構造の硬直化が進んでいる」こともあげている。
また、大分県内58市町村のうち、人口が増加しているのは大分市、中津市、杵築市、日出町、挾間町、三重町および三光村のみであり、別府市および佐伯市は減少している。また、11市のうちの5市が人口5万人未満であり、47町村のうちの37町村が人口1万人未満の町村である。また、大分県全体の高齢化率は21.3%、全国平均の16.7よりも約10年早いペースで進んでいると指摘されている。
それでは、大分県における市町村合併のメリットは何か。市町村合併要綱18頁においては、大きく「@行政サービスを行う上での無駄を減らす(県民)、行政の無駄をなくし、財政基盤を強化する(有識者)など」、「A地域を一体的に整備し、地位間の格差を是正する(県民)」および「B福祉サービス等、住民に身近な行政サービスの充実を図る(県民)」があげられている。その細目は、基本的に総務省自治行政局と同様である(やや詳細であるが)。
他方、デメリットは何か。要綱20頁以下において、「@市町村の区域が広くなり、地域の声が行政に反映されにくくなるおそれがある」、「A市役所や役場が遠くなり、不便になるおそれがある」、「B合併後は中心部だけよくなり、周辺は取り残されるおそれがある」、「C福祉サービス等、住民に身近な行政サービスの充実が図れなくなる」ことが指摘されている。これらに対しては、それぞれ対応策が考えられている。しかし、これらのデメリットを解消するためには、大分県自身の情報公開に委ねられている部分が多い。
この合併により、市町村の行財政基盤の強化などが期待されている。しかし、実際にはどうであろうか。合併への動きが最も進んでいるとされている佐伯市および南海部郡の状況を例に取り、検討を進めてみる(66)。
1999年度決算状況において、自主財源比率(67)は、佐伯市で37.3%、米水津村は9.8%である。また財政力指数(68)をみると、佐伯市は0.491であるのに対し、南海部郡の各町村は0.094ないし0.243である。佐伯市の財政力も高いとはいえないが、南海部郡各町村の財政力は格段に低い。財政という観点だけから考えるならば、南海部郡各町村の状況は、少なくとも短期的には解決する。しかし、佐伯市は、南海部郡を吸収することにより、財政状況が悪化する。
また、この合併案には、市町村合併を是とするか非とするかは別として、問題があるものと思われる。また、既に新聞などにおいても報道されているように、県の姿勢に反して、市町村側の対応は鈍いようである(もっとも、最近、宇佐市と宇佐郡との合併などに関しては、話が進んでいるようであるが)。
まず、大分県は、上記要綱の概要を示す部分において「通勤・通学、買物、通院など住民の日常生活行動においては、大分市や別府市への集中もみられるが、それぞれの地域の中心都市への依存度が高く、また、産業経済活動や行政上のまとまりからみても、旧郡を単位に強い類似度やつながりがみられる」として、これらを総合的に判断して統合案を示したとしている。しかし、大分県が示す「他の市町村への就業・買物動向」を参照すると、中核となる市または町とその他の町村との結びつきは一様でなく、とくに、山国町と中津市、竹田市と直入町、三重町と朝地町、杵築市と山香町、杵築市と日出町、国東町と国見町、臼杵市と津久見市との経済的な結びつきが非常に弱く、または皆無であることが示されている。他方、他地域との経済的結びつきが強い例としては、日田市と玖珠町、大分市と臼杵市、別府市と日出町などがある。勿論、中核となる市または町との関係のみをみて判断することは早計であるから慎まなければならないが、このような場合に、同じ郡であるなどの理由により統合するとしても、地域的一体感が生まれるには相当の時間がかかるであろう。実際、山国町は、経済的には日田市との結びつきが強い(地理的にみても当然のことである)。
次に、今回の場合、自治省(総務省自治行政局)や大分県の啓発活動不足に由来するのかもしれないが、あまりにも県主導の色彩が濃く、住民の関心を呼んでいなかった(最近は、佐賀関町、宇佐市および宇佐郡などにおいて関心が高まっているようであるが)。
2001(平成13)年1月14日に投票が行われた臼杵市長選挙においても、合併問題は争点になっていないし、後藤國利市長も、市町村合併については何も語っていない。
また、1998年から翌年にかけて、中津市と三光村との合併の動きが存在した。中津市議会と三光村議会とに合併問題調査特別委員会が設置され、1998年末に両委員会の合同会議も開かれているが、その後の動きはない。その原因として、合併に向けての気運が住民に存在していないことがあげられている。これを住民の意識が低いとして責めることは誤りであろう。
そして、統合される場合、地域によっては非常に広大な領域になることも、行政サービスなどの面、さらに住民自治の面からみて問題である。日田市長の大石昭忠氏は、2000年12月議会の席上、「日田市郡で合併するとしたら面積があまりにも広すぎるのではないか」と発言した。尤も、その後、大石氏は合併に積極的な態度を見せるようになったという話もある。
私は、今年1月、ホームページの掲示板などを利用して、日田市民の方に意見を伺った。方法の問題などもあり、数名から意見を得られたにすぎないが、市町村合併自体には賛成であるとしても、無条件なものではないこと、また、住民に十分な情報が提供されていないこと、などを理解しえた。また、日田郡の住民(少なくとも、その一部)には「市」に対する一種のブランド志向があることも知った(これは、たいした根拠のあるものでない)。さらに、都道府県の実際の経済圏とのズレを指摘する重要な意見もある(実は、日田市および日田郡の位置からすれば、これは予想の範囲内でもある)。小西氏が地域のアイデンティティと市町村とのギャップを指摘されていることについては前に触れたが、実際には、都道府県とのギャップも存在するのである。場合によっては、後者のギャップのほうが大きいであろう。また、大分県の市町村合併推進要綱案などを検討しても、市町村の領域と経済圏とのギャップは、合併後も解消されない。
このことは、地方分権推進委員会も理解しているようである。実際、前述の意見にも「最後に、市町村合併が飛躍的に進展することになれば、広域的自治体としての現在の都道府県の在り方の見直しも視野に入れ、地方自治の仕組みについて、中長期的に本格的な検討課題として取り上げていくことが必要になることを指摘しておきたい」と記されている。
3.市町村合併の問題点
今回の市町村合併についての検討をなす際に、その問題点が何であるかを考察することは、或る意味において非常に困難な作業である。市町村合併が推進されようとしている現段階において、推進する側がデメリットを述べることは、自ら合併の障害を作り出すようなものである。それでは話が進まないから、デメリットについては直接的な言及を避けている場合が多い。総務省自治行政局も、メリットについては様々な点を掲げて(しかも、前述のように相互に矛盾する、あるいはナンセンスとも評価できる事柄を掲げて)いるのに対し、デメリットについては明示していない(しかし、推進策の概要を読めば、何がデメリットかを推察することは可能である)。他の市町村合併推進論者についても、多くの場合は同様である。
平成10年4月24日付の(第25次)地方制度調査会「市町村の合併に関する答申」は、「合併を進める上での障害、合併に消極的となる理由」を「@合併の必要性やメリットが個別・具体の事例において明らかになりにくい場合があること」、「A合併後の市町村内の中心部と周辺部で地域格差が生じたり、歴史や文化への愛着や地域への連帯感が薄れるといった懸念があること」、「B住民の意見の施策への反映やきめ細かなサービスの提供ができにくくなるという懸念があること」、「C関係市町村間の行政サービスの水準や住民負担の格差の調整が難しいこと及び市町村によっては財政状況に著しい格差があること」および「D合併に伴い新しい行政財政需要が生じることや一定期間経過後交付税が減少することなど」をあげる。また、平成12年11月27日付の地方分権推進委員会意見は、市町村合併のデメリットとして「@行政との距離が遠くなることによる住民の利便性の低下、A住民の意見の施策への反映やきめ細かなサービスの提供が困難になること、B合併後の中心部と周辺部との地域格差の発生、C地域の連帯感の喪失、Dサービス水準の低下や住民負担の増加などが指摘され」るとして、これらが「市町村や住民が合併に対して消極的になっている場合もある」と述べる。これらについての具体的な指摘はなされていないが、「合併についての関係市町村の協議の中で十分な検討を行い、合併についての行財政措置を十分に活用することなどによって、その解消を図る必要がある」とされる。
市町村合併による急激な変化を避けるために、また、おそらくは合併のデメリットへの対策としての意味をも含めているものと思われるが、地方分権推進委員会は「市町村合併の推進方策」として、市町村合併特例法の「期限である平成17年3月までに十分な成果が上がるよう、既に講じられている措置に加え、新たに次の措置を講ずることとする。なお、合併特例法の財政措置は、原則として法の期限内に合併するものについてのみ適用されるものであることを関係者は認識して取り組む必要がある」として、次のような措置を提案している。
(1)合併支援体制の整備
市町村の合併に対する取り組みを総合的に支援するため、政府部内において「市町村合併支援本部」(仮称)を設置することとし、国民への啓発とともに、市町村合併の推進の観点から、国の施策に関し、関係省庁間の連携を図る。
(2)住民発議制度(69)の拡充と住民投票制度の導入
合併協議会の設置を求める住民発議が行われた場合には、住民発議に係る議会の議案審議に際して請求代表者の意見陳述を認めることとし、合併協議会が設置される場合、合併協議会そのものへの参加も認めることとする。
また、住民発議が行われても合併協議会設置に至らない場合が多いことにかんがみ、住民の意向がより反映されるよう、住民発議による合併協議会設置の議案が議会で否決された場合に、合併協議会の設置を求める住民投票制度の導入を検討する。
なお、住民発議により合併協議会が設置された場合には、一定期間内に市町村建設計画を作成するものとする。
(3)合併推進についての指針への追加
各都道府県が要綱を作成しつつある状況を踏まえ、国は現在の指針に、合併協議会設置に係る知事の勧告の基準を示すことや、各都道府県に知事を長とする市町村合併のための全庁的な支援体制を整備することの要請などを追加する。
(4)財政上の措置
合併特例法の期限内に合併する市町村に対し、合併後の財政需要に対する交付税措置を一層充実する。
また、地方税の不均一課税の適用期間の延長その他合併に伴う税制への配慮を検討する。
(5)旧市町村等に関する対策
国は、住民サービスの維持向上を図り、住民の意向がより反映されるよう、地域審議会の活用、当分の間旧市町村の意向が議会において反映される措置、災害等緊急時の役場機能の維持など旧市町村等を単位とする多様な仕組みを検討する。
(6)情報公開を通じた気運の醸成
国は、都道府県知事に対し、要綱の周知を図るよう要請するとともに、市町村に対し、住民が市町村合併の是非について的確な判断ができるよう行財政情報の公開を徹底するよう要請する。
総務省自治行政局も、市町村合併のデメリットを意識しており、「市町村の自主的な合併が円滑に行われるよう」に、様々な「支援策」を用意し、抵抗を少なくしようとしている。
第一に、「合併後のまちづくり」に対する「手厚い財政措置」である。総務省自治行政局は、「合併直後の市町村では、地域間の道路整備や住民サービスのための施設整備、格差是正のための施設整備など新たなまちづくりのために多額の経費を要」すると述べている。すなわち、これは(少なくとも)短期的なデメリットである。市町村合併によって「スケールメリットによりさまざまな経費が節約され」るというが、「合併後直ちに節減できるものでは」ない(当然のことである)。そこで、合併特例債の発行を認めて「合併後一定の期間、合併前の財源を保障」するというのである。しかし、これは地方債制度の濫用であると考えられるばかりでなく、長期的にみても地方財政の健全化や行財政の効率化と矛盾するのではないかと考えられる。
また、地方分権推進委員会は、前述「意見」において「昨今、地方交付税による財源保障が市町村合併の推進を阻んでいるとの声があることも事実であるが、国・地方を通じた厳しい財政状況を考慮すれば、むしろ財政構造改革の論議の中で地方交付税制度の一層の簡素・合理化を検討すべきであると考える」と述べている。しかし、市町村合併に際しては、この地方交付税制度が促進のために活用されるという方針が明らかにされている。すなわち、「自主的な」合併を進める市町村に対しては地方交付税の配分に際して優遇し、逆に合併を進めない小規模市町村については配分額を減らすというものである。これは、地方分権と言いつつも実質的には中央集権的な強制的合併でもあり、地方交付税制度の濫用ではなかろうか。また、地方交付税制度の見直しとは逆行する部分も含まれており、疑問が残る。
第二に、市町村議会議員の定数および任期に関する特例である。地方分権推進委員会の意見においても、市町村合併の最大のデメリットとして、住民自治の稀薄化が指摘されているし、総務省自治行政局もその点を意識しているものと思われる。そのため、市町村合併特例法第6条において、「合併関係市町村の協議により、市町村の合併後最初に行われる選挙により選出される議会の議員の任期に相当する期間に限り、同項に規定する定数の二倍に相当する数を超えない範囲でその議会の議員の定数を増加することができる」としている(第1項本文)。しかし、このことについても疑問が残る。
まず、暫定的ではあるが議会の議員数を増加させることができるということについては、やむをえない部分もあるが、地方行政の簡素化とは矛盾する。また、合併後の議員定数配分などの問題がある。市町村合併を勧めることにより、例えば衆議院議員選挙および参議院議員選挙、そして都道府県議会議員選挙における一票の格差が解消される方向に進むのであろうか(70)。
地方分権推進委員会や総務省が提唱する対策を概観しても、「@行政との距離が遠くなることによる住民の利便性の低下、A住民の意見の施策への反映やきめ細かなサービスの提供が困難になること、B合併後の中心部と周辺部との地域格差の発生、C地域の連帯感の喪失、Dサービス水準の低下や住民負担の増加など」の懸念が完全に解消されるとは考えられない。とりわけ、大分県の場合、1999年度に過疎市町村率全国一となっていることもあり、市町村合併を過疎化対策の一環として位置づけているのではないかと考えられるだけに、特定の地域に人口や経済基盤が集中するという危険性は薄れていない。
そこで、既に指摘した点を含め、かつて論じたことを基調としつつ(71)、再検討したい。
既に述べたように、今回の地方分権改革においては、市町村の「自主的な」合併を前提とした内容となっている。例えば、第一次勧告は「市町村の行政能力の充実強化」を不可欠とした上で、市町村の自主的合併を推進する必要性について触れる。すなわち、市町村の大規模化である。合併が困難な場合には、広域行政、中心都市による連携・支援(中核市制度や地方拠点都市地域指定制度がこれに該当すると考えられる)、都道府県による補完・支援という対策をとるべきであるとも述べられている。
しかし、第一に、前述のように、行政能力とは「法を事実に適用、調和させていくこと」であり「法を現場に適用していく」こと、「法律の趣旨が生きていくように適用していく」ことである。その意味において、行政能力の有無は市町村の規模と無関係である。少なくとも、理念的には、大都市だから行政能力が高いとか、人口に応じて行政能力の高低が決定される、ということにはならない。予算がなければ行政活動ができないという主張は、一般的には正当であると思われる。しかし、これを過度に強調することは、これまでの公共事業偏重主義に由来するものであり、問題が残る。
第二に、大規模化は、住民の意識を育てにくくする傾向を強く有する。この点については、多言を必要としないであろう。さらに、市町村合併に向けた住民発議制度との関連で記すならば、合併後の住民の意見などをどのように反映するかという課題がある。また、都道府県と市町村との関係が具体的にどのようになるのか、ビジョンが示されていない。 第三に、大規模化は、住民の需要を汲み上げるに適さないことがありうる。例えば、高齢者福祉を例にして考えるならば、高齢者の生活状況を調査し、高齢者の意見や要望を的確に把握して、きめ細かく対応することは、少なくとも役所の担当課職員だけでは不可能である。これまで以上に、住民、ボランティア団体との緊密な連絡・連携が要請される。 第四に、大規模化は、過疎化に対する適切な対応と言えない。少なくとも、過疎化対策の決め手にはならない。この点を、重森暁氏は(多田憲一郎氏の研究(72)を引用しつつ)京都府与謝郡伊根町を例として説明している。それによれば、同町において、1970年代から80年代にかけて計1億8千万円の「過疎債」による過疎対策事業が行われたのであるが「そのうちの八割以上が町の中心部の漁村地区の道路や港湾の整備に使われ、一九五四年に合併された四つの旧村のうち山村地区にはほとんど事業の効果は及ばなかった。その結果、山村地区集落の人口減少はいっそう深刻化した」(73)。私の知る限りではあるが、1963年に大野郡大野町から一部が編入された安藤地区など、過疎化地域(厳密な意味においてではないかもしれない)が見られる。従来の市内過疎化地域については、今後の宅地地域の拡大によっては、部分的には解決するかもしれない。しかし、今後、市町村合併がさらに推進されるとするならば、過疎化町村が中核市などに合併されることが予想される。その場合、過疎化町村の消滅に伴ってそれらの地方公共団体の財政問題などは解決されるが、それらを抱え込んだ地方公共団体の側は、一層の過疎化対策(地域振興策)を迫られることになるであろう。また、広域化・大規模化に伴って財政規模が拡大することにもなり、財政の合理化が緊急課題ともなる(74)。そうなれば、大規模化した市町村は、板挟み状態となるであろう。これまで、国による過疎化対策は、根本的な解決策を見出しうるようなものでなかった。今回の市町村合併は、過疎化問題の深刻化を解決することが目的ではない。そのため、この問題は、表面上(あるいは計算上)、隠避されるにすぎない(先送りと評価してもよい)。市町村合併論者の主張をみても、この問題に対する真剣な回答はみられない(と言うより、回答を避けているように思われる)。
この点について、大分県の東国東郡を構成する町村による東国東広域連合を取り上げておきたい。東国東広域連合は、合併を明確に否定した上で設立された。何故、合併を明確に否定する必要があったのか。その背景には議員や役場職員の意識という問題もあるが、合併により、中心部に比べて周辺部の比重が軽くなること、これまでの地域づくりの意味が失われるという問題もあった(75)。この地域は、仮に合併しても4万人を超えない。
第五に、既にメリットの箇所において述べたように、今回の市町村合併によって大型公共事業の推進が容易になるとすれば、対象となる地域の環境破壊につながる可能性が高くなることである。その際、地域住民の反対運動などが展開しにくくなるのではないかと懸念される。そればかりでなく、合併後の市の財政がかえって悪化すること、行政の非効率性が助長されることなどの危険性もある。
最後に、今回の市町村合併に関して、やはり危機的な状況にある都道府県の財政状況が等閑に付されている点を指摘しておきたい。4.「道州制」への動きについて
これまで続いてきた都道府県・市町村の二階建て制度は、1888(明治21)年に現在の47道府県制(当時は東京府)が確立し、翌年に市町村制が施行されて以来のものである。これは日本国憲法施行後も基本的に維持された。しかし、高度経済成長期を境に都道府県(および市町村)という行政上の地域区分と、実際の経済圏とのズレが顕著になってきた(とくに首都圏および関西圏)。このため、1990年代から「道州制」が論議され、都道府県制に代わる制度として支持が高まっている。
これを受け、政府の地方制度調査会は、今年10月から2年程をかけ、都道府県・市町村の二階建て制度を抜本的に見直す作業を開始する(76)。この調査会は今年で第27次となっているが、「道州制」を本格的に検討するのは初めてのこととなる。既に、経済財政諮問会議は、「すべての自治体が同じように行政サービスを担う仕組みを見直す」、換言すれば地方公共団体の規模に応じた役割分担を求めるという基本方針を呈示している。これを受けて、道州制の導入を視野に入れつつ都道府県の合併を検討する。また、人口の少ない(その具体的な基準は現段階で不明)町村の権限縮小も検討するとのことである。最終的には、2年後に調査会が答申をまとめ、それを受けて総務省が地方自治法の改正を行うことになる。また、市町村の規模に応じて事務権限の配分を見直すこともあって、市町村合併による規模の拡大に応じて都道府県の規模を決め、再編をする。
しかし、私は、この「道州制」について、少なからぬ疑問を抱いている。
第一に、「道州制」で議論されている道および州の性格である。政府の構想(一案であるが)によれば、地域ブロックによって州を設け、交通やごみ処理などの広域的な事務を任せるという。しかし、これでは現在の都道府県の拡大版にすぎない。つまり、「道州制」は、世間で期待をもって語られるほどのものではないということである。そうであれば、名称そのものが紛らわしい。
第二に、市町村合併の進行状況によっては、都道府県制そのものが不要となる。また、都道府県については国との二重行政が多いという批判もある。既に、政府は、合併によって市町村を現行の約3200から1000程度に減らす計画を出しているが、さらに市町村を減らすべきであるという考え方も存在しうる。
Y 終わりに
以前から考えていて、少々論文などでも記していることを、ここでより詳しく書いておく。昨今の地方分権改革や市町村合併などの議論を概観すると、本当の住民自治が忘れられているように思える。近隣市町村の住民が合併を望むのであればそれでよいが、無理に市の領域を拡大しても、上手くいくとは思えない。首長や議員などの身分などが問題なのではない。体裁なども問題ではない。合併するか否かは住民が決定することである。市町村合併は、住民が真に暮らしやすい地域を作るための一手段、しかも一選択肢にすぎない。行政の効率化も重要であるが、それは人口規模だけで測れるものではなく、住民の生活を支配すべきものでもない。地域のことは、地域の住民こそが最善の選択をなしうる。
(1) 地方分権推進委員会の委員長を務めた諸井虔氏は、8月31日、地方分権改革推進会議に招かれ、やはり地方分権改革の前途の険しさを強調している。また、首相官邸との意思疎通の重要性を訴えている。朝日新聞社のホームページに2001年9月1日19時58分付で掲載された記事「地方分権は『ヒマラヤ登山のように大変』 諸井元委員長」(http://www.asahi.com/politics/update/0901/004.html)による。
(2) 地方分権推進委員会は、既に第1次勧告において市町村合併を提唱しており、合併が困難な場合には広域行政(大分県においては大野郡の大野連合という例がある)、中心都市による連携・支援(中核市制度や地方拠点都市地域指定制度がこれに該当すると考えられる)、都道府県による補完・支援という対策をとるべきであると述べている。また、平成12年11月27日付の意見は、内容を市町村合併に絞り、より具体的な提言を行っている。ちなみに、これも現在は内閣府の下に置かれている地方制度調査会は、平成10年4月24日付で「市町村の合併に関する答申」を行っている。
(3) 地方分権推進委員会は、とくに地方税に関し、一貫して受益と負担との関係を強調している。これが目的税の積極的な評価にもつながっている。しかし、この関係の明確化は、口で言うほど簡単ではなく、応能原則論を採る者からの批判にも十分に答えているとは言えない。
(4) なお、森稔樹「地方目的税の法的課題」新井隆一他『地方税の法的課題』(日税研論集第46号、2001年、日本税務研究センター)279頁も参照。
(5) 朝日新聞1999年6月12日付朝刊大分版13版27面。
(6) これについては、神野直彦=自治・分権ジャーナリストの会編『課税分権』(2001年、日本評論社)などを参照。
(7) http://www.asahi.com/politics/update/0803/007.html
(8) 今年から試験研究機関などについて始まっている国の独立行政法人にならったものである。国の場合も、膨大な財政赤字を削減するための一手段として、職員の定数削減のために独立行政法人制度を設けたのである。ここには国立大学も含まれる。このことから、大阪府が試験研究機関や府立大学を独立行政法人化する改革は、予想の範囲内である。また、東京都も、都立の4大学を統合する方針を打ち出しており、既に取り組みを始めている。逆に、佐賀県には県立大学が存在せず、設置に向けた動きも存在するようであるが、佐賀県は財政事情などを理由に消極的な姿勢を示している。
(9) 朝日新聞のホームページ(東京版)に8月29日付で掲載された記事「千代田『市』になりたい 東京都の特別区脱退目指す」(http://www.asahi.com/politics/update/0829/002.html)による。
(10) 森稔樹「日本における地方分権に向けての小論」大分大学教育学部紀要第20巻第2号(1998年)191頁。この論文は、平成10年2月17日、大分市職員研修「法律セミナー(地方分権セミナー)」第二回目(大分市役所第二庁舎6階研修室)として行った報告「地方分権とこれからの行政のあり方」の草稿を基にして、若干の加筆修正を行ったものである。
(11) 森・前掲192頁。
(12) この条例については、逢坂氏自身が様々な場において語られている。私も、7月7日、独立行政法人経済産業研究所主催の「アクティブ・シティズンズ・フォーラム」において、直接、逢坂氏の講演を拝聴した。また、条例の制定の経緯などについても、逢坂氏、そして制定委員会のメンバーの方から、電子メールなどでうかがうことができた。この条例を含め、逢坂氏の基本姿勢は、逢坂誠二「時代の転換期をどう乗り越えるか」木佐茂男編『地方分権と司法分権』(2001年、日本評論社)2頁に示されているので、参照されたい。
(13) 逢坂・前掲書16頁。
(14) 情報公開請求権の性質については、森稔樹「大分県における情報公開(1)―大分地方裁判所平成12年4月3日判決の評釈を中心に―」大分大学教育福祉科学部研究紀要第22巻第2号(2000年)431頁において、検討を加えている。
(15) 小西砂千夫「市町村合併問題の本質とはなにか」ガバナンス4号(2001年)25頁。
(16) 小西・前掲25頁。
(17) 介護保険を念頭に置いている。
(18) 朝日新聞2001年1月17日付朝刊11版13面による。
(19) 片山氏と同じく、朝日新聞2001年1月17日付朝刊11版13面による。
(20) 1996年11月、神奈川県が主催した「地方分権シンポジウム」における長野県栄村村長高橋彦芳氏の発言。引用は、保母武彦「農村から問う、『行政能力』とは何か」法学セミナー509号(1997年)104頁による。
(21) 2001年1月16日に、横浜市役所職員の青木透氏からいただいた意見。
(22) 神野直彦『地方自治体壊滅』(1999年、NTT出版)97頁を参照。
(23) 西日本新聞社のホームページ(日田版)に8月30日付で掲載された記事「大山町の行政サービス 町民の5割超満足 評価制度調査」(http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-local/hita.html)に掲載された(概略に留まる)。
(24) これは、上記西日本新聞の記事から引用したものであるが、具体的な意味は私にもわからない。
(25) http://mytown.asahi.com/saitama/news02.asp?kiji=1453
(26) この点については、埼玉県鶴ケ島市職員の勝浦信幸氏から御教示を得た。
(27) おおいた・市民オンブズマン会報第10号(2001年8月12日付)8頁。8月4日・5日に行われた第8回全国市民オンブズマン京都大会の席上、長野県知事の田中康夫知事が発言したという。
(28) 電子入札制度は、電子政府・電子自治体構想の一環である。そのため、電子政府・電子自治体構想の検討を進める場において取り上げたほうがよいと思われる。
(29) 臼杵市長の後藤國利氏は「フロム市長トゥ市職員」を執筆し、同市職員に向けて発行している。これは、臼杵市長のホームページにおいても公開している。新しい入札制度は、「フロム市長トゥ市職員」505号(2001年7月11日発行)「建設工事入札の方法が変わりました―最低制限価格も公表―」(http://www.jititai.com/d/to_syokuin/from505.htm)に掲載されている。
(30) これは、発注の際の最高価格を意味する。この価格以上で落札できないこととなる。
(31) 最低制限価格とは、文字通り、落札最低価格であり、工事の水準を維持するために設けられた。「フロム市長トゥ市職員」505号によれば、これは今回新たに設けられたものである。同記事は、「これまでは、最低制限価格は設定せず、どんなに低く入札しても落札できました。しかし、半値以下になるような金額で極端に低く落札されることで、工事水準の維持が危惧されるような事態は避けなければなりません。そのため、最低制限価格を設定しますが、この金額は原材料や必要人役だけは確保されるはずの金額です。複数業者が同額で入札した場合は、規定によりくじ引きで業者を決めることになります」と説明している。
(32) http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-local/keitiku.html#001
(33) 園部逸夫・大森政輔編『新行政法辞典』(1999年、ぎょうせい)281頁[上本仁士担当]による。
(34) 小西・前掲24頁。氏は、広域連合制度が一部事務組合の「ガバナンスの弱さをそのまま引き継いでいる」こと、広域連合の場合は「構成市町村が全員一致でないと決定できない」ことも指摘する。
(35) 森・前掲191頁。
(36) 2001年1月27日、第7回「食と水を考える会」主宰講演会(大分県大野郡千歳村農村環境改善センター)。この時の草稿を「大分発法制・行財政研究」に掲載している。なお、本稿においても私の論文および講演を援用していることを予めお断りしておきたい。
(37) 橋本祐輔・大塚広「緩慢なる市町村合併」地方分権研究会編『平松・大分県政の検証』(1999年、緑風出版)190頁[橋本祐輔担当]を参照。
(38) 大分合同新聞1999年8月21日付朝刊による。
(39) 2001年1月12日に、青木氏からいただいた意見。
(40) 森・前掲192頁。
(41) 小西砂千夫『市町村合併ノススメ』(2000年、ぎょうせい)48頁。
(42) 小西・前掲書22頁。
(43) 小西・前掲書22頁。
(44) 大野連合を端緒とする、大分県における広域行政に対して、このような批判がなされている。久慈力「問題だらけの平松県政」地方分権研究会編『平松・大分県政の検証』38頁を参照。
(45) 吉村弘『最適都市規模と市町村合併』(1999年、東洋経済新報社)43頁。なお、詳細な分析は同書17頁以下を参照。
(46) 吉村・前掲書80頁。なお、詳細な分析は同書69頁以下を参照。
(47) 小西・前掲書203頁を参照。
(48) 朝日新聞社のホームページに8月4日0時2分付で掲載された記事「市町村合併推進アピール 全国リレーシンポ開催へ」(http://www.asahi.com/politics/update/0804/008.html)による。ちなみに、この記事には、6月末の総務省の調査も紹介されている。それによると、全市町村の約4割にあたる全国1247市町村で、法定協議会や任意協議会など、合併に向けた動きがある。
(49) 西日本新聞2001年8月26日付朝刊16版1面および大分合同新聞2001年8月26日付朝刊朝F版1面に基づく。
(50) 西日本新聞2001年8月26日付朝刊16版1面による。
(51) 朝日新聞社のホームページに8月30日19時33分付で掲載された記事「合併なら、70万人でも政令指定都市に 静岡・清水念頭」(http://www.asahi.com/politics/update/0830/009.html)による。また、静岡版には「目標人口は75万人/静清合併協が最終素案」という記事が、同日付で掲載されている(http://mytown.asahi.com/shizuoka/news02.asp?kiji=3852)。
(52) 文献は多いが、三橋良士明=自治体問題研究所編『ちょっと待て市町村合併』(2000年、自治体研究社)は、あきる野市や仙台市南区の現実を捉えていて、参考になる。また、川瀬憲子『市町村合併と自治体の財政』(2001年、自治体研究社)は、市町村合併によって変化する住民の税負担を、西東京市、さいたま市、潮来市を例に検証しており、静岡市と清水市との合併についても検証を加えており、地方税財政の観点から市町村合併政策の矛盾を分析する。さらに、さいたま市については、山中伊知郎『浦和が、なくなる日』(2001年、風塵社)、茨城県潮来市については、大久保圭二「新市建設へ船出した潮来市の合併事情」ガバナンス4号(2001年)26頁を参照。
(53) 田無市の人口は約78000人、面積は、日本の市の中では小さいほうから数えて4番目であった。
(54) 保谷市の人口は約103000人、面積は、日本の市の中では小さいほうから数えて10番目であった。
(55) 毎日新聞2001年1月13日付夕刊4版1面による。
(56) 原田勤「住民投票は合併のツールになるか」ガバナンス8月号29頁も参照。
(57) http://mytown.asahi.com/saitama/news02.asp?kiji=1448
(58) 朝日新聞社のホームページ(埼玉版)に8月7日付で掲載された記事「合併協議参加せず 伊奈町長が回答」(http://mytown.asahi.com/saitama/news02.asp?kiji=1440)による。
(59) http://mytown.asahi.com/saga/news02.asp?kiji=372
(60) http://mytown.asahi.com/saga/news02.asp?kiji=373
(61) 朝日新聞社のホームページ(北九州版)に8月1日付で掲載された記事「遠賀郡4町合併困難に/芦屋が住民意向調査」(http://mytown.asahi.com/kitakyu/news01.asp?kiji=2612)による。
(62) 西日本新聞社のホームページ(京築版)に8月29日付で掲載された記事「京築6市町合併研究会 論議テーマ6点決定 幹事会が初会合」(http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-local/keitiku.html)による。
(63) 西日本新聞のホームページに8月23日付で掲載された記事「『離島振興法改正を』 長崎県、延長も求め意見書」(http://www.nishinippon.co.jp/media/new s/news-today/today.html#042)による。なお、離島振興法は、離島の道路や港湾整備などに国が補助金を出すことを主な内容とするものである。
(64) 朝日新聞社のホームページ(長崎版)に8月28日付で掲載された「新市名は 『対馬市』 全会一致で決まる」という記事(http://mytown.asahi.com/nagasaki/news02.asp?kiji=593)による。
(65) ダイオキシン対策や介護保険制度などがあげられている。
(66) 朝日新聞の大分 asahi.com/ニュース「市町村合併/県の推進要綱を受けて」(2001年1月14日付)も参照した。
(67) 普通地方公共団体の歳入額に占める地方税などの割合を指す。
(68) 普通交付税算定に用いる基準財政収入額を基準財政需要額で序して得た数値であり、地方公共団体が標準的な行政活動を行う場合に必要とされる経費のどの程度までを独自の税収入により賄えるかということを意味する。この数値が1を超えるならば、普通交付税は交付されない。また、この数値が0.44以下であることなどが過疎地域として指定される要件となっている。
(69) 今回の市町村合併については、自発的な合併を推進するための手段として、市町村合併特例法により住民発議制度が設けられている。すなわち、同第3条による合併協議会を「政令で定めるところにより、その総数の五十分の一以上の連署をもつて、その代表者から、市町村の長に対し、当該市町村が行うべき市町村の合併の相手方となる市町村(以下この条において「合併対象市町村」という。)の名称を示し」て設置を請求できるとされている(同第4条第1項)。
(70) なお、「広域行政アドバイザー」という制度も置かれている。これは「講演会や研修会などに学識経験者や自治省(総務省)職員を派遣し、市町村合併について幅広くアドバイス」するというものである。
(71) 森・前掲201頁を参照。
(72) 多田憲一郎「過疎地域市町村の行財政構造と地域政策―京都府与謝郡伊根町を事例として―」京都大学経済学会経済論叢別冊・調査と研究第7号(1994年)65頁。
(73) 重森暁「柔らかい地方分権への税財政改革」自治体問題研究所編『解説と資料 地方分権の焦点』(1996年、自治体研究社)82頁。この点につき、詳細は、多田・前掲72頁以下を参照。
(74) このことは、過疎化地域ではないが極端な財政赤字を抱え込む地方公共団体の合併についても、基本的に妥当するものと思われる。
(75) 以上、詳細は、大久保圭一「合併を否定し分権の受け皿めざす小さな組織に全国から熱い視線」月刊地方分権3号(1999年)60頁を参照。
(76) 以下、日本経済新聞2001年8月15日付朝刊12版1面「『道州制』導入を本格検討」に基づく。
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