サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第8編

 

 サテライト日田の問題に関心を持ち始めてから、既に5か月ほどが経過しました。そして、今、この問題に関して別府市議会が一つの決断を下す時です。或る意味において、2000年12月、一つの、そしておそらく最大の山場を迎えております。別府市議会においても、全議員が設置に賛成している訳ではないからです。

 12月5日(火曜日)の午前中、私は大分市明野にある新日鐵研修施設攻玉寮で仕事をしました。大分県市町村職員研修で行政法の講義を行い、昼食をとり、大学へ向かいました。朝日新聞社の別府通信局から、11月26日付朝刊(私のコメントが載っています。第4編を御覧下さい)および11月30日付朝刊が送られてきました。その中に同封されていた手紙に、12月9日、日田市側が別府の中心街である北浜周辺で抗議運動をするという情報が記されていました。このことは、既に大分合同新聞2000年12月2日付朝刊朝F版27面を読んで知っていました。私は、この抗議活動を見に行くことを決め、9日の午前中に自宅から大分駅まで自転車を走らせ、大分駅からは電車に乗って別府駅へ向かいました。

 サテライト日田問題についての別府市民の考え方が、これまであまりよく見えず、反対運動にどのような目を向けるのか、注意していました。閑散とした、と表現してよい中心街を歩き、時間を待ちました。13時ころ、別府市民の中から何人かの反対運動をする人々が、別府駅周辺に集まってきました。そのうちの一人の老紳士と話をしたのですが、昔ならいざ知らず、別府競輪も赤字転落は間違いない、サテライト宇佐だって成功しているのかどうかわからない、別府市はギャンブルで街を活性化することばかり考えている、これで風紀が(ますます)悪くなる、湯布院町などと違って文化的な活動については全く遅れている、と話してくれました。元々、別府市の中心街、とくに裏通りには、成人映画館やヌードシアターなど、大分市の繁華街にもないものを含めて性風俗関係の店が多いのです。しかし、観光の面では長期低落傾向を示しているだけあって、昼の中心街は寂れています。別府駅前には、何年か前まで近鉄百貨店がありましたが、その建物が壊されていました。別府大学駅の付近、六勝園から上人ヶ浜のほうに別府市美術館があるのですが、海辺にあるため、美術品の展示や保管に問題があるとか。

 別府市民の反対活動は「サテライト日田を強行する市長に腹が立つ会」という名称がつけられており、そのビラには、「『どうして、いやがっているのに強行するのか』、『市長は人の意見を聞かないごうまんな姿勢が目立つ』、『別府市民としてはずかしい』、『日田の人に申し訳ない』等々別府市内でも市長に対する批判が広がっています。ギャンブルに頼るのではなく、温泉・豊かな自然・歴史や文化を大切にした街づくりを、という声は日田も別府も共通の願いのはずです」と書かれていました。実際、そのようなことが書かれたプラカードも多数見られました。その数は、最終的に50名ほどだったでしょうか。もう少し多かったでしょうか。

 このころから、朝日新聞、西日本新聞などの新聞社、NHK大分、大分放送(OBS)、テレビ大分(TOS)および大分朝日放送(OAB)などの記者、カメラマンも集まり始め、皮肉なことに、こうした運動によって、かつては大分交通別大線も足を伸ばしていた別府駅前通りはにわかに活気づいたのでした。

 14時ころ、集団は国道10号線北浜交差点そばにあるトキハ別府店・別府コスモピアの前に移動しました。日田市からは約250名が反対運動に参加するとのことでした。バス5台に分乗して別府に到着するのが14時だという情報も入っていたのですが、実際の到着は14時半ころでした。日田市長の大石氏、日田商工会議所会頭の武内氏、そして日田市議会議長および議員全員、さらに市民も集まっており、頭にハチマキを占め、日田市長など数名はタスキをまわし、北浜の歩道に集結しました。

 日田市側から配られたビラによると、「サテライト日田」設置反対連絡会には、日田商工会議所の他、日田市自治会連合会、日田市連合育友会、日田市女性団体連絡協議会、サテライト日田設置反対女性ネットワーク、日田市連合青年団、日田市ライオンズクラブ、日田すいめいライオンズクラブ、日田ロータリークラブ、日田中央ロータリークラブ、国際ソロプチミスト日田、日田まちづくり研究所、大分ひた農業協同組合、日田市森林組合、(社)日田青年会議所、日田商工会議所婦人会および日田商工会議所青年部が名を連ねています。そして、「別府競輪場外車券売り場『サテライト日田』絶対いらない!!」というタイトルの下、次のように書かれていました。

 「別府市民の皆さん、『サテライト日田』問題をご存知ですか?/『サテライト日田』とは、別府市が日田市にムリヤリ設置しようとしている別府競輪の場外車券売り場のことです。/私たち日田市民は、平成8年から別府市に対し、『サテライト日田』の設置断念を訴えてきました。今年8月には、50,570人の反対署名を別府市に提出しましたが、井上別府市長は、私たち日田市民の意向を全く無視し、強引に設置しようとしています。/このような行為は、私たち日田市民を軽視したものであり、日田市の進めようとしている『まちづくり』の大きな障害となるものです。/良識ある別府市民の皆さん、是非私たちの気持ちをご理解していただき、設置反対にご協力とご支援をよろしくお願いいたします。」(ほぼ原文のまま。なお、/は原文における改行箇所)

 14時40分、いよいよデモ行進が始まりました。別府駅経由で大分駅へ向かう大分交通バスがはさまれ、妙な光景でした。日田市側のデモ行進の後ろに、別府市民も加わっています。14時49分、別府駅東口の交差点で折り返し、北浜へ戻り、14時57分、コスモピア付近から歩道に入り、15時、コスモピアでデモ行進を終え、日田市長、市議会議長、商工会議所の会頭があいさつをして、15時3分に終わりました。勿論、この間、シュプレッヒコールは鳴り止みません。

 日田市の人口を考えると、50,570人の反対署名は、ほぼ日田市民全員に近い数の署名を集めたということになります。

 ただ、何度か記しているのですが、既に設置許可が通商産業省から下されていること、日田市の条例には自転車競技法との整合性という問題があること、起工式も済まされていること、別府市が設置を取り止めるとすると賠償問題につながること、などからすれば、法律的には設置の方向が示されており、これを変えるのは難しいでしょう。勿論、全てが法律によって解決される訳ではないのですから、土壇場のどんでん返しもありうる話です。

 別府市議会は、2000年12月18日に閉会します。サテライト日田設置のための特別補正予算案が可決されるか否決されるか、大きな分岐点になります。そして第1幕は終わります。しかし、第2幕は、さらに波乱に満ちたものになるかもしれません。そのように考えながら、私は日豊本線の各駅停車に乗り、大分駅に向かったのでした。

  

(2000年12月10日)

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