サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第45編

 

 このところ、ひたの掲示板を見ていると、サテライト日田設置反対運動、そして現在進められている日田市対経済産業大臣訴訟への批判が目に付きます。とくに、7月22日、日田市中央公民館にて行われた市民集会(第44編において記したとおり、私は参加しておりませんし、翌日になって新聞記事で知りました)については、税金の無駄遣い、さらには市民集会を役所と学者が利用しているなどという痛烈な口調の批判が書かれています(ここにいう学者に私が含まれているとすれば、即座に反論しなければなりません。即物的な利益などを目的とするのであれば、このような不定期連載を続けることなどいたしません)。これに対する反論は、残念ながら説得的なものではありません。両者ともに感情的な泥仕合を演じているような印象すら受けます。

 私は、この時の反対集会に参加しておりませんので、どのような状況であったのかを知りません。そのため、新聞報道、憶測や伝聞だけに基づいて何かを記すべきでないことは十分に承知しています。しかし、他ならぬひたの掲示板で反対集会などに批判的な意見が記されたということは、少なくとも、冷静な第三者に対してこの集会が何らかの問題を帯びているような印象を与えるようなものであったと推測させます。

 また、最近では、8月31日をもって閉店した岩田屋日田店、数年前のジャスコ進出問題(結局、日田市内には出店していません)などとの関連でサテライト日田設置反対運動への批判もなされています。これも、それほど説得力を持つとは言えず、むしろ飛躍が目立つくらいのものですが、商業圏としての日田が空洞化し、福岡や久留米などに買い物客が流れるという懸念(あるいは、現実)を示すものかもしれません。もっとも、そうであればサテライト日田の設置にはあまり意味がないということにもなります。

 さて、今回は、日田市対別府市訴訟について記しておきます。

 朝日新聞社のホームページ(大分版)は、9月11日付で「市報訂正訴訟地裁で結審」という記事(http://mytown.asahi.com/oita/news02.asp?kiji=2318)を掲載し、2002年9月10日(火)、 大分地方裁判所において日田市対別府市訴訟の最終口頭弁論が行われたと報じました。

 いつもの書き方と違う、と気づかれた方もおられるでしょう。実は、このことを知ったのは9月12日の朝です。つまり、今回の口頭弁論については全く知らなかったので、傍聴もできなかったのです。前回、つまり5月21日の午前中に行われた口頭弁論についても、事前に情報を得ることができず、2度も続けて、ということになります。私は当事者ではありませんし、ただの傍聴人には何らの権利もありませんので、仕方がないということでしょう。また、仮に、9月10日に口頭弁論が行われることを知っていたとしても、大学の公務が重なったために、行くことはできなかったのです。判決が11月19日に言い渡される予定であるとのことなので、その日には傍聴に行こうかと思っています。

 記事には日田市と別府市の主張が掲載されています。

 日田市:「地方公共団体にも社会的評価はあり、名誉棄損の対象になりうる。名誉回復は同一メディアである市報を通じて取られなければならない」

 別府市:「『行政運営の阻害、社会的評価の低下』などの具体的事実の主張・立証は行われず、訂正文は実質謝罪文で過大請求だ」

 いずれも、従来からの主張を繰り返すような内容となっております。そして、客観的にみれば、双方の主張にはそれぞれ理があると言わざるをえません(そもそも、名誉毀損というものは訴える側の主観に拠るところが、他の利益の主張に比してもかなり多く、具体的な事実を主張し、立証することは困難であるとも言えます)。第36編に記したところを再び援用させていただきつつ述べますと、日田市の主張については、広報ひた2001年3月15日号の表にも掲載されている通り、1999年から2000年5月31日までの動きが明確になっていないという問題点があります。おそらく、日田市としては、当時の通商産業省機械情報産業局車両課長から別府市長あてに出された2000年1月14日付の文書において「本場外車券売場(注:サテライト日田のこと)を予定している日田市においては、日田市、日田市議会及び地域住民が設置に反対しているところです」と記されており、「確約書」として2000年2月25日付で別府市長名により当時の通商産業省機械情報産業局長に提出された文書(別事第4-0574号)において「競輪場外車券売場(サテライト日田)については、日田市、日田市議会及び地元住民が設置に反対しており、また久留米市(久留米競輪場)との商圏調整についての合意形成も整ってない状況にあります」と記されていることを、「日田市、日田市議会及び地元住民」が反対運動を続けてきた事実を示すものと主張しているものと思われます。また、1997年12月2日、サテライト日田設置計画の一時凍結を当時の九州通産局が日田市に連絡していることからしても、1999年から2000年5月31日までの段階で表立った反対運動の足跡を示せなかったとしても、或る意味では当然のことかもしれません。しかし、経過を示すものとしては不十分であるきらいを免れないでしょう。

 ただ、市報(町村についても同じです)の名を借りて他市町村の行政運営などを批判する自由がどれだけ存在するのかという疑問は、今も残ります。市報の存在意義を考えていただきたいのです。まず、何よりもその市の行政、政策、財政状況などについて、住民にお知らせすることが広報の存在意義です。それに尽きると言ってもよいでしょう。場合によっては、国への請願事項、都道府県や他市町村への要望などを記事にすることもありえます。しかし、その場合であっても、自らの意向を押し通すために他市町村を攻撃することは、広報の意義から逸脱しかねません。とくに、サテライト日田設置問題についてはこのことが妥当します。仮に、日田市となっているところを市民団体などに置き換えてみます。主体が違うだけで中身は同じですから、市報が市民団体の活動などを批判することになります。とりもなおさず、反対派に対する行政側の攻撃に他なりません。明らかに市報掲載記事ではなくなります。

 そうすると、こうした記事を市報に掲載するということは、故意または過失によるものと考えざるをえません。

 或る市の方からうかがった話によると、地方自治体の広報の記事作成および編集には、担当者の意向など強く反映され、内容などについて明確なチェック体制は存在しないとのことです(本当かどうかわかりませんが)。

 

(2002年9月14日)

戻る