サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第44編

  

  梅雨明けして間もない2002年7月23日(火)、13時30分から、日田市対経済産業大臣訴訟の口頭弁論が、大分地方裁判所第1号法廷にて開かれました。今回は、この時の模様をお届けいたします。

 ただ、その前に、第43編において取り上げたサテライト六戸問題について、ここでもう一度記しておくこととします。

 7月2日付の東奥日報夕刊2面に、「六戸・場外車券場着工遅れ  事業者を聴取へ  東北経産局」という記事が掲載されました。この記事によると、サテライト六戸(同名の会社が設置を計画)は、経済産業省の設置許可を得てから2年4ヶ月以上経った現在でも着工されていないようです。そのため、東北経済産業局は、7月4日に設置許可申請をした会社から事情を聴くことを明らかにしたとのことです。実際に行われたか否かについてはわかりません。しかし、同局は、この会社が事業推進の意思を持っていると判断しており、よほどのことがなければ設置許可の撤回を考えていないようです。

 一方、会社のほうですが、用地買収を既に終えているとのことで、資金繰りの面でも目途がついたという趣旨を、東奥日報に対して示しています。8月中に着工するとのことですが、どうなるのか、注目していきたいと考えています。

 なお、東奥日報7月2日付夕刊2面の記事ですが、青森県上北郡六戸町に在住する方が私の研究室にコピーを送って下さりました。御本人の意向を汲み、お名前などの公表は差し控えます。お届け下さったことに、この場を借りて御礼を申し上げます。

 さて、サテライト日田問題に戻ることといたしましょう。

 7月22日、日田市中央公民館にてサテライト日田設置反対市民集会が行われました。私は、この集会のことを大分合同新聞2002年7月23日付朝刊朝F版21面の記事で知ったのですが、約500人が参加したそうです。記事によると、日田市長は「経済産業省を相手に起こした裁判は、核心を突く段階になると思う。設置反対に向け前進していこう」と挨拶し、原告弁護団が裁判の経過を報告したとのことです。 また、この集会は、私が確認した限りでは西日本新聞および毎日新聞でも扱われていますが、もう少し大きく報道されています(但し、いずれも木佐茂男先生がお持ちのコピーによるもので、西日本新聞大分版には掲載されていないようです)。 西日本新聞の記事は、同社のホームページ日田版に掲載されており、それによると、市長は「国は自立した地域づくりを目指す市町村合併を進めているが、サテライトの設置許可はその流れに逆行するもので同意できない」と述べたようです。また、木佐先生の研究報告も行われたとのことです。

 また、この訴訟と関係があるかどうかはわかりませんが、7月23日の午前中、おおいた・市民オンブズマン(原告)が別府市長(被告)を相手取って起こした情報公開訴訟(非公開処分取消請求訴訟)の判決言渡しがあり、原告の請求を棄却したようです。正午過ぎのNHKラジオ第一放送のニュース(大分ローカル)で知りました。裁判長がサテライト日田訴訟と同じ方です。

 13時前、日田市民、日田市長、原告弁護団などが続々と到着しました。今回は、九州大学大学院法学研究院教授の木佐茂男教授、そしてゼミ生の皆さんも来られました。傍聴人はかなり多かったと思われます。また、今回、原告弁護団は4人でした。

 6月に信山社から、木佐茂男教授編著(ゼミ生の共著)の『<まちづくり権>への挑戦―日田市場外車券売場訴訟を追う―』という書籍が出版されました。私も、日田市経由でいただきました(この場を借りて、木佐先生、そして日田市役所の方々に御礼を申し上げます)。この書籍には、資料提供者 および参考サイトなどとして私の名前が登場します。また、この本は甲第37号証として大分地方裁判所に提出されました。

 今回は、準備書面(第5)の他、書証として、甲第30号証(日田市長大石昭忠氏の陳述書)、甲第31号証(日田市議会議長室原基樹氏の陳述書)、甲第32号証(「サテライト日田」設置反対連絡会代表で日田商工会議所会頭の武内好高氏の陳述書)、甲第33号証(平成13年3月まで日田市総務部企画課課長補佐兼同課企画調整係長としてサテライト日田問題関係の事務を担当され、現在は経済部商工労政課長の日野和則氏の陳述書)、甲第34号証(「サテライト日田」設置反対女性ネットワーク代表の高瀬由紀子氏の陳述書)、甲第35号証(日田市連合育友会会長の佐藤里代氏の陳述書)、甲第36号証(西新宿競輪誘致反対の会代表の古川昭夫氏の陳述書。但し、大部にわたるとのことで、私を含めた傍聴人には配布されておりません)、そして甲第37号証(上述書籍)が提出されています。また、文書送付嘱託申立書、検証申立書(第一)、証拠申立書(第一)〔これは、証人の申立書です〕も提出されています。

 これらについて、例の通り、原告弁護団から説明がなされました。書証については寺井弁護士から、準備書面については木田弁護士から、文書送付嘱託申立書については別の男性弁護士から(お名前を記憶しておりません。申し訳ございません)、証拠申立書についてはおそらく中野弁護士から、説明がなされました。

 被告側からは、原告に対する反論を9月24日までに提出する旨が示されただけで、他に何の弁論もなされておりません。 不気味とも言えるし、不思議だとも言えます。多少の反論くらいは簡単に出来るはずだからです(どのように、ということについては、ここで記さないこととします)。あるいは、原告側によるこれまでの主張が、原告適格、および被告による設置許可の無効(許可に含まれる重大かつ明白な瑕疵)を立証するに十分でないということを意味するのかもしれません(余裕を持っているということでしょうか)。

 そして、最後に、寺井弁護士のほうから次々回の期日について申し立てがなされたのですが、裁判長は一方的に、次回の様子を見て決めるという趣旨の発言をして打ち切りました。 これが、原告弁護団、そして木佐教授に不安を与えたようです。次回(10月1日)で口頭弁論が終結するという可能性もあるからです。しかし、大分地方裁判所で情報公開訴訟を傍聴を繰り返している私の経験からすれば、訴訟の困難性の高さは当初から予想されていることです。それは、このホームページをお読みの方であれば察しがつくと思われます。実際、大分地方裁判所の判決が福岡高等裁判所で覆されることも少なくありません。

 さて、今回は大変です。原告側から提出された証拠が膨大だからです。これらの全てを扱うとすれば大変な長文となります。また、甲第37号証は公刊されている書籍ですから、このホームページで扱うのは不適当です。そこで、それ以外の書証などについて、適宜簡略化しつつ、紹介して参ります。

 7月23日に提出された原告側の書面は一覧としてまとめられており、そこに書かれている順番は、当日に説明が加えられた順番と若干異なります。ここでは、一覧のほうに即して概観しておきます。

 〔1〕準備書面(第5)

 これは、既に提出された鑑定意見書3通(白藤博行教授、村上順教授、人見剛教授)などの書証を踏まえて、主張の補充・追加などを行ったものです。 まず、白藤教授の鑑定意見書を基にして、ドイツにおける市町村(ゲマインデ)の原告適格を論じています。次に、村上教授の鑑定意見書を基にして、フランスにおける地方自治体の原告適格を論じています。また、人見教授の鑑定意見書を基に、アメリカにおける地方自治体の原告適格を論じています。

 そして、日本における地方自治体の原告適格です。準備書面(第5)では「第3  日本における地方自治体の原告適格について」という部分にあたります。

 (1)憲法の規定について

 まず、憲法の規定に触れています。準備書面(第5)は、「憲法92条より、国の法律は『地方自治の本旨』に反すれば違憲無効であって、『地方自治の本旨』を生かすように解釈運用されなければならない」という前提を置き、その上で「憲法の謳う『地方自治の本旨』は、自治権を不当な侵害から防衛する法規概念にとどまらず、地方自治体が国から独立して自主的に自治権に基づき地方自治制度を形成、運用することを積極的に誘導するものである」としています。

 実を申せば、私は、日本国憲法がどこまで地方分権を射程においているのか、地方財政などの点から疑問を持っています。憲法第93条および第94条を併せ読むと、日本国憲法が本当に中央集権でなく、地方分権を採用する憲法であると断言できないのではないのか、と考えられるのです。

 準備書面(第5)にも登場するドイツ連邦共和国基本法では、連邦、州、そしてゲマインデの財源を保障する規定が存在します。それでも、私の論文「財政調整法理論の成立と発展(1)―アルベルト・ヘンゼルの財政調整法理論を中心に―」(大分大学教育福祉科学部研究紀要第23巻第1号に掲載)において紹介しましたように、ドイツの政治学者レンチュ(Wolfgang Renzsch)は、ヴァイマール共和国が成立して間もないころに行われたエルツベルガー財政改革により「ドイツの連邦国家的な財政基本規範の一つの特徴は 、ワイマール憲法以後のドイツ憲法においては、連邦を構成する州に対して事実上、独自課税権(Steuerfindungsrecht)と租税立法権が認められていないという事情の中に現われている。この点が 、他の連邦国家と異なるところである」、そしてこの状態はドイツ連邦共和国においても基本的に変わらないという趣旨を述べています〔Wolfgang Renzsch, Finanzverfassung und Finanzausgleich, Die Auseinandersetzungen um ihre politische Gestaltung in der Bundesrepublik Deutschland zwischen Wahrungsreform und deutscher Vereinigung (1948〜1990), S. 5. この本は、伊東弘文 教授によって邦訳され、九州大学出版会から1999年に『ドイツ財政調整発展史―戦後から統一まで―』 として出版されています。引用文は、邦訳版ではH頁に掲載されており、ここでも邦訳版に従いました〕。まして、日本国憲法には、都道府県および市町村の自主財源を根本から保障するような規定が存在しません。この点については、いずれ、私自身の論文で詳しく論じるつもりです。

 また、この「地方自治の本旨」は曖昧な言葉です。憲法学界の通説は、これを団体自治と住民自治という二つの要素が含まれるものと解しています。しかし、これでもまだ不十分です。それだからこそ、ドイツの公法学者、カール・シュミット(Carl Schmitt)が提唱した制度的保障の規定であるとも解されるのです。制度的保障とは、「日本国憲法」講義ノート〔第3版〕第06回目において述べたように、憲法に定められた基本的人権の中心的な部分を立法権による侵害から守るというところに、その核心的な意味があります。そのため、例えば基本的人権の中心的な部分でない部分であれば、立法権による侵害(規制)が正当化されることもあるのです。これは、地方自治のようなものについても同様です。というより、シュミット自身は、Verfassungslehreという著書(邦訳は『憲法論』と『憲法理論』の2種類)において、地方自治を取り上げて制度的保障論を扱っています。制度的保障の理論は、制度および基本的人権の中心的部分をいかに解するかにかかっているのです。

 日本国憲法は、たしかに地方自治を保障しています。しかし、議会の設置、議員などの公選制、財産管理、事務の処理、行政執行に関する権限、条例制定権しか定められていません。その上、条例制定権はあくまでも「法律の範囲内」に留められています。要するに、具体的なことは全て法律に委任しているのです。憲法の規定を素直に読めば、例えば憲法第93条第2項からは、法律の定め方次第で、都道府県知事や市町村長を公選制から任命制に改めることもできます。議員については公選制を定めているのですが、あとは「法律の定めるその他の吏員」について公選制を採用するという趣旨しか書かれていないからです(当初、教育委員について公選制が採られていたのに、僅か数年で任命制に改められたのは周知の通りです。これも、憲法第93条を素直に解釈すれば、当然に導き出される結論です)。1990年代前半のことですが、道州制の議論で、道および州の首長(これを知事と称してよいのか、よくわかりません)を任命制とするという提案がなされたことがあります。これは、それこそ「地方自治の本旨」からすれば望ましくないのでしょうが、違憲ではないと考えられます。少なくとも文理解釈からは、こうした結論が導かれます。このように考えると、日本国憲法がどこまで地方自治ないし地方分権を重視しているのか、疑問が増大します。仮に地方分権などを強く主張するというのであれば、憲法の改正が必要であると思われます。もっとも、このように考えると、現行の市町村制および都道府県制が憲法の要請するところであるのかという問題も生じてきます(現に、都道府県については、憲法が保障する制度であるか否かについて議論があります)。一部の憲法学者や政治学者は、大日本帝国憲法と日本国憲法の連続性を強調する見解を示していますが、一切の余計な装飾を取り外し、純粋に文理だけで解釈するならば、こうした見解にも妥当性はあります。

  これまで、この不定期連載で私が主張してきたことをお読みの方は、上記に対して相当の違和感を覚えられることでしょう。たしかに、今回は挑発的なことを記しておりますし、その意図もあります。しかし、これは、突発的なものではなく、日本国憲法といえども真に分析的・科学的な検証を経なければならないという私の基本的立場を公にしたものにすぎません。地方分権推進委員会などが唱えてきた地方分権論について、少なからぬ批判が寄せられるのですが(実は私もその一人ですが)、憲法の解釈からすれば当然に予想されるものです。私は地方分権論者の一人であると考えています。それだからこそ、日本国憲法の規定に不十分性を痛感するのです。そもそも、私は、法というものに「なしくずしの死」(MORT A CREDIT. フランスの作家Louis Ferdinand Celineが遺した小説の題名)は付き物であると考えています。問題は、「なしくずしの死」をもたらしやすいか否かです。第9条を引き合いに出すまでもなく、日本国憲法ほど「なしくずしの死」を招きやすいもの、言い換えると(多少の無理を伴うとは言え)どのようにでも解釈しうるものは、そう多くないでしょう(大日本帝国憲法にもその傾向がありました)。

 長々と私自身の見解を記してきました。本題に戻りましょう。日本国憲法が、地方自治について多くを法律に委ねている以上、地方自治法などの規定が重要となります。準備書面(第5)は、現行の地方自治法第2条第11項および第13項を引用し、「総合的に憲法原理を具体化するものであり」、「日本国憲法に定める自治権」を「具体的に確認」したものと評価しています。そして、「手続法的・訴訟法的救済が保障されないところの実体的権利保障は無意味なのであって、憲法及び地方自治法によって直接保障された自治権が侵害された場合には、その救済、回復を求めて地方自治体が出訴出来なければならない」と述べ、日田市の原告適格を裏付けようとしています。

 (2)日田市の原告適格(無効等確認訴訟および取消訴訟)

  まず、最高裁の判例を検討しています。援用するのは、最判平成元年2月17日民集43巻2号56頁(新潟空港訴訟際高裁判決)です。サテライト日田問題では、日田市住民、日田市長、そして日田市議会が設置反対の意思表示をしています。設置許可は日田市議会の意思決定権を損なうと評価されます。また、「地方自治体がいかなる手段により、その財源を確保するかは当該自治体の基本的権能に属する」のであり、公営競技に依拠するか否かも地方自治体の決定権限に属することであるとされます。また、地方自治体には「教育・福祉・人権・産業・快適な住環境を作る権能」、「公安、公衆衛生、道路、環境保全の権能」があり、サテライト日田のような施設が設置されることによってこれらが否定され、あるいは行使を義務づけられることになります。そして、地方自治法第1条の2第1項を援用しつつ、「地方自治体の、公安・公衆衛生・道路・環境保全・教育・福祉・産業・快適な住環境を作る権能など、広範囲に及ぶ権能の集体が『まちづくり権』である」として、サテライト日田設置許可処分がこのまちづくり権の「根幹を否定する」と主張しています。

 自転車競技法の目的などについても述べられています。これは、村上教授による論文「日田訴訟と自治体の出訴資格」〔自治総研281号(2002年3月号)18〜41頁〕、および人見教授による鑑定意見書を基にしています。

 まず、自転車競技法第1条が掲げる目的の一つである地方自治体の財政基盤の強化が地方自治の目的と同じことであることに着目し、「自転車競技法が地方自治の確立を目標の一つとして掲げる法律であればこそ、そもそも自治体の権限を制約するような運用は許されるはずがない」と述べています。これを前提として、A市がB市に場外車券売場を設けるとすれば、B市が「競輪事業を営むことによって獲得されるはずの収益に多大の負の影響を及ぼす」ため、B市の財政上の利益は「『法律上保護された利益』と認められるべきであろう」と述べています。

 そして、人見教授の見解を援用しつつ、日田市が主張するのは「競輪事業を営まないことによって得られる地域環境的利益」であり、これは「競輪事業を営むことによって得られる財産的利益を放棄して獲得される利益」なのであるから「自転車競技法の定める目的及び経済産業大臣の許可制度に当然に予定され、そこに組み込まれている法律上の保護利益である」と主張しています。

 さらに、施行規則について述べています。この規則の第4条の3第1号が「文教上・保健衛生上の利益を保護する」ことは明白であり、しかもこの分野が自治体の事務処理では中心的な部分を占めることなどから、まちづくり権の保護を趣旨とすることが述べられています。また、第4条の3第4号にいう「周辺環境との調和」について、これが公益保護規定であるが故に「自治体のみが原告適格を有しうることの根拠になる」という人見教授の指摘を引用し、日田市の第4次総合計画をも参照しつつ、日田市の原告適格を基礎づけようとしています。

 (3)設置許可の法的性質

 実は、この部分における原告側の見解には、私の見解と異なる部分があるのではないかと思われます。第42編において述べたように、場外車券売場の設置許可を講学上の許可と捉えるには無理があります。私は講学上の認可と解しております。書面では村上教授の見解が引用されていますが、村上教授がどのような性質を念頭に置かれているのか、必ずしも明らかではありません。もっとも、「営業の自由に規制を加える風俗営業と比しても自転車競技法施行規則は営業に厳しい制限を加えて周辺環境へ配慮している」、「場外車券売場設置許可処分は、射倖性の高い‘ギャンブル=とばく’の違法性を阻却する例外的なものである」と論じられているのですが。

  許可であるか認可であるかは、本質的な問題ではないとも言いうるでしょう。準備書面は、自転車競技法施行規則第4条の3を「自治体のまちづくり権に配慮した『位置基準』『環境調和基準』を定める」として「経済産業大臣は『位置基準』『環境調和基準』に適合しない限り、許可決定をすることは出来ないのである」と述べています。そして、「場外車券売場の設置許可処分の判断にあたっては経済産業大臣の裁量は、自治体の基本計画・基本構想に示された地域特性に拘束されるのであり、これを損なう場合は経済産業省は不許可処分を下さなければならない」と述べ、浦和地判平成10年3月23日判時1689号58頁をも参照しています。

 〔2〕陳述書

 上述のように、7名の陳述書が提出されています。これについては、御要望をいただき次第、改めて紹介することとしようかと考えます。あるいは、機会を改めて、とすればよいでしょうか。

 〔3〕文書送付嘱託申立書

 これは、原告の立証を行うために被告が所持している文書の提出を要求するものです。具体的には、次の通りです。

 第一に、訴外(訴訟で当事者となっていない者を指す)会社が当時の通商産業大臣に対して設置許可の申請書を提出した際に添付された一切の資料です。設置許可を申請するからには、当然、自転車競技法第4条第1項・第2項および自転車競技法施行規則に従っているとされているはずであり、設置許可基準を満たしているとされているはずです。そして、実際にはどうなのかという点が問題となります。

 第二に、設置許可を審査する際に作成された決済伺文、決済文、添付資料など関連の資料全般です。設置許可の申請が基準を満たしているか否かについては、当然、資料に基づいて何らかの判断が文書に示されているはずです。そして、これらが残されているはずです。

 仮にこれらが存在しないとすると、故意か過失かは別として行政文書の不存在というおかしな事態になります。もっとも、設置許可の時点では情報公開法が施行されていないので、不存在の違法性を争うのは困難です。そのため、担当者であれば、情報公開法施行前に文書を破棄することを考えるかもしれません。残っていれば厄介なことになるかもしれないからです。実例を聞いたこともあります。情報公開法の施行にあたって保存年限を短縮したという例は数多く存在します。

 逆に、残されているとすれば、設置許可が「日田市の地域環境及びまちづくり権に配慮」をなしたものであるのか、手続的保障がなされているのかが問題となります。

 第三に、当時の通商産業省、訴外別府市、訴外会社でなされた協議などの内容を示す文書です。狙いは、第二と同じ点にあります。

 〔4〕検証申立書(第一)

 これは、サテライト日田の予定地(日田市大字友田字萩鶴976番地の1、977番地の1、954番地の10、954番地の12、986番の4)および周辺地域について、現況、道路状況、医療機関および学校の有無など、隣接する公道を利用する児童・生徒の状況、上下水道や動力電源などの供給状況などの検証を求めるものです。立証すべきものは、原告側によれば「サテライト日田建設予定地に別府競輪場場外車券売場が設置されることにより、近隣の生徒・児童らにギャンブルに関する悪影響を及ぼすこと、医療機関の利用者らに対して悪影響を及ぼすこと、本件土地周辺を通行する車両に渋滞等の影響を及ぼすこと、および、原告のまちづくり権を侵害し、原告としての受忍限度を超えた多大の行政事務および出費をもたらす事実」です。

 ただ、これについては、どの程度まで立証できるのかという問題が残ります。悪影響と言われますが、基本的には自己責任、あるいは家庭における躾の範疇であると考えられるからです(何でも施設など環境のせいにするのは、悪い思考方法です)。最近、時々思うのですが、公営競技に反対する心理の中に、青少年への悪影響を重要視する要素があり、これが一種のパターナリズム(訳に困るのですが、元々は父性を意味する言葉から派生したもので、家族主義、温情主義を意味します)になっていないでしょうか。日田市の反対運動がパターナリズムに堕すことのないよう、注文をつけておきましょう。仮にパターナリズムに支配されるようであれば、地方分権は良からぬ方向に走ります。

 〔5〕証拠申出書(第一)

 証人尋問を請求するものです。証人として求められているのは、平沼赳夫氏(経済産業大臣)、井上信幸氏(別府市長)、大石昭忠氏(日田市長)、室原基樹氏(日田市議会議長)、武内好高氏(日田市商工会議所会頭)、日野和則氏(日田市役所経済部商工労政課長)、高瀬由紀子氏(「サテライト日田」設置反対女性ネットワーク代表)、佐藤里代(日田市連合育友会会長)、古川昭夫氏(西新宿競輪施設誘致反対の会代表)、木佐茂男氏(九州大学大学院法学研究院教授)です。それぞれについて立証趣旨や尋問事項は異なるのですが、ここでは省略します。

 ただ、次の点だけは記しておきます。

 まず、尋問時間です。平沼氏については120分、井上氏および大石氏については90分間が要求されております。

 次に、平沼氏、井上氏および大石氏への尋問事項です。平沼氏については、設置許可の根拠法令と理由、2000年1月14日に当時の通商産業省車両課長名で出された別府市長への通知の経緯(私は、日田市対別府市訴訟のこともあり、ここに関心があります)、2000年6月7日に設置許可がなされた理由、サテライト日田設置許可が今も撤回(自転車競技法第4条第4項・第3条第7項では「取消し」)されていない理由などとなっています。井上氏については、サテライト日田設置を企画した理由、申請から許可までの3年間になされた交渉の経過、2001年2月の別府市議会で設置関連予算が否決された理由(これについては、第20編も参照して下さい)、現在の見解などです。一方、大石氏については、日田市の概況、まちづくり(日田市総合計画)の内容、サテライト日田が設置されることによって日田市が被る不利益、経済産業省や別府市との交渉過程などです。

 既に記したとおり、次回の口頭弁論は10月1日に行われます。いよいよ、この訴訟は一つの山場を迎えます。私は、大分県に在住する者として、今後も日田市および別府市の様子を見守っていきます。 そして、地方分権、およびまちづくりの権限を重要視しつつ、どちらのほうにも偏らない立場を維持していくつもりです。既に何度か記しているように、私は、競輪などの公営競技そのものを罪悪視する考え方を持っておりません。その市町村のまちづくりに合うというのであれば、反対する理由などありません。逆に、街並みを破壊するなど、深刻な影響を及ぼしかねないというのであれば、反対するしかありません。また、私がサテライト日田問題に深入りするようになったのは、競輪事業施行者である別府市の態度に疑問を感じたこと〔これについては、既に何度か記しています。第22編に収録した寄稿文「サテライト日田問題について(訴訟提起の議案可決を受けて) (2001年2月24日付読売新聞朝刊36面  大分地域ニュースに掲載)を参照して下さい〕、および、経済産業省の許可手続などに疑問を持ったことです。こうした状況と、豆田、淡窓地域の街並みを知っているからです。

 また、私にとって理解しかねるのは、何故、サテライト日田問題が中心街空洞化問題などと連動していないのかということです。これは、今回初めて記すことではありません。既に第6編にて指摘しておりますし、何度か、日田市の関係者や原告弁護団などに話をしています。まちづくりという観点からすれば、中心街空洞化問題は切実な問題です。実際、武内好高氏は、陳述書において「郊外型超大型店イオン日田ショッピングセンターの出店反対運動を展開」という一節を設け、2頁以上を割いています。サテライト日田設置予定地は、日田駅から3キロメートルほど離れています。日田市の規模からしても、この位置は郊外であり、中心街とは言えません。おそらく、今後の検証などにおいては触れられる点であると思われますが、場合によっては中心街空洞化問題をもう少し強く前に出すべきではないでしょうか。

 

(2002年7月25日)

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