日本における地方分権に向けての小論 

 

  

 (はじめに) 本論文は、大分大学教育学部研究紀要20巻2号(1998年)191頁以下に掲載されたものです。既に地方分権一括法による多くの改正法も施行されておりますが、私の基本的な考え方をお示ししたいがために、敢えて原文のままとしました。なお、本論文は、1998年2月17日、大分市職員研修「法律セミナー(地方分権セミナー)」第二回目(大分市役所第二庁舎6階研修室)として行った報告「地方分権とこれからの行政のあり方」の草稿を基にして、若干の加筆修正を行ったものです。報告の機会を与えて下さった大分市役所の方々に,改めて御礼を申し上げます。

 

 【要旨】

 1990年代に入って本格的に始まった地方分権は,地方分権推進法に基づいて設置された地方分権推進委員会による中間報告や諸勧告を中心に進められ,これらを基にして作成される地方分権推進計画に従って進められる予定となっている。しかし,その内容・方向性がわかりにくいことは否定できない。また,国の規制緩和や財政再建などの動きが,地方分権の推進に対して,決して無視できない影響を与えていることも事実である。単に,国の行政の合理化(およびそれによる実質的強化)と地方公共団体の任務(あるいは負担)の強化に終わる可能性も否定できない。

 今回の地方分権に関しては様々な文献が存在するが,本稿においては,国が進めようとしている地方分権の内容を,現時点において判明している範囲に関して検討を進め,今後の地方自治への影響について考察する。

 【キーワード】 地方分権,法定受託事務,機関委任事務

 

T 地方分権の必要性と議論の不明確性

 

 中央集権体制(およびその結果としての東京への一極集中)は,明治時代より築き上げられ,日本国憲法の下においても,諸事情のために否定・解体されず,かえって強化された。その結果,経済の発展とともに,国民(住民)のニーズに迅速かつ的確に対応できなくなり,地方公共団体の行政に多くの無駄を強いて財政悪化を招くとともに,地価や物価の高騰を引き起こして日本の産業空洞化にまで至った。地方公共団体は,十分な財源が保障されないままに,任務の増加,「合理化」の強制という負担を課せられ,その間にますます国の中央官庁が権限を強めてきたのである,と表現することは,単純に過ぎようか。

 いまや,旧来の中央集権体制が深刻な病理および矛盾を曝け出していることは否定できない。その例は枚挙に暇がないために,ここで挙げることは避ける。いずれにせよ,中央集権体制(そしてその裏面における地方自治の形骸化)は,日本国憲法の理念の一つである民主主義との重大な乖離を,すなわち空洞化を惹起したのである。

 こうして,地方分権に関する論議が高まった訳であるが,1970年代以来の革新自治体などの経験を踏まえた市民運動家などの「住民自治」派の立場と,一部の政治家・学者・財界などによる「新自由主義」の立場とによって,地方分権の色合いは微妙に異なっている1)。そのことが地方分権推進法および地方分権推進委員会による中間報告や諸勧告に現れているため,内容・方向性ともにわかりにくくなっていることは否定できない2)

 また,国の規制緩和や財政再建などの動きが,地方分権の推進に対して決して無視できない影響を与えていることも事実である。単に,国の行政の合理化(およびそれによる実質的強化)と地方公共団体の任務(あるいは負担)の強化に終わる可能性も,否定できない。後に明らかにするつもりであるが,今回の地方分権という改革には,本来の地方自治を強化する(あるいは取り戻す)という立場から見るならば,決して手放しで歓迎できない面が少なからず存在する。すなわち,今回の改革により,中央への権限集中を回避することのみならず,地域住民の需要に機敏に対応し,しかも地域住民が積極的に参加しうる地方自治が実現ないし強化されうるのか,という観点からは,問題が多いと言わざるをえない。

 ともあれ,今後,地方分権は,地方分権推進委員会の諸勧告を基にして作成される地方分権推進計画に従って進められることになっている。そのため,同委員会による中間報告および諸勧告の方向性は,今後の行政のあり方を考えるにあたり,重大な要素とならざるをえない。

 今回,私は,国が進めようとしている地方分権の内容を,現時点において判明している範囲に関して検討し,その結果を踏まえて,今後の行政のあり方を考察したい。

  しかし,今回,いくつかの点において,そしていくつかの意味において,あらかじめお詫びをしなければならない。

 まず,地方分権という,決して新しくはない問題について,私なりの考え方を持っているつもりであるが,地方分権は,それ自体,大変に広範な対象を有し,個別的な検討を必要とするのであるが,私の能力から,それら全てに対して十分な検討をしうる段階にはない。そのため,以下の内容は,大変に未熟なものとならざるをえない。

 次に,地方分権については,従来から様々な立場により様々な内容の意見が提出されている。そのため,議論が混迷状態にある。

 そして,地方分権は,現在,地方分権推進委員会により,勧告という形で準備が進められている。それを見る限り,たしかに,何らかの変化は生じるであろう。しかし,それが,『地方分権推進委員会中間報告――分権型社会の創造――』(平成8年3月29日)が自己規定する「明治維新・戦後改革に次ぐ『第三の改革』というべきものの一環であって,数多くの関係法令の改正を要する世紀転換期の大事業」と言いうるものとなりうるか否かについては,なお予断を許さない状況にある。既に,地方分権のスケジュールは,当初より遅れている3)。根強い中央官庁の抵抗などもあって,当初の理念から見れば後退した部分が多いと評されても仕方がないかもしれない。私自身,地方自治において,今後,何が変わるのか,逆に何が変わらないのかについて,疑問を抱いている。

 また,今回の地方分権が推進された場合,今後の行政のあり方はどのようなものになるかについても,明確な視点を有するのが難しい,という印象を持っている。単なる数合わせと評された中央官庁再編と同様,地方分権が単なる看板の架け替えに終わる可能性も,決して否定できない。しかし,改革が順調に進むのであれば,多少とも地方公共団体による行政に変化が生じることであろう。そうなれば,国民・住民と最も身近に接する機会の多い市町村の職員は,これまで以上に職務に精通し,より高度な専門的知識を有することを要求されることになる。それとともに,地方公共団体およびその職員の自己責任の範囲が大きくなるであろう。

 地方分権推進委員会による中間報告および諸勧告は,あくまで国と地方公共団体との役割分担を中心に述べているのであり,その結果として地方公共団体と住民との間にいかなる新たな関係を作り出すことになるのか,という点にほとんど触れていない(もっとも,このようなことは地方公共団体自身が取り組むべき事柄であるとも考えられる)。このことは,程度の差はあれ,中間報告および諸勧告に対する様々な意見・批判も同様である。そのため,実際には,地方公共団体の職員にとっても,国民・住民にとっても,理解が容易でない,と思われる。

 このような状況の下において議論を進めていくが,是非とも御教示をお願い申し上げる次第である。

 

U.地方分権推進委員会中間報告

 

 1  基本的立場――地方分権推進法との関連――

 平成7(1995)年5月19日に公布された地方分権推進法は,地方分権の目的や進め方を規定する基本的な法律である。しかも,この法律は,大枠のみを規定し,後は地方分権推進委員会の勧告や意見を基に作成される地方分権推進計画に至るまでの根拠ともなる。そのため,まず,この法律について,簡単に内容を検討することが必要であろう4)

 この法律の第1条は,地方分権の(最終)目的として「国民がゆとりと豊かさを実感できる社会を実現すること」を,第2条において「国民福祉の増進」をあげている。そして,両条の関係について「地方分権を推進することによって,個性豊かで活力に満ちた地域社会が多数存在するようになれば,国民がゆとりと豊かさを実感できるような社会に近づいていくことになる」と説明されている5)。この背後には,画一的な行政により地域社会の個性が失われ,多くの地域において活力が失われたという現実とともに,既に或る程度はナショナル・ミニマム(この言葉自体の具体的意味が問題である)が達成されたという前提が存在するのであろう。前提が完全に正しいか否かは別として,以後の勧告はこれを踏まえたものとなっている。

 他方,第3条第3項は,国および地方公共団体に行政の簡素化および効率化を推進する責任を負わせており,この責任は中間報告においても強調されている(この点に関連して、行政の合理化・簡素化という観点から「民間委託の推進」などが問題となる)。これ自体は,国民・住民の立場から見て当然のことであり,血税が無駄に使用されることのない行政に向けての再構築(restructure)が,中央集権体制の解体のためにも必要である。しかし,実際には地方公共団体への一方的な要請に転化するおそれもあり,地方自治の破壊(destruction)につながるおそれも否定できない。そのため,同第6条に規定されている「地方税財源の充実確保」が切に求められるところであろう。しかし,財政構造改革が進められる手筈になっているので,「地方税財源の充実確保」の実現は難しいかもしれない。

 また,(隠された)前提として,地方分権の推進は,規制緩和の推進とともに行われる。中間報告は,両者が「軸を一に」するものであって「車の両輪」と評価しているが,観点のズレが存在しないのであろうか。例えば,最近問題となっている,大規模小売業店舗の郊外移転に関し,中心街に存在する商店街保護のための対策を市町村が独自に立てたとする。地方分権の推進という観点からは,この対策は歓迎されるべきものであるが,大規模小売業店舗についての規制緩和という観点からは,この対策は拒絶されるべきものとなる。ちなみに,銀行・金融業についての規制緩和は,より一層の(資本その他の)集中化を招くおそれがある。

 2  さしあたりは都道府県への分権――市町村への分権は?

 地方分権推進法においては明示されていないが,第二四次地方制度調査会による平成6年1112日の「地方分権の推進に関する答申」においては「事務配分の見直しにより,国からの権限委譲等を進めるに当たっては,当面,都道府県により重点を置いて進めることが現実的かつ効果的である。そのうえで住民により身近な存在であり,地域づくりの主体である市町村への委譲を進めることが適当である」とされている。そうであるとすれば,地方分権は,国から都道府県へ,都道府県から市町村への二段階でなされることとなる。

 しかし,中間報告においては「地方自治制度にとっては基礎的公共団体である市町村こそが最も重要な存在である」から,国から都道府県・市町村へ,そして都道府県から市町村への二重の分権が要請されている。実際に,第四次勧告においてとくに「市町村の規模等に応じた権限委譲」という章が設けられているし,それ以前の勧告においても国から市町村に直接的に委譲される権限も存在する。それでも,国から都道府県への分権が中心であることは否めない。

 都道府県と市町村との関係については,本来の対等・協力の関係とすべく,中間報告,第一次勧告および第二次勧告において述べられているのであるが,できるだけ市町村へ権限を委譲すること,および都道府県の関与は最小限のものとすること(必要である場合には国の関与に準じたルールを作ること)という原則が示されている程度である。また,範囲の問題はあれ,従来と同様に都道府県(場合によっては国)の関与が残されている。この点は,今後,地方分権推進計画の段階,あるいはさらに後の段階において,都道府県の条例のレヴェルにおいて解決されるべきものであるかもしれない。

 なお,上述のように,第四次勧告は,とくに「市町村の規模等に応じた権限委譲」という章を置き,市町村の規模に応じた分権を主張する。さしあたり,中核市である大分市との関連においては,「犬又はねこの引取り及び負傷動物等の収用」(動物の保護及び管理に関する法律第7条・第8条),「振興拠点地域基本構想の作成,変更,構想の実施等」(多極分散型国土形成促進法第7条など),「大気汚染の公表,関係行政機関の長への協力依頼等の事務」(大気汚染防止法第24条,第28条),「指定老人訪問看護事業者の認定」(老人保健法第46条の17の2など),「宅地造成工事規制区域の指定」(宅地造成等規制法第3条)などである。これらは,列挙されてはいるが,限定的ではないようである。また,これらの事務が市町村の自治事務となるのか,都道府県または国の関与を受ける事務であるのかは明示されていないが,以下に述べる「自治事務」と「法定受託事務」との区別に準じて考えるべきものであろう。

 3  機関委任事務の廃止と「法定受託事務」の新設――国の権限が強化される?――

 法定受託事務は,機関委任事務からの転換か,単なる言い換えか?

 既に,地方分権推進法第4条は「国と地方公共団体との役割分担」との題目の下,国が重点的に担うべき役割を「国際社会における国家としての存立に関わる事務」,「全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務」,「全国的な規模で若しくは全国的な視点に立って行わなければならない施策及び事業の実施その他」をあげている。中間報告も同じである。そして,中間報告において,機関委任事務の廃止が提唱されている。

 機関委任事務の廃止は,以前から提唱されていた。機関委任事務は「都道府県が行う許認可の8割,市町村が行う許認可の3〜4割を占めているとも言われている」(地方分権推進委員会中間報告による)。周知の通り,機関委任事務は,住民の選挙によって選任された都道府県知事を主務大臣の指揮監督権の下に置き,同様に市町村長を国の機関として位置づけられる都道府県知事の指揮監督権の下に置いて,国(市町村の場合は都道府県)の事務をさせるというものであり,議会や監査委員の監視機能も制限されるというものである。中間報告は,機関委任事務の弊害をいくつかあげているが,そのうちでは「国と地方公共団体との間で行政責任の所在が不明確になり,住民にわかりにくいだけでなく,地域の行政に住民の意向を十分に反映させることもできない仕組みになっている」点,および「機関委任事務の執行について,国が一般的な指揮監督権に基づいて瑣末な関与を行うことにより,地方公共団体は,地域の実情に即して裁量的判断をする余地が狭くなっているだけでなく,国との間で報告,協議,申請,許認可,承認等の事務を負担することとなり,多大な時間とコストの浪費を強いられている」点,および「機関委任事務制度により,都道府県知事が各省庁に代わって縦割りで市町村長を広く指揮監督する結果,国・都道府県・市町村の縦割りの上下・主従関係による硬直的な行政システムが全国画一的に構築され,地域における総合行政の妨げになっている」点である。とくに,市町村の場合,直接的には都道府県知事から,間接的には国の主務大臣から,いわば二重の指揮監督権を受けていた。

 そこで,機関委任事務を廃止し,これに代わって,一応は「自治事務(仮称)」(以下,自治事務と表記)を原則とし,「専ら国の利害に関係のある事務であるが,国民の利便性又は事務処理の効率性の観点から法律の規定により地方公共団体が受託して行うこととされる事務」として「法定受託事務(仮称)」(以下,法定受託事務と表記)をも置くこととしている。単純に考えるならば,機関委任事務が廃止されることによって,地方公共団体はその権限を拡大させるはずである。実際,勧告などを見る限り,地方公共団体の自治事務とされた事務は多く(もっとも,その過半数は都道府県の自治事務であるが),地方公共団体の権限は,たしかに拡大する方向にある。従って,その裏面において責任も増大する。しかし,国の権限が弱くなる,国の権限から自由になる,という訳ではない。

 まず,自治事務について検討する。これには「法律の定めのない自治事務」(個別の行政分野について定める法律に定めのない自治事務,という意味である)と「法律に定めのある自治事務」(個別の行政分野について定める法律に定めのある自治事務,という意味である)とに大別される。この点は,現行の地方自治法と大差がないようである。

 「法律の定めのない自治事務」の実施は,地方公共団体の随意に委ねられている。しかし,国は,地方公共団体からの報告徴収・届出,または地方公共団体に対する技術的な助言・勧告を行いうる。地方分権推進委員会は,憲法第94条の存在を理由としてあげつつ,あるいは強調しつつ,条例制定権については基本的に変更することを考えていないようであるため,実際には「法律の定めのない自治事務」の範囲は小さいものであろう。地方分権推進委員会は,国の立法を原則とする趣旨を一貫して主張しており,条例制定はあくまでも国から委任された範囲に限られる旨を述べている。そのため,これまでと同様に,いわゆる上乗せ規制や横出し規制は,法律や政令が明示する場合は勿論,趣旨や目的の解釈如何によっても禁止されうる。従来から上乗せ規制や横出し規制が多く見られる環境行政などの分野については,問題が生じうるところであろう。

 「法律に定めのある自治事務」は「法律の定めに従い,自らの事務として処理する」ものであって,法律により義務づけられるものとそうでないものとがある。これに対する国の関与は「法律の定めのない自治事務」の場合と同様のもの以外に,事前協議(場合によって国との合意または国の同意が必要とされているが,その必要とされる場合が少ないとは言えない),事後措置としての違法是正措置要求とされており,国の監督権が存置された格好となっている。この場合,上記と同様の理由から,条例を制定できる範囲は限られることになるであろう。

 ここでは,例として土地利用基本計画策定事務をあげておく。これは,第一次勧告において都道府県の自治事務とされている。しかし,策定にあたって国との事前協議が義務づけられ,しかも国との合意または国の同意を要することとされている。従前は国の承認を要することとされていたが,事前協議において国との合意または国の同意を要することとされるのでは,機関委任事務における国の承認と変わらないのではないか,という疑念が生ずる。敢えて違いを見出すとすれば,事前協議において国との合意を要することが,必ずしも全面的に国の意向に従うことを意味しない,とも読み取りうるという程度であろう。また,「都市計画区域指定」,「市街化区域及び市街化調整区域に関する都市計画決定」についても,国の認可を廃止するとしても,やはり事前協議において国との合意または国の同意を要することとされるとされているので,どの程度の違いが生ずることになるのか,疑問である。

 明言されている訳ではないが,地方分権推進委員会は,法律による行政の原理を徹底化するという観点から,とかく国民・住民にわかりにくい通達による指導・規制などの措置を可能な限り排除するとともに,地方公共団体に対しても従来の要綱行政を改めることを要求しているのではなかろうか。しかし,要綱行政については,従来から多くの批判が寄せられたところではあるが,法律の不備を補充し,地域社会における急激な変化に対応するためには,やむをえない措置であったといいうる。要綱行政が有する問題点を可能な限り解決すべきことは当然であるが,そのためには,条例制定権の拡張こそが求められるべきである。

 機関委任事務の廃止後にとくに問題となるのが,法定受託事務である。これは,言葉自体にも問題があると指摘されているところであり,一種の形容矛盾である。また,法定受託事務の定義についても,中間報告から第二次勧告までの間に,無視できない変化が見られる。

 中間報告においては「専ら国の利害に関係がある事務であるが,国民の利便性又は事務処理の効率性の観点から法律の規定により地方公共団体が受託して行うこととされる事務」とされていたが,第一次勧告においては「事務の性質上,その実施が国の義務に属し国の行政機関が直接執行すべきではあるが,国民の利便性又は事務処理の効率性の観点から,法律又はこれに基づく政令の規定により地方公共団体が受託して行うこととされる事務」とされ,範囲が広げられている(傍点強調は引用者)。また,第一次勧告において法定受託事務のメルクマールとして,大別して八つの事項が挙げられている6)が,第二次勧告においては,大別して八つの事項が挙げられているという点において同じであるものの,内容は広げられている7)。そのため,自治事務の範囲が狭められる結果となっている。

 また,法定受託事務に関して,国は,法律に基づいてとされてはいるが,地方公共団体からの報告徴収・届出,または地方公共団体に対する技術的な助言・勧告,事前協議,「事務の適正な執行を確保するため」の指示(合法性のみならず,合目的性についてもチェックしうることとされている),さらに認可,承認,代執行という形によって関与しうることとなっている。これらの制度は,一般的に一般法によって(行政手続法に倣って),少なくとも政令または省令によって定められることとされている。実際には,事前協議(国との合意または国の同意を必要とする)が要件とされるものが多く,これでは機関委任事務と大差がないのではないかと批判されるところである。

 地方分権推進委員会委員の一人,成田頼明氏によれば,当初,機関委任事務を廃止した後,その八割ほどは自治事務に,残りの二割ほどが法定受託事務に割り振られていた。しかし,第四次勧告の時点において,自治事務が約六割,法定受託事務が約四割になった。このことにより「福祉・教育,土地利用・まちづくり等の領域のかなり重要な機関委任事務が自治事務に振り換えられたことが大きな特色といえよう。これによって,四次勧告で示された市町村への権限委譲とあいまって,基礎的地方公共団体である多くの市町村は,個性と独自性に富んだ自立的な地域の総合行政を展開しうることになろう」。しかし,4ヘクタールを超えた農地の転用許可,国立公園・自然環境保全に係る土地利用規制等が国の直接執行に振り替えられたことにより,地方公共団体による一元的な土地利用計画の策定が可能になるまでにならなかった。また,成田氏は,三大都市圏の既成市街地・近郊整備地帯等の用途地域や一定規模以上の都市施設・市街地開発事業については,自治事務になったものであっても国の関与や都道府県による調整が残されていることを認めている8)

 国の関与については,国が地方公共団体の条例を違法・無効と認定し,その確認を裁判所または第三者機関に求めるという手段も予定されており,第四次勧告においてもとくに一章を設けて述べられている。これは,従来と比べれば一歩前進であるとも言いうる。しかし,具体的な争いがある場合はともあれ,それがないのにこのような請求を認める制度を創設するのであれば,条例制定権は不安定極まりないものとなる9)。しかも,日本の法体系上,法令の抽象的・一般的審査は認められていないのである10が,国による地方公共団体の条例の違法・無効確認にのみ抽象的・一般的違憲(法)審査が認められるのであれば,地方公共団体にとってのみならず,国民にとっても,違法な法律の執行による権利・利益の救済を図るに不十分であり,不当性は明らかである11。仮に,国による条例の違法・無効確認訴訟を制度化するのであれば,阿部泰隆氏が主張されるように「国の方の違法行為に対しても,地方公共団体の方から,違法確認訴訟を提起する道を開いてはじめて一貫する」12。また,地方自治法や地方税法などのように、地方自治の基準を定めるにしてはあまりに細部に立ち入るような法律を制定するのではなく,中間報告にもあるように「国は,自治事務(仮称)について,法律で基準等を定める場合等には,地方公共団体がそれぞれの地域の特殊性に対応することができるようにするために,直接条例に委任し,又は条例で基準等を附加し,若しくは緩和し,若しくは複数の基準等を選択できるように配慮しなければならない」,または,より簡潔に,国が立法をする際にはごく基本的かつ最低限度の大枠のみを決定し,後は地域の実情に応じて詳細を決定し,あるいは上乗せ基準を作りうるようにすべきであろう(勿論,本当に国の側,とくに中央官庁がこのようなことを素直に実行するか否かは問題である)。さらに,より一般的に,国民・住民の側から(一定の要件の下において)国の法律・政令など,および地方公共団体の条例などに対する抽象的・一般的違憲(法)審査を請求できるようにすべきではなかろうか。

 また,法定受託事務に係る代執行については,機関委任事務制度における代執行の手続に準じた手続が採用されることとされている。

 

V 地方分権推進委員会による諸勧告

 

 1  中間報告の具体化および修正点

 諸勧告は,中間報告を受けて具体的な項目について提言を行うという形を採っている。機関委任事務の廃止,地方事務官制度の見直しなど,踏み込んだ提言と見るべきものも多いが,機関委任事務の廃止後にも,何らかの形で国が関与する,しかも,必要な範囲を超えた関与を行いうる可能性が残されている。上述した法定受託事務について,範囲が広げられていることも,問題を残すところである。これまでと同様に,地方公共団体は,地域住民の意向よりも,むしろ国の意向に従った地方自治を行わざるをえないのであろうか。

 また,第三次勧告において提言された(もっとも,そのための伏線は敷かれていたとみるべきかもしれない)駐留軍用地特別措置法に関する国の直接執行事務化(一部法定受託事務化も含まれる)については,役割分担あるいは機能分担の名の下に基地周辺住民の権利・利益を侵害するものであるという批判が根強い。この点は,最大判平成8年8月28日民集50巻7号1952頁を踏まえたものであり,或る意味において当然の帰結ではある。

 2  地方財政は拡充されるのか?

 地方財政の拡充は,国以上に財政難に喘ぐ地方公共団体にとって,切実な願いであろう。しかし,これが十分に実現されるか否かを考えるならば,厳しい展望とならざるをえない。

 中間報告において,責任の所在を不明確に,また自主的な行財政運営を阻害しがちであり,行政の簡素・効率化や財政資金の効率的な使用を妨げやすいといわれる国庫補助負担金,地方税制度,地方交付税制度および地方債制度の「見直し」が提言されるが,具体性に乏しい。

 第二次勧告においては,やや具体的に地方財政が扱われる。国庫補助負担金については「積極的な整理合理化」(但し「単に国庫補助負担金を削減するため補助負担率の実質的な切り下げを行うような手法はとるべきではない」とされる),定期的な見直し,交付金化,運用の弾力化,一般財源化などが主張される。勧告は,国庫補助負担金についてかなりの頁を割く。これに対し,地方税制度は,現行の地方税法による,枠法としては非常に詳細な統制という姿勢を崩さず,いわゆる課税自主権はほとんど認められていない。法定外普通税の許可制度および法定外目的税が事前協議制度(国との合意または国の同意を必要とする)に変更され,「標準税率を採用しない場合における国への事前の届出等」の廃止,個人市町村民税および個人道府県民税における制限税率の廃止が勧告される程度である。また,地方交付税制度については,算定方法の簡素化が目立つ程度であり,具体的な方策は述べられていない。最後に,地方債許可制度については,廃止としつつ,国または都道府県との事前協議に変更される旨の勧告である。しかし,財政構造改革の期間中は,現行の許可制が維持されることとなっている。

 3  勧告などへの批判,検討

 これについても,Tにおいて既に述べたところもあり,また,Wにおいても述べる。

 ここでは,次のように指摘しておく。地方分権推進委員会の勧告は,地方公共団体に権限の移譲をすることに主眼が置かれていて,地方公共団体の住民がいかに地方自治に参画するか(最低限として,いかに地方自治に意見を述べるか),という点を重視していない(全く無視されている訳ではなく,一応は検討されているようであるが)。しかも,先述のように,法律の委任がなければ条例を制定できないという,伝統的と評価してもよい説を原則としている。これを固守するならば,地域住民のニーズに答えることはできない,ということになってしまう。もっとも,この点は,各地方公共団体が自ら検討すべき課題であるかもしれない。

 

W 地方公共団体,とくに市町村への影響

 

 1  地方公共団体の自主性・改善と競合・政策能力の強化の必要性は?

 これまで,国によって現在進められている地方分権について検討を加えてきた。既に述べたように,今回の地方分権には,異なる立場の混在という根本的な問題もあり,中央官庁の反発を受け,おりしも財政構造改革などの課題も併存したこともあって,中間報告から第四次勧告に至るまでに,方針や内容に微妙な変化(あるいは後退?)が見られる。従って,第五次勧告13や地方分権推進計画がまとめられていないので慎重を期さなければならないとは言え,地方分権によってこれまでの自治行政がラディカルに変化する,ということはないであろう。しかし,地方分権が挫折しない限り,地方公共団体には国から権限が委譲されることになるので,多少とも変化は見られるであろう。

 いずれにせよ,地方分権は,地方公共団体およびその職員に対し,これまでよりも強い責任(勿論,最終的には住民に対する責任である)を負わせるものである。これからの行政のあり方を考えるにあたって,この責任というものを第一に考えなければならない。

 なお,地方分権推進法は時限立法であり,附則第3項により,施行後「五年を経過した日」,すなわち平成12年7月2日に失効する。この日までに,地方分権推進計画に盛り込まれた内容を全て実施することが前提とされているので,時間的な余裕はそれほど残されていない。

 2  地方公共団体の自主性

 地方分権推進委員会による中間報告中,第1章「1.何故に今この時点で地方分権か――地方分権推進の背景・理由――」の「4.地方分権型行政システムに期待される効果」において,次のように主張されている。

 「それぞれの地方公共団体による行政サービスが,地域住民の多様なニーズに即応する迅速かつ総合的なものになるとともに,地域住民の自主的な選択に基づいた個性的なものになる。このことは,他面では地方公共団体が相互にその意欲と知恵と能力を競い合う状態を創り出すことになり,そのことがまた地方公共団体の自己改善を促す効果をもつはずである。それぞれの地方公共団体が優先して推進する政策にはこれまで以上に大きな差異が生じることとなり得るが,それは究極においては地域住民自らによる選択の帰結なのであって,これを不満とする地域住民は批判の矛先を自らが選出した地方議会と首長に向けなければならない。すなわち,地方自治の本旨の実現である。」

 最初の文は,まさに望ましいことである。しかし,「地域住民の自主的な選択に基づいた」個性化が他の地方公共団体との競争状態と直ちにつながりうるのであろうか。違う次元のことではなかろうか。また,競争状態の結果として「大きな差異が生じ」たとして,単純に「究極においては地域住民自らによる選択の帰結」と考えてよいものなのであろうか。「地方自治の本旨」は団体自治と住民自治とからなると言われるが,住民自治とは(単純化して表現するならば)最終的には住民の意思による自治という意味であり,地方公共団体間の競争とは本来ならば無縁である。また,地方公共団体間の競争状態が或る程度はやむをえないものであるとしても,これを強調することには問題がある。我々が居住・移転の自由を有すると言っても,「足による投票」は非現実的である。いかに地価が下落しているとは言え,例えばA市(あるいはC県)の行政サービスが悪いからB市(あるいはD県)へ移転するということは,そうたやすくできないのが実状であろう。電器店にてパソコンを買うのとは訳が違う。また,このような競争原理が一定の限度を超えるならば,新たな集中化が問題となるおそれがある。東京ないし首都圏一極集中が却って強化されることもありうるし,別の地域への集中もありうる。

 私は,決して,単純に競争原理を否定しようと主張しているのではない。多くの地方公共団体が,先進的な,真に住民の利益に適う政策を提案し,実行していくことは,他の地方公共団体に少なからぬ影響を与えることもありうる。しかし,競争原理が行き過ぎるならば,競争のための競争に陥り,同じようなサーヴィスの羅列に終わって住民の意思から乖離するばかりではなく,財政などにも深刻な影響を与えることになりかねない。このことは,1980年代後半,総合保養地域整備法(いわゆるリゾート法)の下において,住民の意思とは無関係に各都道府県が先を争うようにして計画した開発構想の帰結が示している。

 さらに,競争原理によって敗れた市町村は別の市町村に併合されればよいという考え方も,当然ありうる。地方分権推進委員会は,上記の表現にこのこと(すなわち,市町村合併)を含めているものと考えられる。しかし,市町村合併による広域化が行政の合理化・効率化などに役立つか否かも,実は問題なのである。

 3  改善と競合

 地方分権は,規制緩和および財政改革とともに推進されることとなった。このため,地方公共団体の行政システムも「簡素で効率的なものでなければならない」ということが要請される。地方分権推進委員会第一次勧告,同第二次勧告とも,この点を強調する。この点は,国の行政における簡素化・効率化とならび,住民が望んでいるところでもあろう。市町村合併などによる大規模化との兼ね合いが問題となるところではあるが,課税自主権拡大が見送られるなど,地方財政の抜本的拡充が望めない中,「民間委託の推進,高度情報通信技術の活用など」を行わざるをえない。とくに「民間委託の推進」は,いかなる分野においてなされるべきかが問題ではあるが(例えば,一部の地方公共団体において行われているごみ処理の業者委託,福祉についての広範な民間活力の利用など),財政状況を考えるならば,多少とも積極的に行わざるをえないであろう。しかし,単純に民間に委託するのではなく,むしろ住民,ボランティア団体などとの連携が,上記の分野においてはとくに要請されることであろう(と言うよりも,適切な環境行政および福祉行政を行うためには,連携が不可欠である)。従来の承認・認可などが廃止された後の国との事前協議(合意または国の同意が求められる)が要求される事務(法定受諾事務。従前ほどではないとしても,範囲が広い)に際しては,(国との)交渉術そのものの他,交渉を進めるための説得の要素として,議会の意見や住民の意見を(あらかじめ聴取した上で)国に提示することが必要となるのではなかろうか(もっとも,こうした事柄を踏まえたところで事前交渉を有利に進めうるか否かについて,保証の限りではない)。

 また,条例に対する法令の優位が最重要前提となっているだけに,「それぞれの地方公共団体による行政サービスが,地域住民の多様なニーズに即応する迅速かつ総合的なものになるとともに,地域住民の自主的な選択に基づいた個性的なものになる」か否かはわからないが,少なくとも法令の認める範囲において「他面では地方公共団体が相互にその意欲と知恵と能力を競い合う状態を創り出すことになり,そのことがまた地方公共団体の自己改善を促す効果をもつ」状態が実現することはありうる。そのためにも,法律・政令について,わからなければ国(市町村の場合はまず都道府県)に問い合わせればよいという安易な考え方を捨て,地方公共団体自身の解釈として行うために,法律・政令の解釈能力を強化する必要がある。これは,従来の承認・認可などが廃止された後の国との事前協議(合意または国の同意が求められる)が要求される事務について,事前交渉において地方公共団体側の主張を有利に進めるために,必要とされるのではなかろうか。また,このことは,条例制定の際にも,具体的事件について住民と接する際の責任を考えるにあたっても,必要とされるはずである。

 4  政策能力の強化の必要性は?

 地方分権によって地方公共団体に権限が委譲されることから,地方公共団体の職員には,これまで以上に,当該分野に関する専門的知識,およびその分野などに関する政策能力の強化が要請されることとなる。しかし,第二次勧告は「環境,社会福祉等の分野を中心に,今後とも増大が予想される新規の行政需要に対しても,原則として職員の配置転換によって対応すること」を地方公共団体に対して要請している。そのため,地方公務員には,職務を行うに際してこれまでよりも厳しい要求が課されているとも言いうる。

 第一に,行政の簡素化・効率化は,おそらく,従来の縦割り行政を是正する目的で唱えられていることと思われる。そうであるとするならば,とくに都市開発行政,環境行政および福祉行政において,役所の再編状況にもよるが,従来の担当部署毎の知識のみならず,関連する諸分野にまたがる政策形成能力を備えなければならなくなる。

 第二に,地方公共団体の行政における国の法律や政令との関連性が,従来以上に重大なものとなることが予想される。その意味において,住民の要望や問い合わせなどに対して,より明確に,法令の根拠を説明しなければならなくなる。

 5  市町村合併の加速化?――市町村の大規模化に問題はないのか?――

 これも,行政改革の一種と考えられる。第一次勧告は「市町村の行政能力の充実強化」を不可欠とした上で,市町村の自主的合併を推進する必要性について触れる。すなわち,市町村の大規模化である。合併が困難な場合には,広域行政(大分県においては大野郡の大野連合という例がある),中心都市による連携・支援(中核市制度や地方拠点都市地域指定制度がこれに該当すると考えられる),都道府県による補完・支援という対策をとるべきともされる。

 しかし,第一に,行政能力とは「法を事実に適用,調和させていくこと」であり「法を現場に適用していく」こと,「法律の趣旨が生きていくように適用していく」ことである14。その意味において,行政能力の有無は市町村の規模と無関係である。少なくとも,理念的には,大都市だから行政能力が高いとか,人口に応じて行政能力の高低が決定される,ということにはならない。

 第二に,大規模化は,住民の意識を育てにくくする傾向を強く有する。この点については,多言を必要としないであろう。

 第三に,大規模化は,住民の需要を汲み上げるに適さないことがありうる。例えば,高齢者福祉を例にして考えるならば,高齢者の生活状況を調査し,高齢者の意見や要望を的確に把握して,木目細かく対応することは,少なくとも役所の担当課職員だけでは不可能である。これまで以上に,住民,ボランティア団体との緊密な連絡・連携が要請される。

 第四に,大規模化は,過疎化に対する適切な対応と言えない。少なくとも,過疎化対策の決め手にはならない。この点を,重森暁氏は(多田憲一郎氏の研究15を引用しつつ)京都府伊根町を例として説明している。それによれば,同町において,1970年代から80年代にかけて計1億8千万円の「過疎債」による過疎対策事業が行われたのであるが「そのうちの八割以上が町の中心部の漁村地区の道路や港湾の整備に使われ,一九五四年に合併された四つの旧村のうち山村地区にはほとんど事業の効果は及ばなかった。その結果,山村地区集落の人口減少はいっそう深刻化した」16。私の知る限りではあるが,1963年に大野郡大野町から一部が編入された安藤地区など,過疎化地域(厳密な意味においてではないかもしれない)が見られる。従来の市内過疎化地域については,今後の宅地地域の拡大によっては,部分的には解決するかもしれない。しかし,今後,市町村合併がさらに推進されるとするならば,過疎化町村が中核市などに合併されることが予想される。その場合,過疎化町村の消滅に伴ってそれらの地方公共団体の財政問題などは解決されるが,それらを抱え込んだ地方公共団体の側は,一層の過疎化対策(地域振興策)を迫られることになるであろう。また,広域化・大規模化に伴って財政規模が拡大することにもなり,財政の合理化が緊急課題ともなる17。そうなれば,大規模化した市町村は,板挟み状態となるであろう。

 第五に,大規模化は,阪神・淡路大震災における神戸市の例を振り返ればわかることであるが,大規模災害などが発生した際の市町村の対応を鈍くする。震災直後,神戸市民がまず駆け寄ったのは,市役所ではなく,区役所であった。この時,区役所に実質的権限が多く与えられていたら,あれほどの被害と混乱は避けられた可能性もあることが,多くの論者から指摘されている。規模を大きくするならば臨機応変な対応ができなくなることは,大都市などをみれば明らかであるが,地方分権推進委員会など国の機関は,この教訓を全く理解していない。

 6  教育行政および福祉行政――地方分権「各論」の中から――18

 1)教育行政

 昨今,学校教育(公教育)が再び大きな問題となっていることは言を俟たない。教育行政についても,中央集権的体制による機能不全が,かねてから指摘されている。しかし,今回の地方分権推進委員会による中間報告および諸勧告を検討するならば,福祉と比較しても教育の地方分権がほとんど予定されていないと評価してもよい状況にあり,深刻な問題が先送りされるのではないかと思われるのである。

 第一次勧告において,地方教育行政の組織及び運営に関する法律第16条に規定される,教育長の承認任命制(教育長を任命する際,都道府県の場合は文部大臣の,市町村の場合は都道府県知事の承認を必要とする)について廃止が勧告されていることは,一定の評価に値する。承認任命制は,地方自治に対する余計な介入の一つであり,教育行政における強力な中央統制の一環であり,国民・住民と教育行政とが乖離する原因の一つでもあり,教育行政の硬直化の遠因でもあると考えられる。現行の教育委員会体制が,校内暴力,いじめ,その他の深刻な教育問題に対して何一つ有効な対策を打ち出せなかったことは,火を見るより明らかである。また,同法第55条により認められていた文部大臣の指揮監督権の廃止も,上記と同様の理由により,やはり一定の評価に値する。

 しかし,教育委員会委員任命制に対して何ら根本的な検討が加えられていないことは,教育行政が抱える,国民・住民との乖離を解決することから遠く隔たった状態を温存することになりかねない。また,地方教育行政の組織及び運営に関する法律第52条に定められている文部大臣の措置要求について「一般ルールに沿って行うものとする」とされている。この場合の一般ルールは「国の関与の手続等」に関わるものとして「書面主義の原則」,「手続の公正・透明性の確保」および「事務処理の迅速性の確保」によることとなるのである(地方分権推進委員会第一次勧告による)。しかし,手続的にはともあれ,これによってどの程度分権が進むのか,従来とどの程度異なることになるのか,疑問である。教育委員会委員任命制の廃止こそが,住民の意思を反映する,教育行政における地方分権に相応しいのではなかろうか。

 2)福祉行政

 具体的な問題などを述べる前に,地方分権推進法第5条により「国が,地方公共団体に対し,地方公共団体の行政機関若しくは施設,特別の資格若しくは職名を有する職員又は附属機関を設置しなければならないものとすることをいう」と定義される必置規制について述べる。必置規制が,福祉行政(ここでは,社会福祉および保険医療をあわせたものとする)および教育行政,すなわち,厚生省および文部省に関係する事務などに多く見られるからである。

 必置規制は,機関委任事務と大きな関わりを有するものであり,憲法第92条によって地方公共団体に保障されると考えられる自主組織権に対する制約である。しかも,これまでの必置規制は,必ずしも法律の根拠によらないものもあり(「通達」によるものも多かった),国による一律的な規制が地域の実情に合わないなどの例が多数報告されている。また,地方公共団体側により,「社会経済情勢の変化により必置とする必要が乏しくなっているものや,類似の機関,職等により代替し得るものがあるのではないか」,「各事務分野ごとに,機関,施設等の設置が一律に義務づけられると,住民本位の柔軟で総合的な行政の展開が困難になる」,「特別の資格がなくても十分対応可能な職にも,資格者の必置が義務付けられているため,人事運営上支障を来している」,「地方公共団体の効率的な行政体制の整備,円滑な配置転換,人事交流等,行政改革を進める上で障害となっていることから,必置規制は必要最小限とすべきである」という意見が出されていた(地方分権推進委員会中間報告による)。

 地方分権推進委員会は,中間報告において基本的に地方公共団体側の主張を認め,必置規制の緩和・廃止を勧告しているし,第二次勧告においても,個別的に,決して十分ではないが「見直しを行う」ことを表明する(個別的に見るならば,何らかの形による解決を提言している場合もある)。勿論,中間報告も指摘するように「社会的弱者に対する福祉サービス等の行政水準の低下をもたらすことのないようにすること」が前提として求められているので,必置規制を外すことに問題はないのかという点を個別的に検討する必要がある。しかし,国による一律的な規制が地方公共団体の規模などに関係なくなされるとすれば,硬直化を招くだけである。そのため,必置規制を完全に撤廃するか,標準の枠を作り,その後,都道府県,市町村で具体的な職員の配置などを行えばよい。中間報告は,現在のところ福祉事務所の現業所員について最低配置人数が決められていることについて,職員配置基準の弾力化を勧告しているし,福祉事務所の所長および指導監督所員・現業所員の専任・専従規定などを,原則として廃止する方向を打ち出している。なお,福祉事業所長の専任規定は1997年6月に廃止された。

 一方,社会福祉行政のうち,生活保護の決定・実施に関する事務などは法定受託事務として国の関与が残る形となり19,生活保護法による保護施設の設置認可,監督に関する事務など若干のものが都道府県の法定受託事務とされているが,多くの事務が自治事務とされるようである。しかし,これらの多くは都道府県の自治事務であって,市町村については,老人保健法による指定老人訪問看護事業者の指定等に関する事務が政令指定都市および中核市の事務とされ,児童福祉手当法による児童福祉手当の受給資格の認定等に関する事務が市および福祉事務所を設置する町村へ委譲されることとされている程度である。また,これらの事務について,先述の国の関与が予定されている場合が多い。

 7  地方財源は拡充されるのか?――地方税および補助金について――

 上述のところから,地方分権による地方財政の拡充はそれほど多くを期待できないと言いうる。地方税制度は,基本的に従来と同様である。国庫補助負担金についてはそれなりに検討されているが,地方交付税制度については算定基準の簡素化などが述べられる程度である。

 この背景には,地方公共団体における行財政制度の改革・合理化という要請があるものと思われる。私自身,この問題についてこれから研究の対象にしようと考えているところであるため,具体的に述べることはできないが,機構の改革,公務員定員管理制度の再検討,事務の見直しなどによる歳出削減が一層強く求められるものと思われる。また,入札制度については,現行の(本来ならば原則ではないはずの)指名競争入札制度を改めるべき時に来ているのではなかろうか20。この制度が,談合などの不正行為の温床となっているとともに,無駄な支出の原因ともなっているからである。なお,多くの地方公共団体の財政を苦しめる結果となった公共事業については,今年,第五次勧告が予定されている。

 

X 最後に

 

 地方分権は,多くの行政分野に関わることであり,全ての分野を概観することは,私の能力を超える。従って,今回,非常に不十分な論考となったことを,重ねてお詫び申し上げる。

 

 1) 詳細については検討を控えるが,地方分権を主張する論者によっては,道州制や連邦制など,日本国憲法の改正(憲法学的には改正とは言えなくなるかもしれない)を前提とする議論も見受けられる。しかし,国によって現在進められている地方分権は,日本国憲法による枠組みを否定するものではないという前提に立っている。総務庁行政管理局企画調整課・自治省行政局行政課(共編)『逐条解説地方分権推進法』(1995年,ぎょうせい)35頁。

 2) これに関連して,高橋和之氏は,地方分権推進委員会による諸勧告につき,「実にわかりづらい内容」であり,「特に機関委任事務の具体的な処理をどういうふうにするか,自治事務にするのか,法定受託事務にするのかという部分は結論が示されているだけで,なぜそういう結論に至ったかという説明は全くない」,「まるで専門家さえわかればいいだろう,という感じの書き方になっている。総理大臣に対する勧告というものだから,そういう人たちがわかればいい,というふうにお考えになったのかもしれませんが,これは,公的な文書ですから,本当の名宛人は国民だろうと思うのです。(中略)まさに,拠らしむべし,知らしむべからずという従来の官庁のやり方から抜け出していないのではないかという気が」する、と評価する。小早川光郎・高橋和之・西尾勝・増島俊之「〈座談会〉分権改革の現段階――地方分権推進委員会第1次〜第4次勧告をめぐって」ジュリスト1127号(1998年)13頁。

 3) 最終勧告(第四次勧告)は昨年9月末に予定されていた。また,今年に入って,第五次勧告の方針が固められた,と報じられている(日本経済新聞1998年1月18日付朝刊12版)。

 4) なお,この法律の制定に至るまでの過程については検討を省略する。

 5) 総務庁行政管理局企画調整課・自治省行政局行政課(共編)・前掲36頁。

 6) 原文によれば,(1)国家の統治の基本に密接な関連を有する事務(詳細は省略),(2)根幹的部分を国が直接執行している事務で,以下に掲げるもの @国が設置した公物の管理に関する事務A広域にわたり重要な役割を果たす治山・治水及び天然資源の適正管理に関する事務 B信用秩序に重大な影響を及ぼす金融機関等の監督等に関する事務 C医療等の製造の規制に関する事務 D麻薬等の取締まりに関する事務,(3)全国単一の制度又は全国一律の基準により行う給付金の支給に関する事務で以下に掲げるもの @生存に関わるナショナル・ミニマムを確保するため,全国一律に公平・平等に行う給付金の支給等に関する事務 A国が行う国家補償給付等に関する事務,(4)法定の伝染病のまん延防止に関する事務,(5)精神障害者等に対する本人の同意によらない入院措置に関する事務,(6)国が行う災害救助に関する事務,(7)国が直接執行する事務の前提となる手続の一部のみを地方公共団体が処理することとされている事務で,当該事務のみでは行政目的を達成し得ないもの,(8)国際協定等との関連に加え,制度全体にわたる見直しが近く予定されている事務で以下に掲げるもの(詳細は略),とされている。

 7) (1)は第一次勧告と同じであるが,詳細な例示は省略されている。(2)も第一次勧告と同じであるが,@国が設置した公物の管理に関する事務及び国立公園の管理並びに国定公園内における指定等に関する事務,A(第一次勧告と同じであるが,細目は書かれていない)B環境保全のために国が設定した環境の基準及び規制の基準を補完する事務(細目は略。第一次勧告になかった),C(第一次勧告の(2)Bと同じであるが,細目は書かれていない),D(第一次勧告の(2)Cと同じであるが,細目は書かれていない),E(第一次勧告の(2)Dと同じであるが,細目は書かれていない),(3)(第一次勧告と同じ。但し,細目は書かれていない),(4)広域にわたり国民に健康被害が生じること等を防止するために行う伝染病のまん延防止や医薬品等の流通の取締まりに関する事務(この項目は第一次勧告にない) @(第一次勧告の(4)) A公衆衛生上,重大な影響を及ぼすおそれのある医薬品等の全国的な流通の取締まり等に関する事務(細目は略。第一次勧告になかった),(5)(第一次勧告と同じであるが,細目は書かれていない),(6)(第一次勧告と同じであるが,細目は書かれていない),(7)(第一次勧告と同じであるが,細目は書かれていない。もっとも,第一次勧告においても,細目が示された上で「等」となっていた),(8)(第一次勧告と同じであるが,何故か細目は書かれていない)となっている。細目が掲げられていないものは,第一次勧告において掲げられていた細目が全てなので掲げる必要がなかったのか,第一次勧告において掲げられていたものより範囲が拡大しているので掲げる必要がなかったのか,明確ではない。

 8) 成田頼明「四次にわたる地方分権推進委員会勧告の総括――達成できたこと,できなかったこと」ジュリスト112738頁。

 9) 加茂利男「中間報告・第一次勧告を振り返って」自治体問題研究所編『地方分権への提言』(1997年,自治体研究社)21頁,市橋克哉「強まった国の権力的優位性」同書44頁を参照。

 10) 裁判所法第3条第1項にいう「法律上の争訟」に関連する。また,違憲立法審査権に関しては,最大判昭和2710月8日民集6巻9号783頁において言及されている。

 11) 同旨,木佐茂男「地方自治を保障する司法的コントロール」法学セミナー510号(1997年)103頁。これに対し,阿部泰隆氏は「中央官庁としては,国法に違反する条例を無効として,国法の執行を確保しようというのであろう」と評価し,「機関訴訟さえ許されているのであるから,こうした訴訟を加えることには異議は出まい」,「地方公共団体の政策には,条例の形にはならず,規則,要綱で行っているものも少なくない」が「国のほうから阻止する必要があるのは同じであるから,もしこの制度が妥当であれば,国から訴訟を起こせるのは,条例だけでなく,施策全般の違法確認訴訟というように拡げるべきである」とも述べる。阿部泰隆「国・地方公共団体の関係調整ルール」ジュリスト1090号(1996年)50頁。但し,阿部氏は,無制約な導入を説いていない。

 12) 阿部・前掲50頁。

 13) 今年8月を目途にまとめられることとなっている。日本経済新聞平成10年1月18日付朝刊(12版)の記事によれば,国の公共事業に関する権限の委譲を中心とするようである。なお,同記事は,これまでの勧告について「具体的な事務権限の委譲は手薄だった」と評しており,「権限が増えるだけの地方財源を確保できるかどうかもカギになりそうだ」と述べている。

 14) 199611月,神奈川県が主催した「地方分権シンポジウム」における長野県栄村村長高橋彦芳氏の発言。引用は,保母武彦「農村から問う,『行政能力』とは何か」法学セミナー509号(1997年)104頁による。

 15) 多田憲一郎「過疎地域市町村の行財政構造と地域政策――京都府与謝郡伊根町を事例として――」京都大学経済学会経済論叢別冊・調査と研究第7号(1994年)65頁。

 16) 重森暁「柔らかい地方分権への税財政改革」自治体問題研究所編『解説と資料 地方分権の焦点』(1996年,自治体研究社)82頁。この点につき,詳細は,多田・前掲72頁以下を参照。

 17) このことは,過疎化地域ではないが極端な財政赤字を抱え込む地方公共団体の合併についても,基本的に妥当するものと思われる。

 18) 本来ならば環境行政についても検討すべきであるが,紙数などの都合により,ここで略述するに留める。環境行政については,法定受託事務とされる事務の範囲が多く,どれほど地方公共団体が自主的に取り組みうるかについては未知数のところであろう。しかし,国との事前協議が要求されるものについては,議会や住民の意見を基にして,地域の特性を前面に打ち出すことが求められるものと思われる。なお,これと関連する都市開発行政については,簡単ながら既に述べた。

 19) 「現金給付等の生活困窮者の扶助に関わるものであり,生存にかかわるナショナル・ミニマムを確保し,全国一律に公平・平等に実施する必要がある」から,と説明されている。しかし,これで臨機応変に対応できるのか,ということについて,若干の疑問も生ずる。

 20) 会計法第29条の3第1項および地方自治法第234条第2項により,法律上は,一般競争入札が原則となっている。なお,予算決算及び会計令第70条以下も参照。

 

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