09 所得概念と所得税
「08 所得税の地位」において述べたように、日本において、所得税とは個人の所得に対する租税を意味する。それでは、所得とはいかなるものなのであろうか。
所得税法には、趣旨目的を示す規定(第1条)、用語の定義規定(第2条)がある。また、第23条以下において、利子所得、配当所得などの類型が示されている。しかし、所得そのものについての定義が示されていないため、具体的にいかなるものが所得であるのかは明確でない。そればかりでなく、所得概念については、経済学や財政学などにおいて様々な議論がなされている。
一つは消費型所得概念である。支出型所得概念ともいい、現在の経済学においては広く支持を集めるものである※。この考え方は、個人の収入のうち、効用や満足の源泉である財貨や人的役務の購入、すなわち消費に充てられる部分のみを所得とする。従って、蓄積(貯蓄など)にあてられる部分は所得でないこととなり、逆に、消費のための借り入れも所得に含まれることとなる。消費型所得概念には、生涯所得を基準として納税者間の公平を保つことができる、投資や貯蓄を奨励する、などの長所がある。しかし、貯蓄などを所得に含まないため、富の格差を拡大することになるし、消費を所得とした場合には課税などの租税行政が困難となる。その他にも様々な問題が存在することから、現在、消費型所得概念を実際の制度に生かした国は存在しない※※。
※財政学からの説明として、小林晃『現代租税論の再検討』〔増補版〕(2000年、税務経理協会)128頁の説明がわかりやすい。また、吉田克己『現代租税論の展開』(2005年、八千代出版)131頁、重森暁・鶴田廣巳・植田和弘編『Basic現代財政学』〔第3版〕(2009年、有斐閣)264頁[諸富徹担当]も参照。
※※支出税は、1958年にインドが、1960年にスリランカが導入したが、いずれも短期間で廃止した。
もう一つが取得型所得概念である。発生型所得概念ともいう。この考え方は、個人が収入などの形で新たに取得する経済的価値(利得)を所得とする。日本をはじめ、諸国の租税制度において採用され るが、いかなるものを所得として扱うのか、その範囲に関連してさらに二つの考え方に分かれる
。第一が、制限的所得概念である。これは、周期説(Periodizitätstheorie)あるいは所得源泉説(Quellentheorie)とも言われ、周期的に生じる利得(利子、配当、地代、利潤、給与など)のみを所得とする。そのため、一時的・偶発的な利得、例えば、相続、贈与、賭博、宝くじなどからの利得、キャピタル・ゲインは所得に含まれない。資本や資産の維持を重視する考え方と評価できる。
第二が、包括的所得概念である※。元々、ドイツの著名な財政学者シャンツ(Georg von Schanz)が唱えた純資産増価説(Reinvermögenszugangstheorie)に起源を持ち※、アメリカに伝わってヘイグ(Robert M. Haig)とサイモンズ(Herry C. Simons)によって発展した考え方で、シャンツ=ヘイグ=サイモンズ概念ともいう。この概念によると、個人の担税力を増加させるような経済的な利得は全て所得となる。従って、周期的に生じる利得はもちろん、一時的・偶発的な利得も所得となる。それだけでなく、帰属所得なども含まれることとなる。
※小林・前掲書138頁は、包括的所得(税)概念に対する批判的な解説を試みている。
※※Heike Jochum, Grundfragen des Steuerrechts, 2012, S. 24 Fn. 70によると、この理論の淵源はGustav Schmoller, Die Lehre vom Einkommen in ihrem Zusammenhang mit den Grundprinzipien der Steuerlehre, Zeitschrift für die gesamte Staatswissenschaft 1863, S. 52、およびGeorg von Schanz, Der Einkommenbegriff und die Einkommensteuergesetze, Finanzarchiv 1896, S. 1ff.に求められるという。
なお、田村信一『グスタフ・シュモラー研究』(1993年、御茶の水書房)98頁は、次のように述べている。
「『所得論』は、直接には生物学的有機体論の影響を強く受けたアルバート・シェフレの国家社会主義的観点からの累進課税要求に対して、一方では彼の『国民経済学の倫理的・哲学的深化』に共鳴しつつ、他方では、『労働者問題』でも主張された労働者の『中産階級』化=小財産の蓄積という立場からシェフレの累進課税制度の提案を退け、それにかわって奢侈税、所得税の一定の免税、貯蓄金庫の資本税からの免税、生活必需品にたいする消費課税の廃止を提案し、プロレタリアートに『節約、営利、自己の財産、自由な所得の可能性』を保証しようとするものであった。」
現在の日本においても、この包括的所得概念が採用される。所得税法では、利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得および一時所得の類型を定め、周期的な利得は勿論、一時的・偶発的な利得をも所得に含めることを明らかにする。他方、以上のいずれにも含まれない所得については雑所得とする。そのため、非課税の規定が存在しない限り、いかなる源泉から生じた所得であれ課税される。また、金銭による所得に限られず、現物給付や債務免除などの経済的利益も所得となる。そして、利得が合法であるか不法であるかを問わない(所得税基本通達36-1も参照)。不法な利得の場合は、それが私法において無効なものであっても課税の対象となると理解すべきである(最判昭和46年11月9日民集25巻8号1120頁、および最判昭和46年11月16日刑集25巻8号938頁を参照)。
しかし、包括的所得概念には大きな難点も存在する。本来であれば、未実現の利得や帰属所得も課税の対象とされるべきであるが、捕捉ないし評価が困難であり、課税の対象とならない場合が多い。
ここで、未実現の利得の一つであるキャピタル・ゲイン(capital gain)を例にとろう。これは、会計学において、企業などが保有する資本財産※の譲渡によって実現する利益をいう※※。例えば、或る者が土地などの資産を保有している場合に、その価値が増加することがある。その増加分がキャピタル・ゲインである。資産の価値が増加すれば、当然、利益が得られるはずであるから、キャピタル・ゲインは、本来であれば包括的所得概念に従って所得とすべきものである。しかし、この利益は、売却などによって実現すれば所得として把握しうるが、売却などがなされなければ実現されないから所得にならない。しかも、実現されない場合には利益を算定することが非常に困難になる。そのため、現実にはキャピタル・ゲインについては実現されなければ課税されないということになる。
※資本財産とは、継続的な使用または所有のために用いられる資産を指し、有形固定資産(土地、建物、借地権など)、無形固定資産(のれん、特許権、商標権など)、投資(関係会社に対する出資など)をいう。
※※逆に、損失であればキャピタル・ロス(capital loss)である。
また、現物給付〔フリンジ・ベネフィット(fringe benefit)〕も、本来であれば包括的所得概念に従って所得とすべきものである。しかし、存在そのものを把握することが困難である場合が多く、価値を金額として評価することも決して容易ではない。
把握の困難性ということでは、帰属所得(imputed income)もあげなければならない。これは、自己の財産を利用することによって発生すると考えられる所得のことである。例えば、他人が所有する住宅において生活を営む場合には家賃を支払わなければならないが、自己が所有する住宅であれば家賃支払いの必要はない。このことによって何らかの経済的利益が得られる、と考えられうる。また、家事労働についても同様であり、自ら、または同居する者が料理や掃除などをすることにより、他人を雇用した場合に支払わなければならない対価を支払う必要がなくなるから、何らかの経済的利益が得られることになる。しかし、これらを正確に把握することは非常に困難である場合が多い。
結局、このような所得をどこまで課税の対象とするかは、立法政策の問題であるということになる。
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(2011年3月16日掲載)
(2012年8月6日修正)
(2013年10月17日補訂)
(2017年11月8日補訂)