第29回    損失補償法

 

 

 憲法第29条第2項は、財産権が「公共の福祉」に服することを規定する。このことから、財産権については、内在的な制約を超えた何らかの政策的な理由による制約が許されると理解される。しかし、そのことから、いかなる場合においても私人の財産権に対して何らの補償もなされずに、私人にいかなる犠牲を払わせることをも許容するのでは、第1項の趣旨を没却する。そこで、第3項により、正当な補償の下に、特定の私有財産を「公共のために用ひることができる」とされるのである。

 宇賀克也教授は、「元来、損失補償の制度は、私有財産の侵害が補償を伴うべきであるという思想に裏打ちされて発展してきたものであり、欧米先進諸国の憲法において、私有財産制のコロラリーとして規定されてきた」と述べる。このことからすれば、損失補償制度は、財産権が資本主義経済の中核とされ、神聖不可侵とされていたからこそ認められたのであり、「公共の福祉」による制約が、明文により、いわば積極的に認められるようになった現代社会においても、基本的人権とそれに対する制約の間で、いわば調整役として存在意義を深めた、ということになる。いかに「公共のために」特定の私有財産に関して権利を有する私人に「特別の犠牲」を課すことが認められるとはいえ、無償で、という訳にはいかない。損失補償制度は、第1項の趣旨を補完するために存在する、と考えてよい。

 ※宇賀克也『国家補償法』(1997年、有斐閣)392頁。

 

 1.損失補償制度と国家賠償制度の違い

 損失補償制度とは、行政主体の適法行為によって、すなわち、行政上の権限(公権力)の行使によって、国民・住民の私有財産の侵害性が法律上認められる場合に生ずる損失を補償する制度である。もっとも、租税や負担金などのように、一定の要件を充足すれば私人一般の財産権を侵害しうる場合は含まれない(これは第29条第2項の問題である)。例えば道路拡張の場合のように、財産権の侵害が私人に「特別の犠牲」をもたらすときに正義公平の見地より国民・住民の負担において調節的な補償措置を講ずることが、損失補償の例である。

 ここで、損失補償と国家賠償との違いについて注意をしておかなければならない(第26回において述べたところと重なる部分もある)。

 両者は、まず、憲法上の根拠が異なる。損失補償は憲法第29条第3項を根拠とするのに対し、国家賠償は同第17条を根拠とする。そして、後に述べるように、損失補償については、法律に規定が存在しない場合に、憲法第29条第3項を直接の根拠として請求をなしうるのに対し、国家賠償については、憲法第17条を直接の根拠として請求をなしえない※。

 ※但し、現在では国家賠償法が存在するので、この点は、特殊な事例を除いて問題とならない。第26回を参照。

 次に、損失補償、国家賠償の両者とも請求権が関係するが、国家賠償請求権については受益権または国務請求権として扱われ、主に訴訟を通じての請求によることになる。これに対し、損失補償は、経済的自由権への侵害に対する補償の性質を有し、必ずしも訴訟を経なくてよいため、受益権または国務請求権としてではなく、経済的自由権の一環として扱われることになる。

 そして、侵害の性質が異なる。損失補償の場合は、国または地方公共団体による、私人の財産権に対する侵害は適法であることが前提である。また、基本的には経済的自由権にのみ関係する(生命や健康などについては争いがある)。これに対し、国家賠償制度の場合は、公務員が職務をなすに際して違法に私人の権利や利益を侵害した場合、または、公物の設置や管理に瑕疵があったために私人の権利や利益が侵害された場合に、いわば違法な結果をもたらしたことが問題となる。この場合、対象は経済的自由権に限られず、生命、身体、名誉なども含まれる。

  損失補償 国家賠償
憲法上の根拠 第29条第3項 第17条
法律に規定が存在しない場合 第29条第3項を直接の根拠として請求しうる。 第17条を直接の根拠として請求しえない。
請求権の性質 経済的自由権 受益権または国務請求権
侵害の性質 適法(基本的に経済的自由権にのみ関係する) 違法(対象は経済的自由権に限らず、生命、身体、名誉なども含まれる)

   

 2.損失補償制度の憲法上の根拠

 既に述べたように、損失補償制度の憲法上の根拠は第29条第3項である。そして、この規定の趣旨を受けて、多くの法律において損失補償に関する規定が置かれている。また、補償という語が用いられていないが実質的には損失補償が規定されている例、あるいはその逆の例などもある。しかし、法律に損失補償に関する規定が存在しない場合もある。このような規定の許容性については、かつて、判例、学説において見解が分かれていた。

 第一に、法律に規定が存在しない場合には損失補償請求権が否定される、とする見解があった。若干の下級審判決に見られたが、これは第29条第3項をプログラム規定と捉える考え方であり、妥当性を欠いている。そのため、現在、この立場を採る学説・判例は存在しない。

 第二に、損失補償に関する規定のない場合にはその法律が違憲無効となる、という見解がある。財産権の保障という趣旨を徹底するならば、この見解が妥当である。また、この見解によると、仮に法律自体を違憲無効とした場合に、補償をなした上で規制を継続するか否かを国会の意思に委ねることができる。しかし、この見解によると、過去の損害に対する補償の請求は一切できないという結果になる。また、違憲無効の法律による規制によって財産権の侵害を受けたとして国家賠償の請求がなされる可能性は否定されないが、立法権の行使に対する損害賠償請求は事実上認められないこととなる

 ※最一小判昭和60年11月21日民集39巻7号1512頁を参照。

 第三に、直接、憲法第29条第3項を根拠として損失補償を請求できるとする見解がある。第26回において扱った河川付近地制限令違反事件〔最大判昭和43年11月27日刑集22巻12号1402頁 (U―252)〕がこの立場を採り、以後の判例、そして学説の大多数もこの見解を支持する。この説は、仮に補償を定める規定が存在しないとしても、その法律が直ちに憲法違反となる訳ではないとした上で、直接、第29条第3項を根拠にして損失補償を請求しうると述べる。この見解が妥当である。宇賀教授は、立法者が事前に補償の内容を具体的に、かつ詳細に法律に定めることはほとんど不可能であり、補償をなすという趣旨に留まる規定を作らざるをえないこと、通常生じうる損失の範囲などが必ずしも明確ではなく、要否を含めて結局は裁判所の判断を仰がざるをえないことなどを指摘している

 ※宇賀・前掲書398頁。

 

 3.損失補償の要因―憲法第29条第3項にいう「公共のために用ひる」の意味

 前述の通り、憲法第29条第3項は、正当な補償の下に、特定の私有財産を「公共のために用ひることができる」と規定する。ここにいう「公共のために用ひる」の意味について、見解が分かれている。

 まず、狭義説がある。この説によると、公共事業、例えば学校、病院、鉄道、道路などの建設のために私有財産を制限ないし剥奪する場合のみを意味することとなる。

 これに対し、現在の通説・判例は広義説をとる。この説によると、広く社会公共のために私有財産を制限ないし剥奪することを意味することとなる。広義説が妥当であろう。以下、広義説を前提とする。

 ※食料緊急措置令違反事件について最大判昭和27年1月9日刑集6巻1号4頁を、農地改革について後掲最大判昭和28年12月23日の多数意見を参照。

 

 4.補償の要否―「特別の犠牲」の意味

 〔1〕前提および一般論

 損失補償について法律の規定が存在する場合には、その規定に従えばよい。しかし、存在しない場合が問題となる。ここでは、まず、一般的な事柄について考察を進めていく。

 特定の個人が有する財産権に対する適法な侵害について補償を必要とするか否かについては、既に述べたように、「特別の犠牲」の有無に従って判断すべきことになる。そして、その「特別の犠牲」の意味についても、既に述べたとおりである。 そして、補償を要するか否かについて、一般的には次のように考えていくべきであろう。

 @上述のように、財産権に対する一般的な制約は、憲法第29条第2項の問題である。このため、損失補償は不要である(そもそも、損失補償の根拠にならない)。

 Aしかし、道路、ダムなどの公共施設を設置するような場合には、特定の財産権者に対して、一般的な制約とは異質の「特別の犠牲」を求めざるをえない。そこで、憲法第29条第3項の適用を考える。

 B「公共のために」特定の私有財産に関して権利を有する私人に特別の犠牲を課すことが必要である場合であっても、無償で制限ないし剥奪をなすことは、憲法第29条第1項、さらに第14条第1項の趣旨に反する (但し、異説もある)。

 その上で「特別の犠牲」の意味を明らかにしなければならない。これについて、通説は、次のような判断基準を示してきた。

 第一に、形式的基準である。これは、財産権に対する侵害が、広く一般人を対象としているか、それとも特定人または特定の範疇に入る人を対象にしているかを問うものである。前者であれば、財産権の内在的制約に該当するので、損失補償は不要である。これに対し、後者であれば、平等原則との関連で、財産権の侵害を当然の内在的制約としておくことはできない。

 第二に、実質的基準である。公共の用に供するための財産侵害であって、社会通念に照らし、その侵害が財産権に内在する制約として受忍されなければならない程度を超え、財産権の実質ないし本質的内容を侵すほどの強度の規制と認められるか否かを問うものである。

 そして、この二つの基準によって、客観的・総合的に判断する。判例も、それほど明確ではないものの、通説と同じ立場を採るものと思われる〔後掲最大判昭和38年6月26日を参照〕。

 これに対し、近年の有力説は、形式的基準を不要とし、実質的基準のみによって判断するという考え方をとる。その理由として、形式的要件が相対的なものであり、とくに土地所有権については社会的な規制が強化されており、高度の規制が内在的な制約とされていること、「公共のために用ひる」の意味について広義説が一般的になっており、方法も多様化していることがあげられる。そして、次のように述べる。

 ※櫻井敬子=橋本博之『行政法』〔第5版〕(2016年、弘文堂)394頁。

 財産権の本来的効用の発揮が妨げられる場合や財産権の剥奪に至る場合には、とくに権利者に受忍を求めるべき合理的理由がない限りにおいて補償を要する。そこまで至らない規制については、財産権の性質に応じて、財産権が社会的な共同生活との調和を保つためのものであれば(建築基準法による建築制限などがあげられる)、補償は不要であり、他の特定の公益を目的とし、財産権本来の社会的効用とは関係のない規制(重要文化財の保全のための制限などがあげられる)であれば補償が必要である

 ※これについては、野中俊彦=中村睦男=高橋和之=高見勝利『憲法T』〔第5版〕(2006年、有斐閣)494頁【高見勝利担当】、辻村みよ子『憲法』〔第5版〕(2016年、日本評論社)261頁を参照。なお、有力説の表現については両者の、とくに後者のそれを利用していることをお断りしておく。

 有力説の妥当性が強いように思われるが、実際のところ、通説と有力説との間に強い対立関係はないものと思われる。例えば、通説によっても、例えば土地所有権については実質的基準によって説明することが可能である。また、通説よりは有力説のほうが、実質的基準に関して多少とも具体性が増しているものの、完全に明確性を得られているという訳ではない。むしろ、有力説は通説をさらに具体化しようとする試みである、と理解することが可能ではなかろうか。

 ※同旨、宇賀・前掲書401頁。

 そこで、具体的事例に即して検討を加える。ここでは、原田尚彦『行政法要論』〔全訂第七版補訂二版〕(2012年、学陽書房)269頁にならい、制約の態様を公用収用と公用制限とに大別しておく※。

 ※櫻井=橋本・前掲書395頁、芝池義一『行政法読本』〔第4版〕(2016年、有斐閣)436頁、439頁も参照。

 〔2〕公用収用の場合

 特定の公益事業の用に供するために、私人の特定の財産権(例、土地の所有権)を強制的に取得し、または消滅させる(権限を行政庁に与える)ことを、公用収用という。勿論、私人の財産権を取得する際には、第一に民事上の手段によらなければならないが、これが困難であるような場合、あるいは緊急の必要性が存在する場合に、公用収用が認められるのである。

 公用収用についての一般法(的な存在)として、土地収用法がある。この他の法律にも、公用収用に関する規定が存在する。

 一般的に言うならば、収用の対象となる財産が僅少である場合を除き、補償が必要となる。但し、実際には必要性の有無が問題となることがある。これは、とくに侵害行為の目的の問題でもある。

 まず、よく取り上げられる消防法第29条の例を考える。これは破壊消防に関する規定であり、第1項は「消防吏員又は消防団員は、消化若しくは延焼の防止又は人命の救助のために必要があるときは、火災が発生せんとし、又は発生した消火対象物及びこれらのものの在る土地を使用し、処分し又はその使用を制限することができる」と定める。次に第2項は「消防長若しくは消防所長又は消防本部を置かない市町村においては消防団の長は、火勢、気象の状況その他周囲の事情から合理的に判断して延焼防止のためやむを得ないと認めるときは、延焼の虞がある消防対象物及びこれらのものの在る土地を使用し、処分し又はその使用を制限することができる」と定める。これらの場合には消極的目的による規制と考えられるが、既に社会公共に危害を与える状態にあるし、もはや価値を持たないような状況になっているために、補償が不要とされる。

 これに対し、第3項は「消防長若しくは消防所長又は消防本部を置かない市町村においては消防団の長は、消化若しくは延焼の防止又は人命の救助のために緊急の必要があるときは、前二項に規定する消防対象物及び土地以外の消防対象物及び土地を使用し、処分し又はその使用を制限することができる。この場合においては、そのために損害を受けた者からその損失の補償の要求があるときは、時価により、その損失を補償するものとする」と定める。この場合は、対象となる財産自体には延焼のおそれがないと認められることから、損失補償の対象となるのである。

 〔3〕公用制限の場合

 特定の公益事業の用に供するために、私人の特定の財産権に対して(公法上の)制約を課する(権限を行政庁に与える)ことを、公用制限という。私人が所有する土地などの原状を変更する行為を制限または禁止することが代表的な例である。これはさらに三種に分けられる。

 公物制限は、公の目的のために特定の物に関する利用権に対する(公法上の)制約である。文化財、史跡、名勝の保護などを目的とする。文化財保護法第43条、森林法第34条などの例がある。

 負担制限は、特定の公益事業のために必要ではないものの、その事業に供されない物の利用権に対する(公法上の)制約である。自然公園法第35条などの例がある。

 公用使用は、特定の公益事業のために、私人の財産権に対して(公法上の)使用権を設定することによる制約である。漁業法第45条、鉱業法第47条、特許法第83条などの例がある。

 公用制限の場合は、一応、財産権の制限の目的により、補償の有無が判断されることになる。 財産権の制限が財産権の本来の効用を高めるためのものであれば、補償は不要とされる。例えば、上の警察規制に該当する場合には、財産権に内在的に存在する制約であるとして、補償が不要とされる。

 最大判昭和38年6月26日刑集17巻5号521頁(奈良県ため池条例事件判決。U―251)

 事案:奈良県内にある溜池は、被告人ら農民の総有となっていたが、昭和29年に奈良県が「ため池の保全に関する条例」を制定したため、溜池の堤塘における耕作が禁止された。しかし、被告人らは耕作を続けたため、条例違反に問われた。葛城簡判昭和35年10月4日刑集17巻5号572頁は被告人らに罰金刑の判決を言い渡した。しかし、大阪高判昭和36年7月13日判時276号33頁は、本件条例が憲法第29条第2項に違反すること、何らの補償もせずに財産権を制約することが同第3項にも違反するとして、被告人らを無罪とした。検察官側が上告し、最高裁判所大法廷は大阪高等裁判所判決を破棄し、同裁判所に差し戻した。

 判旨:まず、本件条例が当時の行政事務条例であり、当時の地方自治法第2条第3項第1号・第2号・第8号に定められる事務に関するものであるとして、憲法第29条第2項に違反しないとされた。その上で、溜池の堤とうを使用する行為は、溜池の破損や決壊の原因となるのであり、憲法においても民法においても「適法な財産権の行使として保障されていない」と述べている。また、本件条例第4条第2号による財産権の制約は「災害を防止し、公共の福祉を保持する上に社会生活上已むを得ないものであり、そのような制約は」本件被告人らのような者が「当然受忍しなければならない」ものであるから、損失補償も必要としないという趣旨を述べた。

 この判決に対し、芝池義一『行政救済法講義』〔第3版〕(2006年、有斐閣)207頁は、溜池の堤塘の使用の規制について「『財産上の権利に著しい制限を加えるもの』であることを認めて」いることから「補償が必要ではないかという疑問がある」と述べている。

 また、都市計画法における市街化区域や市街化調整区域の指定による土地利用の規制、用途地域制による規制についても、損失補償が不要とされる。但し、これについては異論がある。また、都市計画法による制限は、かなりの厳しい内容であっても補償を不要とすることになるのであるが、原田・前掲書273頁は「補償の要否に関する実定法の定めが整合性を保っているかは疑問である」と述べる。そして、例として自然公園法上の保護地域に関する制限については補償が必要とされているのに対し、建築基準法による美観地区における制限には補償が不要とされていることをあげる。

 ●最三小判平成17年11月1日裁判所時報1399号1頁(U―253)

 事案:XらがY市(盛岡市)内に所有する土地は、昭和13年3月5日付内務省告示第74号に基づいてなされた都市計画決定(旧都市計画法による)により、盛岡広域都市計画道路の路線区域内とされた。この計画道路は昭和37年度から昭和41年度までの間に事業化されるという決定もなされたが、国庫補助事業にならなかったので実現せず、昭和45年から昭和55年までの間に一部が整備されたが、Xらの土地の所在地については具体的な整備計画が存在していなかった。Xらは最初の都市計画決定がなされてから60年以上、都市計画法第53条による建築制限を受け続けたことなどが同第3条に違反するとして、Y市都市計画決定の取消請求および国家賠償法第1条第1項による慰謝料請求を、また憲法第29条第3項による損失補償請求を内容とする訴訟を提起した。盛岡地判平成13年9月28日判例集未登載は計画の取消請求を却下し、慰謝料請求および損失補償請求を棄却した。仙台高判平成14年5月30日判例集未登載も同様の判断を下した。最高裁判所第三小法廷も、Xらの上告を棄却した。

 判旨:「原審の適法に確定した事実関係の下においては」Xらが「受けた上記の損失は、一般的に当然に受忍すべきものとされる制限の範囲を超えて特別の犠牲を課せられたものということがいまだ困難であ」り、Xらは「直接憲法29条3項を根拠として上記の損失につき補償請求をすることはできないものというべきである」。

 この判決には藤田裁判官による補足意見が付されている。同裁判官は、「公共の利益を理由としてそのような制限が損失補償を伴うことなく認められるのは、あくまでも、その制限が都市計画の実現を担保するために必要不可欠であり、かつ、権利者に無補償での制限を受忍させることに合理的な理由があることを前提とした上でのことというべきであ」るとした上で、「その内容が、その土地における建築一般を禁止するものではなく、木造2階建て以下等の容易に撤去できるものに限って建築を認める、という程度のものであるとしても、これが60年をも超える長きにわたって課せられている場合に、この期間をおよそ考慮することなく、単に建築制限が上記のようなものであるということから損失補償の必要は無いとする考え方には、大いに疑問が残る」と述べている。

 この他、種類の別を問わず、補償が不要とされる例は多い(その多くは公用使用に関係する)。建築基準法や消防法などによる建築規制や、多くの営業規制法による施設規制などについては、補償の規定が存在しない。もっとも、判例の中には、当初は適法に許可を受けていたにもかかわらず、国や地方公共団体が新たな施設を建設したために私人の施設の存在が違法状態になったような場合にも、損失補償の請求を否定したものがあり、疑問が残る。

 ●最二小判昭和57年2月5日民集36巻2号127頁

 事案:X社は埼玉県比企郡Y町(小川町)において鉱山を経営していたが、Y町はX社が採掘権の認可を得ていた地域に中学校を建設する計画を立てていた。X社はY町に陳情などを行ったが、Y町は同地域の土地所有権を得た上で中学校の建設に着手した。その結果、X社は、鉱業法第64条によって同地域において鉱石を掘採することが不可能となった。このため、X社はY町に対して損害賠償請求を行ったが、浦和地熊谷支判昭和昭和53年12月19日民集36巻2号131頁は請求を棄却した。X社は控訴の際に予備的請求としてY町に対して損失補償の支払を求めたが、東京高判昭和55年9月17日民集36巻2号150頁は予備的請求も棄却した。最高裁判所第二小法廷もXの上告を棄却した。

 判旨:「公共のためにする財産権の制限が一般的に当然受忍すべきものとされる制限の範囲をこえず、特定人に対し特別の犠牲を課したものでない場合には、憲法二九条三項を根拠として損失補償を請求することができない」(前掲最大判昭和38年6月26日、前掲最大判昭和43年11月27日)。「鉱業法六四条の定める制限は、鉄道、河川、公園、学校、病院、図書館等の公共施設及び建物の管理運営上支障ある事態の発生を未然に防止するため、これらの近傍において鉱物を掘採する場合には管理庁又は管理人の承諾を得ることが必要であることを定めたものにすぎず、この種の制限は、公共の福祉のためにする一般的な最小限度の制限であり、何人もこれをやむを得ないものとして当然受忍しなければならないものであつて、特定の人に対し特別の財産上の犠牲を強いるものとはいえないから、同条の規定によつて損失を被つたとしても、憲法29条3項を根拠にして補償請求をすることができないものと解するのが相当である」。

 ●最二小判昭和58年2月18日民集37巻1号59頁(U―247)

 事案:高松市内の国道沿いで給油所を経営するYは、5基の地下埋設ガソリンタンクを、消防法に基づいて適法に設置していた。ところが、X(国)がこの給油所の近くに地下横断歩道を設置したため、Yのタンクは消防法に違反する施設になった。そこでYは移設工事を行い、損失補償の請求を行ったが、道路法第70条に基づく協議が成立しなかったので香川県収用委員会に裁決の申請をした。同委員会は損失補償金をおよそ907万円とする裁決を行ったため、Xが裁決のうちの損失補償額の部分の取消と損失補償金支払債務の不存在の確認を求めて出訴した。高松地判昭和54年2月27日行裁例集30巻2号294頁はXの請求のうちの一部のみを認めて大部分を棄却し、高松高判昭和54年9月19日行裁例集30巻9号1579頁もXの控訴を棄却した。最高裁判所は、次のように述べてXの上告を認容した(Yが敗訴)。

 判旨:道路法第70条第1項による補償の対象は「道路工事の施行による土地の形状の変更を直接の原因として生じた隣接地の用益又は管理上の障害を除去するためにやむを得ない必要があってした」工作物の「新築、増築、修繕若しくは移転又は切土若しくは盛土の工事に起因する損失に限られる」。そのため「警察法規が一定の危険物の保管場所等につき保安物件との間に一定の離隔距離を保持すべきことなどを内容とする技術上の基準を定めている場合において、道路工事の施行の結果、警察違反の状態を生じ、危険物保有者が右技術上の基準に適合するように工作物の移転等を余儀なくされ、これによって損失を被ったとしても、それは道路工事の施行によって警察規制に基づく損失がたまたま現実化するに至ったにすぎず、このような損失は道路法第70条第1項による補償の対象にならない。

 上掲両判決について、宇賀・前掲書403頁も参照。

 これに対し、財産権の本来の利用目的とは別に、何らかの公益を目的とするための制限である場合には、財産権の本質的な効用を奪うものである限り、損失補償が必要とされる

 もっとも、宇賀・前掲書409頁は、自然公園法第35条第1項の「不許可補償」について「憲法上の補償説」を採るものとした上で、実際に補償がなされた事例が皆無であることを指摘する。また、法律には不許可補償を不要とすることを明文で定めるものがある(古都保存法第9条第1項ただし書き)。この点については、原田・前掲書271頁も参照。

 さらに、公用制限に関しては別の問題がある。道路、公園、庁舎などの行政財産についての占用許可の撤回に際しての、損失補償の必要性である。許可を受けた者の責任に帰すべき事由による撤回の場合には、補償は不要とされる(道路法第72条第1項、河川法第76条第1項などのように、このことを前提とする規定も存在する)。このような場合には問題がないと思われるが、逆に、公益を理由とする撤回の場合には、損失補償を認める規定が存在する場合を除いて問題となる。

 但し、類似の事例について損失補償を認める規定が存在する場合は、その規定を類推適用して損失補償を与えるべきである(後掲最三小判昭和49年2月5日)。

 かつては、公益を理由とする撤回の場合には損失補償が必要であるとする考え方が通説であった。しかし、公物使用権には撤回権の行使が内在的制約として存在するから、財産権の対価としての補償は不要である、という考え方が有力とな った。この考え方を採用したのが、次にあげる判決である。

 最三小判昭和49年2月5日民集28巻1号1頁(T―90)

 事案:東京都が所有する中央卸売市場内の土地をXが借り受けた。この土地は整地されたが、使用されないうちに一部が占領軍に接収された。その後、残された1044坪のうち、55坪についてXが木造の建物を建築して喫茶店として開業したが、残りは放置された。東京都は、この土地のうちの960坪について卸売市場の用地とするため、使用許可を撤回した上で、Xに対し、木造の建物を残りの84坪の土地に移転することを命じた。Xは損失補償を請求し、東京高判昭和44年3月27日高民集22巻1号181頁は、土地の使用権価格を更地価格の60%として補償請求を認めた。東京都が上告し、最高裁第三小法廷は、次のように述べて破棄差戻判決を出した。

 判旨:当時の国有財産法第24条が損失補償の規定を置き、第19条が行政財産に準用していたことから、東京都の行政財産についても第24条の類推適用を認めるべきである。その上で、「都有行政財産たる土地につき使用許可によって与えられた使用権は、それが期間の定めのない場合であれば当該行政財産本来の用途または目的上の必要を生じたときはその時点において原則として消滅すべきであり、また、権利自体に右のような制約が内在しているものとして付与されているものとみるのが相当である」。なお、これについて例外も認められうるが、それは「使用権者が使用許可を受けるに当たりその対価の支払いをしているが当該行政財産の使用収益により右対価を償却するに足りないと認められる期間内に当該行政財産に右の必要を生じたとか、使用許可に際し別段の定めがされている等により、行政財産についての右の必要に関わらず使用権者がなお当該使用権を保有する実質的理由を有すると認めるに足りる特別の事情が存する場合に限られる」。

 この他に、次のような判決が代表的なものとして存在する。

 最一小判昭和63年1月21日判時1270号67頁(福原輪中堤訴訟)

 事案:Xらは愛知県内の福原輪中堤に土地を所有していた。この土地は、Y(国)が起業者となった土地収用法第20条に基づく長良川福原改修事業(昭和39年6月2日事業認定告示、同年9月21日土地細目公告)により、収用の対象となった。愛知県収用委員会はXらの土地について収用裁決および損失補償裁決を行ったが、Xらは損失補償の額が妥当でないとして争った。名古屋地判昭和53年4月28日判タ370号133頁はXらの請求を一部認めた。名古屋高判昭和58年4月27日判例集未登載は、福原輪中堤の堤防が有する文化財的価値について48万円の補償を認めたが、最高裁判所第一小法廷はこれを破棄した(その他の部分については原告の請求を認容している)。

 判旨:(1)「たしかに、土地の利用という面からみれば本件堤防は右基準地よりその形態等において劣ると考えられるが、本件のように堤体と敷地とが一体となって形成されている堤防そのものの客観的価格を求めるに当たっては、単にその敷地利用の面だけから評価するのは妥当でなく、その治水施設としての機能ないし有用性という面も無視できないのであって、これらの点を考えると、結局、右基準地の取引価格について減額修正をすることなく、右価格をもって本件堤防の所有権相当額(時点修正前)とした原審の認定判断は、正当として是認することができる」。

 (2)「土地収用法88条にいう『通常受ける損失』とは、客観的社会的にみて収用に基づき被収用者が当然に受けるであろうと考えられる経済的・財産的な損失をいうと解するのが相当であって、経済的価値でない特殊な価値についてまで補償の対象とする趣旨ではないというべきである。もとより、由緒ある書画、刀剣、工芸品等のように、その美術性・歴史性などのいわゆる文化財的価値なるものが、当該物件の取引価格に反映し、その市場価格を形成する一要素となる場合があることは否定できず、この場合には、かかる文化財的価値を反映した市場価格がその物件の補償されるべき相当な価格となることはいうまでもないが、これに対し、例えば、貝塚、古戦場、関跡などにみられるような、主としてそれによって国の歴史を理解し往時の生活・文化等を知り得るという意味での歴史的・学術的な価値は、特段の事情のない限り、当該土地の不動産としての経済的・財産的価値を何ら高めるものではなく、その市場価格の形成に影響を与えることはないというべきであって、このような意味での文化財的価値なるものは、それ自体経済的評価になじまないものとして、右土地収用法上損失補償の対象とはなり得ないと解するのが相当である」。

 

 5.補償の内容

 〔1〕「正当な補償」とは?

 憲法第29条第3項によれば、損失補償の中身は「正当な補償」でなければならないのであるが、その意味については大きく分けると二つの見解が存在する。

 第一は、相当補償説である。この考え方によると、補償は、当時の経済状態において、社会国家の理念に基づき、客観的かつ合理的に算出された相当な額であることが必要であり、かつ、それで足りるということになる。

 第二は、完全補償説である。この考え方によると、私的財産の収用(など)の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくするような補償が必要とされることになる。

 かねてから、判例および憲法学の通説は相当補償説を採ると言われてきた。その代表とされてきたのが最大判昭和28年12月23日民集7巻13号1523頁(U―248)である。農地改革(自作農創設特別措置法)に関する判決であり、自作農創設特別措置法による田の買収価格(公定)が問題となったものであるが、判決は「憲法二九条三項にいうところの財産権を公共の用に供する場合の正当な補償とは、その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基き、合理的に算出された相当な額をいうのであつて、必しも常にかかる価格と完全に一致することを要するものではないと解するを相当とする」と述べている。

 この判決の後、相当補償説を採ることを明示する判決の例として、次のものがある。

 ●最三小判平成14年6月11日民集56巻5号958頁

 事案:関西電力(被告、被控訴人、被上告人)は、和歌山県田辺市に変電所を新設する計画を立て、昭和43年に事業計画の認定を受け、同市内の土地を収用する旨の細目を公告した。しかし、この土地を所有する原告(控訴人、上告人)らと被告との間で行われた協議が不調に終わったため、和歌山県収用委員会は関西電力の申請を受け、昭和44年3月31日に、損失補償金の金額を決定するとともに権利取得の時期および明渡の期限を同年4月11日とする土地収用裁決を行った。これに対し、原告らは、この土地収用裁決が誤った土地調書に基づいて行われており、「適正な損失補償金額」に比して低廉に過ぎるとして、土地収用裁決の変更などを請求する訴訟を提起した。大阪地判昭和62年4月30日民集56巻5号970頁は原告らの請求を一部却下、一部棄却し、大阪高判平成10年2月20日民集56巻5号1000頁も控訴を棄却した。最高裁判所第三小法廷は、前述のように前掲最大判昭和28年12月23日を参照した上で、次のように述べ、上告を棄却した。

 判旨:(1)「憲法29条3項にいう『正当な補償』とは、その当時の経済状態において成立すると考えられる価格に基づき合理的に算出された相当な額をいうのであって、必ずしも常に上記の価格と完全に一致することを要するものではない」(前掲最大判昭和28年12月23日を参照)。

 (2)土地の収用は、最終的に権利取得裁決により決定されるから、「補償金の額は、同裁決の時を基準にして算定されるべきである」。「事業により近傍類地に付加されることとなった価値と同等の価値を収用地の所有者等が当然に享受し得る理由はな」く、「事業の影響により生ずる収用地そのものの価値の変動は、起業者に帰属し、又は起業者が負担すべきものである。また、土地が収用されることが最終的に決定されるのは権利取得裁決によるのであるが、事業認定が告示されることにより、当該土地については、任意買収に応じない限り、起業者の申立てにより権利取得裁決がされて収用されることが確定するのであり、その後は、これが一般の取引の対象となることはない」。「そして、任意買収においては、近傍類地の取引価格等を考慮して算定した事業認定の告示の時における相当な価格を基準として契約が締結されることが予定されているということができる」。

 (3)以上の点などからすれば、土地収用法第71条の補償金額の規定には「十分な合理性があり、これにより、被収用者は、収用の前後を通じて被収用者の有する財産価値を等しくさせるような補償を受けられるものというべきである」。

 ▲しかし、土地収用に関する後掲最一小判昭和48年10月18日は完全補償説を採用しており、相当補償説が判例であるとは断言できない。

 そもそも、両説は完全に対立する関係にない。端的に言うならば、相当補償説は農地改革という特殊な事例について合憲性を理由づけるためのものである、と考えられる。そのため、財産権の侵害による損害への補償という点からすれば、相当補償説であっても完全補償を原則とすることになる。その点からすれば、実質的には完全補償説が妥当であるということになるであろう。 なお、完全補償説であっても、全く例外がないという訳ではないことには、注意が必要である。

 〔2〕完全な補償が必要とされる場合

 上述のように、仮に相当補償説を採ったとしても、原則としては完全補償が求められるのであり、公用収用の場合は、財産権の価値に見合った金額の保障がなされなければならないことになる。むしろ、問題となるのは、完全な補償とはいかなるものであるのかということである。

 最一小判昭和48年10月18日民集27巻9号1210頁(U―250)

 事案:原告2名(被控訴人・上告人)が所有する土地は、昭和23年5月20日建設院告示第215号に基づき、倉吉都市計画の街路用地とされた。昭和39年、鳥取県知事(被告・控訴人・被控訴人)は、土地収用法第33条に基づき、土地細目の公告を行った。倉吉都市計画の施行者である鳥取県知事は、原告所有の土地を取得するために原告2名と協議を行ったが不調に終わったので、当時の都市計画法第20条に基づき、建設大臣の裁定を求めた。同年、建設大臣は、原告2名の土地を収用する時期を損失補償に関する鳥取県収用委員会の裁決があった日から起算して15日後とする裁定を行った。同知事が同収用委員会の裁決を申請し、同委員会は損失補償額の裁決を行ったが、原告は、その裁決額が近隣における同類土地の売買価格よりも低廉であるとして訴訟を提起した。鳥取地倉吉支判昭和42年11月20日民集27巻9号1219頁は原告の請求の一部を認容したが、広島高松江支判昭和45年11月27日民集27巻9号1231頁は相当補償説を採用して原告の請求を棄却した。最高裁判所第一小法廷は、次のように述べて控訴審判決を破棄し、広島高等裁判所に差し戻した。

 判旨:「土地収用法における損失の補償は、特定の公益上必要な事業のために土地が収用される場合、その収用によって当該土地の所有者等の被る特別な犠牲の回復をはかることを目的とするものである」。従って、「完全な補償、すなわち、収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償をなすべきであり、金銭をもって補償するような場合には、被収用者が近傍において被収用地と同等の代替地等を取得することをうるに足りる金額の補償を要するという」べきである。

 〔3〕完全な補償の中身

 ここでは、まず、公用収用について、土地収用法を例として取り上げ、解説などを試みる。

 同第69条は個別払いの原則を明示する。その上で、第70条は金銭補償を原則とする。但し、同第82条ないし第86条の規定による収用委員会の裁決があった場合には、現物補償も認められる。

 補償の対象となる権利は、同第71条により、収用の対象となる土地の所有権、またはその土地に関する所有権以外の権利(地上権など)とされる。こうした権利の価格に見合うだけの(つまり、過不足のない)補償が支払われなければならないのである。同第1項は「近傍類地の取引価格等を考慮して算定した事業の認定の告示の時における相当な価格に、権利取得裁決の時までの物価の変動に応ずる修正率を乗じて得た額」を補償額とする。

 この規定から、基準時が事業認定の告示時であることは明らかであるが、問題は「相当な価格」である。土地の価格には時価、公示価格、路線価、固定資産税評価額がある。このいずれによることも可能であると思われるが、同項に「近傍類地の取引価格等を考慮して算定した」とあるので、時価によって行うのが妥当であろう。もっとも、時価の評価にも複数の方法があるが、取引事例比較法が妥当であろう。

 なお、農地法第12条第1項は、同第11条第1項第3号にいう「対価は、政令で定めるところにより算出した額とする」と規定する。

 もう一つの問題は、実測の土地面積と公簿の土地面積との差である。土地区画整理事業における換地予定地指定処分や換地処分において問題となる。最大判昭和32年12月25日民集11巻14号2423頁は、 土地区画整理事業における換地予定地指定処分や換地処分において、実測の土地面積と公簿の土地面積とに差がある場合であっても、その換地処分において実際の土地の価額に相当する換地、清算金が交付されることから、両者の面積の差を無償で収用することにはならず、憲法第29条第3項に違反しないとする。また、換地処分について、最判昭和62年2月26日判時1242号41頁が合憲判決を下している。

 収用される権利の対価としての補償には、残地補償(土地収用法第74条)も含まれる。残地補償に収用損失が含まれることは当然であろう。問題は事業損失が含まれるか否かである。公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱(昭和37年6月閣議決定)第41条但し書きは、事業損失について補償しないとするが、判例の多くは事業損失を残地損失に含めている(最二小判昭和55年4月18日判時1012号60頁などを参照)。

 土地収用法は、収用される権利の対価としての補償のみならず、通損補償を規定している。通損補償は、移転料、調査費、営業上の損失など、収用によって通常受けると考えられる付随的な損失に対する補償である。土地収用法は、同第77条において移転料の補償を(同第78条ないし同第80条も参照)、同第88条において「離作料、営業上の損失、建物の移転による賃貸料の損失その他土地を収用し、又は使用することに因つて土地所有者又は関係人が通常受ける損失」の補償を定める。これらについては、土地収用法に算定基準が示されておらず(同第88条の2を参照)、公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱により定められている。ちなみに、同第88条による補償は、財産権に対する補償というのみならず、生活(権)に対する補償の一端とも捉えられうる。

 同第75条による工事費用の補償(条文に列挙されている事項から「みぞかき」補償ともいう)は、論者によって見解が分かれるが、残地に関するものであるため、ここでは通損補償に含めない。同第76条による残地収用請求権についても同様である。

 なお、公共用地の取得に伴う損失補償基準(昭和37年10月12日中央用地対策連絡協議会理事会決定)第28条第2項は、建物の移転などに伴って木造の建築物に代わり耐火建築物を建築する場合など、建築基準法などの法令によって必要とされる施設の改善に関する費用を補償しない旨を定める。

 宇賀・前掲書439頁は、「少なくとも、当該費用の支出が早まったことに対する利子相当分は、『通常受ける損失』(収用88条)ないし『通常生ずる損失』(一般補償基準43条)として補償されるべきであろう」と述べている。

 @金銭補償とその限界

 損失補償は、金銭によってなされることを原則とする。しかし、前掲最一小判昭和48年10月18日において示唆されているように、必ずしも金銭補償によらなければならない訳ではない。土地収用法第70条も、金銭補償の原則を採りながら、一部について現物補償を認める。

 そればかりか、「被収用者が近傍において被収用地と同等の代替地等を取得することを」えない場合が多い。近隣に同等の代替地が存在しない場合、または、存在するが補償金によっては取得できない場合がある。また、営業の廃止に対する補償〔公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱第31条第1項第4号、公共用地の取得に伴う損失補償基準第43条第1項第4号〕や離職者に対する補償〔公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱第46条、公共用地の取得に伴う損失補償基準第62条〕については、前者が2年間の収益(所得)相当額、後者が1年間の賃金相当額とされており、転業や再就職が困難であるような者については問題が生じうる。以上は、財産権に対する補償というより、後に取り上げる生活(権)補償というべきものが多く、離職者に対する補償や少数残存者補償については土地収用法には規定がない。

 代替地の取得については、公有地の拡大の推進に関する法律が存在し、特定公共用地等先行取得資金融資制度が存在する。しかし、これらにも制約がある。また、努力義務規定ではあるが、公共用地の取得に関する特別措置法第46条は、収用の対象者など「特定公共事業の用に必要な土地等を提供する者が現物給付を要求した場合において、その要求が相当であると認められる」場合に、その要求に応ずることを求めている。

 A文化財、史跡、名称の保護、景勝地の保存などを目的とする場合

 公用収用に該当する場合、損失補償に関する規定が存在しても、実際に補償が支払われている例がほとんどない。そのため、対象や算定基準については、後に示すような問題がある。前掲最判昭和63年1月21日は、輪中堤の文化財的価値は市場価格の形成に影響を与えず、経済的・財産的な損失に該当するものではないと判断している。なお、この判決においては、精神的損失も損失補償の対象にならないものと考えられているのであろう。

 B地域・地区を指定し、土地の用途に関して法律上の制限を課す場合

 既に述べたように、このような場合には損失補償が不要とされている。

 ■公用制限の場合は、ほとんど実例がないこともあって、対象や算定基準について定説がない。原田・前掲書276頁は、次の三つの説をあげている。

 第一が、相当因果関係説である。これは、名称の通り、公用制限がなされたことによって生じる損失のうち、相当因果関係内にあるものの全てについて補償をなすべきであるとする考え方である。不法行為に基づく損害賠償請求と同じ考え方である。この説によると、積極的な損害の部分、地価低落分は勿論、逸失利益も補償の対象となりうる。実際のところは、逸失利益のみが対象とされることになる。

 宇賀・前掲書462頁は「逸失利益説と称したほうがよいかもしれない」と述べる。

 しかし、この考え方は実際に採用されていない。相当因果関係の判断などが、結局のところ請求者の主観的な判断に委ねられがちであり、過大な評価となりがちであることが指摘される。そのため、申請権の濫用として請求を認めない判決が多い。

 第二が、財産価値低落説である。これは、公用制限がなされたことによって生じた財産の価値の下落分を中心として、それに通常生じる損失の補償を加えた分を補償すべきであるとする考え方である。東京地判昭和57年5月31日行裁例集33巻5号1138頁がこの説を採用しており、前掲最一小判昭和48年10月18日も同様の考え方を採る。しかし、これについては、価値の下落分を算定することが困難であること、さらには、公用制限がなされたことによる不利益が地価の下落として現れない場合もあることが指摘される。

 第三が、実損補填説である。これは、損失補償の請求者が実際に支出した金額のうち、公用制限が具体化されたことによって無駄となる調査費や準備日などの積極的損失を補償すればよいとする考え方である。東京地判昭和61年3月17日行裁例集37巻3号294頁がこの考え方を採ると言われる。

 ※宇賀・前掲書465頁も参照。

 なお、占用許可の撤回に際して、前掲最三小判昭和49年2月5日は、既に述べたように、財産権の対価としての補償を不要とする考え方を採った。しかし、工作物の収去費、代替地購入の調査費、整地費、営業上の損失などは、財産権の対価と言えないものであるため、それらについての損失補償は認められると解される余地がある(東京高判昭和50年7月14日判時791号81頁を参照)。

 (4)生活補償について

 憲法第29条第3項は、基本的に財産権に対する補償を定めている。しかし、問題は、財産権の補償のみでは従前と同程度の生活を維持しえない者が生じることである。例えば、都市において土地を収用された場合、補償金を得ても近隣に類似の土地を求めること自体が難しいし、収用前と同一の事業を行うことが困難な場合も多い。また、ダム建設により、村落が収用されて水没する場合など、仮に土地や建物に関する補償がなされたとしても、生活の再建が困難であることも多い。このような場合に補償を与える場合を生活(権)補償という。これに関する規定の例として、都市計画法第74条が存在する(同条は、生活再建のための補償というより、斡旋に関する規定であるが)。また、既に述べたように、土地収用法第88条も、生活(権)補償の色彩を帯びた規定である。

 この他、水源地域対策特別措置法が、土地の権利者以外に事実上の影響を受ける者をも対象とした上で、生活補償の範囲を広げている。また、大都市地域における住宅及び住宅の供給の促進に関する特別措置法、国土開発幹線自動車道建設法第9条、琵琶湖総合開発特別措置法第7条がある。しかし、いずれも努力義務規定であり、権利性が否定されている。

 生活(権)補償は、これまで、憲法上の根拠に基づくものではないとされていた。これに対し、最近、学説においては生活(権)補償を憲法に根拠づけられた補償として理解しようとする動きが見られる。その内容はまだ熟していないと思われるが、根拠としては、憲法第29条第3項に求める説、第25条(および第14条)に求める説、第29条と第25条の双方(および第14条)に求める説が考えられる。いずれの説が妥当であるかを判断することは容易でないが、同条の補償が財産権に対する補償であると理解されていることからすると、第29条第3項説は不十分であろう。また、第25条についてプログラム規定説または抽象的権利説が主流であることからすると、第25条説では生活(権)補償の権利性を主張することが難しくなる。結局、第29条・第25条併用説が妥当であろう。

 ※芝池・前掲書217頁など。

 この点についての唯一の判例である徳山ダム訴訟(岐阜地判昭和55年2月25日行裁例集31巻2号184頁)は、憲法第29条第3項の「正当な補償とは、公共のために特定の私有財産を収用または使用されることによる損失補償であり、それはあらゆる意味で完全な補償を意味するものではなく、当該収用または使用を必要とする目的に照らし、社会的経済的見地から合理的と判断される程度の補償をいう」とした上で、「ダム建設に伴い生活の基礎を失うことになる者についての補償も公共用地の取得に伴う一般の損失補償の場合と異ならず、あくまでも財産権の補償に由来する財産的損失に対する補償」のことをいうとした。そして、水源地域対策特別措置法第8条に定められる生活再建措置規定は、憲法上の要請ではなく、補償とは別個の行政措置であると述べている。この判決によれば、生活再建措置は憲法第29条第3項にいう「正当な補償」には含まれないこととなる。

 

(2017年10月25日、第28回として掲載)

(2017年11月1日、第29回に繰り下げ)

(2017年12月20日修正)

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