財政調整法理論の成立と発展(1)
――アルベルト・ヘンゼルの財政調整法理論を中心に――
(
はじめに) これは、「アルベルト・ヘンゼルの財政調整法理論―ドイツ財政法理論史研究序説―(一)」(早稲田大学大学院法研論集第81号に収録)の続編というべきもので、大分大学教育福祉科学部研究紀要第23巻第1号に掲載されたものです。
【要旨】 財政調整を初めて法律学上の概念として取り上げたアルベルト・ヘンゼル(Albert Hensel)は,財政調整をいかなるものとして捉えたのか。本稿は,彼によって始められた財政調整法理論を分析し,その成立と発展を追うことにより,財政調整に対する法律学的な,かつ根本的な再検討を試みるものである。今回は,ヘンゼルが提示した財政調整法の理念形を中心に検討する。
【キーワード】 財政調整,対象高権,収入高権
T 財政調整法理論の出発点
連邦国家において,連邦の国家高権・財政高権と州の国家高権・財政高権との関係1)は,国家構造の基本的な問題であるとともに,時として先鋭的な(とりわけ政治的な)現実問題ともなる。財政調整法理論は,まさに,かような問題を正面から扱うものであり,本来的に,憲法学(国法学)によっても重点的に扱われるべきものである2)。
日本のような単一国家においても,基本的な事情は連邦国家における場合と変わらない。単一国家においても,地方公共団体が有する財政権(これを財政高権と呼ぶことはできないが)と国家の財政高権との調整は,常に念頭に置かれなければならない。また,地方分権が叫ばれ,その推進が曲がりなりにも進められようとしている現在において,地方と中央との間において見直されるべき事柄は,単に任務の配分のみならず,財政権限の配分でもあるはずである。財政面における地方分権が進まない限り,地方分権は画餅に帰することになる3)。
このように,財政調整は,連邦国家であると単一国家であるとを問わず,国家構造の根幹にも関わる重要な問題である。
しかし,財政調整が本格的に法律学および財政学の研究対象となったのは,第一次世界大戦終了後,成立まもないヴァイマール共和国の混乱の中で断行されたエルツベルガー財政改革以後である。この改革こそ,連邦国家における連邦の財政高権と州の財政高権との関係を,ドイツにおいて初めて本格的に,しかも根本的に扱ったものであった。改革により,ドイツ帝国時代において邦(ヴァイマール共和国期以降の州)に留保されていた財政高権は,連邦に大幅に奪われた。レンチュ(Wolfgang Renzsch)が述べるように,改革により「ドイツの連邦国家的な財政基本規範の一つの特徴は,ワイマール憲法以後のドイツ憲法においては,連邦を構成する州に対して事実上,独自課税権(Steuerfindungsrecht)と租税立法権が認められていないという事情の中に現われている。この点が,他の連邦国家と異なるところである」4)という状態が生み出されたのである。
既に別稿において述べた通り,エルツベルガー改革は,ライヒへの租税収入の集中化という観点から見れば成功した5)。しかし,改革の所産である「州租税法」(Landessteuergesetz)6)が1923年に改正されて「ライヒ,州およびゲマインデ間の財政調整に関する法律」(Gesetz uber den Finanzausgleich zwischen Reich, Landern und Gemeinden; Finanzausgleichs- gesetz. 以下,「財政調整法」)に改称され,その後も何回かの改正を受けていることからすれば,エルツベルガー財政改革は,財政面における連邦と州との関係に決定的かつ最終的な解答を提示したというよりも,むしろ,ライヒの財政高権を拡大することにより,問題提起をなしたと考えたほうが良いであろう。
一般的に,財政高権は国家高権の一部であるとされる。そのため,エルツベルガー財政改革以降,ヴァイマール共和国期における州は,ドイツ帝国期の邦と同様に国家としての性質を有し続けているのかという問題を惹起することになる。これに対しては「財政高権を奪われて財政上の独立性を失った州は,もはや国家としての性質を失っている」という答が返って来ることになろう。そればかりでなく,ヴァイマール憲法自体,連邦憲法であるとはいえ,ドイツ帝国憲法と比べても集権主義(Unitarismus)的な傾向を強く帯びているため,財政高権に限らず,一般的に,州は国家としての性質を弱め,少なくとも部分的にはその性質を失ったとも考えられた。カール・シュミット(Carl Schmitt)に至っては「アメリカ合衆国やワイマール憲法下のドイツ国のような政治構成体は,もはや連邦ではない。それにもかかわらず,それらがなお連邦国家と呼ばれるのは,政治的実存の態様についての積極的決断(憲法二条)により,連邦国家的性格を維持しようとする憲法に基づいて」おり,そもそも民主主義的連邦国家が「民主制的同一性」の故に統一国家的状態へ必然的に移行する旨を述べる7)。
しかし,ヘンゼルによれば,右のように,財政高権を奪われ,財政上の独立性を失った州が国家としての性質を失っているという考え方は「国家は,単にその財政上の能力の総体にすぎず,財政高権は国家高権の忠実な鏡像である」という,正当性を検証されたことのない国家経済上の公理(Axiom)の結果にすぎない8)。先の問題を解くにあたって,この公理の正当性を検証する必要がある,というのである。これが,ヘンゼルによる財政調整法理論の,そもそもの出発点なのであった。
このような出発点から,財政調整法理論はいかに形成され,発展したのか。本稿においては,ヘンゼルの財政調整法理論の構造を検証し,発展を追っていく。
U 体系的(または概念的)財政調整法理論の提示
1)対象高権と収入高権
連邦国家においては,連邦自身も連邦構成国もそれぞれ真正な国家高権を備えている。勿論,連邦憲法は,中央権力と連邦構成国権力との間における個々の国家高権の配分を行う。その際,中央権力は権限決定権(Kompetenz-Kompetenz)を「概念上は必然的に」備えており,連邦国家における中央権力の優位は「連邦国家の本質において根拠づけられて」いる(9)(ヴァイマール憲法第13条第1項および現行の基本法第31条は当然のことを規定するにすぎない,ということになる)。そして,連邦国家の概念からは「連邦の権限の制約または剥奪を,連邦の意思に反して連邦構成諸国の利益になるように法的に実現することは不可能である」(圏点は,原文隔字強調箇所。以下,引用文中において同じ)10)。
また,ヘンゼルは,財政高権が必ず連邦または構成諸国に帰属しなければならないというものでないと主張する。「構成諸国の財政システムは専ら連邦国庫(Bundeskasse)からの交付金(Uberweisungen)のみに,連邦の資金調達は構成諸国からの分担金(Beitrage)のみに根拠づけられ」ることもありうる11)。実際には,連邦も構成諸国もともに真正の財政高権を有する。財政高権には「否定的(排他的)な性格」がないからである12)。しかし,「連邦権力が構成諸国権力と同様に一つの,そして同一の租税対象」に対して財政高権を行使することは,稀とは言い難いが例外的であり,「一般的に,連邦憲法における連邦と構成国との間の財政調整は,まさに確定されている」13)。
連邦憲法における最も単純な財政調整の方法は,連邦と構成国のいずれかに収入を得るための特定の対象(財源)が割り当てられ,他方にその他の財源が割り当てられるというものである。対象分離(Objektstrennung)および収入分離(Ertragstrennung)である。しかし,実際には多くの連邦憲法において「連邦財政と構成国財政とは,密接な相互的権限関係を有する単一の,固定的にまとめられたシステムを形成する」14)。 このことから,ヘンゼルは,財政調整法理論における二つの基本概念,すなわち,対象高権(Objektshoheit)および収入高権(Ertragshoheit)を,そして両者の区別を提唱する。対象高権とは,国家権力が租税などの公課により把握しうる対象(所得や飲食物など)または法的事件(物品輸出入など)に対して有する高権のこととされる。
これに対して,収入高権とは,公課が連邦と構成国のいずれにより課されるかに関係なく,公課の収入が一国家財政の利益となる場合に,その「公課対象」(Abgabeobjekt)について国家権力が有する高権のこととされる15)。
両者を区別すべき理由は,第一に,連邦のみが憲法適合的に財政法律の公布を許され,構成国が連邦公課(租税など)の収入より配分を受ける場合が存在しうること(交付金システム。この場合,構成国は対象高権を欠くことになる),第二に,逆に連邦財源の開拓が困難な場合に構成国から分担金を受ける場合が存在しうること(この場合,構成国は対象高権を維持しつつ収入高権において制約を受ける。連邦は対象高権を欠くことになる)にあるとされる16)。
ヘンゼルが提唱してから,両者の概念は,根本的な批判を受けることなく普及していく。このうち,対象高権は,ヘンゼルの説明にも端的に示されているように,公課(とくに租税)に関する立法権限を意味する。実際,対象高権と立法権限とが等号で結ばれるところから,対象高権という抽象的な表現よりも,立法権限という,より具体的な言葉のほうが多用される。そして,対象高権は形成高権(Gestaltungshoheit)としての性質を有することになる17)。
これに対し,収入高権の概念は,現在に至るまで〔収入権限(Ertragskompetenz)などの言葉が用いられる場合もあるが〕多用される。しかし,コリオート(Stefan Korioth)は,収入高権の概念,構造,および他の高権との関係が明確でない旨を述べる18)。彼は,ヘンゼルによる収入高権の概念について,次に示すような問題が存在するとして,批判的に検討を加える。
まず,ヘンゼルの定義に登場する「公課対象」は,個々の公課(租税)自体を指すものであるのか,公課(租税)の対象を指すものであるのか,または税源を指すものであるのか。コリオートは,次のように述べる。まず,税源は「個々の具体的な租税の形成に再び関係する租税対象のための連結点であ」り,公課(租税)の対象は「水源から―あるいは貯水量(Wasser- vorrat)から―分けられる個々の水路で」ある。それは「例えば,商品の輸入であり,商品の消費および売上であり,自然人および法人の所得であ」り,個々の公課(租税)は「当初規律を受けていない租税の対象が受ける規律で」あって,こうした「区別の文脈において,ヘンゼルの言う『公課対象』は,特定の個別的公課,および,とくに租税法において開発された租税を意味する」19)。さらに,コリオートは,収入高権と対象高権との「言語的並行関係」を指摘しつつ,基本法第106条による垂直的な租税収入配分を「個別的租税の収入の分配である」とも述べている20)。
コリオートの説明および理解には,それほど明快なものと思われない部分もあるが,個々の公課(租税)自体,公課(租税)の対象,税源を区別するのであれば,ヘンゼルの言う「公課対象」が,個々の公課(租税)自体を意味することは当然であろう。公課(租税)の対象および税源は,対象高権(立法権限)に関する事柄である。ヘンゼルの説明からも明らかであるが、収入高権は,公課(租税)の対象を分配することに関係しない。税源についても同様である。
しかし,コリオートの理解も妥当でないと思われる。前述のように,収入高権とは,公課が連邦と構成国のいずれにより課されるかとは無関係に,公課の収入が連邦と構成国のいずれかの財政の利益となる場合に,その国家権力が有する高権のこととされる。従って,個々の公課(租税)から得られる収入が問題とされなければならない。個々の公課(租税)自体は,対象高権(立法権限)に関する事柄でもある。収入高権は,個々の公課(租税)自体に関連するものであるが,それに対する規律をなすことではない。
このように考えるならば,ヘンゼルの言う「公課対象」は,一般的に公課(租税)の対象(Abgabe- oder Steuerobjekt)という場合と異なり21),個々の公課(租税)から得られるべき収入,とくにその額を指すと考えるべきである。
次に,先に示した「公課の収入が一国家財政の利益となる場合」の「利益」の意味が問われる。これについて,コリオートは「収入高権という概念のこうした中心的な要素に何ら厳格な性格づけ」がヘンゼルによって与えられていないと批判する22)。
ヘンゼルは,収入高権を対象高権との関係において定義しており(コリオートが,収入高権と対象高権との「言語的並行関係」を指摘した通りである),後にみるように,分担金または交付金のシステムによって収入高権の範囲が異なると考えていた。このことから考えるならば,収入高権の具体的な意味は,連邦国家,とくにその憲法が具体的にいかなる分担金または交付金システムを採用するかに係っているとも考えられる。そして,ヘンゼルの定義をみる限り,「利益」という言葉は,先の「公課対象」と同義である,あるいは,若干狭い意義を有するものと考えられる。この場合,特定の公課(租税)による収入を得ることが権限として位置づけられるか否かは,明確でない。
基本法の下において,収入高権の概念に対する理解は一様でない。最低限度として「収入高権により,連邦と諸州との関係において誰に租税からの収入が与えられるか,ということが規律される」と言いうる23)。しかし,連邦または諸州が,収入高権として(自らの租税による収入はもとより)分担金または交付金による収入に対する権限を有するならば「連邦および諸州には,一定の租税または租税割当分(Steueranteile)への,場合によっては,一定の,または量的に決定されうる財政交付金(Finanzzuweisungen)への,法治国家的に確保された請求権」を有するとも理解しうる24)。尤も,このように捉えるとしても,その請求権の具体的な通用範囲は,憲法などにより,制約を受けることになろう。
いずれにせよ,対象高権と収入高権とが区別され,それぞれについて定義が下されたのであれば,財政調整はいかなるものと考えるべきであろうか。
『国法上の意義における連邦国家内の財政調整』(Der Finanzausgleich im Bundesstaat in seiner staatsrechtlichen Bedeutung)において,ヘンゼルによる財政調整の定義は示されていない。しかし,対象高権と収入高権との区別がなされているところから,ヘンゼルが財政調整をいかなるものとして捉えたかを理解しうる。すなわち,彼は財政調整を,連邦国家における連邦自体と構成国との,対象高権の配分および収入高権の配分との二段階からなるものとして把握したのである25)。事実,ヘンゼルは『租税法』第一版において,財政調整を「連邦国家における中央権力と構成国権力との間の租税対象および租税収入との配分を規律する法規範の総体」と定義する26)。
ドイツ帝国憲法においては,関税や消費税について連邦の排他的立法権限が規定されていた(第35条第1項)。しかし,所得税などの大部分の租税についての立法権限に関する規定は存在しなかった。ヴァイマール憲法においては,第6条が関税に関するライヒの排他的立法権限を定め,第8条が連邦としてのライヒに広範な租税立法権限を与え,第11条がライヒに州の公課の許否および徴収方法に関する原則立法の権限を与えた。これらの条文は,ヘンゼルの言う対象高権に関する規定である。
また,ドイツ帝国憲法第70条は諸邦分担金(Matriklarbeitrage. 憲法の文言には登場しない)を規定していた。これは,ヘンゼルの言う収入高権に関する規定である。
対象高権と収入高権との区別は,ドイツ連邦共和国基本法にも引き継がれ,発展させられている。すなわち,同第105条は,連邦の立法権限という形により,ドイツ帝国憲法の右記条文およびヴァイマール憲法の右記条文に比して詳細に連邦の対象高権を規定しており,第106条以下は,連邦・州・ゲマインデの三者それぞれの収入高権を規定する。
このように対象高権および収入高権が,全てではないとしても連邦憲法において規定されていることは,連邦国家の成立に鑑みるならば,当然のことであるとも言いうる27)。主権を有する複数の国家が連邦国家を構成する以上,連邦とその構成国との権限配分が明確にされる必要があるからである。しかし,ヘンゼルが両者の概念を提唱する前には,両者が意識的に捉えられることがなかった。このために,対象高権および収入高権の概念は,連邦国家における財政関係を理解するためには有用である。
問題は,単一国家たる日本において,対象高権と収入高権との区別をなす必要があるか否かである。地方公共団体に財政(高)権は認められないという立場に固執するならば,そもそも両者の区別は必要ない。しかし,実際に,地方公共団体は,日本国憲法の枠内において財政権を有する(「政府間財政関係」の語が用いられることもある)。そうであれば,財政調整を単なる租税収入の配分として理解する見方は単純に過ぎるであろう。国と地方公共団体との間において租税立法権限の配分が行われることにより,初めて租税収入の配分(地方交付税などの)を論ずる意味が生ずるからである28)。
ヘンゼルは,対象高権と収入高権との区別により,次のように連邦と構成国との財政関係のモデルを示している29)。 A.連邦・構成国のいずれか一方が排他的財政高権を有する。 a.連邦が排他的財政高権を有する場合。連邦は構成国に,任務の履行のために一定の総額を交付する。その総額は連邦により決定される。 b.構成国が排他的財政高権を有する場合。構成国は連邦に,連邦の任務を履行させるために一定の総額を支払う。その総額は連邦により恣意的に決定されない。ヘンゼルは「拘束を受けた分担金システム」と呼称する。このシステムを採用する連邦国家は,構成国が連邦に分担金を支払うことを義務づけられること,および連邦が権限決定権により随時システムを変更しうることにより,国家連合と区別しうる30)。 B.連邦および構成国が相互に競合的な財政高権を有する。 a.連邦の財政高権と構成国の財政高権は同等の関係にある。 α.対象高権における制約としては,個別の対象に特定される場合と「全体的で,明示的にあげられていない対象」に関する場合とがある。 β.収入高権に関しては,対象となる不特定の収入を連邦権力と構成国権力が一定の割合に応じて分配する場合(例として,基本法第106条第3項により所得税および法人税の収入が連邦と諸州とに50%ずつ分配されることをあげうる)と,連邦権力と構成国権力のどちらか一方が収入のうちの確定的な額を得る場合(ヘンゼルは例示していないが,フランケンシュタイン条項として知られる関税税率法第8条が該当する)とがある。 b.構成国の財政高権は,連邦の財政高権に従属する。この場合,連邦は構成国に制約を課されない分担金を課すことになる(拘束を受けない分担金システム)。その際,構成国の分担金は一種の連邦租税となる31)。対象高権は構成国に,収入高権は連邦に分配される。なお,連邦の財政高権は構成国自体にしか及ばず,構成国の国民に対する連邦の強制力は存在しない。そのため,このシステムによる財政調整は「連邦国家的でない」32)。 このようなモデルにおいて,とくに重要なものは分担金システムおよび交付金システムである。分担金システムの場合,それが拘束を受けるものであれ受けないものであれ,構成諸国に広範な対象高権が認められることになる。これとは対照的に,交付金システムの場合,構成諸国には収入高権が認められる一方,連邦には広範な対象高権が認められる。これをさらに推し進めれば,日本における地方交付金制度のようなものが登場することになろう。しかし,ヘンゼルは,こうした単一国家的な財政調整制度が連邦国家において採用され,構成国の財政高権が完全に剥奪されようとも,構成国は真正な国家高権を有しうると述べる(33)。このことは,地方公共団体であれ連邦構成国であれ,それらの存在意義に関わる任務(例えば警察)に携わる必要があるから,当然のことではある。しかし,ヴァイマール憲法下の体制において,構成国が財政高権を欠くとしても真正な国家高権を有しうるとヘンゼルが述べることは,彼がヴァイマール憲法およびエルツベルガー財政改革により確立された集権的連邦国家の構造を(結果としてであれ)支持するということを意味するのではないかという考え方を成立させる。
既に示した通り,対象高権および収入高権の概念は,連邦国家(必ずしもそれに限られないが)における財政関係を理解するためには有用である。しかし,両者の意識的な区別は,それ自体は分権主義と集権主義との双方に対して中立的であるとしても,集権主義への容認あるいは促進に容易につながるのではないかという疑念も生じうる。そうでないとしても,連邦構成国が対象高権を著しく制約される状態においては,当該連邦構成国の存在意義に関わる任務を十全になしうるのであろうか。連邦構成国の収入高権が担保される場合においても,その範囲は連邦により決定される(とくに,ヴァイマール憲法のように,憲法自体が連邦構成国の収入高権を,最低限であれ保障する規定を置かない場合)。そして,いかに連邦構成国が対象高権および収入高権自体を有するとしても,両者の内容を具体的に決定する側に立つのは,連邦構成国ではなく,連邦そのものである。
このように考えるならば,ヘンゼルの主張に対して,連邦国家において集権化が行われた場合に,構成国の国家としての性質は弱められ,ひいては連邦構成国と地方公共団体との差異,さらに連邦国家と単一国家との差異を何処に置くかという疑問が生ずる。少なくとも,例えば財政高権を十分に有しない国家が,その機能なり任務を十分に果たしうるのであろうか。尤も,連邦自体に認められる国家高権の範囲が広ければ,国家高権の一部としての財政高権もそれに対応するとは限らない。連邦構成諸国について,その他の国家高権が著しく制約を受けているとしても,財政高権に関しては幅広く認められるという場合も,現実的であるか否かは別として考えられる。
そして,いかなる財政調整法制度が個々の連邦国家に対応するのかという問題が残る。一般的に,憲法が中央集権的であるという評価を受ける場合,それが対象高権に関するものであるのか,あるいは収入高権に関するものであるのか,必ずしも明確ではない。連邦国家に限らず,財政憲法(Finanzverfassung)における対象高権と収入高権との関連を明確にしなければ,国家構造を正しく理解することはできない。 これらの問題は,ヘンゼルが提示した財政調整法制度のモデルの妥当性に関わる。項を改め,検討を進める。 2)当時の連邦諸国家における財政調整法制度 財政調整制度の歴史的発展を考察する際に,始点をどの時代とするのか,また,どの国家を対象とするのかということは,一つの課題である34)。ヘンゼルは,主要な連邦国家として,アメリカ合衆国,メキシコ,アルゼンチン,ブラジル,カナダ,オーストリラリア,南アフリカ連邦(当時),スイス,ドイツ帝国(ヴァイマール共和国は補足的に取り扱われる)をあげ,それぞれの財政調整法制度を検討する。
一方,オーストリアにおける財政調整法制度について,ヘンゼルは検討を加えていない。第一次世界大戦後より現在に至るまでのオーストリアは連邦国家であるが,第一次世界大戦終結時まではオーストリア・ハンガリー二重帝国であり,連邦国家ではなく国家連合であった。ヘンゼルは,オーストリアの財政調整法制度を検討の対象から除外した理由につき,次のように述べる。「オーストリアおよびハンガリーならびにその他のハプスブルク家支配の諸国との財政調整が,とくにドイツ・ライヒとの興味深い対比を提供することは否めない」。しかし「現在の見解によれば連邦国家とみなされない諸国家の結合(Staatenverbindungen)」において「我々の本来の主題とは弱い関係にしかない多くの国法上の問題を論究しなければならないために,論述の明確性が必然的に損なわれざるをえなくなるであろう」。さらに「個々の国(州)に関係する,上級団体の負担への分担金割合の評価は,この研究のも問題提起にとっては決定的意味をなさない。このことから,かつてのオーストリア・ハンガリー君主制の諸国(州)の下における財政調整の特別な扱いは除かれる。とくに,今日の表現の困難さは,素材の無条件に必要でない拡張を禁じている」35)。
これに対し,ポーピッツ(Johannes Popitz)は,オーストリア・ハンガリー二重帝国時代の財政調整にも,簡単ながら触れている36)。
オーストリアの財政調整法制度の扱い方を巡る両者の相違は,ヘンゼルの財政調整法理論の特徴を理解する上において重要であると思われる。しかし,本稿の目的はヘンゼルの理論構造を追うことにあるので,まず,ヘンゼルが『国法上の意義における連邦国家内の財政調整』において,前記各国の財政調整法制度をいかに分析し,そこに何を見出したかを検討し,ヘンゼルの理論とポーピッツの理論との相違についての検討は別の機会に行う。なお,以下は全て1921年以前の状況により37),ヴァイマール共和国については第3章において検討する。
@最初の検討は,アメリカ合衆国の財政調整法制度である。アメリカ合衆国憲法は世界最初の連邦憲法典であり,他の連邦諸国家の憲法典の模範となっている38)。それでは,アメリカ合衆国における財政調整法制度はいかなるものなのであろうか。
アメリカ合衆国憲法は,権限領域における連邦と州との完全な分離を前提とする(分離主義)。ドイツ帝国(ライヒ)においてもみられる,邦(州)による連邦の法律の執行は,アメリカ合衆国憲法において予定されていない39)。司法権も,連邦最高裁判所を別として連邦と州との間に厳格な分離がなされる40)。立法権も同様である。このことをよく示すのが連邦上院の存在である。連邦上院は各州の代表から成り,各州は平等である。連邦上院は分権主義的な原則を忠実に示し,実行する機関である。しかし,実際には政党政治の発達により,連邦上院においても政党政治的機能のほうが各州の代表という機能より重要になっている41)。
アメリカ合衆国における財政制度の構造も,分離主義という原則の上に成立する42)。憲法典においては,連邦から州への交付金も州から連邦への分担金も予定されていない。憲法第1条第8節および同第10節により,連邦は輸入税および輸出税について排他的な権限を有する。その一方では,連邦と州とは競合的財政権限を有することになる43)。また,憲法第1条第9節第4項により,連邦は「各々の連邦直接税を個々の州に割り当てることを強制」され,「個々の州民に対する連邦権力の直接的な財政高権的作用は放棄され」,アメリカの連邦直接税はこの条項により分担金の性格を得た44)。しかし,1890年代末に連邦の保護関税収入が低下したことにより,1894年に連邦所得税が導入された(連邦最高裁判所は違憲判決を下した)45)。そして,1913年に修正第16条が確定され,連邦は完全に無制約な対象高権を得る。憲法典における分離主義により,連邦の収入高権も無制約なものとなった。アメリカ合衆国憲法は「最も重要な連邦の財政対象,すなわち,関税についてのみ二重課税を排除するにすぎない。そのことにより,連邦の財政高権は,事実上,州の財政権力に対する優越性を与えられる」46)。結局,財政制度における州の意義は連邦の背後に後退した。ヘンゼルは,財政領域における連邦の権限拡大を見逃さなかった。しかも,この権限拡大は分離主義そのものに助けられた格好となった。しかし,連邦の財政高権の拡大が国家高権の拡大に直結する訳ではなかった47)。
ヘンゼルは,アメリカ合衆国の財政調整法制度を検討した結果として「スイス連邦,および,とくにドイツ帝国(ライヒ)の政治生活を時折完全に支配する本質的な連邦国家的財政問題は,アメリカ合衆国においてはそもそも浮かび上がらない」と述べる48)。しかし,アメリカ合衆国に財政調整法制度が存在しないという訳ではなく「アメリカ合衆国の状況の研究は,我々に,最初の近代的連邦憲法の財政調整についての知識を与えてくれる」49)。ヘンゼルは,アメリカ合衆国憲法に,権限領域における連邦と州との分離主義を見出し,この分離主義が財政調整法制度の基調を成すこと,および,この基調が歴史の進行に伴って連邦の財政権限の拡大という方向につながったことを示した50)。
A次に,ヘンゼルはラテン・アメリカの連邦諸国(メキシコ,アルゼンチン,ブラジル)における財政調整法制度の検討に移る。これらの検討は非常に簡単に済ませられている。メキシコ,アルゼンチン,ブラジルのいずれの連邦国家の憲法においても(アメリカ合衆国憲法よりも)中央集権的色彩が強いことが類似点ないし共通点としてあげられる一方,財政調整法制度にはかなりの相違点が存在することが指摘される51)。まず,メキシコにおいては,連邦と州との権限配分が明確でないこと,連邦は輸出入関税および港湾使用料以外に専属的収入源を有せず,その他の財政領域においては州との競合的課税権を有する。そして,連邦は州の全ての租税への付加税(cuota federal)を徴収し,地方公共団体も連邦の租税への付加税を徴収しうる(州については触れられていない)。ヘンゼルは,メキシコにおける財政調整法制度がこの連邦国家の一般的構造に一致するが,他の領域よりも中央集権的傾向が幾分弱められていることを指摘するのみである52)。次に,アルゼンチンについては,連邦憲法第67条により「限定された」連邦の権限領域が他の連邦国家におけるよりも広く認められる(財政調整法制度にも妥当する)こと,アルゼンチンにおける連邦の補助金が収入源や目的などについて連邦の自由裁量により決定されることが述べられる53)。そして,ブラジルについては,アルゼンチン共和国よりも連邦の権限が強く,連邦により州(Provincia)の権限が明確に狭く限定されること,それにもかかわらず,ブラジル連邦憲法においてはアメリカ合衆国憲法の分離システムが模範とされていてブラジルの州はアルゼンチンの州よりも強度の経済的自立性を得ており,連邦の補助金システムが予定する州の連邦への従属性を不可能ならしめることが指摘される54)。 ヘンゼルの,財政調整法制度の比較研究におけるラテン・アメリカ諸国の検討は,決して十分なものと言えない。例えば,アメリカ合衆国,スイスおよびドイツにおける財政調整法制度との関連がほとんど示されていない。ヘンゼルの比較研究の重点がスイスに置かれていることを考えるならば,ラテン・アメリカの連邦諸国における財政調整法制度は,前述の理念的モデルの正当性を示すために検討されたにすぎないと言いうる。尤も,そのモデルの正当性を十分に示すほどの検討がなされたとは言い難い。前述のモデルのいずれに該当するのかを,ヘンゼルは全く示していない55)。 むしろ,ヘンゼルがラテン・アメリカ諸国の財政調整法制度を検討した結果として強調される結論は,これらの諸国の憲法が全体的に中央集権的傾向という大きな類似点を有するにもかかわらず,財政調整法に関してはそれぞれの国に独自の性格が見られること,すなわち,国家高権の他の分野が中央集権的に編成されているから財政高権も同様であると,直ちに言うことはできない,ということである56)。 B後のコモンウェルス(Commonwealth)に加盟する連邦諸国 コモンウェルスは,1931年ウェストストミンスター法(Statute of Westminster, 1931)により,成立したものである。ヘンゼルは,後にコモンウェルスに加盟する連邦国家として,カナダ,オーストラリア,当時の南アフリカ連邦(1961年にコモンウェルスを脱退し,南アフリカ共和国となる)を取り上げ,検討する。尤も,南アフリカ連邦については,詳細な検討がほとんどなされていない。南アフリカ連邦の制度は,ヘンゼルに限らず,財政調整法理論の成立および発展にほとんど影響を与えておらず,重要ではない。まず,カナダについては,同連邦憲法がアメリカ合衆国憲法に比較して極度の中央集権的傾向を有することが示される57)。すなわち,連邦と州との権限配分は,例えば立法権について圧倒的に連邦優位である。財政高権についても同様である。当時のカナダ憲法58)第92条は連邦に広範な立法権限を与え(とくに第29号),第92条は州の立法権限を列挙する。財政高権について憲法の規定を見ると,まず,州には直接税に関する立法権限が与えられる(第92条第2号)。一方,連邦には,あらゆる租税に関する立法権限が与えられる(第91条第3号)。この点において,連邦の財政高権の幅は広範である。しかも,カナダの場合,とくに憲法制定以降に加入した州(マニトバ州など)において,州自身の直接税のみでは財政需要を充たすことが不可能であるため,交付金の制度に依存せざるをえない。この交付金は,人口に応じて確定される基本補助金,および,人口に応じて査定される連邦助成金などからなり,州によっては特別に債務調整をも受けていた。しかし,1907年,交付金制度は大幅に整理され,一般交付金(Dotationen)の制度が採用された。これは,アルゼンチンにおける連邦の補助金制度と異なり,利用の目的設定が連邦にではなく,州に委ねられている。分配額は各州の人口に応じ,人口一人あたりの額も確定されている。しかし,州の財政力が強化されることにより,とくに州独自の公課(租税)収入が増加することにより,一般交付金制度に依存しなくなるという可能性も存在する。ともあれ,この一般交付金制度には「個々の州への一般交付金の額を,全ての関与者が満足するように決定することの困難さ」が存在するのであるが,「中央権力が構成国を超える影響力によって,この重大な問題における好意的な和解(amicabilis composio)に,場合に応じて導く情勢にあるような連邦国家においてのみ,受け入れられた」59)。
オーストラリアは,憲法の文言において「カナダの極端な中央集権主義とアメリカの硬直的な分権主義との中間を保持している」として,また,財政史においてドイツと同様の問題が存在するとして,ヘンゼルの注意を引いている60)。オーストラリア連邦憲法は,第51条において,連邦議会に広範な権限を与えているかに見える。しかし,民事実体法(婚姻法などを除く)や刑事実体法など,重要な権限が州に与えられており,また,連邦の権限に属する事項であっても,州の同意を要するものが存在する61)。この点において,オーストラリア連邦憲法は分権主義的な色彩を帯びる。しかし,財政については事情が異なる。
連邦は,第90条により,関税および消費税に関する立法権限を有するのであるが,関税および消費税は,連邦憲法制定に至るまで州の立法権限に属する事項であり,州の予算の重要部分をなしていた。州の収入源が連邦に奪われることとなった訳である。しかも,関税および消費税による連邦の収入は,当時,連邦の任務を考慮に入れると過剰なほどであった。このことが,連邦による州への交付金制度が形成される原因になるのであるが,問題はその内容である。当初,関税収入のうち,連邦が一定の総額を受け取り,残余を州に配分するという提案がなされたようである。ヘンゼルは,こうした提案に,ドイツ帝国におけるフランケンシュタイン条項の成立過程との類似点を見出す62)。この他にも様々な提案がなされたが,結局,連邦憲法第87条〔提案者の名からブラッドン(Bladdon)条項とも呼ばれる〕により「連邦成立から10年間,およびその後議会が別に定めるまでの間,関税および消費税(excise)より連邦が取得する純収入のうち,4分の1を超えない額が,毎年,連邦の歳出に充てられるものと」され(第1項),残余が州の予算に,または債務の利息支払に充てられることとなった(第2項)。また,第96条は「連邦成立から10年間,およびその後議会が別に定めるまでの間,連邦議会は,適当と認める条件に基づき,いかなる州に対しても財政上の援助を与えることを得る」と定める。この第96条は「連邦議会の立法権の範囲の外にある諸目的を満たすために連邦が州に支出をなし得る自由を認められ,州の財政問題を扱う権限を連邦議会に委ねる事態をもたらした」と評される63)。これらの規定は,憲法上,効力に期限を付したものであり,1910年には,州が,人口に応じて確定された額の一般交付金を受け取ることとした剰余歳入法(Surplus Revenue Act)が制定され,関税および消費税の収入のうち,州に配分した後の残余が連邦の収入とされることになった(但し,連邦憲法第87条および第96条は削除されていない)。ヘンゼルは,オーストラリア連邦憲法第87条とドイツ帝国のフランケンシュタイン条項とを対比した上で,次のように述べる。
「確かに,両条項は,一定の外的類似性を有しており,構成諸国への連邦関税収入による交付金の配分を規律する。しかし,より重要なのは,むしろ根本的な相違である。オーストラリアにおいて,交付金は,経済政策的な理由により,いわば当然に成立した。それに対し,ドイツおいて,交付金により,帝国議会に推定的な憲法上の保障を与えるために,帝国予算における将来的な欠損が作られた。さらに,オーストラリアにおいて,不時の過剰収入は部分的に連邦の役にも立つのであるが,ドイツ帝国において,フランケンシュタイン条項の支配の下,交付金収入の上昇により,最初に構成諸国の国庫のために作用し,帝国の需要過剰を分担金もしくは借款によってカヴァーすることを余儀なくされた。このことから,ドイツ帝国は,一度として固有の収入で足りたことはなかった。一方,オーストラリア連邦は,憲法が規定した以上の総額を交付することすらできた。結局,ブラッドン条項は,比較的短期間の後に改正された(中略)一時的な規律であったのに対し,フランケンシュタイン条項は,永続的に帝国財政システムに根付いたのである。尤も,いずれも構成諸国にほとんど喜びをもたらさなかったことは,両条項に共通している」64)。 さらに,ドイツ帝国との対比において,連邦直接税の問題がある。ヘンゼルの関心は交付金制度に比べると低いが65),ここで簡単に述べておく必要がある。オーストラリア連邦憲法第51条も,1904年の改正以前のドイツ帝国憲法第70条も,連邦直接税,とりわけ連邦所得税の導入を否定していない。オーストラリアにおいては,連邦憲法制定以前から,一部の州を除いて州所得税が存在しており,第一次世界大戦勃発を契機に,連邦所得税が導入される。これに対し,ドイツ帝国においては,連邦直接税を導入する可能性が与えられ,実際に連邦の財産税などが導入されたのであるが,連邦の,所得税など多くの直接税は,結局導入されなかった。これが,帝国財政を公債への依存に走らせ,第一次世界大戦におけるドイツ帝国の戦況に大きな打撃を与えることへの,一つの原因となったのである。
註
1)ヘンゼルは,1920年,Staatshoheit und Finanzhoheit im Bundesstaatと題された博士論文により,法学博士の学位を得た〔主査はトリーペル(Heinrich Triepel)〕。この論文は,財政高権という語の概念などについて検討を加えるものであると思われるが,残念ながら参照することをえなかった。なお,彼の博士論文について,Paul Kirchhof, Albert Hensel, Forscher eines rechtsstaatlich gebundenen, systematischen Steuerrechts, ― Zum 18. Oktober 1983 ―, StW 1983, S. 357〔三木義一訳『アルベルト・ヘンゼル―法治国家的に拘束され,体系化された租税法の研究者―』静岡大学法経研究32巻1号(1983年)111頁〕; derselbe, Albert Hensel, Ein Kampfer fur ein rechts- staatlich geordnetes Steuerrecht, in: Helmut Heinrichs / Harald Franzki / Klaus Schmalz / Michael Stolleis (Hg.), Deutsche Juristen judischer Herkunft, 1993, S. 783が言及するが,内容に関する記述はなされていない。また,ヘンゼル自身も,その後の論文において彼自身の博士論文を引用・参照する旨を指示していない。
2)Wolfgang Renzsch, Finanzverfassung und Finanzausgleich, Die Auseinandersetzungen um ihre politische Gestaltung in der Bundesrepublik Deutschland zwischen Wahrungsreform und deutscher Vereinigung (1948〜1990), S. 5〔伊東弘文訳『ドイツ財政調整発展史―戦後から統一まで―』(1999年,九州大学出版会)H頁〕においては「財政調整という主題について研究してきたのは,これまで主として,法学者と財政学者であった」と述べられている。ドイツにおいては政治学からの分析が十分になされていなかった,という訳である。
3)森稔樹「アルベルト・ヘンゼルの財政調整法理論―ドイツ財政法理論史研究序説―(一)」早稲田大学大学院法研論集81号(1997年)245頁は,このような問題意識を根底に据えたものである。なお,本稿は,上記拙稿の続編である。本稿に至るまで約4年の月日が経過した。これは,ひとえに私の能力に由来するところである。
4)Renzsch (Anm. 2), S. 12〔伊東訳・註(2)3頁〕。原文(および訳文)の注は省略した。
5)森・註3)254頁において,ドイツ帝国時代からエルツベルガー財政改革に至る過程を略述している。また,財政調整の定義についても検討を加えている。
6)なお,州租税法制定へつながる動きについては,K.‐H.ハンスマイヤー編(廣田司朗=池上惇監訳)『自治体財政政策の理論と歴史―ヴァイマール期を中心として―』(1990年,同文館)17頁以下(とくに41頁以下)も参照。
7)Carl Schmitt, Verfassungslehre, 1. Auflage, 1928, 8. Auflage, 1993, S. 388f.〔阿部照哉・村上義弘訳『憲法論』(1974年,みすず書房)441頁〕。ヴァイマール憲法が単一国家制度を採用しなかった経緯については,森・註3)257頁において簡単に述べた。また,ヴァイマール共和国期においては,分権主義的国家ではなく,集権主義的国家こそ善であるという思想が多く見られたようである(国民感情あるいは国民意識の形成ないし高揚と無関係ではなかろう)。ヴァイマール憲法起草者のプロイス,およびシュミットにもその傾向が見られる。こうした傾向について,例えば,小野清美『テクノクラートの世界とナチズム―「近代超克」のユートピア―』(ミネルヴァ書房,1996年)を参照。
8)Albert Hensel, Der Finanzausgleich im Bundesstaat in seiner staatsrechtlichen Bedeutung, 1922, S. 12.
9)Hensel (Anm. 8), S. 17f. 原文には隔字強調箇所があるが,引用に際して省略した。
10)Hensel (Anm. 8), S. 19.
11)Hensel (Anm. 8), S. 19.
12)Hensel (Anm. 8), S. 19.
13)Hensel (Anm. 8), S. 19.
14)Hensel (Anm. 8), S. 20.
15)Hensel (Anm. 8), S. 20.
16)Hensel (Anm. 8), S. 20.
17)Stefan Korioth, Der Finanzausgleich zwischen Bund und Landern, 1997, S. 272は,対象高権が「権限の担い手に,租税を導入し,または廃止することを,査定の根拠および税率を確定することを,租税主体(Steuersubjekte)を記述し例外的規律を予定することを授権する」と述べる。
18)Korioth (Anm. 17), S. 272.
19)Korioth (Anm. 17), S. 272f.
20)Korioth (Anm. 17), S. 273.
21)Vgl. etwa Klaus Tipke / Joachim Lang, Steuerrecht, 15. Auflage, 1996, §7 Rn. 23; Klaus Staender, Lexikon der offentlichen Finanzwirtschaft, Wirtschafts-, Haus- halts- und Kassenrecht, 4. Auflage, 1997, S. 362; Dieter Birk, Steuerrecht, 1998, Rn. 97, und dazu Albert Hensel, Steuerrecht, 3. Auflage, 1933 (Neudruck 1986), S. 25, 59.
22)Korioth (Anm. 17), S. 273.
23)Franz Klein, Grundlagen des staatlichen Finanzrechts, in: Franz Klein (Hg.), Offentliches Finanzrecht, 2. Auflage, 1993,T Rn. 84. 同書において,収入高権は,立法権限および行政権限と並ぶ,財政高権における第三の領域と位置づけられている。Siehe Franz Klein / Hans Bernhard Brockmeyer, in: Bruno Schmidt-Bleibtreu / Franz Klein, Kommentar zum Grundgesetz, 9. Auflage, 1999, Art. 107 Rn. 5, aber Korioth (Anm. 17), S. 273, Fn. 28.
24)Herbert Fischer-Menshausen, in: Ingo von Munch / Philip Kunig (Hg.), Grundgesetz- Kommentar, Band 3, 3. Auflage, 1996, Art. 106 Rn. 5. 原文には太字強調箇所があるが,引用に際して省略した。なお,Karl M. Hettlage, Die Finanzverfassung im Rahmen der Staatsverfassung, VVDStRL 14 (1956), S. 25は,収入高権を「法的に」納税義務者に対する租税請求権であるとして,交付金(または分担金)に対する収入高権を認めない。これに対しては,コリオートの批判がある(Korioth (Anm. 17), S. 274ff.)。
25)Jurgen W. Hidien, Der bundesstaatliche Finanzausgleich in Deutschland, Geschichtliche und staatsrechtliche Grundlagen, 1999, S. 53f.は,ヘンゼルが財政調整を「暗黙のうちに,連邦と構成諸国との両面的財政関係の秩序,財政権限の配分,および財政の領域における連邦国家の問題」と定義したと述べる(原文には斜体文字による強調箇所があるが,引用に際して省略した)。
26)Albert Hensel, Steuerrecht, 1. Auflage, 1924, S. 32. ヘンゼルによる財政調整の定義には変化が見られる。同書の第二版においては「多項的な(mehrgliedrig)国家における全体的な財政システムの構築および確保を目的とする,様々な課税権の国内法的な制約」と定義され(Albert Hensel, Steuerrecht, 2. Auflage, 1927, S. 14),第三版においては「全ての公的団体相互の財政関係の秩序」と定義される(Hensel (Anm. 21), S. 20)。なお,「財政調整とは単一国家もしくは国家結合の内部に存在する地域団体間の財政上の関係を内容とする事実および規律の総体である」というポーピッツの定義(Johannes Popitz, Der Finanzausgleich, in: Wilhelm Gerloff / Franz Meisel (Hg.), Handbuch der Finanzwissenschaft, 2. Band, 1. Auflage, 1927, S. 343)は,本文に掲げたヘンゼルの定義に影響を受けたものとも考えられる。しかし,ここでは即断を避けておく。このポーピッツの定義については,伊東弘文「ヴァイマル期ドイツの財政調整制度とJ.ポーピッツの財政調整論」(下)北九州大学商経論集17巻2・3号(1982年)72頁も参照。
27)Vgl. Schmitt (Anm. 7), S. 363ff.〔阿部・村上訳・註7)415頁〕; Georg Jellinek, Allgemeine Staatslehre, 3. Auflage, 1914, S. 769ff.〔芦部信喜=小林孝輔=和田英夫他訳『一般国家学』〔第二版〕(1976年,学陽書房)620頁〕
28)ヘンゼルは,単一国家であってかつ「単細胞の」国家でない限り,財政調整は存在しうると述べている(Hensel (Anm. 21), S. 20)。尤も,『国法上の意義における連邦国家内の財政調整』において,単一国家における財政調整については述べられておらず,ドイツにおけるゲマインデも扱われていない。Vgl. Korioth (Anm. 17), S. 35, Fn. 54; Joseph A. Schumpeter, Finanzausgleich (T), in: ders. (herausgegeben von Wolfgang F. Stolper und Christian Seidl), Aufsatze zur Wirtschaftspolitik, 1985, S. 86.
29)Hensel (Anm. 8), S. 22f. ヘンゼルは「中央権力」(「中央国家」)という表現を,明らかに連邦権力(連邦自身)の意味において用いる。
30)Hensel (Anm. 8), S. 24.
31)ドイツ帝国における分担金については,後に検討する。
32)Hensel (Anm. 8), S. 25.
33)Hensel (Anm. 8), S. 26.
34)Vgl. Hidien (Anm. 25), S. 86ff.
35)Hensel (Anm. 8), S. 30, Fn. 1.
36)Johannes Popitz, Finanzausgleich, in: Ludwig Elster / Adolf Weber / Friedrich Wieser (Hg.), Handworterbuch der Staatswissenschaften, Dritter Band, 1926, S. 1034 ff. Vgl. dazu Peter Schachner-Blazizek, Finanzausgleich in Osterreich, 1967, S. 21f.; Ewald Wiederin, Bundesrecht und Landesrecht, 1995, S. 57ff. ここに掲げたポーピッツの論文の邦訳として,田中重之「ヨハネス・ポピッツ『財政調整』(五)」自治研究13巻8号(1937年)85頁がある。
37)本文に掲げた各連邦国家の当時の財政調整法制度については,資料が乏しい故に(あるいは,入手しえない資料が多かったために),また,私の能力の問題もあり,同書におけるヘンゼルの記述に多くのものを負わざるをえない。勿論,本文にも示した通り,本稿の主題は各連邦国家の財政調整法制度の紹介ないし検討ではないが,誤りなどがあるならば御教示をお願いしたい(なお,オーストラリアの財政調整制度に関する詳細な邦語文献として,大浦一郎『オーストラリア財政論』(1987年,文眞堂)がある。久保信保=宮崎正壽『オーストラリアの政治と行政』〔再版〕(1991年,ぎょうせい)232頁,および竹田いさみ=森健『オーストラリア入門』(1998年,東京大学出版会)253頁[加賀爪優担当]にも,オーストラリアの財政調整制度に関する記述がある。但し,いずれにおいても,本稿において扱う1921年以前の状況に関しては,あまり触れられていない)。なお,本稿と関係する当時の連邦諸国家の憲法典については,主にPaul Posener (Hg.), Die Staatsverfassungen des Erdballs, 1909を参照した。同書において,ブラジル憲法のみドイツ語訳で,他は全て原語で掲載されている(スイス憲法はドイツ語)。また,ドイツ帝国憲法,および次節に関係するヴァイマール憲法については,Gunter Durig / Walter Rudolf (Hg.), Texte zur deutschen Verfassungsgeschichte, 3. Auflage, 1996を参照した。
38)Vgl. Hensel (Anm. 8), S. 34.
39)Vgl. Hensel (Anm. 8), S. 37.
40)Hensel (Anm. 8), S. 38. この点については,田中英夫『英米法総論下』(1980年,東京大学出版会)384頁,605頁,石村耕治「連邦税財政法の基礎」『アメリカ連邦税財政法の構造』(1995年,法律文化社)3頁も参照。
41)Vgl. Hensel (Anm. 8), S. 38ff.
42)Hensel (Anm. 8), S. 32.
43)Vgl. Hensel (Anm. 8), S. 42f.
44)Hensel (Anm. 8), S. 43f.
45)Hensel (Anm. 8), S. 44. 石村・註40)6頁は「南北戦争後の復興,連邦政府活動の拡大など,旺盛な財政需要に応じるため」に連邦所得税が導入された旨を述べる(連邦所得税は1894年になって初めて導入されたものではなく,南北戦争時代にも戦費調達のために一度導入されている)。ヘンゼルも,連邦の内国税(internal revenues; innere Abgaben)は,従来ならば戦争という緊急時に導入されるにすぎなかったが,19世紀末に連邦の財政需要が増大することにより,平常時における連邦の内国税が導入される必要が生じた旨を述べる(Vgl. Hensel (Anm. 8), S. 46 ff.)。なお,連邦所得税導入を巡る政治的闘争を,歴史学における保守主義研究の観点から分析したものとして,山口房司『多分節国家アメリカの法と社会』(1999年,ミネルヴァ書房)189頁を参照。
46)Hensel (Anm. 8), S. 45.
47)Vgl. Hensel (Anm. 8), S. 49. 田中英夫『英米法総論上』(1980年,東京大学出版会)32頁も参照。
48)Hensel (Anm. 8), S. 49.
49)Hensel (Anm. 8), S. 50.
50)なお,岩崎美紀子『分権と連邦制』(1998年,ぎょうせい)36頁も参照。
51)Siehe naher Hensel (Anm. 8), S. 50.
52)Siehe Hensel (Anm. 8), S. 50ff. なお,ここで扱われているのは1857年憲法であるが,1917年に新憲法(現行憲法)が制定されている。
53)Siehe naher Hensel (Anm. 8), S. 52ff. アルゼンチンの連邦憲法は,一般に,1853年に制定されたものと言われるが,私が参照したPosener (Anm.37), S. 986ff.によれば,この憲法(Constitution de la Nacion Argentina)は1860年9月22日に公布されたことになっている。なお,何度か部分的改正を経ながらも,現在に至るまで施行されている。
54)Siehe naher Hensel (Anm. 8), S. 55ff.
55)Siehe aber Hensel (Anm. 8), S. 33.
56)Vgl. Hensel (Anm. 8), S. 57, 146.
57)See also W. P. M. Kennedy, The Constitution of Canada, An Introduction to its Development and Law, 1922, p. 400ff.
58)本文においてカナダ憲法と記したが,カナダの実質的「憲法」は,先例,慣習,イギリス議会が制定した法律などから構成されていた。本稿においては,1867年,イギリス議会によって制定された法律である「英領北アメリカ法」(British North America Act)を(カナダ)憲法と記している。
59)Hensel (Anm. 8), S. 64. なお,カナダの場合,憲法において集権主義的傾向を明示するにもかかわらず,実際には,州の権限が強化され,分権主義的な実態であると言われる。しかし,ヘンゼルは,この点について何も述べていない。
60)Hensel (Anm. 8), S. 65.
61)オーストラリア連邦憲法第51条は,制定当初は39号まであり,後に第23A号が追加された。第52条とともに,連邦議会の権限を制限的に列挙している。この他,やや曖昧な文言であるが,第107条を参照。
62)Hensel (Anm. 8), S. 69, Fn. 3.
63)大浦・註37)4頁。
64)Hensel (Anm. 8), S. 70, Fn. 5.
65)Siehe Hensel (Anm. 8), S. 72, insbesondere Fn. 1.
Entstehung und Entwicklung der Theorie des Finanzausgleichsrechts (1)
Toshiki Mori
(2001年5月13日掲載)
〔戻る〕