租税法律主義・地方税条例主義の射程距離(下)

―旭川市国民健康保険条例訴訟最高裁大法廷判決の検討を中心に―

 

 

  三    保険料と保険税

  前号において、憲法第84条にいう「租税」の意義について検討を加えた。以上を踏まえた上で、旭川市国民健康保険条例訴訟(以下、本件訴訟)の争点@(「国民健康保険料に租税法律主義・地方税条例主義が適用されるのか」)について検討を進める。

  まず、前提としておかなければならないことは、既に述べたように、国民健康保険法第76条が保険料と保険税の選択制を採用しているという点である。

  規定の上からすれば、保険料と保険税は基本的に同じ性格を有する(注1)。従って、保険「税」と言っても実質または本質は保険「料」であるということになる。これは、戦前の国民健康保険制度が保険料のみから成り立っていたこと、および、保険税が、由来からしても、地方税法に定められている他の地方目的税とは全く性格が異なることからも説明しうる。

  保険税は昭和26年の地方税法改正により創設されたのであるが、その理由として、保険料の徴収率が低く、財政運営を逼迫化させたことがあげられる(注2)。保険税が導入された最大の原因は徴収率の低さであり、「税」という名称を与えることによって強制加入制の実を上げようとしたことは、多くの論者が指摘することでもある。

  また、保険税は、他の地方目的税と異なり、内閣が地方財政法第30条の2に基づいて国会に対して行う地方財政の状況についての報告において、市町村税の収入として扱われておらず、市町村の予算および決算においても異なる扱いを受けている。これは、国民健康保険法第10条により、国民健康保険に関する特別会計の設置が義務づけられていることに由来するものであり、この特別会計には保険料収入のみならず、保険税収入も含まれる。滝井裁判官補足意見が、保険税であっても「保険料として支払われているもののもつ性格自体が変わるものではない」と述べるのは、かような扱いによっても裏付けられることなのであろう。

  本件二審判決および最高裁判決(とくに後者)は、保険料が保険給付の反対給付であることを強調し、公的資金の投入(Yの場合は、国民健康保険事業の経費のうち、およそ3分の2が国の支出金によるものである)からといって「保険料と保険給付を受けうる地位とのけん連性が断ち切られるものではない」と述べているのは、保険制度一般(公的、私的の別を問わない)に関する一般論としては肯定しうる。この立場からすれば、租税法律主義・地方税条例主義が妥当するのは租税についてであり、反対給付を伴う保険料については妥当しえないこととなる(注3)。また、いずれの判決も述べていないが、保険料の場合は、市町村(および特別区)以外に、任意団体としての国民健康保険組合も徴収の権限を有するので、これを租税とみなすことは困難であるとする考え方もある(注4)

  本件二審判決および最高裁判決が採用するのは、保険税は形式の上で租税であるので租税法律主義・地方税条例主義が妥当するのに対し、保険料には、少なくとも租税法律主義・地方税条例主義が直接的に妥当しないとする見解であり、近年においては社会保障法学などでも見受けられる。

  しかし、このような見解は、国民健康保険法第76条の意味に照らし、さらに国民健康保険制度の構成を念頭に置いた場合には、形式論に過ぎる点において妥当とは思われない。国民健康保険制度が社会保険制度の一種であることを前提としても、保険料について少なくとも租税法律主義・地方税条例主義が直接的に妥当しないとする見解は、以下に述べる理由により、賛同できない。

  まず、国民健康保険法第76条に規定される選択制からすれば、既に述べたように保険料と保険税とは基本的に同じ性格を有する。そうであれば、保険税についても、国民健康保険税には租税法律主義・地方税条例主義が適用されないという理解も成立する(注5)。本件二審判決および最高裁判決の趣旨を徹底すれば、このような理解に至りうるし、筋としてはより明確である(滝井裁判官補足意見には、より強く妥当しえよう)。

  本件最高裁判決は、保険税については租税法律主義・地方税条例主義が直接的に適用されると述べるが、趣旨からすれば、形式論に留まるのではなく、むしろ、保険税と保険料との実質的な相違を述べ、適用の有無を述べるほうが、より説得力があろう。

  選択制は、本件二審判決および最高裁判決、とりわけ滝井裁判官補足意見とは逆に、選択制が、保険「料」の実質または本質が保険「税」であるとする考え方をも成立させる。これは、歴史的経緯をたどれば明らかとなる。

  既に、シャウプ勧告は社会保険税の導入を提言しており、「社会保障制度に関する勧告」(昭和25年1016日、社会保障制度審議会)は「社会保険に関する被保険者の保険料(使用者の負担をも含む)は、すべて目的税として、国又は都道府県の経営する保険については国の徴収機関により源泉徴収し、市町村の経営する保険については市町村が徴収する。ただし組合の場合は、保険料として組合が徴収する」と述べていた。この勧告がどの程度にまで受け入れられたのかについては不明な部分もあるが、ともあれ、翌年度から国民健康保険税が施行された。その際に、当時の自治庁が「保険料を税制化した」という見解を示したという(注6)。後にも、自治省関係者が、保険料の創設によって保険料が「税の地位に引き上げ」られたという表現を用いており(注7)、内閣法制局も、国民健康保険料に憲法第84条の趣旨が及ぶという趣旨の立場をとる(注8)

  次に、保険制度の観点においても、社会保険制度の一種である国民健康保険制度には、一般的な保険制度と大きな相違点があることもあげる必要がある。少なくとも、本件二審判決および最高裁判決(とくに補足意見)のように、反対給付云々を単純に識別の基準として掲げることは困難なのである(注9)

  一般的に、保険制度については、「収支均等の原則」、「給付・反対給付均等の原則」、「保険技術的公平の原則」が通用すると言われている。このうち、「収支均等の原則」とは「当該保険団体において収入(保険料)総額と支出(保険金)総額とが見合ったものでなければならないとの原則」であり(注10)、私的保険制度であれば貫徹される必要があるが、社会保険制度には国庫負担の義務が課せられており(国民健康保険法第69条以下などを参照)、この原則が適用されるべきであるとしても完全な適用が念頭に置かれている訳ではない。

  次に、社会保険制度、とくに国民健康保険制度の場合は、保険料とその対象たる保険事故発生率および保険金額とが比例の関係になければならないという「給付・反対給付均等の原則」、および、保険料が危険に応じて定められるべきであるという「保険技術的公平の原則」も通用しがたい(注11)。その理由として、これは、同制度が被用者保険、船員保険、共済組合の各制度の対象とならない者を法律上当然に被保険者とする仕組み、すなわち強制加入制度を採用していること(第5条)、被用者保険などと違って事業者負担がないこと(そのために市町村公営の原則が採られている)、国民健康保険には所得割および資産割(両者を合わせて「応能割」という)が含まれること、そのためもあって国庫負担の割合が高くなっていること、などをあげることができる。

  もっとも、これに対しては、本件条例にも規定される被保険者均等割および世帯別平等割の存在が指摘されることであろう。この両者は、合わせて「応益割」ともいうように、応益負担的な要素によるものである。そのため、保険料には、たしかに反対給付としての性格が備わっているとも言いうるであろう。しかし、これらが存在するからと言って「収支均等の原則」や「給付・反対給付均等の原則」がそのまま妥当すると、直ちに断言しうるかについて、筆者は疑問を抱かざるをえない。

  前記「社会保障制度に関する勧告」にもうかがわれるのであるが、現行の国民健康保険制度は、単純な保険制度ではなく、公的扶養制度としての要素も多分に含まれており(注12)、それは療養給付制度(同第36条)、特定療養費支給制度(同第53条)、療養費支給制度(同第54条)などに表れている。財政の面においても、国から市町村への調整交付金(同第72条)、都道府県から市町村への調整交付金(同第72条の2)、市町村一般会計からの特別会計への繰り入れの義務(第72条の2の2(注13))などが規定されており、保険制度としての性格は基本的に維持されているものの、相当に弱められていると解さざるをえない。

  さらに、保険税はもとより、保険料についても滞納処分が行われうる〔国民健康保険法第79条の2、地方自治法第231条の3第3項(「地方税の滞納処分の例により」)〕。これは、被用者保険などの制度にはないものである(注14)。純粋な保険制度であるならば、滞納云々は問題とならず、保険料が納められなければ給付が受けられないという程度に留まるであろう。保険制度に存在するとされる対価性は、滞納処分などの面においても相当に弱められていると解することができよう(注15) (注16)

  以上の点からすれば、本件一審判決が述べるとおり、保険料も実質的には租税と変わらない、あるいは租税と非常に近接するものとされているのであり、租税法律主義・地方税条例主義の直接的な適用があるものとみるべきであろう。

  (注1)  実際には、保険税に関して地方税法が規制的事項を詳細に規定しているのに対し、保険料に関しては国民健康保険法第81条により、大幅に政令や条例に委任されているという違いがある。

  また、賦課決定権および徴収権の消滅時効の期間が異なる、保険税についての不服申立ては市町村長への異議申立てによるのに対して保険料についての不服申立ては都道府県国民健康保険審査会への審査請求による、などの違いがある。

  さらに、現在はいずれも年間の徴収限度額が政令などによって定められているが、介護保険法の施行に伴う地方税法の改正以前には、保険税の場合は地方税法第703条の旧第17項によって53万円と明示されていた。これに対し、保険料の場合には、法律に同趣旨の規定が存在せず、限度額は施行令によって定められていた。

  (注2)  この点を指摘するものとして、前川尚美『国民健康保険(現代地方財政講座6)』(1985年、ぎょうせい)47頁、前川尚美・杉原正純『地方税〔各論U〕(現代地方自治全集20)』(1977年、ぎょうせい)620頁などがある。なお、拙稿「地方目的税の法的課題」『地方税の法的課題(日税研論集46号)』(2001年)301頁も参照。

  (注3)  本件一審判決への評釈である増井良啓「国民健康保険条例と租税法律主義」佐藤進・西原道雄・西村健一郎・岩村正彦編『社会保障判例百選』〔第三版〕(2000年、有斐閣)69頁は、「保険料と給付との『対価性』の有無」が、保険料を租税とみなすための「決め手になるとは思えない」と述べている。碓井光明「憲法八四条にいう『租税』の概念の外延について」ジュリスト705号(1979年)126頁、福田素夫・判例批評・季刊社会保障研究34巻4号(1999年)425頁も同旨。

  (注4)  西村健一郎『社会保障法』(2003年、有斐閣)49頁は、「社会保険の中には任意に設立される保険組合の場合もあり、多様な法主体が徴収する保険料を全て租税と同一視することが憲法84条の要請であるとするのは困難である」から「社会保険料を租税と同一視して憲法84条を直接適用することに必ずしも合理的な理由は見い出しがたい」と述べる。これについては、注(16)を参照されたい。

  (注5)  堀勝洋『社会保障法総論』〔第2版〕(2004年、東京大学出版会)183頁。

  (注6)  自治庁『地方税財政制度解説』(1951年)に記されているとのことであるが、参照できなかったので、前川・注(2)47頁による。

  (注7)  前川・注(2)47頁。

  (注8)  平成4年3月12日、第123回国会衆議院予算委員会第4分科会における、三浦久分科員の質問に対する大森政輔内閣法制局第1部長の答弁による。第123回国会衆議院予算委員会第四分科会議録(厚生省及び労働省所管)第2号51頁。この部分は、判タ120578頁でも紹介されている。

  (注9)  これまで引用または参照した文献においては、本件一審判決が対価性の希薄さを述べたことに批判的な見解がみられた。しかし、その批判は、むしろ本件二審判決および最高裁判決についていっそう強く妥当することになるであろう

  (注10)  西村・注(4)26頁。

  (注11)  厚生省保険局国民健康保険課監修『逐条詳解国民健康保険法』(1983年、中央法規出版)309頁。これは、本件一審判決への批評である西山由美「国民健康保険料と租税法律主義―旭川市国民健康保険条例事件」ジュリスト1163号(1999年)164頁にも引用されている。

  (注12)  田中治「国民健康保険税と国民健康保険料との異同」税法学545号(2001年)103頁。本件二審判決への批評である甲斐素直「国民健康保険財政を保険料で賄うとする条例と租税法律主義」ジュリスト1202号(平成12年度重判、2001年)23頁、および同「租税法律主義と社会保障関係課徴金」日本法学第61巻1号(1995年)49頁も同旨。

  (注13)  同第2項は、都道府県に、繰入金の4分の3に相当する額を負担する義務を負わせる。

  (注14)  やはり社会保険制度の一つである国民年金についても、保険料の滞納処分に関する規定がある(国民年金法第96条第3項)。

  (注15)  福田・注(3)425頁は、本件一審判決がいう「対価性の意味が必ずしも明らかではない」とした上で、「市町村国保の保険料に対する租税法律主義の適用を肯定するには、市町村対人民という関係性において、他の公的医療保険の加入者等を除き強制加入とされ、強制徴収もありうる点だけを根拠として指摘すれば必要かつ十分であった」と述べている。碓井光明『要説自治体財政・財務法』〔改訂版〕(1999年、学陽書房)128頁は、この福田氏の見解を参照し、「たとえ、対価性があり、狭義の租税に該当しないとしても、強制加入の社会保険の保険料については、法律あるいは条例による合意形成が求められるというべきである」と述べている。強制加入制と強制徴収を根拠とすれば十分である、という趣旨であろう。

  (注16)  滞納処分は、市町村(および特別区)のみが行う訳ではない。国民健康保険法第80条第1項は、「第79条の規定による督促又は地方税法第13条の2第1項各号のいずれかに該当したことによる繰上徴収の告知を受けた納付義務者が、その指定の期限までに当該徴収金を完納しないとき」に国民健康保険組合が「都道府県知事の認可を受けてこれを処分し、又は納付義務者の住所地又はその財産の所在地の市町村に対しこれの処分を請求することができる」と定めるが、国民健康保険組合が自ら処分を行う場合には、同第2項により、地方自治法第231条の3第3項前段(地方税の滞納処分の例による処分)が準用される。これについては、法律によって任意団体である国民健康保険組合が特別に一種の行政主体としての地位を得る場合である、と説明することが可能である。

 

  四    地方税条例主義に関する本件判決の理解と学説の状況

  地方税条例主義については、租税法学や財政法学を中心として、これまで枚挙に暇がない研究業績が存在する(注17)。これについては、大牟田訴訟(福岡地判昭和55年6月5日訟月26巻9号1572頁)のような事案、または法定外税の創設に関する事案であれば、実際面における意義があるものと言いうるが、本件のような訴訟においてどの程度まで実益があるのか、疑問とする向きもある(注18)。しかし、本件においては、一審判決はもとより、二審判決(「租税法律(条例)主義」という用語を用いる)および最高裁判決も、保険料についても地方税条例主義の趣旨が及ぶと解するため、触れておく必要がある。

  そして、地方税条例主義に関する議論は、地方税、そして保険料などについて課税要件法定(条例)主義および課税要件明確主義がどの程度まで要請されるかという議論と結びつく。その意味において、本件に関連して検討する意味は失われていない。

  本件一審判決は、既に判旨として引用したとおり、憲法第92条の趣旨からすれば憲法第84条の「法律」に条例も含まれると述べ、地方税法第3条第1項がその確認規定であると述べている。本件二審判決も、この点においては同様である。本件最高裁判決は、この点についてあまり詳しく述べておらず、単に憲法第84条の趣旨が保険料にも及ぶと述べるのみであるが、判旨の冒頭に示した部分による限り、地方税についても憲法第84条が適用されるという立場にあるものとも理解しうる。しかし、これが地方税条例主義を示すのか否かについては明らかでない、と評価せざるをえない(注19)

  かつて、憲法第84条にいう「租税」は直接的に地方税を含むものではないが、規定の趣旨が及ぶと考える見解が通説であった。従って、この説によると、地方税条例主義は租税法律主義の例外であるということになる。しかし、地方公共団体が地方税の納税義務を住民に課するのであれば、地方税は、当該地方公共団体の住民代表機関である議会が制定する条例に基づかなければならないのであるとすれば、租税法律主義と基本的な趣旨は異ならない。そのため、地方公共団体の課税権は憲法第92条および第94条に由来し、憲法第84条もこのことを予定していると考える説が通説化している。

  もっとも、この説は大きく二つに分割される。一つの考え方として、第84条が地方税についても適応されるという説がある。本件訴訟の一審判決および二審判決がこの説を採用する。これに対するもう一つの考え方が、第84条は地方税に対して適用されないとする説である(注20)。いずれの説をとるとしても、具体的な結論に明確な差異が発生するとは考えにくい。また、後者の説を採用するとしても、憲法第84条によって要請される課税要件法定主義および課税要件明確主義が排除される訳ではない。むしろ、後者の説の場合には「課税要件等を明確に定めなければならないことにな」り、「地方税に関して『条例で定めることができる』という消極的なものではなく、『条例で定めなければならない』という積極的なものであることに注意する必要がある」(注21)

  (注17)  文献紹介の意味なども含め、拙稿「地方税立法権」日本財政法学会編『財政法講座3  地方財政の変貌と法』(2005年、勁草書房)29頁を参照。また、北野弘久「本来的条例主義」日本財政法学会編『財政法講座1  財政法の基本課題』(2005年、勁草書房)183頁を参照。

  (注18)  福田・注(3)426頁、人見剛・判例批評・自治研究75巻8号(1999年)131頁。

  (注19)  これに対し、碓井光明「財政法学の視点よりみた国民健康保険料―旭川市国民健康保険料事件判決を素材として」法学教室309号(2006年)25頁は「地方税についても憲法84条の適用を肯定し、かつ地方税に関しては『法律の範囲内で制定された条例』によって定められるべきことを、大法廷が認めたことを意味する」と述べている。

  (注20)  前者の考え方の例として、碓井光明『要説地方税のしくみと法』(2001年、学陽書房)6頁、小林孝輔=芹沢斉・基本法コンメンタール〔第四版〕『憲法』(1997年、日本評論社)351頁[牧野忠則担当]を参照。後者の考え方の例として、新井隆一『財政における憲法問題』(1965年、中央経済社)33頁、金子宏『租税法』〔第十一版〕(2006年、弘文堂)99頁註(2)、北野弘久『税法学原論』(2003年、青林書院)101頁を参照。拙稿・注(17)39頁も後説を採用する。これは、抽象的地方税立法権と具体的地方税立法権とを区別するためである。

  (注21)  碓井・注(20)7頁。この点において、堀・注(5)182頁が「租税については法律の定めによることを要し(憲法3084条)、地方公共団体の組織及び運営に関する事項は法律が定め(憲法92条)、法律の範囲内で条例を定めることができる(憲法94条)とする憲法の諸規定からみて、法律に違反する地方税条例を認めることになるこのような地方税条例主義によるのは行き過ぎではないかという感が否めない」とするのは、地方税条例主義に対する大きな誤解に基づいている、と評価せざるをえない。この種の議論は、地方税法の性格に関する議論を見落としていると思われる。さらに言えば、憲法自体が抽象的立法権、具体的立法権を区別しつつ、段階的ではあるが地方公共団体に立法権を付与していることを見落としている。

 

  五    課税要件明確主義の意義と、保険料への適用

  判旨(前号参照)に示したように、第8条が「賦課要件条例主義」にも「賦課要件明確主義」にも反するか否かについては、判断が分かれる。ここで「賦課要件条例主義」は課税要件法定(条例)主義に、「賦課要件明確主義」は課税要件明確主義に対応している。

  筆者は、既に述べたように、保険料も実質的には租税またはそれに近似するものであり、租税法律主義・地方税条例主義の直接的な適用があると解するため、当然、保険料についても「賦課要件条例主義」および「賦課要件明確主義」が要請されると解する。

  本件訴訟の争点Aを検討するために、ここで租税法律主義からの派生原則、または具体的な内容である課税要件法定主義および課税要件明確主義の意義を確認しておきたい。

  まず、課税要件法定主義は、罪刑法定主義にならって作られたものであり、全ての課税要件、租税の賦課・徴収手続が法律によって規定されなければならないという原則である(地方税法第2条・第3条も参照)。

  この原則については、本件訴訟にも妥当するように、法律と行政立法との関係が度々問題となる。憲法は、第73条第6号において執行命令および委任命令の存在を認めている。その意味においては、課税要件や賦課・徴収手続に関する規定について法律が政令・省令に委任することが全く許されていない訳ではない。

  秋田市国民健康保険条例訴訟一審判決は、「現行租税法上、国税および地方税中の普通税については、課税標準と定率または定額によって表示された税率によって税額を規定するのが原則であるが、租税法規一般について必ずしも右の規定の方式をとらなければならないものではな」いと述べていた。同二審判決は、より明確に「課税要件法定(条例)主義といっても、課税要件のすべてが法律(条例)自体において規定されていなければならず、課税要件に関して、法律(条例)が行政庁による命令(規則)に委任することが一切許されないというものではな」いと述べている。この点には注意が必要である。

  もとより、白紙委任のような一般的・包括的な委任は憲法第41条に反する。個別的かつ具体的な委任が求められているのである(注22)

  次に、課税要件明確主義は、法律(その下における政令・省令の場合も含む)における課税要件および賦課・徴収の手続に関する規定が、なるべく一義的かつ明確でなければならない、とするものである。このため、租税行政庁に自由裁量を認めることは原則として許されず、不確定概念の使用も慎重でなければならない。

  しかし、実際のところ、不確定概念の使用はやむをえない場合もあり、必要な場合すらある。その一方で、不確定概念の多用を指摘する声もある。不確定概念と裁量は、一応区別しうるが、実際にはどちらに該当するかが判別困難である場合も存在する。秋田市国民健康保険税条例訴訟二審判決は、不確定概念の使用が直ちに課税要件明確主義に違反するものではなく、許容される余地もあるという趣旨を述べている(注23)

  本件訴訟のいずれの判決も、本件条例第8条によって算定される賦課総額、第12条によって決定される保険料率のいずれについても、市長への委任がなされていることを述べているが、委任されていること自体が問題とはされていない。むしろ、本件一審判決は「条例が下位法規に明確に委任し、現に下位法規で明確にされている場合、あるいは、条例の趣旨などに照らした合理的な解釈によって、その内容が明確となっている場合であれば、料率自体を条例に明記しなくとも、租税法律(条例)主義の趣旨に反するものではない」と述べているし、本件二審判決は、より明確に「保険料の賦課徴収に関する事項をすべて条例に具体的に規定しなければならないというものではなく、賦課及び徴収の根拠を条例に定め、具体的な保険料率等については下位の法規に委任することも許される」から、「条例において、保険料率算定の基準・方法を具体的かつ明確に規定した上、右規定に基づく具体的な保険料率の決定を下位の法規に委任し、現に下位の法規でその内容が明確にされている場合には、課税要件法定主義・課税要件明確主義の各趣旨を実質的に充たしている」と述べている。

  本件の場合は、まず、本件条例第8条により、賦課総額を算定し、その賦課総額を第12条第1項各号に定められた所得割などの割合(50112613)に応じて分割し、それぞれを一定の数によって除して得られた額を保険料率としている。そして、その保険料率は、同第3項により、市長が告示によって公示することとなっている。

  この方法は、秋田市国民健康保険税条例訴訟当時の同条例と基本的に同じである。但し、同条例第2条は「保険税の課税総額は、当該年度の初日における療養の給付および療養費の支給に要する費用の見込額から療養の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額の100分の65に相当する額以内とする」と定めるのみであり、具体的な額がこの規定からのみでは不明であるのみならず、この課税総額および保険税率の告示に関する規定も一切なかった。そのために、納税者(被保険者)は自己の保険税負担額を全く予測しえず、税率の当否などについての判断も非常に困難なものとならざるをえなかった。

  これに対し、本件条例第8条の場合は「控除した額の100分の65に相当する額以内」という形にはなっていないが、それでも「第1号に掲げる額の見込額から第2号に掲げる額の見込額を控除した額を基準として算定した額」とされており、結局、Y(市長)に賦課総額の決定を、裁量を伴った形で委任する趣旨であると理解される。見方によっては、本件条例のほうが秋田市国民健康保険税条例訴訟当時の同条例よりも不明確である、とも言えよう。

  本件条例第8条の規定の場合は、第1号にも第2号にも不確定の要素が多く盛り込まれている。このこと自体は、国民健康保険制度の構造によるものと考えられる。事実、本件最高裁判決も特別会計の予算および決算をあげており、第1号および第2号に示される諸事項の額は、前年度などの実績を基にして予算内において決定せざるをえない。この部分までは、「賦課要件条例主義」、「賦課要件明確主義」のいずれに照らしても、不明確な部分があるとはいえ、やむをえないものであろう。本件最高裁判決も、第1号および第2号が「保険料の賦課総額を算定するための費用および収入の見込額の対象となるものを詳細かつ明確に規定している」と述べている。

  しかし、費用や収入の見込み額の対象がいかに明確に規定されているとしても、「基準として算定した額」の具体的な事項は、本件条例にも施行規則にも一切明示されていない。本件最高裁判決は「徴収不能が見込まれる保険料相当額についても、保険料収入によって賄えるようにするために、賦課総額の算定に当たって、上記の費用と収入の見込額の差額を保険料の収納率の見込みである予定収納率で割り戻すことを意味するものと解される」と述べるが、そうであるならば、この「基準として算定した額」に予定収納率が含まれることを、施行規則に明示すべきであろう(注24)

  また、最高裁判決は、費用および収入の見込額や予定収納率の推計に関して議会のコントロールが及ぶと述べているが、このことが直ちに「賦課要件条例主義」および「賦課要件明確主義」への適合を裏付けるという論旨にも疑問を呈せざるをえない。むしろ、滝井裁判官補足意見が、議会のコントロールの限界を述べ、「保険者自治の観点」を打ち出していることに注目すべきであろう(注25)

  以上から、筆者は、本件条例第8条が、長の裁量を決して小さくない範囲において認めていることとあいまって、保険料の算定の土台である賦課総額が明らかでないことから、「賦課要件条例主義」および「賦課要件明確主義」に適合するとは言えないと考える。

  次に、本件条例の場合は、保険税を選択する現行の秋田市国民健康保険税条例などと異なり、保険料率の決定についても、条例にその額が明示されている訳でなく、告示に委任する体裁をとる。所得割の場合の「基礎控除後の総所得金額等の総額」および資産割の場合の「土地及び家屋に係る固定資産税額の総額」は、被保険者自らが計算することも可能であろう(世帯別平等割の場合の「当該年度の初日における一般被保険者の属する世帯の数」も同様であろう)。しかし、被保険者均等割の場合の「当該年度の初日における一般被保険者の数で除して得た額」、というのは、少なくとも賦課年度の当初において予測可能なものではなく、市長の告示がなければ判明しないものである。従って、本件の場合は、告示が「下位法規」に該当するか否かが問われることとなる。

一審判決は、告示を法規としての性質を有しないものと捉えているのに対し、二審判決は法規としての性質を認めている(最高裁判決は、告示の法的性質について明言を避けている)。筆者も、本件条例の構造からすれば、二審判決のように捉えざるをえないと考えるが、そうなると、次は本件条例の委任の方法が適切であったかという問題につながってしまう。

  本件条例のような告示方式については、告示が実質的に長の規則としての性格を有することを理由とする適法論も存在するが(注26)、論理としては成立しうるものの、やや行き過ぎの感も否めない。また、仮に料率を長の規則に委任した場合には憲法第84条の趣旨が及ぶ、というような単純な理解が許されるものであろうか。

  前記判旨においては省略したが、本件一審判決は、国民健康保険税を選択した場合には国民健康保険条例準則によって保険税率自体を条例において定めることが標準とされていることなどを指摘している。実際、参考資料に掲げた現行の秋田市国民健康保険税条例は税率を明確に定めている。また、やはり本件一審判決の事実認定によると、Yも昭和42年度までは保険税方式を採用しており、また、現行の告示方式に移行したのは昭和51年度であると指摘している。そうであるならば、何故に、保険税については税率(または税額)を明確に定めなければならず、逆に保険料については料率などを告示に委ねることが可能であるのか、その合理的な理由は何か、ということが論じられなければならないであろう。このことについて、碓井光明氏が、次のように述べている。

  「問題は、むしろ、『平成……年度の国民健康保険の保険料率を定める条例』や同趣旨の規則の制定が躊躇されてはならないということである。また、国民健康保険法は、介護保険法と異なり、各年度の収支の均衡を求めている結果、ぎりぎりの段階まで数字を固める作業をしなければならず、そのことが確定料率による条例を制定する暇がない原因となっていることである。立法論として、単年度の収支の均衡ではなく、3年ないし5年程度の期間の均衡でよいものとして、確定料率の規定の条例を定めやすくすることが必要と思われる。」(注27)

  先に言及したように、保険税も実質的には保険料であるから租税法律主義・地方税条例主義が妥当しないというのであれば、むしろ保険税についても告示方式を採用するほうが合理的であるが、本件のいずれの判決もそこまでは述べていない。そして、保険税は租税であるから租税法律主義・地方税条例主義が直接的に適用されるのに対し、保険料については租税法律主義・地方税条例主義が直接的に適用されないものの、その趣旨は及ぶというのであれば、本件条例第8条が「賦課要件条例主義」および「賦課要件明確主義」にも適合せず、その結果として第12条第1項および第3項も「賦課要件明確主義」には適合しない、と判断すべきではないのか。

  筆者は、本件二審判決および最高裁判決について、保険料については租税法律主義・地方税条例主義の趣旨が及ぶと述べているものの、結局はこれを否定しているのではないかと考える。その点において、本件二審判決および最高裁判決は妥当性を欠くのではないか、と考える。

  (注22)  さしあたり、大阪高判昭和43年6月28日行裁例集19巻6号1130頁を参照。この判決に関する解説・批評として、北村喜宣「政令への委任の限界」金子宏=水野忠恒=中里実編『租税判例百選』〔第3版〕(1992年、有斐閣)8頁などがある。なお、水野忠恒=中里実=佐藤英明=増井良啓『租税判例百選』〔第4版〕(2005年、有斐閣)では取り上げられていない。

  (注23)  但し、同判決は、同条例第2条および第6条が一義的明確性を欠くために課税要件明確主義に反して無効であると判断した。

  (注24)  但し、予定収納率自体は毎年変わる可能性があるので、具体的に数値として規定することは難しいかもしれない。

  (注25)  碓井・注(19)27頁は、この点に着目し、「社会保険制度における民主的コントロールとして、二つのルートがあることが示唆されている」と評価する。

  (注26)  その例として、碓井・注(15)129頁がある。

  (注27)  碓井・注(15)129頁。

 

  六   本件条例の減免規定について

  以上においては、争点@およびAに絞り、租税法律主義・地方税条例主義の射程距離について検討を加えてきた。本稿においては、本来ならば争点Bを取り上げ、検討を加えるべきであるが、現行の保険料制度、さらに保険料負担の実態についてさらに検討を加えた上で論ずる必要 があると考え、今回は詳細に取り上げなかったしかし、Xの年収が本件訴訟提起当時において約90万円ほど、そして介護保険料訴訟提起当時においても100万円から120万円ほどでしかなく、生活保護基準に達しない程度であったという事実に鑑みれば、多少とも筆者なりの見解を示しておくべきであろう。

  本件条例第19条は、国民健康保険料の減免事由を規定する。同第1項、「災害等により生活が苦しく困難となつた者又はこれに準ずると認められる者」(第1号)、「当該年において所得が著しく減少し、生活が困難となつた者又はこれに準ずると認められた者」(第2号)のいずれかに該当すると認められる場合に、市長が「保険料を減免することができる」と定めるが、生活困窮者については保険料の減免の対象としていない。

  条例の明文により、生活困窮者を保険料の減免の対象とするか否かについては、条例によって異なるようである。たとえば、現行の秋田市国民健康保険税条例第14条第1項第1号は「貧困により生活のため公私の扶助を受ける者又はこれに準ずると認められる者」を、同第2号は「当該年において所得が皆無となったため生活が著しく困難となった者又はこれに準ずると認められる者」を減免の対象となることを定める。これに対し、たとえば川崎市国民健康保険条例第38条は、本件(旭川市)第19条第1項よりも簡潔な規定であり、少なくとも明文では生活困窮者を保険料の減免の対象としていない。本件条例第19条第1項を含め、何故に、生活困窮者の保険料の減免を定めていない場合が多いのか、必ずしも明らかではないが、国民健康保険料の負担が所得階層によっては決して軽い負担と言えないことを踏まえるならば、憲法第25条の趣旨を踏まえたものと理解することができない。この点においても、本件条例の合憲性には疑念を寄せざるをえない。

 

あとがき)

  この論文は、税務弘報54巻14号(2006年11月号)129頁から138頁までに掲載されたものです。雑誌掲載時は脚注方式でしたが、ホームページに掲載する際に改めました。

  なお、本論文は、2006年6月17日に早稲田大学西早稲田校舎9号館で行われた第15回早稲田行政法研究会において私が担当した報告「旭川市国民健康保険条例訴訟の検討―憲法第84条の射程距離、租税法律主義・地方税条例主義を中心として―」を基にして、若干の修正および加筆を施したものです。税務弘報掲載時に、字数の都合があって(上)と(下)とに分割しました。同研究会の皆様、そして税務弘報編集部の方々に、この場を借りて改めて御礼を申し上げます。

 

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