市町村合併――合併しなかった場合に生じうる問題を中心に――
{第11回「食と水を考える会」主宰講演会、2002年1月12日、19時から21時まで、千歳村農村環境改善センターにて}
序:以下は、上記題目の下で行った講演のための草稿です。当日は、時間の関係もあり、項目を選びつつ、適宜要約して話をさせていただきましたが、ホームペ−ジにて公開するにあたり、全文を公表することといたしました。
今回の内容は、「市町村合併―合併のメリット・デメリット―」(第7回「食と水を考える会」主宰講演会、2001年1月27日、千歳村農村環境改善センター)、および「地方自治の新たな動き―地方分権および市町村合併を中心に―」〔宮崎県市町村職員一般研修(平成13年度第2回職員一般研修)、平成13年9月3日〕の内容と重複する箇所が多いことを、あらかじめ、お断り申し上げます。
この機会を与えていただき、また、当日にコーディネーターを務められた春野慶司氏(千歳村村議会議員)、そして御来場の皆様には、熱心にお聴きいただき、御意見御質問をいただきました。改めて御礼申し上げます。
T.本格的に動き出した市町村合併
昨年(2001年)1月27日、この千歳村農村環境改善センターにおいて「市町村合併―合併のメリット・デメリット―」という小講演をさせていただいた。今回は、その内容をさらに進めて、市町村合併をしなかった場合にどのような問題が生じうるのかについて、お話をさせていただくことになった。
実は、前回の小講演の後、私自身のホームページの掲示板において度々市町村合併の実例を取り上げており、9月3日には、財団法人宮崎県市町村振興協会(宮崎県市町村職員研修センター)からの依頼により、宮崎県内各市町村に勤務する中堅職員の諸氏を前にして、「地方自治の新たな動き」という主題の下に、地方税財政と市町村合併を中心に講義をさせていただいた。その時も、前回の小講演をお引き受けした時に浮かんだ疑問などが頭から離れず、今も、正直に申し上げるならば、現在、政府が強力に推し進めようとしている市町村合併については、市町村合併特例法に定められているような市町村の「自主的な」取り組みの援助という枠組みから逸脱しており、まさに強制的な側面を強めているという点において、反対せざるをえない(少なくとも、批判せざるをえない)側面があると考えている。しかも、既に前回の小講演においても述べたように、自治省(現在の総務省自治行政局)があげる市町村合併のメリットは、いかにも考え付くだけのメリットを羅列しただけという印象を与えるものであり、具体的な例を検証していくと相互に矛盾が見られる。そのため、行政経費の節減や行政サービスの向上、行政の合理化(例えば、市町村職員の配置の合理化)につながるか否かについて疑問が残る。そればかりでなく、合併特例債などの「飴」により、かえって地方財政の負担が増大する懸念もある。2001年に政令指定都市を目指す合併の動きとして注目された静岡市・清水市の例を検討すると、要は公共事業、しかもビッグ・プロジェクトの目白押しである。しかし、住民サービスの改善などについては今ひとつ明確になっていない。この他、東京都あきる野市(秋川市と五日市町とが合併)、仙台市泉区(かつては泉市)、そして埼玉県さいたま市(浦和市、大宮市、与野市が合併)の例においては、住民サービスなどが悪化したという意見も住民から聞こえてくる。
勿論、私は、何が何でも市町村合併に反対であるという立場を採っている訳ではない。当事者となりうる市町村、そしてその住民が合併に向けて主体的な取り組みをなすのであれば、反対する理由など存在しない。実際、経済面における結びつきなどをみれば、市町村域として狭すぎる箇所、複数の市町村が相互協力して一体的にまちづくりを進めたほうがよいと思われる箇所も存在する。
また、市町村合併については、推進派であれ慎重派(反対派)であれ、それほど説得力のある議論を行っている訳でなく、両者の議論がかみ合わない部分もある。推進派の示すメリットやその根拠にも問題があるし、逆に慎重派が展開する論理にも長期的視点に欠ける部分(これまでの市町村合併においても論じられているように、合併してすぐに新市町村の意識が成就することは稀有である。市(町村)民意識は、少なからぬ年月の末に醸成されるものだからである)、あるいは現状維持に拘泥する部分があるし、現実の制度を根本的に改めなければ解決しえないような部分を突くような、或る意味において空想的な論旨が紛れ込んでいることもある。その点において、2001年7月2日に解散した地方分権推進委員会、そして市町村合併に積極的な立場を示す学者などの意見には、それなりの説得力があることも否定できない。例えば、地方分権推進委員会が平成12年11月27日に内閣へ提出した「市町村合併の推進についての意見―分権型社会の創造―」においては、市町村合併のメリットとして、「@広域的視点に立ったまちづくりの展開や施策の広域的調整が可能になること、A行政サービスの拡大や公共施設の広域的利用等による住民の利便性の向上、B専門的知識を持った職員の採用・増強や専任の組織の設置が可能になること、C行政組織の合理化、D公共施設の広域的・効率的な配置などが挙げられている」ことを述べている。この点についても、慎重派あるいは反対派の立場から批判することは容易である。例えば、広域化により住民の利便性が増すとは一概に言い切れないし、公共施設の濫設が市町村合併と直接的な関係を持っている訳でもない。公共施設の性質如何によっては、広域的な設置によって住民サービスの低下につながることも考えられる。しかし、現実に国の税収が減少し、これに伴って地方交付税も全体的に減額されるとなれば、自主財源比率および財政力指数の低い町村の財政状況は従前以上に悪化し、もはや存続すら危うくなる。地方分権改革の残された課題である地方税財政改革を実行したところで、こうした市町村の財政が格段に改善されるということは期待できないかもしれない。
自主財源比率:普通地方公共団体の歳入額に占める地方税などの割合を指す。
財政力指数:普通交付税算定に用いる基準財政収入額を基準財政需要額で序して得た数値であり、地方公共団体が標準的な行政活動を行う場合に必要とされる経費のどの程度までを独自の税収入により賄えるかということを意味する。この数値が1を超えるならば、普通交付税は交付されない。また、この数値が0.44以下であることなどが過疎地域として指定される要件となっている。
地方税財政改革:主に地方税改革を指す。税源委譲などにより、地方自治体の自主財源比率を上昇させる必要が指摘されている。勿論、地方交付税制度や国庫補助負担金制度などの改革も含まれる。
さらに、市町村合併推進派が指摘する行政能力の問題に関連して、某村の職員採用試験を受けて合格した学生から話を聞いたことで、市町村合併に関する私の考え方を、部分的であれ改めざるをえなくなった。市町村の規模を問わず(政令指定都市、中核市、および特例市を別として)、基本的な任務や機能は同じである。しかし、町村の場合、採用試験において法律学の問題が出されないという。これに限らず、大学卒業程度の出題レベルではなく、実務において必要な知識なり技術なりを問うものとなっていないという。私自身は確認していないので、断定する訳にもいかないが、仮にこれが真実であるとすれば、職員採用の時点において小規模の市および町村については、既に職員採用時において行政能力が都道府県や大規模の市より劣るという結論になる。また、小規模の市および町村の場合、人事が停滞しがちであることも、度々指摘されている。これでは時代に即応した行政を運営することができない。理念的にはどうであれ、現実の問題として、市町村合併推進派の代表的論客、小西砂千夫氏が指摘されるように、「役場に町の将来像への構想を高めていく人材がいない。職員の能力以前に、あまりにも定型的なルーティン・ワークが多く、企画・政策に携わる職員が少ない」〔小西砂千夫「市町村合併問題の本質とはなにか」ガバナンス4号(2001年)25頁。同『市町村合併ノススメ』(2000年、ぎょうせい)22頁も同旨〕。さらに、小西氏は「役所が自己決定するには最低限の職員数が必要で」あり、「せめて人口1万人以下の町村は行政規模の拡大を図」らなければ「意思決定力は育ち得」ないと断言する(小西・前掲論文25頁。同・前掲書22頁も同旨)。若干の例外はあるが、とくに町村において人事そして行政が停滞しがちであることも事実である。市町村合併によって地方分権の受け皿としての市町村を確立させるということに、論理の飛躍などがあることは否めないが〔池上洋通「市町村合併これだけの疑問―このままで地方自治は守れるのか―」(2001年、自治体研究社)53頁などを参照〕、現実の問題として、介護保険などのことを考えるならば、制度の根本的な見直しが期待されえないだけに、市町村合併はやむをえない選択なのかもしれない。
なお、小西・前掲書22頁は、「地方自治を舞台とした利益誘導の仕組み」や「役所を巡る人間関係」の存在を指摘した上で、市町村合併がこうした改革の障害を破壊するものであり、市町村の自浄能力の有無を図るための手段でもあるという趣旨を述べる。しかし、これは偏見であろう。「役所」の意識や人間関係は、市町村が大型化すれば変わるというものではない。川崎市で生じたリクルート事件や福岡市で生じた市営地下鉄3号線建設に絡む汚職事件などを想起すれば明らかである。
周知のように、政府は、市町村合併特例法の改正以来、市町村合併の大きな波を作り、総務大臣を本部長とする市町村合併支援本部を設置するなど、強力に推進する構えを見せている。地方分権推進委員会も、直接的には政府に対し、市町村合併の推進を求めている。
地方分権推進委員会は、既に第1次勧告において市町村合併を提唱しており、合併が困難な場合には広域行政(大分県においては大野郡の大野連合という例がある)、中心都市による連携・支援(中核市制度や地方拠点都市地域指定制度がこれに該当すると考えられる)、都道府県による補完・支援という対策をとるべきであると述べている。また、平成12年11月27日付の意見は、内容を市町村合併に絞り、より具体的な提言を行っている。ちなみに、これも現在は内閣府の下に置かれている地方制度調査会は、平成10年4月24日付で「市町村の合併に関する答申」を行っている。
これまで、広域連合や一部事務組合などによって広域行政が展開されていたが、市町村合併は広域行政の最終目標というべきものとして捉えられており、大分県、佐賀県、静岡県など各都道府県の取り組みも昨年以来活発化している。これは、或る意味において市町村のraison d’etre(存在理由)を問い直すことでもある。こうした状況を考えるならば、決して政府の意向に盲従するのではなく、今後の市町村のあるべき姿を検討するために、市町村合併を一つの選択肢とすることが必要となってきているものと思われる。市町村合併特例法は2005(平成17)年3月に失効するが、現在のところ、期限の延長などは考えられていない。このため、市町村合併特例法による特例措置(後述)についても、延長は予定されないこととなる。また、合併は複数の市町村が関係するため、調整のために任意の協議会、さらに法定の協議会が設置されなければならない。そうなると、遅くとも今年(2002年)3月までには準備を進めなければならない。。そして、4月からは、少なくとも任意の合併協議会において新市町村の設立に向けた具体的な協議を行わなければならない。
(大分県が2000年12月に公表した市町村合併推進要綱は、他都道府県と比較しても最も粗い案の一つであるが、必ずしもこのとおりにしなければならない訳ではない。肝心なことは、他市町村との経済的な関係などを重視しなければ話が進まないということである)
U.政府による市町村合併支援プラン
市町村合併をしなかった場合にどのような問題が生じうるかを考えるのが、今回の小講演の趣旨である。しかし、その前に、政府による市町村合併支援プランに言及する必要があろう(西日本新聞2001年8月26日付朝刊16版1面および大分合同新聞2001年8月26日付朝刊朝F版1面に基づく)。市町村合併をすることによっていかなるメリットがあるのか、あるいは、合併をしないことによってデメリットがあるのかを考えるためには、絶好の題材となるからであり、政府の目標も理解できるからである。
これは、各省庁が連携して取り組む総合的な支援策と位置づけられており、8月30日に開催される政府の市町村合併支援本部(本部長は片山虎之助総務大臣)において最終決定され、2002(平成14)年度予算に反映されることとなる。
まず、このプランは、支援策の対象として、都道府県の市町村合併支援本部が「合併重点支援地域」に指定した市町村、または2005(平成17)年3月(市町村合併特例法の期限とされる)までに合併する市町村を選んでいる。このうち、「合併重点支援地域」としては、茨城県のつくば市・茎崎町、同じく茨城県の取手市・藤代町、岐阜県の高富町・伊自良村・美山町、三重県の上野市・伊賀町・島ケ原村・阿山町・大山田村・青山町、徳島県の鴨島町・川島町・山川町・美郷村、大分県の佐伯市・上浦町・弥生町・本匠村・宇目町・直川村・鶴見町・米水津村・蒲江町が掲げられている。
より具体的には、次のような分野について支援策がまとめられることになる(西日本新聞2001年8月26日付朝刊16版1面による)。
第一に、社会基盤については、「道路、トンネル、離島架橋の重点整備」、「地方バス事業の補助要件を緩和」、「公共賃貸住宅を重点投資」、「合併記念公園の整備促進」があげられる。
第二に、生活環境については、「1日100トン以上の廃棄物焼却炉の優先整備」、「水道検査施設整備の補助要件を緩和」、「流域下水道の補助要件を緩和」、「消防の広域再編に財政支援」、「市町村間の情報格差の是正」(過疎地域における光ファイバーの敷設に対する支援などが検討されているようである)があげられる。
第三に、保険、医療および福祉については、「介護保険運営の広域化でシステム経費を支援」、「シルバー人材センターの国庫補助減に激変緩和措置」があげられる。
第四に、教育および文化については、「学校の統廃合による教員定数減に激変緩和措置」があげられる。
第五に、産業振興については、「農産品の生産団地などのアクセス道路整備」、「都道府県商工会連合会に商工会合併の指導員を設置」があげられる。
第六に、住民交流については、「地域交流センターの整備を支援」があげられる。
この他を含めて60項目があげられている。すなわち、市町村合併をしなければ、これらの項目について国あるいは都道府県の援助を得ることができないという訳である。
その内容をみると、或る程度やむをえないとはいえ、従来型の公共事業によるバラマキ行政の姿が見えてこないであろうか。少なくとも、構造改革とは矛盾する。既に、前回の小講演において、市町村合併のデメリットについて概観したが、そのデメリットに拍車をかけるものではないかと思われるのである。実際、後にも述べる通り、合併を進めない小規模市町村については地方交付税の配分額を減らす方針が示されているが、合併を推進した地方自治体に対しては公共事業を重点的に配分するのである。この場合、特別に地方債の起債が認められることを考え合わせると、財政事情の改善にはつながらないと思われる。
また、これまでに一部事務組合や広域連合によって対処してきたと思われる事務が多く掲げられている点も目立つ。例えば、生活環境に関するものとしては、既にごみ処理や消防(救急活動を含む)については、多くの地域において一部事務組合や広域連合が作られ、運営されている。また、介護保険についても、福岡県のように大規模な広域連合が作られた例もある。しかし、地方交付税または国庫補助負担金制度の活用によって合併を推進するとともに、合併をしない小規模市町村に対する支出を削減することが明らかである。このことから、市町村合併が行われない限り、ダイオキシン対策などが進まないという事態が生じうる。また、国民健康保険や介護保険などについては、元々市町村が保険者となって運営すること自体に無理があるが、現行の制度を維持する限りはやむをえないことであろう。
さらに、政府の市町村合併支援本部は、8月30日、静岡市と清水市との合併を念頭に置き、政令指定都市の要件緩和(但し、合併に限る)を方針として決定した。
朝日新聞社のホームページに2001年8月30日19時33分付で掲載された記事「合併なら、70万人でも政令指定都市に 静岡・清水念頭」(http://www.asahi.com/politics/update/0830/009.html)による。また、静岡版には「目標人口は75万人/静清合併協が最終素案」という記事が、同日付で掲載されている(http://mytown.asahi.com/shizuoka/news02.asp?kiji=3852)。
政令指定都市は、地方自治法上、人口50万人以上が要件とされているが、実際には人口100万人以上が一つの目安となっている(千葉市の場合は人口が87万人であるが)。しかし、静岡市と清水市とをあわせても70万人未満である(静岡市・清水市合併協議会が示した中間報告において、2012年の人口を70万6千人と予測されていた)。そのため、市町村合併本部が指定要件を70万人前後に引き下げることとした。これにより、静岡市と清水市の合併を推進するのみならず、堺市、新潟市、川口市などについても合併を推進しようとするものである。しかし、静岡市と清水市の場合、8月29日に「新市建設計画」(最終素案)をまとめたとは言え、両市が合併しなくとも単独で行いうる事業の羅列だという指摘もなされているようである。
もっとも、後に触れるが、地方分権によって国から地方自治体に権限が委譲される段階において、政令指定都市および中核市にも権限が委譲されている。すなわち、国は、地方分権の受け皿として、まずは都道府県、次に政令指定都市および中核市を想定している。後に市町村の適正規模に関する議論を紹介するが、多くの研究が、市町村の職員数、そして行政経費を基準とすれば、人口が30万人前後の所を適正規模と判断している。奇しくも、これは中核市の要件と合致する。既に特例市の制度も設けられており、本来であれば同格であるはずの市町村に一種の区別が設けられている。このことから、今後、基本的には町村を廃止した上で、地方税制などにより、新たな格差が生じることとなるかもしれない。
V.地方税財政と市町村合併
今回の市町村合併の背後に(あるいは隠された最大の目的として)、地方交付税や補助金などの合理化(削減)によって国の財政状況を少しでも改善しようとする意図があるのは明白である。一見矛盾するようであるが、市町村合併特例法の失効時までに、合併特例債の発行を認めたり、地方交付税の配分に優遇措置を設けたりするなど、様々な財政上の特例措置を設けることが、国の強い意向を雄弁に物語っている。勿論、その特例措置は一時的なものである。
既に、地方交付税を全体的に削減する方向が、政府によって決定されている。地方交付税の原資となるのは所得税、消費税、たばこ税などであるが、その分では財政赤字を埋めるに足りず、地方交付税特別会計借入金などによって補填していることが、原因の一つである。削減の際、これまで過疎地域に手厚い保護を与えていると評される段階補正を消滅させる、そこまで行かなくとも簡素化する、などの手段がとられることとなる。このようになると、市町村合併をしない限り、(厳密か否かは別として)従前の配分は保障されないこととなる。その場合、自主財源に乏しい町村は、存在すら危うくなる。大分県においても、介護保険など、義務的負担の割合が増加することにより、各市町村の財政の硬直化が進行している。しかも、これらの制度の根本的な見直しを期待できない。それだけに、市町村の行財政はますます深刻な状況に追い込まれる。受益者負担論的な表現を用いれば、住民の負担は、住民が行政サービスから受ける利益に比して極端に上昇し、不均衡が拡大する危険性を避けることができなくなる。
1998年度からの3年間、人口4000人以下の市町村に対しては、地方交付税の補正係数の是正を打ち切ることにより、配分を減少させている。これとは別に、人口10万人以下の自治体については地方交付税の補正係数を現行の3分の2に圧縮する方針となったようである。臼杵市長の後藤国利氏による「自由と独立を求めれば自主自立」(「フロム市長トゥ市職員」517号、2001年12月14日)は、この点を指摘する(http://www.jititai.com.d/to_shokuin/FROM517.htm)。その上で、後藤氏は、「行政効率向上のために大規模自治体に統合された場合、最も大きな問題は臼杵の自由と地方文化が守られるかどうかということです。大規模自治体の中の一地域となったとき、『臼杵』を大切にしていけるかどうかを考えなければなりません」と述べる。後藤氏自身が市町村合併に賛成なのかどうか、あえて不明確にしていると思われる。しかし、それでも、「臼杵には守るべき誇りと地域文化があるかどうかということです。これは市民の思い入れの問題です」と述べ、「地方交付税を少し減らされても、知恵と工夫と努力ではね返す覚悟があるかどうかが問題となります」という記述からは、少なくとも、臼杵市の主体性を失うような合併には反対であるという姿勢がみられる。とくに、「地方交付税の減額には耐えられないと考えるならば、合併の道しか残されないでしょう。その場合は、不自由と従属を覚悟しなければならないでしょう」という件には、後藤氏の立場が十分に示されているものと思われる。大分県市町村合併推進要綱が示す市町村合併パターンは、全国の都道府県が示すパターンの中でも最も単純なものである。その大部分は、市町村合併特例法によって認められる市の成立要件の緩和(合併して成立した自治体に限り、人口が3万人以上であれば市となりうる)を前提としている。しかし、合併して成立すると予定される新自治体の状況を概観すると、人口が100000人を超えるのは、大分市と佐賀関町とが合併した場合のみである(100000人を超える人口を抱える別府市のみ、合併のパターンから除外されている)。そのため、前注に示した政府の方針が維持され、推進されるならば、少なくとも地方交付税の配分のみを考慮すれば、さらに大規模な合併パターンを作らなければならなくなる。他の都道府県についても同様である。
なお、地方交付税特別会計借入金とは、名称の通り、国の特別会計に属するものである。石原信夫「地方行政体制の整備に新機軸を」月刊ガバナンス9号(2002年1月号)25頁は、「特別会計が巨額の借金で身動きできない状況にあ」るのに「小規模団体には手厚く傾斜的に配分されて」おり、「それももう限界に来ている」と指摘する。そして、この傾斜配分が「経済膨張期」には上手く機能していたが、現在のような低成長期に不適当であると断じる。
現在、第2次地方分権改革の大きな課題は、地方税財政制度の抜本的な見直しであり、中でも地方税制である。第1次分権改革においても、地方自治体の自主財源の確保・拡充は最大の課題であったが、国税と地方税との税源配分を伴うため、財務省(大蔵省)の反発を招き、法定外目的税の導入など、若干の制度変更に留まった。また、仮に地方税制の改革が行なわれたとしても、主に都道府県レベルでの話であり、市町村税レベルでは急速に進まない。むしろ、ほぼ現状のままと考えてよいであろう。
日本の場合、国の財政は、先進各国の中で突出した赤字であるとともに、地方財政の赤字も例を見ないほどに悪化している。本来であれば、国と地方との間の税源配分について根本的な見直しが必要であり、また、実質上は国庫補助金とそれほど変わらない性質となっている地方交付税制度の見直しが求められるべきである。目下、地方交付税不交付団体が、都道府県では東京都のみであり、市町村でも数えるほどしか存在しないという事実は、日本国憲法制定後に顕著となった都市への人口移動(とくに首都圏への人口の集中化)などの現象を考慮に入れたとしても、異常である(長い間、このことが何か当然のこととして前提とされていたように思われていた節もあるが)。しかも、これまでの制度によれば、自主財源比率が少ない地方自治体ほど手厚く保護されるため、多くの地方自治体の自主性、財政上の管理運営能力などを損なわせてきたという趣旨の批判もなされている。このことにより、市町村の財政も効率的でなくなり、硬直化するという訳である。また、本来、地方自治体によって提供される行政サービスは、地域住民が支払うべき地方税によって担われるべきである。この点からしても、現在の地方財政は非常に歪な形となっている。私は、必ずしも受益者負担論、あるいは応益課税理論に全面的な賛成をする立場を採っていない。厳密に考えるならば、サービスの質や量に正確に対応した負担というものは存在しえない。しかし、理念的には、当然、誰もがサービスに応じた負担をしなければならない。
これとは別に、現在の市町村制度が税源配分を困難にしているという議論もある。石原信夫氏は、地方分権の柱の一つである権限配分に関連して、「今の市町村制度は、比較的力の弱い自治体を基本とした制度として組み立てられてい」るために「大都市や中都市では移譲された事務を担えても、小規模団体では担えないことがはっきりしてしまい、そのことが、改革を困難にした」と指摘し、そのことが「現在焦点になっている国から地方への税源委譲を難しくしている理由のひとつでもある」と述べる(石原・前掲24頁)。権限配分は、事務そのものの配分だけでなく、事務の決定権限の配分を含む。機関委任事務の廃止と、それに伴う自治事務および法定受託事務への再編は、権限配分の問題として捉えることができる。
いずれにせよ、地方分権の本来の課題である自主財源の拡充(税源再配分)は、都道府県レベルはともあれ、市町村レベルにおいては期待できない。また、地方交付税についても、原資の問題からして、増額はありえないということになる。
ここで、2001年7月2日に解散した地方分権推進委員会による諸勧告などを概観しておくこととしよう。ここで打ち出された方向性が、地方分権改革推進会議においても採用されているからであり、大きな変更は期待できないからである。
まず、地方交付税についてであるが、中間報告においては、財政調整としての機能の維持、さらに「地方交付税制度の運用のあり方については、地域の実情に即した地方公共団体の自主的・主体的な財政運営に資する方向で、見直し検討する必要がある」とされていた。そして、第二次勧告においては、地方交付税の算定方法に関して「実施事業量に応じた動態的な算定方法」の活用、および、全体的な算定方法の簡素化が提唱されている。
ここでいう簡素化であるが、「普通交付税の基準財政需要額については、測定単位として用いることが可能な信頼度の高い客観的な統計数値が存するものは、補正係数を用いて算定している財政需要を極力、法律で定める単位費用として算定するとともに、特別交付税についても、できる限り簡明な方法により財政需要を算定していく」とされている。
また、地方交付税の算定については「地方公共団体の意見をより的確に反映するとともに、その過程をより明らかにするため、地方公共団体は地方交付税の算定方法について意見を申し出ることができることとする」などの法律的制度の設置などが提唱されている。
これを受け、第1次地方分権推進計画は、地方交付税の算定方法に関する地方公共団体による意見の申出について「自治大臣は、地方財政審議会に地方交付税に関する事項を付議するに際して当該意見を付すること等の法令に基づく制度を設けること」などを定めている。地方交付税の算定については、地方公共団体の自主的な財政再建や行政改革に向けての努力、さらに市町村合併の取り組みが考慮されるということになる。
一方、2000年10月25日の地方制度調査会「地方分権時代の住民自治制度のあり方及び地方税財源の充実確保に関する答申」は、地方税の拡充に努めることを第一義としながらも、「税源の偏在による財政力の格差を是正するとともに、地方行政の計画的な運営を保障し、地方公共団体が法令等に基づき実施する一定水準の行政を確保するため、地方交付税の所要額を確保することが必要である」としている(これ自体は当然のことである)。また、2000年度から設けられている意見提出制度(地方交付税法による)の趣旨の周知徹底を協調する。
地方交付税の算定については、地方公共団体の意見をより的確に反映するとともに、その過程をより明らかにするために、平成12年度から地方交付税法に基づく意見提出制度が設けられたところであるが、同制度の趣旨の周知徹底に努め、地方公共団体の積極的な活用を促すとともに、その円滑な実施を図るべきである、としている。
基準財政需要額については、「合理的かつ妥当な行政水準の確保のためあるべき標準的な財政需要を測定するものであり、常にその算定のあり方を点検するとともに、地方分権の時代にふさわしい簡素で効率的な行政システムの確立、行財政運営の効率化・合理化の要請を的確に反映させる観点から、算定の一層の合理化を図るべきである」としている。そして、「地方の固有財源である地方交付税の性格を明確にするため、国の一般会計を通すことなく、国税収納金整理資金から、直接、交付税及び譲与税配付金特別会計に繰り入れるようにすべきである」と述べている。
次に、国庫補助負担金である。
中間報告においては、基本的に縮減などの方向で見直すこと、また、統合・メニュー化、交付金化を進めること、補助条件などを緩和すること、補助対象資産の有効活用や転用を図ることが提唱されており、中間とりまとめにおいては、国庫補助負担金の一般財源化(およびそのための一般財源の確保)が示されていた。これを受ける形で、地方分権推進計画においては、基本的には地方公共団体の全額負担を原則として(法定受託事務などについては例外がある)、整理合理化、存続させる場合の運用および関与の改革、地方一般財源の充実確保の三つを柱として見直すことが主張されている。しかし、地方一般財源の充実確保については、具体性に乏しい。次に、整理合理化であるが、廃止・縮減、スクラップ・アンド・ビルド、対象の限定(「生活保護や義務教育等の真に国が義務的に負担を行うべきと考えられる分野」)、経常的国庫負担金の確実な負担、などが示されている。また、存続させる場合の運用および関与の改革については、事前手続の簡素化、交付決定の迅速化・弾力化、二重手続の廃止などの簡素化などが提唱されている。既に措置済みのものも多かったが、手続の簡素化などについて具体的なことには触れられていない。
国庫補助負担金については、おそらく、地方公共団体によって考え方を異にするのではないかと思われる。大分県臼杵市長の後藤國利氏は、「現在の国の補助金制度は、国が口出しをする部分が大きく、自治体の主体性を奪っている。これをやめ、地方交付税に一本化すべきだ」という意見を述べている(朝日新聞1999年6月12日付朝刊大分版13版27面)。しかし、地方公共団体によっては、国庫補助負担金の完全廃止に反対する所もあると思われる。中央省庁の抵抗もあり、改革はほとんど進んでいないが、国庫補助負担金の整理統合が進められるならば、市町村の決定権限に基づく事務処理や政策決定が可能になるが、その分、財源保障がなされないこととなる。そのため、義務教育の遂行などに障害が生じることもありうる。
地方分権は、さしあたり、都道府県への権限委譲であるが、政令指定都市や中核市(その前の段階の特例市)にも多くの権限が委譲される。それだけに、地方分権は、十分な税財源の裏付けがないままに多くの権限が移される、すなわち、任務が増える地方公共団体の行政活動に、一層の効率性を求めることになる。
W.市町村合併と行政能力
既に、行政能力の点について、市町村合併に関する私の考え方が(部分的とは言え)変化していることを述べた。この行政能力という言葉は曖昧で、具体的な意味は論者によって異なりうるのであるが、第一に「法を事実に適用、調和させていくこと」であり「法を現場に適用していく」こと、「法律の趣旨が生きていくように適用していく」ことである(1996年11月、神奈川県が主催した「地方分権シンポジウム」における長野県栄村村長高橋彦芳氏の発言。引用は、保母武彦「農村から問う、『行政能力』とは何か」法学セミナー509号(1997年)104頁による)。第二に、政策なり企画なりの策定能力である。地方分権改革は、少なくとも、これまで地方自治体の任務とされながらも(決定)権限が国に与えられていた事務の多くを、機能分担の考え方に応じて名実ともに地方自治体の事務となるようにすることを意味する。従って、まちづくり、高齢化対策など、市町村が主体性を持って、すなわち、住民の需要に即して自らの判断の下に政策を形成し、決定する能力が求められることとなる(これは、地方自治体の執行機関全体に求められるのみならず、議会にも求められる)。このためには、地方税財政制度の改革との関連において、従来のように国および都道府県からの指示を待つという姿勢ではなく、限られた財を有効に用いることが求められる。
理念的には、北海道ニセコ町、大分県臼杵市、熊本県水俣市、佐賀市などが示すように、市町村の規模と行政能力とは無関係であるはずである。少なくとも、理念的には、大都市だから行政能力が高いとか、人口に応じて行政能力の高低が決定される、ということにはならない。例えば、北海道ニセコ町の場合、2000年12月、自治体の憲法とも称される「ニセコ町まちづくり基本条例」が制定され、2001年4月から施行された。この条例について詳細を述べることは差し控えるが、町長の逢坂誠二氏のイニシアティヴによって制定され、当初から、市長、町役場職員、そして住民代表が、対等の立場で協議するという形で進められ、草案が逢坂氏のホームページで随時公開されていた。このように、制定過程を透明化することにより、住民は勿論、外部からの意見をも積極的に取り入れようとしたのである。このようなことも、行政能力として評価されなければならない側面であろう。度々主張される行政能力の意味を問う上においても、この条例は非常に重要な意義を持つものであり、或る意味においては、政府(地方分権推進委員会などを含む)に対するアンチテーゼとなっていることにも注目したい。
ニセコ町のまちづくり基本条例については、逢坂氏自身が様々な場において語られている。私も、7月7日、独立行政法人経済産業研究所主催の「アクティブ・シティズンズ・フォーラム」において、直接、逢坂氏の講演を拝聴した。また、条例の制定の経緯などについても、逢坂氏、そして制定委員会のメンバーの方から、電子メールなどでうかがうことができた。この条例を含め、逢坂氏の基本姿勢は、逢坂誠二「時代の転換期をどう乗り越えるか」木佐茂男編『地方分権と司法分権』(2001年、日本評論社)2頁に示されているので、参照されたい。
小西氏の議論については既に述べたとおりであるが、ここでは、総務大臣の片山虎之助氏の発言を取り上げよう。片山氏は、朝日新聞のインタヴューに対し、現在の3228市町村の規模や能力に格差がみられることを指摘し、「権限や税財源を委譲するにも、きちんとした仕事のできる能力が必要だ」、「どれだけの規模が必要か明確な基準はないが、福祉や都市計画を市町村で意思決定するには今の規模では小さすぎる」(介護保険を念頭に置いている)、「合併をすれば長期的には財政は効率化される」などと述べている(朝日新聞2001年1月17日付朝刊11版13面による)。
片山氏の発言には、次のような前提がある。地方分権は、さしあたり、都道府県への権限委譲であるが、政令指定都市や中核市(その前の段階の特例市)にも多くの権限が委譲される。それだけに、地方分権は、十分な税財源の裏付けがないままに多くの権限が移される、すなわち、任務が増える地方公共団体の行政活動に、一層の効率性を求めることになる。
これに対し、逢坂氏は、ニセコ町の地方税収入が6億5千万円であるのに対して人件費のみで7億円を必要とすることを認めた上で「専門性をいかに発揮するかが課題となる。強調したいのは、合併だけが解決策でないことだ」と述べる。そして、行財政能力の一面である専門性については、まちづくり基本条例を引き合いに出しつつ、「専門職員がいなくても、人的なネットワークがあれば高度なこともできる。そうした専門性は合併すれば即、備わるというものではない」と述べる。さらに、市町村合併だけが選択肢ではなく、「(自分たちの町という)気持ちを壊さないように財政基盤、効率性、専門性の三つのポイントを確保する方法」を探っていくべきであること、市町村合併については国や都道府県が市町村合併について具体的なシミュレーションを作る必要性を指摘している(片山氏と同じく、朝日新聞2001年1月17日付朝刊11版13面による)。
以前から、私は、逢坂氏の主張に同意している。大分県を見ても、合併することによって行政能力の向上に直ちにつながるとは考えにくい。むしろ、求められているのは、逢坂氏が指摘するように、市町村あるいは都道府県の枠を超えた人的ネットワークである。この他、地方自治体の議会の議員が有する政策形成能力の向上であり、職員採用試験など人事のあり方であり、住民意識の向上である。これらは、むしろ合併によって失われる可能性がないともいえない。たしかに、小規模の市町村の財政規模は小さく、国民健康保険制度や介護保険制度の運営を中心に、苦しい経営を迫られている。しかし、本来、市町村は基礎的な地方公共団体であり、住民と最も密接に関係するものである。財政能力がないと言われることの根本的原因は、自主財源が少ないことにある(法定外普通税や法定外目的税の新設が各地で検討され、一部は実行に移されているが、根本的な解決とは程遠い)。憲法において地方自治が保障されているにもかかわらず、これまで、財源を含め、市町村の自治が十分に保障されてきたとは言い難い部分もある。地方税制度の抜本的な見直しがなされないまま、市町村合併の口実にされるのであるから、議論が逆転していると思われる。また、国民健康保険制度や介護保険制度などについては、本来ならば国が運営すべきものであり、そもそも保険制度を市町村が運営すること自体に無理があるという指摘もなされている〔神野直彦『地方自治体壊滅』(1999年、NTT出版)97頁を参照〕。かような諸制度に対する根本的な見直しがなされないままに市町村合併を進めた場合、短期的にはともあれ、長期的な視点からすれば、地方自治体の行政能力の向上につながるとも思われず、地方自治体の財政事情を改善させるものと考えることもできない。しかし、実際には、やはり、市町村の規模に応じて行政能力が拡大・縮小していくことも否定できない(勿論、一概には言えないという留保を付さなければならない)。例えば、入札制度の改革、電子自治体プロジェクトをあげることができよう。大多数の地方自治体においては、議会を含めて、停滞あるいは沈滞状況が続いている。また、地方税財政制度の根本的な改革が遅々として進まない中、地方自治体の財政の硬直化が進んでいる。これ自体は、地方自治体の規模に無関係である。しかし、地方分権改革によって事務権限(実際に行う権限のみならず、第一次的な決定権限を含む)が地方自治体に移されるため、介護保険など、義務的負担の割合が増大し、硬直化に拍車をかける危険性は非常に高い。のみならず、今後、住民の負担は増えることになる。これを少ないほうに抑えるために、市町村合併という選択肢が存在する。
さて、市町村合併をすることによって、どのように行政能力が向上するのであろうか。
木村陽子氏は、介護保険に関する論考において、「政策を立案し、目標を設定し、実施し、評価し、サービスの質を確保する、またそれが政策に反映されるという一連の動きのなか、自治体は必ずしも行政サービスの実施者になる必要はない。介護・福祉領域でも同じである。自治体は地域の固有のニーズを把握し、それに応じた計画を立て、実施し、サービスの質が確保されているかを見極める目を持つ必要がある」と述べた上で、「したがって、要請される役人の資質も変わる。法律や規則等に応じて事務を実施できるというよりも、企画力や立案能力、現場を見て構造的な問題が把握できるかが問われることとなる」と述べる〔木村陽子「社会保障と地方財政」本間正明・齊藤慎編『地方財政改革―ニュー・パブリック・マネジメント手法の適用―』(2001年、有斐閣)108頁〕。
しかし、これだけでは市町村合併を推進すべき理由とならない。木村氏は、現在3000以上も存在する市町村の大部分が「地域の固有のニーズを把握し、それに応じた計画を立て、実施し、サービスの質が確保されているかを見極める」能力を持っていないということを前提として、次のように述べる。
「市町村の再編は、21世紀の日本の行財政構造を考えるときには、避けて通れないものである。介護保険の実施は、広域的連携を必要とする分野であり、合併を含め、広域的連携の契機となる。3200の市町村の中には、1つの自治体で自己完結的にサービスを実施しようとすると福祉基盤も専門的人材も不足するところが少なくない。このような場合には、近隣の自治体で協力し合う必要があり、現実に広域的連携をしている市町村が多い。広域連合を組んでいるところもあるが、介護認定や施設の共同利用などいくつかの事務に広域的連携が限られていることが大半である。
各都道府県は2000年度末までに合併要綱を作成した。これに関連して実施されたある県における自治体の主張、住民などへのアンケートをみると、生来的に合併の必要を感じているものが多く、その理由としては介護行政の遂行に対する自治体の能力への危惧であった。また、1997年から実施されている、いくつかの市町村が協力して事業を実施する広域連合は、意思決定に時間がかかることも考え合わせると、介護は市町村再編の大きな理由の1つとなる。」(木村・前掲109頁)
たしかに、介護保険制度の根本的な見直しをしない限り、市町村が単独で保険者となって介護保険制度を運用することには無理がある。
しかし、このように書かれているからといって(実際、少なからぬ人がかような意見を述べているが)、法律や規則などの知識が不要であるという訳ではない。むしろ逆で、前提として法律などの知識(さらに言うならば、解釈能力)が求められる。その上での条例制定、規則制定である。残念ながら、これまでの町村については、例外はあるにせよ、法律の解釈能力が十分であるとは言えない。私が、職員採用時の問題を指摘したのは、この行政能力に関係するからである。各都道府県および市町村の行政手続条例などを参照すればわかるが、国の行政手続法をそのまま条文に移し変えたようなものばかりであり、しかもその規定に従った手続がとられていない例も多い。
X.行政改革の一環としての市町村合併
これまで、明治22年と昭和30年代に、大きな市町村合併の波があった。明治時代の大合併は、市町村制施行という要素もあるが、軍籍の管理と小学校の事務の委任などが契機となっており、それまで71314あった町村は、39市と15820町村となった(計15859市町村)。その後も、昭和初期に合併が盛んに行われた。また、昭和30年代の大合併は、シャウプ勧告を経て昭和28年の町村合併促進法に基づいて行われたものであり、日本国憲法において保障された地方自治の強化を建前として、中学校の事務、国民健康保険などの任務が市町村に与えられたことによる。しかし、昭和30年代には主な交通手段が自転車であったが、高度経済成長の影響などもあり、自家用車が主な交通手段となった現在では、生活圏(買い物圏)が拡大していったのに行政の単位は市町村のままであり、生活圏と行政との食い違いが拡大していったと指摘されている(小西・前掲書48頁)。自治省(現在の総務省自治行政局)も「今日、私たちの日常生活圏はますます拡大し、住民が必要とするサービスも多様化・高度化して」おり、「このような時代の要請に適切に対処するためには、市町村の連携による広域行政の展開と並んで、市町村の自主的な合併も有効な方策として考えられ」ると述べている。
ここにも示したとおり、市町村の適正規模ということが、市町村合併に関する議論の際、度々主張される。表現こそ異なるが、多くの主張に共通する点を最大公約数的にあげるならば、第二次世界大戦後の半世紀間に「社会、経済、文化の発展及び交通通信手段」〔園部逸夫・大森政輔編『新行政法辞典』(1999年、ぎょうせい)281頁[上本仁士担当]〕の飛躍的な発達が見られたために、市町村という行政の領域と住民の経済的活動圏との間に著しい食い違いが生じている、ということに尽きる。たしかに、首都圏、近畿圏、そして福岡市周辺などを概観すれば、この点は是認できる。また、大分県においても、大分県市町村合併推進要綱を改めて参照するまでもなく、車社会の到来により、通勤、通学、買い物など、住民の生活行動範囲は、市町村の枠を超えて広がっている。このことが、郊外型大型ショッピングセンターの発展とそれに伴う市街地の空洞化、さらに人口や経済基盤が特定の地域に集中するという現象などを生んでいることは否定できない。また、先進各国、とくにヨーロッパ諸国において公共交通機関(路面電車など)の復権がみられ、大気中の二酸化炭素削減にも効果が現れつつあることからして、日本の道路拡張政策(見方を変えれば自家用車推進政策)は時代に逆行していると考えることもできる(実際、そのような意見がある)。しかし、現実の問題として、経済圏や生活圏の広域化は、とくに九州のようなところであれば、今後も進むものと思われるため、それに対応した形での市町村の広域化もやむをえないであろう。
広域行政とは、都道府県または市町村の区域を超える事柄に関する行政およびその事務である、と定義することができる。本来、地方自治法第2条第5項に規定されているように、広域行政の担い手は都道府県であると考えられる。しかし、とくに過疎地においては、本来的には市町村が担うべき事務であっても、単独では十分になしえない場合も多く、これが広域連合の設立につながった。しかし、広域連合の基本機能は事務処理に過ぎず、国からの権限委譲の受け皿として不十分であるとともに、市町村の持つべき意思決定機能の向上が図られないという指摘がある(小西・前掲論文24頁。小西氏は、広域連合制度が一部事務組合の「ガバナンスの弱さをそのまま引き継いでいる」こと、広域連合の場合は「構成市町村が全員一致でないと決定できない」ことも指摘する)。
広域連合は、地方自治法第291条の2以下によって規定されるものであり、国から委譲された事務ないし権限の受け皿として創設されたものである。しかし、これは複数の市町村によって設けられる一種の組合であり、扱う事務の範囲などについて規約を定めなければならない(同第291条の4第4号。そのため、広域連合が扱う事務は、規約に定められたものに限定される)。また、広域連合の議会の議員は、住民による直接選挙または構成市町村議会における選挙(住民による直接投票ではないため、間接選挙である)で選任されることとなっているが(同第291条の5を参照)、実際には間接選挙の場合が多いといわれる。この組織では、住民の意思を適切に反映しにくく、時間もかかり、責任の所在も不明確になりやすい。各市町村に管理部門が残されることから、間接経費もかかる〔高島茂樹「平成の市町村大合併の理念と展望―自己改革による真の地方分権の実現―」市町村合併問題研究会編『全国市町村合併地図』(2001年、ぎょうせい)14頁〕。そうであれば、合併して一つの市(町村)となったほうが、住民自治を促進しやすい訳である。
地方分権推進委員会の第1次勧告(平成8年12月20日)においても、地方分権を推進するためには市町村の行財政能力を充実・強化することが必要であるという前提を述べた上で、市町村合併の強力な推進を提言している。勿論、広域行政として、一部事務組合、広域市町村圏、広域連合などを推進すべきこともあげられている。しかし、解釈の仕方にもよるが、この時点で、地方分権のためには市町村の行財政能力を強化することが必要であり、そのためには市町村の自主的な合併こそ最も相応しい、という論理が、地方分権推進委員会、さらに内閣や自治省をはじめとする政府の主導的方向性となったと思われる。
そして、閣議決定である地方分権推進計画(平成10年5月29日)においては「地方公共団体の行政体制の整備・確立」として、「行政改革」、「地方議会の活性化」、「住民参加の拡大・多様化」などとともに「市町村合併等の推進」が掲げられ、広域行政などの推進も示されているものの、最終的に市町村合併推進を目標とするかのような構成が取られるに至っている。
地方分権推進改革において、多くの都道府県および市町村が望んできた地方税財政基盤の強化、とりわけ地方税を軸とする自主財源の強化について、ほとんど手がつけられていないと評価してもよい状態であった。何よりも、実際の事務量からすれば国と地方との比はおよそ1対2であるのに対し、税収入の比は2対1であるという逆転現象が生じていた。しかし、国の財政状況も非常に悪く、従来のように各地方公共団体に十分な量の地方交付税を配分しえなくなるような状況も見えている。また、財政再建団体に転落し、または転落寸前の状態にまで至った地方公共団体が多くなったとは言え、その実態として無駄の多い行政活動・財政支出が原因であるという部分も多く、情報公開、さらに行政改革を求める世論が高まった。国民健康保険制度の運営における杜撰さ、さらに介護保険が、市町村行政の改革を求める声に拍車をかけたという部分も否定できない。
市町村合併論者は、多くの場合、行政の効率性を最大のメリットとしてあげる。その際、注目されるのが市町村職員数および人件費である。ここでは、吉村弘氏の議論を、やや単純化して紹介しておく。
吉村氏によると、市町村職員数は、人口の少ない市町村ほど、人口1000人あたりの職員数が増加する。そして、大都市圏、地方圏とも、人口あたり1000人あたりの職員数の最小値は人口32万から33万の市において得られる〔吉村弘『最適都市規模と市町村合併』(1999年、東洋経済新報社)43頁。なお、詳細な分析は同書17頁以下を参照〕。従って、あらかじめ、市町村の規模に応じた標準職員数を想定しておいた上で、小規模の市町村が合併するならば、余剰の職員が生じることになるから、職員削減数が明確になるということになる。また、人件費については、人口あたり人件費の最小値が人口27万から29万の市において得られる(吉村・前掲80頁。なお、詳細な分析は同書69頁以下を参照)。この分析から得られる結論は、効率性という観点からすれば、人口が30万人前後の市が最も適切であるということになる。そのため、町または村においては行政の効率性が発揮されないということになる。
たしかに、人口という点のみで判断するならば、人口の少ない町村ほど、人口1000人あたりの公務員数は多くなる傾向が見られる。勿論、これはあくまでも割合の話であって、実数ではない。しかし、割合が多いということは、その分、他の産業に就く人口が少ないということでもあるし、国、都道府県および市町村の予算に占める義務的経費(この場合は公務員の人件費)が歳出の大部分を占め、その割合が上昇することもある。
逆に、政令指定都市のような大規模のところでも、人口1000人あたりの公務員数は多くなる。行政経費も増大する。
但し、これまでなされてきた市町村の適正規模を巡る議論は、人口にのみ注目するものが多く、面積との関係を重視したものは、寡聞にして知らない。
この他に、目に見えるメリットはあるのであろうか。小西氏は、市町村合併の前後で住民の税負担がそれほど変わらないことを指摘しつつ、税外負担については異なると主張する。氏によれば、水道料などの公共料金や介護保険料などに自治体間格差があり、市町村合併によってこれらの負担が最も低い(合併前の)市町村の水準に設定される可能性があるという(小西・前掲書203頁を参照)。すなわち、市町村合併によって、その対象とされる複数の市町村のうち、住民の負担は最も低いレベルに、サービスは最も高いレベルに設定される可能性がある訳である。実際、日本経済新聞2001年1月15日付朝刊「地域総合」の欄において紹介されている、浦和市、与野市、大宮市の三市が合併して誕生する「さいたま市」をみると、ごみの収集手数料について、与野市だけが有料であったが、合併後は無料化されるという。しかし、ごみの分別収集については、具体的な分類や収集方法などが異なることもあり、一本化されないという。
しかし、これについては、地方税財政制度の観点からみても疑問が残る。例えば、地方税法第701条の30に規定される事業所税である。これは、政令指定都市、中核市、特例市などが課税権を持つものである(この要件に合致する市は課税しなければならない)。仮に、中核市のA市とB町とが合併する場合、B町の領域には新たに事業所税が課せられることとなる。実際にどの程度の事業所がこの税の負担を負うことになるかは不明であるが、事業所税非課税市や町村に事業所を置く企業にとっては税負担の増加を意味することになる。
また、市町村税の代表的存在である固定資産税と同時に課される都市計画税の負担が課される可能性もある。都市計画税は、地方税法第702条第1項により、「都市計画法に基づいて行う都市計画事業又は土地区画整理事業に要する費用に充てるため」に市町村が課すことのできる目的税である。事業所税と異なり、この税を課しうる市町村は限定されていないが、条文に定められている目的を考慮すれば、小規模の市町村が賦課する意味は乏しい。逆に、市町村合併によって規模を拡大するならば、都市計画税を賦課する意味が増すことにもなる〔都市計画税の問題については多くの文献があるが、さしあたり、森稔樹「地方目的税の法的課題」日税研論集第46号『地方税の法的課題』(2001年、日本税務研究センター)295頁を参照〕。
もっとも、小規模市町村の場合、前述のように自主財源比率および財政力は、通常、極端に低い(弱い)。このため、歳入の多くを地方交付税や国庫補助負担金、そして地方債に頼らざるをえないという状態となっている。これは、先ほども述べたように、地域住民の負担と受益が釣り合っていないことを意味する。
この節の最後に、行政改革とは直接の関係を持たないかもしれないが、大分県でも深刻な過疎化について、再び触れておきたい。 以前から、私は、市町村合併とそれに伴う大規模化が過疎化への適切な対応と言えない、少なくとも過疎化対策の決め手にはならない、という主張を繰り返している。この点については、いくつかの実証的研究がある。例えば、多田憲一郎氏は、京都府伊根町、および岡山県の中山間過疎地帯である川上村、八束村および新庄村を例として、市町村合併の問題を検討している。また、早川鉦二氏は、岡山市の合併の経緯を紹介した上で旧西大寺市の領域に焦点を当て、この地域の経済的な地盤沈下などの実態を検証する。多田氏の研究として、次のものがある。
「過疎地域市町村の行財政構造と地域政策―京都府与謝郡伊根町を事例として―」京都大学経済学会経済論叢別冊・調査と研究第7号(1994年)65頁
「中山間過疎地域における広域合併問題と地方行財政システム―『地域特性』および住民組織の役割との関連を中心に―」日本地方財政学会編『環境と開発の地方財政』(2001年、勁草書房)179頁
前者の論文は、重森暁「柔らかい地方分権への税財政改革」自治体問題研究所編『解説と資料 地方分権の焦点』(1996年、自治体研究社)82頁において引用されている。
早川氏の研究として、『市町村合併を考える』(2001年、開文社出版)がある。同書においては、鹿児島市と旧谷山市(1967年、鹿児島市と合併)の事例との比較も行われている。
これに対し、総務省自治行政局行政体制整備室長の高島茂樹氏は、人口動態の変化に着目し、「行政に対する影響という観点から評価するならば『税金を負担する人が減り、逆に税金を使う人が増える』ということになる」とした上で、「市町村の規模が大きくなれば、固定経費の負担が軽減され、住民の薄く広い負担により、割安なサービスが可能となる」として、市町村合併こそ過疎対策の有効な手段である旨を主張する(高島・前掲8頁)。また、多田氏が京都府伊根町について指摘する周辺地域の問題について、高島氏は「現在の市町村体制において、役場付近の中心地域に比べ、周辺地域の住民の方々が行政サービスを受けるに当たって不利益を受けているということは聞いたことがない」と述べ、その上で、「自分の住んでいる地域に施設がなければ満足できないという固定観念を捨てることができれば、むしろ合併により広域的なまちづくりが可能になり、周辺地域を含めて住民サービスの向上につながることが多い。地方分権時代の到来で、条件不利地域など周辺地域においては、合併しない方が逆に格差が拡大するものと思われる」と断定する(高島・前掲9頁)。この主張も当然成立しうるのであるが、全く実証的な例が示されていない。今後、国、都道府県、そして市町村合併を推進しようとする当事者たる市町村は、過疎化対策としての市町村合併の効果を、具体的な例に基づきつつ、数値を用いてわかりやすい形で住民に示さなければならないであろう。これまで、国による過疎化対策は、根本的な解決策を見出しうるようなものでなかった。それに、今回の市町村合併について、地方分権推進委員会も総務省自治行政局も、過疎化問題の深刻化を解決することを目的としてあげていなかった。
このように考えると、過疎化は市町村合併によって表面上(あるいは計算上)、隠避されるにすぎない(先送りと評価してもよい)。市町村合併論者の主張をみても、この問題に対する真剣な回答はみられない(と言うより、回答を避けているように思われる)。
もう少し丁寧に述べよう。私の知る限りではあるが、1963年に大野郡大野町から一部が編入された安藤地区など、過疎化地域(厳密な意味においてではないかもしれない)が見られる。従来の市内過疎化地域については、今後の宅地地域の拡大によっては、部分的には解決するかもしれない。しかし、今後、市町村合併がさらに推進されるとするならば、過疎化町村が中核市などに合併されることが予想される。その場合、過疎化町村の消滅に伴ってそれらの地方公共団体の財政問題などは解決されるが、それらを抱え込んだ地方公共団体の側は、一層の過疎化対策(地域振興策)を迫られることになるであろう。また、広域化・大規模化に伴って財政規模が拡大することにもなり、財政の合理化が緊急課題ともなる(このことは、過疎化地域ではないが極端な財政赤字を抱え込む地方公共団体の合併についても、基本的に妥当するものと思われる)。そうなれば、大規模化した市町村は、板挟み状態となるであろう。
Y.おわりに
以前から考えていて、少々論文などでも記していることを、ここでより詳しく書いておく。昨今の地方分権改革や市町村合併などの議論を概観すると、本当の住民自治が忘れられているように思える。近隣市町村の住民が合併を望むのであればそれでよいが、無理に市の領域を拡大しても、上手くいくとは思えない。首長や議員などの身分などが問題なのではない。体裁なども問題ではない。合併するか否かは住民が決定することである。市町村合併は、住民が真に暮らしやすい地域を作るための一手段、しかも一選択肢にすぎない。行政の効率化も重要であるが、それは人口規模だけで測れるものではなく、住民の生活を支配すべきものでもない。地域のことは、地域の住民こそが最善の選択をなしうるのである。
その上で、市町村合併を考えるべきである。市町村の領域が拡大すれば、たしかに、住民の声は届きにくくなる。直接請求の件数などがこのことを例証している。しかし、これは、市町村合併の結果ではなく、単にこれまでの行政スタイルの結果であるにすぎない。地域住民が、福祉、教育などの行政サービスと費用(負担)とのバランスなどを考慮し、合併を選択すべきであると考えるのであれば、積極的に市町村へ働きかけるべきである。市町村合併特例法の失効は3年後に迫っている。法定協議会のことなどを考えると、残された時間はわずかである。地方交付税や国庫補助負担金などが削減され、しかも優先順位をつけられる以上、現在のままで小規模市町村が生き残れるという保証はどこにもない。市町村合併によって住民の生活が急激に改善される訳ではないが、長期的な視野に立って地域を考えなければならない。また、合併の方向が採られるのであれば、住民も、新しい地方自治体作りに向けて、積極的に発言していかなければならない。
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