第二章  オンブズマン制度についての一般的考察

 

 (1)はじめに

 周知のように、オンブズマン制度は1809年にスウェーデンにおいて誕生した。20世紀に入り、1919年にフィンランド、そして第二次世界大戦後、52年にノルウェー(軍事オンブズマン)、55年にデンマーク、57年にドイツ連邦共和国(軍事オンブズマン)、62年 にニュージーランドで、オンブズマン制度が採用され、その後もオンブズマン制度を導入する国、または導入を検討する国が増えている。日本も例外ではなく、1980年、行政管理庁(現総務庁)内に設置された「オンブズマン制度研究会」が調査研究を開始しており、若干の地方公共団体において類似制度が採用されている(8)

 本稿は、先に記したところから明らかであると思われるが、諸外国のオンブズマン制度を論ずることを目的としていない。しかし、オンブズマン制度についての一般的考察は重要である。このことは、「市民と市政の信頼の確立のために――川崎市市民オンブズマン制度についての提言――」(9) (以下、「提言」と略記)がオンブズマン制度の「概要」について触れていることからもわかることであり、川崎市市民オンブズマン条例の検討の前提として要求されるものである。本章では、オンブズマン制度の種類、性質、問題点などを総合的に考察する。なお、本稿の目的より、諸外国の制度、わが国の中央レヴェルでの制度導入論議、および川崎市以外の地方公共団体の動向の詳細については、他の研究に委ねることを諒承されたい。

 (2)オンブズマンの定義

 現代スウェーデン語において、ombudsmanという単語は、代理人、弁護士などの意味をも有する普通名詞である。この語は、現在、そのまま英語にも取り入れられている。ドイツ連邦共和国ではラインラント・プファルツ州のみが一般オンブズマン制度を採用するが、オンブズマンの名称はBuergerbeauftragte(10) であり、連邦の軍事オンブズマンはWehrbeauftragte des Bundestagesと称する。歴史的には、中世ゲルマン法において、不法行為者から、被害者に代わって贖罪金(Busse)や人命金(Wergeld(11) を取り立てる、中立的な代理人を指した。この意味で、Beauftragteというドイツ語は適訳である。ただ、日本語に訳す際、制度としてのオンブズマンを表す良い語がない。例えば、「護民官」とすることもできようが、古代ローマ共和政期のtribuni plebusとは異なるものであり、適切ではない。「監察官」や「市民補佐官」などの語も、オンブズマンという単語の本来の意味を表していないし、そもそも制度の歴史的由来を切り捨てることにつながる。「提言」も「制度の名称」について触れているが、日本語にも定着したオンブズマンの語をそのまま用いるのが無難であろう。

 それでは、我々が現在問題にしているところのオンブズマンとは何であろうか。

 各国において採用されるオンブズマン制度は、スウェーデンやデンマークの制度を手本とするが、各国の事情により様々な修正・変更が加えられており、内容は多様である。時には単なる苦情処理制度までオンブズマン制度に含められることすらある(12)

 このような中で、1974年、国際法曹委員会(International Bar Association)オンブズマン委員会は、オンブズマンの定義を定めた。1980年に修正された定義は以下のようなものである。

 「憲法または立法府もしくは議会の議決によって定められ、立法府または議会に責任を負い、行政機関、官公吏または、雇人からの苦情に基づいて、または職権で調査し、是正措置を勧告し、報告を行う権限を有する、独立の高い地位の、官公吏を長とする職であること」

 設置の目的は、「国、州、県および地方政府の段階において、官公吏および行政機関による人権の侵害から人びとを保護する」(13) ことにある。

 この定義には、国民(住民)の苦情申立てが欠落しているが、オンブズマンの最も基本的な特徴は、立法府の代理人として、官公吏ないし行政機関を監視することにある。これは多くの国の制度に見られる特徴であり、スウェーデンが世界で最初にオンブズマン制度を採用した理由である。現在では、多くの国のオンブズマン制度が一般市民の苦情処理を任務とするが、これも行政監視の一環であることには変わりはない(14)

 また、右の定義から、オンブズマンは第三者的機関として設置され、活動しなくてはならないこととなろう。

 そこで、以下では、右の定義に従いつつ、検討を進めることとする。

 (3)オンブズマン制度導入の背景

 オンブズマン制度が導入されるにあたっては、当然ながらそれを必要とする社会状況が存在する。近代市民国家像の重大要素である三権分立構造が正常に機能するならば、そもそもオンブズマン制度は不要であるはずなのである。しかし、スウェーデンとフィンランドを別として、第二次世界大戦後にデンマークを嚆矢として世界各国(とくに英米法系の国々が目立つ)がオンブズマン制度を導入しているという現実は、少なくとも右の国家像が変質したことを物語っている。

 ドイツの社会主義者ラサール(Ferdinand Johann Gottlieb Lassalle, 1825〜64)により「夜警国家」Nachtwaechterstaat)と皮肉られた近代市民国家は、「第四階級」たる労働者階級の台頭、そして彼らを体制内に取り込む必要性から、質的変換の道を歩まざるをえなくなり、国家機能を拡大させていった。当初は、例えば19世紀後半のドイツ帝国で施行された社会立法(「健康、労災、傷病および老齢保険法」の制定など)のような福祉的政策という形をとった。既にここに見られるように、資本主義が高度に発達することにより、資本家階級と労働者階級の対立、新中間階層の台頭がもたらされ、社会的諸利益は分化・対立するに至って、「予定調和的自律性」は失われる。もはや、近代市民国家像は崩壊しつつあった。これは、選挙権の拡大および政党の組織的強化として具現化し、立法権の相対的低下と行政権の相対的上昇をもたらす結果となった。これが「行政国家」現象である(15)。行政権は、量的にも活動範囲が拡大し、質的にも、第一に個別的具体的な問題への必要性が生じ、第二に専門的技術的知識とともに実質的に立法過程に参与する必要性が生じ、第三に政策執行によって現実の国民生活を直接的具体的に制御しうるようになる、という変化が生じた。このような行政国家現象の動向に決定的であったのが1929年の大恐慌であった、と私は考える。実際、かのヴァイマール共和国においては、1930年前後から議会が機能不全を起こし、「大統領の独裁」、さらに総統(Fuehrer)の独裁につながるのである。

 行政国家現象は、司法権との関係でも問題となる。社会の複雑化と立法権の相対的低下により、本来なら行政権の活動を拘束すべき法律が、社会の諸現象に対応するために抽象的かつ一般的に、しかも詳細な規定を設けることは困難となり、行政立法や行政権の裁量に委ねなくてはならなくなる。とくに後者については、羈束裁量を別として、自由裁量に対して司法権は原則として判断を下すことができない。裁量権の逸脱・濫用がある場合には違法との判断を下しうるとしても、その範囲は狭く限定されざるをえない。しかも羈束裁量と自由裁量の区別が相対化しつつある今日、司法権による事後統制の幅は一層狭くならざるをえないであろう。さらに、仮に司法権の事後統制に行政権が服する場合にあるとしても、行政権に関する苦情ないし紛争が増大し、司法権による救済を得るためには「金とヒマ」を要する状況の下で、国民に対する事後的救済では不十分なのである。

 近代市民国家像において、国民の権利を最終的に保障するのは司法権である、とされている。だが、司法権の内在的限界は、行政権の肥大化という過程を、いわば裏から援護していると言ってもあながち不当ではないであろう。行政権の自由裁量に対して司法権が原則として介入しえないことの他、日本を例とするならば、行政事件訴訟法第9条で問題となる「訴えの利益(広義)」、同第14条に規定される出訴期間、裁判所法第3条第1項にあげられる「法律上の争訟」という要件など、これらの諸制約の下では、国民は行政権に対して十分に権利・利益を保持しえない、という状況が現出し、発展してゆく。行政権の活動範囲が広範になるにつれて、行政権に対する国民からの苦情なども多くなるが、司法権によって救済されない事実も増え、何らかの新しい手段が求められることとなる。

 右に述べた問題は、デンマーク、ニュージーランド、ハワイ州、フランスなど、第二次世界大戦後にオンブズマン制度を導入した国(または州、地方公共団体)の、まさに導入理由となっているのである。わが国の総務庁(旧行政管理庁)行政監察局および行政相談委員制度も、根本的には右の理由に基づいて設置されたものと見てよく(16)、中央レヴェルでのオンブズマン制度導入論議も同様であろう(17)(但し、当初は後述するような問題が存在したが)。

 以上を要約するならば、オンブズマン制度導入の最大の理由は、各国で見られた行政国家現象に対する対抗策ないし抑制策の一つであった、と考えられるのである。

 但し、スウェーデンの場合は導入理由が異なることに注意せねばならない。

 既に1713年、「最高検察官」が国王により任命され、当時北方戦争(170021年)のためトルコにおいて本国を統治した国王に代わり、国王の名において職務を遂行する管理の法令遵守および職務の適正な遂行を確保し監督する任務を行なっていた。その後、最高検察官は法務総裁と名称を変更し、現在まで存続する。1809年、スウェーデンはロシアに敗れフィンランドを失い、絶対王政は最終的に排除される。同年の新憲法により、議会の任命によるオンブズマンが設置される。

 スウェーデンにオンブズマン制度が導入された理由は、同国の特殊な状況である。それは、@大臣が法律的・政治的に、行政権の担当者たる公務員、スタッフが執行する行政内容について一切責任を負わない、実際に行政を執行する行政機関は独立性を有する。A公務員は裁判官と同様に強い独立性を有する。Bスウェーデン憲法第90(18)により、議会の国政調査権が禁じられている。つまり、同国の法制度のもとでは、議会による行政権の統制は最初から不十分なものとならざるを得ないのである。

 なお、スウェーデンのオンブズマン制度で最も特徴的であると思われる点は、その管轄範囲に裁判所が含まれることであろう(19)。これは、歴史的に国王が最高裁判官かつ最高行政執行官であったことに由来するようである。もっとも、司法権独立の原則に抵触しないよう、オンブズマンは「裁判所の法の適用や証拠の評価の仕方、意思決定過程には一切関与」(20) せず、適法に裁判がなされているか否かということのみを監察対象とするのである。

 (4)一般オンブズマンと特殊オンブズマン

 スウェーデンを嚆矢とするオンブズマン制度は、普通、広く行政一般を管轄範囲とするものであり、これを「一般オンブズマン」制度と称する。右の国際法曹協会の定義は、一般オンブズマン制度を予定したものである。

 これに対し、ある特定の行政分野や私法分野のみを管轄範囲とするオンブズマン制度も存在する。「特殊オンブズマン制度」と称されるものであり、正確には右の定義に合致しないとはいえ、オンブズマンの一種と考えられるのが一般である。代表例としてはドイツ連邦共和国のWehrbeauftragteをあげることができよう。スウェーデンの場合は、一般オンブズマン(21)に対する苦情申立件数が増大するとともにそれらを一般オンブズマンのみでは処理しきれなくなったことから特殊オンブズマン制度が生まれた。現在、公正取引オンブズマン、プレスオンブズマン、機会均等オンブズマン、消費者オンブズマンが存在し、特定の行政分野や私法分野で活動する。この種のオンブズマン制度は、イギリス、カナダ、オーストラリアなどの国々に、様々な分野において設置されている。東京都中野区が1990年10月1日に発足させた「福祉オンブズマン」(正式には「福祉サービス苦情調整委員」)制度も、特殊オンブズマン制度に含まれる。

 (5)オンブズマンの類型について

 世界各国に普及しつつあるオンブズマン制度は、前述のように国(または州、地方公共団体)によって内容を異にするのであるが、オンブズマンの位置づけなど現象形態に即して、または機能的側面に即して、類型化することが可能であり、理解にも有用ではある。まず、類型化の第一の方法(22)は、(a)スウェーデン型、(b)デンマーク型、(c)イギリス型、(d)アメリカ型、という分類である。

 (a)は、前述したスウェーデンの特殊な状況および導入理由から、司法権をも管轄範囲に含み、自ら公務員に対する懲戒権を有し、刑事訴追権を有するところに特徴がある。

 (b)は、大臣責任制をとり、行政組織が階層的に構成される国で、大臣も政策執行に関してオンブズマンの管轄に服する形態である。この型は、後に多くの国でもモデルとされている。なお、(a)も(b)も、オンブズマンを議会の附属機関として設けるものである。

 (c)は、オンブズマン(イギリスではPerliamentary Commissioner for Administrationと称する)を議会の附属機関とするが、苦情申立人は下院議員を通じて苦情を申し立てなくてはならない。オンブズマンの調査結果も下院議員に回答される。いわゆる間接申立制度であり、オンブズマンは一般市民と直接接触しないことが特徴である。オンブズマンは職権調査も行ないえない。イギリスの他に英米法系の国でこの型を採用する例はなく(イギリス領北アイルランドを除く)、フランスのMediaturも間接申立制度を採用するが、閣僚会議の議を経た政府決定によって任命される(23)

 (d)は、これまでの型とは異なり、オンブズマンは行政府の首長によって任命され、市民の苦情処理を主な任務とするものである。任命方式は、立法府(議会)が推薦または多数決の形で関与する場合(例、カナダ・アルバータ州およびケベック州)とそうでない場合とがある。

 第二の方法は「議会型オンブズマン」と「行政型オンブズマン」という分類である(24)

 議会型オンブズマンとは、議会によって任命され、職権行使の独立性を保障されたオンブズマンをいい、右の第一の類型化方法では(a)(b)(c)が含まれることとなろう。議会型オンブズマンの目的は、行政における官僚主義の是正と行政過程の適正性の保障にあるとされる。

 これに対し、行政型オンブズマンとは、行政府の長(知事、市長など)によって任命され、行政府の長の権限を背景に有するオンブズマンをいい、右の第一の類型化方法では(d)に相当する。目的は大量の苦情を迅速に処理することにあり、その意味では首長の権威を背景に、苦情に対して迅速かつ直接的に対応しうるが、根本的な改革や徹底調査を行ないえないとされる。また、オンブズマンの独立性・公正性にも懸念が表明される(25)

 そして第三の方法は、「行政監察型オンブズマン」と「苦情処理型オンブズマン」という分類である(26)

 行政監察型オンブズマンとは、「特定の機関が独立の権限に基づき、行政活動のさまざまな部面を定期または不定期に監察し、関係機関に適宜勧告を行ない、その運営または機構の改善方法を示すことによって行政事務の能率的で適法・適正な執行を確保することを目的とする」(27)ものである。この型のオンブズマンは、行政国家化現象により議会の行政監視能力が低下したために、議会の代理人として行政を監視するために設けられた(28)、と説明される。

 苦情処理型オンブズマンとは、簡易迅速な苦情処理と「行政一般のサーヴィスの拡充を目的と」するものであり、行政権の拡大強化や官僚制の肥大化によって生ずる国民の権利自由への侵害が、既存の不服申立期間(例えば裁判所)によって十全に救済されえなくなったこと、官僚制の有する様々な弊害を是正する必要があること、これらに対処するために設けられた、とされる。

 以上、必要と思われる三種の類型化方法を紹介したが、このほかにも類型化方法が存在する。また、これらはいずれも他の方法を排斥するものではなく、むしろ「角度」の相違によるものと見てよい。一般的に、行政監察型オンブズマンは議会型オンブズマンに、苦情処理型オンブズマンは行政型オンブズマンに結びつけられて考えられているようであるが、実際には、例えばスウェーデンの場合は議会型オンブズマンであり、当初は行政監察型オンブズマンとして機能したが、現在では苦情処理型オンブズマンとして機能する場合が多いのである(29)

 このように見るならば、類型化は理解の便宜としては有用であるが、絶対的基準を示すものではない。とりわけ、行政監察型オンブズマンか苦情処理型オンブズマンかという区別については、両者が接近ないし融合する傾向が見られ、むしろ両者のいずれにより重点が置かれるかが問題となろう。苦情処理型オンブズマンといえども、「その場限りの」苦情処理のみを行なうものは別としても、苦情処理を通じて間接的に行政を監視することも可能であり、実質的にはそのような機能を有するのである。逆に、行政監察型オンブズマンも、彼自身の行政に対する監視のみでは不十分とならざるをえず、一般国民(住民)からの苦情申立てによってさらに職務遂行が容易となるであろう。このことは、行政が国民生活への関与を深めれば深めるほど妥当すると考えられる。現に、両者を意識的に融合した制度が存在するのである。わが国の総務庁行政監察局および行政相談委員制度(言うまでもなく、正規のオンブズマン制度ではないが)などがこの融合型にあたるとされる(30)

 そのため私は、以上の三種の分類法はいずれをも用いることが可能であり、特定のオンブズマン制度を分析する際、前記三種の分類法を総合的に援用することにより、正しく理解することが可能である、と考える。

 むしろ我々は、オンブズマン制度に共通してみられる特徴を、制度を理解する前提として把握しておかなくてはならない。

 第一章でも述べたが、オンブズマン制度の特徴とは、オンブズマンの地位ないし職権公使に独立性が与えられていること、一般国民(または住民)からの苦情申立てまたは職権に基づき、行政に対して是正などの勧告または意見表明をするに止まり、具体的に行政行為をオンブズマン自身が職権によって取り消したり、担当部局に変わってオンブズマン自ら是正措置をとるというような法的権限は予定されていないし、与えられてもいない(前記国際法曹協会の定義を参照していただきたい)。オンブズマンのなした勧告または意見表明は、行政(より具体的には、問題とされる担当部局)に対して法的拘束力を有せず、オンブズマン自身の権威(制度的でもあろうが、多分に人的なものである)と、行政側の協力によって実質的効力を担保される。これこそがオンブズマン制度の存立基盤でもある。

 (6)オンブズマン制度と汚職防止

 オンブズマン制度は、現代の社会状況のまさに申し子的存在である。語の起源、オンブズマンの人的権威という点においては、「前近代的な要素を持つ制度」(31)であるが、近代市民国家像を修正しつつも基本的にこれを継承する現代の法制度の欠陥を補う役割を、オンブズマンが担っていることは否定できない。

 わが国においてオンブズマン制度に関する議論が活発になったのも、右の状況と無関係ではない。1986年6月20日の総務庁「オンブズマン制度研究会報告」書(32)においても司法救済の内在的制約、行政不服審査制度の制約などの問題点が指摘されている。また、総務庁行政監察局自体が職務遂行に関する内閣からの独立性を有していないなど、行政組織上の問題点も存在する。

 地方公共団体が行なっている苦情処理制度についても、個別的事案の解決のみに重点を置いていること、民事紛争と行政紛争とが複雑に絡んだ場合に「行政不介入の原則」のために解決困難となる場合があること、相談業務は総合化するものの連携を欠いて「たらい回し」が生ずること、行政の内部組織が苦情処理を扱うことから行政の根本的改善が図りえないおそれがあることが指摘される(33)

 こうした既存の制度の短所を補い、長所を生かすため、国または各地方公共団体がオンブズマン制度導入を検討している。要するに既存制度の補完的存在としてオンブズマン制度導入を検討している。要するに既存制度の補完的存在としてオンブズマン制度を導入しようとする議論なのである。本稿の主題である川崎市の場合も、「提言」は、「オンブズマン制度は、これら既存の制度・手続では適切に処理することが困難な苦情に的確に対応するために設置される。オンブズマンがこうした機能を発揮すれば、既存制度との間に適切な機能分担が実現し、それぞれの制度の長所が活かされ、活性化していくと期待される。既存制度の補完と活性化も、本市においてオンブズマンを導入する一つの目的である」(34) と述べている。

 以上は現在のオンブズマン制度への関心の所在を示したものである。しかし、わが国において本格的にオンブズマン制度導入が論議されはじめた時点においては、異なる方向の関心も存在していた。

 すなわち、わが国においてオンブズマン制度が世間の耳目を集めるようになったのは、いわゆるロッキード疑惑以降であり、公明党や共産党をはじめとする野党が1970年代後半、汚職事件防止、行政監視を目的とするオンブズマン制度導入を主張した。自民党は当初オンブズマン制度導入に否定的であったが、1979年、当時の大平正芳内閣総理大臣が「航空機疑惑問題等の防止対策に関する協議会」という私的諮問機関を創設し、同年9月には右協議会が、日本の風土に合うオンブズマン制度を導入する必要を提示したのである。

 既に指摘されているように、わが国におけるオンブズマン制度導入論議は、当初は多分に政治的であった(35)。汚職防止に役立たせようとする主張、その後野党側から積極的な中央レヴェルでのオンブズマン制度導入の提案がなされていないことがこれを示している。しかし、本来のオンブズマン制度が如何に行政の監視を目的とするものであっても(36)、「どこの国にあっても政治家の腐敗までには手が出せない」(37)のである。国会議員が汚職事件に関与したとき、オンブズマンは監視の対象としてこの議員に辞職勧告をなしうるのであろうか。そうではあるまい。むしろ汚職防止、さらに一般的な腐敗防止は、政治構造の問題であろう。本来ならば汚職事件の摘発という職務は検察や警察の役割であるが、その職務をオンブズマンに担わせることは、日本の法制度上問題があるばかりでなく、オンブズマン自身が政治的存在となり、その存在意義に直截に反する。一つの政権が長期化するならば、成立当時の思想・イデオロギー・理念・政策がいかなるものであれ、腐敗が必然的に生ずることは、歴史を繙けば多くの例によって明らかである。わが国においても、行政の監視は絶えずなされなければならないが、政治家の腐敗防止は、(必ずしも決定的なものとは言い難いが)政権交代、国民意識の向上さらに野党の政策立案能力の向上などの手段による以外にないと考えられるのである。

 オンブズマン制度は、あくまでも日常の行政への監視ないし行政に対する苦情の受付・解決こそを職務の内容とするものであり、政治の是正を目的とするものでないことに注意しなければならない。

 (8) 進藤英雄「苦情処理とオンブズマン」関哲夫編著『自治体の法務と争訟』139頁を参照。

 (9) これは独立した刊行物として発行されたが、川崎市市民オンブズマン事務局編『川崎市市民オンブズマンハンドブック』(以下、便宜上『ハンドブック』と略記)98頁以下、前川・前掲書54頁にも収録されている。

 10) Vgl. Creifelds Rechtsworterbuch, herausgegeben von Lutz Meyer-Gossner, 10. Auflage, S. 822.この名称は川崎市の「市民オンブズマン」を連想させるが、川崎市民オンブズマン事務局での取材において質問したところ、名称に関しては「偶然の一致」ということであった。

 (11) 園部・前掲書11頁のいう「賠償金」、平松毅「オンブズマン制度」『現代行政法大系3』305頁‐のいう「補償金」は、贖罪金および人命金を指すのであろう。村上淳一『「権利のための闘争」を読む』62頁・74頁を参照。なお、本文の括弧内のドイツ語は、Heinrich Mitteis / Heinz Lieberich, Deutsche Rechtsgeschichte, 19. Auflage, S.24による。

 (12) The New Encyclopadia Britannica, Volume 8, Miclopadia, Ready Reference, 15th. Edition, p. 946は、日本の行政管理庁(現総務庁)行政監察局制度をオンブズマン制度に類似するものとして紹介する。

 (13) 平松・前掲314頁。平松氏はオンブズマン委員会委員として、定義の作成に参加した。

 (14) クラース・エークルンド(Claes Ehklundh)「スウェーデンの国会オンブズマン  法の支配の原則、個人の権利と自由を守る」季刊自治体学研究(神奈川県自治総合研究センター発行)53号66頁、68頁を参照。エークルンド氏は現在、スウェーデン主席国会オンブズマンの地位にある。また、同氏は今年(1992年)来日した折、川崎市市民オンブズマン事務局を表敬訪問し、川崎市民オンブズマン条例を賞賛したという。

 (15) 足立忠夫『行政学』80頁。

 (16) 宮地靖郎「行政上の苦情処理」『現代行政法大系3』269頁を参照。なお、市原昌三郎「行政の内部的統制」『現代の行政』(岩波講座現代法4)244頁。

 (17) 園部・前掲書42頁を参照。

 (18) 京都大学憲法研究会編『新訂・増補世界各国の憲法典』337頁。スウェーデンの憲法は「統治法典」、「王位継承法」、「出版の自由に関する法律」および「国会法」からなり、議会の国勢調査権を禁ずるこの条文は「統治法典」中にある。

 (19) 他にはフィンランド(1919年導入)以外に見当たらない。

 (20) エークルンド・前掲66頁。

 (21) スウェーデンの一般オンブズマンは、一般に「国会オンブズマン」と称される。

 (22) ここでは、平松・前掲323頁および同・「議会による行政統制」公法研究36号69頁より、私がまとめ直したものを紹介した。

 (23) 園部・前掲書134頁。

 (24) この方法は、Stanley V. Anderson, Comparing Classical and Executive Ombudsmen, in Alan J. Wyner (ed.), Executive Ombudsmen in the United Statesによるものであるが、同書を参照しえなかったので、ここでは小島武司=外間寛編『オムブズマン制度の比較研究』239頁による。

 25) 問題点については、小島=外間・前掲書317頁を参照。

 26) 小島=外間・前掲書242頁。

 27) 市原・前掲243頁。

 (28) この説明は、スウェーデンのオンブズマン制度には直ちに妥当しないであろう。

 (29) 注(14)を参照。

 (30) 小島=外間・前掲書244頁。

 (31) 原田・前掲書275頁。

 (32) なお、園部・前掲書48頁を参照。

 (33) 進藤・前掲132頁。

 (34)  『ハンドブック』104頁。ここで「これら既存の制度・手続」とは、行政不服審査、行政事件訴訟、監査委員、直接請求、苦情処理などを指す。

 (35) 佐藤竺『地方自治と民主主義』253頁、川野秀行「行政監察とオンブズマン」川野秀行・新川達郎・三田清『現代の行政』158頁。

 (36) 川野・前掲158頁は、「行政の監視」を「本来警察や検察の役割とすべき職務」とするが、スウェーデンやデンマークなどのオンブズマン制度は「行政の監視」を目的とするのである。

 (37)  佐藤・前掲書253頁。

 

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