第四章  川崎市市民オンブズマン条例の検討   

 

 前章では川崎市市民オンブズマン条例制定までの過程を中心に論じた。本稿執筆時は、川崎市市民オンブズマン制度施行第2年次にあたる。既に第1年次については前述の『報告書』が刊行されており、その実績が公表されている。本章では、川崎市市民オンブズマン条例(以下、本章においては「オンブズマン条例」と略記)自体の内容について、そして運用について、『報告書』や私自身の取材などを通じて、検討を進める。

 (1)内容

 @設置の目的と市民オンブズマンの職務

 オンブズマン条例第1条によると、市民オンブズマンの設置目的は「市民の市政に関する苦情を簡易迅速に処理し、市政を監視し非違の是正等の措置を講ずるよう勧告するとともに、制度の改善を求めるための意見を表明することにより、市民の権利利益の保護を図り、もって開かれた市政の一層の発展と市政に対する市民の信頼の確保に資すること」である。市民の権利擁護が第一の目的に置かれているのであり、「市民オンブズマン」の名称もここに由来する(68)

 第1条を受けて、第3条は市民オンブズマンの職務を定める。すなわち、市政に関する苦情の調査と簡易迅速な処理(オンブズマン条例第3条第1号)、自己の発意による職権調査(同第2号)、市政の監視および「是正等の措置」を講ずることを求める勧告(同第3号)、制度の改善を求めるための意見表明(同第4号)、勧告・意見表明などの内容の公表(同第5号)である。このうち職権調査は、苦情申立ての有無に関係なく、必要ありと認めるときに、自己の職権により積極的に市政の監視や行政改善の機能を発揮するものであり、スウェーデンなどにおいても行なわれるが、川崎市の場合は職権調査の例はあまり多くないとのことで、『報告書』にも紹介されていない。しかし、オンブズマン条例を検討する限り「苦情処理型」に重点が置かれるが「行政監察型」の性質をも併有するものと思われる。

 A市民オンブズマンの管轄範囲

 オンブズマン条例第2条によれば、「市の機関の業務の執行に関する事項及び当該業務に関する職員の行為」が市民オンブズマンの管轄範囲であり、ほとんど市政一般に及ぶと言ってよい。公選市長の作為・不作為も管轄範囲に含まれるが、この点は「他国の例とちがって」いる(69)

 だが、第2条但書により、同条各号に該当する事項、すなわち、「判決、裁決等により確定した権利関係に関する事項」(第1号)、「議会に関する事項」(第2号)、川崎市個人情報保護条例第24条第1項・第2項に規定する事項(第3号)、「職員の自己の勤務内容に関する事項」(第4項)、「市民オンブズマンの行為に関する事項」(第5号)は市民オンブズマンの管轄範囲から除外される。

 まず、ここで「議会に関する事項」が除外されている理由は、議会に自律権が認められること、議会は執行機関を監視する役割を有するが執行機関が議会を監視することは地方自治法が予定していないことがあげられるが(70)、そもそも公選の議員により構成される議会がオンブズマンの管轄対象とされることは、憲法および地方自治法の趣旨に反するであろう。「議会に関する事項」とは、議会が自ら権限を行使のうえ議会内部に関し決定する事項(71)、議会の自律権に関する事項をいう(72)。また、議会に陳情または請願された事項について、審議中のものおよび直近において議会で何らかの結論が出たものは市民オンブズマンの管轄範囲外である、と解釈される(73)。『報告書』においても、苦情申立人が既に陳情書を議会に提出した後に市民オンブズマンに苦情申立てをした事例で、市民オンブズマンがオンブズマン条例第14条第2項に従って調査を打ち切ったことが報告されている(74)。なお、議会事務局の職員が市長の事務を補助執行する場合は、市長の事務と見做され、市民オンブズマンの管轄範囲に含まれる(75)

 川崎市個人情報保護条例第24条は、第1項で個人情報保護委員を「個人情報の保護に関する苦情について、公正かつ簡易迅速な処理を図るため」に置き、第2項で個人情報保護委員が「前項に規定する苦情の申出に基づき、必要があると認めるときは、実施機関、事業者等に対し、個人情報の保護に関し是正その他必要な措置をとるように勧告することができる」と定める(76)。オンブズマン条例第2条第3号は、川崎市個人保護委員の職務を市民オンブズマンの管轄範囲外とするが、これは川崎市個人保護委員が中立的立場において個人情報というプライヴァシー権に関する事案を扱うという、「オンブズマン類似の制度」(77)であることによるものであり、また苦情申立人のプライヴァシー権を尊重する趣旨と見られる。後者の点につき、オンブズマン条例第20条第2項は「勧告、意見表明及び報告の内容を公表するに当たっては、個人情報等の保護について最大限の配慮をしなければならない」と定めており、これまでなされた勧告や意見表明、そして『報告書』に掲載された事例において、具体的な苦情申立人の氏名・住所などが公表されておらず、苦情申立人のプライヴァシー権保護どの趣旨を徹底させているものと評価できる。

 市「職員の自己の勤務内容に関する事項」も、明文で市民オンブズマンの管轄対象から除外される。これは、主に地方公務員法第24条から第26条まで規定される事項を指している。川崎市は、地方自治法第252条の19にいう政令指定都市であるため、職員の勤務内容などについては人事委員会の管轄対象となる。また、市民オンブズマンが市に対する市民の苦情処理を円滑に処理する必要性と、管轄範囲とした場合に混乱が予測されることから、除外したものといえよう。『報告書』にも、市立学校の人事に関する苦情(教育委員会が対象とされている)について、苦情申立人が市立学校の職員であったため、「管轄外」とされた事例が紹介されている(78)

 「市民オンブズマンの行為に関する事項」も、市民オンブズマンの管轄範囲から除外される。彼の職務遂行および地位の独立性を確保する点から除外されるのであるが、市民オンブズマンの苦情調査の結果通知に対して一事不再理の原則を通用せしめる意味をも有している。オンブズマン条例自体に一事不再理の原則を明示する規定は第2条第1号以外になく、市民オンブズマンに申し立てられて調査の結果が通知された苦情をも第2条第1号に含めて解釈することも可能であるが、苦情の調査およびその結果の通知も「市民オンブズマンの行為」なのであるから、第2条第5号の問題として解釈するほうが妥当である。

 B市民オンブズマンの責務と「市の機関」の責務

 オンブズマン制度が機能するためには、他の一般行政機関の積極的協力が必要である。市民オンブズマン制度も、「市の機関」(79)の協力がなければ水泡に帰するであろう。そこでオンブズマン条例第4条第2項は「市民オンブズマンは、その職務の遂行に当たっては、市の機関と有機的な連携を図り、相互の職務の遂行に努めなければならない」と定めるとともに、第5条第1項は「市の機関は、市民オンブズマンの職務の遂行に関し、その独立性を尊重しなければならない」、同第2項は「市の機関は、市民オンブズマンの職務の遂行に関し、積極的な協力援助に努めなければならない」としている。川崎市には既存の制度として、監査委員、市民相談室、「市長への手紙」(80)などが存在し、これらを所管する市の機関と連携を図り、「それぞれの機能を分担することにより、当該苦情等について、最も解決するのに適した制度で処理する」(81)こととなる。具体的に市民オンブズマンと右諸制度とがいかに機能分担をするかについて、オンブズマン条例も「提言」も触れていないのであるが、オンブズマン条例第2条各号に掲げられている場合以外は実に広い対象を管轄範囲とし、市民オンブズマン制度自体が既存の制度の保管ないし活性化を図るものとして設置されること、市民相談室制度は調査権などの権限が明確でなく、かつ必ずしも第三者的立場にないことからして、市民オンブズマン側が苦情申立人に対して適切な教示をする、広く苦情申立てを受け付ける、などの措置がとられることとなろう。他方、市の機関も、市民オンブズマンの地位の独立性ないし職務遂行の円滑性を積極的に協力援助しなくてはならない。

 市民オンブズマンは、苦情または自己の発意に基づいて取り上げる事案を調査する際、「関係する市の機関に対してその旨を通知」し(オンブズマン条例第14条第1項)、苦情などの調査のため必要と認める場合には、「関係する市の機関に対し説明を求め、その保有する帳簿、書類その他の記録を閲覧し、若しくはその提出を要求し、又は実地調査をすることができ」、「関係人又は関係機関に対し質問し、事情を聴取し、又は実地調査をすることについて協力を求めることができる」(同第15条第1項・第2項)が、第5条により、市の機関はこれに積極的に応ずる義務があることになる。

 市民オンブズマンが苦情などに基づいて調査権を発動する際に重要となるものの一つは市の機関側が有する文書の閲覧である。川崎市の場合、市民オンブズマンは市の機関側が有する書類を全て閲覧しうる。この点に関して市の機関側は協力的であり、書類を自発的に市民オンブズマンに提出するという。

 市民オンブズマンは、苦情などについて調査した結果、必要ありと認める場合には、勧告(オンブズマン条例第17条第1項)および意見表明(同第2項)を「関係する市の機関に対し」てなしうる(82)。勧告は、是正・改善(83)を求めるもので、「行政指導の範ちゅう」(84)に含まれるとされる。これに対し、意見表明は「制度の改善を求める」ものである。このような勧告または意見表明を受けた市の機関は「当該勧告又は意見表明を尊重しなければならない」(オンブズマン条例第19条)。制度の本質上、市民オンブズマンは市の機関に対して改善措置などを講ずることを強制できないため、市の機関に対して尊重義務を課した。また、市民オンブズマンが勧告をする際、「市の機関に対し是正等の措置について報告を求める」(オンブズマン条例第19条)が、「報告を求められた市の機関は、当該報告を求められた日から60日以内に、市民オンブズマンに対し是正等の措置について報告をするものとする」(同第2項)。これは市民オンブズマンの是正・改善勧告に実効性を持たせるために設けられた規定であると説明される。

 こうした勧告や意見表明に対して、市民の側からは実効性に疑問を投げかける声が多い(85)。しかし、オンブズマン制度の性質上、勧告や意見表明が市の機関に対して法的拘束力を有することは不可能であり、許されないことである。市民側の疑問は、理解不足または期待過剰に由来するところが大きい。

 さて、市民オンブズマン制度が有効に機能するために、市民オンブズマン自身に責務が課されていることは当然である。オンブズマン条例第4条第1項は、最も基本的な義務として「市民オンブズマンは、市民の権利利益の擁護者として、公平かつ適切にその職務を遂行しなければならない」と定める。ここで「市民の権利利益」とは、「市民の有している社会生活上の利益を享受する利益のこと」で、利益には事実上の利益や反射的利益も含まれる、とされる(86)。また、「市民オンブズマンは、その地位を政党または政治的目的のために利用してはなら」ず(同第3項)、国会議員や地方公共団体議会議員または長、政治団体役員、川崎市と「特別な利害関係にある企業その他の団体の役員」(例えば川崎市に対して請負をする企業の役員)との兼職が禁じられる(第10条)。これは、市民オンブズマンの人的権威、独立性および中立性を担保するためのものであり、当然の内容である。また、市民オンブズマンの守秘義務が第8条に規定されるが、市民オンブズマンは地方公務員法第3条第3項第1号に該当する特別職の地方公務員であるため、守秘義務を規定する同第34条が適用されない(同第4条第2項)。よってオンブズマン条例はとくに守秘義務を規定することとしたが、市民オンブズマンの独立性などを考慮し、罰則は設けられていない。なお、専門調査員(オンブズマン条例第21条第2項)は、地方公務員法第3条第3項第3号に該当する特別職の地方公務員で非常勤の専門委員とされ(地方自治法第174条)、守秘義務は地方自治法附則第9条に基づき、地方自治法施行規程第38条により準用される「市町村職員服務規律」によって課され(87)、一般職の地方公務員たる市民オンブズマン事務局職員の守秘義務は地方公務員法第34条によって課される。

 C市民オンブズマンの任命など

 川崎市は、オンブズマン条例作成の当初から行政型オンブズマンを予定しており(88)、地方自治法上の位置づけを同第138条の4第3項に基づく市長の附属機関として、市民オンブズマンの任命・解任に市議会を関与させる方式を採用した。すなわち、「市民オンブズマンは、人格が高潔で社会的信望が厚く、地方行政に関し優れた識見を有する者のうちから、市長が議会の同意を得て委嘱」し(オンブズマン条例第7条第2項)、「市長は、市民オンブズマンが心身の故障のため職務の遂行に堪えないと認める場合又は職務上の義務違反その他市民オンブズマンたるにふさわしくない非行があると認める場合は、議会の同意を得て解嘱することができる」(同第9条)。この「議会の同意」とは「出席議員の過半数」による議決をいう(地方自治法第116条第1項)。市長による任命・解任に「議会の同意」を要求する趣旨は、議会の関与により、市民オンブズマンの有すべき高い権威、身分上の地位と職務遂行に独立性を与えることであるが、市長の人選面における暴走を抑止し、慎重を期するためでもある。つまり、市長による市民オンブズマンの任命・解任に対する議会のチェック機能を働かせる意味をも有するのである。市民オンブズマンの任期は3年であり、1期に限って再任が認められる(オンブズマン条例第7条第2項)。

 市民オンブズマンの定数は三人であり、そのうちの一人が代表市民オンブズマンとなる(オンブズマン条例第7条第1項)。代表市民オンブズマンは市民オンブズマンの互選によって定められ、市民オンブズマンの会議の議長となる(オンブズマン条例施行規則第3条第1項・第4項。なお、川崎市市民オンブズマンの会議に関する要項を参照)。

 市民オンブズマンの定数が一人とされなかった理由は、一人制の場合は「市民オンブズマンが象徴的存在となるおそれがあ」って(89)、「人口も多く、市民相談制度の実績などからみても多岐にわたる行政分野について、多数の苦情案件が見込まれ、かつ多角的な検討を要する事案が多い場合には」一人制では対応が不十分となるからである(90)。三人程度を定数とするならば、「個人としての人格・個性を前面に出し、その識見信念に基づいて業務を行うべきである」オンブズマンの性質を維持しうる、とされる(91)。市民オンブズマンの勤務日は原則として週三日であり、個々の市民オンブズマンは割り振られた勤務日に単独で職務にあたる(92)(川崎市市民オンブズマンの勤務日、勤務時間等に関する要項第2条第1項・第2項)。

 D苦情処理などの要件と手続

 市民オンブズマンに対する「市の機関の業務の執行に関する事項及び当該業務に関する職員の行為について」の苦情は、「何人」もなしうる(オンブズマン条例第11条)。苦情申立人は川崎市民でなくてもよく、意思能力ある者であればよい(93)。苦情申立人は、苦情を申し立てる際、原則としてオンブズマン条例第12条各号所定の要件を記載した書面によらなくてはならない(94)。匿名による苦情申立ては認められない。オンブズマン条例施行規則第5条により、第1号書式と称する苦情申立書によって苦情申立てを行なうものとされているが、前述の要件を充足するならば第1号書式によらなくともよい(川崎市市民オンブズマン条例に基づく苦情申立て受付事務処理要項1(1)イ)。苦情申立ては郵送、ファックスによっても受け付ける(同ウ)。だが、電話による苦情申立ては、仮受付とし、正式な書面が提出されない場合は、苦情申立てとしては受理されず、資料とされるに止まる(同オ)。電話による苦情申立てが認められない理由は、「事務処理の円滑を図るとともに責任の所在を明確にするため」(95) であるが、川崎市の場合は事務局職員の数が少ないという実務上の理由も存在する(96)

 苦情申立てが受け付けられると、その苦情申立てが市民オンブズマンの管轄内にあるならば苦情申立てについて調査が行なわれることになる。しかし、オンブズマン条例第13条第1項は、以下の場合には苦情について調査しない旨を定める。

 第1号 第2条但書に該当する場合(これについては既に述べた)

 第2号 苦情申立人が「苦情の申立ての原因となった事実について苦情申立人自身の利害を有しないとき」

 第3号 「苦情の内容が、当該苦情に係る事実のあった日から1年を経過しているとき。ただし、正当な理由があるときは、この限りでない」

 第4号 「虚偽その他正当な理由がないと認められるとき」

 第5号 「その他調査することが相当でないと認められるとき」

 ここで「苦情申立人自身の利害」が苦情調査の要件となっているが、これは、無制限に苦情を認めると苦情の内容が徒らに広範となり、市民オンブズマン制度の本来の趣旨を超えるおそれがあること、地方自治法第74条以下で認められる直接請求制度などを侵害するおそれがあることなどが理由とされる。もっとも、市民オンブズマンへの苦情申立ての場合は法律上の利益は勿論、事実上の利益や反射的利益に止まる場合であっても「苦情申立人自身の利害」に含まれると解されるので、幅としては広いものとなる。

 苦情申立期間が一年とされる理由は、市民オンブズマン制度が簡易迅速な苦情処理を目的とする制度であること、市政の不安定状態をあまり長期にわたらせない必要性があること、証拠の保全を図るという点において過去に遡るほど事実の確認が困難となることが主な理由である。但し、「正当な理由」がある場合には、苦情に係る事実の発生から一年を経過しても調査の対象となり、オンブズマン条例施行規則第6条第1項各号に「正当な理由」が認められる場合が列挙される他、同第2項により「弾力的解釈」が要求される。

 オンブズマン条例第13条第4号・第5号は、市民オンブズマンに対し、申し立てられた苦情が真に調査に値するか否かの判断における裁量権を与える。ここで第4号には、虚偽の苦情申立て、申し立てられた苦情が「取るに足らない」場合、「誠実性のない場合」などが該当し(97)、第5号には「裁判の判決日が近い事案についての苦情、機関委任事務の執行に関して国から明確な方針が出されていること自体についての苦情」などが該当する(98)これらの判断は市民オンブズマンの裁量に委ねられるだけに、市民オンブズマンには慎重な判断が求められることとなろう。

 また、苦情などについて調査を開始した後に、市民オンブズマンに申し立てられた苦情が他の救済機関でも扱われていたことが判明した場合など、市民オンブズマンが苦情などについての調査の必要がないと認めるとき、市民オンブズマンは調査を中止、または打ち切ることができる(オンブズマン条例第14条第2項)が、この場合、理由を付して、中止・打ち切りの旨を「苦情申立人に速やかに通知しなければならない」(同第3項)。

 苦情申立人に対し、苦情の調査の結果が通知されなくてはならないことは言うまでもない。オンブズマン条例第16条も、このことを定める。苦情申立人に「正当な理由」があるか否かを問わず、苦情の事由が調査中に解消した場合なども含む。また、市民オンブズマンが勧告もしくは意見表明をし、または市の機関が是正・改善措置報告をした場合は、第19条第3項により、苦情申立人に通知されなくてはならない(第16条但書)

 苦情処理など、市民オンブズマン制度の円滑な運用のためには、申し立てられた苦情などについての記録が重要な意味を持つ(99)。川崎市の場合は、三人の市民オンブズマンが扱った苦情の記録が三人各々の下で保管される。記録は全て事案毎に番号を付され、ファイル化される。記録の複写もなされている。

 E運営状況についての報告

 市民オンブズマンは、毎年、オンブズマン条例の運営状況を市長および議会に報告し、市民に公表することとなっている(オンブズマン条例第22条)。その際、年次報告書には、オンブズマン条例施行規則第15条第1項所定の事項(年度毎の苦情申立件数、苦情調査件数、勧告・意見表明および是正・改善措置報告の要旨など)が記載される。『報告書』の第3部は「苦情申立処理例」と題され、事例が報告されているが、先例として値するものしか掲載されないとのことである。

 F条例全体の構造

 オンブズマン条例は5章23条から構成されるが、全体として簡素であるという感は否めない。また、議会、川崎市個人情報保護制度、直接請求制度などを除く他の既存制度との機能分担についても明確ではない。それだけに、実際の運用の仕方が制度の命運を左右することともなろう。

 (2)実績

 『報告書』によれば、川崎市市民オンブズマン制度の第1年次(199011月1日〜1991年10月31日)の実績は、苦情申立件数が221件(100)、勧告が1件、意見表明が2件となっている(101)。受付件数は、最も多い1990年11月(制度施行開始時)が41件、最も少ない1991年6月・8月が10件(102)と、月によりバラツキがあるが、平均して月あたり約18.4件を受け付けていることとなる。区毎に見るならば、最も多いのは川崎区で46件、次いで中原区が44件であり、最も少ない宮前区は20件である(103)。組織別には、土木局への苦情件数が47件で最も多く、次いで民生局31件、建築局30件となっており(104)、市民生活に身近な職務を行なう機関への苦情が多いことが示されている。そして、苦情申立てに対する処理日数は、第1年次以内に調査継続中のものが44件、取り下げられたものが9件であったが、残る168件は苦情申立人に結果が通知されており(105)、30日以内に結果通知がなされたものは59件、31日以上60日以内が63件、91日以上を要した事案は24件である。苦情申立ての趣旨に沿った結果通知は、30日以内になされたものが22件と最も多く、全体的には57件である。逆に、行政に不備がない旨の結果通知は、31日以上60日以内になされたものが41件と最も多く、全体的には88件となっている。その他、調査を打ち切ったものが6件、管轄外となったものが13件、「苦情申立人自身の利害」を有しないものが4件である(106)。行政に不備がないと判断される苦情の件数が多いが、このことについては事案などを慎重に検討した上での判断が要求されるべきであり、『報告書』に紹介されている事案を見る限り、市民オンブズマン側の入念な調査の結果、判断がなされている、と評価したい。

 現在、苦情の対象となる事案は、新しく、かつ複雑化する傾向にあるということであるが、市民オンブズマンがいかなる判断を下すか、苦情処理日数がいかなる変化をするか、第2年次報告書を待たねばならない。

 (3)問題点

 一地方公共団体がオンブズマン制度を導入するにあたり、地方自治法その他法律の制約は、オンブズマン制度の導入過程や運用面において大きな問題点となる。また、実際の運用において行政事件訴訟や行政不服審査などの既存の制度と異なる問題点が生ずることも、考慮に入れなくてはならないのである。わが国における初の本格的な一般オンブズマン制度である川崎市市民オンブズマン制度の問題点を検討することは、今後の川崎市における同制度の発展にとり、そしてわが国のオンブズマン制度の論議にとり、決して無意味ではないであろう。

 @市民オンブズマンの任命および任期

 オンブズマン条例制定の際、川崎市議会で最も問題となったのが、市民オンブズマンの任命および任期である。

 前述のように、現行のオンブズマン条例は市民オンブズマンの地位につき、市長が出席議員の過半数の同意を得て「委嘱」することとしており、任期は三年、一回に限って再任を認めることとしている(第7条第2項・第3項)。

 これに対し、「提言」は、市長が市民オンブズマンを任命するにあたり、議会に出席する議員の三分の二以上の賛成(107) (以下、「特別多数議決」と表記)を求めていた。これは、市長自身も市民オンブズマンの監視の対象となることから市長の恣意的任命を防ぐこと、市民オンブズマンの独立性の保障と彼の高い権威を裏づけることが理由である。任期についても、市民オンブズマンの職権行使における安定性と政治的中立の確保という意味から、六年、しかも再任を認めないこととしていた。

 ところが、市民オンブズマンの任命に議会の特別多数議決を得ることを要件とした場合には、地方自治法第116条第1項との関係が問題となる。この規定は、「この法律に特別の定のある場合を除く外、普通地方公共団体の議会の議事は、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる」というものである。自治省の見解(108)によれば、「この法律」とは地方自治法そのものを指し、条例を含まない。よって、市民オンブズマンの任命に際し、出席議員の過半数の賛成(以下、「単純多数議決」)を得られればよいこととなる。文言解釈によっても、「この法律」に条例を含めることは不可能であると言ってよい。

 しかし、右のように解釈することは、それ以外に解釈の余地がないとは言え、市民オンブズマンの独立性と権威の面から見れば疑問を残さざるをえない。仮に右のように解釈した場合、地方自治法第113条によって議会の定足数は原則として「議員の定数の半数以上」とされているので、仮に定数の半数の議員が出席して市民オンブズマンの任命に出席議員の半数の賛成があった場合に、「可否同数」であれば、「議長の決するところ」によって「議会の同意」(オンブズマン条例第7条第2項)があったこととなり、定数の四分の一の賛成があればよいこととなる。しかし、このような市民オンブズマンの任命は市民オンブズマンの独立性と権威の保障の面で問題であろう。篠原一氏は、特別多数議決が単純多数議決に変更されたことを、権威の面で後退したと批判する(109)。川崎市も特別多数議決をオンブズマン条例にもりこむべく努力したが、結局は自治省に押し切られる形となった。

 こうして市民オンブズマンの任命に関する「議会の同意」を特別多数議決から単純多数議決に改めたことにより、議会のチェック機能を確保するために、市民オンブズマンの任期を三年に短縮し、再任も一期に限って認めることとなった。そのため、「任期6年が実質的に保障される」と、一応は説明される(110)。だが、以上のような変更が果たして実際の運用にどのような形で影響を与えるかは未知数である。

 なお、当初、市民オンブズマンの任期を四年とすべきであるという意見も出された(111)。しかし、四年とすると市長の任期と同じになるので、政治的中立性の面からも問題を残すであろう。

 また、議会型オンブズマンの可能性についてであるが、川崎市の場合、実際には前述したように当初から行政型オンブズマンを想定していた。とは言え、可能性も全くない訳ではなかろう。「提言」は、「現行の地方自治法には、議会には附属機関として議会事務局の設置が認められているのみであり、議会の調査権をオンブズマンなどの特定の役職や機関に委任することは予定されていない」と述べる。しかし、地方自治法第138条の4第1項が執行機関としての委員会について法定主義をとるのとは異なり、同法は議会の附属機関の設置を議会事務局(第138条)以外に予定していないに止まるのではなかろうか(112)。よって、地方公共団体が議会型オンブズマンを設置することは法律上可能であると考えられるのである。

 A各区間の苦情申立件数の格差

 本章(2)で示したように、第1年次の苦情申立件数は、各区の間に格差が見られる。全体的な傾向としては「南部」(川崎区、幸区、中原区)の苦情申立件数が多く「北部」(高津区、宮前区、多摩区、麻生区)の苦情申立件数は少ない(113)。第2年次の現在、この傾向が是正されているか否かは不明であるが、この現象は、市民オンブズマン事務局が川崎区にあって「北部」住民にとっては利用するに不便であるためと説明される(114)。巡回オンブズマン制度が導入された理由の説明をここに求めることもできる(115)

 しかし、市民オンブズマンに対する苦情申立ては、前述のように郵送によることも認められており(116)、必ずしも苦情申立人が直接市民オンブズマン事務局を訪れる必要はない。また、川崎区、中原区に次いで苦情申立件数が多い区は多摩区で31件、逆に川崎市に隣接する幸区は26件となっている。この事実より、区の間に見られる苦情申立件数の格差は必ずしも地理的要因のみによるものでないことがわかる。各区の人口を見ても、1991年1月の時点で最も人口の多い区は川崎区で、以下、中原区、宮前区、多摩区、高津区、幸区、麻生区の順となっている(117)のに対し、苦情申立件数のほうは、川崎区を筆頭に中原区、多摩区、幸区、高津区・麻生区(同件数)、宮前区の順であり(118)、人口とも比例しないこともわかる。

 この問題は様々な要素が原因であると考えられるので一概に論じ得ないが、重大と思われる要因が制度施行開始直後に存在した。PR不足である。当初のPR手段は、区役所など14箇所の市民相談室へのパンフレットの設置、そして市内の町内会・自治会の代表者で構成される広報委員会に対する説明のみであった。しかも、市内に29ある広報委員会のうち、市民オンブズマン制度についての説明会がなされたのは、川崎区および中原区の5委員会のみであった(119)

 新しい制度を運営する際、とくに最初の段階での広報活動は非常に重要である。現在では市の広報紙である『市政だより』の活用などでこの点は改善されていると思われるが、日刊紙の活用なども考えられてよい。

 B「苦情申立人自身の利害」と苦情申立期間

 市民としての立場において市民オンブズマンに苦情を申し立てる際、最も問題となるのが、「苦情申立人自身の利害」(オンブズマン条例第13条第2号)と一年の苦情申立期間(同第3号)である。これらの要件がオンブズマン条例にもりこまれた理由については既に述べたが、とくに前者の範囲は、その解釈如何によってはオンブズマン条例の制定目的が有名無実ともなりうるだけに、慎重に判断する必要があろう。

 この問題を考えるために、「S町での道路工事に時間がかかりすぎる」という苦情を仮定する。まず、偶然問題の道路を通り過ぎただけの者に「苦情申立人自身の利害」が認められないことは当然である。逆に、S町またはその近隣に住み、問題の道路を毎日通る者に「苦情申立人自身の利害」が認められることも当然である。S町またはその近隣に居住しないが通勤・通学のためにその道路を毎日利用する者にも「苦情申立人自身の利害」が認められるであろう。それでは、一週間に一度だけ取引先に出向くために問題の道路を利用する者については、「苦情申立人自身の利害」があると認められるであろうか。また、一ヶ月に二、三度、その道路を利用するものについてはどうか。このような様々なケースが考えられるであろうし、「苦情申立人自身の利害」の有無を判断する際には、ある一定のところにボーダーラインを引くこととなるが、結局は被害の程度と市民オンブズマンの裁量により、「苦情申立人自身の利害」を判断することとなろう。ここでは、直接にはオンブズマン条例施行規則第6条第2項で「正当な理由」の判断の際に求められている「弾力的運用」が、「苦情申立人自身の利害」の判断についても要求されると解すべきであろう。もとより、「苦情申立人自身の利害」は法律上の利益に限られていないが、それだけに有無の判断に困難が伴うことも多いのではなかろうか。

 『報告書』には、苦情申立人に「苦情申立人自身の利害」が認められないと判断された事例が二件紹介されている。そのうち、教育委員会などに対してなされた「川崎市市民ミュージアムの建設、市の財政、その他市政一般に不満がある」旨の苦情は、「苦情申立人自身の利害に直接結びつくとは認められないので」、「調査に入らないこととした」(120)。これに対し、市長(民生局)に対してなされた「青少年の健全な育成のために、カラオケボックスの改善を求める」旨の苦情は、「直接苦情申立人自身の利害を有しないため調査しないが、貴重な意見なので関係部局に連絡した」(121)。後者の苦情は、苦情申立人自身が直接カラオケボックスによる何らかの具体的な被害を受けた訳ではなく、一般的な意見の提示であったためにこのような判断がなされたのであり、苦情申立人がカラオケボックスによる何らかの具体的被害を受けたならば「苦情申立人自身の利害」が認められたであろう。また、市民オンブズマンが苦情を調査しない場合であっても、市民の意見を関係部局に伝えることは、行政監視の面から重要であり、このような措置が要求される場合も決して少なくないと思われる。

 現在、実際の運用においては「苦情申立人自身の利害」の有無の判断について、弾力性を持たせすぎるほど持たせている、相当程度の弾力性を持たせているとのことである。

 次に、苦情申立期間についてであるが、第三章において固定資産税過剰課税の例をひいた質問に触れたが(122)、苦情に係る事実の発生の時期を確定しえないことも多いであろうし、苦情申立人がその事実の発生の時期について記憶を有しない場合または全く有しえない場合も多い。このような状況のもとで、苦情申立期間を厳格に運用した場合、多くの苦情申立てが却下される結果につながりかねない。

 オンブズマン条例第13条第3号は、苦情申立期間を一年としつつ、「正当な理由があるときは、この限りでない」と定める。「正当な理由」とは、オンブズマン条例施行規則第6条第1項各号に該当する場合、すなわち「苦情に係る事実が極めて秘密のうちに行われ、1年を経過した後初めて明らかにされたとき」(第1号)、「天災地変等による交通の途絶により申立期間を徒過したとき」(第2号)、「苦情に係る事実が継続しているとき」(第3号)、「その他市民オンブズマンが正当な理由があると認めるとき」(第4号)である。この判断においても市民オンブズマンの裁量の余地があるが、同第2項は「前項に規定する正当な理由があるときの認定に当たっては、市民主権の理念に基づき、市民の権利利益の保護を図ることを目的とする市民オンブズマン制度の趣旨にのっとり、弾力的運用を図ることに留意しなければならない」と定め、苦情申立人の利益を尊重することを求めている。実際には、先に仮定した苦情のように、「苦情にかかる事実が継続しているとき」に該当する場合が多いと考えられる。また、市の機関の懈怠ないし不作為状態に対する苦情は、その状態が継続する限り、申し立てることができると解することとなる(123)

 C機関委任事務に対する苦情申立ての扱い方

 機関委任事務とは、法律またはこれに基づく政令により普通地方公共団体の長に管理および執行を委任された国または他の公共団体の事務をいう(地方自治法第148条第1項)。この場合、「地方公共団体の機関に委任され、これを委任した国または地方公共団体その他の公共団体の事務として取り扱われるのであ」り(124)、権限を委任した国または公共団体はその権限を失い、委任を受けた機関が行政不服審査の際に処分庁として扱われるが、国または公共団体の指揮監督権が留保されることとなる(125)

 オンブズマン条例は、機関委任事務を市民オンブズマンの管轄範囲から除外していない(第2条・第3条を参照)。だが、機関委任事務に対する苦情申立てがなされ、市民オンブズマンが調査の結果是正・改善勧告をしても、その内容が委任した行政機関の指揮監督内容を変更することを求めるものである場合は、委任した行政機関側が指揮監督の内容を変更しない限り、機関委任事務は是正・改善されえないこととなる。

 しかし、実務上は機関委任事務と固有事務などとの間にあまり差がないと言われ(126)、固有事務の場合でも「オンブズマンの勧告がそれにかかわる法律・政省令といった国政レベルの措置の改善を求める場合には」右と「同様の状況が生ずるのであ」り、「機関委任事務についても、法令の範囲内であれば事務の処理のあり方自体(担当職員によるその執行の方法、予算の執行など)をオンブズマンが調査し、その改善を求める余地は、十分あり得ることに留意しなければならない」と、「提言」は述べている(127)

 オンブズマン条例の実際の運用にあたっては、例えば国から委任された事務の場合、可能な限り固有事務と同じく扱い、所管局に意見を表明するということであった。

 だが、機関委任事務の執行に対する議会の統制は弱く(地方自治法第99条を参照)、法律上も機関委任事務とされる範囲は非常に広範であり(川崎市の場合は地方自治法別表第四に掲げられた事務を行なう)、しかも法令の改正に伴い機関委任事務は増大する一方であるとも言われる。川崎市市民オンブズマン制度も、機関委任事務に関する苦情に対して如何なる対応をとるのか、将来において課題となることがあるかもしれない。

 D勧告および是正・改善措置報告のあり方

 現実のオンブズマン制度を検討するにあたり、勧告をめぐる状況についての考察は非常に重要である。川崎市の場合、第1年次において勧告は一件のみであるが、この勧告をめぐって重大な痼が残ることとなった。これについて論ずることは、事例の性質上、苦情申立人の名誉権・プライヴァシー権など、微妙な点が多いので、十分に配慮しつつ、今後の市民オンブズマン制度のあり方を考えるためにも、慎重に論ずることとしたい(128)

 題の勧告(第1年次勧告第1号)は、1990年12月20日、教育委員会に対してなされた。事実の概要は、市立小学校において児童(以下乙)が教師によって過酷な体罰を受け、それが原因で登校拒否に至ったが、教師と校長に対して改善を求めるも是正されず、体罰の事故報告も学校側に有利に記載された、というものである。こうした内容の苦情に基づいて調査がなされた結果、体罰の事故報告書に不正確な点があり、事実が歪小化されていた、また川崎市教育委員会への事故報告も数ヶ月後になって行なわれたということなど、「体罰があった際の事実の確認及び対応に適切とは言いがたい面がみられ」た(129)(勧告第1号)ことが明らかとなった。

 12月26日には、乙の親である苦情申立人(以下甲)が教育委員会に対して要請書を提出した。主な内容は、体罰の事故報告書が事実と異なるので教育委員会の立会のもとで甲および乙の事情聴取を求めるなど3項目であった。そして翌1991年1月17日、甲は教育委員会に請願書を提出した。

 2月15日、教育委員会はオンブズマン条例第19条第2項に基づき、是正・改善措置報告を市民オンブズマンに提出したが、甲および乙への事情聴取や接触はなかった。甲は右報告の抽象性に不満であり、市民オンブズマンの勧告にも具体性を要求している(これについては後述)。

 3月26日、甲は市民オンブズマンに対し公開質問状を提出した。その内容は、勧告の内容が抽象的なものとなった理由についての説明、具体的な苦情申立てが勧告において一般論に変化したことについての説明を求め、勧告後も学校や教育委員会が何も改善していないことへの不満の表明であった。

 右の公開質問状に対する市民オンブズマン側の回答は4月20日までになされた。この回答は公開質問状に対し、勧告は具体的な苦情申立てに対し教育委員会が具体的な対応をとることを求めた旨を強調したが、甲の提示した要求には答えていない。

 こうした事実の経過より、市民オンブズマンの勧告および市の機関の是正・改善措置報告のあり方、とくに両者の一般性と具体性が問われることとなるであろう。わが国において、現実のオンブズマン制度の勧告などのあり方については、おそらく論じられることはなかったと思われるが、右にあげた具体例をもとに考察を試みることとする。

 オンブズマンの勧告は、単に個別的苦情を解決するためだけになされるものではなく、むしろ一定の行政分野に対する監視の一環として、個別的苦情をもとにしつつも、ある程度一般的な内容とせざるをえないであろう。勿論、勧告と言えども具体的な苦情申立てについての調査に基づいているのであるから、その苦情申立てからあまりに離れた、極度に抽象的な内容となることは望ましくない。川崎市の場合、市民オンブズマンの勧告から60日以内に是正・改善措置勧告を市の機関がすることとなっている(オンブズマン条例第19条第2項)ので、勧告の内容および性質次第で是正・改善措置報告の内容および性質も決定すると考えられる。市民オンブズマンの勧告自体が市の機関に対して法的拘束力を有しないのであるから、勧告の実効性を担保するためには、勧告の内容および性質が、一般性、具体性、そして両者の均衡が問題となるであろう。

 勧告第1号は、教育委員会に対し、「部内に体罰根絶を主眼とする組織的な問題検討の機会を設け」たうえで、以下の措置をとるよう求めている。

 1 「体罰のない学校教育をめざし、そのための指導のあり方及び体罰発生の予防措置に関する基本的方策を講ずること」

  「体罰が発生した際の事実の確認及び対応について適切な措置を講ずること」(130)

 代表市民オンブズマンの杉山氏も自ら認めるように、勧告の内容は大変抽象的である。まず、体罰は現代教育上の重要問題であるから、教育委員会への勧告が一般的内容のものとなったことは、右に述べた理由からやむをえない。しかし、具体性となると、第1年次意見表明第1号(131)および第2号(132)に比して簡素にすぎ、具体的な苦情申立てに対する解決策を示すよう勧告しているとは思えない(少なくとも、読解し難い)。総じて、勧告は抽象的にすぎ、苦情処理および行政監視の点から見て、実効性に疑問を残すものと考えざるをえない。

 勧告第1号を受けて教育委員会から提出された是正・改善措置報告も、その内容は極めて抽象的である。同報告は、おそらく勧告のいう「基本的方策」に対応させて「体罰のない学校教育をめざして」(133)なされる措置について、および勧告のいう「適切な措置」に対応させて「体罰が発生した場合の措置」(134)について述べるのであるが、例えば「体罰の内容、発生場所、発生にいたる経緯など、事実について、的確に把握すること」、「体罰の事実について口頭で教育委員会に報告し、その後、速やかに報告書を作成して、教育委員会に提出すること」、「校内研修をとおして、体罰根絶に向けて徹底した意識啓発を図るとともに、組織的、協力的な指導体制をいっそう充実し、体罰のない教育への取組みに努めること」に見られる(135)ように、何ら具体性のない方針の羅列にすぎず、具体的に如何なる措置をとるかについては何も述べていないに等しい。

 教育という複雑な問題について六十日以内に是正・改善措置報告を市民オンブズマンに提出することは、あるいは困難な作業であるかもしれない。だが、右の教育委員会の報告は、将来の教育行政のあり方についても論ずるにしては、これまでの方針の再確認に止まっている感すらある。その意味で、この報告の実効性についても疑問を残さざるをえないのである。

 市民の苦情申立ての中には、個別的に見れば、特殊な事案についてのものも多く存在するであろう。しかし、オンブズマン制度は単なる苦情処理制度ではなく、行政監視機能をも備えた制度である。そのため、勧告や意見表明においては、特定の行政分野に対する監視の意味から、一般化という作業が要求される。しかし、オンブズマンの勧告や意見表明が法的拘束力を持たないだけに、その具体性が実効性の有無を左右する、と私は考える。右の例はこのことを実証しているのではなかろうか。今後、勧告や意見表明の蓄積によって改善されることであろうが、川崎市の場合は、勧告のあり方について再考の余地があるのではなかろうか。市の機関の是正・改善措置報告についても同様である。

 (68) 「提言」は、「市民の利益を擁護するための、市民の代表という意味合いからいって『市民オンブズマン』と命名するのが最適である」としている。『ハンドブック』107頁。

 (69) 篠原一「オンブズマン制度の出発――川崎市の市民オンブズマン実施の経緯と課題」ジュリスト966号45頁注(4)。

 70)  『ハンドブック』50頁。

 71)  地方自治法第112条・第114条などに規定された事項を指す。

 72) 地方自治法第96条・第100条・第118条第1項・第120条・第124条・第134条より第137条までなどに規定された事項を指す。注(71)とともに、詳細は『ハンドブック』50頁を参照。

 (73)  『ハンドブック』50頁。

 74)  『報告書』54頁。

 75)  『ハンドブック』49頁。同旨、「提言」 『ハンドブック』111頁。

 76)  川崎市総務局編『個人情報保護ハンドブック(平成3年3月版)』133頁による。

 77)  川崎市総務局・前掲書134頁。なお、進藤・前掲142頁を参照。

 78)  『報告書』55頁。

 (79)  これは、市長などの執行機関・市議会を含む。『ハンドブック』56頁。

 80) これは、川崎市政についての住民の意見を市長に申し述べるという制度であり、川崎市役所、各区役所などに用紙と専用の封筒が用意されている。管轄は市民局広報部広聴相談課である。

 81) 『ハンドブック』55頁。

 82) 「自己の発意により、職権をもって取り上げた事案について」も、調査、勧告、意見表明をなしうる。『ハンドブック』84頁。オンブズマン制度の本質を考えれば、これは当然のことである。

 83)  オンブズマン条例第17条第1項においては「是正等」と表現される。

 84) 『ハンドブック』84頁。一般的にオンブズマンの勧告を行政指導の一種と見做すことに若干の疑問は残るが、ここにオンブズマン制度の特徴ないし限界が現われていることは確かである。

 85) 例えば、1990年10月23日に麻生市民館で行なわれた市民説明会における市民側の質問に現われている。この事実については、朝日新聞1990年10月24日付の記事を参照した。

 86) 『ハンドブック』54頁。

 87) そのほか、専門調査員は、職務懈怠や法令違反などがあった場合、懲戒の対象とされる(地方自治法施行規程第41条・第34条)。

 (88) 私の取材による。なお、「提言」『ハンドブック』106頁を参照。

 89) 『ハンドブック』58頁。

 90) 「提言」『ハンドブック』108頁。

 91) 「提言」『ハンドブック』108頁。

 92) このため、個々の苦情について市民オンブズマンは各々の責任をもって処理することとなる。しかし、「提言」は複数の市民オンブズマンが合議で定めるのが適当であるものとして、「苦情処理の統一的な手続や基準を設定する場合」、「市政の根幹に関わる重要な事案を処理する場合」、「制度の改正などについて意見を述べる場合」をあげている。『ハンドブック』109頁。

 (93) 『ハンドブック』68頁。

 94) 川崎市市民オンブズマン条例に基づく苦情申立受付事務処理要項1(1)ア。

 95) 「提言」『ハンドブック』116頁。

 96) アメリカ・ハワイ州は、口頭による苦情申立てを原則としており、電話による苦情申立てもみとめられている。小島=外間・前掲書272頁注(7)および179頁。しかし、このようなシステムを採用するためには多くの人員と設備を必要とする。また、国情の相違なども考慮に入れなくてはならない。

 97) 『ハンドブック』77頁。

 98) 『ハンドブック』77頁。

 99) 記録の重要性については、小島=外間・前掲書282頁を参照。

 100) 『報告書』1頁。

 101) 『報告書』2頁。

 102) 『報告書』14頁。

 103) 『報告書』16頁。

 104) 『報告書』1頁・18頁。

 105)  『報告書』6頁。

 106)  『報告書』22頁。

 (107)  議会の三分の二以上の賛成という要件は、アメリカ・ネブラスカ州、カナダ・ケベック州にも見られる。小島=外間・前掲書405頁(ネブラスカ州)・388頁(ケベック州)。なお、私の取材によると、川崎市の場合、オンブズマン条例制定の際、任期以外は外国の例を参考にしなかった(より正確には、参考にならなかった)という。

 (108) 『平成2年第3回川崎市議会定例会会議録』116頁における、総務局長森博氏の答弁による。

 (109) 朝日新聞1990年6月13日付のインタヴュー記事。

 110 『ハンドブック』61頁。

 111) 大場正信議員の質問。前掲会議録175頁。

 112) 同旨、塩野宏『行政法U』53頁。塩野氏は同書同頁において、川崎市市民オンブズマンを、附属機関として位置づけられていることを理由に「本来のオンブズマンではない」とする。たしかに、形式的に見るならば、附属機関という位置づけには問題があるが、実質的に見ると、第二章(2)に掲げたオンブズマンの定義に合致すると考えられる。市民オンブズマンも、オンブズマン条例第7条第2項(任命)・第9条(解任)・第22条(市長および議会への報告)によって議会に責任を負うと解されるし、そもそもオンブズマン条例そのものが議会によって定められたのである。

 113) 『報告書』16頁を参照。本文で示した「北部」「南部」の呼称は、川崎市でよく用いられるものである。

 (114) 前川・前掲書42頁。

 (115) 注(66)を参照。

 116) このことは、市民向けのパンフレット『川崎市市民オンブズマン制度――市民と市政との信頼関係の確立のために――』6頁にも記されており、各区役所や支所・出張所には、オンブズマン条例施行規則所定様式の苦情申立書および専用の封筒が用意されている。

 117) 『'91統計川崎  川崎市の人口動態――平成2年』161号30頁。

 118 『報告書』16頁。

 119) 読売新聞1991年2月9日付の記事による。

 120 『報告書』57頁。

 (121) 『報告書』57頁。

 (122 『平成2年第3回川崎市議会定例会会議録』125頁。固定資産税の場合は地方税法優先である(総務局長答弁。同130頁)。

 (123) 「提言」『ハンドブック』117頁。

 124 俵静夫『地方自治法』291頁。

 125)  新井編・前掲書59頁(小林博志執筆)。

 (126)  室井力=兼子仁編『基本法コンメンタール[新版]地方自治法』131頁(人見剛執筆)

 127)  『ハンドブック』113頁。

 128)  この問題について、私は多くの新聞記事などを参照したが、同じ市民としての立場、そして本文中に示した配慮に基づき、事実の経過に関しては参照記事などの明示を差し控えることとした。御諒承願いたい。市民オンブズマン事務局での取材においても、この問題については本文中に示した配慮ということから、ただ今回の場合は特殊な事案であったということ、苦情申立人の望んだ方向と教育委員会の措置とが相反したということ以外、何の情報も得られなかった。

 129 『報告書』25頁。

 130) 『報告書』25頁。

 131) 199126日、市長(民生局)に対してなされたもので、保育行政に関する内容である。『報告書』29頁以下に収録されている。

 132) 1991年10月29日、選挙管理委員会に対してなされたもので、選挙啓発に関する内容である。『報告書』33頁以下に収録されている。

 133) 『報告書』26頁。

 134) 『報告書』27頁。

 135) 『報告書』27頁。

 

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