サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第39編

 

 前回(第38編)、日田市を離れ、福岡市の話題を取り上げました。福岡市当局が場外馬券場設置についていかなる見解を持っているのか、私の知るところではありません。しかし、少なくとも、住民の立場からすれば、学校や住宅、そして病院や福祉施設の立ち並ぶ地域に場外馬券売場などができるということは、地域の環境破壊に他ならないということになるでしょう。最近では、東京都が後楽園競輪復活の意向を示したのに対し、文京区長が慎重な姿勢を示したと報じられています。以前であれば、公営競技はまさに「公共の福祉」に資するものと考えられたでしょうし(実際、その趣旨を述べた判決も存在します)、公営競技の収益が地域の教育環境改善に役立ったことも事実です。私の出身地である川崎市でも、競輪や競馬からの収益で小学校や中学校などが建設されました。とは言え、今、公共性という言葉自体、以前のように「錦の御旗」的な意義を失っています。絶対的な護符として振りかざすべきものでもなくなっているのです。公営競技も、こうした観点から捉えなおす必要があるのかもしれません。

 また、以前であれば地方自治体の貴重な収入源でもあった公営競技が、現在、むしろ地方自治体のお荷物的存在となっている、あるいは、なりつつある、という厳しい現実があります。昨年の6月に幕を閉じた(あくまでも正式には、ということです)、大分県の中津競馬がまさに代表例なのですが、最近では浜名湖競艇を例としてあげることができます。

 朝日新聞静岡版3月11日付の記事「浜名湖競艇  配分金収入波間に消え」(http://mytown.asahi.com/shizuoka/news02.asp?kiji=5937)によると、浜名湖競艇企業団を運営している新居町、舞阪町および雄踏町の新年度予算案は、いずれも、競艇事業からの収入(浜名湖競艇企業団からの配分金)を零と見込んでいます。実は、平成13年度も配分金は零でした(当初の見込みは1億6000万円でしたが、昨年11月に減額修正されています)。町税収入も伸び悩み、地方交付税も削減され、この3町にとっては頭の痛い話です。配分金が零では予算として歳入額に入れることもできません。1981年度には配分金が1町あたりで18億円だったとのことで、この頃には3町の歳入額の4割が配分金、雄踏町の場合には税収よりも配分金のほうが多かったというほどでした。この3町については、道路舗装率、下水道普及率なども高かったそうです。しかし、1997年度から、配分金は10億円を割り込み、2000年度には1億9500億円にまで落ち込んでいます。

 ここでお断りしておかなければならないのですが、私は、何も公営競技そのものに反対する立場を採りませんし、公営競技が絶対的に悪であるという立場も採りません。公営競技の必要性や功罪に関する議論と、サテライト日田のような問題とは、区別、否、峻別する必要があります。私は、以前からこの点を意識していますが、この点を混同している論者が少なくないようなので、注意を促しておきたいのです。これは、後に取り上げる別府市の主張について、とくに妥当することです。日田市に対しても、このことをよく考えていただきたいと思います。

 〔ここで余談になります(それにしてはかなり長いのですが)。パチンコはどうなのでしょうか。競馬などと混同する方々が多いのですが、適用すべき法律などが違います。なお、私は刑法学を専攻していないので、以下の記述に誤りがあるかもしれません。正確を期したつもりですが、御指摘・御教示を賜れるならば幸いです。

 パチンコの場合は風俗適正化法が適用されますし、パチンコ屋がお客に対して現金などを渡す訳ではないのです。仮に、例えばパチンコで勝ったお客が2万発の玉を景品に交換するとします。そして、1発あたり2円50銭で店から借りた(法律上は購入になりません)として、店が等額で返してくれるとすると、5万円分になります。この5万円を、現金で店が返すとなれば、刑法第185条の賭博罪に該当します。但し、同条ただし書きにもありますように「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるとき」は、賭博罪に該当しません。例えば乳酸菌飲料、チョコレート、インスタントラーメン、煙草などは、パチンコ屋で取り替えたとしても賭博罪に該当しない訳です。もっとも、最近は、卸値か小売価格かはわかりませんが、1万円分以内であれば景品として取り替えられます。目覚し時計、CDなどはもちろん、家庭用ゲーム機やシャネルの香水なども景品となっています(実際、私が大学院生であった頃、六本木のパチンコ店でシャネルのNo. 5などが景品として並べられていました)。中には、携帯電話の契約という景品までありました(私が大学院生の頃です)。こうしたものが「一時の娯楽に供する物」なのかどうかわかりませんし、パチンコでこうしたものを「賭けた」ことになるのかどうかも、私にはよくわかりません。いずれにせよ、パチンコ屋のカウンターで玉やメダルと取り替えられるのは景品であって現金ではないのです。

 それなのに、パチンコで勝ったお客は現金と取り替えているではないか、これは立派なギャンブルだろう、という声が聞こえてきます。たしかに、最終的には現金に化けることになりますが、これにはカラクリ(?)があります。景品のうち、特殊景品と呼ばれる物があります。お客はこれを持って、パチンコ店とは経営者が違うはずの景品交換所へ持って行きます。そこで特殊景品と現金とを交換するのですが、ここでは一種の売買契約が履行されることになります。特殊景品には、昔であればボールペンなど、今では金箔やペンダントなどが用いられており、景品によって単価が違います。こうした景品を、一応はお客が景品交換所に売ることとなります。売った結果によって、お客はいくらかのお金を手にする訳です。或る意味では脱法行為なのかもしれませんが、パチンコ屋自身が現金と取り替える訳ではないので、風俗適正化法にも刑法にも抵触しないのです。

 たしかに、パチンコと公営競技では、地域の環境に与える影響などの点で似通っている部分が多いのですが、意外にも、行政法学者や弁護士などにパチンコを御存知ない方が多いようなので、記しておいた次第です。

 さらに余談めいたことを記すと、私自身、パチンコやパチスロなどをよくやっていた時期がありましたが、飽きてしまい、ここ数年は全くやっていません(どちらかというと、私は飽きっぽい性格です。その割には、この不定期連載を続けていますが)。麻雀をしたこともありませんし、競馬や競輪なども全くしません。一種の公営ギャンブルであり、私人が行えば刑法第187条の富くじ罪に該当するはずの宝くじやサッカーくじもやっていません。多少とも仕組みを知っているだけに、やる気すら起こりません。それにしても、宝くじというものは、戦後、地方財政が破綻したことを受けて、いわば再建策の一環として始められたのであり、地方財政の状況が改善されるまでの「当分の間」に限り、運営されるべきものでした。しかし、現在では、廃止どころか、ますます大掛かりになっています。地方財政の状況は戦後一貫して再建から程遠い状況にある、ということなのでしょうか。それとも、ソヴィエト社会主義共和国連邦の建国の際にも使われた「当分の間」の魔力でしょうか。〕

 さて、サテライト日田問題に入ることとしましょう。2002年3月5日、11時より、大分地方裁判所1号法廷において、日田市対別府市訴訟の口頭弁論が行われました。実は、当日、私はこの模様を傍聴しておりません。午前中、大分大学で会議があり、都合がつかなかったからです。翌日、日田市役所企画課より、別府市側の準備書面(2002年3月4日付)を送っていただきましたので、それを基に検討して参ります。

 まず、別府市側の準備書面は、冒頭から「原告は、自転車競技法によって運営されている競輪事業を『ギャンブル』と決め付けた上で、『サテライト日田』の設置は日田市の目指す『文化・教育の香り高い都市』というまちづくりビジョンに相応しくない施設であり、青少年の健全育成の見地からも好ましくない施設であるとして、各関係機関に対して設置不許可を強く申し入れてきたなどと主張する」と、これまでより攻撃的な調子で書かれており、最後まで続きます。その上で、乙第8号証を参照し、場外車券売場が設置されている市町村を示した上で、こうした市町村でも日田市と同様のまちづくりの理念が掲げられており、「場外車券売場が設置されている市町村において、特に場外車券売場の設置に起因して青少年の健全育成が阻害されているという事実はな」く、日田市の主張は「公営競技に対する偏見を前提と」するものであると批判しております。

 この部分については、たしかに、別府市の主張が示すように、日田市の主張を裏付ける証拠が乏しいと思われます。しかし、一般常識あるいは感覚からすれば、競輪がギャンブルであると「決め付け」ているという批判には、違和感を覚えるでしょう。実際、私が2000年12月9日に別府駅前でサテライト日田設置反対のデモ行進を取材した時、別府市民の方からも、競輪はギャンブルでしかないという趣旨の発言を聞いておりますし、公営カジノ構想に至っては「一体何を考えているのか」、「別府市はギャンブルで街を活性化することばかり考えている」、「これで風紀が(ますます)悪くなる、湯布院町などと違って文化的な活動については全く遅れている」という批判も飛びました(第8編も参照して下さい)。このような批判を、別府市はどのように考えるのでしょうか(勿論、昨今のパチンコについて、ギャンブル性が全く無いとは申しませんが)。

 既に記したように、競輪などの公営競技は、仮に私人が行ったとすると直ちに賭博罪の構成要件を充たすこととなります(この点が、パチンコなどと違うところです)。それを都道府県や指定市町村が行えるというのは、競馬法や自転車競技法などによって事業運営が認められているからにすぎません。いわゆるノミ行為などは、競馬法や自転車競技法などによって処罰されます。法律学的に言うと、刑法が一般法であり、自転車競技法などは特別法となります。場外券売場のみに関して私人が設置許可申請をなしうるというのも、法律の趣旨からすればおかしいとも考えられるのですが、あくまでも設置のみであって、実際に私人が馬券や車券などを販売することができないことにしているのです。

 また、乙第8号証には、たしかに、競輪場または場外車券売場が設置されている市町村のまちづくりに関するヴィジョンが列挙されております。23頁にも及ぶものです。しかし、これらは、単に市町村と「まちづくりビジョンの理念等」とその「根拠」が列挙されているにすぎず、しかも項目に留まります。この程度であれば、どの市町村でも掲げることができます。問題は、その実際上の意義であり、実現状況です。別府市もまちづくりの理念などを示しておりますが、近年開学した某大学の設置に関しては、稀少種類の植物が自生する市有地を無償で提供した問題が大きく取り上げられましたし、別府市に、国際性があふれているとされる大学の所在地として相応しいような図書館施設がないことも問題とされました。実際、大分県内で最も充実した図書館は大分市内にある大分県立図書館です(次が大分大学附属図書館でしょうか)。

 それに、公営競技をまちづくりの手段として位置づけるか否かは、それこそ市町村の主体性に基づくものです。別府市に隣接し、今では別府市よりも温泉などの観光地として知られる大分郡湯布院町も、早くからまちづくりの実践例として知られておりますが、ここには数件のパチンコ屋があるものの、公営競技に関連する施設(公営競技場および場外車券場)はありません。公営競技の是非はともあれ、まちづくりだけで考えれば、全国的にみて、別府市より湯布院町のほうに軍配が上がるでしょう。

 仮にまちづくりの根拠を挙げるとするならば、総合計画の類では不十分でしょう。こうしたものに法的な拘束力はないのです。まちづくり条例、あるいはそれに類するもののほうが、有効性があります。

 次に、別府市側は、昭和25年法律第221号の別府国際観光温泉文化都市建設法を引き合いに出し、別府市総合計画を援用して「住む人も、いきいきと輝く、豊かな生活交流圏の創造」を「まちづくりの基本理念」とし、「学術文化を創造し、人を育む学びのまち」、「健康で、安心して暮らせる福祉のまち」の双方を「まちづくりの基本目標」にしていることをあげています。そして、別府競輪場の周辺(おそらく、半径1.5km以内ということでしょう)に、別府市立の上人小学校・亀川小学校・春木川小学校・北部中学校、大分県立別府羽室台高等学校、別府女子短期大学および附属高校、別府大学などの教育機関、国立別府病院、社会福祉法人太陽の家(身体障害者授産施設)などがあり、これらが「競輪事業によって悪影響を与えられているという事実はない」と主張しています(証拠は一切出されていないようです)。

 この点に関しては、日田市の主張とどのように関連するのかという問題があります。日田市は、市報べっぷ2000年11月号に掲載された別府競輪の特集記事にある「A場外車券売場の通産大臣の設置許可まで、『サテライト日田』の場合3年を要した。反対するのであれば、日田市としては、本来、設置許可が出る前に、許可権者である通産大臣に対して明確な反対の意思表示をすべきだったのではないか」という部分です。すなわち、別府競輪の性質自体を争点にしている訳でもなく、別府競輪の存在による周囲への悪影響の有無も争点にはしていないのです。何故にこれらの主張が登場するのか。経済産業省側の主張であるというならば、理解もできます。すぐ後に「『サテライト日田』が設置されることによって青少年の健全育成が阻害されるという抽象的な観念論に基づいて、『サテライト日田』の設置に反対し、本件『市報べっぷ』競輪特集記事に対しても種々批判を加えているが、何ら具体的な主張はなされていない」という記述があるので、これに結びつけるためなのでしょう。しかし、これも、争点から外れた記述としか言えません。日田市としては、大分県警察などが保持する犯罪記録を反証としてあげる必要があるかもしれませんが(別府市の主張があまりに断定的なので)、日田市の主張に対する整合性のある反論が別府市からなされているとは考えにくいのです。

 第三に、別府市側は、市報べっぷ2000年11月号掲載記事について述べております。「原告の主張は、公益事業としての競輪事業の意義ないし役割を無視し、競輪事業に対する予断と偏見に乗じ、ことさらにその『ギャンブル性』のみを片面的に強調するものであり、公益目的とは無縁のものである」とした上で、「被告は、原告主張のような競輪事業に対する偏見を打破し、公益事業である競輪事業の意義、役割などに対する市民の理解の増進を図るための公益目的のために、本件競輪特集記事を掲載したものである」、「原告主張のような抽象的な観念論ないし偏見によって表現の自由が左右されてはならない」となっております。

 ここの部分は、完全にこの訴訟の争点から外れています。私も、改めて双方の準備書面を読み返して見ましたが、争点は、あくまでも日田市の反対運動に関して別府市が市報において虚偽の事実を記したのか否かであって、市報の記述の妥当性が問われているのです。勿論、別府市が主張するような「予断と偏見」が背後にある可能性は高いでしょう。しかし、日田市が証拠として出している、当時の通商産業省機会情報産業局車両課長名による文書などに対して、何の反論もなされておりません。久留米市との商圏調整についても触れられておりません。また、2001年2月8日、サテライト日田設置関連予算案が別府市議会において否決されたという事実を、どのように受け止めているのでしょうか。

 ここで少々皮肉めいた言い方を許していただけるならば、「被告は、原告主張のような競輪事業に対する偏見を打破し、公益事業である競輪事業の意義、役割などに対する市民の理解の増進を図るための公益目的のために、本件競輪特集記事を掲載したものである」という記述は、別府市自身も競輪事業に「公益」と矛盾する要素があることを認めたものとも読むことができますし、少なからぬ別府市民が「偏見」を持っていることを(断片的にではありますが)証明しています。南立石地区に計画された場外馬券売場設置問題について、別府市はいかなる態度を示してきたのでしょうか。

 それに、市報について「表現の自由」が認められるという主張にも問題があります。市報は、市の行政に関する事実などを報道するものであって、市長など執行機関の意見を一方的かつ無限定に表明すべきものではありません。市報を作成する際に、編集の自由などがあることは当然ですが、虚偽の記載をすることが許されないのは言うまでもありませんし、読者の名誉を毀損することが許されないのも当然のことです。名誉毀損の禁止は、表現の自由に対する内在的な制約として位置づけられますが、両者は完全に相互依存的な関係にあるのではなく、並行関係にあります。

 私人が有する表現の自由が公法人にも無条件で認められるという主張は正しいのでしょうか。まして、別府市は、当初、市報の発行を公権力の行使と位置づけておりました(第25編を参照して下さい)。公権力の行使という論法が妥当でないことは既に述べましたが、仮に妥当であるとすれば、公権力を行使する者にも表現の自由が私人と同様に認められるという、きわめて危険性の高い論法となります。しかも、別府市が表現の自由を有しながら名誉毀損罪(刑法第230条)の主体とならず、名誉毀損の損害賠償責任をも負わないというのです。これでは絶対君主制の論理です。そして、別府市が当初の公権力の行使という主張を放棄しているとすれば、御都合主義的な主張となります。

 表現の自由は、公権力の行使の対極として位置づけられます。公権力に対する対抗手段でもあり表現の自由を支える価値は、自己実現の価値(個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させる)であり、自己統治の価値(言論活動によって国民が政治的意思決定に関与する)です。それだからこそ、国民主権(民主主義)・自由主義の下において、私人が前国家的に有する自由として位置づけられるのです。憲法学において、公権力を行使する側に私人と同様の表現の自由を認める学説はありません。仮にあったとすれば、不可思議なものです。別府市の主張は、憲法学的にみても許容されないでしょう。

 一方、市報などによる名誉毀損は、観念としても、現実としても存在しうるものです。市報の編集・発行それ自体は非権力的な行政手段です。しかし、編集に際して裁量が認められることは否定できません(計画策定などと共通します)。先ほど、名誉毀損の禁止と表現の自由とは完全な相互依存的な関係でなく、並行関係にあると記したのは、市報に着目してのことです。いかなる内容の記事を作成し、市報に掲載するかについては、発行者の裁量が働くことになります。この際、裁量の行使には一定の制約が課せられます。行政事件訴訟法第30条を参照するまでもなく、逸脱・濫用があってはなりません。そして、損害賠償責任は、基本的に結果責任です(ドイツの行政法学に由来する裁量収縮論が登場する余地がありますが)。

 最後に、別府市は、日田市のまちづくりヴィジョン「からみて『ギャンブル』と評価されるであろうパチンコ店(9店舗)が営業を行っており、現在、さらに本件『サテライト日田』設置予定地の周辺(日田市友田地区)に1店舗が建築されている」ことから、「パチンコ店の存在を容認しつつ、場外車券売場について前期理念に反する『異質な施設』であるなどとして、その設置に反対する原告の主張には整合性がない」と批判し、「『サテライト日田』が本件設置予定地に設置されたとしても、青少年の健全育成に対して具体的かつ切迫した悪影響を及ぼすような環境悪化が生じる危険性は少ない」と主張しています。

 この点についても、当初からの訴訟の争点とどのように関連するのかという問題がありますし、あたかも経済産業省側からの主張とも読めます(訴訟に際して、別府市と経済産業省は協力関係にあるのでしょうか。あるとしても別に不思議なことではないのですが)。その点は置くとして、たしかに、日田市の主張には矛盾があります。既に、パチンコと公営競技の違いについて述べておりますが、日田市が掲げるまちづくりの理念からすれば、パチンコ店も除外されてこそ、主張が一貫すると考えられるからです。しかし、パチンコ店については風俗適正化法が適用され、日田市は法的にパチンコ店の進出を阻止する権限を有しておりません(建築確認は別です。もっとも、これについても議論の余地はあります)。パチンコ店の営業許可については、都道府県公安委員会の権限とされております。実は、この点も、地方分権からすればおかしなことなのです。

 なお、日田市対別府市訴訟の今後についてですが、4月に進行協議が行われるようです。その後の口頭弁論については未定ですが、結審が間近であるという話です。このところ、別府市議会にはサテライト日田設置関連の予算案が提出されていません。そのような状況においてどのような判断が下されるのか、注目したいところです。

 また、このサテライト日田問題について、今月下旬、或る研究会において報告をすることとなりました。機会を与えて下さった関係各位に御礼を申し上げます。

 

(2002年3月17日)

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