自治・分権から眺めた市町村合併

 

 

  1.市町村合併から道州制へ?

 地方分権改革が第二段階に入り、昨年(二〇〇三年)、ようやく、三位一体改革として地方税財政改革に突入する形が、一応は整えられた。もっとも、その成果についての評価は、論者によって異なるであろう。

 それに対し、市町村合併は、地方分権推進委員会第二次勧告以来、常にその推進が提唱されており、二〇〇一年度には政府や各都道府県の取り組みが加速化した。また、二〇〇五年三月三一日に現行の市町村合併特例法が失効することを受け、市町村の側からも合併に関する様々な動きが打ち出された(1)。二〇〇二年一一月一日には、西尾勝氏による「今後の基礎的自治体のあり方について(私案)」(以下、西尾私案)が第二七次地方制度調査会専門小委員会に提出された。昨年一一月一三日には同調査会による最終答申が提出され、合併をいっそう強力に推進することが確認された。さらに、同答申においては道州制の導入に向けての提言がなされている。

  これを受ける形で、昨年末、総務省は、新たに「市町村合併推進新法案(仮称)」の骨格を固めるとともに、長らくの懸案であった道州制を実現するための条件整備として都道府県合併を容易にするため、地方自治法の見直しを進める方針を打ち出した。今年(二〇〇四年)一月には、政府に第二八次地方制度調査会が設置され、道州制の実現などに向けた議論を進めることとされている。

  既に、市町村合併については多くの論者が様々な見解を出しているし、私も大分県内の幾つかの市町村において講演を行ってきた。その際、市町村合併と地方分権の理念との関係がいかなるものであるのか、地方自治の本旨の一要素であるはずの住民自治の面が軽んじられていないのか、という点について疑問を述べてきた(2)。実際に「住民不在の市町村合併」と言うべき現象が各地に存在し、地域に歪みを生じさせる事態も散見される。市町村合併の必要性、長所、短所などの基本的な事柄について、当事者である市町村が住民に対して十分に説明なり情報公開なりを行わないまま作業を進めるという例も多い。そればかりでなく、合併後の新たなまちづくり(地域づくり)に対する明確なビジョンがあるのか、単に合併特例債などの優遇措置を目当てにしているだけではないのかという例も、残念ながら少なからず存在する。

  果たして、市町村合併は地方自治、そして地方分権といかなる関係を有するのか。合併によって地方自治は拡充されうるのか。道州制に向けての議論が本格的に進むのであれば、地方自治体の適正規模の如何を、根本的なところから改めて議論しなければならないであろう。

 2.市町村合併の位置づけ

 宮本憲一氏が指摘するように、歴史を概観すると、少なくとも政府にとって、何らかの大きな改革を進める際に市町村合併が必要な手段と考えられてきた(3)。明治の大合併にせよ、昭和の大合併にせよ、市町村の権限の拡大と財政面での強化が目標とされている。

  とくに、平成の大合併と言われる今回の波の場合、バブル経済崩壊後にとられた景気拡大策などにより、国も地方も莫大な財政赤字を抱えるという事態が、背景にある。すなわち、今回の市町村合併の背後に、あるいは隠された最大の目的として、地方交付税や補助金などの合理化(削減)によって国の財政状況を少しでも改善しようとする意図があるのは明白である。一見矛盾するようであるが、現在の市町村合併特例法の失効時までに、合併特例債の発行を認め、地方交付税の配分に優遇措置を設けるなど、様々な財政上の特例措置を用意したことが、国の強い意向を雄弁に物語っている。

 一方、平成の大合併には、これまでの大合併と異なる部分もある。明治の大合併が小学校の設置管理や戸籍事務の所轄などを、昭和の大合併が新制中学校の設置管理や維持・運営、社会福祉や保健衛生に関係する事務の所轄などを念頭に置いて進められたのに対し、平成の大合併は、地方分権改革の一環として、何らかの具体的な事務配分と直接的に結び付けられているのではなく、或る意味において総合的な行財政改革の一環と考えられている。こうして、地方分権の受け皿論が展開された。これは、加茂利男氏の表現を借りるならば「@少子高齢社会に対応できる活力ある自立的地域社会の形成、A生活圏や経済圏の広域化に応じた行政体制の確立、B国と地方をつうじる未曾有の財政危機に対応する効率的な行政体制の実現、C地方分権時代に応じて自治体の行政能力、人材の育成などをはかれるような行政規模の実現」のためのものとされている(4)

  地方分権改革が進められると、国および都道府県から移譲された権限を十分に行使しうるだけの自治体を作る必要があるから、市町村合併は必要であるという主張がなされ、いまや支配的な流れとなっている。また、高度経済成長期以来、自動車社会化が進行したことに伴い、住民の生活圏が拡大したのに対し、行政区域にはあまり変化がみられないことに大きなズレがあることも指摘されている。これらに対応するために、市町村合併が必要である、と主張されるのである。

 こうした市町村の流れを決定付けたものは、おそらく、介護保険制度の導入と住民基本台帳ネットワークの導入であろう。主題の関係上、これらの問題点などについては触れないが、住民基本台帳ネットワークのシステム管理の面など、小規模市町村にとって大変な負担になる。実際、総務省は「共同アウトソーシング・電子自治体推進戦略」において、複数の市町村が業務を共同化し、その上でアウトソーシングを進めることにより、コストの削減と民活を図るとしている。ここでは、当然、市町村合併が念頭に置かれていると思われる(5)

 3.地方分権と市町村合併の位置関係

  しかし、市町村合併は、論理必然的に地方分権と接続されうるのであろうか。

  本来、地方分権は、何よりも、一定の事務に関する(少なくとも第一次的な)決定権限を、中央政府が独占するのではなく、地方自治体(地方政府)に分け与える、あるいは移譲するということである。そして、地方分権が完成するためには、税財源、より一般的に言えば税財政における権限配分がなされ、相当程度に地方自治体が自立できるようにならなければ、地方分権は完成しない。このように考えるならば、地方分権と市町村合併(そして道州制に向けての都道府県合併)は、些か方向あるいは次元を異にするのではないかと思われる。

  ここで注意しなければならないのは、市町村合併が最初から地方分権改革の中心的な存在として取り上げられてきた訳ではない、ということである。地方分権推進委員会は、第二次勧告から市町村合併について言及をしていたとは言え、全体的には、道州制論などの問題を回避しつつ、改革を進めるための議論をしてきた。しかし、各省庁の抵抗などもあって、地方分権推進委員会の議論は、最初から最後まで一貫したものとならなかった。むしろ、市町村合併を「地方分権にともなう措置としてではなく、この国の財政構造改革の」一環とする方向に変わった、とも評価しうる(6)

  実際、地方分権推進委員会、その後身の地方分権改革推進会議、第二七次地方制度調査会、さらに総務省による市町村合併の推進策を検討すると、相互に矛盾するようなメリットを並べるなどの弥縫策的な要素も強い(7)。本来の地方分権改革の趣旨からすれば、市町村合併よりも地方税財政改革、そして事務・権限再配分の議論が先であり、本筋である。しかし、地方分権推進改革会議の「事務・事業のあり方に関する意見」(二〇〇二年秋)においては、第二次分権改革の根本的課題であった税源移譲(税源再配分)が全く姿を出さなかった。三位一体改革が本格的に唱えられた昨年まで、外形標準課税の導入を別として、地方税財源の改革はほとんど進まなかった。事務・権限の再配分についても、既に示したように市町村合併が必要とされる理由があげられているものの、具体的な方向性が示されている訳でもなく、枠組み論だけが先行した(8)。第二七次地方制度調査会最終答申においては「少なくとも、福祉や教育、まちづくりなど住民に身近な事務については、原則として基礎自治体で処理できる体制を構築する必要がある」、そして「基礎自治体は、一層厳しさを増す環境、住民ニーズの多様化の中で、住民との協働の下に、質的にも高度化し、量的にも増大する事務を適切かつ効率的に処理することが求められている」と述べられている。再配分の方向性が示されたことについては一定の評価をなしうる。具体的に「基礎自治体」とされる市町村がいかなる事務を担当するかについては、まだ具体性に乏しい(9)。そればかりか、分権の際にも問われるはずの国の責務については、ほとんど明確にされていない。

  地方分権の受け皿論は、行政の広域化への対処の必要性などを理由としてあげる。しかし、広域行政ということであれば、本来、地方自治法二条五項において都道府県の役割とされている。実際には、この点が中途半端に扱われ、役割分担が十分になされていなかったと思われる。地方分権推進委員会の諸勧告以来、役割分担などはなされてきた。しかし、地方分権推進計画などから明らかであるように、これまでの分権は、基本的に国から都道府県への事務・権限移譲であり、市町村への移譲については、むしろこれから具体的になされることになる。こうした経緯からすれば、市町村合併から道州制への展開は、或る意味において当然の帰結であろう。

  たしかに、交通手段の発達などにより、人々の行動範囲が広がった。それとともに、住民の生活圏と行政の活動地域との間にギャップが広がっている。しかし、これは全国どこの地方でも同じであるという訳ではない。首都圏や京阪神地域などであれば、このような現象は当然と思われるであろうが、九州、例えば大分県においては、大分市はともあれ、他の市町村にこうした現象が強くみられると言い切れない。まして、離島などについては、住民の生活圏と行政の区域が重なる確率は高くなるはずである。そればかりでなく、人々の行動範囲が拡大したという事実を市町村合併の根拠にする議論には、論理の飛躍があると思われる10。少なくとも、今回の市町村合併は都市の論理であり、都市部でない地域に同じ論理を何の媒介もなく持ち込むことには問題がある。根本的に、市町村合併の一般的問題という表現が、あるいは、市町村合併のメリットやデメリットを一般的に列挙すること自体が、形容矛盾あるいは語義矛盾なのである。

  行政能力論にも批判が強く寄せられる。これも、元々は都道府県と市町村の役割分担などが明確にされてこなかったことが原因であると思われるが、市町村合併推進論は、おそらくこうした点を無視し、人口および財政規模の現状のみを捉えて、小規模市町村に行政能力がないという前提を述べている11。その端的な例が西尾私案であろう。これは、現行の市町村合併特例法失効後における市町村(基礎的自治体)のうち、合併をせずに残された所については、窓口業務だけを残して残りの事務は都道府県が補完的に処理する、あるいは、他の基礎的自治体に編入する、という案を示している。また、第二七次地方制度調査会最終答申は、都道府県に「市町村合併に関する構想を策定する」権限を与え、知事に「市町村間のさまざまな合意形成に関するあっせん等により自主的な合併を進める」ことを求めている。いずれの方法にせよ、市町村の自主性を損なわせるおそれがあり、憲法第九二条に違反する疑いが残る12

 また、小規模の市および町村の場合、人事が停滞しがちであることも、度々指摘されている。例えば、小西砂千夫氏は「役場に町の将来像への構想を高めていく人材がいない。職員の能力以前に、あまりにも定型的なルーティン・ワークが多く、企画・政策に携わる職員が少ない」と指摘したうえで、「役所が自己決定するには最低限の職員数が必要で」あり、「せめて人口一万人以下の町村は行政規模の拡大を図」らなければ「意思決定力は育ち得」ないと断言する13

 しかし、これも一定の傾向を経験的事実として捉えたものでしかない。小西氏は、「地方自治を舞台とした利益誘導の仕組み」や「役所を巡る人間関係」の存在を指摘した上で、市町村合併がこうした改革の障害を破壊するものであり、市町村の自浄能力の有無を図るための手段でもあるという趣旨を述べる14。しかし、これは偏見であろう。「役所」の意識や人間関係は、市町村が大型化すれば変わるというものではない。

 小規模市町村の中には、行政能力が高いとは評価し難い所も多い。しかし、それが単なる経験的事実であり、先験的論理ではないことは、長野県栄村、北海道ニセコ町などの例から明らかであろう。合併は市町村の構造などを変えることであるから、例えば、画期的なまちづくり基本条例を制定したニセコ町の場合、北海道の市町村合併推進要綱に従って倶知安町などと合併すれば、ニセコ町の先進的な行政スタイルが消滅する可能性も高くなる15。また、大分県前津江村が日田市などと合併するならば、有名な「児童生徒表彰に関する条例」(通称は子ほめ条例)が廃止される可能性も高い。この条例は、学校教育のみならず、児童福祉の観点からも興味深いものであるが、小規模の町村でなければ、この種の条例の施行は不可能であろう16

 このように、小規模な地方自治体の中には、少子高齢化に対応する形で興味深い政策をとるところもあるが、合併の準備段階における事務の調整などの際にこうした政策が合併後の自治体に継承されるという保証はない。その点からしても、市町村合併が少子・高齢化対策に有効であるという主張は成立しえない17。むしろ、少子・高齢化と結びつきやすい過疎化がいっそう深刻になる可能性もある。過疎化に見舞われた市町村が合併して過疎状態を抜け、財政状況が多少改善されたとしても、それは表面上のもの(数字上のもの)であり、短期的なものとも言えるのではないであろうか。

  少子・高齢化対策に市町村が積極的に取り組まなければならないことは当然であるが、これに市町村合併を持ち込むことは、国や都道府県などの責任を放棄する、あるいは曖昧なものとすることを意味しないのであろうか。

  さらに、これまでの地方分権改革には、住民自治、住民の手による地域づくり、住民の主体性という観点が乏しかった。市町村合併についても同様である。その意味において、第二七次地方制度調査会最終答申が「地域自治組織」の設置を提唱し、住民自治の側面にも配慮をした点については、一定の評価をなすべきであろう18。ただ、「地域自治組織の長は、基礎自治体の長が選任する」とされ、解任について何らの言及もされていないなど、住民自治の観点からすれば不十分であると思われる。むしろ、地域の実情に応じ、このような組織を置くか否かを市町村の判断に委ねるほうが望ましいのではなかろうか。

 

 4.おわりに

 市町村合併は、これまで概観したように様々な問題を抱えているとは言え、よほどのことがない限り、市町村合併推進政策(および道州制推進政策)が改められるとは思われない。そのため、これまで以上に、市町村の主体的な判断が求められることとなろう。勿論、住民への説明責任が果たされ、十分な情報公開がなされ、最終的には住民全体の判断権が行使されることが前提である。

  そして、合併の際、当事者たる市町村は、長期的な展望の下、合併後の新しい地方自治体について明確な地域づくりビジョンを示さなければならない。そうしなければ、合併後の混乱は避けられず、住民に深い禍根を残すことになるであろう。

 

 (1)  総務省によれば、今年(二〇〇四年)一月の時点において、四八三の法定合併協議会が設置されている(一八二八の市町村が参加)。

 (2) 拙稿「地方分権下の市町村合併」大分大学教育福祉科学部研究紀要二四巻一号(二〇〇二年)七七頁を参照。

 (3)  柴田徳衛=宮本憲一「都市と農村を考える―地方自治の学び方―いま、自治を発展させるためには何が必要か―」季刊自治と分権第一〇号(二〇〇三年)三〇頁における宮本氏の発言。また、市町村合併に歴史の流れやパターンがあるという趣旨が主張されることが多い。

 (4) 加茂利男『市町村合併と地方自治の未来―「構造改革」の時代のなかで―』(二〇〇一年、自治体研究社)六頁。田嶋義介「進む市町村合併 自立への模索と地域自治組織で自治を」本誌五〇七号五六頁も参照。

 (5) 拙稿「電子自治体と行政法理論―導入部的・試論的な考察―」ハイパーフラッシュ(大分県発行、財団法人ハイパーネットワーク社会研究所編集)二五号(二〇〇二年)九頁による。

  (6) 辻山幸宣「地方分権と地方行政体制の整備―市町村合併の推進と自治体の対応―」佐藤英善編『新地方自治の思想―分権改革の法と仕組み―』(二〇〇二年、敬文堂)二七五頁。人見剛「都道府県と市区町村の関係」佐藤編・同書一八六頁を参照。なお、石原信夫「地方行政体制の整備に新機軸を」月刊ガバナンス九号(二〇〇二年)二五頁は、地方分権の柱の一つである権限配分に関連して、「今の市町村制度は、比較的力の弱い自治体を基本とした制度として組み立てられてい」るために「大都市や中都市では移譲された事務を担えても、小規模団体では担えないことがはっきりしてしまい、そのことが、改革を困難にした」と指摘し、そのことが「現在焦点になっている国から地方への税源移譲を難しくしている理由のひとつでもある」と述べる。

  (7) 宮本氏は「小手先の政策」という表現を用いる。柴田=宮本・前掲三〇頁。この他にも、本来であれば真正面から取り組まれなければならない改革を、極端に言えば回避するための方策にすぎないという趣旨の指摘は少なくない。

  (8) 田嶋・前掲五六頁も「スウェーデンが社会福祉の分権化を進めるために強制合併したのと比べると、どんな権限を市町村に分権化するという約束を政府がしているわけでもない」と指摘する。また、神野直彦『地方自治体壊滅』(一九九九年、NTT出版)一〇一頁は「地域住民に自分の地域社会の財政をコントロールする権限が与えられていない」と述べるが、これは、結局のところ、日本の政府と地方自治体との間で真の役割分担がなされていないということであろう。

  (9) もっとも、具体的な事務・権限配分がなされてから市町村合併が進められるならば地方分権的である、と直ちに言いうる訳ではない。

 10) 池上洋通『市町村合併これだけの疑問―このままで地方自治は守れるのか―』(二〇〇一年、自治体研究社)五三頁などを参照。

 (11) 政府、そして市町村合併推進論者は、合併による財政の効率化、地域資源の再活用(新しいまちづくり)、IT社会への対応などを目標としてあげているが、これまで行われてきた小規模自治体の取り組み(そのうちの少なからぬものが住民参加、あるいはより積極的に、住民主体で行われている)の存続などについては言及を控えている。

 (12) 市橋克哉=三橋良士明=白藤博行「基礎的自治体と都道府県論―地方制度調査会『中間報告』をふまえて―」季刊自治と分権第一三号(二〇〇三年)二四頁における市橋氏の発言を参照。ただ、地方自治を制度的保障説に沿って考えるならば、今の市町村合併推進政策の方法などが違憲ではないとも判断されうる。詳細な検討は他日を待ちたい。

 (13) 小西砂千夫「市町村合併問題の本質とはなにか」ガバナンス四号(二〇〇一年)二五頁。同『市町村合併ノススメ』(二〇〇二年、ぎょうせい)二二頁も同旨。

 (14) 小西・前掲書二二頁。

 15) 保母武彦=五十嵐敬喜=木佐茂男「座談会 日本はどこへ向かうのか U 合併」木佐茂男=五十嵐敬喜=保母武彦編『分権の光 集権の影―続・地方分権の本流へ―』(二〇〇三年、日本評論社)五二頁を参照。

 16) 仮に「地域自治組織」が実際に設置されうるとしても、旧市町村単位のみの独自の方策を維持することが可能であるか否かは不明瞭であるし、可能であるとしても市町村の一体性を破壊しかねない。

 17) 佐藤竺「分権の受け皿は合併でよいのか」本誌五〇七号一〇頁は、小規模市町村について「それをすべてだめだという根拠となるとこれらの自治体の自己財源が小さすぎて国庫への依存が大きすぎるということでしかない。そうなると、これらは何も小町村の責任ではなく、原因は国の高度成長政策による過疎化の深化にあり、たとえ小町村が合併したところでその財政事情が好転するはずはない」と指摘する。

 18) 大森彌「地方制度調査会『最終答申』を読む」ガバナンス三三号(二〇〇四年)四七頁も同旨。逆に、佐藤・前掲一〇頁は「合併の衝撃を和らげることを意図して今回の調査会答申に盛り込まれた特定地域だけ対象の域内分権方策は一体性破壊を助長するものでしかない」と批判する。

 

あとがき 。2009年7月13日)

 これは、月刊地方自治職員研修臨時増刊号75(2004年3月号増刊)の「第U章  総ざらい! 改革のスケジュールと論点」の一節として掲載されたもの です。神野直彦氏、白藤博行氏、並河信乃氏、宮脇淳氏、坂本忠次氏など、まさに第一人者というべき方々に交じって、私のこの拙文が掲載された訳ですが、思い入れの深い論文の一つでもあります。

 当時、公職研の編集部におられた友岡一郎氏にメールで記したことですが、この論文は、私が大分大学教育福祉科学部在職中に作成した最後の論文であり、一種の総決算というような意味を込めました。大分大学を離れることが決まっていたため、これまで大分市、千歳村(現在は豊後大野市の一部)、湯布院町(現在は由布市の一部)、挾間町(現在は由布市の一部)、耶馬溪町(現在は中津市の一部)、竹田市および津久見市において行った講演を基にして、私の地方自治観、地方分権観、平成の市町村合併に対する意見をまとめました。大分県内で語ったことを日本全国に発信したい、という思いもありました。

 公表してから5年以上が経ちます。ようやく、市町村合併の荒波も収束に向かおうとしていますが、これが何であり、いかなる結果をもたらしたのかを、改めて検証する必要があるでしょう。ここで、私が掲示板「ひろば」に、2009年6月18日0時24分43秒付で投稿した「10年前にはとっくにわかっていたことであるはず」の全文を引用しておきます。この論文をホームページに掲載する理由をあげることにもなります。

 「6月17日の西日本新聞の社説で『平成の大合併  「功罪」を丹念に検証せよ』という記事が掲載されました(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/102832)。

 正直言って『そんなことはとっくの昔にわかっていたことだろう?』という内容でした。但し、この社説に文句を言っているのではありません。地方分権改革推進委員会、さらに、市町村合併政策を強力に進めた総務省サイドに文句を言っているのです。

 たとえば、地方分権改革推進委員会は答申において市町村合併の負の側面として、次のようなことを挙げているそうです。

 『住民の声が届きにくくなっている』

 『周辺部が取り残される』

 『地域の伝統・文化の継承・発展が危うくなる』

 これらは、私自身が大分大学時代に講演などで述べてきたことですし、それ以前から少なからぬ論者によって指摘されていたことです。私もそうした方々の主張を引用したり取り入れたりしています。

 しかし、地方分権推進委員会が勧告を出していた当時、総務省関係者は『市町村合併によって周辺部が取り残されるという話は聞いたことがない』という趣旨を、合併関係の本で述べていたりしました。よほど歴史を勉強していないのか、それとも知っていながら知らないふりをしたのかはわかりませんが、どちらにしても問題のある内容です。昭和の大合併では、北海道などで典型的に見られるように、合併によって一時的には人口が増えたりしたかもしれませんが、その後はむしろ過疎化が急速に進行しました。何かの本で寿都町の人口が書かれていましたが、合併後の急減ぶりには驚かされるほどでした。丹念に調べれば、このような例は他にも見つかるはずです。平成の大合併では兵庫県篠山市がよく好例として取り上げられていましたが、その後、実際は違うという検証例まで出されています。

 私は、時々この掲示板でも書きますように、横浜は青葉台東急スクエアの中にある本屋さんに行き、地方自治・地方行政の棚を見てはあれこれの本を買います。行政法学者、行政学者、財政学者などが、市町村合併の政策を批判し、予想される結末を書いたりしているのです。残念ながら、出版社が小規模であったりすることもあって、多くの人々には声が届いていないのかもしれません。しかし、何なら図書館でもどこでもよいので調べていただきたいのです。平成の市町村大合併に警鐘を鳴らした業績は決して少なくないことを。

 私自身も、大分大学時代の総決算のつもりで書いた「自治・分権から眺めた市町村合併」〔地方自治職員研修臨時増刊号75(2004年3月増刊)88頁以下〕において、やや控えめに思われるかもしれませんが批判的な意見を述べています。

 西日本新聞の社説には、次のような一節があります。

 『行革効果や財政支援が前面に掲げられる一方で、分権改革の受け皿となる基礎自治体のあり方という本質論は置き去りにされた感が強い。

 住民自治の原則から出発して「下から」積み上げる合併ではなく、地方の「自主的な合併」を建前としながらも、実質的には国が「上から」号令を掛けて主導する合併だったことが、平成の大合併の『限界』ではなかったか。こうした点も、息の長い検証作業が欠かせない。』

 しかし、この趣旨は地方分権推進委員会時代から既に言われてきていたことです。私も、上掲論文で「これまでの地方分権改革には、住民自治、住民の手による地域づくり、住民の主体性という観点に乏しかった。市町村合併についても同様である」と書きました。

 また、少子高齢化が叫ばれて久しいのですが、私は上掲論文で『市町村合併が少子・高齢化対策に有効であるという主張は成立しえない。むしろ、少子・高齢化と結びつきやすい過疎化がいっそう深刻になる可能性もある。過疎化に見舞われた市町村が合併して過疎化状態を抜け、財政状況が多少改善されても、それは表面上のもの(数字上のもの)であり、短期的なものとも言えるのではないか』と書きました。実際、合併によって過疎化指定を受けたという妙な話も現われています。

 このように書いたのは、私が大分市(旧佐賀関町、旧野津原町と合併する前)に7年間住み、当時の愛車を使って何度となく市内を走り回り、中核市の中にある過疎地域というべき地域をも回ったからです。大分市、大分県にお住まいの方であれば、県道41号線(大分大野線)がどのような道路であるかはおわかりでしょう。全く知らないで普通乗用車を運転して、あまりの運転のしにくさに驚かされ(離合ができないし、ハンドルを少し切っただけで下手をしたら道路から外れて転落する可能性すらあったのです)、車が壊れるのではないかと思ったくらいですが、その大部分は大分市内です。昭和の大合併時代に大分市に編入された地域でした。この経験が元になって大分大学教育学部紀要に『地方分権についての小論』を書いたくらいです(元々は大分市役所での講演の草稿ですが、仕事をお引き受けする前に体験したのでした)。

 合併によってどこかの県よりも面積が広大な市がいくつか誕生しました。はたして、それでよかったのでしょうか。市としての一体感に欠けるような政令指定都市はいくらでもあります。川崎市に生まれ育った私は、こうしたことを幼少時代から、とくに高校生時代にはよく経験しています。

 当時も、少し考えれば簡単にわかるはずのことがわからず、今になって「負の側面」として言及せざるをえないなどということは、恥ずかしいことではないでしょうか。とても、今の大学生などの学力が低下しているなどと批判できません。だいたい、子は親を見て育ちますから、大人の程度が低ければ、多くの子供の程度も低くなるものです。」

 

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