サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第42編

 

 このところ、講義などの仕事が増え、以前ほどサテライト日田問題に充てる時間がありません。そのためもあり、第41編からかなり時間がたち、1ヶ月になろうという6月中旬になって、ようやく第42編をお届けすることができました。

 今回は、第41編に続き、2002年5月21日に大分地方裁判所で行われた口頭弁論の模様を報告いたします。

 午前中、大分県庁に行き、市町村合併関係の資料を探しました。目的のものが見つからなかったのは残念でした。また、この時には、第41編で紹介した口頭弁論は終わっています(既に記したように、この口頭弁論のことは事前に全く知らされておりません)。

 12時20分ころに大分地方裁判所に入りました。その後、日田市の方々が来られました。もう顔なじみになっている方々ばかりですが、今回、大石市長は、やむをえない事情により来られておりません。そして、口頭弁論の度に遠方から駆けつけてくれる他大学の学生氏も、大学院生となって大分地方裁判所に到着しました。それに対し、大分県内の大学の関係者は、相変わらず私一人です。講義と重なるため、やむをえない部分もあるのですが、学生に呼びかけたりしても全く反応がありません。教員にしても同じです。純粋に行政法学者と言える者が、大分県内では私しかいないからかもしれませんが。

 13時10分から、口頭弁論が始まりました。経済産業大臣側からは、とくに準備書面などが提出されておりません。これに対し、日田市側は、5月21日付の「準備書面(第4)」、そして第41編で紹介した村上順教授の論文が甲第29号証として提出されております。また、今回は、寺井一弘弁護士、木田秋津弁護士に加え、藤井範弘弁護士が原告席に着きました。そして、いつものように、準備書面の骨子について説明がなされています。

 今回提出された準備書面は、既に提出されている経済産業大臣側の第3準備書面および第4準備書面に対する反論と、日田市側の主張の補充を内容としております。法廷での骨子説明においても述べられているのですが、第40編においても紹介した通り、経済産業大臣側の第4準備書面は、日田市側が今年1月21日付で提出した準備書面(第3)においてなされた求釈明(第37編も参照して下さい)に対する応答にも釈明にも全くなっていないため、提出されたものです。

 まず、原告適格について述べられています。 経済産業大臣側は、自転車競技法第4条第1項による許可処分が「申請者に対して場外車券売場の設置に関する一般的な禁止を解除するという法的効果を与えるにとどま」る旨を主張しています。これに対し、今回の準備書面は、自転車競技法の規定にある「経済産業省令で定める基準に適合する場合に限り、その許可をすることができる」という文言に着目して反論を行っております。つまり、この規定は行政法学の許可(警察許可)を意味するのではなく、一定の裁量を与える趣旨であるという訳です。そのため、場外車券売場設置の許可を受けるための形式的な要件が揃っていたとしても、経済産業大臣には許可の義務が発生しないということになります。「できる」と規定されているのですから。そこで、「国は許可・不許可処分に際し、(中略)実質的に文教上、保健衛生上又は周辺環境等との調和において保護に欠ける場合は、不許可とすることが予定されているのである」という主張につながるのです。

 「許可しなければならない」という規定であるから警察許可であり、「許可をすることができる」という規定であるから警察許可ではない、という論法が、全ての法律に当てはまるか否か、検討を要すると思われますが、行政法学の一般論からすれば、このような主張に帰することとなります。さらに、日田市側の主張としては、「国は場外車券売場が設置される地方自治体の文教上又は保健衛生上の利益や周辺環境等との調和を総合的に判断し、憲法及び新地方自治法(―地方分権一括法によって改正を受けた地方自治法のこと。引用者注)によって確認された自治権から派生する「まちづくり権」を侵害しないように十分配慮することが要請されており、地方自治の本旨を侵害しかねない場合には、国は不許可処分とするべく羈束されているのである」ということになります。 こうして、場外車券売場の設置許可は「原告の生活安全、公衆衛生、環境保全に関する権能に対して制約するもので、原告には『法律上の利益』があると解すべきである」という結論に至ります。

 警察許可とは、既に示されているように、一般的な禁止を特定の場合に解除するというものです。自動車運転免許がこれに該当します。警察許可の前提としては、本来、国民の一般的な権利・自由に属すべき事柄を、保健衛生や安全、秩序維持などの理由から一般的に禁止する、というものがあります。今回の準備書面にも登場する食品衛生法の規定がまさにそれです。憲法第22条第1項によって職業選択の自由が保障されることからすれば、(憲法学で時折論じられる営業の自由という問題を別として)飲食店の営業は、基本的に誰でもできるはずです。しかし、全く無制約であるとすれば、保健衛生という面において重大な問題を生じます。そのために、一般的に禁止した上で許可制にしているのです。調理師免許も同様に考えてよいでしょう。また、自動車の運転免許にしても、自動車の運転そのものは国民の一般的自由(憲法第13条にいう「幸福追求権」の一種などとしてのもの)に属するはずですが、事故の際に人体に与える甚大な影響は自転車が与えるそれとは比較になりませんし、その他、交通秩序に重大な支障をきたすおそれもあるので、免許制にしているのです。

 これに対し、 法令の文言は許可であっても、行政法学上は特許あるいは認可と考えられるものがあります。とくに特許とされるものについては、元々、国民の側にその営業などを行う自由が存在しない、従って、一般的な禁止も予定されていない、という前提があります。認可についても同様のことが言えるでしょう。許可と認可との違いについて、よく、許可を受けないで行った違法な行為であっても直ちに効力を失うものではないのに対し、認可を受けないで行った違法な行為は原則として効力を生じない、と説明されます。これも、国民が本来有するはずの権利や自由などと関係があります。

 それでは、自転車競技法で定められる場外車券売場の設置許可の法的性質は如何なるものなのでしょうか。これまで、この不定期連載でも考察を加えてこなかったところですから、ここで検討を加えることとしましょう。あるいは、既に或る程度の検討を済ませているかもしれませんが、改めて、ということになります。仮に前に下した結論と異なっている場合は、訂正、あるいは改説ということにさせていただきます。

 自転車競技法第1条によると、競輪事業の施行者は都道府県および指定市町村〔この場合の指定者は総務大臣(中央省庁改革法施行前は自治大臣)〕です。そして、これら以外のものが競輪事業を行ってはならないこととされています(刑法の賭博罪に該当することとなります)。一方、競輪場および場外車券売場を設置する者は、同法において競輪事業の施行者と区別されており、第3条第8項において「相続若しくは合併」または「競輪場の譲渡し」が示されていること、「相続人若しくは合併後存続する法人若しくは合併による設立した法人又は競輪場を譲り受けた者」が「当該競輪場の設置者の地位を承継する」ことが規定されていることからして、競輪事業の施行者と人格を別個にする者であってもよいことになります。現に、サテライト日田の場合、設置許可の申請者は、既に日田市内においてパチンコ店などを経営する建設会社です(余談ですが、この会社が経営するパチンコ店のCMは、大分県内の民放で流れています)。設置者は、車券を販売することができません。しかし、競輪事業の施行者に場外馬券売場の施設(建物など)を賃貸することは認められます。

 場外車券売場となる可能性がある施設の設置許可を申請し、許可が得られた後に施設を建てるという点だけに着目すれば、基本的には一般の建築確認と変わりがありません。その意味では、法律の文言に示されているように、行政法学上の概念を用いても許可であるとも考えられます。

 しかし、場外車券売場の場合、施設が完成した後に競輪事業の施行者によって車券が販売されなければ意味がありません。設置者が競輪事業の施行者でない限り、車券の販売を業とすることは許されません(第18条が罰則規定です)。場外車券売場として許可がなされた施設について、実際には車券が発売されうるような状況ではないから他の施設に転用しようと考える者も存在するかもしれませんが、現実にありうるかどうかは疑問ですし、第4条第4項によって準用される第3条第7項により、設置許可を得てから1年以上の間に場外車券売場として使用されなかった場合には、設置許可が取り消されうる(この場合は撤回されうる)こととなります。

 また、そもそも、刑法の賭博罪の規定、民法第90条などの存在を考えると、競輪事業、とくに車券の販売は、本来、国民の自由に属する事柄であって、許可が一般的な禁止を解除するものである、と考えるべきなのでしょうか。そのような意見も成立しうるのですが、日本の刑法が賭博罪を設けており、これを社会的法益に関する犯罪と位置づけていること、自転車競技法が刑法の特別法として、競輪事業の施行者を都道府県および指定市町村に限定していることの趣旨を考えるならば、場外車券売場の設置許可を警察許可と位置づけることは妥当でないと考えられます。

 むしろ、行政法学的にみれば認可に該当するのではないでしょうか。認可は、補充行為とも言われるように、第三者あるいは申請者の行為を補充して完成させる行為です。これを場外車券売場の設置許可に当てはめてみると、申請者は、設置許可を得ることによってようやく場外車券売場としての施設を設置することができます。設置許可を得なければ、施設そのものを建てることができるとしても場外車券売場を設置することになりません。逆に言えば、設置許可は施設の設置を完成させるために必要なものです。

 しかも、自転車競技法には、第4条の許可を受けずに場外車券売場を設置したことに対する罰則規定がありません。仮に、場外車券売場の設置許可が警察許可であるとすれば、違反した場合の罰則規定があるはずです。しかし、自転車競技法の場合、設置許可を受けないで場外車券売場を設置しても無効となるだけです。

 このように考えるならば、場外車券売場の設置許可は行政法学上の認可に当たるとするのが妥当です。同じような理屈は、競輪場の設置許可についても妥当します。

 (但し、これまで、自転車競技法にならって設置許可という表現を用いたため、とくに必要のない限り、この用語を引き続いて使うこととします。折に触れて、行政法学上の認可であるということを確認することとします。)

 また、許可と認可の違いは、行政庁が有する裁量権の幅にあるとも言われています。許可の場合、行政庁に全く裁量が存在しない場合もありますし、あるとしてもかなり狭いものにならざるをえません。何故なら、一般的禁止を解除して本来の権利・利益を回復させるという意味が込められているからです。これに対し、認可の場合、一般的禁止ということそのものが予定されていません。行政法上の認可で典型的なものは、公益法人設立の際になされる「許可」です。民法第34条では「許可」となっているため、民法学では許可制とされていますが、行政法学の観点からすれば誤りです。民法学では、許可制と認可制が行政法学と全く逆といってもよいような理解のされ方をしていますが、公益法人の設立に際しては「主務官庁」の裁量が大きく物を言うという現実もあります(この趣旨を述べる判決として、最判昭和63年7月14日判時1297号29頁を参照)。また、この許可を得ないで公益法人が設立されても無効となるだけで、罰則が存在する訳でもありません。

 このことは、場合にも拠りますが、裁量収縮論が適用される可能性があるということをも意味します。つまり、設置許可(ということは、行政法学上の認可)が裁量権の行使の結果であるとしても、一定の場合には裁量権の幅が徐々に小さくなり、ついには零となることもありうる、という理論です。日本では、国家賠償の分野に関して度々用いられるもので、援用する裁判例もありますが、元はドイツ行政法学に由来するもので、Hartmut Maurer, Allgemeines Verwaltungsrechtなどの代表的な行政法学の教科書では、国家賠償などの箇所ではなく、まさしく裁量(Ermessen)の箇所において論じられています。私は、この理論が国家賠償に関して用いられることに疑問を抱いています。結論の妥当性はともあれ、国家賠償はあくまでも行為の結果が違法であることこそ第一の前提であるからです。むしろ、行政事件訴訟において活用されることこそ筋ではないかと考えています。今回のサテライト日田訴訟は、裁量収縮論を使うのにうってつけではないか、と愚考した次第です。何故なら、日田市、および訴訟代理人の寺井弁護士などが主張する「まちづくり権」を補強する可能性があるからです。

 今回の訴訟において裁量収縮論を用いるために、場外車券売場の設置許可に際して、経済産業大臣は広汎な裁量権を有する、ということを第一次的な前提として置きます(その妥当性については、ここで問わないこととします)。しかし、100%の裁量はありえません。憲法をはじめ、内閣法、経済産業省設置法、地方自治法、地方分権推進法、その他の法律による拘束を受けます。自転車競技法が経済産業大臣に一定程度の裁量を与えるとしても、憲法や他の法律の趣旨を全く無視するような裁量権の行使は許されません。従って、この段階で次に、設置許可をなす際にも、便宜の点からして全く基準を作らない訳にもいきません。それだけでなく、基準設定は、申請者が行政手続上有する権利・利益を保障するためにも必要不可欠なものです。これによって、裁量権はさらに縮まってきます。そして、実際に設置が予定されている市町村の状況も大きな鍵となります。住民の反対が多く、現地を調査すると―この現地調査というものが、実際にどの程度行われているのでしょうか。サテライト博多問題を含めて考えると、さらに疑問が膨らみます―、自然環境、社会的環境の悪化が懸念される、としますと、一層、裁量権は収縮します。そして、地方自治体のまちづくり権、あるいは、場外車券売場が設置されることによって地方自治体の負担(行政経費など)が増大する、となれば、さらに収縮されることになります。仮に、誰の目にもこれらのことが明らかであれば、経済産業大臣が有する裁量権は完全に零になる、あるいは零に限りなく近づくことになり、設置許可を出すことはできない、ということになるでしょう。設置許可をなすならば、行政事件訴訟法第30条にいう「裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合」に該当し、違法として「裁判所は、その処分を取り消すことができる」ということになります(条文では「取り消すことができる」となっていますが、「取り消さなければならない」に近いと考えるべきでしょう。第31条において事情判決が規定されていることを考慮しても、違法な処分を取り消さないことは、裁判所の義務に背くことになります)。

 ここまで、原告適格との関連において、行政行為論や裁量収縮論をも援用して論じて参りました。次に、私自身がこの不定期連載において何度となく繰り返して論じている、地方自治法第1条の2および地方分権推進法第4条の意味について、原告側の準備書面が述べているところを検討することといたします。

 私は、この不定期連載において、経済産業大臣側が主張する「プログラム規定説」(地方自治法第1条の2および地方分権推進法第4条について)が妥当でないことを主張しています。これに呼応しているのか否かはわかりませんが、原告側の準備書面も、経済産業大臣の主張について、「これらの規定には何らの裁判規範性が認められないとの趣旨であれば、平成11年7月8日に成立した地方分権一括法の制定過程の論議を全く無視したものであり、国の態度としても極めて不当と言わなければならない」と断じています。

 改めて、地方自治法第1条の2および地方分権推進法第4条を読み返してみます。たしかに、これらの規定は、国の立法方針などを規定するものであり、自然人としての一般国民の権利・利益に直接的な影響を及ぼすものではありません。しかし、このことと、国家機関に対する拘束性の有無とは別の問題です。地方自治法は、日本国憲法を受け、地方自治制度そのものを保障しています。これが個々の具体的な地方自治体の存在を保障する訳ではありません(合併あるいは分割などがありうるからです)。しかし、地方自治制度そのものを保障するということは、とりもなおさず、現に存在する地方自治体の活動などを保障することを意味します。国には、このことに関する義務が課せられています。憲法の規定からしても、「プログラム規定説」は全く妥当性を欠いています。原告の準備書面においては地方自治法第2条第11項ないし第13項が援用されております。私も、これを妥当と解しております。これまで、憲法学におけるプログラム規定説は、自然人としての一般国民の権利・利益に直接的な影響を及ぼさないことをもって、直ちに「指針的・宣言的性格」に結びつけ、法的な拘束力が皆無であるかのように論じてきたように見受けられます。しかし、これはあまりに単純な議論であり、改められなければなりません。

 そして、原告側の準備書面は「自転車競技法の目的について」論じています。経済産業大臣側の主張は「自転車競技法の目的を狭く解釈して本件にあてはめているに過ぎず、自転車競技法の目的を関連法規の関係規定によって形成される法体系の中において合理的に解釈すべき姿勢が欠落している」と批判し、同法が「自転車そのほかの機械の改良及び輸出の振興、機械工業の合理化並びに体育事業その他公益の増進を目的とする事業の振興に寄与すること」、および「地方財政の健全化を図ることを目的としているのであって、地方自治体や周辺住民の個別的利益の保護も目的としていると理解すべき」である、そのために自転車競技法第4条第2項および同法施行規則第4条の3において設置許可の要件が定められている、と述べています。

 原告の準備書面では「第4  最高裁判例の解釈について」において述べられている新潟空港訴訟最高裁判決(平成元年2月17日民集43巻2号56頁)は、行政事件訴訟法第9条に規定される原告適格について、「当該処分を定めた法規が、不特定多数者の具体的な利益をもっぱら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、かかる利益も右にいう法律上保護された利益に当たる」と述べています。その上で、「当該行政法規が、不特定多数者の具体的な利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規及びそれと目的を共通する関連法規の関係規定によって形成される法体系の中において、当該処分の根拠規定が、当該処分を通じて右のような個々人の個別的利益をも保護すべきものとして位置付けられているとみることができるかどうかによって決すべきである」と述べています。

 これを今回の訴訟に当てはめると、場外車券売場の設置も自転車競技法第1条と無関係ではない、ということになります。また、競輪事業が同法によって地方自治体の自治事務(であると考えられます)と位置づけられていることからして、地方自治法や地方財政法などの規定などとも無関係ではありません。また、設置許可の基準で「学校その他の文教施設及び病院その他の医療施設から相当の距離を有し、文教上又は保健衛生上著しい支障をきたすおそれがないこと」があげられていることからしても、原告の準備書面が主張するように、設置される地方自治体の「環境保護」なども視野に入れたものであると解さざるをえません。

 さらに、原告の主張にもあるように、競輪場と場外車券売場とは「その効果が全く異な」ります。場外車券売場そのものは「自転車競技選手の養成等の側面」を持たないからです。

 原告側の準備書面は、「設置要領通達」および「出訴期間」にも言及しています。このうち、「設置要領通達」については、「通達が許可要件を補完し具体化するものであり、許可要件を解釈する上で重要な役割をもつものである。通達行政の是非は別として、通達は事実上の拘束力を有するもので、経済産業大臣は自ら発した通達に拘束されるべきであ」ると主張しております。実は、通達は行政規則の一種で、行政内部では法的な拘束力を有します。また、外部に対しては法的な拘束力を持たないものの、この通達が設置許可の基準となっていることは否定のしようがありません。そのため、他の処分については通達に従っているのに当該処分については従っていない、というような場合には、違法という評価を受ける可能性もあります。

 また、「出訴期間」ですが、原告側の準備書面は「地方公共団体による提訴は、議会の決議が必要とされており、3ヶ月の出訴期間を遵守することは不可能ないし著しく困難」であることを述べています。また、「地方自治体が国を相手に訴訟を提起することは必ずしも一般的と言えないこと」、「通常は国に対し陳述、請願、要請等を行い解決しようとすること」、「解決に至らないとき初めて訴訟提起を考えること」、「しかもその時期に地方議会が開催されていなければ、臨時議会を召集しなければならないこと」を、理由としてあげています。

 今後の日程ですが、既に次回は7月23日の13時30分から、と決まっております。そして、次々回は10月1日の13時30分から、ということになりました。

 実は、この訴訟との関連で、私は、或る宿題を抱えております。行政法学者の中でも、最初から傍聴を繰り返すなど、或る意味では最も深く関係しているだけに、私も何かをなさねばならない、と考えております。 今回、ここで多少なりとも果たせたならば、この記事の存在意義が増すこととなります。

 

(2002年6月16日)

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