サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第40編

  

 このサテライト日田問題がTBSの「噂の! 東京マガジン」によって全国的に知られるようになって、もう1年以上がすぎます。私自身が取り組み始めたのは2000年の6月末で、ホームページで取り上げたのは7月のことです。それから不定期連載となり、今回で第40編となりました。しかも、今回は、私にとって一つの区切りになる日に掲載することになります(その意味は、ここで記しません。次回の更新で明らかにいたします)。よくここまで続けられたものだと、私自身が思っています。熱し易く冷め易いほうなのか、単に飽きっぽい性格なのか、ここまで続くとは思っておらず、このホームページのメインの一つになるとは予想もしていなかったのです。

 今では、多くの行政法学者や行政学者などにも知られるようになり、論文や学会報告においても言葉などが取り上げられるようになりました。この問題について本格的に取り上げた論文は、私の知る限りですが、私の「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例―日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例―」(月刊地方自治職員研修2001年5月号)だけです。また、ホームページに記事を掲載する形でこれほどまでに追い続けているのも、おそらくはこのホームページだけでしょう(掲示板は除いています)。この問題に取り組むようになって、多くの方にこの不定期連載をお読みいただき、御意見をいただきましたし、面識を得させていただく機会を得ることもできました。最近聞いた話では、或る有名な行政法学者の方も、主に日田市のまちづくりという観点からこの問題を取り上げた論文集を公刊されるようです。そこには、このホームページも何度か登場するとのことです。

 しかし、この問題はまだ終わっていません。どのような形で終末を迎えるのか、或る程度の予想はできますし、幾つかのシナリオを書くこともできるのですが、ここではやめておきましょう。

 また、私は加入していないのですが(そして、既に少なからぬ学会に加入していることもあって、予定もないのですが)、民主主義科学者協会法律部会という、学界横断的な(といっても、法律学の中でのことですが)組織があり、ここの合宿が熊本県水俣市の湯の児温泉で開かれるのだが、行政法部会で「自治体間対立」としてこの問題について報告をしてくれないか、という御依頼を、名古屋経済大学の榊原秀訓氏からいただきました。そこで、大分大学内の様々な用事に忙殺される中でそれほど十分な準備ができないまま、3月28日に報告をいたしました。サテライト日田訴訟のうち、日田市対経済産業大臣訴訟に関係されている、九州大学の木佐茂男氏、専修大学の白藤博行氏、東京都立大学の人見剛氏も合宿に参加されているので、正直に申し上げれば不安が多く、私自身も不満足な出来に終わってしまい、申し訳なく思っています。しかし、当日参加された方に、大分県に住んでいる者としての見方を御理解いただければ、と思っています(なお、草稿を用意していたのですが、ここには掲載しません)。

 いずれにせよ、サテライト日田関連の話題が出る限りは、最後まで続けて参ります。

 さて、本題に入ることといたしましょう。

 日田市対別府市訴訟の口頭弁論が行われたのが3月5日、その2日後、私は東京へ帰りました。目的は、ヴァイマール共和国期の財政調整法理論に関する資料の収集でしたが、別の用事として、このサテライト日田訴訟の件がありました。午前中、早稲田大学で資料収集をして、一旦中断し、バスで四谷へ向かいました。そして、14時、日田市側の原告代理人を務める寺井弁護士、木田弁護士などが所属するリベルテ法律事務所を訪れました。この日、私は参考資料を持っており、これをお渡しするとともに、若干の意見交換などをいたしました。また、既に2月22日付で経済産業大臣側の第4準備書面が提出されており、これを読ませていただきました。また、寺井弁護士の活動を紹介する記事が、毎日新聞2002年3月6日付朝刊(と思われます)3面14版に掲載されており、そのコピーもいただきました。

 今年に入ってから、福島大学行政社会科学部の垣見隆禎助教授より「明治憲法下の自治体の行政訴訟」という論文の抜刷を送っていただきました(体裁としては失礼なのですが、この場で改めての御礼を申し上げます)。福島大学行政社会論集14巻2号に掲載されたものです。私は、研究室で早速読んだのですが、行政裁判所法という、行政訴訟に関する法律としては著しく不備なものが施行されていた中で、地方自治体の原告適格が認められていた、というより、問題にされていなかったことを知り、驚いたのです。

 そもそも、日本国憲法と異なり、大日本帝国憲法には地方自治に関する規定がありません。このことからして、明治時代から昭和20年代、大日本帝国憲法の時代には、地方自治は憲法上の制度ではなく、地方自治体(とくに都道府県)は国の出先機関のような性格を有しており、自治権などというものが予定されていなかったことになります。

 大日本帝国憲法時代、行政に関する法的紛争(損害賠償を除きます)については、大審院を頂点とする通常裁判所の管轄から外されておりました。つまり、現在のように地方裁判所などに訴訟を提起することができなかったのです。この時代には、ドイツ帝国、とくにプロイセン王国の法制度が模範とされていたため、行政訴訟については別の系統とされていたのです。しかも、行政裁判所法は列記主義を採用していました。これもプロイセン王国の制度に倣ったものです。どういうことかというと、行政裁判所法により、訴訟を提起しうる場合が幾つか定められており、それらのいずれにも該当しない場合には、たとえ行政に関する法的紛争といっても争うことができなかったのです。さらに、行政裁判所は、司法権の系列ではなく、行政権の一環とされ、全国に一箇所、現在の東京都千代田区にしかなかったのです。戦後、日本国憲法が制定されると、行政裁判所は憲法第76条第2項と矛盾するために廃止されましたし、列記主義から概括主義(いかなる法的事件について訴訟を提起することができるかについて、とくに制限を設けないこと)となり、最高裁判所を頂点とする各裁判所において扱われるようになりました。行政事件に関する法律は、日本国憲法制定後、何回かの変遷を経て、現在の行政事件訴訟法となりました。

 しかし、現在の行政事件訴訟法も、地方自治体の原告適格、というより、そもそも、垣見助教授の表現をお借りすれば「出訴資格」があるのか否かは不明です。私人に「出訴資格」があるのは明らかで、その上で原告適格が問題となります。現在、日田市対経済産業大臣訴訟において争われているのは、この「出訴資格」であり、まだ原告適格の段階にあるとは言えない部分があるのです。これまでの判例を検討すると、有名な摂津訴訟など、自治体の「出訴資格」は肯定されているのですが、行政裁判所法の時代にも、この点については全くと言ってもよいほど問題にされておらず、処分の第三者としての地位にある地方自治体が原告となって処分の取消などを請求する訴訟を提起することが認められていたのです。仮に、日田市対経済産業大臣訴訟において日田市の「出訴資格」が否定されるとなると、大日本帝国憲法時代よりも後退することになります。これは、まちづくりを進める場合などに障害となります。また、住民自治の観点からみても問題です。結局、住民自治が否定されかねないからです。何のために、都道府県や市町村が地方自治法によって法人格を与えられているのか、わからなくなるのです。

 次に、経済産業大臣側の第4準備書面について、内容を簡単に紹介します。

 これは、今年1月21日付で原告側から提出された準備書面(第3)においてなされた求釈明(第37編を参照して下さい)に対する応答の形をとっていますが、全く応答にも釈明にもなっておりません。第37編において述べたように、予想がつくことでした。

 まず、(1)サテライト日田設置許可処分の法的性質(自転車競技法第4条第1項)」ですが、これについて、経済産業大臣側は許可であるという趣旨を述べていますが、第3準備書面(第34編を参照して下さい)で述べた通りであるというような調子で書かれており、他の論点についても同様です。

 次に、「(2)場外車券売場設置許可処分は、立地する地方自治体に何らかの権利義務の変動を与えないのか、そして、この許可処分は地方自治体の権限行使との関係において、法的な問題を一切生じさせないのか」という問題ですが、これについての経済産業大臣側の主張は、全く意味不明です。

 「(3)地方分権推進法、地方自治法の規定の性格」については、経済産業大臣側が正式に条文の訂正をしており、その上で「被告の第3準備書面第1の2の(1)において主張したとおりであり、それ以上に釈明する必要はないと思料する」と書かれております。私は、この文面を見た時、「これでは回答(解答)になっていない。出典くらい明示せよ!」と叫びだす寸前にまで至りました。もっとも、最近読んだ本の中で、これらの規定がプログラム規定だという解説があったのですが、これは公定解釈でも何でもなく、地方分権に関する研究書でした(著者および書名を覚えていないので、改めて調べてみます)。第34編および第37編において述べたように、地方分権推進法第4条や地方自治法第1条などの規定は、国民や住民を直接的に拘束しません。しかし、地方自治法にある他の規定を解釈する際に、強力な基準となります。そればかりでなく、地方自治法の各規定を改正する場合などに、国会に対し、一定の縛りをかけることとなります。さらに言うならば、地方自治法以外の諸法律についても、解釈や改正の指針、基準となるべきものです。その意味において、単なるプログラム規定だとは言えないのです。「宣言的・指針的」規定という言葉の意味について、経済産業大臣側は何の説明もしていません。あるいは、説明できないのでしょうか。それはどちらでもよいのですが、この程度の説明では、相手に理解を求めること自体が無理な話です。仮に、このような言葉が修士論文か何かに書かれていて、私が審査員として学生に説明を求め、この程度の回答しか得られなかったとしたら、私は躊躇せずに不可の評価を与えるでしょう。大学院時代、私自身が、ここに改めて書くまでもない早稲田大学名誉教授の恩師から何度となく厳しく注意されたことでもあります。

 「(4)自転車競技法が保護する利益」については、経済産業大臣側は「第1準備書面第1の2の(1)ないし(5)で詳細に主張した」としております(第1準備書面については第31編も参照して下さい)。原告は「地方自治体の文教上、保健衛生上、周辺環境上の利益保護を一切目的としていないとする趣旨か」と質していました。経済産業大臣側の第4準備書面だけではよくわからないのですが、おそらく、「地方自治体の文教上、保健衛生上、周辺環境上の利益保護を一切目的としていないとする趣旨」なのでしょう。

  最後に、「(5)自転車競技法第1条第1項と地方自治法第1条との関連」についてですが、これについても、経済産業大臣側は第3準備書面において述べたと主張しています。とは言え、その趣旨は必ずしも明らかになっていません。おそらく、従来の「法律上保護された利益説」を堅持するという趣旨でしょう。行政学的な立場を加味して記すならば、この「法律上保護された利益説」は、従来の過度な縦割り行政を訴訟などの面において助長するという弊害をもたらしたのではないでしょうか。法律は、憲法第74条において「法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする」と規定されるように、内容に応じて異なる官庁が所轄します。地方分権推進法は、おそらく、内閣府が所轄官庁でしょう。地方自治法は総務省(以前は自治省)、自転車競技法は経済産業省、競馬法は農林水産省、などとなっております。このこと自体の問題を指摘する意見もあるのですが、それを措くとして、本来であれば体系的に、省庁横断的に捉えるべき法の世界が各論分断的になっており、地方自治法の趣旨などが生かされないという結果になっているのです。内閣法制局が、法律案の審査権を有しているのですが、このことも法体系における縦割り現象に対する歯止めになっておりません。

 こうした状況の中で、これまで、地方自治体は右往左往せざるをえない状況に置かれていました。地方行政の分野にまで国の縦割り行政の影響が及び、統一的なまちづくりなどを阻んできたという訳です。残念ながら、地方分権改革が進められ、機関委任事務が廃止されたと言っても、国の強力な関与は形を変えて残っています。中央省庁が再編されたと言っても、縦割りの弊害は解消しておらず、むしろ強まっているかのような印象すら受けます。地方自治体の現実から「受け皿論」などというものが登場するのですが、これは或る意味で本末転倒です。これまで地方自治体に手枷足枷をかけ、その上で補助金などの飴あるいはパンを天井からぶら下げたのは、一体何処の誰なのでしょう。これを忘れてはいけません。

 経済産業省側の第4準備書面は、上記の内容のまま、大分地方裁判所に提出されており、3月26日の口頭弁論ではこの書面どおりに「陳述します」との一言で終わりました。

 これに対抗するためにも、今後、まちづくり権の中身、もっと言うならば法的な根拠をさらに具体化する必要が出てきたということになります。おそらく、具体的な形は地方自治体によって異なるでしょう。それでよいのです。それこそがまちづくりですから。問題は、憲法第8章や地方自治法からどのように地方自治体のまちづくり権を導き出すかということです。3月7日に、私はこの課題を与えられたと理解しております。勿論、行政法学者の一人でもありますから、以前からの課題なのですが、改めて考えなければならないのです。まちづくりという言葉自体、論者による微妙な差があり、単なるハード作りなのか、景観保護なのか、住民自治のルールなのか、不明確なところがある点は否定できません。その際、ニセコ町のまちづくり基本条例は参考となります。

 正直に記すと、財政調整などの研究を進めている私としては、憲法第8章の諸規定を改正し、地方自治をもう少し強く前面に押し出す必要があると思っています。この際、連邦制や道州制は議論の対象になりません。連邦制=分権という図式は単純にすぎ、歴史的事実をも軽視しています。ヴァイマール共和国期のドイツ、建国当初のドイツ民主共和国も連邦国家でしたが、集権的国家でした。同じような例としては、アルゼンチンなどをあげることができるでしょう。また、現在のドイツ連邦共和国についても、税財政の側面からすればむしろ集権的な国家であるという指摘があります(Wolfgang Renzsch, Finanzverfassung und Finanzausgleich, Die Auseinandersetzungen um ihre politische Gestaltung in der Bundesrepublik Deutschland zwischen Wahrungsreform und deutscher Vereinigung (1948〜1990)〔伊東弘文訳『ドイツ財政調整発展史―戦後から統一まで―』(1999年,九州大学出版会)〕。

 四谷の街を歩き、南北線および東西線経由で早稲田大学に戻り、資料収集を続けながら、「地方自治とは一体何であるのか」という根本的な疑問が、頭の中を駆け巡りました。大分に戻ってからも、大学院福祉社会科学研究科に関係する仕事などをこなしながら、様々な文献を漁って読み続けています。何度か記しているように、私自身は、博士後期課程在学中から財政調整の研究に取り組んでいます(その割には進んでいないのですが)。その関係で、地方税制度にも関心を持っているのですが、日本国憲法は、どう考えても、国と地方自治体との役割分担、地方自治体の権限などに関する諸原則を、必ずしも十分に明確にしているとは思えないのです。

 色々なことを考えているうちに、3月26日を迎えました。NHKラジオ第一放送の正午のニュースで、例の東京都外形標準課税訴訟の判決が東京地方裁判所から出され、東京都が敗訴したという報道を耳にし、日田市対経済産業大臣訴訟の結末はどうなるかと、いくつかのパターンを考えました。東京都の外形標準課税については、私は当初から疑問視しておりますので、その意味において、判決の結論自体は妥当だと思うのですが、理由については妥当とは言えない部分もあると考えています。この記事の趣旨から外れるので、これ以上は記さないこととします。

 大分地方裁判所に到着したのは12時半、日田市役所の職員の方お一人以外、誰もいなかったのですが、13時をすぎて傍聴人が集まりました。今回は人数が少なかったのですが、九州大学の木佐茂男教授が来られておりました。また、ゼミ生のお二人も傍聴しておりました。以前から、熊本県立大学の学生お一人も傍聴を続けております。そうなると、大分大学をはじめとした大分県内の大学関係者で、このサテライト日田問題に関心を抱いているのは、教職員と学生とを問わず私一人だけということになります。何とも言えません。

 13時半に開廷し、口頭弁論が始まりました。今回は、東京都立大学の人見剛教授による3月18日付の鑑定意見書が提出され、木田弁護士から内容についての説明がなされました。この書面のコピーは、日田市側によって傍聴人全員に配られました。大石市長、室原議長などから「わかりやすい内容だ」という意見が聞かれました。今回、参照および引用について人見教授の御了解を得ることができましたので、ここに内容を紹介することとします。

 鑑定事項は、「日本の学説及び裁判例からみた『まちづくり権』の侵害を理由とする地方自治体の原告適格について」となっております。白藤教授、村上教授に続いてアメリカ合衆国の例をも参照しています。

 さて、まずは「出訴資格」についてです。これは、裁判所法第3条第1項にいう「法律上の争訟」への該当性に関わります。人見教授は、地方自治体が行政事件訴訟法に規定される抗告訴訟を提起する場合として、(1)「財産権の主体たる地位を典型とする私人と同様の立場で訴訟を提起する場合」と、(2)「私人とは異質の行政主体としての立場」において「訴訟を提起する場合」とに分かれるとしております。

 このうち、(1)については出訴資格を否定する見解はみられないとして、那覇地判平成2年5月29日判時1351号16頁を参照しています。問題は(2)なのですが、これについても、ドイツ、フランス、英米諸国の例を引きつつ、さらに、摂津訴訟控訴審判決(東京高判昭和55年7月28日行裁例集31巻7号1558頁)、最判平成13年7月13日判例自治216号100頁を例としてあげ、この場合においても地方自治体に出訴資格があるとしております。

 続いて、「抗告訴訟の紛争事案において自治体の原告適格が認められるか否か」についての検討に入っております。ここでも、(3)「行政処分の名宛人としての固有の資格における自治体の原告適格」と、(4)「行政処分の第三者としての固有の資格における自治体の原告適格」とに分けて検討する必要があるとして、それぞれについて検討を進めております。

 このうち、(3)については、国地方係争処理委員会および自治紛争処理委員会(地方自治法第250条の7以下を参照)に審査を申し出て、その審査の結果などについて高等裁判所に取消訴訟を提起できるという場合があります。しかし、これは抗告訴訟ではなく、機関訴訟であるとされています。そうなると、この両委員会の審査を経ないで抗告訴訟を提起できるのかという問題が生じますが、地方自治法第245条において両委員会の審査対象から外されているものがあり、これについては抗告訴訟を提起することが可能であるとされています。また、外されていないものについても抗告訴訟が可能である見解として、室井力・兼子仁編『基本法コンメンタール・地方自治法〔第4版〕』(2001年、日本評論社)373頁(人見教授御自身が担当されています)、および、白藤教授の論文(基は学会報告)「国と地方公共団体との紛争処理の仕組み」(日本公法学会編・公法研究62号208頁)を参照されております。

 そして、(4)です。経済産業大臣側の主張に対する反論としての意味をも有するものです。行政事件訴訟法第9条の解釈論が展開されます。

 まず、行政法学においては、原告適格について「法律上保護された利益説」と「法律上保護に値する利益説」との対立が知られております。しかし、最近の判例は、ベースとしては「法律上保護された利益説」を採用しつつも、その範囲を拡大する傾向を示しています。この説は、処分の根拠となる法律の規定が公益を保護する趣旨か個人の利益を直接保護する趣旨かによって原告適格を判断するのですが、最近は、「個人の利益を保護する規定は、法令の明文によるものでなくともよく、解釈上保護する趣旨と理解できればよい」とする傾向、公益保護を趣旨とする規定であっても個人の個別的利益を保護する趣旨と理解できる場合があるとする傾向、処分の直接の根拠規定などに限らず、共通の目的を有する関連法律など法体系を鑑みるべきであるとする傾向(新潟空港訴訟最高裁判決が典型)、処分によって侵害される可能性がある利益の内容や性質や程度も判断要素とする傾向があることが指摘されています。

 ただ、これらはあくまでも原告が私人である場合であって、地方自治体にはストレートに適用できません。人見教授もこの点を確認しております。しかし、塩野宏教授の論文、白藤教授による鑑定意見、垣見助教授の論文などを参照しつつ、地方自治体についても私人と同様に出訴資格を認めるべきであるという趣旨が導かれます。この際、自然環境保護法第14条第2項や大気汚染防止法第3条第5項などが引き合いに出されており、「少なくとも、こうして自治体の参加手続が名分譲定められている場合に、その手続が遵守されないときは、当該自治体は、その参加的地位の毀損を理由とする行政処分の取消訴訟の原告適格を有すると解すべきであろう」と結論づけられております。

 以上を踏まえた上で、鑑定意見書は「本件訴訟の検討」に入ります。人見教授は、日田市が原告適格を有する理由として3点をあげられています。非常に詳細な検討内容なのですが、これを全て引用して紹介する訳にもいきません(何らかの形で公刊されるならば、ありがたいことなのですが)。そこで、要点のみを紹介します。

 第1点として、自転車競技法の趣旨があげられます。この法律の主要な目的は地方自治体の財政の健全化です。一方、別府競輪場の場外車券売場が日田市に設けられることにより、日田市は、仮に競輪事業を営んでいれば得られたかもしれない利益を失う可能性があります。このことから日田市に「法律上の利益」がある、という訳です。もっとも、日田市の場合は「競輪事業を営まないことによって得られる地域環境的な利益」を主張しているのですが、これも仮に競輪事業を営んでいれば得られたかもしれない利益と表裏の関係にあります。つまりは同質だというのです。こうした利益を、自転車競技法は、許可制度などにおいて当然に予定している。これが鑑定意見書の立場です。

 第2点として、自転車競技法第3条で定められる競輪場の設置・移転許可と第4条との関係です。場外車券売場の場合、経済産業省令によって基準が定められており、ここから、「学校その他の文教施設や病院その他の医療施設の設置・運営主体の文教・保健衛生に係る利益は、自転車競技法及びその施行規則によって個別的利益としても保護された法益である」と結論づけております。これに対し、場外車券売場設置予定地の周辺地域が有するはずの環境上の利益については、自転車競技法などによって個別的に保護された利益であるとは言えないとしながらも、「原告が、まさしく公益の担い手である地方自治体であれば、話は全く別である。法律上の保護法益が公益であることを理由にその原告適格が否定されるのは、原告が個人的な利益の担い手である一般私人であるからこそである。公益保護規定であることは、自治体の原告適格を否定する理由にならず、むしろ自治体のみが原告適格を有しうることの根拠になるともいえよう」とされております。この部分は多少とも強引かという印象を受けますが、「およそ公益保護規定であれば、それを根拠に自治体は取消訴訟を提起しうるとするのは極端であ」るとも言明されております。

 第3点は、地方自治体が場外車券売場の設置に関係する場合の手続的参加の問題です。自転車競技法の場合、競輪場の設置については関係自治体からの意見の聴取が予定されておりますが、場外車券売場については予定されていません。人見教授は、地方自治法第244条の3第1項を「一つの手がかり」としてあげているのですが、場外車券売場などは、地方自治法第244条第1項にいう「住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」に該当せず、しかも民間事業者がサテライト日田の設置を進めていることを認めております。その上で、「病院や福祉施設などの『公の施設』の区域外設置の時は、地元自治体との協議を要するが、ゴミ焼却場のようないわゆる迷惑施設は『公の施設』に該当しないから協議を要しないとするのは、いかにも不合理である」と述べています。そして、場外車券売場は、設置主体は民間事業者であっても建物の設置ということに留まること(留まらなければ自転車競技法に違反します)、「競輪事業の主体たる別府市の意思と全く独立に、民間事業者が場外車券売場の建設を企図することはあり得ない」から、サテライト日田を(公の施設ではないとしても)別府市の施設とみるべきであるという主張がなされます。そして、サテライト日田についても「地方自治法第244条の3の趣旨に即した地元自治体との協議を不可欠とすべきである。(中略)そのような協議を受けずに場外車券売場が設置されることになる原告日田市は、協議を受けるという手続的地位の毀損を理由に、場外車券売場設置許可処分の取消訴訟を提起することができる」と結論づけています。

 以前から、私は、サテライト日田設置許可手続には問題があると思っていて、行政手続法などによって手続の瑕疵を主張できないかと考えておりました。その旨を、日田市側の弁護団にも述べたことがあります。しかし、行政手続法ではあまりに根拠が薄弱です。許可処分など、行政手続法第2章にいう「申請に対する処分」の手続の際に、公聴会などを開催する旨の規定が同第10条にあるのですが、これは努力義務規定なのです。地方自治法第244条の3の趣旨を生かす、これを類推適用と表現してよいのかわかりませんが、そのような考え方を思いつかなかったのでした。まだまだ勉強不足でした。

 余談ですが、「競輪事業の主体たる別府市の意思と全く独立に、民間事業者が場外車券売場の建設を企図することはあり得ない」という部分は、人見教授が意図されたかされなかったかわかりませんが、別府市に対する間接的な批判ともなっております。この不定期連載においても紹介し、私自身が批判しているように、サテライト日田問題に関する別府市の対応は不適切としか言いようがありません。別府市は、あたかもサテライト日田は別府市の意思と無関係に進められたかのような態度を示すことがあったからです。

 今後の日程ですが、次回は5月21日、13時10分から13時30分までです。既に次々回についても決定しており、7月23日の13時30分からとなっております。

 最後に、当日、木佐先生から、「まちづくり権への挑戦〜日田市場外車券売場訴訟を追う〜」と題されたゼミ論集〔九州大学法学部2001年度行政法演習(木佐茂男ゼミ)研究報告書〕をいただきました。まず、この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。論集は、ゼミの学生諸君により、主に日田市側の観点による内容となっており、かなり詳細な研究報告となっており、完成度も高いと評価できます。このホームページでの不定期連載など、半分は不要になるのではないかと思われるほどです。

 

(2002年3月31日)

戻る