サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第51編

 

  前回(第50編)から3か月弱が経過しました。この間に、市町村合併についての講演を3回行い、統一地方選挙についてもコメントを求められるなど、色々なことがありましたが、片時もサテライト日田問題を忘れたことはありません。私自身、今年(2003年)1月28日の大分地方裁判所判決について「判例解説」を行いました。これは、5月26日に発売された月刊誌「法令資料解説総覧」256号120頁に「場外車券売場設置許可無効確認請求事件」として掲載されています。御覧いただければ幸いです。

  また、6月21日に東京の某大学で行われた某研究会において、人見剛先生より、東京都立大学法学会雑誌43巻1号(2002年7月)159頁に掲載された論文「『まちづくり権』侵害を理由とする抗告訴訟における地方自治体の原告適格」の抜き刷りをいただきました。先生も書かれておりますように、この論文は、大分地方裁判所に昨年の3月26日付で提出された鑑定意見書を基にしたものとなっています。私の判例解説では引用あるいは参照できず、残念でしたが、この問題に取り組み続け、私自身が新たな論文などを作成する際には、是非とも参考にさせていただきたいと思っております。この場を借りて、先生に御礼を申し上げます。

  さて、 今回は、2003年6月23日(月)、13時30分から福岡高等裁判所において行われた控訴審第1回口頭弁論の模様を報告いたしますが、その前に、前回の記事を掲載後に生じた幾つかの動きを取り上げます。

  4月に統一地方選挙が行われました。13日(日)に行われた大分県知事選挙のほうが注目度が高く、私自身も何度となくコメントなどを求められました。しかし、サテライト日田問題という点では、勿論、27日(月)に行われた市町村長・議会議員選挙のほうが重要です。とくに、大分市長選挙と別府市長選挙は、大分県でも注目度の高い選挙でした。別府市長選挙の場合、サテライト日田問題の他にも様々な問題があり、4氏が立候補するという乱戦になりました。当然、サテライト日田問題も選挙戦での論点の一つとなったのですが、現職の井上信幸氏以外は、サテライト日田設置に反対、あるいは見直しという姿勢を取りました。井上氏だけは、別府市がこの問題の当事者でないこと、設置を積極的に進めていくことを表明したのですが、他の3氏は、日田市と話し合うという姿勢を出しておりました。

  選挙の結果、井上氏が敗れ、浜田博氏が当選しました。新市長になってから、早速、動きがありました。

  まず、4月30日(水)、浜田市長が、市長として初の記者会見を行いました。大分合同新聞5月1日付朝刊の記事「浜田・別府市長が就任会見 助役の体制再検討も」(http://www.oita-press.co.jp/read/read.cgi?2003=05=01=981769=1)によれば、浜田氏は、サテライト日田について「わたしが反対して止められるものならよいが、(業者に設置許可を出した)国との兼ね合いもある。議会が予算執行を否決した状況の中で、なぜもっと慎重に審議しなかったのだろうか。とにかく、円満解決できる手だてを考えたい」と述べたようです。記事にも「慎重に言葉を選んだ」と書かれているように、井上前市長の対応などを批判していますが、直ちに結論を出さず、今後は日田市などと調整していきたいという方向性を示しました。

  5月2日(金)には、日田市の大石市長など3氏が別府市役所を訪れました。そして、10時、日田市長と別府市長の会談が行われました。この件については、やはり大分合同新聞の5月2日付夕刊「サテライト問題2市トップ会談 別府市長 『業者と協議』」(http://www.oita-press.co.jp/read/read.cgi?2003=05=02=939543=2)など、幾つかの新聞記事があります。大分合同新聞によると、日田市長の要請に対し、別府市長は、2001年2月の臨時議会でサテライト日田設置関連特別予算が否決されたことをあげつつ、強行に設置を進めるべきではないという姿勢を示しました。その上で、「円満解決に向けて設置業者の溝江建設(福岡市)などと話し合いを進める意向を明らかにした」とのことです。

  その後、日田市と別府市との間では、とくに目立った動きはありません。このことについては、6月23日、福岡弁護士会館で行われた記者会見の席上でも取り上げられております。

  4月には、控訴理由書および書証を送っていただきました。今年の4月18日付となっている控訴理由書は、全部で52頁にもなる大変な力作です。ちょうど、判例解説の原稿を書いている時であったので、目を通しました。基本的な内容は、大分地方裁判所で争われた時と同じなのですが、内容には相当の発展性があります。字数の関係もあり、また、口頭弁論が行われる前の段階でもあったので、引用などは控えましたが、参考になったのは事実です。とくに、自転車競技法の制定段階から、歴史的経緯を踏まえて議論を展開している点は高く評価できます。同じ公営競技でも、競馬、競艇、競輪などとありますが、所轄官庁の違いで法令間に矛盾がありますし、場外券売場については立法趣旨が忘れられている、あるいは、立法の段階で漏れがあるということがわかります。

  この控訴理由書が、福岡高等裁判所でどのように受け止められるのか。今、地方分権改革推進会議の議論などをみていても、地方分権はどこへ行ったのかというような思いを禁じざるをえません。「骨太」などと、どこかの宣伝のようなフレーズが使われていますが、「骨太」どころか「骨抜き」になりかねないのです。こうした流れを止める方法の一つとして、裁判所による地方自治法関係の法規解釈に期待したいのです。ただ、問題は、裁判所が地方分権の減速ないし停滞さらには後退を激化させる、と記せば問題なのかもしれませんが、それに近い傾向を示しているようである、ということです。地方公共団体は国と別個の法人格を有していますが、そのことが従来の行政法理論などで十分に尊重されていません。この点は、憲法裁判所制度が存在するドイツと異なります。3月15日の日本財政法学会第21回大会での私の報告でも触れましたが、ドイツの場合、事案によるとは言え、ゲマインデ(日本の市町村に近い)が訴訟の原告となりうることは当然の前提です。それほどに、法人格が尊重されているのです。日本の場合、地方自治について制度的保障論を通説としており、この点ではドイツと同様ですが(しかも、ドイツの場合は法律の留保論も主張されます)、法人格、言い換えれば権利の主体としての位置づけでは、日本とドイツとでは異なると言わざるをえません。

  そして、判例解説でも記しましたように、大分地方裁判所判決は、形式こそ最高裁判例の流れを受けているものの、とても判例の水準に達しているとは言えないものです。判例解説に記したことをここに引用いたします(なお、「本件判決」は、2003年1月28日の大分地方裁判所判決のことです。また、「最高裁判決」は、新潟空港訴訟最高裁判決のことです)。

  本件判決も、原告適格の判断の枠組みそのものとしては、右の最高裁判決と同じ流れを受けている。しかし、本件許可処分の根拠規定および関連法規の解釈は、前記最高裁判決と比較すれば、形式的なものに終始しているものと思われる。例えば、本件において一つの鍵となる自転車競技法1条1項について、本件判決は一般的公益を保護する趣旨のものであって、個別の地方自治体の利益を保護するものではないと判断する。しかし、同条項には「公益の増進」と「地方財政の健全化」が掲げられており、規定の上では両者が区別されている。これをどのように解すればよいのか。また、本件判決は自転車競技法の目的と地方自治法の目的とが異なると判断しているが、自転車競技法1条にいう「地方財政の健全化」と地方自治法1条にいう「地方公共団体の健全な発展の保障」が無関係であるとは言えないであろう。仮に無関係であるとすれば、何故に都道府県および指定市町村に競輪事業が認められるのであろうか。

  新潟空港訴訟最高裁判決は、原告適格の判断の際に、定期航空運送事業免許処分の根拠規定である航空法100条・101条の他、同法中の関連規定をも解釈の要素に含め、周辺住民の原告適格を肯定した。「もんじゅ」訴訟最高裁判決の場合も、原告適格の判断については同様である。両判決とも、根拠規定および関連法規などを実質的に、かつ総合的に解釈し、原告適格を判断した。これに対して、本件判決は、一応は根拠規定および関連法規などを総合的に判断しているが、相互の関連性への配慮に乏しく、法律の規定を形式的に判断するだけで終わっている。

(原文は縦書きで、数字も漢数字。)

  福岡高等裁判所が、こうした点をどのように判断するのか。これまで、情報公開や住民監査請求などで、大分地方裁判所の判決が福岡高等裁判所で取り消された例がいくつかあります。もう少し踏み込んだ判断をするのか、ということなど、色々なことを考えながら、6月23日を迎えました。

  この日、大分県も福岡県も雨でした。大分地方裁判所での口頭弁論の時と違っています。私は、大分駅9時15分発の特急ソニック14号で博多駅へ出ました。少し早めの特急電車に乗ったのは、おそらく傍聴整理券が配られるだろう、と予測したからです。博多駅周辺で買い物をして、昼食をとり、地下鉄で天神へ出ます。福岡高等裁判所の最寄り駅は赤坂なのですが、都合により、天神で降りました。そこからまっすぐ歩くと、程なく赤坂駅に着きます。さらに西へ進むと、すぐに福岡城址に着きます。福岡高等裁判所・地方裁判所は、この福岡城址内にあります。到着したのは12時30分になる前でした。既に、入口に傍聴整理券の発行が小さく掲示されていました。既に、口頭弁論の度に遠方から駆けつけてくれる他大学の院生であるT氏が到着していました。しばらく、この問題を中心に話をしておりました。12時45分をすぎたころでしょうか、西門のところに小型のバス3台で駆けつけた日田市民の方々がおられることに気付きました。第35編の写真1で紹介した黄色いノボリなどが持ち込まれていましたが、裁判所の敷地内では使用禁止となっています。市民の方々と話をいたしまして、13時55分、正門から通りにかけて堀の上に架かる橋で、日田市民、日田市役所職員などが集まり、ミニ集会が行われました。第8編で取り上げた別府市での抗議デモの際に着用されたハチマキやタスキがここでも使われ、その姿で大石市長と武内会頭が挨拶をしました。雨の降る中でしたので、メモを取れなかったのが残念です。この模様は、NHK、OBS、RKB(福岡の放送局)などが取材しておりましたし、6月24日付の西日本新聞朝刊大分版でも取り上げられています。

  その後、13時になったので、傍聴整理券が配られました。口頭弁論が行われる501号法廷には87しか席がなく、結局、抽選となりました。私は78番の札をとっており、くじを引いたのですが、外しました。こういう時の嫌な予感は当たるものです。しかし、日田市役所の方が傍聴券を私に下さったので、傍聴することができました。ありがたいことです(ここで御礼を申し上げます)。501号法廷に入り、私は原告席側の一番前の端に座りました。その隣にT氏、そして、反対運動のTさんが着席 しました。また、サテライト博多問題に取り組まれている博多区住民の方と久々にお会いし、情報をいただきました。サテライト博多のほうは、今のところ何の動きもないそうですが、嵐の前の静けさかもしれません。そして、結局、設置が断念された福岡ドーム内場外馬券売場設置反対運動の方ともお会いしました。法廷では、やはり最前列に座 りました。

  13時27分、3名の裁判官が入廷しました。2分間の写真撮影が行われた後、13時半に開廷しました。まず、被控訴人である経済産業大臣の訴訟代理人(福岡法務局の訴訟検事の方など)から答弁書が提出されました。これについては、大分地方裁判所の時と同様に、法廷では何の説明もありません。 記者会見終了後に日田市役所のG氏からうかがった話によれば、大分地方裁判所の時とほとんど変わらぬ内容で、10ページほどしかなかったそうです。ついでに記しておきますと、6月16日に福岡法務局で行われた判例研究会では、この被控訴人側訴訟代理人のうちの1氏 (福岡法務局訴訟検事)が、大分地方裁判所判決について報告を行っています(私は、講義の都合で出席できなかったため、報告の内容などを知りません)。

  続いて、控訴人である日田市側から冒頭手続が求められ、行われました。最初に、大石市長による意見陳述がなされました。これは、私の腕時計で14時13分まで続きましたので、30分以上にわたる長いものでした。しかも、時間が経つにつれて熱が上がり、 口頭弁論終了後のミニ集会において寺井弁護士も指摘したように、裁判長も熱心に聴くようになったのでした。

  内容については、手元に意見陳述の要旨などがないので、私のメモを基に不十分ながら再現をいたします(録音できたら、と思うほどのものでした。勿論、骨子などは裁判所に提出されています)。

  まず、一昨年(2001年)2月23日に行われた訴訟提起の議決からの経過とまちづくり権についての主張が展開されました。サテライト日田設置反対は日田市民の総意であり、それで提訴に踏み切ったということが言われています。

  続いて、ここで一旦サテライト日田から離れ、日田市の歴史、とくに安土・桃山時代、そして江戸時代の歴史に触れられています。よく、天領日田と言いますが、これは江戸時代に日田市が幕府の直轄地であったことに由来します。そのことから、独自の文化が発展したという趣旨でした。

  そして、大石市長自身の施政方針が述べられています。ここで、市長になる前に50カ国を回った商社時代に、家族とともに駐在したドイツでのギャンブル事情(ロトなど)が取り上げられました。これと日本での事情が対比され、平日・休日を問わずに公営競技(地方競馬、競艇、競輪、オートレース)が行われている日本の現状が批判されています。

  続いて、2000年に策定された日田市の第4次総合計画への言及がなされました。ここでは、歴史、文化、そして自然を中核としたまちづくりについて述べられています。この計画の前身である第3次総合計画の理念に、サテライト日田設置が矛盾することも述べられ、反対運動の経緯と許可の経緯があげられました。 また、地方分権の一つとして「地域の特性に応じた事務処理」があげられますが、これをサテライト日田が妨害することになるという趣旨も述べられました。その理由として、道路、清掃などの事務負担量が増大することなどがあげられていたはずです。

  その後、日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例(平成12年6月27日条例第40号)について、若干の解説がなされました。これとの関係で、市長が直接、日本中央競馬会や日本船舶振興会を視察した経緯が述べられています。場外券売場を設置する場合について、許認可の際、設置場所の市町村の同意があることが大前提であるという説明を受けたそうです。それに対して、競輪の場合、その同意が不要であるという違いがあります。

  ここで、少しずつ上昇していた大石市長のボルテージが一気に上昇し、法廷も一気にクライマックスを迎えることになります。その段階の最初に、地方分権の意義、そしてそれがまちづくり権のベースであることが述べられた後、別府市は、何故、別の自治権を有する日田市に場外車券売場を設置し、車券を販売できるのかという疑問が出されました。まちづくり権は各市町村が有するものですから、別府市には別府市の、日田市には日田市のまちづくり権が存在するのだという趣旨です。そして、大分地方裁判所での第1回口頭弁論と同様に、昭和30年代の蜂の巣城闘争の際に発せられた、前日田市議会議長の室原基樹氏の父君、室原知幸翁の言葉「法に叶い、理に叶い、情に叶う国であれ」を引用し、終わりました。

  ここまでで、既に大分地方裁判所での口頭弁論の時間よりも長くなっています。さらに、寺井弁護士から、10分ほど、控訴理由書の要旨説明がなされました。基本的には控訴理由書の説明となっていますが、ここで、やはり私の不十分なメモを基に紹介します。なお、私自身は控訴理由書を開きながら聴いていました。

  まず、今回の訴訟の意義について、寺井弁護士は、憲法第92条に保障された地方自治の本旨、さらには地方自治の意味が問われているものであるという趣旨を述べられました。そこで、原判決の誤りが指摘されています。詳しいことは控訴理由書に示されていますが、端的に示せば、(1)原告適格の判断が最高裁の判例から後退している、(2)自転車競技法の解釈、(3)自治権(まちづくり権)についての審理不尽(憲法適合的な解釈も何もなされていない)、この三点です。そこで、最高裁判例の到達点に基づく判断を求めること、綿密・緻密な解釈を求めることが、いわば請求の中身であることが主張されています。もう少し具体的には、自転車競技法についての論理的解釈、体系的解釈、整合的解釈をすれば、サテライト日田設置許可処分の違法性が導かれるはずであるという趣旨が述べられています。そして、自治権の侵害の他、自転車競技法の当該規定自体が無効なのか、適用違憲(法令の規定自体は合憲であるが、その具体的な適用が違憲であること)なのかという問題も提起されました。

  ここで、法令違憲か適用違憲かという問題が提起されたことには、注目する必要があります。大分地方裁判所の段階では主張されていなかったのです。法令自体が違憲であるとすれば、自転車競技法第4条は無効であり、すぐに改正の必要が出てきます。少なくとも、無効判決が確定すれば、行政機関はこの規定を執行することができなくなります。一方、適用違憲であるとすれば、自転車競技法第4条自体は有効です。しかし、サテライト日田設置許可は憲法違反であるために無効であるということになります。この訴訟の目的からすれば、適用違憲の主張でも十分であるということになります。

  私も判例解説で少しばかり述べましたが、大分地方裁判所判決は、自転車競技法を地方自治法などと関連付けて解釈しておりません。むしろ、憲法や地方自治法と直接の関係を有しないというような理解を示しています。しかし、全ての法令は、憲法に違反してはなりません。そうであるとすれば、個別の法令についてバラバラな解釈をするということは、それ自体、日本国憲法を頂点とする法体系を崩壊させる危険を有することになります。

  寺井弁護士の説明はここで終わり、藤井弁護士による原判決の批判に移ります。原審での原告(つまりは控訴人である日田市)の主張趣旨が述べられます。これも、基本的には控訴理由書に記されています。

  まず、サテライト日田設置許可の法的性質についての疑問が示されました。大分地方裁判所は、警察許可と解しています。これに対し、藤井弁護士は、警察許可と言うよりも、特権付与的許可と解すべきであるという趣旨の 意見を示されました。その理由として、裁量権が経済産業大臣にあることをあげ、今回の場合は裁量権の逸脱・濫用があったとされています。

  この点についてですが、私は第37編で若干の考察を示しました。また、口頭弁論が終了してから、藤井弁護士とも意見交換をしています。第37編に記したことをここに再現しておきます。

  被告側は、この設置許可処分について、許可の申請者に対して「場外車券売場の設置に関する一般的な禁止を解除するという法的効果」を持っている旨を主張しています。これは、行政法学にいう許可の教科書的な説明となっています(なお、原告側は同第2項にも触れています)。

  よく考えると、自転車競技法の構造は不思議なものです。同第1条第1項により、競輪事業施行者は「都道府県及び人口、財政等を勘案して自治大臣(注:現在は総務大臣)が指定する市町村」に限定されています。そうであるとすれば、本来、場外車券売場を設置できるのは競輪事業施行者に限定されるはずです。しかし、第4条により、場外車券売場の設置者は、競輪事業施行者に限られないのです。しかも、場外車券売場を設置する者は、競輪事業施行者でなければ、車券を販売することはできません。被告の主張が正しいとすると、場外車券売場の設置許可は、自動車運転免許と同じようなもので、本来であれば誰でも場外車券売場を設置する自由があるということになります。しかし、そうであれば、車券を販売する自由がないということと矛盾しないでしょうか。ちなみに、自転車競技法第4条の規定が存在しなければ、競輪事業施行者以外の者が場外車券売場を設置した場合、刑法第186条第2項に規定される賭博場開帳等図利罪などに問われかねないはずです。

  法律の条文には「許可」と書かれていますが、行政法学でいう許可であるか認可であるか、あるいは特許であるかは、文言だけで決定されるものではありません。

  許可であれば、被告の説明は正しいことになります。たしかに、競輪事業施行者でない者であっても場外車券売場としての建物を造ることはできます。

  これに対し、特許であるとすれば、競輪事業施行者以外の者が場外車券売場の設置をなす自由は存在しないという前提があることになります。特許によって、新たに権利能力や権利や包括的法律関係が設定されることとなります。特許は、電力事業や鉄道事業などの「公企業」について認められることとなります。しかし、自転車競技法第4条の規定を読む限り、場外車券売場の設置は特許ではないと考えられます。

  それでは、認可なのでしょうか。認可は、鉄道やバスの運賃の改定、農地の売買などが代表例で、私人の行為を補充して法律上の行為を完成させる行為をいいます。つまり、認可を得られなければ、運賃の改定、農地の売買などは無効です。場外車券売場第4条の「許可」はこの認可にあたると考えられなくもありません。しかし、建物を造ることと車券を売ることは別であり、しかも両者の事業主体が異なりうることを念頭に置けば、認可と考えることは妥当でないでしょう。

  結局、設置許可は行政法学上も許可であると考えられるのです。

  私の考え方は、藤井弁護士の説明と異なります。しかし、引用文にも示しましたように、自転車競技法の構造は不思議なものです。場外車券売場の設置自体が私人の自由に属するとしても、私人は車券を販売することができません。結局、競輪事業者である都道府県または指定市町村に施設を賃貸するしかありません。そうであるとすれば、実質的には建築確認と性質をそれほど異にしません。

  あるいは、次のように説明できるでしょうか。場外車券売場の設置許可は、単に施設の設置許可でありますが、車券を都道府県または市町村が販売することにより、施設の設置者である私人には、地域独占的な利益が生じることになります(これは、自転車競技法という法律により、設置許可を申請した私人に認められる「法律上の利益」につながると考えられます。単なる反射的利益であれば、設置許可を申請するだけの意味が稀薄になります)。パチンコ屋や雀荘、ゲームセンターであれば、距離制限などに服するとは言え、営業の自由が認められますから、地域独占的な利益が生じるとは言い切れません。実際、私が住んでいる大分市内の某地域では、パチンコ屋が3軒、ゲームセンターが2軒あります(この他、風営法が適用される喫茶店が数件あります)。詳しいことは不明ですが、これら全ての店舗の経営者が同一であるとは考えにくく、営業の自由、営業競争の自由が存在するはずです。これに対し、場外車券売場の場合、同じ地域、さらには同じ市町村(特別区を含む)に、複数の私人が売場を設置するということはないでしょう。宇佐市にはサテライト宇佐しかありませんし、中津市にも場外馬券売場が1つしかありません。私の知る限りでは、中央競馬の場外馬券売場が渋谷、新宿、浅草にありますが、渋谷を例に取れば、山手線の渋谷・恵比寿間、東急東横線の渋谷・代官山間にある並木橋に一つあるだけです。渋谷区の代々木、神宮前(原宿)、恵比寿などには存在しないのです。それに、場外馬券売場が同一市町村内に複数存在したとしても、パチンコ屋やゲームセンターなどのように競争原理が働くとは思えません。

  このように考えると、場外車券売場の設置許可は警察許可と異なる性質を有する、と考えざるをえません。

  もっとも、藤井弁護士も、場外車券売場設置許可が行政法学上の認可または特許であるという主張をされておりません。そのため、許可としては相当に異質なものであると言いうるでしょう。少なくとも、警察許可よりも行政庁の裁量権が大きい許可であると言わざるをえなくなります。

  私が、法廷で藤井弁護士の説明を耳にしながら考え付いたことは、裁量収縮論でした。国家賠償法の分野で多用されるものですが、この理論の母国であるドイツでは、既に国家賠償法の領域のみならず、行政裁量論そのもの(行政行為の取り消しなどで問題となる)で用いられているはずです。適用違憲を主張するのであれば、裁量収縮論も使えるかもしれないという漠然とした考えが浮かんだのです。 明示的にか否かは別として、適用違憲の故に設置許可を無効とする判決が下されるならば、裁量収縮論が用いられる可能性はあります。

  藤井弁護士の説明に戻りましょう。次にあげられたのは、手続面での違法です 。地元自治体の同意は、1995(平成7)年4月3日付の「場外車券売場の設置に関する指導要領について」によって規定されていました。これによると「場外車券売場の設置にあたっては地域社会との調整を十分に行うよう指導する」とされています。通達を発した側自身も、合理的な理由なくして通達に違反できません(当然の帰結となります)。 実際の手続をみても、通商産業省(当時)は、設置許可の申請を受けながらも、日田市の姿勢を考慮して即答していません。しかし、結局、2000年6月7日付でサテライト日田設置許可処分がなされます。これは「地元自治体が反対の意思を明確に表明している状況の中でなされた初めての設置許可処分であって、処分手続の際に地元自治体の意向を反映させなかった点で手続的にも違法な処分である」と評価されたのです(引用は、控訴理由書13頁より)。

  また、自転車競技法第1条については、賭博行為としての違法性を阻却する規定であり(刑法第35条も参照)、控訴理由書においては最大判昭和25年11月22日刑集4巻11号2380頁も引用されています(公営カジノ構想を抱えている自治体の関係者は、おそらく、読んだことも、それどころか、この最高裁大法廷判決の存在すら知らないのでしょう)。藤井弁護士の説明も、この違法性阻却に着目し、仮に地元の同意が不要であるとすれば、自転車競技法第1条の趣旨に反するという内容でした。

  続いて、自転車競技法第4条による許可についての説明がなされました。憲法第92条にいう「地方自治の本旨」を具体化したのが地方自治法であり、とくに、1999年、地方分権一括法による改正がなされたことにより、地方自治体の位置づけや役割の強化もなされています(もっとも、地方分権一括法による自転車競技法の改正はなされていませんが)。これを踏まえると、自転車競技法第4条は、場外車券売場が設置される市町村の法的利益を保障すると解すべきであり、また、こうした市町村に、処分の無効確認などについての原告適格を認める規定であると解すべきである、と主張されました。仮にこれが認められないとすると、自転車競技法第4条そのものが憲法第92条にいう「地方自治の本旨」を損なうことになり、違憲であるというのです。大分地方裁判所での段階においては、法令自体の違憲性が主張されましたが、適用違憲は福岡高等裁判所の段階に入ってからのものです。

  そして、行政事件訴訟法第14条第1項に定められる出訴期間についても、意見が開陳されました。この規定は、取消訴訟の提起の期間を制約しています(日田市は、処分の無効確認とともに処分の取消も請求しています)。この制約は、処分の相手方である私人を想定しているのですが、それをそのまま地方自治体にあてはめると不都合が生じます。地方自治法第96条第1項第12号という特別の規定があるからです。提訴をするには、訴状を完成させればよいというのではなく、議会での承認(議決)を必要とします。そこに至るまでの手間などを考慮に入れると、処分が行われたことを知った日から3ヶ月という期間の制約が置かれるならば、地方自治体は取消訴訟を全く提起できなくなります。日田市のような地方自治体については、出訴期間を機械的に適用することが問題となる、という訳です。

  控訴理由書は、原判決に対する批判という独立の項目を設けています。藤井弁護士の説明も、この項目に基づき、簡略化したものとなっています。原判決(今年の1月28日に大分地方裁判所から出された判決)の誤りは、(1)新潟空港訴訟判決以来の最高裁判例と矛盾する、あるいはそれから後退している(地方自治体固有の原告適格論も展開されていない)、(2)自転車競技法を単なる競輪事業実施法に留まるものとして解釈しており、許可制度の歴史的な背景(但し、骨格には変化がない)をも軽視している、(3)まちづくり権に関する判断の誤りがある、以上の三点であるとまとめられています。そこで、福岡高等裁判所では、(a)サテライト日田設置許可処分は違法である、(b)自転車競技法第1条・第3条・第4条の手続にも違反している、(c)サテライト日田設置許可処分は地方自治体の自治権・まちづくり権を侵害する、という判断がなされるように求められ、説明が終わりました。この時点で14時45分ころだったはずです。

  裁判所からは、甲58号証として日田市側が提出した新聞記事(関連記事)について質問が出されました。政治的意図云々のありやなきやが問われていました。日田市側は、そうした意図がないと答えています。それから、被控訴人による答弁書について、反論の機会をもつことが示されました。

  さらに、福岡高等裁判所は、控訴人である日田市に対して、原告適格と本案(自治権の主張、自転車競技法の憲法適合性など)とにおいて混然となされている憲法理論を区別するように求め、被控訴人である経済産業大臣(実際にはその訴訟代理人)に対して、原告適格についての判例が基本的に私人の場合に妥当することを指摘し、判例で示された理論などが地方自治体にも妥当するのか否かについて検討するように求めました。そして、次回の口頭弁論 を、11月10日(月)、13時30分からとすることが決められました。

  こうして、平成15年(行コ)第5号行政処分無効確認・同取消請求事件の第1回口頭弁論は終わりました。第2回は、私にとって、仕事の関係から苦しい日程なのですが、都合をつけて、何としても参加したいと考えています。

  終了後、15時をすぎてから、福岡弁護士会館の3階で集会(大分地方裁判所の段階では玄関で行っていたもの)が行われました。大石市長、寺井弁護士、藤井弁護士、そして日田市議会議長の諫山洋介氏が挨拶し、寺井弁護士と藤井弁護士が若干の解説などを行いました。なお、自転車競技法の許可の性質について私が藤井弁護士と意見交換をしたのは、この集会が始まる直前のことです。

  集会が終わり、多くの方々が帰途に着きました。そのまま記者会見に移行しましたが、記者クラブでもない所だったので、私などは残っていました。まずは大石市長が挨拶をし、今日で結審、つまりは控訴棄却の可能性もあったが、原告適格について再検討の指示が出たことに触れ、これを歓迎する趣旨が述べられたはずです。

  続いて、寺井弁護士が今日の経緯を説明し、本案(実体)審理については、提出された書面を見て判断するという裁判所の意向に触れました。今回の場合、大分地方裁判所が原告適格のみを判断し、本案審理に入っておりませんので、福岡高等裁判所で本案審理に入るかどうか、ということになります。本案審理に入るとすれば、事件が大分地方裁判所に差し戻される可能性のほうが高いのです。

  ここから、傍聴を前提とする質疑応答が行われました。

  まず、藤井弁護士が、本案審理と原告適格について、憲法理論が混在しているので、もっと整理して欲しいというのが福岡高等裁判所による注文だったと説明しました。その上で、被控訴人が最高裁判例を引用しているが、それは一般私人を対象とした場合の話であって、地方自治体自らが原告である場合には、判例の引用や参照について再検討、再分析する必要がある、とする福岡高等裁判所の説明(これが、先ほど述べた被控訴人への注文になります)について、控訴人の主張を踏まえたものであるという評価を示しました。

  続いて、某記者から、積極的な訴訟指揮を裁判官に求めるのか、その期待可能性はあるのか、という質問がなされました。これに対し、寺井弁護士は、かなり期待しているとこたえました。

  さらに、日田市と別府市との関係について、働きかけがあるか否かの質問がなされました。これについては、大石市長が、別府市の姿勢が若干後退しているような印象があるというようなことを答えた上で、5月上旬の会談以降、話し合いはしていないこと、事務レベルでは5月に2度の申し入れをしていることを明らかにしました。

  これで記者会見も終了しました。私の腕時計は、既に16時近くを指していました。今回は、かなりの長文となりましたが、それだけ、色々な内容が盛り込まれているということです。少なくとも、6月23日の午後は、私にとって相当に密度の濃い時間でした。T氏と、口頭弁論を振り返りながら地下鉄赤坂駅まで歩き、私はそのまま天神まで歩き続けました。

  私自身がこの問題に取り組み始めて、既に3年近くが経過していますが、不定期とはいえ、ここまで連載を続けることができました。 問題が続く限り、連載は継続する予定ですので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

 

(2003年6月26日)

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