暮らしの視点で合併を考える

{湯布院町女性団体連絡協議会主催「女性の集い」、2002年8月19日、湯布院町中央公民館}

 

序(2004年11月19日)

  以下は、上記題目の下で行った講演のための草稿です。 表題に比較すると内容が難しくなっており、日常生活への影響などについて十分な議論を展開できないものとなりましたが、私の問題意識などを正面に出しているものと考えています。

  上記の通り、この講演は、2002年の夏に行ったものです(余談ですが、この年には夏休みをとっていません)。これまでの講演と内容が重複する部分が多く、掲載を見合わせてきましたが、私の市町村合併に対する考え方を示すため、発展と変化などを示すために、公表することといたしました。既存の論文や講演との重複は、時期的なもの、私自身の思考過程によるものと受け取っていただければ幸いです。

  なお、以下においては、一部を除き、すべて2002年8月の時点における内容のままとなっています。従って、役職名、ホームページのアドレス、大分県における合併への動きに関する記述なども当時のままであり、ほとんど修正を行っていないことを、あらかじめお断りしておきます。

  当日は、時間の関係もあり、項目を選びつつ、適宜要約して話をさせていただきましたが、ホームペ−ジにて公開するにあたり、全文を公表することといたしました。 この場をお借りして、湯布院町役場総合政策局(当時)の溝口隆信氏、湯布院町中央公民館の皆様、湯布院町女性団体連絡協議会の皆様、そして御来場の皆様に、改めて御礼を申し上げます。

 

T.はじめに

 

  今回、湯布院町役場総合政策局の溝口隆信氏より御依頼を受け、湯布院町女性団体連絡協議会の皆様の前にて市町村合併に関するお話をさせていただくこととなった。

 昨年(2001年)の8月、国は「市町村合併支援プラン」を策定し、公表した。それ以来、大分県においても市町村合併に向けた動きが加速している。今年(2002年)5月1日には、国のプランにおいて重点合併支援地域に指定されている佐伯市と南海部郡町村との計9市町村による法定の市町村合併協議会が設置された。今年1月23日には日田市郡合併協議会準備委員会(任意の市町村合併協議会にあたる)の設置などの動きがあり(1)、大分郡の4町(湯布院町、庄内町、挟間町および野津原町)による任意の市町村合併協議会も設置されている。

 大分県も、5月17日に市町村合併支援本部の会議を開催し、「大分県市町村合併支援プラン」を決定した。これは、3月に総務省が示した「市町村合併の協議の進展を踏まえた今後の取り組み」という新たな指針に基づいている。

 これまで、論文「地方分権下の市町村合併(2)、およびその基になった講演の他、今年の初めに「市町村合併―合併しなかった場合に生じうる問題を中心に―」という講演を行った(3)。その時からでも、全国各地で市町村合併に関する様々な動きがみられる。そのこともあり、何が長所なのか、何が短所なのか、否、そもそも市町村合併とはいかなるものであり、何のために行われるのかということが、住民にとってわかりにくいものになっているのではないか。また、静岡市と清水市の合併協議の様子などを概観すると、住民への十分な説明がなされたのか、今後の新たなまちづくり(地域作り)というヴイジョンがあるのか、などの問題が浮き彫りになってくる。さらに言うならば、大分県の場合、過疎化の進行を食い止めることができるのか、などの問題がある。

  1990年代に始められた地方分権改革が進められると、国および都道府県から委譲された権限を十分に行使しうるだけの自治体を作る必要があるから、市町村合併は必要であるという主張がなされ、いまや支配的な流れとなっている。特例市や中核市も,こうした風潮から登場したものと考えられる。また、高度経済成長期以来、自動車社会化が進行したことに伴い、住民の生活圏(通勤、買い物など)が拡大したのに対し、行政区域にはあまり変化がみられないことに大きなズレがあることも指摘されている。こうしたことに対応するために、市町村合併が必要である、と主張されるのである(4)

  私は、これまでの講演や論文において、市町村合併について懐疑的な意見を述べてきた。根本的な理由として、ここでは、現在、政府が強力に推し進めようとしている市町村合併については、市町村合併特例法に定められているような市町村の「自主的な」取り組みの援助という枠組みから逸脱しており、まさに強制的な側面を強めているという点において、反対せざるをえない(少なくとも、批判せざるをえない)側面があることをあげておく。

  しかし、いずれにせよ、市町村合併への動きは、全国においても一層急速になっている。地域によっては、住民の側から積極的に合併を目指す運動を起こすこともある。逆に、合併に反対し、独自のまちづくりを目指そうとする所もある。一方、住民不在のまま、あるいは、住民の十分な理解を得られないまま(敢えて得ようとする努力をしない所もあるかもしれない)、合併に向かおうとする市町村も存在するであろう。何故に市町村合併が必要とされるのか、何が長所であり、何が短所であるのか、という基本的な事柄について、政府やマスコミによっても理解しやすい説明が十分になされているとは言い難い状況にある。

 また、一口に市町村合併と言うが、政令指定都市を目指す地域とそうでない地域など、様々な差異があり、単純な比較は慎むべきであろう。大分県の市町村合併推進要綱においても「中核的機能を充実させるための市町村合併(人口30万人以上)」(5)、「地方中核都市を形成するための市町村合併(人口5万〜10万人程度)」(6)、「市制移行のための市町村合併(人口3万人〜5万人程度)」(7)、「行財政の基盤を強化するための市町村合併(人口3万人程度)」(8)があげられており、これらに応じて様々な支援策などが用意される。

  そこで、今回、短い時間ではあるが、市町村合併についてお話をさせていただくこととなった。なお、この問題については、実に多くの解説書などが出版されているし、新聞などでも報じられているので、注意して御覧いただきたい。また、私のホームページも参照していただければ幸いである。

 

U.何故、市町村合併が求められるのか

 

  市町村合併の大きな波は、明治22年、昭和20年代後半から30年代、そして現在に来ている。どの時点においても、市町村の権限の拡大と財政面での強化が目標とされている(9)。とくに、今回の波の場合、バブル経済崩境後に景気拡大策としてとられた公共事業の拡大などにより、国も地方も莫大な財政赤字を抱えるという事態が、合併の背景にある。つまり、今回の市町村合併の背後に(あるいは隠された最大の目的として)、地方交付税や補助金などの合理化(削減)によって国の財政状況を少しでも改善しようとする意図があるのは明白である10。一見矛盾するようであるが、市町村合併特例法の失効時までに、合併特例債の発行を認めたり、地方交付税の配分に優遇措置を設けたりするなど、様々な財政上の特例措置を用意することが、国の強い意向を雄弁に物語っている。勿論、その特例措置は一時的なものである。

  既に、地方交付税を全体的に削減する方向が、政府によって決定されている。地方交付税の原資となるのは所得税、消費税、たばこ税などであるが、その分では財政赤字を埋めるに足りず、地方交付税特別会計借入金11などによって補填していることが、原因の一つである。削減の際、これまで過疎地域に手厚い保護を与えていると評される段階補正を消滅させる、そこまで行かなくとも簡素化する、などの手段がとられることとなる12。このようになると、市町村合併をしない限り、(厳密か否かは別として)従前の配分は保障されないこととなる13。その場合、自主財源に乏しい町村は、存在すら危うくなる。大分県においても、介護保険など、義務的負担の割合が増加することにより、各市町村の財政の硬直化が進行している。しかも、これらの制度の根本的な見直しを期待できない。それだけに、市町村の行財政はますます深刻な状況に追い込まれる。受益者負担論的な表現を用いれば、住民の負担は、住民が行政サービスから受ける利益に比して極端に上昇し、不均衡が拡大する危険性を避けることができなくなる。

  現在、第2次地方分権改革の大きな課題は、地方税財政制度の抜本的な見直しであり、中でも地方税制である。第1次分権改革においても、地方自治体の自主財涼の確保・拡充は最大の課題であったが、国税と地方税との税源配分を伴うため、財務省(大蔵省)の反発を招き、法定外目的税の導入など、若干の制度変更に留まった。また、仮に地方税制の改革が行なわれたとしても、主に都道府県レベルでの話であり、市町村税レベルでは急速に進まない。むしろ、ほぼ現状のままと考えてよいであろう。

 日本の場合、国の財政は、先進各国の中で突出した赤字であるとともに、地方財政の赤字も例を見ないほどに悪化している。先進諸国において、中央政府の財政赤字はEU加盟諸国などでもみられるが、地方政府(州、地方自治体)の財政赤字が日本ほど巨大である国は存在しない。また、日本の場合、歳入については国:地方=6:4であるのに対し、歳出については国:地方=4:6であると指摘されている14

 本来であれば、国と地方との間の税源配分について根本的な見直しが必要であり、また、実質上は国庫補助金とそれほど変わらない性質となっている地方交付税制度の見直しが求められるべきである。目下、地方交付税不交付団体が、都道府県では東京都のみであり、市町村でも数えるほどしか存在しないという事実は、日本国憲法制定後に顕著となった都市への人口移動(とくに首都圏への人口の集中化)などの現象を考慮に入れたとしても、異常である(長い間、このことが何か当然のこととして前提とされていたように思われていた節もあるが)。しかも、これまでの制度によれば、自主財源比率が少ない地方自治体ほど手厚く保護されるため、多くの地方自治体の自主性、財政上の管理運営能力などを損なわせてきたという趣旨の批判もなされている。このことにより、市町村の財政も効率的でなくなり、硬直化するという訳である。また、本来、地方自治体により提供される行政サービスは、地域住民が支払うべき地方税により担われるべきである。この点からしても、現在の地方財政は非常に歪な形となっている15

 それならば、地方財政の拡充(税源の移転など)をなせばよいのであろうが、財務省の抵抗などもあり、実現は難しい。また、地方自治体自身の改革も求められており、それが必要であることは当然であるが、おのずから限界がある。しかも、従来から地方自治体は多くの事務を国に代わって取り扱ってきたが、地方分権の下、多くの事務、そして多くの権限が地方自治体に移されている。法定外普通税および法定外目的税を導入するとしても、財政への効果は微々たるものである。

  これとは別に、現在の市町村制度が税源配分を困難にしているという議論もある。石原信夫氏は、地方分権の柱の一つである権限配分16に関連して、「今の市町村制度は、比較的力の弱い自治体を基本とした制度として組み立てられてい」るために「大都市や中都市では移譲された事務を担えても、小規模団体では担えないことがはっきりしてしまい、そのことが、改革を困難にした」と指摘し、そのことが「現在焦点になっている国から地方への税源委譲を難しくしている理由のひとつでもある」と述べる17

  いずれにせよ、地方分権の本来の課題である自主財源の拡充(税源再配分)は、都道府県レベルはともあれ、市町村レベルにおいては期待できない。また、地方交付税についても、原資の問題からして、増額はありえないということになる。

 ここで、2001年7月2日に解散した地方分権推進委員会による諸勧告などを概観しておくこととしよう。ここで打ち出された方向性が、地方分権改革推進会議においても採用されているからであり、大きな変更は期待できないからである。

  まず、地方交付税についてであるが、中間報告においては、財政調整としての機能の維持、さらに「地方交付税制度の運用のあり方については、地域の実情に即した地方公共団体の自主的・主体的な財政運営に資する方向で、見直し検討する必要がある」とされていた。そして、第二次勧告においては、地方交付税の算定方法に関して「実施事業量に応じた動態的な算定方法」の活用、および、全体的な算定方法の簡素化が提唱されている。

  ここでいう簡素化であるが、「普通交付税の基準財政需要額については、測定単位として用いることが可能な信頼度の高い客観的な統計数値が存するものは、補正係数を用いて算定している財政需要を極力、法律で定める単位費用として算定するとともに、特別交付税についても、できる限り簡明な方法により財政需要を算定していく」とされている。

  また、地方交付税の算定については「地方公共団体の意見をより的確に反映するとともに、その過程をより明らかにするため、地方公共団体は地方交付税の算定方法について意見を申し出ることができることとする」などの法律的制度の設置などが提唱されている。

  これを受け、第1次地方分権推進計画は、地方交付税の算定方法に関する地方公共団体による意見の申出について「自治大臣は、地方財政審議会に地方交付税に関する事項を付議するに際して当該意見を付すること等の法令に基づく制度を設けること」などを定めている。地方交付税の算定については、地方公共団体の自主的な財政再建や行政改革に向けての努力、さらに市町村合併の取り組みが考慮されるということになる。

  一方、20001025日の地方制度調査会「地方分権時代の住民自治制度のあり方及び地方税財源の充実確保に関する答申」は、地方税の拡充に努めることを第一義としながらも、「税源の偏在による財政力の格差を是正するとともに、地方行政の計画的な運営を保障し、地方公共団体が法令等に基づき実施する一定水準の行政を確保するため、地方交付税の所要額を確保することが必要である」としている(これ自体は当然のことである)。また、2000年度から設けられている意見提出制度(地方交付税法による)の趣旨の周知徹底を協調する。

  地方交付税の算定については、地方公共団体の意見をより的確に反映するとともに、その過程をより明らかにするために、平成12年度から地方交付税法に基づく意見提出制度が設けられたところであるが、同制度の趣旨の周知徹底に努め、地方公共団体の積極的な活用を促すとともに、その円滑な実施を図るべきである、としている。

  基準財政需要額については、「合理的かつ妥当な行政水準の確保のためあるべき標準的な財政需要を測定するものであり、常にその算定のあり方を点検するとともに、地方分権の時代にふさわしい簡素で効率的な行政システムの確立、行財政運営の効率化・合理化の要請を的確に反映させる観点から、算定の一層の合理化を図るべきである」としている。そして、「地方の固有財源である地方交付税の性格を明確にするため、国の−・般会計を通すことなく、国税収納金整理資金から、直接、交付税及び譲与税配付金特別会計に繰り入れるようにすべきである」と述べている。

  次に、国庫補助負担金である。

  中間報告においては、基本的に縮減などの方向で見直すこと、また、統合・メニュー化、交付金化を進めること、補助条件などを緩和すること、補助対象資産の有効活用や転用を図ることが提唱されており、中間とりまとめにおいては、国庫補助負担金の一般財源化(およびそのための一般財源の確保)が示されていた。これを受ける形で、地方分権推進計画においては、基本的には地方公共団体の全額負担を原則として(法定受託事務などについては例外がある)、整理合理化、存続させる場合の運用および関与の改革、地方一般財源の充実確保の三つを柱として見直すことが主張されている。しかし、地方一般財源の充実確保については、具体性に乏しい。次に、整理合理化であるが、廃止・稀減、スクラップ・アンド・ビルド、対象の限定(「生活保護や義務教育等の真に国が義務的に負担を行うべきと考えられる分野」)、経常的国庫負担金の確実な負担、などが示されている。また、存続させる場合の運用および関与の改革については、事前手続の簡素化、交付決定の迅速化・弾力化、二重手続の廃止などの簡素化などが提唱されている。既に措置済みのものも多かったが、手続の簡素化などについて具体的なことには触れられていない。

  国庫補助負担金については、おそらく、地方公共団体によって考え方を異にするのではないかと思われる。大分県臼杵市長の後藤囲利氏は、「現在の国の補助金制度は、国が口出しをする部分が大きく、自治体の主体性を奪っている。これをやめ、地方交付税に一本化すべきだ」という意見を述べている18。しかし、地方公共団体によっては、国庫補助負担金の完全廃止に反対する所もあると思われる。中央省庁の抵抗もあり、改革はほとんど進んでいないが、国庫補助負担金の整理統合が進められるならば、市町村の決定権限に基づく事務処理や政策決定が可能になるが、その分、財源保障がなされないこととなる。そのため、義務教育の遂行などに障害が生じることもありうる。

  地方分権は、さしあたり、都道府県への権限委譲であるが、政令指定都市や中核市(その前の段階の特例市)にも多くの権限が委譲される。それだけに、地方分権は、十分な税財源の裏付けがないままに多くの権限が移される、すなわち、任務が増える地方公共団体の行政活動に、一層の効率性を求めることになる。しかし、これには一定の限度がある。むしろ、小泉内閣が唱える「構造改革」の「骨太の方針」(2001年6月に公表された「今後の経済財政運営および経済社会の改革に関する基本方針」)は、加茂利男教授がまとめているように、「経済や財政の足を引っ張っているのは地方であり、とくに地方の人口1万人以下の小規模自治体は地方交付税に財源の大半を依存している。自主財源が10%、20%という状態が続いている限り、地方が自力で地域経済を作り出し財政基盤を強化していくという考えが出てこない。そこで地方交付税を改革して小規模自治体への割増配分をやめ全体として交付税の額を縮減する。そうすると農村部の自治体は立ち行かなくなるので、3200ある自治体を1000程度に整理して効率的で体力のある自治体にする。市町村合併を『構造改革』の地方版として打ち出したのである」19

 このことからすれば、今後、小規模自治体の住民は、その自治体が合併をしない限り、介護保険であれその他の行政事務であれ、従前のサーヴイスを享受できなくなる可能性が高い。

 

V.市町村合併がもたらすもの

 

 市町村合併は、地方自治体の改革(行政改革)の一環としても位置づけられている。

 既に別稿において、政府の「市町村合併支援プラン」について、簡単ながら検討を加えた20

  これについて追加的なことを述べるならば、このプランには、これまでに一部事務組合や広域連合によって対処してきたと思われる事務が多く掲げられている点も目立つ。例えば、生活環境に関するものとしては、既にごみ処理や消防(救急活動を含む)については、多くの地域において一部事務組合や広域連合が作られ、運営されている。また、介護保険についても、福岡県のように大規模な広域連合が作られた例もある。しかし、地方交付税または国庫補助負担金制度の活用によって合併を推進するとともに、合併をしない小規模市町村に対する支出を削減することが明らかである。このことから、市町村合併が行われない限り、ダイオキシン対策などが進まないという事態が生じうる。

  また、小規模の市および町村の場合、人事が停滞しがちであることも、度々指摘されている。これでは時代に即応した行政を運営することができない。理念的にはどうであれ、現実の問題として、市町村合併推進派の代表的論客、小西砂千夫氏が指摘されるように、「役場に町の将来像への構想を高めていく人材がいない。職員の能力以前に、あまりにも定型的なルーティン・ワークが多く、企画・政策に携わる職員が少ない」21。さらに、小西氏は「役所が自己決定するには最低限の職員数が必要で」あり、「せめて人口1万人以下の町村は行政規模の拡大を図」らなければ「意思決定力は育ち得」ないと断言する22。若干の例外はあるが、とくに町村において人事そして行政が停滞しがちであることも事実である23。市町村合併によって地方分権の受け皿としての市町村を確立させるということに、論理の飛躍などがあることは否めないが24、現実の問題として、介護保険などのことを考えるならば、制度の根本的な見直しが期待されえないだけに、市町村合併はやむをえない選択なのかもしれない。

  既に、行政能力の点について、市町村合併に関する私の考え方が(部分的とは言え)変化していることを述べた。この行政能力という言葉は曖昧で、具体的な意味は論者によって異なりうるのであるが、第一に「法を事実に適用、調和させていくこと」であり「法を現場に適用していく」こと、「法律の趣旨が生きていくように適用していく」ことである25。第二に、政策なり企画なりの策定能力である。地方分権改革は、少なくとも、これまで地方自治体の任務とされながらも(決定)権限が国に与えられていた事務の多くを、機能分担の考え方に応じて名実ともに地方自治体の事務となるようにすることを意味する。従って、まちづくり、高齢化対策など、市町村が主体性を持って、すなわち、住民の需要に即して自らの判断の下に政策を形成し、決定する能力が求められることとなる26。このためには、地方税財政制度の改革との関連において、従来のように国および都道府県からの指示を待つという姿勢ではなく、限られた財を有効に用いることが求められる。

  理念的には、北海道ニセコ町、大分県臼杵市、熊本県水俣市、佐賀市などが示すように、市町村の規模と行政能力とは無関係であるはずである。少なくとも、大都市だから行政能力が高いとか、人口に応じて行政能力の高低が決定される、ということにはならない。例えば、北海道ニセコ町の場合、200012月、自治体の憲法とも称される「ニセコ町まちづくり基本条例」が制定され、2001年4月から施行された。この条例について詳細を述べることは差し控えるが、町長の逢坂誠二氏のイニシアティヴによって制定され27、当初から、市長、町役場職員、そして住民代表が、対等の立場で協議するという形で進められ、草案が逢坂氏のホームページで随時公開されていた。このように、制定過程を透明化することにより、住民は勿論、外部からの意見をも積極的に取り入れようとしたのである。このようなことも、行政能力として評価されなければならない側面であろう。度々主張される行政能力の意味を問う上においても、この条例は非常に重要な意義を持つものであり、或る意味においては、政府(地方分権推進委員会などを含む)に対するアンチテーゼとなっていることにも注目したい。

  小西氏の議論については既に述べたとおりであるが、ここでは、総務大臣の片山虎之助氏の発言を取り上げよう。片山氏は、朝日新聞のインタヴユーに対し、現在の3228市町村の規模や能力に格差がみられることを指摘し、「権限や税財源を委譲するにも、きちんとした仕事のできる能力が必要だ」、「どれだけの規模が必要か明確な基準はないが、福祉や都市計画を市町村で意思決定するには今の規模では小さすぎる」28、「合併をすれば長期的には財政は効率化される」などと述べている29

  片山氏の発言には、次のような前提がある。地方分権は、さしあたり、都道府県への権限委譲であるが、政令指定都市や中核市(その前の段階の特例市)にも多くの権限が委譲される。それだけに、地方分権は、十分な税財源の裏付けがないままに多くの権限が移される、すなわち、任務が増える地方公共団体の行政活動に、一層の効率性を求めることになる。

 これに対し、逢坂氏は、ニセコ町の地方税収入が6億5千万円であるのに対して人件費のみで7億円を必要とすることを認めた上で「専門性をいかに発揮するかが課題となる。強調したいのは、合併だけが解決策でないことだ」と述べる。そして、行財政能力の一面である専門性については、まちづくり基本条例を引き合いに出しつつ、「専門職員がいなくても、人的なネットワークがあれば高度なこともできる。そうした専門性は合併すれば即、備わるというものではない」と述べる。さらに、市町村合併だけが選択肢ではなく、「(自分たちの町という)気持ちを壊さないように財政基盤、効率性、専門性の三つのポイントを確保する方法」を探っていくべきであること、市町村合併については国や都道府県が市町村合併について具体的なシミュレーションを作る必要性を指摘している30

 以前から、私は、逢坂氏の主張に同意している。大分県を見ても、合併することによって行政能力の向上に直ちにつながるとは考えにくい。むしろ、求められているのは、逢板氏が指摘するように、市町村あるいは都道府県の枠を超えた人的ネットワークである。この他、地方自治体の議会の議員が有する政策形成能力の向上であり、職員採用試験など人事のあり方であり、住民意識の向上である。これらは、むしろ合併によって失われる可能性がないともいえない。たしかに、小規模の市町村の財政規模は小さく、国民健康保険制度や介護保険制度の運営を中心に、苦しい経営を迫られている。しかし、本来、市町村は基礎的な地方公共団体であり、住民と最も密接に関係するものである。財政能力がないと言われることの根本的原因は、自主財源が少ないことにある31。憲法において地方自治が保障されているにもかかわらず、これまで、財源を含め、市町村の自治が十分に保障されてきたとは言い難い部分もある。地方税制度の抜本的な見直しがなされないまま、市町村合併の口実にされるのであるから、議論が逆転していると思われる。また、国民健康保険制度や介護保険制度などについては、本来ならば国が運営すべきものであり、そもそも保険制度を市町村が運営すること自体に無理があるという指摘もなされている32。かような諸制度に対する根本的な見直しがなされないままに市町村合併を進めた場合、短期的にはともあれ、長期的な視点からすれば、地方自治体の行政能力の向上につながるとも思われず、地方自治体の財政事情を改善させるものと考えることもできない。

  しかし、実際には、やはり、市町村の規模に応じて行政能力が拡大・縮小していくことも否定できない(勿論、一概には言えないという留保を付さなければならない)。例えば、入札制度の改革、電子自治体プロジェクトをあげることができよう。大多数の地方自治体においては、議会を含めて、停滞あるいは沈滞状況が続いている。また、地方税財政制度の根本的な改革が遅々として進まない中、地方自治体の財政の硬直化が進んでいる。これ自体は、地方自治体の規模に無関係である。しかし、地方分権改革によって事務権限(実際に行う権限のみならず、第一次的な決定権限を含む)が地方自治体に移されるため、介護保険など、義務的負担の割合が増大し、硬直化に拍車をかける危険性は非常に高い。のみならず、今後、住民の負担は増えることになる。これを少ないほうに抑えるために、市町村合併という選択肢が存在する。

  さて、市町村合併をすることによって、どのように行政能力が向上するのであろうか。

  木村陽子氏は、介護保険に関する論考において、「政策を立案し、目標を設定し、実施し、評価し、サービスの質を確保する、またそれが政策に反映されるという一連の動きのなか、自治体は必ずしも行政サービスの実施者になる必要はない。介護・福祉領域でも同じである。自治体は地域の固有のニーズを把握し、それに応じた計画を立て、実施し、サービスの質が確保されているかを見極める目を持つ必要がある」と述べた上で、「したがって、要請される役人の資質も変わる。法律や規則等に応じて事務を実施できるというよりも、企画力や立案能力、現場を見て構造的な問題が把握できるかが問われることとなる」と述べる33

  しかし、これだけでは市町村合併を推進すべき理由とならない。木村氏は、現在3000以上も存在する市町村の大部分が「地域の固有のニーズを把握し、それに応じた計画を立て、実施し、サービスの質が確保されているかを見極める」能力を持っていないということを前提として、次のように述べる。

  「市町村の再編は、21世紀の日本の行財政構造を考えるときには、避けて通れないものである。介護保険の実施は、広域的連携を必要とする分野であり、合併を含め、広域的連携の契機となる。3200の市町村の中には、1つの自治体で自己完結的にサービスを実施しようとすると福祉基盤も専門的人材も不足するところが少なくない。このような場合には、近隣の自治体で協力し合う必要があり、現実に広域的連携をしている市町村が多い。広域連合を組んでいるところもあるが、介護認定や施設の共同利用などいくつかの事務に広域的連携が限られていることが大半である。

  各都道府県は2000年度末までに合併要綱を作成した。これに関連して実施されたある県における自治体の主張、住民などへのアンケートをみると、生来的に合併の必要を感じているものが多く、その理由としては介護行政の遂行に対する自治体の能力への危惧であった。また、1997年から実施されている、いくつかの市町村が協力して事業を実施する広域連合は、意思決定に時間がかかることも考え合わせると、介護は市町村再編の大きな理由の1つとなる。」34

 たしかに、介護保険制度の根本的な見直しをしない限り、市町村が単独で保険者となって介護保険制度を運用することには無理がある。

  しかし、このように書かれているからといって(実際、少なからぬ人がかような意見を述べているが)、法律や規則などの知識が不要であるという訳ではない。むしろ逆で、前提として法律などの知識(さらに言うならば、解釈能力)が求められる。その上での条例制定、規則制定である。残念ながら、これまでの町村については、例外はあるにせよ、法律の解釈能力が十分であるとは言えない。私が、職員採用時の問題を指摘したのは、この行政能力に関係するからである。各都道府県および市町村の行政手続条例などを参照すればわかるが、国の行政手続法をそのまま条文に移し変えたようなものばかりであり、しかもその規定に従った手続がとられていない例も多い。

 

W.行政改革の一環としての市町村合併

 

  これまで、明治22年と昭和30年代に、大きな市町村合併の波があった。明治時代の大合併は、市町村制施行という要素もあるが、軍籍の管理と小学校の事務の委任などが契機となっており、それまで71314あった町村は、39市と15820町村となった(計15859市町村)。その後も、昭和初期に合併が盛んに行われた。また、昭和30年代の大合併は、シヤウプ勧告を経て昭和28年の町村合併促進法に基づいて行われたものであり、日本国憲法において保障された地方自治の強化を建前として、中学校の事務、国民健康保険などの任務が市町村に与えられたことによる。しかし、昭和30年代には主な交通手段が自転車であったが、高度経済成長の影響などもあり、自家用車が主な交通手段となった現在では、生活圏(買い物困)が拡大していったのに行政の単位は市町村のままであり、生活圏と行政との食い違いが拡大していったと指摘されている35。自治省(現在の総務省自治行政局)も「今日、私たちの日常生活圏はますます拡大し、住民が必要とするサービスも多様化・高度化して」おり、「このような時代の要請に適切に対処するためには、市町村の連携による広域行政の展開と並んで、市町村の自主的な合併も有効な方策として考えられ」ると述べている。

  ここにも示したとおり、市町村の適正規模ということが、市町村合併に関する議論の際、度々主張される。表現こそ異なるが、多くの主張に共通する点を最大公約数的にあげるならば、第二次世界大戦後の半世紀間に「社会、経済、文化の発展及び交通通信手段」36の飛躍的な発達が見られたために、市町村という行政の領域と住民の経済的活動圏との間に著しい食い違いが生じている、ということに尽きる。たしかに、首都圏、近畿圏、そして福岡市周辺などを概観すれば、この点は是認できる。また、大分県においても、大分県市町村合併推進要綱を改めて参照するまでもなく、車社会の到来により、通勤、通学、買い物など、住民の生活行動範囲は、市町村の枠を超えて広がっている。このことが、郊外型大型ショッピングセンターの発展とそれに伴う市街地の空洞化、さらに人口や経済基盤が特定の地域に集中するという現象などを生んでいることは否定できない。また、先進各国、とくにヨーロッパ諸国において公共交通機関(路面電車など)の復権がみられ、大気中の二酸化炭素削減にも効果が現れつつあることからして、日本の道路拡張政策(見方を変えれば自家用車推進政策)は時代に逆行していると考えることもできる(実際、そのような意見がある)。しかし、現実の問題として、経済圏や生活圏の広域化は、とくに九州のようなところであれば、今後も進むものと思われるため、それに対応した形での市町村の広域化もやむをえないであろう。

  広域行政とは、都道府県または市町村の区域を超える事柄に関する行政およびその事務である、と定義することができる。本来、地方自治法第2条第5項に規定されているように、広域行政の担い手は都道府県であると考えられる。しかし、とくに過疎地においては、本来的には市町村が担うべき事務であっても、単独では十分になしえない場合も多く、これが広域連合の設立につながった。しかし、広域連合の基本機能は事務処理に過ぎず、国からの権限委譲の受け皿として不十分であるとともに、市町村の持つべき意思決定機能の向上が図られないという指摘がある37

 広域連合は、地方自治法第291条の2以下によって規定されるものであり、国から委譲された事務ないし権限の受け皿として創設されたものである。しかし、これは複数の市町村によって設けられる一種の組合であり、扱う事務の範囲などについて規約を定めなければならない(同第291条の4第4号)38。また、広域連合の議会の議員は、住民による直接選挙または構成市町村議会における選挙(住民による直接投票ではないため、間接選挙である)で選任されることとなっているが(同第291条の5を参照)、実際には間接選挙の場合が多いといわれる。この組織では、住民の意思を適切に反映しにくく、時間もかかり、責任の所在も不明確になりやすい。各市町村に管理部門が残されることから、間接経費もかかる39。そうであれば、合併して一つの市(町村)となったほうが、住民自治を促進しやすい訳である。

 地方分権推進委員会の第1次勧告(平成8年1220日)においても、地方分権を推進するためには市町村の行財政能力を充実・強化することが必要であるという前提を述べた上で、市町村合併の強力な推進を提言している。勿論、広域行政として、一部事務組合、広域市町村圏、広域連合などを推進すべきこともあげられている。しかし、解釈の仕方にもよるが、この時点で、地方分権のためには市町村の行財政能力を強化することが必要であり、そのためには市町村の自主的な合併こそ最も相応しい、という論理が、地方分権推進委員会、さらに内閣や自治省をはじめとする政府の主導的方向性となったと思われる。

  そして、閣議決定である地方分権推進計画(平成10年5月29日)においては「地方公共団体の行政体制の整備・確立」として、「行政改革」、「地方議会の活性化」、「住民参加の拡大・多様化」などとともに「市町村合併等の推進」が掲げられ、広域行政などの推進も示されているものの、最終的に市町村合併推進を目標とするかのような構成が取られるに至っている。

  地方分権推進改革において、多くの都道府県および市町村が望んできた地方税財政基盤の強化、とりわけ地方税を軸とする自主財源の強化について、ほとんど手がつけられていないと評価してもよい状態であった。何よりも、実際の事務量からすれば国と地方との比はおよそ1対2であるのに対し、税収入の比は2対1であるという逆転現象が生じていた。しかし、国の財政状況も非常に悪く、従来のように各地方公共団体に十分な量の地方交付税を配分しえなくなるような状況も見えている。また、財政再建団体に転落し、または転落寸前の状態にまで至った地方公共団体が多くなったとは言え、その実態として無駄の多い行政活動・財政支出が原因であるという部分も多く、情報公開、さらに行政改革を求める世論が高まった。国民健康保険制度の運営における杜撰さ、さらに介護保険が、市町村行政の改革を求める声に拍車をかけたという部分も否定できない。

  市町村合併論者は、多くの場合、行政の効率性を最大のメリットとしてあげる。その際、注目されるのが市町村職員数および人件費である。ここでは、吉村弘氏の議論を、やや単純化して紹介しておく。

  吉村氏によると、市町村職員数は、人口の少ない市町村ほど、人口1000人あたりの職員数が増加する。そして、大都市圏、地方圏とも、人口あたり1000人あたりの職員数の最小値は人口32万から33万の市において得られる40。従って、あらかじめ、市町村の規模に応じた標準職員数を想定しておいた上で、小規模の市町村が合併するならば、余剰の職員が生じることになるから、職員削減数が明確になるということになる。また、人件費については、人口あたり人件費の最小値が人口27万から29万の市において得られる41。この分析から得られる結論は、効率性という観点からすれば、人口が30万人前後の市が最も適切であるということになる。そのため、町または村においては行政の効率性が発揮されないということになる。

 たしかに、人口という点のみで判断するならば、人口の少ない町村ほど、人口1000人あたりの公務員数は多くなる傾向が見られる。勿論、これはあくまでも割合の話であって、実数ではない。しかし、割合が多いということは、その分、他の産業に就く人口が少ないということでもあるし、国、都道府県および市町村の予算に占める義務的経費(この場合は公務員の人件費)が歳出の大部分を占め、その割合が上昇することもある。

  逆に、政令指定都市のような大規模のところでも、人口1000人あたりの公務員数は多くなる。行政経費も増大する。

  但し、これまでなされてきた市町村の適正規模を巡る議論は、人口にのみ注目するものが多く、面積との関係を重視したものは、寡聞にして知らない。

  この他に、目に見えるメリットはあるのであろうか。小西氏は、市町村合併の前後で住民の

  税負担がそれほど変わらないことを指摘しつつ、税外負担については異なると主張する。氏によれば、水道料などの公共料金や介護保険料などに自治体間格差があり、市町村合併によってこれらの負担が最も低い(合併前の)市町村の水準に設定される可能性があるという42。すなわち、市町村合併によって、その対象とされる複数の市町村のうち、住民の負担は最も低いレベルに、サービスは最も高いレベルに設定される可能性がある訳である。実際、日本経済新聞2001年1月15日付朝刊「地域総合」の欄において紹介されている、清和市、与野市、大宮市の三市が合併して誕生する「さいたま市」をみると、ごみの収集手数料について、与野市だけが有料であったが、合併後は無料化されるという。しかし、ごみの分別収集については、具体的な分類や収集方法などが異なることもあり、一本化されないという。

  しかし、これについては、地方税財政制度の観点からみても疑問が残る。例えば、地方税法第701条の30に規定される事業所税である。これは、政令指定都市、中核市、特例市などが課税権を持つものである(この要件に合致する市は課税しなければならない)。仮に、中核市のA市とB町とが合併する場合、B町の領域には新たに事業所税が課せられることとなる。実際にどの程度の事業所がこの税の負担を負うことになるかは不明であるが、事業所税非課税市や町村に事業所を置く企業にとっては税負担の増加を意味することになる。

  また、市町村税の代表的存在である固定資産税と同時に課される都市計画税の負担が課される可能性もある。都市計画税は、地方税法第702条第1項により、「都市計画法に基づいて行う都市計画事業又は土地区画整理事業に要する費用に充てるため」に市町村が課すことのできる目的税である。事業所税と異なり、この税を課しうる市町村は限定されていないが、条文に定められている目的を考慮すれば、小規模の市町村が賦課する意味は乏しい。逆に、市町村合併によって規模を拡大するならば、都市計画税を賦課する意味が増すことにもなる43

 もっとも、小規模市町村の場合、前述のように自主財源比率および財政力は、通常、極端に低い(弱い)。このため、歳入の多くを地方交付税や国庫補助負担金、そして地方債に頼らざるをえないという状態となっている。これは、先ほども述べたように、地域住民の負担と受益が釣り合っていないことを意味する。

  この節の最後に、行政改革とは直接の関係を持たないかもしれないが、大分県でも深刻な過疎化について、再び触れておきたい。

  以前から、私は、市町村合併とそれに伴う大規模化が過疎化への適切な対応と言えない、少なくとも過疎化対策の決め手にはならない、という主張を繰り返している44。この点については、いくつかの実証的研究がある。例えば、多田憲一郎氏は、京都府伊根町45、および岡山県の中山間過疎地帯である川上村、八束村および新庄村を例として、市町村合併の問題を検討している46。また、早川鉦二氏は、岡山市の合併の経緯を紹介した上で旧西大寺市の領域に焦点を当て、この地域の経済的な地盤沈下などの実態を検証する47

 これに対し、総務省自治行政局行政体制整備室長の高島茂樹氏は、人口動態の変化に着目し、「行政に対する影響という観点から評価するならば『税金を負担する人が減り、逆に税金を使う人が増える』ということになる」とした上で、「市町村の規模が大きくなれば、固定経費の負担が軽減され、住民の薄く広い負担により、割安なサービスが可能となる」として、市町村合併こそ過疎対策の有効な手段である旨を主張する48。また、多田氏が京都府伊根町について指摘する周辺地域の問題49について、高島氏は「現在の市町村体制において、役場付近の中心地域に比べ、周辺地域の住民の方々が行政サービスを受けるに当たって不利益を受けているということは聞いたことがない」と述べ、その上で、「自分の住んでいる地域に施設がなければ満足できないという固定観念を捨てることができれば、むしろ合併により広域的なまちづくりが可能になり、周辺地域を含めて住民サービスの向上につながることが多い。地方分権時代の到来で、条件不利地域など周辺地域においては、合併しない方が逆に格差が拡大するものと思われる」と断定する50。この主張も当然成立しうるのであるが、全く実証的な例が示されていない。今後、国、都道府県、そして市町村合併を推進しようとする当事者たる市町村は、過疎化対策としての市町村合併の効果を、具体的な例に基づきつつ、数値を用いてわかりやすい形で住民に示さなければならないであろう。これまで、国による過疎化対策は、根本的な解決策を見出しうるようなものでなかった。それに、今回の市町村合併について、地方分権推進委員会も総務省自治行政局も、過疎化問題の深刻化を解決することを目的としてあげていなかった。

  このように考えると、過疎化は市町村合併によって表面上(あるいは計算上)、隠避されるにすぎない(先送りと評価してもよい)。市町村合併論者の主張をみても、この問題に対する真剣な回答はみられない(と言うより、回答を避けているように思われる)。

  もう少し丁寧に述べよう。私の知る限りではあるが、1963年に大野郡大野町から一部が編入された安藤地区など、過疎化地域(厳磨な意味においてではないかもしれない)が見られる。従来の市内過疎化地域については、今後の宅地地域の拡大によっては、部分的には解決するかもしれない。しかし、今後、市町村合併がさらに推進されるとするならば、過疎化町村が中核市などに合併されることが予想される。その場合、過疎化町村の消滅に伴ってそれらの地方公共団体の財政問題などは解決されるが、それらを抱え込んだ地方公共団体の側は、一層の過疎化対策(地域振興策)を迫られることになるであろう。また、広域化・大規模化に伴って財政規模が拡大することにもなり、財政の合理化が緊急課題ともなる51。そうなれば、大規模化した市町村は、板挟み状態となるであろう。

X.おわりに

 

 以前から考えていて、少々論文などでも記していることを、ここでより詳しく書いておく。昨今の地方分権改革や市町村合併などの議論を概観すると、本当の住民自治が忘れられているように思える。近隣市町村の住民が合併を望むのであればそれでよいが、無理に市の領域を拡大しても、上手くいくとは思えない。首長や議員などの身分などが問題なのではない。体裁なども問題ではない。合併するか否かは住民が決定することである。市町村合併は、住民が真に暮らしやすい地域を作るための一手段、しかも一選択肢にすぎない。行政の効率化も重要であるが、それは人口規模だけで測れるものではなく、住民の生活を支配すべきものでもない。地域のことは、地域の住民こそが最善の選択をなしうるのである。

  その上で、市町村合併を考えるべきである。市町村の領域が拡大すれば、たしかに、住民の声は届きにくくなる。直接請求の件数などがこのことを例証している。しかし、これは、市町村合併の結果ではなく、単にこれまでの行政スタイルの結果であるにすぎない。地域住民が、福祉、教育などの行政サービスと費用(負担)とのバランスなどを考慮し、合併を選択すべきであると考えるのであれば、積極的に市町村へ働きかけるべきである。市町村合併特例法の失効は3年後に迫っている。法定協議会のことなどを考えると、残された時間はわずかである。地方交付税や国庫補助負担金などが削減され、しかも優先順位をつけられる以上、現在のままで小規模市町村が生き残れるという保証はどこにもない。市町村合併によって住民の生活が急激に改善される訳ではないが、長期的な視野に立って地域を考えなければならない。また、合併の方向が採られるのであれば、住民も、新しい地方自治体作りに向けて、積極的に発言していかなければならない。

 

 

  (1) 日田市郡合併協議会準備委員会による検討資料「新しい日田市郡のまちづくり将来ビジョン」の概要版が、http://iris.hita.net/~city/gap/gapfrm.htmにおいて公開されている。また、8月1日に同委員会のホームページが立ち上げられた(http://www9.ocn.ne.jp/~hita123/)。

  (2) 大分大学教育福祉科学部研究紀要第24巻第1号(2002年)7792頁。

  (3) 11回「食と水を考える会」主宰講演会、2001年1月12日、千歳村農村環境改善センター。この草稿も、このホームページに掲載している。

  (4) しかし、こうした主張については再検討を要する。自動車社会の進展は、深刻な環境問題を引き起こすのみならず、市街地(中心地)の空洞化、経済活動などの面における中心都市(大分県であれば大分市、九州全体であれば福岡市)への集中化、その裏面にある周辺部の過疎化(などの衰退)をもたらし、激化させる。

  (5) 大分市と佐賀関町との合併が該当する。

  (6) 佐伯市と南海部郡各町村との合併、日田市と日田郡各町村との合併などが該当する。

  (7) 大分郡全町の合併などが該当する。

  (8) 竹田市と直入郡各町との合併、豊後高田市と西国東郡各町村との合併が該当する。なお、西国東郡のうち、大田村は杵築市および速見郡各町との合併協議に参加している。

  (9) 多くの解説書などにおいて触れられている。私自身も前掲論文79頁において述べている。

  (10 注(3)にあげた講演において指摘している。

  (11 名称の通り、国の特別会計に属するものである。石原信夫「地方行政体制の整備に新機軸を」月刊ガバナンス9号(2002年1月号)25頁は、「特別会計が巨額の借金で身動きできない状況にあ」るのに「小規模団体には手厚く傾斜的に配分されて」おり、「それももう限界に来ている」と指摘する。そして、この傾斜配分が「経済膨張期」には上手く機能していたが、現在のような低成長期に不適当であると断じる。

  (12 1998年度からの3年間、人口4000人以下の市町村に対しては、地方交付税の補正係数の是正を打ち切ることにより、配分を減少させている。これとは別に、人口10万人以下の自治体については地方交付税の補正係数を現行の3分の2に圧縮する方針となったようである。臼杵市長の後藤国利氏による「自由と独立を求めれば自主自立」(「フロム市長トゥ市職員」517号、20011214日)は、この点を指摘する(http://www.jititai.com.d/to_shokuin/FROM517.htm)。その上で、後藤氏は、「行政効率向上のために大規模自治体に統合された場合、最も大きな問題は臼杵の自由と地方文化が守られるかどうかということです。大規模自治体の中の一地域となったとき、『臼杵』を大切にしていけるかどうかを考えなければなりません」と述べる。後藤氏自身が市町村合併に賛成なのかどうか、あえて不明確にしていると思われる。しかし、それでも、「臼杵には守るべき誇りと地域文化があるかどうかということです。これは市民の思い入れの問題です」と述べ、「地方交付税を少し減らされても、知恵と工夫と努力ではね返す覚悟があるかどうかが問題となります」という記述からは、少なくとも、臼杵市の主体性を失うような合併には反対であるという姿勢がみられる。とくに、「地方交付税の減額には耐えられないと考えるならば、合併の道しか残されないでしょう。その場合は、不自由と従属を覚悟しなければならないでしょう」という件には、後藤氏の立場が十分に示されているものと思われる。もっとも、臼杵市は、津久見市や野津町との合併に向けた折衝を行っており、7月に入ってから野津町との合併に向けて任意の市町村合併協議会を立ち上げている。

  (13 大分県市町村合併推進要綱が示す市町村合併パターンは、全国の都道府県が示すパターンの中でも最も単純なものである。その大部分は、市町村合併特例法によって認められる市の成立要件の緩和(合併して成立した自治体に限り、人口が3万人以上であれば市となりうる)を前提としている。しかし、合併して成立すると予定される新自治体の状況を槻観すると、人口が100000人を超えるのは、大分市と佐賀関町とが合併した場合のみである(100000人を超える人口を抱える別府市のみ、合併のパターンから除外されている)。そのため、前注に示した政府の方針が維持され、推進されるならば、少なくとも地方交付税の配分のみを考慮すれば、さらに大規模な合併パターンを作らなければならなくなる。他の都道府県についても同様である。

  (14 これは、2002年7月20日、大分全目空ホテルオアシスタワーにて行われた「地方自治講演会」(主催:大分県および総務省)における片山虎之助総務大臣の講演内容による。

  (15 私は、必ずしも受益者負担論、あるいは応益課税理論に全面的な賛成をする立場を採っていない。厳密に考えるならば、サービスの質や量に正確に対応した負担というものは存在しえない。しかし、理念的には、当然、誰もがサービスに応じた負担をしなければならない。

  (16 事務そのものの配分だけでなく、事務の決定権限の配分を含む。機関委任事務の廃止と、それに伴う自治事務および法定受託事務への再編は、権限配分の問題として捉えることができる。

  (17 石原・前掲24頁。

  (18 朝日新聞1999年6月12日付朝刊大分版1327面。

  (19 加茂利男「『構造改革』と自治体再編―ポスト分権改革時代の位相―」社団法人大阪自治体問題研究所編『税財政改革と地方自治体の未来』(社団法人大阪自治体問題研究所研究年報D、2002年、文理閣)67頁。

  (20 前掲の拙稿84頁を参照。

  (21 小西砂千夫「市町村合併問題の本質とはなにか」ガバナンス4号(2001年)25頁。同『市町村合併ノススメ』(2000年、ぎょうせい)22頁も同旨。

  (22 小西・前掲論文25頁。同・前掲書22頁も同旨。

  (23 なお、小西・前掲書22頁は、「地方自治を舞台とした利益誘導の仕組み」や「役所を巡る人間関係」の存在を指摘した上で、市町村合併がこうした改革の障害を破壊するものであり、市町村の自浄能力の有無を図るための手段でもあるという趣旨を述べる。しかし、これは偏見であろう。「役所」の意識や人間関係は、市町村が大型化すれば変わるというものではない。川崎市で生じたリクルート事件や福岡市で生じた市営地下鉄3号線建設に絡む汚職事件などを想起すれば明らかである。

  (24 池上洋通「市町村合併これだけの疑問―このままで地方自治は守れるのか―」(2001年、自治体研究社)53頁などを参照。

  (25 199611月、神奈川県が主催した「地方分権シンポジウム」における長野県栄村村長高橋彦芳氏の発言。引用は、保母武彦「農村から問う、『行政能力』とは何か」法学セミナー509号(1997年)104頁による。

  (26 これは、地方自治体の執行機関全体に求められるのみならず、議会にも求められる。

  (27 この条例については、逢板氏自身が様々な場において語られている。私も、7月7日、独立行政法人経済産業研究所主催の「アクティブ・シティズンズ・フォーラム」において、直接、逢坂氏の講演を拝聴した。また、条例の制定の経緯などについても、逢板氏、そして制定委員会のメンバーの方から、電子メールなどでうかがうことができた。この条例を含め、逢坂氏の基本姿勢は、逢坂誠二「時代の転換期をどう乗り越えるか」木佐茂男編『地方分権と司法分権』(2001年、日本評論社)2頁に示されているので、参照されたい。

  (28 介護保険を念頭に置いている。

  (29 朝日新聞2001年1月17日付朝刊1113面による。

  (30 片山氏と同じく、朝日新聞2001年1月17日付朝刊1113面による。

  (31 法定外普通税や法定外目的税の新設が各地で検討され、一部は実行に移されているが、根本的な解決とは程遠い。

  (32 神野直彦『地方自治体壊滅』(1999年、NTT出版)97頁を参照。

 33 木村陽子「社会保障と地方財政」本間正明・齊藤慎編『地方財政改革―ニュー・パブリック・マネジメント手法の適用―』(2001年、有斐閣)108頁。

  (34 木村・前掲109頁。

  (35 小西・前掲書48頁。

  (36 園部逸夫・大森政輔編『新行政法辞典』(1999年、ぎょうせい)281頁[上本仁士担当]による。

  (37 小西・前掲論文24頁。小西氏は、広域連合制度が一部事務組合の「ガバナンスの弱さをそのまま引き継いでいる」こと、広域連合の場合は「構成市町村が全員一致でないと決定できない」ことも指摘する。

  (38 そのため、広域連合が扱う事務は、規約に定められたものに限定される。

  (39 高島茂樹「平成の市町村大合併の理念と展望―自己改革による真の地方分権の実現―」市町村合併問題研究会編『全国市町村合併地図』(2001年、ぎょうせい)14頁。

  (40 吉村弘『最適都市規模と市町村合併』(1999年、東洋経済新報社)43頁。なお、詳細な分析は同書17頁以下を参照。

  (41 吉村・前掲80頁。なお、詳細な分析は同書69頁以下を参照。

  (42 小西・前掲書203頁を参照。

  (43 都市計画税の問題については多くの文献があるが、さしあたり、森稔樹「地方目的税の法的課題」日税研論集第46号『地方税の法的課題』(2001年、日本税務研究センター)295頁を参照。

  (44 森稔樹「日本における地方分権に向けての小論」大分大学教育学部研究紀要第20巻第2号(1998年)202頁、そして注3に掲げた講演の草稿などに掲載されている。

  (45 多田憲一郎「過疎地域市町村の行財政構造と地域政策―京都府与謝郡伊根町を事例として―」京都大学経済学会経済論叢別冊・調査と研究第7号(1994年)65頁。重森暁「柔らかい地方分権への税財政改革」自治体問題研究所編『解説と資料地方分権の焦点』(1996年、自治体研究社)82頁も、多田氏の論文を引用して、市町村合併が有効な過疎化対策になりえないことを主張している。

  (46 多田憲一郎「中山間過疎地域における広域合併問題と地方行財政システム―『地域特性』および住民組織の役割との関連を中心に―」日本地方財政学会編『環境と開発の地方財政』(2001年、勁草書房)179頁。

  (47 早川鉦二『市町村合併を考える』(2001年、開文社出版)を参照。同書においては、鹿児島市と旧谷山市(1967年、鹿児島市と合併)の事例との比較も行われている。

  (48 高島・前掲8頁。

  (49 これは、1970年代から80年代にかけて行われた過疎対策事業のことを指す。多田氏によれば、この事業の8割ほどは中心部にある漁村地区の道路や港湾の整備にあてられ、山村地区に事業の効果がほとんど及ばず、人口減少が一層深刻化したという。

  (50 高島・前掲9頁。

  (51 このことは、過疎化地域ではないが極端な財政赤字を抱え込む地方公共団体の合併についても、基本的に妥当するものと思われる。

 

 

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