サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第46編

 

  「地方分権の試金石」とも評されるサテライト日田設置許可無効等確認訴訟ですが〔「」の中は、月刊ガバナンス2002年10月号(通巻18号)61頁の記事「サテライト日田事件で原告が『まちづくり権』を主張」によります〕、第44編において記したように、7月23日の口頭弁論では、最後に不穏な空気が流れました。再掲しておきますと、「最後に、寺井弁護士のほうから次々回の期日について申し立てがなされたのですが、裁判長は一方的に、次回の様子を見て決めるという趣旨の発言をして打ち切りました。これが、原告弁護団、そして木佐教授に不安を与えたようです。次回(10月1日)で口頭弁論が終結するという可能性もあるからです」。

 (余談ですが、月刊ガバナンスの記事には誤りがあります。口頭弁論の期日が10月2日となっていますが、以前から10月1日と決まっていました。)

 そして、この不安は的中しました。10月1日、口頭弁論が行われましたが、裁判長のほうから、突然、傍聴席にはあまりよく聞こえない声で「今回で結審する」という趣旨の発言がありました。正直に申し上げると、私は、7月23日以来、結審の可能性は高くなったと考えており、10月1日に結審すると予想していました。しかし、外れて欲しいと思っていました。民事訴訟でいう本案審理には全く入らないまま、終わることになるからです。これでは、設置許可手続の何が問題だったのかについて判断がなされず、不明瞭な形になってしまいます。そればかりでなく、経済産業省のあり方、競輪事業のあり方、まちづくり権の有無などの本質的な問題が放置されることになりかねません。この訴訟の行方によっては、地方自治、地方分権などといっても、結局のところは何も変わらない、それどころか、市町村合併などのことを考え合わせると、「環境ネットワーク奄美」の代表、薗博明氏が主張されるように「(市町村合併について―引用者注)今回も地方分権とか地方の主体性の強化と言っているけれど、国が地方を治めやすい方向に持っていこうとする意図が見えている」という結論に結びつきかねません〔薗氏の主張は、久岡学他著『「田舎の町村を消せ!」−市町村合併に抗うムラの論理』(2002年、南方新社)44頁によります〕。

 山場に入ったと思ったら急降下したような感もありますが、今回は、この口頭弁論の模様をお届けいたします。

 私が大分地方裁判所についたのは13時前です。この時、知っている人はまだ誰も来ていなかったのですが、13時を過ぎて、大分地方裁判所には日田市の関係者の方々など、大勢が集まりました。第1号法廷に入ると、傍聴席に空席があまりないような状態です。マスコミ関係者なども多かったようです。

 13時32分、裁判長以下3名の裁判官が入廷し、口頭弁論が始まりました。今回は、日田市側からの準備書面はなく、経済産業省側から、9月24日付の第5準備書面が提出されております。

 今回の口頭弁論は、冒頭から異様でした。まず、書記官や事務官の声が聞こえないことはいつもの通りなのですが、裁判長の声がよく聞き取れません。これまでは、第1回目の口頭弁論で傍聴席から野次が飛んだこともあって、もう少しよく聞こえたものです。しかし、今回は、傍聴人の存在も完全に無視されています。後で伺ったところ、原告席に着かれていた大石市長も、寺井弁護士をはじめとする原告弁護団も、ところどころで聞き取れなかったようです。

 始まったと思ったら、経済産業省側の代理人によって準備書面の訂正が伝えられたのですが、これも何を言っているのかよくわからないほど聞き取りにくく、ようやく、何頁の何行目かだけがわかったという有様です。

 そして、被告側の陳述が終わった瞬間、裁判長が「結審する」という趣旨を述べました。そして、判決の言い渡しを来年1月28日に行うと述べました(実は、これも非常に聞き取りにくく、判決言渡日については口頭弁論終了後に確認したほどです 。時間については、今もわかりません)。そこで、寺井弁護士は、今回の第5準備書面について反論の機会を与えるように申し出ました。しかし、裁判長は、そのようなことなどが「裁判所が判断すべきこと」であるとして、却下しました。この時の様子は、まさに緊迫していたという表現が妥当するでしょう。この時傍聴していた日田市民の多くは、裁判長の訴訟指揮があまりに権力的、一方的にみえたはずです。寺井弁護士は、準備書面の節毎に、日田市側の主張を補充する必要性を述べたのですが、ことごとく却下されました。大石市長も、5万人以上の署名の件をあげて抗議したのですが、やはり却下されています。そこで、裁判官が退廷しようとした瞬間に、桑原弁護士により、裁判官の忌避が申し立てられました。この申し立てが認められるか否かはわかりませんが、さしあたりは今回で結審となりました。第1号法廷を出て玄関に向かった時、13時40分を過ぎていなかったので、実質的に5分ほどしか開かれなかったということになります。或る意味ではあまりにも呆気ない終わり方でした。

 これにより、7月23日に申し立てられた証人尋問、検証などは、結局、全て却下されたことになります。このことから、本案審理はなされないということになった訳です。この瞬間、私は、すぐにいかなる判決が出るかを予想することができました。しかし、今ここで記すことは控えます。

 その後、いつものように、大分地方裁判所の玄関前に、大石市長、寺井弁護士、日田市民の方々が集まりました。今回の口頭弁論については、ほとんどの方々が怒りを覚えられていたようです。そのことは、大石市長の挨拶からもうかがわれました。次に寺井弁護士が解説などをなされました。明らかに、裁判官の訴訟指揮に対する怒りの色が示されています。或る程度予想していたことではあったが、最悪の結果になったという趣旨が語られました。そして、新たな論点を用意し、新たな主張を展開すること、今後、判決の内容次第では控訴する可能性も示されました。また、忌避については、2日以内に行わなければならないこと、この忌避の申し立てが却下された場合には福岡高等裁判所への抗告、さらには最高裁判所への特別抗告も検討することが示されました。

  そして、今回は久しぶりに私も発言させていただきました。実は、今回の口頭弁論を傍聴して、私も興奮しておりました。この問題に関わるようになって、今回ほど興奮したことはありません。むしろ、最近の私はかなり冷静でした。第34編に記したように、昨年(2001年)の11月6日に経済産業大臣側の準備書面を読んだ時にも、驚いて「何だこれは!?」と叫んだことがありますが、その時以上に興奮していました。そのために、発言の内容をよく覚えていないのですが、今回の訴訟が原告適格だけで終わり、実体審理に入らなかったことへの不満を述べました。また、今回の第5準備書面(経済産業大臣側)の内容についても、問題点などを簡単に指摘したと記憶しています。そして、結果如何にかかわらず、この訴訟はまちづくりの第1段階であるという意見を述べ(以前からこうしたことを述べているつもりです)、終わらせていただきました。その場におられた方々に申し上げておきますと、今回は、行政法学者としてではなく、一大分県民としての発言と捉えていただきたいのです。

 さて、いよいよ、経済産業大臣側代理人から提出された第5準備書面の内容を紹介しましょう。そして、検討を加えて進めて参ります。既に述べたように、この準備書面は9月24日付となっているため、原告側が反論の準備書面を作成する余裕がなかったとのです。

 一読して、これまでの主張の繰り返しが基本的な内容であるということがわかります。これまで、経済産業省側からはあまり反論がなされていなかったのですが、今回は10頁(実質的には8頁と数行)にわたり、原告側が7月23日付で提出した準備書面(第5)に対して真正面から反論を試みています。

 まず、「第1」として「諸外国における自治権侵害を理由とする自治体の原告適格について」という節が設けられています。この不定期連載でも取り上げたように、原告側は、白藤博行教授、村上順教授、そして人見剛教授による鑑定書を提出しています。この中で、ドイツ、フランス、そしてアメリカの例などが紹介されています。被告側は、「第3準備書面の第1の2(2)において主張したとおり、我が国の裁判制度における地方公共団体の出訴権の有無は、我が国の判例及び判例に照らして判断すべきであり、法制度の異なる海外における実情によって直ちに本件における原告の原告適格の有無の判断が左右されるものでないことは明らかである」と述べ、原告側の主張をあっさりと一蹴しています。

 しかし、原告側の鑑定書でも引用されている、福島大学行政社会科学部の垣見隆禎助教授による「明治憲法下の自治体の行政訴訟」という論文(福島大学行政社会論集14巻2号に掲載)によれば、行政裁判所法の下で、地方自治体の原告適格が認められていました。問題にすらされていなかったのです(この点については、第40編も参照して下さい)。明治憲法で認められていたものが、どうして日本国憲法の下で認められないのか、という点について、被告側は何も述べていません。

 そもそも、行政事件訴訟法の規定を参照しても、地方自治体が被告になる場面が想定されているとはいえ(機関訴訟は別とします)、原告となることを否定する規定は存在しません。そのことから考えても、たとえ例外的であれ、地方自治体が抗告訴訟の原告となることは、法律上、直ちに否定されるべきものではないと考えられます。また、地方自治体が原告となった訴訟はほとんどなく、数少ない例の代表である摂津訴訟(東京高判昭和55年7月28日行裁例集31巻7号1558頁)や大牟田市電気税訴訟(福岡地判昭和55年6月5日訟務月報26巻9号1572頁)は損害賠償請求訴訟ですから、判例は参考になりません。

 次に、「第2 日本における地方自治体の原告適格について」という節です。原告側の主張は、日本国憲法や地方自治法によって地方自治体には自治権が保障されるべきであり、その侵害に対して司法的な救済が認められるべきであると主張しています。これに対し、被告側は、第1準備書面や第3準備書面を示しつつ、「憲法上の規定から直ちに地方公共団体に具体的権利を保障していると解することはできない」、地方自治法や地方分権推進法の規定は「宣言的・指針的性格を有するにすぎ」ないという主張が繰り返されています。その上で、「仮に地方自治体に一定の権利が認められるとしても、そのことから直ちに本件許可処分の取消しを求める原告適格が認められるものではない」とも述べています。

 「宣言的・指針的性格」については、第34編において疑問を示し、第37編においても私見を述べています。しかし、経済産業大臣側の論旨は、これまでの繰り返しに過ぎないため、主張の具体的な内容はよくわかりません。また、憲法の解釈については、たしかに、被告側が主張するような制度的保障説が通説であると言いえます。しかし、これだけでは、結局、地方自治であろうが地方分権であろうが国のさじ加減、ふところ加減で範囲と内容が決定されるということになります。この点については、北野弘久教授の新固有権説が参考になると思われます。大分大学で憲法の講義を担当している私は、何らかの形でこのあたりについて検討を加えたいと考えています。いずれにせよ、(省庁によって若干の差異があるとは言え)国が地方分権をいかなるものと考えているのか、おぼろげながら示されている主張です。

 ただ、次の点だけはここで確認しておきたいと思います。地方自治体のうち、都道府県および市町村は法人です。地方自治法第2条第1項にも明示されています。すなわち、人格的には国と別のものであるということなのです。勿論、個人とも別です。例えば、私は現在、大分県民であり、大分市民です。つまり、構成員です。しかし、私は大分県でもなければ大分市でもありません。そして、大分県と大分市とは別の法人です。地方分権改革が進められる前、機関委任事務という概念がありましたので、法人格の点は、ともすれば忘れられがちになるのですが、それは憲法の理念が半ば無視されていたにすぎません。

 制度的保障説を採った場合、地方自治法第2条第1項の規定と整合性があるのでしょうか。あるとすれば、どの程度なのでしょうか。実は、ここが大きな問題です。制度的保障論は、この点を見過ごしていたのではないでしょうか。

 勿論、法人とは、具体的な法によって人格を与えられた、自然人(生物としての人間を、法律学ではこう呼びます)以外の何かでして、そのことは民法第33条からも理解できます。その意味では、法人の存在自体、能力の中身などは、個々の法律によって規定されるのですから、制度的保障であると言えなくもありません。しかし、例えば株式会社の存在などについて憲法の制度的保障説を持ち出す人はいません(財産権の保障が制度的保障であると考えるならば、そこから導かれるかもしれませんが)。

 そして、制度的保障説は、地方公共団体を国の機関とした場合には、無理なく成立するのですが、国とは別の法人格を持つ団体と考えると、どこまで通用する理論なのか、と考えたのです。

 さらに言うならば、「宣言的・指針的性格」の強調は、地方自治法第2条第1項の趣旨と矛盾しないでしょうか。法人格を有する以上、公私の別を問わず、一定の権能が認められるべきものです。まして、都道府県及び市町村は、地域の住民から構成される社団法人です。自治権の存在自体を認めないということは、間接的ながら、その住民の人権の一部分を認めない、ということにならないでしょうか。住民自治的地方分権論の立場に身を置く場合、根本的問題がここにあると考えられます。

 第5準備書面では1頁に満たない部分について長きを割きました。次は「第3 原告適格について」の部分です。

 まず、第5準備書面は、判例(高速増殖炉もんじゅ設置許可取消訴訟についての最三小判平成4年9月22日民集46巻6号571頁、がけ崩れ事件についての最三小判平成9年1月28日民集51巻1号250頁)に言及し、行政事件訴訟法第9条について、いわゆる「法律上保護された利益説」に立つことを言明しています(但し、純粋なものではなく、「保護に値する利益説」の要素を加味したものです)。しかし、第5準備書面を読む限り、純粋な「法律上保護された利益説」ではないのかという疑問もあります。この点について、もう少し、中身を読んでみます。

 原告適格について、原告側は、「市議会の意思決定権」、「公営ギャンブルをめぐる財源獲得方法の決定権」、「教育・福祉・人権・快適な住環境をつくる権能」、「公安・公衆衛生・道路・環境保全の権能」を主張しているのですが、被告側は、これらについて自転車競技法によって保護される利益ではないと主張しています。

 さらに詳しくみますと、第一に「市議会の意思決定権」についてですが、被告側は、自転車競技法第4条について「場外車券売場の設置許可をなすに当たって当該場外車券売場の設置が予定されている場所の都道府県あるいは市町村の議会の場外車券売場設置同意の議決は要件とされていない」とした上で、「場外車券売場設置許可制度を通して都道府県あるいは市町村の議会の意思決定権なるものを保護すべきものとしている根拠は見当たらない」と述べ、この点で日田市の原告適格を認めることはできないと主張しています。なお、ここで、「意思決定権なるもの」という表現に御注意下さい。これは、そもそもそのようなものは存在しないという立場を示唆するものです。

 しかし、まさにここが自転車競技法の問題ではないでしょうか。事業を営む地方自治体の利益しか想定していないからです。また、市議会の意思決定権に否定的な見解については、先ほど述べた地方自治体の法人としての正確に鑑みると、疑問が残ります。ここは、本案審理での争点となるべきところでした。

 第二に、「公営ギャンブルをめぐる財源獲得方法の決定権」については、原告の主張が「必ずしも明確とはいい難い」としつつ、自転車競技法第1条にいう「地方財政の健全化」は「競輪事業を行う地方公共団体の財政の健全化」を指すと述べています。また、やはり原告が主張する「競輪事業を営まないことによって得られる地域環境的利益」が「法律上保護された利益」であると述べる根拠は法律に存在しないと述べています。

 たしかに、この点についての原告の主張には不明確な部分があるかもしれません。しかし、主張そのものは非常に簡単で、要するに地方自治体には「いかなる手段により、その財源を確保するかは当該自治体の基本的権能に属する」という言葉に尽きます。これは、考えようによっては当然のことでしょう。また、第34編においても述べましたように、自転車競技法第1条には「その他の公益」という文言があります。この点について、被告側は何も述べておりません。また、「地方財政の健全化」については、たしかに被告の主張するとおりでしょう(文言解釈からすれば、そういう結論しか得られません)。しかし、これでは場外車券売場の設置場所となる市町村の利益はどうでもよいもの、つまり、保障されなくてもよいものとなります。これも、法律自体が内包する問題です。ここは是非とも本案で審理して欲しかったところです。

 第三に、「教育・福祉・人権・快適な住環境をつくる権能」についてです。これについても、被告側は、原告適格の有無との関連が明確でないと指摘して、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下、風営法と略)第4条第2項第2号などと異なり、「文教施設あるいは医療施設の設置者の個別的利益を保護していると解することはできない」と述べています(ここでは最三小判平成6年9月27日判時1518号10頁が参照されています)。理由として、自転車競技法の目的が「地方財政の健全化」であること、「場外車券売場設置許可制度は、競争場(先ほど述べた、経済産業大臣指定代理人による訂正は、この言葉についてであると思われます。実は、この時の説明が、あまりに小さな声で聞き取りにくく、よくわからなかったのです。正しくは「競走場」か「競技場」でしょう)設置許可制度と同様に、申請にかかる施設の位置、構造及び設備が公安上及び競輪事業の運営上適当であるか否かを審査することを目的とするものである」ことがあげられております。その上で、自転車競技法施行規則第4条の3第1号に、風営法第4条第1項第2号に明示される「良好な風俗環境を保全するため」という文言がないこと、設置基準について「相当の距離」としているが具体的な距離が特定されていないことから、原告適格は認められないと述べております。

 しかし、それでは何故に場外車券売場についても許可申請書に図面などを添付させ、文教施設や医療施設の位置や名称を記載させるのでしょうか。しかも、自転車競技法施行規則第4条の2第2号は1km以内と明示しています。場外車券売場の存在が周辺の環境に多大な影響を与えるからに他ならないからではないでしょうか。経済産業大臣側の主張は「地方財政の健全化」をあげるだけで、全く説明になっていません。また、この主張は、まさしく純粋な「法律上保護された利益説」に立つものと考えられます。関連法規との関連などを結局のところは切り捨てているからです。

  第四に、「公安・公衆衛生・道路・環境保全の権能」について、被告側は、自転車競技法施行規則第4条の3第4号が「『周辺環境と調和したもの』というきわめて抽象的な文言を用いていること等」からして、原告の言う公衆衛生や環境保全ではなく、「競輪事業の円滑な運営に資することを目的とすべきである」と主張しています。

 この「きわめて抽象的な文言」という言い方自体、行政裁量(ここでは立法裁量、あるいは行政立法裁量)の観点からして問題とされるべきものです。また、「競輪事業の円滑な運営に資する」のであれば、周辺環境はいかなるものであってもよいということなのでしょうか。そうであれば、自転車競技法は悪法の部類に入ります。

 さらに、被告側は、場外車券売場設置許可制度の目的が上記の通りであり、「場外車券売場設置許可処分に」より「生命、身体の安全の安全が必然的に侵害されるおそれがあるという場合ではない」ことからも、日田市の原告適格を認めることはできないと述べています。この部分はいまひとつわかりにくいのですが、いずれにせよ、自転車競技法は競輪事業者の利益を保護するものであるという立場をとるものです。

 さて、原告適格については上記の通りなのですが、第5準備書面は「第4 自治体の迷惑施設の区域外越境的設置における協議の必要性」という節を置き、甲第28号証として提出された人見剛教授の鑑定書に示された論旨に対して全面的な反論を行っています。ここは、全文を引用して紹介しておきましょう。

 「原告は、本件許可処分の手続においては、地方自治法244条の3第1項の類推適用による、関係普通地方公共団体である原告との協議の手続がなされていないから、原告には原告適格が認められる旨主張しており(原告の準備書面(第5)の第6)、その意図するところは明確でないものの、一定の行政処分について、その根拠となった法律が第三者たる地方公共団体に参加的地位を認める場合には、原告適格を認めるべきであるという前提に立脚するものであると理解される(甲第28号証9、11、16〜17ページ)。

 しかしながら、第三者に参加的地位が付与されていることは、当該法律がその第三者の法的利益に何らかの配慮をしているということはできるが、そのような参加的地位が認められているということから、直ちに原告適格を基礎付ける『法律上保護された利益』があるという結論を導くのは早計である。特に地方公共団体に参加的地位が認められている趣旨は、地方公共団体自体の利益を保護するというよりも、その背後にある住民の一般的利益を保護するという点にある場合が多いと考えられる。また、地方自治法244条の3は『公の施設』を設置する場合についての規定であるところ、本件のような『公の施設』であるとはいえず、かつ設置者も地方公共団体ではない場合に、同条を類推適用することは理論的に無理があるといわざるを得ない。したがって、地方自治法244条の3の類推適用を根拠とする原告の主張は到底採用することができるものではない。」

 長く引用したのは、おそらく、判決文もこれを引用するような形で判断を示すことが予想されるからです。ここで疑問となるのは、被告側の主張を妥当とした場合に、場外車券売場はいかなる性質のものかということです。たしかに、サテライト日田に照らし合わせてみると、設置者は別府市でなく、民間の建設業者です。しかし、設置者が車券を販売することはできません。あくまでも施設の賃貸者です。そして、別府市が車券を販売するのは「地方財政の健全化」を図るためです。従って、全く公的な性格を有しないと考えることには無理があります。実際、競輪事業による収益は、公的な目的のために支出されることになっています。詳しいことを覚えていないのですが、競馬事業について公共の福祉を図るものだとする判決がありました。このことも考え合わせると、公的性格がないという判断は妥当ではないと思われます。また、逆に公の施設ではないという主張が正当であるとすると、自転車競技法の構造には捩れがないでしょうか。「地方財政の健全化」を徹底するのであれば、設置許可申請者が民間業者であってもよいという主張には、よくわからない点が残ります。

 こうして、被告側は原告側に原告適格がないことを主張しました。そして、今回で大分地方裁判所での口頭弁論は打ち切られました。私としても、まだ納得のいかない部分が多く残っています。そして、日田市の主張が正しいのか経済産業省の主張が正しいのかについては、むしろ本案審理で明らかにして欲しかったのです。そうでなければ、多くの点が明らかにならないまま、この問題は終結してしまいます。

 最後に。この連載はまだまだ続けます。大分県民として、この訴訟の行方は追い続けなければなりません。ただ、この段階で非常に残念に思うのは、他ならぬ地元の問題について、大分大学の関係者で1回でも裁判を傍聴した人が、私の知る限りでは私しかいなかったことです。

 

(2002年10月2日)

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