サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第54編

 

  この不定期連載も54回目を迎えました。2000年7月から不定期の連載として始まったこのコーナーは、2000年12月末日までの12編を第一部、2001年1月から12月までの24編を第二部、2002年1月から12月までの12編を第三部、そして、2003年掲載文を第四部としています。また、月刊地方自治職員研修2001年5月号に掲載された論文「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例」、および法令解説資料総覧2003年5月号(通巻256号)に掲載された論文(判例評釈)「場外車券売場設置許可無効確認請求事件」を姉妹編としております

  2000年6月3日にスタートした「大分発法制・行財政研究」のメインの一つともなっているこの不定期連載は、行政法学者や行政実務家の方にも認知され、参考ページなどとして紹介されるまでになりました。私自身、よくここまで続けられたと思っています。それには、行政法学者としてよりも、私個人としての立場なり感覚なり環境なりが大きく作用していると考えています。

  このような書き出しとなったのは、今年中にこの連載を終えることになりそうだからです。何度か補充の記事などを作らなければならないのですが、それでも2003年度中に連載を完結させることとなります。その理由は、 この続きを読んでいただければおわかりいただけるでしょう。不定期の連載も、今回で54回目となりました。よくぞここまで続けられたというのが、正直な感想です。

  さて、今回は、2003年11月10日(月)、13時30分から福岡高等裁判所において行われた控訴審第2回口頭弁論の模様を報告いたします。実は、この日、14時30分から日本国憲法の講義が入っていたのですが、後期開始時に休講とすることを伝えておりました。サテライト日田問題を追っているというだけでは済まされない立場にある私としては、何としてでも行かなければならないと思っていました。

  既に何度か記しておりますように(第51編第53編を参照して下さい)、今年の4月、別府市長選挙が行われました。当時現職であった井上信幸氏が敗れ、浜田博氏が当選しました。浜田氏は、サテライト日田設置問題について見直しなどの方向性を示していました。実際、浜田氏は、折に触れて日田市との円満解決を明言しています。第53編においても取り上げましたように、8月29日、別府市と設置業者との話し合いが行われ、福岡市にある設置業者との間で協議が行われました。別府市議会の状況などを考えると、設置推進ではなく、設置の断念について協議がなされたはずです。

  そのため、控訴審の段階で問題そのものが解決され、訴訟が取り下げられる可能性も高くなっていました。ただ、問題はその時期です。

  11月10日、私は、9時15分大分駅発の特急ソニック14号に乗り、福岡へ行きました。途中、遠賀川駅を過ぎたあたりで朝日新聞社大分支局から電話が入りました。それは、9日に行われた衆議院議員選挙に関するコメントの件でした。博多駅に到着するまでやりとりをしていたのですが、その時にはサテライト日田問題のことが出ていません。

  博多駅で地下鉄に乗り換え、天神で降り、書店に寄ってから赤坂駅のほうに歩きました。そして、昼食をとりました。この時、朝日新聞大分支局から再び電話が入っていたのですが、マナーモードにしており、昼食をとっていた最中でしたので、電話があったことすら気付かなかったのです。

  12時頃、福岡高等裁判所に入りました。今日も傍聴整理券が配布されます。そこで並んでいたのですが、その時、読売新聞西部本社の高橋記者から情報を得たのでした。その内容は、別府市がサテライト日田設置断念を表明した、というものでした。正確に言えば、別府市が設置そのものをするのではなく、設置された場外車券売場で車券を販売したりするのですから、それの断念です。携帯電話の着信記録を確認したら、昼食時にかかってきた電話は朝日新聞大分支局の白石記者からだったので、こちらから連絡を取りました。やはり、同じ内容でした。

  とにかく、驚きました。よりによって控訴審の第2回口頭弁論が行われようとしているこの日に、そのようなことが発表されるとは思ってもいなかったのです。

  また、日田市は、午前中に臨時の日田市議会全員協議会を召集しました。その場では、別府市の設置断念表明を受け、訴え自体を取り下げることについて同意が求められたようです。実は、日田市と別府市の間(市長会談や実務者協議)で、9日、湯布院で協議が行われたとのことですが、そのようなことは議会も知らされていなかったようでした。

  しばらくして、日田市民の方々などを乗せたバス2台などが到着しました。既に福岡では雨が降り出しています。第1回口頭弁論が行われた6月23日も雨でしたが、そのようなことを思い出すような余裕がありません。サテライト博多設置反対運動に関わっておられる方々とも話をしました。少し後に、寺井弁護士、藤井弁護士、桑原弁護士が到着し、私は、藤井弁護士、桑原弁護士と話をしました。寺井弁護士は、11時に別府市から経済産業省(本省)に宛てて提出された文書を手にしていました。少し見せていただきましたが、内容は、サテライト日田が設置された場合には別府市が必ず車券販売などを行うという、2000年2月25日付で当時の通商産業省機械情報産業局車両課長に宛てられた別府市長名義の「確約書」を取り下げ(撤回)するというものです。

  ここまで来て、本当に別府市が車券販売などを断念するとなれば、サテライト日田を設置しても意味がありません。設置業者が車券を販売できる訳ではないからです(販売したら、自転車競技法に違反します)。また、日田市としても訴訟を続ける意味がありません(原告適格はともあれ、訴えの利益がなくなるからです)。そして、訴え全体を取り下げる意向であるということになるのです(控訴取り下げでは、大分地方裁判所の判決が確定してしまいます)。多くの論点が未解決のままになってしまいますが、これも仕方のないことです。

  それから、この不定期連載にも何度となく登場していただき、今年の夏の集中講義の際にお世話になった院生のT氏も来られました。傍聴整理券が配布されました。私は6番です。その時、おそらくは大分の民間放送局の取材班だと思うのですが、マナーの悪い輩がいて、列の横から入り込んで傍聴整理券を取っている若者がいたので、叱りつけました(放送局にはこんな傍若無人な連中ばかりがいるのでしょうか。そうではないですよね)。抽選にはならず、全員が傍聴できることになりました。

  前回と同じ、西棟5階の501号法廷に入ります。抽選がなかったというだけで、空席はほとんどありません。原告(控訴人)席には寺井弁護士、藤井弁護士、桑原弁護士、そして大石市長が着席します。被告(被控訴人)席に、代理人である福岡法務局の訴訟検事が着席したのは、かなり遅い時間でした。今回は2人だけです。

  口頭弁論の進め方は、あらかじめ、桑原弁護士からうかがっていました。まず、控訴人と被控訴人から、それぞれの準備書面が提出されます。それから、日田市側から訴えの取り下げが出されるのです。実際、その通りに進みました。双方から準備書面が出され、裁判長に対し、この準備書面の通りに陳述するということになります(実際に陳述したら相当の時間が必要となりますが、準備書面を提出する際に「この通りに陳述します」と言えばよい訳です)。

  ここで、いつもでしたら、日田市側が準備書面の内容について、傍聴人向けに解説を行うのですが、今回はそれが行われていません。代わりに、準備書面とは異なる陳述が、寺井弁護士からなされました。勿論、訴えの取り下げについてです。今日、別府市から、設置業者である溝江建設(これまではM建設などと記しましたが、今回は実名を出します)に対して、おそらくは口頭で通告がなされたこと、および、やはり別府市から、経済産業省に対して先の「確約書」の撤回の意思表示が文書によってなされたことが明らかにされました。そして、訴えの取り下げが出されたのです。

  もっとも、訴えの取り下げは、一方的にできるものではありません。民事訴訟法第261条がこの点を規定していますので、条文をあげておくこととしましょう。

  第1項:訴えは、判決が確定するまで、その全部又は一部を取り下げることができる。

  第2項:訴えの取下げは、相手方が本案について準備書面を提出し、弁論準備手続において申述をし、又は口頭弁論をした後にあっては、相手方の同意を得なければ、その効力を生じない。ただし、本訴の取下げがあった場合における反訴の取下げについては、この限りではない。

  第3項:訴えの取下げは、書面でしなければならない。ただし、口頭弁論、弁論準備手続又は和解の期日(以下この章において「口頭弁論等の期日」という。)においては、口頭ですることを妨げない。

  第4項:第二項本文の場合において、訴えの取下げが書面でされた時はその書面を、訴えの取下げが口頭弁論等の期日において口頭でされた時(相手方がその期日に出頭したときを除く。)はその期日の調書の謄本を相手方に送達しなければならない。

  第5項:訴えの取下げの書面の送達を受けた日から二週間以内に相手方が異議を述べないときは、訴えの取下げに同意したものとみなす。訴えの取下げが口頭弁論等の期日において口頭でされた場合において、相手方がその期日に出頭したときは訴えの取下げがあった日から、相手方がその期日に出頭しなかったときは前項の謄本の送達があった日から二週間以内に相手方が異議を述べないときも、同様とする。

  この訴訟は行政事件訴訟法によって行われてきたものですが、訴えの取り下げについては同法に規定がありません。第7条は「行政事件訴訟に関し、この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による」と定めておりますので、結局、民事訴訟法第261条に従うこととなる訳です。

  今回の場合、被告・被控訴人の同意が必要となります。上記の第2項に定められておりますように、口頭弁論をした後に訴えの取り下げがなされた場合には、被告・被控訴人の同意を得なければなりません。被告・被控訴人の代理人は福岡法務局の訴訟検事ですから、被告・被控訴人である経済産業大臣(実際には経済産業省の所轄部局)との協議が行われ、その結果次第ということになるでしょう。そして、今回は口頭弁論の期日に行われていますので、調書化が行われます。被告・被控訴人からは、取り下げの同意について「前向きに検討する」という趣旨の発言がなされました。

  その後、大石市長の発言がありました。訴えの取り下げと言いますが、実質的には勝訴判決を得たようなものです。そこで、弁論というよりは御礼というような内容となっていました。また、最終手続(設置許可の撤回または取消)については、今後、被告・被控訴人のほうで検討するということでした。

  今回は、おそらく、10分足らずで閉廷しています。13時45分には、弁護士会館で集会が行われているからです。

  さて、今回、日田市は訴えの取り下げを行った訳ですが、その効果はいかなるものなのでしょうか。やはり民事訴訟法の第262条が、この点を規定しています。

  第1項:訴訟は、訴えの取下げがあった部分については、初めから係属していなかったものとみなす。

  第2項:本案について終局判決があった後に訴えを取り下げた者は、同一の訴えを提起することができない。

  日田市は、訴えの全部を取り下げています。従って、法律上、この訴訟全体が最初からなかったことになります。今年の1月28日に大分地方裁判所で言い渡された判決も無効となり、存在しなかったことになります。そうなると、私自身が書いた判例解説〔月刊誌の法令解説資料総覧第256号(2003年5月号)120頁から122頁まで〕の意味もなくなる訳で、これには多少の抵抗感もあります。また、白藤博行先生、村上順先生、人見剛先生が書かれた鑑定書の意味もなくなる訳です。それだけではなく、これまで、日田市はこの訴訟に相当の費用をかけているはずですから、弁護士費用などはどうなるのかという疑問もあります(下世話な話かもしれませんが)。しかし、法律上、この訴訟自体がなかったことになると言っても、出費などが返ってくる訳ではありませんから、結局は無駄だったのではないか、という疑問の声が上がってきてもおかしくありません。実際、訴訟の最中にも、日田市と別府市は水面下で市長会談や実務者間協議を繰り返してきているのです。

  しかし、私は、訴え全部を取り下げてこの訴訟自体が(法律上)存在しなかったことになるとしても、訴訟が無駄だったとは思いません。むしろ、訴訟を続けたからこそこういう結果になったし、仮に市長会談や実務者協議を続けていても、訴訟がなければここまで動くことはなかったと考えています。井上市長時代には、日田市と別府市のスタンスがあまりにかけ離れていましたので、何度協議を繰り返しても意味がなかったのでした。4月の選挙で別府市長の交代があったことで、風向きは変わりました。それも、おそらくはこの訴訟が続いていたからでしょう(もう一つは、日田市対別府市訴訟で日田市が完全勝訴となったことがあげられます)。そればかりでなく、この訴訟は、福岡ドーム場外馬券売場構想などにも影響を与えました。法律上、訴訟そのものがなかったことになっても、社会的な影響などはかなり大きいものでした。傍聴席を日田市民の方々、日田市議会の方々などが埋めるというようなことがなければ、11月10日はなかったでしょう。このホームページの掲示板である「ひろば」にも記しましたように、訴え全体が取り下げられますと、第1審判決の存在も無意味なものとなりますが、ここまで訴訟を進めてきたからこそ、今回の結果が得られたものだと思われます。実に長い間の闘いでした。私も「ひろば」に記しましたし、T氏も記されていますが、何よりも、今回の主役は日田市であり、日田市民の皆さんです。私は、ここまでの長い努力に、心から敬意を表します。このために、逆に訴えの取り下げという結果につながったのです。

  実は、訴えの取り下げということでは、もう一つ、気になる点があります。時間的には前後しますが、13時45分からの集会、そして14時すぎからの記者会見が終わり、私は、T氏と福岡市営地下鉄赤坂駅付近の喫茶店に入り、今回の結果などについて話をしたのですが、その時に、T氏から、仮にこの訴訟が最初からなかったことになると、訴状、準備書面、大分地方裁判所判決などの記録は一体どうなるのだろうか、裁判所などで保管し、公開などがなされるのだろうか、という疑問が出されました。私も考え込みました。訴訟が最初からなかったことになるのに、訴訟の記録が残るということになるのでしょうか。しかし、実際には行われていますから、記録が一切廃棄されるというのもおかしいと思われます。いかなる扱い方になるのか、御教示を賜りたいものです。いずれにしても、我々が持っている記録(全てがコピーですが)は、非常に貴重なものになります。行政法学者として、いや、一国民として、大切に保存し、折に触れて読み返そうと思っています。第53編においても述べましたように、この問題は、元々は偶然で知ったとは言え、地方分権改革が進められる中での大問題となる可能性がありましたし、実際にその通りとなりました。自転車競技法を初め、地方自治に関する様々な論点を含み、提起しています。

  13時45分からの集会のことなどについて触れておきましょう。私たちが入った時には既に始まっていました。閉廷してから、私がT氏、桑原弁護士と、今回の手続のことについて話をしていたからです。

  まず、大石市長から、今日になって訴えの取り下げを明らかにしたことについて弁明がなされました。その次に、寺井弁護士からのあいさつがありました。この時点で、実質的な勝利集会になっています。寺井弁護士は、最高裁まで争うことも考えていたし、まちづくり権の問題などについて判断がなされることを期待していた、と述べました。しかし、日田市の訴訟の意義などを考慮して、取り下げることとしたということでした。そして、これまでの日田市民の闘いの意義を強調する内容が語られました。その後、日田市議会 の諫山洋介議長による挨拶(実質的には御礼でした)、武内会頭の挨拶(「感無量」、そして7年間の継続が語られました)が続きます。そして、藤井弁護士からは、今回の手続の説明がなされ、準備書面についても触れられました。最後に、桑原弁護士から、今回の感想と訴訟の意義について述べられました。

  会場では「日田市行政訴訟の取下げについて(弁護団声明)」と題する文書が配られました。「日田市行政訴訟弁護団」を構成する寺井一弘弁護士、中野麻美弁護士、藤井範弘弁護士、桑原育朗弁護士の連名によるもので、日付は2003年11月10日となっています。ここで全文を引用させていただきます(ほぼ原文のままです)。

  日田市は、平成13年3月19日、別府競輪場場外車券売場「サテライト日田」の設置を許可した国の行政処分は、憲法の定めた地方自治権にもとづく日田市の「まちづくり権」を真っ向から侵害するものとして、その取消と無効確認を求めて裁判所に提訴し、現在まで福岡高等裁判所において審理が継続されてきた。

  しかし、本日午前、別府市は、溝江建設株式会社に対して日田市において今後別府競輪の場外車券を発売しないことを通告するとともに、国(経済産業省)に対して「サテライト日田」の設置が承認されれば場外車券を発売すると確約した平成12年2月25日付書面の撤回を申入れるに至った。このことは、日田市あげて反対してきた「サテライト日田」の設置が断念されたことを意味するものであり、長年にわたる日田市民の真剣かつ粘り強い闘かいの勝利に他ならない。

  日田市と弁護団は、憲法を無視した国(経済産業省)の行政処分が違憲・違法なものであることを司法の場において明白に判断されることが何よりも重要であると考えてきたが、「サテライト日田」の設置が事実上実現されなくなった現状を踏まえ、本日、国を相手とした行政訴訟を取下げることとした。

  これまで本件訴訟を暖かく支援していただいた全国各地の市民、学者、マスコミ関係者の方々などに深く感謝の意を表するとともに、「まちづくり権」の確立をめざす運動が今後わが国の各地方自治体においてさらに大きく発展していくことを心から期待してやまないものである。

  集会が終わってから、記者会見が行われました。私とT氏も残り、聞きました。日田市長、弁護団が列席しています。そのやり取りを簡単に紹介します。

  まず、9日の日田市長と別府市長との会談ですが、この件は大石市長から説明がなされました。事務協議として日田市から7日に申し入れを行いました。それに対し、別府市が応じたことで、湯布院町(詳しい場所は明らかにされていません)において極秘で行われました。その時、別府市長から設置断念(先ほども記しましたが、正確には車券販売の断念)の意向が示されたとのことです。別府市では、忘れもしない2003年2月8日の市議会臨時会で、サテライト日田設置関連補正予算案が否決されました。2月1日の別府市議会観光経済委員会で可決された議案が、見事な逆転で否決されたのでした。その時から、環境が変わっていないというのです。実際、朝日新聞2003年11月11日付朝刊28面(大分)13版に掲載されている「場外車券場訴訟取り下げへ日田市長ら『市民の意思が実った』」という記事に、別府市の住民団体である「サテライト日田設置を強行する別府市長に腹が立つ会」の事務局長、森アツコ氏のコメントが掲載されており、その内容からも、サテライト日田設置に反対する声が別府市民の間にも根強いことがうかがわれます。それが、現市長の浜田氏の当選につながったのです。

  また、大石市長は、別府市と溝江建設が口頭でしかやり取りをしておらず、今回の断念についても申し入れがなされた、という説明をしました。おそらく、別府市長との会談で示されたことなのでしょう。しかし、この点を確認しようがないとは言え、何の文書も交わされていないというのは不思議です。あるいは、正式に別府市が車券販売を決定した段階で契約書のようなものでも交わそうとした、ということなのでしょうか。一方、別府市と経済産業省(設置許可当時は通商産業省)とのやり取りは書面でなされており、今回の確約書の撤回も書面でなされています。

  さらに、別府市と溝江建設との間のことで、今後予想される損害賠償請求などについては、日田市にはとくに何の説明もなかったとのことです。

  次に、寺井弁護士は、今回の訴訟について、憲法判断を求める気持ちは強かった、と述べました。私が記者側の席に座っていたためかもしれませんが、学界にも大きな影響を与えたという趣旨も述べられました。

  再び大石市長に記者側から質問がなされ、大石市長は、設置許可の取消(撤回)を求めること、自転車競技法の改正も求めることを表明しました。また、別府市との関係については、浜田市長の意向が観光都市としての共存であり、日田市としても思いは同じである、ということが述べられました。

  最後に、寺井弁護士から訴えの取り下げの説明がなされました。経済産業省側が同意しない可能性も「あることはある」が、実際上、可能性はほとんどないであろう、という見通しが示されました。また、同意については、一週間程度でなされるのではないか、とも言われています。ただ、11月18日現在、経済産業省側が訴えの取り下げに同意したという情報は得られておりません。

  記者会見終了直後、私も西日本新聞などからコメントなどを求められました。但し、新聞記事には登場しておりません。朝日新聞2003年11月11日付朝刊28面(大分)13版には私が登場しますが、これはサテライト日田関係ではなく、衆議院議員選挙関係のコメントです(ちなみに、顔写真は、私の希望により、2002年9月15日付朝刊32面(大分)10版に掲載されたものが使用されています)。

  以上で、11月10日の模様について報告を終えることとなります。この日に提出された準備書面の内容を扱うことができなかったのですが、これについては、補充的な記事を作成し、年内に第55編として掲載することといたします。

 

(2003年11月19日)

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