サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第47編

 

  このホームページの掲示板「公園通り」においても度々取り上げておりますように、最近、場外券売場(競馬、競輪、競艇など)に関する問題が各地で多く生じています。そのような中、サテライト日田問題は、全国的にも注目を浴びる代表例でもあり、その行方が他の事例にも何らかの影響を与える可能性が高いと思われます。また、行政法学の観点からも、地方分権に関する論点を多く含んでいますし、自治体間の対立についても一種のモデルケースとして考えることができるでしょう。

 今回は、自治体間の対立に焦点を置き、2002年11月19日(火)、13時10分、大分地方裁判所1号法廷にて出された日田市対別府市訴訟の判決を中心に、考察を進めて参ります。

 当日、私は、判決が出される時間がわからなかったことと、他の場所にも用事があったため、朝の9時半過ぎに大分地方裁判所へ行きました。13時10分からということで、他の用件を済ませたのですが、その間、今回の判決を予想していました。事実認定では日田市に歩があるのですが、市報べっぷに訂正記事を掲載せよという請求は認められないのではないか、と考えていました。自治体に名誉権があるのか否かという問題と、損害賠償請求が認められるかという問題とは、一応、別物と考えられます。そうすると、日田市敗訴の可能性も高い訳です。

 勿論、別府市敗訴の予想も立てました。その場合には、別府市が果たして控訴するのだろうか、今の別府市の政治状況を考えるならば、サテライト日田問題どころではないという話になるし、市議会の同意を得ることはできないだろう、そうすれば、控訴は無理で、判決は確定するだろう、と考えていました。

 12時30分ころ、大分地方裁判所に行くと、テレビ大分(TOS)の取材班が到着していました。私は、その方々と話をしていました。NHK大分、大分放送(OBS)、大分朝日放送(OAB)、朝日新聞大分支局の記者の方々も来られ、話などをしました。全く予想がつかないという意見は、記者の方々も同じように抱いていたようです。12時50分ころに日田市側の訴訟代理人である梅木哲弁護士が到着、すぐ後に日田市職員の方々が到着しました。一方、別府市のほうは、何故か内田健弁護士がおられず、別府市職員お一人だけだったようです。

 判決言い渡しということで、開廷前に写真撮影が行われました。報道関係者と日田市職員を除けば、傍聴席は私だけという状態です。

 そして、民事第1部の須田啓之裁判長が判決主文を読み上げました(理由は省略)。聞いた瞬間、驚きました。日田市の完全勝訴です。日田市職員の方も予想していなかったようでして、「やった!」とガッツポーズを(軽く)したほどです。何しろ、当初は日田市に原告適格があるかどうかが問題とされるという予想もありました。その点が何ら問題にされなかったことが、日田市の方々を驚かせたのです。しかし、私は、すぐに、事実の点などについて、この不定期連載で解説を加えましたように、別府市側の主張に一貫性がなく、日田市の主張に有効な反論をなしていなかったことを思い出しました。

 市報問題を知ったのは2000年の11月、私がこの問題について連載を始めて間もないころで(第2編も参照)、仮に別府市の主張が正しいとしても、市報でわざわざ競輪特集を行い、日田市を批判するとは完全なフライングではないかと思っていましたし(そんな市報の記事を見たことがなかったからです)、2001年3月に日田市役所を訪れた時に(第23編も参照)、当時、サテライト日田問題を担当されていた日野和明氏に資料をいただき、市報べっぷ2000年11月号の記事は、故意か過失かはともあれ、完全に誤っていると確信しました。この時の成果である「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例―日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例―」(月刊地方自治職員研修2001年5月号27頁)でも、私は、「別府市は、この記事について、いまだ見解を明らかにしていない」と述べていますが、裁判の場では、市報べっぷの記事を拡大解釈するような見解を述べて、日田市の主張に正面から反論をしたものとは認められないような態度を取ったのです。

 これまで、この不定期連載では、第25編第26編第29編第30編第32編第34編第36編第39編第41編、そして第45編において、日田市対別府市訴訟を扱い、準備書面などについて検討を重ねて参りました〔但し、第39編(2002年3月5日)、第41編(2002年5月21日午前)、第45編(2002年9月10日)の分については、実際には傍聴しておりません〕。不十分な点も多いのですが、御参考になれば幸いです。

 さて、ここで判決の概要を紹介します。なお、この判決文は、朝日新聞大分支局の記者、白石昌幸氏の御協力を得て入手したものであることを記し、この場を借りて御礼を申し上げます。

 まず、主文は次の通りです。

 「1.被告は、原告に対し、被告が発行する『市報べっぷ』に、表題2号活字、本文3号活字として、別紙1記載のとおりの訂正記事を掲載せよ。」

 「2.訴訟費用は被告の負担とする。」

 日田市は、判決では別紙2に記載されている内容の請求をしました。参考までに、別紙1と別紙2の全文を紹介しておきましょう。

 

 ●別紙1の「訂正文」(判決で命令されたもの)

  「市報べっぷ」平成12年11月号「競輪特集・別府競輪はいま…」に、『A場外車券売場の通産大臣の設置許可まで、「サテライト日田」の場合3年を要した。反対するのであれば、日田市としては、本来、設置許可が出る前に、許可権者である通産大臣に対して明確な反対の意思表示をすべきだったのではないか』と、日田市が別府競輪場場外車券売場の設置許可まで通産大臣に対して明確な反対の意思表示をしなかった趣旨の記事を掲載しました。しかし、日田市は、平成8年9月に別府競輪場場外車券売場「サテライト日田」の設置が明らかになって以来、通産大臣に対してその設置反対の要望書を提出するなど、通産大臣の設置許可前から明確な反対の意思表示をしていました。

 事実に反する内容でしたので、訂正するとともに、日田市にご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。

以    上

 ●別紙2の「訂正文」(日田市が請求していたもの)

  市報べっぷ平成12年11月号「競輪特集・別府競輪はいま…」に掲載された、『A場外車券売場の通産大臣の設置許可まで、「サテライト日田」の場合3年を要した。反対するのであれば、日田市としては、本来、設置許可が出る前に、許可権者である通産大臣に対して明確な反対の意思表示をすべきだったのではないか。』という箇所は事実に反する内容でしたので、次のとおり訂正するとともに、これが原因で日田市及び日田市民に多大なご迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。

  日田市は、平成8年9月に別府競輪場場外車券売場「サテライト日田」の設置が明らかになって以来、その設置は日田市の目指すまちづくりビジョンにそぐわず、青少年健全育成の環境、市民の生活に多大な影響を与えるとして設置反対の意思を表明していました。また、「公営競技の場外車券売場の設置に反対する決議」を市議会全員一致で決議するとともに、日田市長は平成9年1月13日、通商産業大臣に対し『「サテライト日田」の設置に反対する要望書』を提出する等、通商産業大臣の設置許可が出る前から明確な反対の意思表示をしていました。

  以後、日田市は再三に亘って、九州通産局、通商産業省に対し、設置反対の要望を行い、また市民総意で「サテライト日田」設置反対の行動を展開しています。

 

 読み比べますと、別紙1によれば日田市が明確な意思表示をしてきたことはわかりますが、具体的な取り組みが不明確になるという難点があります。また、別紙1では日田市民という言葉が抜けており、この点でも問題が残ります。おそらく、訂正記事掲載請求は実質的に謝罪文の掲載要求に等しいという別府市の意見を取り入れたのではないかと思われるのですが、やや不鮮明になったことは否めません。勿論、別紙1でも日田市の請求は十分に充たされていることになります。

 そればかりでなく、判決は、市報べっぷ2000年11月号掲載の記事が「事実に反する」ことを明確に認めています。しかも、それが少なくとも重過失によるものであると述べているのです。その他、まさか私がこのホームページで検討し、論じてきたことを参考にしたとは思えませんが、それでも私の主張と共通するような部分もありました。

 当日および翌日、各報道機関がこの判決を取り上げました。私の手元には、朝日新聞2002年11月20日付朝刊34面13版(社会面)、西日本新聞2002年11月20日付朝刊28面16版(社会面)・20面(大分)のコピーがあります。このうち、西日本新聞2002年11月20日付朝刊28面16版(社会面)のほうには、日田支局の南里義則氏の解説があり、その最後で「分権型社会に向けて地方の自立が迫られるなか、自治体の社会的評価、名誉権を認めた判決は時代の流れに沿うと言える」と、非常に高い評価を与えています。

 また、当事者である日田市の大石市長は、「市民、議会のサテライト反対への後押しが今日の結果につながった」という感想を述べておられ、梅木弁護士も「自治体の名誉権を認め、名誉回復のために訂正文の掲載まで認める画期的な判決」という評価をなされています(梅木氏は、閉廷直後、大分地方裁判所でのインタヴューでも同じ趣旨の発言をされています)。西日本新聞2002年11月20日付朝刊20面(大分)には、日田商工会議所専務理事の佐々木栄真氏、サテライト日田設置反対女性ネットワークの代表、高瀬由紀子氏も、全面勝利を喜ぶ旨のコメントを寄せています。

 一方、別府市の井上信幸市長は、「主張が認められず、大変遺憾。控訴する方向で検討したい」という短いコメントを出していますが、会見などは行われなかったとのことです。

 大分地方裁判所から大学へ向かい、研究室で、ひたの掲示板に判決の報告を記しました。その直後、朝日新聞大分支局の白石昌幸記者から連絡をいただきました。上記のように、判決文をファクシミリで送っていただいた上で、判決文を一読し、私の感想、評価などをメールでお届けいたしました。これは、まとめられた上で朝日新聞2002年11月20日付朝刊34面13版(社会面)に私のコメントとして掲載されました。「自治体広報の基準を示した」という小見出しが付けられています。

 「昨年2月、新潟県上越市が放送局などを訴えた裁判の判決で、新潟地裁高田支部は、一般論として地方公共団体にも名誉権が認められると示した。今回の判決は、さらに一歩踏み込んだもので画期的だ。誤った内容を広報の記事とすることは、日田市のみならず、日田市民に対する名誉毀損とも考えられる。/地方公共団体の広報のあり方について一つの基準を示したと評価できる。」(/は、原文改行箇所)

 広報のあり方という観点は、西日本新聞の解説記事と異なっています。これには理由があります。市町村の広報の場合、意外に編集者の裁量の幅が広く、法的な位置づけも明確ではないという点があります(このようなものについて、別府市側は「公権力の行使」などと主張したのです。行政法を最初から勉強しなおしていただきたいものです!)。また、この事件は、広報の場を借りて他の市町村を批判するという、あまり例のないものでして、しかもその広報の記事が、少なくとも結果的には虚偽であり、他の市町村の社会的評価を、一時的にではあれ、低下させたのでした(結果的には、日田市より別府市の社会的評価が低下しましたし、市政の混乱という結果をも招きましたが)。行政法学者の間でも、こうした別府市の行為には批判的な意見が強かったようです。

 さて、新聞記事に掲載された私のコメントは、私の感想や評価の一部分です。私が白石記者にメールでお知らせした内容を、勝手ながらここで紹介させていただきます。なお、一部ですが修正を加えています。

 (1)今日の判決内容は、総じて妥当である。 また、おそらく、これまでに類似の事案が存在していないであろうことからすれば、 画期的な判決でもある。

 (2)地方公共団体にも名誉権が認められることについては、既に上越市対東京放送 (TBS)訴訟で、新潟地方裁判所高田支部の判決が出されている。 しかし、この判決は一般論あるいは傍論として述べているだけであり、実際には上越市の請求は棄却された。 今日の判決は、被告も地方公共団体であり、しかも広報という手段によるものであるが、明確に日田市の名誉権を認め、別府市の責任を認めたということで、当然の内容だと思う。」

 (3)別府市は、日田市の主張に対し、なんら有効な反論をなしえなかったし、これ までの様々な主張には一貫性が欠けていたともいえるので、事実認定の部分についての判旨は妥当である。

 (4)判決文の8ページと9ページに「被告は地方公共団体であり、国民主権ないし 民主主義の観点から被告の他の地方公共団体に対する批判・論評を当該地方公共団体の住民その他の国民による批判・論評と同列に扱うことはできない」とある。ここまで踏み込んだ判断が出されるとは予想していなかったが、私も、かねてホーム ページなどで同旨を述べていた。

 (5)この判決は、今後、地方公共団体の広報のあり方について一つの基準を示したと評価できる。 少なくとも、事実誤認に重大な過失があるような場合、それを広報の記事とすることは、日田市のみならず、日田市民に対する名誉毀損とも考えられるからである。

 ここで、ようやく、判決文の「事実及び理由」の検討に入ります。「事実の概要」が1頁から3頁まで続きますが、この不定期連載をお読みの方であればおわかりだと思いますので、省略させていただきます。

 そして「争点」です。判決は、(1)原告の名誉権享有主体性、(2)本件記述の名誉毀損性、(3)本件記述の真実性及び故意・過失、(4)名誉回復措置の必要性、この4点にまとめた上で、判断を下しています。争点ごとに概観します。なお、判決文中には、それぞれの点についての日田市側と別府市側の主張を掲載していますが、これについても省略します。

 (1)原告の名誉権享有主体性

 判決は、地方公共団体も法人であって「行政目的のためになされる活動等は種々異なり、これを含めた評価の対象となり得るものであるから、それ自体一定の社会的評価を有しているし、取引主体ともなって社会的活動を行うについては、その社会的評価が 基礎になっていることは私法人の場合と同様であるから、名誉権の享有主体性が認められる」と判断しています。

 ここで注目すべき点は、判決が、公法人も私法、つまり、民法や商法などの分野において活動することがあるということを述べている点です。このような判断を示した判決は、過去に例がないのではないでしょうか。少なくとも、私はその例を知りません。この部分は、地方公共団体の名誉権侵害が問題とされるべき場面を限定していると解釈することが可能です。公法人は公権力行使の主体としての一面を有していますが、こうした場面では名誉権侵害が問題とはならないでしょうし、問題とされるべきではありません。この歯止めがなければ、逆に妥当性を欠くことにもなります。

 そして、既に私が評価している「被告は地方公共団体であり、国民主権ないし民主主義の観点から被告の他の地方公共団体に対する批判・論評を当該地方公共団体の住民その他の国民による批判・論評と同列に扱うことはできない」という部分につながります。これは、明らかに、別府市側の主張を強く批判している部分で、私も賛同します。実は、私自身、この不定期連載の第32編において、次のように述べていました。

 別府市側の準備書面は、無視し難い錯誤を犯しています。市報に表現の自由が全くないとは言いませんが、他の市町村の『批判・論評する自由』は、私人に対して認められるものであって、地方公共団体に対して無制約に保障されるものというべきではないはずです。どうやら、名誉毀損について私人と地方公共団体との立場は異なると表明しながら、無意識に混同していないでしょうか。」

 判決も述べているように、別府市側の主張は、別府市が地方公共団体であることを忘れてあたかも一個人であるかのような内容になっているのです。私は、かねてから、この事件の場合は地方公共団体対地方公共団体であって、私人対私人の事案と同様に考えるべきであると述べて参りました。私人対国家の事案とは、明らかに性質が違うのです。

 (2)本件記述の名誉毀損性

 ここは、原告の名誉権享有主体性と切っても切れない関係にあり、基本的には同旨が妥当します。判決もその点を確認しています。その上で、市報べっぷ掲載記事は「原告の反対の意思表示が時機に遅れて適正でないとの印象を与えるものであるから、本件記述は原告の社会的評価を低下させるものと認められ、その名誉を毀損するものである」と述べています。

 別府市は、この点について表現の自由と名誉の保護との比較考量を持ち出していたのですが、判決は、別府市が地方公共団体であることを理由にして、別府市の主張を認めていません。当然のことでしょう。

 その上で、判決は、別府市の主張が「地方公共団体の行政運営に対する社会的評価とこれとは別の地方公共団体自身の社会的評価が峻別できることを前提とするものであるが、これらを果たして峻別できるかどうかははなはだ疑問である」と述べています。

 (3)本件記述の真実性及び故意・過失

 これは、私が第32編において別府市の主張に疑問を示しておいた部分と関係します。別府市は、日田市の請求について、「平成8年から9月から設置許可申請のあった平成9年7月までの日田市の行動や、平成8年12月20日の日田市の決議、平成9年1月13日の要望書の提出などについては、本件論評では全くふれていない部分であり、過大な要求」であるなどと主張し、本件論評は、同申請後3年間の行動についての認識とそれをふまえた批判である」と述べていました。しかし、市報掲載の記事を読む限り、問題となった箇所から、平成9年1月13日の要望書の提出などが論評されていないと読むことは、少々無理という気もしていました。

 判決は、市報べっぷ掲載記事の記述が「『設置許可が出る前に』意思表示をしていないと記述しているに過ぎず、その始期については何ら限定されていない」と断じています。そして、事実認定からしても別府市の主張は採用できないとしています。そして、日田市は「本件設置許可申請の前後を通じ、通産大臣に対して、書面によるか又は下部機関である九州通産局への口頭の申し入れを通じて、明確な反対の意思表示をしていたのであり、本件記述は真実に反するものと認められる」ということになります。

 判決が明快に指摘していますように、別府市が裁判で主張した記事の意図あるいは意味は、記事からでは読み取れません。後付けの理由なのか、文章表現上の問題なのか。前者であるとすれば責任の問題になりますし、後者であるとすれば責任とは別の重大問題です。この部分の判決を読んだ時、私の恩師である新井隆一先生(早稲田大学法学部名誉教授)が常日頃おっしゃられ、今は私が学生に対して話している「法律学は言葉の学問である」という言葉を思い出しました。

 さらに、判決は、日田市側が提出した証拠(甲第2号証ないし第6号証。)に依拠しつつ、「本件記述がされた当時、原告が実際には本件設置許可に先立って、同設置許可申請の前後を通じ、通産大臣に対して、書面によるか又は下部機関である九州通産局への口頭の申入れを通じて、明確な反対の意思表示をしていたことを被告は容易に認識し得たと認定でき、本件記述による名誉毀損について少なくとも重過失がある」と判断しています。

 このうちの甲第5号証が、2000年1月14日付で別府市長に宛てられた通商産業省機械情報産業局車両課長名義の「競輪場外車券売場(サテライト日田)の設置問題について」という文書で、甲第6号証が、同年2月25日付で通商産業省機械情報産業局車両課長に宛てられた別府市長名義の「確約書」です。先ほど、私が2001年3月に日田市役所を訪れた時に日野氏から資料をいただき、市報べっぷの記事が完全に誤っていると確信したと記しましたが、それはこの2点の資料のことです。今も、この資料を見た時の私自身の驚きと、日野氏の憤慨ぶりを思い出すほどです。私も、直接の当事者であれば、日野氏以上に怒りを覚えることでしょう。別府市は、訴訟の場において、日田市が提出した証拠を覆すようなものを、何一つ示していないのです。

 (4)名誉回復措置の必要性

 私が最も懸念していたのがこの点でした。判決は、まず「『サテライト日田』設置に対する反対運動について原告住民の関心の高いこと」および「地方公共団体が多数の住民に配布する市報という社会的信頼性の高い刊行物に本件記述が掲載されたこと」を理由に、日田市の「社会的評価は大きく低下したと認められる」と判断しています。そして、これが別府市の「少なくとも重過失によるものである」という点を踏まえ、訂正記事の掲載が「相当である」と判断しています。

 また、別府市は、日田市が広報ひた号外(2001年3月15日付)に日田市の主張を掲載していること、日田市の主張を掲載した新聞報道がなされていることを主張していましたが、判決は「それらによっては、原告が本件記述が事実でない旨主張している事実は広く知られるものの、本件記述が事実でないと認識されるまでには至らないから、原告の社会的評価が回復されたとは到底いえず、上記訂正記事の掲載の必要性は失われない」と結論付けています。

 管見の限りですが、類似の事件があったとしても裁判で争われたことはなかったはずですし、あったとしても、ここまで認めた判決はないはずです。その意味では画期的です。しかし、市報の性質からすれば、この判断は妥当でしょう。市報は、いかなる編集形態によるものであれ、市の公式見解などを市民に示すものと考えるべきです。従って、そこには、表現の自由があるといっても相当に制約されたものしかありません。そして、仮に他の市町村を批判する自由が存在したとしても、結果的に虚偽の事実によってその市町村の評価を貶めるようなことがあってはなりません。市報の段階であれば、他の市町村であっても特定の私人であっても、対象としては同じような地位になります。

 さて、この判決を受けて、別府市はいかなる態度を示すのでしょうか。上記の通り、井上市長は控訴の意向を示しています。しかし、現在の別府市は、前市議会議長の政治的疑惑など、様々な問題を抱えています。控訴どころではないでしょう。来年、市長選挙が行われることをも考慮すれば、ここで控訴ということになれば、少なからぬ市民の反発も予想されます。そして、市議会も、2001年2月と同様に混乱する可能性が高くなります。

 控訴ということは、市の財政支出を伴うということです。地方自治法第96条第1項第12号は、普通地方公共団体(都道府県および市町村)の議会の議決事項として「当事者である審査請求その他の不服申立て、訴えの提起、和解、斡旋、調停及び仲裁に関すること」をあげており、控訴や上告については明示していません。そのために解釈に自信がないのですが、それを承知の上で考えてみます。

 今回、別府市は敗訴し、訴訟費用も負担することとなっています。控訴は「訴えの提起」ではないので、文字通りであれば議会の議決は不要とも考えられますが、控訴の場合であっても一定の費用を要することは「訴えの提起」の場合と変わりません。次に、控訴は高等裁判所に司法判断を求めることですから「訴えの提起」と類似します。さらに、控訴を「訴えの提起」と完全に区別するならば、首長以下の執行部に対する議会の統制権を弱めることになります。地方自治法第96条第1項第12号で「当事者」と規定されているのは、普通地方公共団体が被告ではなく、原告として裁判の当事者になることを想定しているからでしょう。そうであれば、控訴人は原告と同様に訴えを起こす側として捉えられるはずです。少なくとも、控訴に踏み切るのであれば、議会の同意を得なければ、地方自治、とくに議会制民主主義の趣旨を没却します。

 今、この記事を作成しながら、2000年6月にサテライト日田問題を知った時からのことを思い出しています。私自身にとっても、行政法学者として、そして、1997年4月からの大分県民として、この問題は大きなものでした。以前にも記しましたが、行政法学者としての私の原点を改めて見出したという思いがあります。そして、2000年12月9日の午後、別府市北浜から別府駅前までのサテライト日田設置反対デモ行進は、私にとっては、少なくとも2000年で最も印象的な出来事でしたし、大分大学に着任した1997年4月以来からでも、あの時ほど熱く、興奮していた私もなかったと思います。どこかで、参加されていた日田市民そして別府市民と一体となれたような気持ちがありました。それからもう2年が経とうとしていますが、地方分権が語られる現在、サテライト日田問題は我々に大きな何かを投げかけています。

 

(2002年11月22日)

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